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2016年7月 6日 (水)

天皇・皇室と「武の精神」

天皇・皇室の「和」のご精神は戦後日本の「似非平和主義」とは無縁である。

『現行占領憲法』三原理つの一つであるいはゆる「戦後平和主義」は、我が國の独立と平和と安全を根底から揺さぶり続けてきただけでなく、國民精神を堕落せしめた原因である。自分さへ安穏な生活をしていればいい、みんなのため、國家のために身を捧げるなどといふのは真っ平だといふ思考が蔓延した原因は實に「戦後平和主義」にあったと考へる。

 

戦ひの精神を忘却した國家と國民は、他國から侮りを受ける。今の日本がまさにさうである。好戦的な國民になるべきだと言ふのではない。しかし、我が國を無法に攻撃し侵略し支配しやうとする外敵に対してはこれと果敢に戦ふ姿勢は絶対に必要である。『現行占領憲法』の「似非平和主義」は葬り去らねばならない。

 

日本傳統精神の「和」の精神・歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのであるが、戦後の天皇・皇室論において、天皇・皇室には「武」の精神が無かったかのやうに誤解される論議があることを残念に思ってゐる。

 

日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が軍事力・権力を以て民を支配する民から搾取する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武の精神」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議を『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

天皇が「武」の精神道統の継承者であらせられることは歴然たる事實である。「三種の神器」に「剣」があることがそれを明白に証明してゐる。女性天皇も例外ではない。皇祖天照大御神は武装されたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率ゐて出陣された。このことを正しく理解し認識すべきである。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の「似非平和主義」とは無縁である。

 

皇祖天照大御神は、女性神であらせられるが、『古事記』に須佐之男命が高天原にまゐ上りたまひし時、「背には千入(ちのり)の靭(ゆき・武具の一つ。細長い箱形をなし、中に矢をさして背に負ふたもの)を負ひ、腹には五百入りの靭を附け、また臂(ただむき・ひじから手首までの間)には稜威(いつ・勢いの激しいこと。激しい力のあること。また、尊厳な性質があること)の竹鞆(たかとも・弓を射る時、左の腕に結び付けて手首の内側を高く盛り上げる弦受けの付けもの)を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭(堅い地面)は向股(股のこと)に蹈みなづみ、沫雪なす蹶(く)ゑ散(はららか)して、稜威の男建(をたけび・男らしい勇ましい武勇をふるふこと)、蹈み建びて、待ち問ひたまひしく」と語られてゐるやうに、武装され戦ひの姿勢を示された。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。「三種の神器」(やまとことばでは、みくさのかむたからと申し上げる)とは、皇位の「みしるし」として、歴代の天皇が傳承する三つの「お宝」である。「神器」とは神の依代(よりしろ・神霊が出現するときの媒體となるもの。神霊の寄りつくもの)を意味する。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。

 

『記紀神話』では、「草薙剣」は須佐之男命が、出雲國簸川上(ひのかわかみ)で八岐大蛇(やまたのおろち)を斬られた時に、その尾から出現したと傳へられる剣である。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも称される。

『古今和歌集』の「仮名序」に、「人の世となりて、素盞鳴尊よりぞ三十文字あまり一文字はよみける」と書かれ、須佐之男命がお詠みになった

 

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を

 

といふ御歌が、和歌(三十一文字)の起源であると説かれてゐる。この御歌は、須佐之男命が八岐大蛇を退治されたあと妻を娶られたときにお詠みになった御歌である。須佐之男命は、皇祖・天照大御神の弟神であらせられ、且つ、「武の神」であり、和歌を始めてお詠みになられた御方である。和歌は神詠であるといふ古来よりの信仰はここから生まれた。和歌と武とは一體なのである。これを「剣魂歌心」といふ。

 

『古事記』では、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

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