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2016年7月31日 (日)

この頃詠みし歌

 

わが友を自殺に追ひ込みしといふ男 千代田区民が選びし男

 

夏の夜ビール飲み干す洋食店 皆それぞれに話弾みて

 

祇園會の稚児の可愛さ暑を忘る

 

都大路を山車進み行く尊さや

 

四つ角で友を待ちゐる炎天下

 

蒸し暑き午後を歩める肥満体 汗流れ来るも一つの快感

 

久しぶりに来たりし寿司屋の板前さんイケメンなれば嬉しかりけり

 

その隣で寿司握りゐるご主人さんイケメンとは程遠き人にぞありける

 

参り来し御寺の墓に花供へ眠ります祖霊(みおや)をなぐさめにけり

 

丘の上の墓所に紫煙がたなびきて ここに眠れる祖霊(みおや)を拝す

 

先祖の墓を水で浄めて清々し我につながる命の絆

 

大空より落下傘が降り来る戦ひの絵に心躍るも(鶴田吾郎画・神兵パレンバンに降下す)

 

新しきビルが多く建てられてお江戸日本橋も変はりゆくなり

 

大きな音の響く工事が続き来て新しきマンションが立ちはだかりぬ

 

餅を焼き食することの有難さ日の本の国は瑞穂の国ぞ

 

時により昔の記憶甦る老いしわが母はいとしかりけり

 

お父さんお母さんと会ひたいと母はのたまふ幼児の如く

 

日本武尊を祀れるやしろに日本を毀たんとする奴が参る

 

小さなる虫も生きゐる その命何処より来たり何処へ去るか

 

ビルの狭間に上がる花火を眺めをり初夏の夕べのマンション九階

 

夏草の生ひ茂りたる観音堂暑し暑しといふ声のする

 

昼飯を抜きて二キロ痩せたたればいくらか動きも軽くなりたり

 

一本の筆を動かし歌を詠む 心のままに歌を詠むなり

 

残虐なる事件が日本にも起こりたり人の命を何と心得る

 

不殺生といふ掟あれど人類は殺し合ひの歴史を続け来しなり

 

人類の進歩と調和といふ言葉 何とも空々しく思ほゆるかも

 

タカ派とて勇ましき事を言ふ男 尊皇精神かけらほども無し

 

鳥越が売国奴なら某作家は国賊なりと思ひつつをり

 

文筆で名を成せし人の下品なる罵倒の言葉に驚かれぬる

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2016年7月30日 (土)

千駄木庵日乗七月三十日

午前は、諸雑務。

午後は『伝統と革新』原稿執筆・脱稿・送付。

この後、施設に赴き母に付き添う。元気なり。有り難し。

帰宅後も、原稿執筆。

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今朝思ったこと

私は多少咲いてから時間が経っていても、小さな池のそばに咲いている百合の花が好きなので、明日はそういう観点から投票しようと思います。憲法・国防・教育・外交問題で私に近い主張をしている女性候補を支持します。いかにも小役人と言った感じの人物や、地位と権力を利用した不倫男は嫌いです。

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「ルノワール展」を参観して

今日参観した『ルノワール展』は「世界でも有数のルノワール・コレクションを誇る、オルセー美術館とオランジュリー美術館。本展覧会は、両美術館が所蔵する、100点を超える絵画や彫刻、デッサン、パステル、貴重な資料の数々によって画家ピエール・ オーギュスト・ ルノワール(1841-1919)の全貌に迫ります。写実的な初期作品から、薔薇色の裸婦を描いた晩年の大作まで、多様な展開を見せたその画業。全10章を通して、肖像や風景、風俗、花、子ども、裸婦といった画家が愛した主題をご紹介します。同時に、革新的な印象派の試みから、伝統への回帰、両者の融合へと至る軌跡も浮かび上がるでしょう。画家が辿った道のりは、常に挑戦であり、終わることのない探究でした。そして、このたび、ルノワールの最高傑作《ムーラン・ ド ・ ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年)が日本ではじめて展示されます。幸福に身を委ねる人々、揺れる木漏れ日、踊る筆触本物のルノワールに出会う、またとない機会となるでしょう」との趣旨で開催された。

 

 

《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》《読書する少女》《草原の坂道》《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》《ジュリー・マネ》あるいは《猫を抱く子ども》《ピアノを弾く少女たち》《薔薇を持つガブリエル》《浴女たち》などを参観。

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール18412月25 - 191912月3)は、フランス印象派画家である。風景画、花などの静物画もあるが、代表作の多くは人物画特に女性を描いた作品が好かれているように思う。美しいの一言である。鑑賞者にとって平和なやさしい作品である。苦悩もとか戦いは描いていない。激しさも無い。ひたすら美しさを描いた。まさに美術作品である。ゴッホやピカソとは違うと感じた。ルノワールは、「風景画ならその中を散歩したくなるような絵画が好きだ」と言ったという。日本の画家の風景画でそういう思いを抱くのは、川合玉堂の作品ではないだろうか。

リヒャルト・ワーグナー(19世紀ドイツ作曲家指揮者)、ステファヌ・マラルメ(19世紀フランス象徴派の代表的詩人)り肖像画が印象に残った。歴史的画家が同時代の別の分野の歴史的人物を描くというのは珍しいのではないだろうか。

東京の人間にとってルノワールは親しみのある西洋画家である。東京には 数多くのルノアールといふ喫茶店があるからである。この喫茶店のマッチに描かれている絵はルノワールが描いた少女像である。喫茶店はなぜかルノアールと書いてルノワールとは書かない。

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千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、六本木の国立新美術館で開催中の『ルノワール展』鑑賞。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年7月28日 (木)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年八月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年八月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年八月号(平成二十七年七月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

谷口雅宣は谷口雅春師の思想を踏み躙り、生長の家は完全に変質した

 

谷口雅春師は『現行占領憲法』が、天皇國日本の實相を隠蔽してゐるから『大日本帝國憲法』復元を主張したのである

 

真のアジア・世界平和實現のための精神的基盤として、日本の傳統的國體精神は益々大切になってゐる

 

民進党及び共産党を支持する谷口雅宣は、生長の家の根本教義を否定した。彼は「法灯の継承者」では絶対にない

 

菅野完氏は、戦後体制打倒・正統憲法回復を阻止し、「戦後民主主義」を守るために『日本會議の研究』を書いた

 

『大日本帝國憲法』は、日本の傳統精神・國家國民観を基とした真に民主的な正統憲法である

 

千駄木庵日乗

 

田母神俊雄氏(第二十九代航空幕僚長)「『竹島上空に自衛隊機は行くな』という命令が出された。それから韓國による竹島實効支配が始まった」

 

渡辺利夫氏「慰安婦を公権力が強制連行したというのは嘘。慰安婦を広告で募集すれば続々と応募して来た。強制連行する必要なし」

 

渡部恒雄氏(東京財団上席研究員兼外交・安全保障担当ディレクター)「日本とインドで非西洋的傳統を保ちつつ民主主義を作った。他國への影響が強い」

 

松本紹圭氏(浄土真宗本願寺派光明寺僧侶)「いい加減という言葉はネガティブに響くが、ポジティブには『しなやかにやっていく』という意味」

 

安倍晋三内閣総理大臣「慈悲・和・仁と表現は違っても民主主義を支える思想がアジアにはある。自由・人権・民主主義をわがものとして法の支配を全うできることが日本の役割」

 

この頃詠みし歌

 

 

 

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小池百合子氏が小沢一郎氏と決別した理由

小池百合子氏は、『文藝春秋』平成二十年一月号で、一時は政治の師と仰いだ小沢一郎氏と決別した理由について次のように書いているます。

 

           〇

 

「政策上の理由では、三点ある。…国旗・国歌法案と外国人参政権の法案をめぐる対応、そして安全保障上での国連中心主義に対する見解の相違が大きい。私は国旗・国歌法には賛成。外国人参政権には否定的な立場で、自由党内の大勢も同じ見解だった。…しかし、公明の取り込みという政局的観点からか、党内議論とは別に、国旗・国歌法に反対、外国人参政権に賛成とした。…この大転換は私にとって衝撃だった。この二つの問題は国家のあり方の背骨の部分である。日本という国家としてのあり方を問う主要な政策を政局の道具として使うことに違和感を覚えた。いったん芽生えた不信感は、次第に膨れ上がって行った。いま思えば、これが〝小沢離れ〟のきっかけだったかもしれない。…そして、小沢氏の国連原理主義に対しても、じつは私は懐疑的だった。…国連はそれほど立派なものなのか。国連憲章に則って現代の国際社会を読み直せば、それは欺瞞に満ちた構図しか見えてこない、。いまや日本の国連予算はアメリカに次ぐ世界第二位にもかかわらず、国連憲章にはいまだに敵国条項が残っている。つまり、第二次大戦での敗戦国である日本の地位は、国連のなかにおいていまだに回復されていない。…その国連での決議が、果たして錦の御旗になるのだろうか、という疑問も残る。…日本は独立した主権国家である。主権国家たるもの自主独立の精神を貫くべきだ。自国の存立にかかわる判断基準を国連という外部組織に求めるべきではないだろう」。

 

        〇

ほぼ正論と思います。三人の有力候補者の中では小池百合子氏が最もまともであると思います。

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千駄木庵日乗七月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。原稿執筆。

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鳥越俊太郎は「売国奴」だが、石原慎太郎は「国賊」ではないのか。

 

 石原慎太郎氏(八十三歳)は七月二十六日、自民党本部で行われた都知事選に立候補している増田寛也氏の各種団体総決起集会に出席し、鳥越俊太郎氏に対して「売国奴だよ、こいつは!」と言った。さらに、小池百合子氏に対しては、「大年増の厚化粧」と言い放った。

鳥越俊太郎が売国奴である事は私も認める。しかし、小池百合子氏に対する言葉は、文字通り誹謗中傷である。先ほども書いたが、小池氏が「大年増の厚化粧」なら、石原氏は「親ばかチャンリン耄碌爺の白髪染め」ではないのか。

石原氏がこのように小池氏を口汚く罵ったことは、かえって小池氏への応援演説になったと思う。石原氏によって野卑にして品格のない攻撃を受けた小池氏に同情する人が増えたのではないのか。

 

さらに言えば、石原慎太郎氏は、『文学界』平成十八年三月号において、「皇室にあまり興味はないね。僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときはね。僕は自分の文句で歌うんです。『わが日の本は』って歌うの」と発言した。

 

 石原氏は、尊皇精神が全くない人物であることは明白である。鳥越は「売国奴」であるが、石原氏は「国賊」ではないのか。

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千駄木庵日乗七月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

午後六時半より、笹塚の新国立劇場オペラハウスにて、『第五回東京国際コンサート』開催。深見東州氏、アンジェラ・ゲオルギューさんが歌曲を熱唱。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年7月27日 (水)

小池氏が厚化粧なら、石原は白髪染めです

私は以前から石原慎太郎はあまり好きではありませんでしたが、最近ますます嫌いになりました。小池氏が厚化粧なら、石原は白髪染めです。

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 「君に忠・親に孝」の精神が日本人の倫理観の基本である

 「大君の命(みこと)かしこみ磯に觸(ふ)り海原を渡る父母を置きて」

 

 これは『萬葉集』の防人・助丁丈部造人麻呂(すけのよぼろせつかべのみやつこひとまろ)の歌である。

 

 「大君の御命令を謹み体しまして、任務を果たすために、危険な荒磯の間をぬって海原を渡っていきます」といふほどの意である。

 

 天皇への忠義の心と親を思う心を深く切に歌っている。この忠孝精神即ち「君に忠・親に孝」の精神こそが日本人の倫理観の基本である。忠孝精神とは、天皇と親に対し真心を尽くしてお仕え申し上げるということである。

 

 神話時代・萬葉時代からの道統である忠孝精神は、幕末において強く発現し開花した。そして明治維新の原動力になった。

 

 水戸藩士にして幕末勤皇論に大きな影響を与えた會澤正志斎は、その著『新論』において、「君臣之義、父子之親」という二つの徳目を重大視し、あらゆる人間の道はこの二つの徳目の上に立つと論じた。そして肇國以来の皇國の道は忠孝の道にほかない、天祖の神勅も、祭政一致の傳統も、忠孝の道を説いていると述べ、「忠孝ヲ以テ國ヲ建ツ」と論じた。會澤正志斎は「忠孝」を國體の精神の根本としたのである。

 

 江戸後期の尊皇思想は、儒教の大義名分論の影響もあったが、その根本は神代以来のわが國の傳統を継承したものであった。わが國の傳統精神は外来の仏教思想や儒教思想を包容摂取してわが國の國體精神・傳統信仰と融合せしめたのである。     

 

 さらに明治の御代になると、明治天皇は、欧化の風、知育偏重の教育を憂いたまい、日本の教育精神・倫理の根本は「忠孝精神にある」との大御心によって『教育勅語』を渙発あそばされた。

 

 『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。

 

 親の恩愛を感ずる者が、天皇をお慕いする勤皇のまごころを持つ。親は、子に生命を与えてくださった方である。そしてその生命は溯っては祖先、くだっては子孫へと続いている。生命の連続とは単に肉体と血液の連続ということではない。慈愛の継承であり、心のつながりである。

 

 わが國の國體は、天皇を中心とした信仰共同体である。祭祀主としての天皇の神聖なる権威が日本國家の安定と統一の基礎である。その信仰共同体としての國を基礎としてその上部に政治機構としての國家が成立した。政治組織・権力機構としての國家の基礎に天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体のとしての國がある。 

 

 政治機構としての國家は法律と権力によって運営される。しかし、その根本に傳統信仰を基礎とした國がある。その中心者が天皇であらせられるのである。

 

 現実の國家はそれを構成する國民の私欲の追求によって悲惨な闘争が起こる。それを可能な限り抑制するのは、私欲を超越した無私という倫理性を体現する存在である。わが國においては天皇がそうした御存在である。

 

 肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する無私の御存在・倫理的存在が天皇である。

 

 天皇は、倫理道義の鏡として祭祀主として君臨されている。決して権力や武力によって國を支配しているのではない。権力や武力によって國を支配されるのではないということが、日本天皇の國家統治の御本質である。それは、日本民族の稲作生活から生まれてきた傳統である。

 

 新渡戸稲造氏がその名著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである。」と論じている通りである。

 

 ただし、天皇は、権力や武力の暴走、言い換えると権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在だということではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与えられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してそういうおはたらきをされて来た。 

 

 わが國の傳統的倫理・道義は、<神に対する真心の奉仕><神人合一の行事>である祭祀として継承されてきた。日本人の実際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れなのである。 

 

 信仰共同体國家日本の祭祀の中核は天皇の祭祀である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられるのである。

 

 明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせるのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されている。天皇が道義実践の中心者であらせられる。それが皇祖皇宗から御歴代の天皇に傳えられたわが國皇室の道統なのである。  

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2016年7月25日 (月)

『金玉均祭二部』における菅沼光弘氏(元公安調査庁調査第二部長)による講演内容

三月二十七日に行われた『金玉均祭二部』における菅沼光弘氏(元公安調査庁調査第二部長)による講演内容は次の通り。

 

「反日教育を受けた人々が今韓国の中枢部にいる。金日成の心中が分かっていたのは当時の公調のみ。朝鮮総連という情報源があった。金正日になって何も分からなくなった。拉致問題の制裁で朝鮮総連の幹部が北に行けなくなった。金正恩は誰にも会わない。情報シャットアウト。アメリカはパイプあり。日本はつんぼ桟敷。本当の情報は事実に基づいたもの。推測ではない。北の内部から持って来ないと駄目。核についての情報も入って来ない。

 

金正恩はモスクワにも北京にも行かない。軍幹部を次々と粛清。一九三七年に、スターリンは赤軍を大粛清。何千人も銃殺。コスイギン・スースロフ・フルシチョフという若手を登用。新しいソ連を作った。これと同じように今年五月の朝鮮労働党大会で北朝鮮の若い世代が中央委員になる。南北統一とは北による統一。

 

キューバと北朝鮮は物凄く緊密。ヨーロッパの国々は東アジアの安保は関係なし。制裁があっても北にどんどん投資。ドイツは特にひどい。イギリスも北と合弁会社を持っている。シンガポール・香港を通して日本から北朝鮮に品物が行っている。朝鮮人は秘密が守れない民族。

 

李承晩を連れて来たのはアメリカ。李承晩ラインを引くことをGHQは了解。松下・ソニー・東芝・シャープが駄目になった。アメリカは韓国のサムソンなどを税制で有利にした。国際関係は甘いものではない。何処にアメリカの国益があるかによって変化。国家関係は国益に基づく。明日にでも同盟関係ではなくなる。武士道精神だけではない。日本人は『永久にアメリカが日本を守ってくれる』と思っている。アメリカは大日本帝国の再来を阻止しようとしている。

 

日本の核武装はアメリカにとって最も脅威。日本の世論は核武装に九割が反対。当面核武装は不可能。その意志さえあれば何時でも核兵器持てるという意志表示をしておくべし。小沢一郎は『一週間で核大国になれる』と中国を脅したことがある。日本は専守防衛だから適地を攻撃できるミサイルを持っていない。しかしこれでは守れない。攻撃こそ最大の防御。安倍さんは自分が総理の間に憲法改正したい。その天王山が参院選」。

              ○

この記録は、小生のメモと記録によるものできわめて不完全です。文責は小生にあります。

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千駄木庵日乗七月二十五日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆。

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神代以来のわが日本民族の雄大なる自然観は上御一人によって脈々と継承されてきた

中大兄皇子御歌

 

渡津海(わたつみ)の 豐旗雲(とよはたぐも)に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ                    (一五)

 

 「渡津海」とは海の神。ワタは海の意。ミは神格を表す。山の神をヤマツミといふのに対して海の神をワタツミといふ。転じて海そのものをいふ。伊耶那岐命が御祓をされたときになりませる神が綿津見神(ワタツミノカミ)である。「渡津海」といふ言葉には単に景色としての海ではなく、神秘的な海の神といふ意味が詠み込まれてゐる。

 

 「豐旗雲」は旗のやうに横に豊かに棚引く雲。長大な層積雲のことか。「豐」とは豊葦原瑞穂國・豊秋津島(日本国の別称)、豐神酒(とよみき・酒の美称)、豐明(とよのあかり・朝廷の酒宴)などといふ言葉もある通り限り無い豊かさを表す語である。物質的な豊かさといふよりも神秘的・信仰的な豊かさをいってゐる。

 

 「清明くこそ」は様々な読み方があるが、佐佐木信綱氏の「あきらけくこそ」が最も良いと思はれる。「清らけく明らけく」(清らかで明るい)といふのが日本人の倫理・道徳の最高の価値とされてゐる。日本民族は、汚れや陰湿さを嫌ふ。そして清らかで爽やかで潔い人が尊ばれた。「あいつは悪人だ」といはれるよりも「あいつは汚い奴だ」といはれることを恥とした。それは清明心を無上の価値とするからである。         

 

 コソは「こそあらめ」を省略した語といであり、「きっと~であるぞ」といふ断定的な物言ひである。  

 

 通釈は、「大海原の上の大空に豐旗雲に入日がさしてゐる。今夜の月はさぞ清く明るいだらう」といふほどの意。

 

 非常にスケールの大きい御歌である。自然の光景を歌ひながら、天智天皇御自身の壮大な御心を表白してゐる。上御一人となられる方でなければ歌ひ得ない歌である。朗々と歌ひあげられた御歌であらう。読む者も朗々と唱へるやうに歌ひあげなければこの歌の精神を心に感得することはできない。

 

 茫洋たる大海原の水平線上に旗のやうに横に棚引いてゐるその雲に夕日がさして茜色に染まってゐる。その雄大なる景色を眺めつつ、今夜の月は清く明るく照るといふことを断定的に予想されてゐる御歌である。てらふことも力むこともなく荘厳に歌ひあげてゐるところの如何にも初期萬葉らしい素晴らしい御歌である。天皇もしくは天皇になられる方の御歌の格調はやはり格別であると申し上げなければならない。

 

 上の句の景観は単なる自然風景ではなく、神の生みたまひし素晴らしい瑞兆ととらへた。「渡津海の豐旗雲」といふ言葉に、神代以来の自然の中に神を見る「自然神秘思想」、自然を神として拝む心が表れてゐる。

 

 この雄大にして神秘的な豊麗な光景をわがものにとらへた中兄大皇子であられたからこそ、大化改新といふ大変革を断行されたのである。

 

 この御歌は、日本人にとって非常に親しい存在である海と月とを題材として、高邁にして雄大なる民族精神を歌ひあげられた歌である。かつ、大化改新を為し遂げられた英主であらせられる天智天皇の御聖徳がそのままこの表れてゐるといへる。この御歌の御精神こそ、わが日本民族の大いなる中核精神である。

 

 この天智天皇の御製を拝して思ひ起こすのは、昭和天皇様が昭和十一年に、『海上雲遠し』と題して詠ませたまひし次の御製である。

 

紀伊の國の潮のみさきにたちよりて沖にたなびく雲を見るかな

 

 この雄大なるしらべも上御一人ならではの言葉に尽くし難いすばらしさである。技巧を凝らさないでも魂に響いてくるこのやうな歌は普通一般の人には歌ふことはできない。如何なる大歌人といへども、歌ひ得ないしらべである。

 

 天智天皇・昭和天皇の御製には、人と自然との一体感・生命の交流がある。客観的に歌ってゐるやうで、そこに大いなる自然に驚異し、自然と一体となった人の心といふものが訴へられてゐる。両天皇の御製を拝すれば、神代以来のわが日本民族の雄大なる自然観が、上御一人によって脈々と伝承されてゐることが明らかとなるのである。    

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2016年7月24日 (日)

千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲があり、安心する。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事。

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日本の心を学ぶ会のお知らせ

第六十三回日本の心を學ぶ會

 

テーマ  愛國運動の目指すものを考える

 

 宗教法人生長の家は六月九日にホームページ上で「今夏の参院選挙において与党を支持しない」とする声明を発表しました。安倍首相の立憲主義を軽視した政権運営や原発の再稼働などが教団の信仰や信念と相いれないことをその理由としてあげられています。続く二十二日には「不支持政党を追加」として安保法制に賛成し、憲法改正を急ぐ政党とその候補者を教団として支持しないとする声明を発表し各方面を驚かせました。

 

生長の家は週刊誌の取材に対し、過去に主張していた「帝國憲法復元は現實無視の妄言」であり、創始者谷口雅春氏が説いた「大東亜戦争肯定論」「帝國憲法復元改正論」は「歴史的役割を終えた主張」であると答えております。

 

言うまでもなく生長の家は昭和五十八年に生政連が活動を停止するまで愛國運動において重要な役割をはたしてきました。紀元節の復活や元号法制化などは、愛國運動団体や生長の家をはじめとする愛國的な宗教組織が連携し成し遂げた成果です。そして、ついに悲願である憲法改正の機運も高まってきました。

 

しかしながら最近こうした愛國運動に対し批判が沸き起こっております。その一つが、「日本會議批判」であると思います、

 

愛國運動の目指すものが「國家神道の復活」や「戦前への回帰」であり、近代社會の前提である基本的人権や民主主義を否定するものであるという批判です。

 

このような批判は今後「憲法改正」が現實味を帯びてくるにつれてさらに激しさを増していくものと思われます。

 

そこで、今回の勉強會では愛國運動の目指すものについて、改めて考えてみたいと思います。

 

今回は、一般社団法人日本政策協會理事長の遠藤健太郎氏をお招きして、「救國の提言」という演題で、四宮正貴氏には「愛國運動と宗教、生長の家の変節を考える」という演題で講演していただき、愛國運動が目指すものについて考えてみたいと思います。

 

【日時】平成二十八年七月三十一日(日)十八時〇〇分より

 

【場所】文京シビックセンター 三階會議室A

東京都文京区春日一-一六-二一 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分

 

【講演】

「救國の提言」 遠藤健太郎氏(一般社団法人日本政策協會)

「愛國運動と宗教 生長の家の変節を考える」 四宮正貴氏(四宮政治文化研究所)

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円。終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 〇九〇―八七七〇―七三九五

 

この告知文は主催者が作成しました。

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2016年7月23日 (土)

鳥越俊太郎に鳥越神社を参拝する資格なし

七月十九日、鳥越俊太郎は、浅草の鳥越神社にて必勝の祈願を行った。鳥越は参拝した時に「鳥越神社というのがあるということは知っていたんですが、今回初めて来ました。宮司さんに『鳥越の俊太郎〜』と名を呼ばれて、感動しました」と語ったといふ。

 

鳥越神社の御祭神は、日本武尊である。日本武尊は、申し上げるまでもなく、景行天皇の第二皇子であらせられ、第十四代・仲哀天皇の御父君であらせられる。

 

日本武尊が東夷征討の途次、今日、鳥越神社が鎮座する地にしばらく留まられ、当地の悪者を退治されたので、土地の人々は日本武尊の御徳を慕って、白鳥明神として祀ったのが鳥越神社の淵源であると承る。

 

日本武尊は、御年十六歳にして父君・景行天皇から征西事業を任され、九州・中国地方の平定に尽力され、さらに東国の平定へ向かはれ、東夷の反乱を水火の難を冒して平定を達成される。ご幼少から武芸に秀で、怪力無双であられたと承る。

 

日本国民は、日本武尊を武の神としてお慕ひ申上げ、全国各地に日本武尊の御神霊をお祀りする神社が鎮座してゐる。

 

日本武尊が能煩野(のぼの・今日の三重県鈴鹿郡)で病となられ薨じられる時、

 

「孃子(をとめ)の 床の辺()に 吾()が置きし つるぎの大刀(たち) その大刀はや」   

 

 といふ歌を詠まれた。「乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ」といふほどの意である。本朝最古の辞世歌といはれる。

 

 日本武尊は、御東征の帰途、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)のもとに、叔母君であった倭姫命から授けられた草薙の剣を預けて出発され、熊煩野(三重県亀山市)で急病になられた時の御歌である。「乙女の床のそばに私が置いてきた太刀、その太刀よ」といふほどの意である。 

 

守護霊が宿る神剣を美夜受姫に預けたために、急病となられたことを嘆かれた御歌である。ご自分の命を見つめながら歌った哀切極まりない絶唱である。慎みの欠如・傲慢さから素手でも勝てると思ひ、剣を妻のもとに預けて出発したのが間違ひのもとといふ物語がこの御歌の背景にある。その草薙の剣を美夜受姫は永く祀られる。その神社が熱田神宮である。

 

この御歌は美夜受姫への愛と武の心が渾然一體となってゐる。英雄にして大いなる歌人(うたびと)であられた日本武尊の辞世の歌にふさはしいロマンと勇者の世界が歌はれてゐる。恋愛詩と英雄詩が一つに結合融和してゐる。

 

この物語は、戦ひにも強く恋にも強い大和民族の原質的民族性であり、日本武士道の本源である事を語ってゐる。即ち、この御歌はまさに「剣魂歌心」の歌である。武士道は、決して中世に生まれた精神ではない。神代からの道統である。

 

人間が命懸けになった時、素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するに当たって決意を込めた歌を詠んだことや、大東亜戦争の時、特攻隊員が和歌に自分の最後の思ひを託して死地に赴いて行ったことを見ればわかる。詩歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現なのである。

 

村上一郎氏は、文学及び詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言語の価値を最高に生かすことである。

 

日本武尊のこの御歌について、萩原朔太郎氏は、「ホーマー的ヒロイックな叙事詩(英雄詩)の情操と、ハイネ的スヰートな叙情詩(恋愛詩)の詩操と、二つの對蹠的な詩情が、一つに結合融和して現はれてゐる。そしてこの一つの精神こそ、所謂『戰にも強く戀に持つ良い』天孫大和民族の原質的な民族性で、奈良朝以後に於ける日本武士道の本源となってゐる。」(朔太郎遺稿)と論じ、保田與重郎氏は、「武人としてのその名顕な日本武尊の辞世にむしろ耐へがたい至情を味ふのである。わが神典期の最後の第一人者、この薄命の武人、光栄の詩人に於ては、完全に神典の自然な神人同一意識と、古典の血統意識とが混沌してゐた」(戴冠詩人の御一人者)と論じてゐる。                      

 

日本武尊は、わが國の武人の典型であられると共に、わが國の詩人の典型であらせられた。戦闘的恬澹・捨身無我の精神は後世の武士に強く生かされる。まさしく「剣魂歌心」がわが國の伝統なのである。

 

わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社も数多くある。

 

日本武尊が「床の辺()に 吾()が置きし つるぎの大刀(たち)」と 歌ってをられるやうに、古来太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。

 

刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。

 

太刀(タチ)の語源は、「断()ち」であり、「顕()ち・現()ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるといふ言霊である。罪穢を祓ひ清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。

 

太刀は「幾振り」と数へられるやうに、魂ふり(人の魂をふるい立たせ活力を与へ霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。

 

太刀・剣には魂が籠ってゐると信じられてきたといふことは、太刀を授受することによって精神的・魂的な信頼関係が成立することを意味する。敗者から勝者へ太刀が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶してゐるところである。

 

小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すといふことは恭順の意を表するといふことである。小野田氏は昭和の御代において武人の伝統を継承した。

 

日本武尊は、国に対して、上御一人に対し、そして父母・妻・子供と言った家族に対して「捨身無我」になって尽くすことが愛の極致であることを身を以て示された方である。

 

「すめらみくにのもののふはいかなることをかつとむべき、ただ身に持てるまごころを君と親とに尽くすまで」という歌がある。「まことをつくす」ことが捨身無我なのであらう。日本人は、「無私の精神」「無我」と言ふことを大切にしてきた。これが日本精神である。

 

西欧において理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考へるのとは対照的に、わが國では『私』を去り『我』を無にすることを大切にしてゐる。天皇陛下は、日本民族の長い歴史の中で、清明心の根源、無我の体現者、日本人の『道』の中心者として君臨されてきた。これは、日本人だけでなく、全人類のかけがへのない宝である。

 

日本武尊が御生涯をかけて体現された「捨身無我」「剣魂歌心」「もののふの道」といふ日本伝統精神を否定してゐるのが「現行占領憲法」なのである。外国流・西洋流の個人主義・自我思想に満ちてゐる『現行憲法』は、闘争と破壊と分裂を招き、精神的・思想的に日本を劣化させ、堕落させてきた「悪の根源」なのである。

 

大野健雄氏(元宮内庁総務課長)はその著書『天皇のまつり』において、「本来日本語は美しいもので、『私は』『私に』などギスギスした一人称の字句を、いちいち用いなくとも自然に意の通ずるところに特徴がある。この憲法(註・現行憲法)の前文を見ると、『われらとわれらの子孫』から始まって『われら』だけでもこの短い文の中に七つもある。これが翻訳臭である」と論じてゐる。

 

「武」を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳としされ、「平和と民主主義」を謳歌してゐる今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発してゐる。魂の腐敗と國家の欺瞞は、軍國主義國家であったといはれる戦前の日本にはあり得なかったやうな、人命軽視といふ言葉すら空しくなる残虐なる事件が日常茶飯事になった現代社會を現出させた。 

 

 三島由紀夫氏は、昭和四十五年十一月二十五日、市ヶ谷台状で自決された際の『檄文』で、「生命の尊重のみで、魂が死んでもよいのか」と訴へられた。まさに、現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまひ、頽廃と残虐の時代になってしまった。

 

 さらに三島氏は『檄文』において「軍の名を用ゐない軍として、日本人は魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである」と訴へてゐる。

 

今日の日本国も「ますらをの精神」「武士の心」「やまと魂」「捨身無我の心」を保持した人が第一線に立つべきであ。そういう時に来ている。

 

『現行占領憲法』擁護・戦後日本の似非平和主義擁護のために都知事選に立候補したなどと言ふ鳥越俊太郎が、「捨身無我」「剣魂歌心」「もののふの道」を体現される日本武尊をお祀りする鳥越神社に参拝し、戦勝を祈願するなどいふことは、文字通り、茶番劇である。

 

鳥越は鳥越神社の御存在すら知らなかった。ましていはんや、鳥越神社の御祭神が日本武尊であること名で知る由も無かったであろう。「神は非礼を受けたまはず」といふ言葉がある。鳥越俊太郎などといふ「現行占領憲」擁護論者、戦後平和主義擁護論者に鳥越神社に参拝する資格は毛筋の横幅ほども無かったのである。

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千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、諸雑務。

この後、『政治文化情報』発送作業・作業完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

そして、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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日本人の農耕生活から生まれた暦の思想

 天皇の御事を「日知(ひじり) 」と申し上げる。「日知り」とは第一義的には、日の神の御子として日本の國をしらしめす(統治される)御方、日の神の如く統治される御方といふ意である。

 

 また、「日知り」とは太陽の運行を知る、即ち暦を知ることでもある。暦を知ることは古代の君主として非常に大事な権能であった。なぜなら農耕國家では、暦・四季のめぐりが生活にとって殊の外大事であったからである。従って太陽の運行・四季の変化のことをよく知ってゐるお方が君主としての資格を持った。

 

 この「日知り」を漢字の「聖」にあてはめた。「聖」の字源は、意味を表す「耳」と、音を表す「壬」とからなる形声字。「壬」の音の表す意味は、「通」(通る意)、あるいは「聴」(聞く意)である。耳の口がよく開いてゐて普通人の耳に聞こえない神の声がよく聞こえる意。支那古代においては、普通人の聞き得ない神の声を聞き得る人を「聖」と呼んだのであらう。「干支」などの暦を知ってゐる人の意である。

 

 つまり、「聖」という漢字の原義は、天体の運行を通暁してゐる人のことである。農業生活にとって重要な暦を見立てる事ができる人が村や部落という共同体の長(おさ)になる。それがもっと精神的なものに昇華し、徳や知恵の優れた人を「聖」といふやうになった。それに儒教の聖人思想・有徳王君主思想が加わって意味が拡大し、天子(天の子)として國家に君臨する君主を「聖」といふやうになった。このやうに「聖」という言葉は古代農耕生活と非常に密接に関はっている。

 

 日本の暦は、稲などの植物の生育と栽培の知識から生まれた。温帯に位置してゐるわが國の風土は、穏やかで、四季の変化がはっきりしてゐる。さうした風土の中で稲作生活を主なる生業とすることによって民族を形成してきた日本人は、季節の変化を稲の生育に伴ふ自然の有り様や生活の営みの中で捉へてきた。                 

 

 日本人は、規則正しい季節の移り変りとそれに伴ふ自然の変化が、生活の基本であるといふことを農耕生活の中で体得してきた。それが<暦の思想>である。かかる生活を営んできた日本人は、<自然の道・摂理・道理>は生活と共にあり、自然の摂理がそのまま人生の規則であるとする日本民族特有の哲學といふか思想精神を身に付けた。

 

 わが國には「月読命」といふ神様がおられる。夜見の國から帰った伊耶那岐命が、禊祓をされた折、右の御目を洗れた時に生まれた神である。左の御目を洗はれた時に生まれた神が天照大神であらせられる。

 

「読む」は数へる意味で暦から発生した言葉であるから、月読も月齢による暦を意味するとされてゐる。月読命は農耕に是非必要な手段であった月を数へるといふ生活の知恵をあらはす神名とする説がある。もっとも「月読命」の「読」を「夜見」と解して「隠り世」(あの世)の神とする説もある。 

 

 日本における「日知り」とは、天体の運行をよく知るといふやうな限られた一種の超能力のやうな事を意味するのではない。「日の神の生みの子としてやすらけくたいらけく天の下をしろしめす」といふ意味である。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、諸雑務。

昼は、若き知人と懇談。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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2016年7月21日 (木)

この頃詠みし歌

税金で成り立ってゐるなどと 皇室を貶めしキャスターを 永久に許さじ (鳥越俊太郎)

 

この男だけは 都知事にしてはならぬぞと テレビ画面を見つつ思へり(鳥越俊太郎)

 

鳥越俊太郎 その名もおぞましき響きなり 皇室を貶めたるはこの男 (鳥越俊太郎)

 

さばえなす 邪悪なるものを 祓ひ清め 神州日本を 蘇らすべし

 

日の本は神州なるぞ 汚らはしき者共は皆祓ひ清めん

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千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、新宿にて、『加瀬英明先生講演会』開催。阿形充規氏が主催者挨拶。加瀬英明氏が「歴史転換点を読み取る」と題して講演。質疑応答、会食・懇談。

終了後、同志の方々と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2016年7月20日 (水)

崇徳天皇白峰御陵を参拝し奉りて

白峰に 鎮まりまします すめらぎの 清き御霊に ぬかづきにけり

 

怨霊と なり給ひしと 傳はれど 清く明るき これのみささぎ

 

あなかしこ 霊威激しき すめろぎの 御陵は今ぞ 清く鎮まる

 

瀬戸内の 美しき景色 見はるかす 白峰山に 鎮まります君

 

崇徳帝の 御霊鎮まる みささぎは 春の光に 静かなるかも

 

萬乗の 君なりながら これの地に 幽閉されし 悲しみの極み          

 

心細き 御境涯にて 神あがり ましたる君を 伏し拝みたり

 

瀬戸内の 海見はるかす 白峰に 悲しきみかどは 神づまります

 

 

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千駄木庵日乗七月二十日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

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大橋巨泉、前田武彦、青島幸男について

大橋巨泉、前田武彦、青島幸男の三人は、テレビと云うメティアを使って日本を駄目にした人たちであります。左翼であり国家解体を目指した人たちと言って良いでしょう。私は決して冥福を祈りません。

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支那のことを支那と呼んで何が悪い

 渡辺はま子という歌手がおられた。戦前においては、『支那の夜』『蘇州夜曲』『愛国の花』、戦後においては『サンフランシスコのチャイナタウン』『ああモンテンルパの夜は更けて』というヒット曲を飛ばした大歌手である。戦前は支那大陸の戦地の慰問、戦後はフィリッピンのモンテンルパに収容されていた日本人戦犯者の釈放運動に挺身した文字通り<愛国の花>である。ところが渡辺はま子女史の最大のヒット曲『支那の夜』はテレビなどで歌うことはできなかった。「支那という呼称は蔑称であり『中国』といわなければ国際問題になる」というのがその理由であるという。日本人の誤った観念がこの名曲を歌ったり聞いたりする機会を奪っているのだ。

 

 マスコミ・出版界では支那という呼称は禁句である。ところが、なぜ支那が蔑称となるのか納得のいく説明はない。というよりもできないのだ。支那が蔑称であるのなら、支那そば・東シナ海・インドシナ半島という呼称も蔑称になる。

 

 支那という呼称をわが国及びわが国民が用いたとて支那及び支那人を蔑視したことにはならない。そもそも何処の国もそして国連などの国際機関も支那のことを支那(China)と呼称している。

 

 支那とは、秦帝国(始皇帝が周および六国を滅ぼして天下を統一した王朝)の「秦(シン)」の音変化に由来し、サンスクリット語の仏典を漢訳した時から漢字では支那と書くようになった。以来、支那人自身が用いてきた言葉である。だから諸外国も支那と呼称するようになり、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などでも支那と呼んでいる。英語ではChina(チャイナ)と呼称した。支那は歴史的名称であり、わが国も支那と呼称するようになったのである。何故にわが国民が支那を支那と呼称すると差別・蔑視になるのか。

 また、中華人民共和国・中華民国という国は存在していても「中国」という国はこの地球上に存在しないし、かつて一度も存在したこともない。支那大陸に中国という国は存在しないのだから支那を中国と呼ぶことはできないのである。

 

 わが国は古代より「日本」が国号である。ところが、支那は「五千年の伝統」などと威張ってはいるが、革命が繰り返されて、一つの王朝が継続してこなかった。したがって一つの国号が続かなかった。すぐ思い浮かぶだけでも隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国と実に多く国名が変わった。こんなに国名が変化しているのにわが国に対して「中国と呼ばなければ駄目だ」などと指図する資格はない。

 

 わが国には葦原中国(あしはらなかつくに)という国号もある。またわが国の朝廷の御事をことを中朝ともいう。江戸前期の儒学者・山鹿素行が赤穂配流中に著した歴史書は『中朝事実』という。中朝とはわが日本のことである。つまり、わが日本国も中国なのである。

 

 日本のみが支那と呼んではいけないというのは日本に対する差別である。日本に対してのみ支那を中国と呼ばせるのは、支那が日本を属国と思っているからであり、日本人を西洋人より下に見て、差別し蔑視しているからである。こうしたシナの日本に対する差別観念は中華思想から来ている。

 

「中国という言葉はすでに定着しているのだから、中国を刺激してまで無理に支那と呼称することはない」という意見があるが大間違いである。これはわが国の尊厳性・文化の独自性の保持、突き詰めればわが国の独立に関わる問題なのである。

 

 世界の先進国で支那を中国と呼んでいる国は日本以外にない。支那大陸に盤踞する「共産中国」は近年とみに軍事力を強化し、アジアにおける覇権確立を狙っている。そしてわが国固有の領土・尖閣諸島を自国領だと主張し、さらに沖縄侵略の機を窺い、わが国を政治的・軍事的・経済的・文化的に隷属させようとしている。

 

わが日本は支那共産政権のこうした野望を打ち砕きわが国の独立と自由を守らねばならない。支那の強要によってわが国が支那のことを中国などと呼称する自体、わが国にとってこれほどの屈辱はないし、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになり、わが国が中華思想に侵略され支那に併呑される原因となる。

 

 中国とは中華の国の略称なのだろう。支那は世界の中心・地球の真ん中にあって文化が華のように咲き誇っているという思想である。支那は世界帝国であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝にみつぎものを差し上げること)する属国の形式でしか外国の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないと考えて来た。世界各地の支配者はシナの皇帝の冊封(天子の命で官・位を授ける書きつけである『冊』により諸侯に封禄・爵位を授けること)によってその地位と権力を認められる、とする。こうした中華思想には対等な外交関係はあり得ない。

 

 それだけではなく、周辺諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と獣や虫けらのように呼んでこれを蔑視し侮った。東夷とは東方の野蛮人のことで、日本・満州・朝鮮などの民族を指した。西戎とは西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指した。南蛮とは南方の野蛮人のことで、インド支那など南海諸地方の民族を指した。北狄とは北方の野蛮人のことで、ウイグル・韃靼(等の遊牧民族を指した。これが中華思想の基本的考え方のである。

 

 このように中華思想こそ、とてつもない帝国主義思想・差別思想なのである。そしてこの中華思想が支那歴代王朝の精神であり、「共産中国」といえども中国という呼称に固執している以上変化はない。

 

毛沢東も鄧小平も支那の皇帝だったのであり、国内的には残虐にして強固な独裁体制、国外的には侵略思想・差別思想を持ち続けた。 今日の独裁者・習近平も支那共産王朝の皇帝の地位を確立しつつあるのだ。

 

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、諸雑務。専門家の方が来宅して、パソコンのメンテナンス。

午後は、明日のスピーチの準備、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2016年7月19日 (火)

鳥越氏による小池氏批判について

東京都知事は激務である。鳥越という病み上がりの人には激務をこなすのは無理であるということを言ったのだ。病気から回復した人全体をさして言ったのではない。だから差別発言でも侮辱でもなんでもない。当たり前のことを言ったのである。いきり立った怒る方がおかしい。揚げ足取りだ。

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2016年7月18日 (月)

石原慎太郎氏の小池百合子氏罵倒について

石原慎太郎氏は、BSフジのニュース番組の討論で、小池百合子氏を「小池さんは厄介、大年増の厚化粧、自己顕示欲、あさましい」と罵倒した。品格がないと言うか、下品と言うか、これが日本の代表的作家の一人と言われる人の言葉かと驚かされた。

 

小池氏の都知事選立候補の経緯で、息子の伸晃氏が恥かかされたと思っているのでこういう発言をしたのだろう。石原氏の大欠点は、親ばかであることだ。大した能力もない二人の息子を衆議院議員にするなどと言うのがまず以て慎太郎氏が親ばかである証拠だ。

 

小池百合子氏の主張やこれまでの実績は、石原氏が評価する増田氏よりもずっとまともだし、石原氏のこれまでの主張に近いと思う。しかるに私的感情でこれほどまでに穢い言葉で小池氏を罵倒する石原氏の気がしれない。まさに「親ばかちゃんりん」である。

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千駄木庵日乗七月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご加護とご冥福を祈る。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

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黒田勝弘産経新聞ソウル駐在客員論説委員の講演内容

三月十七日に開催された『黒田勝弘先生講演会』における黒田勝弘産経新聞ソウル駐在客員論説委員の講演内容は次の通り。

「メディアは戦争が起こると儲かる。他人の不幸を商売にする。もめている方が楽しい。日本人が世界で一目置かれているのは、トヨタ、アニメではない。神風特攻隊。日本人は何かの時に凄いことをやるという記憶がある。世界でアメリカと堂々と戦った国は日本しかない。ロシア・イギリスとも戦ったのは日本しかない。私は韓国に三十年いるが、韓国人は日本の真珠湾攻撃を描いた『トラトラトラ』が好き。警戒心や日本への非難は日本が好きであることの裏返し。韓国の反日とはそういう事を含んでいる。反日=親日。日本の事を毎日報道するのは韓国だけ。韓国は世界で最も大きく日本の影を感じる。反日を言わなくなった時が、韓国が本当に力をつけた時。

 

終戦直後、韓国では『アメリカを信じるな、ソ連に騙されるな、日本は再び立ち上がる』ということがよく言われた。韓国は日本が気になって仕方がない。韓流ブームは後退。世界で一番韓国料理屋があるのは日本。李明博時代に韓国料理世界化キャンペーンをやった。代表は大統領夫人。世界で日本料理は大変な人気。韓国料理の世界化はあまり広がらない。がっかりした。日本料理が世界に広がっている。寿司・ラーメン・居酒屋ブーム。日本文化そのものをアピールしている。日本料理店は清潔、従業員のマナー、器が良い。韓国料理店にはそれがない。

 

韓国は日本に学ばねばならない。それが癪に障る。日本に追いつき、追い越せない鬱憤がある。日本はあんなに悪いことをしたと思うことによって安心するという心理がある。韓国にとって日本は元気のもと。日本をいじめて韓国は発展した。日本を意識して韓国は発展した。サムソンは最も親日企業。

 

韓国は高齢化が進んでいる。日本は高齢化問題にどうして来たかを学ぶ。企業も行政も『日本に行って調査し報告しろ』と言っている。韓国が困った状況になると日韓関係は良くなる。日本と喧嘩している暇はなくなる。今の韓国はそういう状況。韓国は経済問題、北朝鮮問題で困っている。不安になって日本に身を寄せる。中國への経済依存度が高いので非常に困っている。日本と仲良くせざるを得ない。

 

七〇年代に須之部量三駐韓国大使は私に、『韓国に二本の足を入れてはならない。両足入れてしまうと抜けなくなって倒れてしまう。いざという時に足を抜くことが出来るようにしておいた方が良い』と言った。韓国も日本を引き込んで利用しようとする。一九世紀末、日本人は韓国に行って近代化しなければならならいと一生懸命になった。韓国を清から引き離し独立させようとした。日本は島国で安定的。韓国は不安定。日本は海を越えて半島・大陸に行って失敗。韓国と日本は人種的には近いが、歴史的経験は違う。豊臣秀吉は大軍で半島に行った。妄想ではなかった。秀吉の朝鮮の戦いは実質的には日中戦争。中朝国境の満州族と秀吉軍が組めば明を打倒できた。朝鮮半島有事下に深入りすると足を取られる。

 

朴槿恵政権はあと二年。『日本は協力してやれ』というのが私の意見。二年後、左翼政権ができると全てが駄目になる。北と融和的な野党より今の政権の方が良い。手を結べる。次期政権を野党に渡さない方が良い。野党の次期大統領候補は今のソウル市長。模擬裁判で『天皇有罪』の判決を下した時の、韓国の検事役になったのがこのソウル市長。これまで中国の反日政策に朴槿恵は利用された。父への親日派批判が彼女のトラウマ。

 

韓国人は日本に来るが、日本人は韓国に行かなくなった。韓国は深刻に考えている。日本は、中国と北朝鮮の安保上の脅威の状況で韓国を利用すべし。北東アジアで核武装していないのは日本と韓国だけ」。

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有力視されている三人の都知事選候補者の中で、小池百合子さんが最もまともな人である

小池百合子さんは、小生が編集を担当させていただいている季刊誌『伝統と革新』第十一号(平成二十五年四月十五日発行)で、小生の質問に答えて次のように語った。


中國はかねてより、太平洋の野望を抱いていることは知られている通りです。二〇〇八年、米国上院で当時のキーティング太平洋軍司令官がその旨を証言しています。「中国軍高官が太平洋の東西を米国と中国で分割しよう」と。その後、ロシアの中古空母を改造するなど、着々と準備を進めていた。そこに、日本の政権交代です。民主党政権の誕生により日本が混乱することで、中国の戦略行程を前倒しにした感があります。鳩山首相の普天間基地の扱い、つまり「海外、少なくとも県外」発言や、小沢さんが百四十三人もの現職民主党議員を引き連れての朝貢外交など、北京からすれば、小躍りしたくなるような政権でしたからね。中國からすれば、尖閣は単なる突破口でしょう。

 

このせめぎ合いは十年、二十年と長期にわたるものとなるでしょう、有事に備えるのは当然ですが、一方で痺れを切らした方が負けです。日米同盟の強化とともに、官邸にNSC(国家安全保障会議)を創設し、省庁の縦割りを排し、復情報も一元化すべきです。中長期的な日本の安全保障を構築しなければなりません。ただ、NSCの機能を高めるためには。しっかりした国家観を有するリーダーシップを抱かねばなりません。さもなければ、無用の長物になる恐れがあります。

 

自民党は憲法改正を党是とし、長年議論を重ね。憲法改正草案を作成してきまた。草案に盛り込まれた「集団的自衛権の行使」「や「国防軍創設」にはもちろん賛成です。

 

本来、憲法は国民を守るために存在するわけですが、憲法発布の頃と比べ、世界情勢も大きく変化してきました。左派と呼ばれる方々は、戦後の日本の平和を憲法第九条のおかげと言われますが、現実は日米安全保障が日本の平和と安全を支えたと言っていいでしょう。日本の憲法改正を批判するのは中国と韓国くらいじゃないですか。軍国主義に後戻りするとか言ってそれは、彼らが日本を自縄自縛させている方が都合がよいからなのであって、彼らの都合です。それをさらに日本の左派メディアが強調する。そもそも原文が英語で、それを日本語に翻訳しただけの現憲法はいわば「もらいもの」。

 

日本中の街角で最もたくさん見かける国旗といえば、実はイタリア国旗ではないかと思うんです。…ピザ屋やスパゲッティ屋さんの店先に揚げられているでしょう(笑い)。アメリカでも、フランスでも、中国、韓国でも、自国旗はどこでも誇らしげに掲げられています。日本の国会議員として日の丸の掲揚キャンペーンもやりたいですね。

 

防衛大臣を務めた期間は短かったですが、私が最も力を入れたのが情報保全対策でした。そこで、ぜひとも実現したいのがスパイ防止法の制定です。日本はスパイ天国ですよ。危機意識の薄い日本では機密保持についてオオ甘です。最悪が国会議員(笑い)。「これは秘密ですから」などと枕詞がつけばなおさら喋りまくる習性があります。たまに開かれる議院運営委員会での秘密会など、数分後には漏れています。笑えない事実です。

 

私は、日本の中にある伝統、文化など、全てを凝縮しているのが皇室だと思っています。大臣就任中にはありとあらゆる皇室行事に参加させていただきました。新嘗祭、歌会始……すべてです。閣僚である際にしか参加できない行事も多いことから、貴重な機会を逃すまいと思いました。そこで実感したのは、陛下のお役割やお務めがいかに厳しく、かつ重要かということです。陛下は思いをこめてお務めされているのです。アラブの湾岸諸国には王朝・首長制の国々は多数あります。そういう国々へ総理大臣や閣僚が一万回出向くよりも、陛下や皇室の方が一度いらっしゃるだけで、日本のプレゼンスは格段に上がります。日本の皇室の存在はかけがえのないものです。

              〇

有力視されている三人の都知事選候補者の中で、小池百合子さんが最もまともな人である事は、このインタビューにおける小池さんの話を讀めば明白である。自民党は小池さんに一本化すべきであった。他の二人は『現行占領憲法』擁護を主張している。特に鳥越某は、尊皇心は全くなく、天皇・皇室に対し奉り不敬発言をした男である。また、「改憲阻止のために都知事選に立候補した」と言っている。何としても叩き落さねばならない。

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千駄木庵日乗七月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿校正。

夕刻、銀座にて、福井出身の歴史家の方と懇談。色々貴重なお話を伺う。

帰宅後、原稿執筆。

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2016年7月16日 (土)

日本國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體である

日本國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體である。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體であり祭祀国家なのである。

 

『魏志倭人伝』に「一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能(よ)く衆を惑はす」と、古代日本に祭祀主として「卑弥呼」(正しくは日の御子)という女王がおられたと記されている。

 

 『魏志倭人伝』とは、支那の『三國志』のうちの『魏書東夷伝』の中の倭人(日本人のこと)に関する約二千字ほどの記事のことである。

 

ここに書かれていることが三世紀の日本の史実そのままではない。三世紀前半に日本に渡来した支那人(魏の國の人)の見聞に基づいているらしく推測される。実際に訪ねていない國のことも訪ねたかの如く書いている箇所もあるという。しかし、その頃の日本の九州(筑紫)に来た支那人が「水行十日陸行一月」の遠隔地を伝聞したことをもととしているという。

  

 『魏志倭人伝』は、古代日本の「祭祀」を「鬼道」などと蔑視し、「祭り主」「日の御子」に「卑弥呼」(いよいよ卑しいと呼ぶ)などという侮蔑的な文字が当てられているが、「ヒミコ」とは「日御子」であり、太陽神を祭る御子という意味である。そして神を祭り、神の意志を民に伝え、民の願いを神に申し上げることのできる霊能を有する人が、政治的統治者となることができたのである。「日御子」は古代日本の祭祀と統治を統べる最高のお方なのである。

 

 そして「日御子」は太陽神を地上においてそのまま體現される御方であるから、現御神(現実に現れた神)と仰がれることになったのである。これが現御神日本天皇の起源である。

 

 わが日本は、天照大神信仰・日の御子=現御神日本天皇仰慕の心を中核とする信仰共同體・祭祀国家である。大和や河内などにある天皇陵をはじめとした多くの古墳は、信仰共同體の精神的エネルギーの結晶である。祭り主天皇の神聖なる権威を崇める心が美しい前方後円墳を作り出したのである。

 

 わが國においては、祭祀と政治は一體である。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」と言うのである。

 

「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からのわが國の傳統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたく一体であった。

 

 祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。そして、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けたのである。そしてそのことによって、わが国は分裂することもなく滅亡することもなく、続いてきたのである。

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千駄木庵日乗七月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備など。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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都知事選挙について

今回の参院選で、「改憲派が三分の二を占めた」と言われるが果たしてどうか。公明党創価学会は改憲派なのか、そうではないと思う。また自民党内にも現行占領憲法擁護の人もいる。民進党の前原誠司、松原仁、長島昭久氏などは改憲派であろう。「改憲派」はまたまだ三分の二に達していない。

 

都知事選では、「自民党の改憲草案で良いでしょう」とはっきり改憲を表明したのは小池百合子氏だけ,増田寛也氏は「日本国憲法の精神は守る」と言った。鳥越某は「護憲のために都知事選に立った」と自ら言う人物である。好き嫌いはあるだろうが、この三人の中ではやはり私は小池百合子氏が当選したら良いと考える。

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日本國の頽廃を救う道は日本の伝統的國家観・人間観の回復にある

日本國は権力者の武力によって統一された権力國家ではない。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生まれた國である。古代日本の統一とは祭祀的・信仰的統一であり、日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の精神的な共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の同一の祭祀がその中核である。

 

 したがって、日本という國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなわち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。さらに、天皇國日本は、世界の多くの國々のような征服や革命によって人為的に成立した國家ではない。だから我が國の國體を「萬邦無比」というのである。

 

 日本という國家は日本人の生きる場であり、日本人が生きる一つの形式でもある。日本という國家を敵視したり、日本という國家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。

 

 一定地域で共同生活を営む人々の数が増加すると、共同生活の場である國家が巨大化する。そして人間は、精神的なやすらぎや信頼や安穏や道義精神を追い求める側面とともに、物質的利益や肉體的快楽を追い求め悪事を行う側面がある。また、人間というものは残念ながらお互いに愛し合い信じ合い協力し合うだけではなく、他人より優位に立ちたがり、他者を憎み闘争し果ては殺し合うこともある。

 

 こうしたことを抑制しつつ國家という共同體を秩序あるものとして成り立たせるには、強制力を持った権力機構が必要になって来る。

 

 また、人間が共同生活を営む國家という共同體には、「精神的共同體」という側面と「利益共同體」という側面がある。「精神共同體」とは共同生活を営む人間がお互いにいたわり合い助け合い愛し合い信じ合うという精神的「結び」によって成立する共同體と言っていい。一方、「利益共同體」とは人間が物質的・経済的な利益を共同して獲得し分配する共同體と言っていい。

 

 特に近代産業國家は規模が大きく仕組みが複雑になる。すると、それにともなって國家を運営するために必要な國家権力というものも肥大化する。肥大化するだけでなく、國民を抑圧し圧迫するものとなる場合がある。また、他の國家との闘争・戦争を行う場合もある。また、そこに生きる國民同士の衝突も起こる。

 

 つまり、肥大化し歴史を経過した國家は、人間の生活を守り発展させる有機體(生き物)であるという側面と、國民を圧迫し束縛する側面を持つようになることも確かである。そこで、國家の悪しき側面をできる限り押さえることが大切になってくるのである。

 

 それには國家権力機構の存立の基本をただ「力」に置くだけでなく、道義的正統性というものに置かなければならない。それは國家の尊厳性と言い換えてもいい。それがないとただ國民と対立する暴力機構と化してしまう。國家とは単なる力の支配装置ではなく、その基礎にはその國に生きる國民が等しく正しいと信ずる価値・精神的道統というものがなければならない。

 

 國家も、人間と同様にできる限り、利益追求のみに走らず、共同の道義精神に基づく立國(國の成立)につとめるべきである。そして、ただ利益のみを追求する営利至上主義國家ではなく道義國家の確立を目指さなければならない。 

 

 今日に於いて正しき國家観の確立が行われなければならない。我々國民が愛するべき國、尽くすべき國とは、単なる権力機構でもないし利益共同社会でもない。信頼と正義と愛と真心によって結ばれた精神的道義的共同體なのである。我々は正しき國家観に回帰し、日本國を道義國家として新生せしめねばならない。

 

 永遠の維新を繰り返す日本國は永遠に不滅である。而して、我々の目指す維新とは、國家の日本的変革である。権力國家としての側面のみになってしまっている國家の現状を改革し、天皇中心の信仰共同體としての國家を回復せしめることが今日における國家変革即ち維新なのである。

 

 麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科学技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。こうした状況を打開するには、真に生命を尊重する精神を國民一人一人が保持しなければならない。そのためには日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復することが大切である。戦後七十年以上にわたって、物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本國民の頽廃を救うには、日本の伝統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、原稿執筆、書状執筆など。

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2016年7月15日 (金)

猪瀬直樹氏の内田茂氏批判と、樺山卓司氏の自殺について

 猪瀬直樹元東京都知事は七月十三日、〈猪瀬直樹が語る「東京のガン」〉と題した記事をニュースメディア「News Picks」に投稿し、“都議会のドン”と呼ばれる自民党の内田茂都連幹事長を名指しで批判した。平成二十三年七月一日に自殺した樺山卓司東京都議会議員(享年六三歳)を追い込んだのは内田茂氏にあるとして次のように語った。

「樺山卓司さんという都議会議員が、内田氏に反旗を翻そうとしました。樺山さんは、初代台湾総督の樺山資紀のひ孫です。しかし、樺山さんは、201171日に自殺してしまいました。その原因は内田氏にあります。先日、樺山さんの娘さんから『父は憤死した』との連絡をもらって、樺山さんの遺書を見せてもらったのですが、そこには以下のような言葉がつづられていました。『これは全マスコミに発表して下さい。内田を許さない!!人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報復します。御覚悟!!自民党の皆さん。旧い自民党を破壊して下さい』。ちょうど樺山さんが死んだ夜に、樺山さんは「反内田」の仲間たちと飲んでいて、23時半ごろに帰宅し、3時ごろに自殺しているのを奥さまが発見したそうです。具体的に、内田氏に何をされたかというと、学校のいじめのようなことがあったそうです。都議会議員の集まりの中で嫌がらせ的に罵倒されたり、議長になれたのにならせてもらえなかったり、ギリギリといじめ抜かれた。きっと、内田氏としても『反内田』のグループが大きくなるのを恐れたのだと思います。『反内田』の声を上げると粛清されてしまう──そんな世界が都議会にはあるわけです。いわば、キムジョンイル支配のような世界です」。

樺山卓司氏は、小生の学生時代の同志であり友人であった。日本大學の学生時代、民族派学生組織・全日本学生評議会を結成し活動していた。小生とはその頃知り合った。樺山氏の母上は料理学校を経営されており、大変立派な方であった。たしか樺山家は修養団という精神運動団体に属しておられたと思う。

 

樺山氏が、初めて葛飾区議選に立候補される直前、樺山氏の母上が経営される料理学校で、勉強会が催された。講師は島村宜伸衆院議員であった。以後、葛飾区議を三期務めて、平成五年に都議に初当選。五期目をつとめていた平成二十三年七月一日に、六十三歳で自ら命を絶たれた。

 

同年七月六日に、西小岩の月光殿で執行された『樺山卓司氏通夜祭』参列しご冥福を祈った。その時、香典返しに頂いた腕時計を今も大切にしている。

どうして自ら命を絶たれたのはまったく不思議でならなかった。元気であったし、性格も明るく、意志も強い人であった。非常に礼儀正しく、大して年の差の無い私を先輩として立ててくれた。

 

葬儀の時、私は次の歌を詠んだ。

 

筆とりて 香典袋に わが名をば 記しつつ 逝きし友を偲べり

 

なにゆゑか 自ら命を 絶ちし友の 遺影は悲しき 笑顔なりけり

 

そして昨日、猪瀬氏の記事を読んだ後、次の歌を詠んだ。

 

友の自殺は ボス政治家の いじめとの 報道を知り 驚く我は

 

伏魔殿と 言はれし都議会 今もなほ その体質は 変はらずにあるか

 

あの明るく大らかだった樺山氏が「人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報復します。御覚悟!!」などと激しい言葉を吐露したのは余程の事があったのであろう。

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 「現行憲法」は諸悪の根源であり、これが存在する限り戦後が終わらない

 戦後日本は大東亜戦争の敗北による「反戦意識」、そしてそれに伴う戦勝国の日本弱体化政策により、“戦争否定”というよりも“国家防衛否定”の意識が横溢してしまった。そして、「日本国憲法がある限り、平和は守られる」という幻想を抱き、国家防衛体制の構築を「悪」であるとして否定している人がまだまだ多い。鳥越俊太郎はその代表的人物である。

 

 「現行憲法」は諸悪の根源であり、これが存在する限り戦後が終わらないばかりでなく、わが国は国家存立の基盤である自主防衛体制の確立すら正しく実現することはできない。

 

 「現行憲法」は、占領憲法といわれているように終戦直後に戦勝国の恫喝によって押し付けられたという不幸な制定経過を持っている。従って、わが国の伝統に基礎を置かず、欧米民主主義思想を根幹としている。また、大東亜戦争は日本の一方的侵略であったという自虐史観の論理で汚染され、日本を自主独立国家として規定していない。その結果、日本国民は、内には祖国への誇りを喪失し、外には国際社会から軽侮と不信を受け続けてきた。

 

 「現行憲法」は、再び日本がアメリカなどの戦勝国に歯向かう国にならないよう仕組まれたものである。つまり、「現行憲法」の条文を守れば守るほど、日本国家の国防・政治・教育・社会・家庭が混乱するようになっているのだ。

 

 冷戦は終結し、世界は新たな時代を迎えたと言われた。ところが新しい時代とは決して平和な時代でも明るい時代でもなく、民族と民族・国家と国家がエゴをむき出しにした対立・闘争の時代である。わが国は最早、国家意志を曖昧にしたまま、世界の傍観者であり続けることはできなくなった。

 

 「現行憲法」が如何に亡国憲法であるかはその「前文」を見れば明らかである。「現行占領憲法」前文には、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれているが、これほど現実を無視した文章はない。

 

今日、公正と信義などという抽象概念で世界は動いていない。北方領土を奪取して返さないロシア・竹島を奪取して返さない韓国・わが国国民を拉致しスパイ船を派遣して破壊活動を行いミサイルをわが国上空に飛ばしている北朝鮮・尖閣沖縄を侵略しようとしている共産支那という公正さも信義も無い国に取り囲まれている国が日本なのだ。

 

 こうした状況下に置かれたわが国が、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意」するだけで、一切の軍事力を放棄していたら、わが国はそうした周辺諸国の餌食になるだけである。現実にわが国は戦後ずっと、周辺諸国に馬鹿にされ領土を奪われたままではないか。

 

 さらに「前文」には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と書かれている。これは大東亜戦争のことを言っているのだが、あの戦いは政府のみの行為ではない。一億国民が火の玉となって戦った戦争であったのだ。

 

 「現行憲法」の「前文」の主旨は、日本国及び日本国政府は悪者であり、他国は公正と信義のある国であるということを前提にしているのだ。こんな詫び証文のような「前文」を持つ憲法を、戦争が終わってから五十年以上も経過している今日、後生大事に抱えているのは文字通り国恥である。

 

 「現行憲法」は正しい日本語で書かれていない。「前文」には「われら」という言葉が数多く登場するが、一体これは誰を指しているのか。「現行憲法」は、「戦勝国の戦勝国による戦勝国のための憲法」なのである。

 

 他の国の国民は全て「公正と信義」なるものを持っているのだから、日本にはわが国を侵略しようなどという「公正と信義に反する敵国」はあり得ないということになる。だから、わが国には「非常事態」はあり得ない。そういう嘘八百・虚構を前提に法律が組み立てられている。

 

この「前文」の精神に基づいて、「本文」を読めば、「第九条」は、「日本国による防衛戦争」も否定していると考えるのが妥当だ。「九条第一項」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」は、不戦条約をそのまま文章にしたもので日本のみではない。しかし、「第二項」の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。交戦権はこれを認めない」というのは日本以外に無い条項である。「前項の目的」とは」国際紛争を解決する手段」であり「自衛」ではないというのは苦しい読み方であり曲解と言っていい。

 

「現行憲法」は占領の基本文書であり、二度と再びわが国が戦勝国に立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も与えられなかったのである。

 

 「徴兵制違憲論」が横行している。政府もそういう見解であるらしい。これは、「現行憲法」第一八条に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪による処罰を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とあることを根拠にしている。「徴兵が苦役になる」などと解釈している国は無い。

 

 要するに、現行占領憲法には国防が定められていないのである。このことが日本という国家を駄目にしたのである。国防は国家の生命だ。「憲法前文」と「第九条」が続くことは日本は独立国家ではないという状況が続くということである。          

 

 「現行憲法」は占領行政基本法であるから占領終了後停止すべきであった。防衛は米軍が全部やってやるという占領時代の憲法をいまだに持っているのはおかしいし、「現行憲法」が存続する限り日本は独立と安全と平和を守ることはできない。

 

 「現行占領憲法」は、日本が主権を持っていなかった時期に戦勝国によって押しつけられた。のだから、主権を回復した時に『大日本帝国憲法』に回帰すべきだったのである。

      

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、東京財団主催『公開フォーラム・アメリカ大統領・トランプとヒラリーはどちらが強いか?全国党大会と本選挙の展望』開催。久保文明(リーダー/東京財団上席研究員、東京大学法学部教授)、中山俊宏(サブリーダー/慶應義塾大学総合政策学部教授)、西川賢(津田塾大学学芸学部准教授)、前嶋和弘(上智大学総合グローバル学部教授)、安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)、渡部恒雄(東京財団上席研究員兼政策研究ディレクター)眞各氏が討論。質疑応答。

 

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、送付。

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2016年7月13日 (水)

この頃詠みし歌

弟をシベリアで失ひし人の歌讀みつつ悔しき歴史を偲ぶ(窪田章一郎先生歌集)

わが母は「愛ちゃんはお嫁に」を楽しげに歌ひゐるなり施設の小部屋

パソコンでは佳き歌作れず 筆を持ち心のままに歌を詠まなむ

久しぶりに市ヶ谷の町に来たれども昔の人に逢ふよしもがな

朗々と詩吟の声の響きわたる今宵の宴の爽やかさかな(『欣欣の清筵 福永武君の結婚を悦ぶ会』)

道につながる友ら集ひて若き友の妹背の契り祝ふこの夜(同)

幾十年來の同志の元気な姿をば見てぞ嬉しき今宵の集ひ(同)

それぞれに戦ひの庭に立ちてゐる友ら集ひて今日の祝事(ほぎごと)(同)

懐かしき師の面影を偲びつつ「生命の實相」實相篇を讀む

街中の緑の森のみやしろは梅雨の光に濡れて美し

清らなる梅雨の晴れの間の青空の下のベランダに洗ひ物干す

バスに乗り不忍通りを行き行きて母のゐませる病院に着く

点滴を打たれてややに顔色の良くなりし母よ 安らかにあれ

せまき部屋に老いたる母は眠ります ただに祈らむ当病平癒

母上はわが手を握り安堵して眠りたまへりせまき病室

懸命に祈りつつプリンを口に運びなば母はわずかに食したまへり

わが母の健やかにゐませと祈りゐる我の心を神しろしめせ

わが母の胸に手を当てひたすらに快癒を祈る夕べの病室

わが母は薄目を開けて我にしも微笑みかける夕べの病室

細くなりし母の両足見るに耐えず 眼(まなこ)閉じれば胸迫り来る

わが母が老いませる体でよこたへて苦しむ姿を見るに切なし

嚥下能力よみがへりませと祈りつつ母の口に流動食運ぶ

嫌々と言ひながらようやく流動食を食したまへる母を励ます

命の光さらに輝けと祈るなり病室に眠る母に向かひて

わが母の叱咤の声の強ければまだまだ命は燃え盛るなり

友どちの笑顔のポスター眺めつつ元気で頑張れと祈りゐるなり

ジューシーだ肉厚だとかいふ言葉 飽食の時代に飛び交ひてゐる

緑濃き皇居の森を眺めつつ安らかな心になりてうれしき

この國の永久の安穏を祈りつつ皇居の森を眺めつつをり

楠公の雄々しき騎馬像振り仰ぎ日の本の國を守りませと祈る

 

老いたる人が若きその妻に支へられ階段昇る姿麗し

 

母上は腰が痛いと嘆きたまふに為すすべなきは悲しかりけり

 

手を当ててただにし神に祈りをり母の痛みのやはらぎませと

 

みちのくより帰り来たりて腹痛し美味き物食べ過ぎし旅なりしゆゑ

 

食欲は健康のバロメーターなどと呑気に思ひゐし我にしありけり

 

喫煙席といふものを厭ふ何となく隔離されたる心地する故

 

こはれたるベルトを引き上げ歩み行く肥満体われのみっともなさよ

類い稀な愛國者の孫に生まれながら祖國を毀(こほ)たむとする愚かさよ(谷口雅宣へ)

 

母上の家に帰るといふ言葉聞くは切なく悲しかりけり

 

なぐさめの言葉も出でぬ苦しさよ家に帰りたいとせがむわが母に

 

何時も何時も水を撒きゐる老人に水不足ぞ一言言ひたし

 

大きなお世話余計な口出しと言はれるを恐れ黙(もだ)して通り過ぎたり

 

七十歳を迎へる人は店閉じて故郷に帰ると楽しげに言ふ

 

四十年続けたる店を閉じると言ふ妻失ひし老いし主(あるじ)

 

大きな鍋に具材てんこ盛りの夕餉には胃薬を飲むことがよろしき

 

若き夫婦が楽しげに道を歩み行く 我はその後をとぼとぼ歩く

 

夕暮の銀座の街を歩み来て友どちのくばるビラを受け取る

 

四丁目の鐘鳴り出づる下にして選挙演説今盛りなり

 

この國は如何に混迷してゐても上に天皇おはします國

 

悪霊にとり憑かれたる者どもが同じ言葉を繰り返し叫ぶ

 

悪霊がまだこの國に棲みゐるをしみじみと知るデモの風景

 

夏の朝(あした) 昇り来たりし太陽は照り輝きてわが身も燃え立つ

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千駄木庵日乗七月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて『萬葉古代史研究会』開催。小生が大伴坂上郎女なとの歌を講義。

帰宅後も、原稿執筆。

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現行占領憲法擁護するために都知事になるなどと言う鳥越俊太郎を都知事にしてはならない

 

 鳥越俊太郎が七月十二日午後、記者会見を開き、東京都知事選への立候補を表明し、「憲法改正ということが射程に入ってきているということが、参議院選挙の中で分かりました。自分なりに流れを少し変える元に戻すような力になれば、それを東京都から発信できればすばらしいなと」と言った。

 

亡国憲法擁護のために都知事になるというのだ。こんなバカな話はない。都知事の職務は、東京都の正しい発展と都民の生活の安定を図ることが最大の目的である。都知事の職責の第一はそれである。『現行憲法擁護』擁護のために都知事になるなどと言う鳥越には都知事になる資格はない。

 

今日の腐敗堕落した日本、自分の国を自分で守れない日本、支那やロシアの軍事的圧迫に晒され、軍事的にはアメリカの属国になっている状態を成文法で規定しているのが『現行占領憲法』である。アメリカ製憲法の擁護とは、亡国への道である。

 

「占領憲法」三原理の一つの「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。日本の国防体制確立を阻害し日本国をして他国の属国たらしめる元凶である。

 

第二の「国民主権論」は、西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。

 

第三の「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになった今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。道義精神不在の「人権論」こそ、国民の頽廃の元凶である。

 

このような憲法擁護するために都知事になるなどと言う鳥越俊太郎を都知事にしてはならない。

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、講義の準備。

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2016年7月12日 (火)

鳥越俊太郎は、逆賊である。このような男を都知事にしてはならない。

平成二十一年十二月十六日の小生のブログを掲載する。

 

小沢一郎・鳥越俊太郎の不敬言動を糾弾する

 

小沢一郎は、十四日の記者会見で、天皇陛下の習近平引見問題にいて、「天皇陛下国事行為、行動は、国民の代表である内閣、政府の助言と承認で行うこと。それを政治利用だとかいったら天皇陛下は、何もできない。内閣に何も助言も承認も求めないで、天皇陛下が個人で勝手にやんの? そうじゃないでしょ。内閣の一部局である宮内庁の役人が内閣の方針、決定したことについてどうだこうだというのは、日本国憲法の精神、理念、民主主義を理解していない。もしどうしても反対なら、辞表を提出した後に言うべきだ。天皇陛下の体調がすぐれないというならば、それよりも優位性の低い行事はお休みになればいい。」と言った。

 

これを書いているだけで無性に腹が立ってくる。小沢という男には、尊皇精神が全くないことが明白である。まず第一に、外国からの賓客の接見は、憲法に規定された『国事行為』ではない。従って、「内閣の助言と承認」を受ける必要は全くない。小沢は記者に対して偉そうに、「君は日本国憲法を読んでるかね? ふん?」などと言ったが、小沢自身が憲法をよく読んでいないのだ。

 

そもそも、天皇陛下に対し奉り臣下が、「助言と承認」なるものを行うという規定そのものが、不敬極まりないものである。天皇・皇室の尊厳性を侵害する憲法の規定は守る必要はない。

 

小沢一郎の記者会見における眼つきは異常であった。小沢は尋常ではない精神構造を持っているとしか思えない。尊皇精神の希薄な人物ほど道義精神も希薄である。小沢はその典型だ。

 

習近平は、共産独裁国家の「副主席」にすぎない、なんでこんな人物を、神聖君主日本天皇が接見しなければならないのか。全くその必要はない。

 

今日の午前に放送された「スーパーモーニング」(テレビ朝日)で、鳥越俊太郎氏は「天皇・皇室は税金の上に成り立っている。国事行為であるから、天皇が習近平の会うのは当然だ」と言った。これは小沢以上に許し難い発言である。私は早速「テレ朝」に電話し、鳥越俊太郎に直接、「あなたの発言に憤りを覚える。『天皇は税金で養われているのだから、国事行為は文句を言わずに行え』という意味に聞こえた。あなたには尊皇精神が無い。しかも外国賓客の接見は憲法に規定された『国事行為』ではない」と強く抗議した。

 

これに対し鳥越氏は、「あなたと同じ考えではない。」と答えた。つまり、鳥越氏は、天皇・皇室を敬う気持ちは無いことを認めたのである。

 

はっきり言って、天皇・皇室に関することは、理論理屈ではない。天皇・皇室への敬いの心、かしこみの心の無い者は、国家民族の敵である。こういう者共は、絶対に許すことはできない。

 

       〇

 

鳥越俊太郎は、逆賊である。このような男を都知事にしてはならない。

 

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日本伝統信仰が、一神教同士の闘争による滅亡の危機を救う原基となると信ずる

 一神教同士の対立と抗争がどれだけ多くの人々を殺し、人類に生き地獄の苦しみに落とし込んだか。宗教とは人々に安心立命・真の幸福とやすらぎを与えるものであるはずなのだが、一神教の歴史は逆に人類に不幸と殺戮を与えていると言える。

 

 テロ攻撃とそれへの報復戦争は、まさにそういう一神教の歴史が根底にある。つまり、三つ大きな一神教の大戦争が今行われていると言える。一神教国家ではなく多神教の国である日本の使命として、精神的宗教的に何を為し得るかを考えるべきであろう。

                     

 日本神話を拝すれば明らかなように、天照大神は、唯一絶対・全知全能を誇る神ではない。八百万の神といわれる日本の神々の使命・性格を生かし高める神である。一神教の神のような裁きの神、妬みの神、復讐の神ではない。

 

 日本神話では天地自然や人間は唯一絶対神によって造られた存在ではない。人も国土も君主も伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在である。

 

 さらに神の御命令によって地上に天降られた邇邇藝命の最大の御使命は、地上を瑞穂の国すなわちみずみずしい稲の穂が稔る国にするというきわめて平和的な信仰である。邇邇藝命という御名には、稲穂のにぎにぎしさを讃え稲穂に籠る霊への信仰が内包されている。

 

 生命の永遠の循環と共同体の相互扶助を身を以て体験する稲作生活から生まれた規範を大切にする日本民族の祭祀に、言葉の真の意味における平和の姿を見出すことができる。

 

 それは日本神話の言葉を以て言えば、「高天原を地上に実現する」ということである。この精神を発展させて、全世界を農作の栄える国とするという使命を日本が果たすべき時が来たといえる。お互いの神を排斥合うのではなく、同じ天地の神として尊重し合う精神を持たなければ宗教戦争は終焉を迎えない。否、終焉を迎えないどころか人類を滅亡に追いやる危険さえ含んでいる。日本伝統信仰の自然崇拝の精神こそが、一神教同士の闘争による滅亡の危機を救う原基となると信ずる。 

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、平河町の平河天満宮参拝。

この後、先輩事務所訪問。懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』原稿執筆、

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2016年7月11日 (月)

國體信仰の甦りによる危機の打開

 

維新は、神道の「祓ひ清め・禊祓ひ」と同意義である。「祓ひ清め・禊祓ひ」とは、本来のあるべき姿・元初の姿から乖離し堕落し穢れてしまった状態を、元に戻すといふことである。

 

影山正治氏は、「我々は神前に大祓の祝詞を至心に奏上することによって御國の罪・穢を祓ひ清めて神國の本来に還へらむ事を祈り、又我の罪・穢を祓ひ清めて神我の本領に還へらむことを祈るである。…今こそ全日本人が朗々と大祓の祝詞を斉唱しつつ、皇國の維新、全世界の維新に當らねばならない。」(『正續古事記要講』)と論じてゐる。

 

「祓ひ清め・禊祓ひ」は、日本傳統信仰の中核である。維新運動・民族運動の基盤には、日本傳統信仰たる神道・國體信仰がある。大化改新も建武中興も明治維新も、その基盤に國體信仰があった。日本國は、危機に瀕すると必ず、國體信仰が甦る。そして國を変革し危機を乗り越える。これがわが國の光輝ある歴史である。

 

外患等の國家の危機に際會して、「神祭・神事」が盛んになるのは、わが國の傳統である。未曽有の危機に瀕している今日唯今においてこそ、祭祀主日本天皇の真姿が開顕されるべきである。神道精神・國體信仰を基盤とする愛國維新運動を展開していくべきである。

 

神道精神・國體信仰は、決して偏狭なものではないし、独善的ではない。八紘を掩ひて宇(いへ)と為す精神であり、四海同胞の精神であり、真の世界平和の精神である。この精神に回帰し、世界に闡明することが大切である。

 

影山正治氏は、「維新に際して、『攘夷』が不可缺であることは、より大いなる『修理固成』のため、より高き『むすび』のため、より美しき『大和』のためであって、決して獨善的な『鎖國』のためではない。最も急進的な攘夷論者の松陰先生が、死を賭してアメリカに渡海しようとしたではないか。」(『正續古事記要講』)と論じてゐる。

 

葦津珍彦氏は、「日本が維新の道を進んでゆくのには、復古傳統の精神を確りと固有した人物が、もっとも新しい國際知識を知り、これを利用し得るだけの能力をもたねばならない。…もっとも日本的な復古維新の傳統精神を確保する日本人が、もっとも新しい國際潮流と知識とを學んで、これを変質させ利用することによって、創造への道につとめなければならない時代である。」(「現代社會思潮と日本文明」・『新勢力』昭和四十六年八月号所載論文)と論じてゐる。

 

中河与一氏は、「我々は一日も早く新しい生命をとりかえさなければならない。そのためには古典を回復し、それが教えている道統によって近代文明を批判しつつ、新しい文明を築かねばならない。…私は日本人が、今日の科學文明に参加し、同時に東洋人としての汎神論的思考方法、合理主義以上のものの存在を自覚することによって、ヨーロッパの二の舞いを味わってはならない。日本人は八百萬の神々と言った。すべてのものの中に神を見る精神を失って、ただ人間中心の思い上がった思想に行き、自然を破壊していると、人間は必ずその復讐を受けねばならない。」(『森林公園』)と論じてゐる。

 

勝部真長氏は、「日本の珍しさは、紀元五世紀頃の青銅期君主國の原型をくずさずに、ほとんどそのまま生き永らえてきて、しかも現代も、最尖端の科學技術文明に適応しているという不思議な事實にあるのである。…日本は常に新しがり屋で好奇心のかたまりでありつつ、しかも古式で原始式的である。」(『天皇は日本人にとって必要か』)と論じてゐる。

 

大化改新も明治維新も日本的な復古即革新の傳統を確保しつつ、当時としてはもっとも新しい國際潮流と知識とを學んで断行された一大変革であった。

 

維新とは「天の岩戸開き」である。日本天皇そして日本國の真姿開顕が維新である。戦後、天皇のご詔勅が発せられなくなった。そして天皇陛下が示されたご意志は「お言葉」といふ表現で発表される。また、『勅撰和歌集』も編纂されることがなくなって久しい。かうしたことは、國體隠蔽の大きな事象の一つである。

 

日本國體の真姿を隠蔽する勢力、天皇・皇室の尊厳性を破壊する勢力と厳しく対決しこれを粉砕することが維新である。

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千駄木庵日乗七月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、母校に投票に赴く。

そして、施設に赴き母に付き添う。大変喜んでくれる。

帰宅後は、原稿執筆。そして開票速報を見る。

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2016年7月10日 (日)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 七月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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2016年7月 9日 (土)

「忠孝一本の國民精神」を命懸けで表白した吉田松陰の辞世歌

安政六年十月二十日、死罪に処せられることを察知した松陰は、故郷の父叔兄に宛てた手紙において、「平生学問浅薄にして至誠天地を感格すること出来申さず、非常の変に立到り申し候。」と書き、

 

「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」

 

といふ歌を記した。あふれるばかりの思いとはりつめた精神が五・七・五・七・七といふ定型に凝縮されてゐる。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。この松陰の歌こそ、「忠孝一本の國民精神」を命懸けで表白した歌である。

 

徳富蘇峰はこの歌について「死するに際して、第一彼れの念頭に上りし者は、その父母にてありしなり。…かくの如き人にしてかくの如き事を作す、不思議なる忠臣を孝子の門に求るの語、吾人実にその真なるを疑う能ず」(『吉田松陰』)と論じている。

 

そして、吉田松陰は判決が下る直前の安政六年十月二十五日から二十六日にかけて『留魂録』を書きあげた。その冒頭に、

 

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」

 

という歌を記した。

 

末尾には、

 

「心なることの種々かき置ぬ思のこせることなかりけり」

「呼たしの声まつ外に今の世に待へき事のなかりける哉」

「討れたる吾をあわれと見む人は君をあかめて夷払へよ」

「愚なるわれをも友とめつ人はわかとも友とめてよ人々」

「七たひも生かへりつゝ夷をそ攘はむこゝろ吾忘れめや」

 

の辞世の和歌を記した。

 

「討れたる」の歌は文字通り命を懸けた尊皇攘夷の志の表白である。日本の國家的危機を救ふ根本原理は、実に「尊皇攘夷」である。

 

十月二十七日朝、死罪の判決を受けた松陰は、

「吾 今 為 國 死 死 不 負 君 親 悠 悠 天 地 事 観 照 在 明 神」(吾今國の為に死す 死して君親に負かず 悠悠たり天地の事 観照明神に在り)

といふ辞世の漢詩を遺した。

 

明治元年(一八六八)九月、明治天皇御東行に供奉した松陰門下の木戸孝允は、その日記九月二十一日の項に、「(注・安政六年)六月中旬深川に至り、松陰師の江戸拘引せらるを聞き、歎驚及ばず。同秋続きて江戸に至る。而し間日なく終に幕府の為殺戮を受く。窃に其の首体を奪ひて骨原(こつがはら)に葬る。其の後若林に改装し、又甲子(元治元年)の変(注・第一次長州戦争)、幕の毀つところとなる。此の間の事言ふに忍びざるなり。余今日生存して未曽有の盛事に遭遇し、鳳輦に扈陪して関左(注・南を向けば東は左であるところから関東のことをいふ)に入り、而して諸同志に見る可からず。悲歎こもごも到る。…往時を追憾し、涕雨の如し」

と記した。

 

明治維新断行後、明治天皇に供奉して東京に来た木戸孝允は、吉田松陰が処刑された当時の事、そして第一次長州戦争の時、世田谷若林の長州藩の土地に埋葬された松陰の墓まで毀損されたことを思ひ出しているのである。

 

維新の先駆者たる吉田松陰の志は門下生達に強烈に引き継がれ大きく花開き、徳川幕府は打倒され、維新が成就した。現代においても、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切である。

 

内憂外患交々至るといった状況にある今日こそ、吉田松陰の如く、日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂を奮ひ立たさなければならない時である。

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。黒田勝弘産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員が「厄介な隣人、韓国とどう付き合う?』と題して講演。質疑応答。

この後、銀座四丁目交差点にて行われていた「日本の心を大切にする党」の中山恭子代表の街頭演説を応援。

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演説する中山恭子さん

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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第六十四回日本の心を学ぶ会

愛国運動の目指すものを考える。

  

 

宗教法人生長の家は69日にホームページ上で「今夏の参院選挙において与党を支持しない」とする声明を発表しました。安倍首相の立憲主義を軽視した政権運営や原発の再稼働などが教団の信仰や信念と相いれないことをその理由としてあげられています。続く22日には「不支持政党を追加」として安保法制に賛成し、憲法改正を急ぐ政党とその候補者を教団として支持しないとする声明を発表し各方面を驚かせました。

 

 

生長の家は週刊誌の取材に対し、過去に主張していた「帝国憲法復元は現実無視の妄言」であり、創始者谷口雅春が説いた「大東亜戦争肯定論」「帝国憲法復元改正論」は「歴史的役割を終えた主張」であると答えております。

 

 

 

言うまでもなく生長の家は昭和五十八年に生政連が活動を停止するまで愛国運動において重要な役割をはたしてきました。紀元節の復活や元号法制化などは、愛国運動団体や生長の家をはじめとする愛国的な宗教組織が連携し成し遂げた成果です。そして、ついに悲願である憲法改正の機運も高まってきました。

 

 

 

しかしながら最近こうした愛国運動に対し批判が沸き起こっております。その一つが、「日本会議批判」であると思います、

 

 

 

愛国運動の目指すものが「国家神道の復活」や「戦前への回帰」であり、近代社会の前提である基本的人権や民主主義を否定するものであるという批判です。

 

このような批判は今後「憲法改正」が現実味を帯びてくるにつれてさらに激しさをましていくものとおもわれます。

 

 

 

そこで、今回の勉強会では愛国運動の目指すものについて、改めて考えてみたいと思います。

 

 

 

今回は、一般社団法人日本政策協会理事長の遠藤健太郎先生をお招きして、「救国の提言」という演題で、四宮正貴先生には「愛国運動と宗教、生長の家の変節を考える」という演題で講演していただき、愛国運動が目指すものについて考えてみたいと思います。

 

 

 

【日時】平成28731日(日)1800分より

【場所】文京シビックセンター 3階会議室A

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講演】

「救国の提言」
 講師 遠藤健太郎氏 一般社団法人日本政策協会

 

 

 

「愛国運動と宗教 生長の家の変節を考える」 講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

 


【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

 

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維新と和歌

維新と和歌 

 

 文藝特に和歌は、常に現状を変革しよりよき状態を憧憬するものである。和歌は、和歌を詠む者に、変革への戦いがあってこそ価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。

 

 命が枯渇し言靈が失われた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。

 

 維新変革には悲劇と挫折を伴う。而して詩歌とは悲願と悲劇と挫折とを謳いあげることによってその精神的・美的価値を高からしめる。

 

 維新とは懸命なる戦いであるが、単なる破壊でも暴力でもない。「あはれ」で悲しいものであるが、半面、美しいものである。また歓喜に溢れたものでもある。

 

 わが國の文學史とりわけ和歌の歴史に於いて、最も偉大なる時代は、國家の変革期である。変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる。日本最高最大の歌集『萬葉集』は大化改新・壬申の乱・奈良遷都という大変革を背景として生まれた。

 

 在原業平に象徴される平安朝の和歌は、藤原氏の専横への抵抗から生まれて来たと言える。後鳥羽院の覇者・北條氏の武家政治に対する戦いの時代には『新古今和歌集』が生まれた。

 

 幕末維新の時代には、尊皇攘夷を目指した志士たちの詩歌は永遠不滅の光彩を放っている。さらに東洋の解放を目指した大いなる戦いであった大東亜戦争に殉じた将兵たちの辞世の歌は、万人をして慟哭せしめる不滅の価値を持つ。このように國家変革即ち維新と和歌は不可分である。

 

 それらの歌は、なべて日本國の精神を包み込んで表白し、それぞれの時代性と変革の状況において個性を以て表現されているのである。

 

 とりわけ『萬葉集』は、日本の伝統精神の文學的結晶である。萬葉の時代は、外には朝鮮半島の問題があり、内には蘇我氏の専横があり、文字通り内憂外患の時代であった。その國難を打開し、天皇中心の新國家体制の確立をはかったのが、大化改新である。こうした時代において、柿本人麿は天皇の神聖性と日本國体の素晴らしさを美事に歌いあげたし、大伴家持は漢心(からごころ)の蔓延への抵抗として『萬葉集』を編纂した。この時代の旭日昇天の清新なる日本民族の精神は『萬葉集』に結晶されている。

 

 そして「萬葉の精神」は明治維新という大変革に大きな影響を及ぼした。明治維新も西欧列強の日本侵略の危機と徳川幕府の皇室軽視・封建支配という内憂外患を打開するため「尊皇攘夷」を基本理念として断行された大変革である。「尊皇攘夷」は、國家的危機に際会して燃え上がったところの日本的ナショナリズムを一言で表現した言葉である。

 

 幕末期の日本的ナショナリズムは萬葉の時代・建武中興の時代とりわけその時代の尊皇精神への憧憬の心と結びついていた。つまり、萬葉の精神と楠公精神の謳歌である。

 

 江戸時代前・中期において『萬葉集』は學問の対象ではあったが、和歌創作の規範とはならなかった。しかし幕末期の國學者たちが『萬葉集』の精神を復興せしめた。その「文藝復興」が明治維新の精神的原動力の一つとなった。

 

 民族の歴史と伝統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現する。これを復古即革新即ち維新というのである。

 

 そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのである。なぜなら、いにしえから伝えられた「五・七・五・七・七」という形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌が、「復古即革新」の文藝だからである。 

 

 今日の日本もまた、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。こうした状況の中にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴える「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。

 

現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴えるものとしての和歌を詠んでいる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力の偉大さを今こそ実感すべきである。

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千駄木庵日乗七月八日

午前は、諸雑務。

午後は、資料整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後七時より、永田町の全国町村会館にて、『日本の名誉と国益を守る緊急提言の集い』開催。相沢宏明氏が司会。国歌斉唱。加瀬英明・宮崎正弘・鈴木信行・杉田水脈の各氏がスピーチ。メッセージ朗読。西村眞悟氏が講演。小生が閉会の挨拶を述べ終了。盛会であった。

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帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2016年7月 7日 (木)

わが國の傳統的死生観を否定する岡田克也、そしてそれを支持する谷口雅宣・生長の家

 

岡田克也氏は、『文藝春秋』平成二十二年七月号所載の「魂の存在は無か」といふ文章で、「十代の頃、『人にとって死とは終点なのか、それとも一つの通過点にすぎないのか』、言い方を変えれば、人の死を超えて魂は存在するのかということについて、真剣に考えた日々がありました。当時の私の結論は、人間に魂は存在するはずもなく、人は死によって『無』になるというものでした。この考えは、三十年以上経ったいまも基本的には変わっていません」と書いてゐる。

 

岡田氏は、「肉体は滅びても生命は不滅であり永遠である」といふ信仰を持ってゐないのである。かういふ人を唯物論者と言ふ。だから平気で唯物論を信奉する共産党と結託できるのである。かかる人物に政権を握らせてはならない。

 

日本人は古来、肉体は滅びても、生命は永遠といふ信仰を持ってゐる。今日の日本人の多くもさういふ信仰を持ってゐる。日本人は肉體が滅びても人間が無に帰することはないと信じて来た

 

生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世の近くにゐて我々を守ってゐると信じてゐる。 

 

『萬葉集』では、「よみがへり」といふ言葉に「死還生」(死の世界から生きて帰るといふ意であらう)といふ字をあててゐる。

 

日本には死んだご先祖の霊が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きてゐる人のところに化けて出るといふ信仰がある。死んだ人の霊は「草葉の蔭」から生きてゐる人を見守ったり祟ったりするのである。といふことは、死後の世界と現世は遮断してゐないで交流し連動してゐるといふことである。

 

柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である。」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

死者の靈魂は、無に帰するのでもなく、はるか彼方の他界に行ってしまふのでもなく、この國土の近くに留まって子孫を見守ってゐるといふ信仰は、わが國において永く継承されてきてゐる。

 

この世を去った人の靈魂を身近に感じて来たのが日本人の傳統的祖靈観・死生観である。日本人が比較的死を恐れない強靭な精神を持ってゐるのは、かうした信仰が根底にあるからであらう。

 

ともかく日本民族は肉体が滅びても魂は永遠である信じてきた。日本人にとって肉體の死は靈魂の滅亡ではないのである。これがわが國の傳統的死生観である。そして死者の靈を弔ひ鎮めることが現世に生きる人間のつとめである。「敬神崇祖」がわが國民道徳の基本である。祖靈を尊ぶことがわが國の道統である。

 

日本の伝統的死生観とは全く逆の死生観を持ってゐる岡田克也氏が代表をつとめる民進党が政権を奪取することは絶対にあってはならないことである。

 

最近、その変質が問題になっている生長の家の創立宣言とも言ふべき『七つの光明宣言』の第二項には、「吾等は生命顕現の法則を無限成長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず」とある。

 

また、生長の家の根本経典たる『甘露の法雨』には、「人間は物質に非ず、肉體に非ず、…人間は靈なり。生命なり。不死なり」「神は靈なるが故に人間もまた靈なるなり」「汝ら決して肉體の死滅をもって人間の死となす勿れ。人間は生命なるが故に常に死を知らず」「人間の本體は生命なるが故に常に死することあらざるなり」と書かれてゐる。

 

宗教法人・生長の家は「今夏参議院選挙に対する生長の家の方針」として「与党とその候補者を支持しない」と宣言した、といふことは「野党」を支持するということだ。野党第一党の民進党は唯物論者の岡田克也が代表をつとめてゐる。第二党の共産党は唯物論者の集団である。まさに谷口雅宣は、國體信仰のみならず、生長の家の「生命の永遠」「霊魂不滅」といふ根本教義と正反対の思想を持つ政治勢力に投票せよと呼び掛けてゐるのである。

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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蓮舫氏を支持するわけにはいかない

 

昔、「朝生」のパーティーで蓮舫さんに会ったことがある。台湾の事が話題となり、蓮舫さんは、「私も台湾独立支持です」と言った。ところが、安保法制の参院審議の時、自民党席に向かってまるで女番長のように腕を組んで『てめえら』とか言って悪たれをついていた。台湾を支那の侵略から守るためにも日米軍事同盟強化は必要である。蓮舫氏を支持するわけにはいかない。

 

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日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ

 

 

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日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ

  ~国体政治研究会 特別研究会~

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関係各位

時下益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、このたび、「日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ」と題する研究集会を下記次第により開催いたします。

祖国日本が直面し、早急の対応を迫られてゐる内外の難題について各界の有志・識者が緊急提言と決意表明を行ふところの、この集会が国民覚醒の新たな端緒となることを願つてやみません。

趣意ご賢察の上、皆さまの積極的なご参加と、本案内拡散へのご協力をよろしくお願ひ申し上げます。

 国体政治研究会 特別研究会世話人

  相澤宏明(日本国体学会理事)

  四宮正貴(四宮政治文化研究所代表)

  中村信一郎(国体政治研究会代表幹事)

 

【日時】

 7月8日(金)18時半開場、19時開会、20時半閉会

【会場】

 全国町村会館(2階)ホールB

  東京都千代田区永田町一丁目11-35

  電話03-3581-0471

  地下鉄有楽町線永田町駅3番出口から徒歩1分

【登壇者】(順不同。敬称略)

 加瀬英明(外交評論家)

 宮崎正弘(評論家)

 西村眞悟(前衆議院議員)

 鈴木信行(維新政党新風代表)

 なほ、数名の方から力強いメッセージが寄せられます

【参加費】

 一千円

【参加申込み及び問合せ先】

 相澤宏明

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 中村信一郎

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2016年7月 6日 (水)

『米国議会日本研究グループ共催 パネル講演会 「3/15 2016大統領選挙と米国政治の選択」~アメリカでは今何が起きているのか?誰のための選挙か?~』における登壇者の発言

三月十五日に開催された『米国議会日本研究グループ共催 パネル講演会 「3/15 2016大統領選挙と米国政治の選択」~アメリカでは今何が起きているのか?誰のための選挙か?~』における登壇者の発言は次の通り。

 

トーマス・ピートライ氏(元米国連邦下院議員、1979-2015年、共和党・ウィスコンシン州選出)「マンスフィールドは、日米関係は世界の中で比類なき二国間関係と強調した。アメリカは第一次大戦後大不況に見舞われ、仕事が無くなり、国民は民主・共和両党に不満を持った。外国があるからこうなる。外国が犠牲の山羊。世論調査でトランプは支持率五十%弱とっている。民主党支持者にもトランプ支持がある。人々が不満を持っているが、ガス抜きの形がある。普通のアメリカ国民は苛立ちはあっても日本の重要性を理解している。日本との関係に満足している。私の祖母はノルウェーからアメリカに来た。英語が話せないのでバカにされた。そういう経験を持つアメリカ人は多い。伝統的共和党支持者は民主党に入れるか棄権すると言われている。多くの人々は取り残されていると思っている。工場は人々を雇用すると同時にレイオフしている。赤字をどうするかが大問題。過去にも最悪の時期はあった。中國への不安がある。大統領になった人は自分自身では何もできないことを自覚する」。

デニス・ハーテル氏(元米国連邦下院議員、1981-1993年、民主党・ミシガン州選出)「白人と黒人をバスに一緒に乗せるかどうかで殴り合いがあった。公立学校に黒人を入れるのを反対することもあった。アメリカ人の大多数はトランプの言っていることに嫌悪感を持っている。アメリカ人の多くは日本企業がアメリカ人を多く雇っていることを知っている。三権分立がある。誰が大統領に就任しても、条約を一夜にして変えることはできない。コンタクト・啓蒙・教育が大事。アメリカ人は日本人に愛着を持っている。日本は最も重要な貿易相手国であることを啓蒙すべし。共和党のエスタブリッシュメントは反トランプでまとまっている。一般の人々は強い軍を支持している。我々の海軍は非常に強い。トランプの抬頭は、アメリカの政治の劣化。トランプには外交アドバイザーがいない。嘘と歪曲で固めたスピーチをしている。真赤な嘘ばかりのスピーチをしている。安定的地域を作るためにTPPは必要。貿易問題は新しいアイディアを導入しなければならない」。

 

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。今日はやや食欲もあり、機嫌良し。安堵する。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理。

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天皇・皇室と「武の精神」

天皇・皇室の「和」のご精神は戦後日本の「似非平和主義」とは無縁である。

『現行占領憲法』三原理つの一つであるいはゆる「戦後平和主義」は、我が國の独立と平和と安全を根底から揺さぶり続けてきただけでなく、國民精神を堕落せしめた原因である。自分さへ安穏な生活をしていればいい、みんなのため、國家のために身を捧げるなどといふのは真っ平だといふ思考が蔓延した原因は實に「戦後平和主義」にあったと考へる。

 

戦ひの精神を忘却した國家と國民は、他國から侮りを受ける。今の日本がまさにさうである。好戦的な國民になるべきだと言ふのではない。しかし、我が國を無法に攻撃し侵略し支配しやうとする外敵に対してはこれと果敢に戦ふ姿勢は絶対に必要である。『現行占領憲法』の「似非平和主義」は葬り去らねばならない。

 

日本傳統精神の「和」の精神・歴代天皇の仁慈の大御心を説くのは結構なのであるが、戦後の天皇・皇室論において、天皇・皇室には「武」の精神が無かったかのやうに誤解される論議があることを残念に思ってゐる。

 

日本國が本来的に和を尊ぶ國であり、天皇・皇室が軍事力・権力を以て民を支配する民から搾取する御存在ではあらせられないといふことを強調するために、天皇・皇室と「武の精神」との関係を軽視したりあるいは否定してしまふ論議がある。さういふ論議を『現行占領憲法』の誤れる「平和主義」と結びつける人もゐるやうである。

 

天皇が「武」の精神道統の継承者であらせられることは歴然たる事實である。「三種の神器」に「剣」があることがそれを明白に証明してゐる。女性天皇も例外ではない。皇祖天照大御神は武装されたし、斉明天皇は百済救援のために全軍を率ゐて出陣された。このことを正しく理解し認識すべきである。天皇・皇室の「和」のご精神は戦後の「似非平和主義」とは無縁である。

 

皇祖天照大御神は、女性神であらせられるが、『古事記』に須佐之男命が高天原にまゐ上りたまひし時、「背には千入(ちのり)の靭(ゆき・武具の一つ。細長い箱形をなし、中に矢をさして背に負ふたもの)を負ひ、腹には五百入りの靭を附け、また臂(ただむき・ひじから手首までの間)には稜威(いつ・勢いの激しいこと。激しい力のあること。また、尊厳な性質があること)の竹鞆(たかとも・弓を射る時、左の腕に結び付けて手首の内側を高く盛り上げる弦受けの付けもの)を取り佩ばして、弓腹振り立てて、堅庭(堅い地面)は向股(股のこと)に蹈みなづみ、沫雪なす蹶(く)ゑ散(はららか)して、稜威の男建(をたけび・男らしい勇ましい武勇をふるふこと)、蹈み建びて、待ち問ひたまひしく」と語られてゐるやうに、武装され戦ひの姿勢を示された。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。「三種の神器」(やまとことばでは、みくさのかむたからと申し上げる)とは、皇位の「みしるし」として、歴代の天皇が傳承する三つの「お宝」である。「神器」とは神の依代(よりしろ・神霊が出現するときの媒體となるもの。神霊の寄りつくもの)を意味する。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。

 

『記紀神話』では、「草薙剣」は須佐之男命が、出雲國簸川上(ひのかわかみ)で八岐大蛇(やまたのおろち)を斬られた時に、その尾から出現したと傳へられる剣である。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とも称される。

『古今和歌集』の「仮名序」に、「人の世となりて、素盞鳴尊よりぞ三十文字あまり一文字はよみける」と書かれ、須佐之男命がお詠みになった

 

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣つくるその八重垣を

 

といふ御歌が、和歌(三十一文字)の起源であると説かれてゐる。この御歌は、須佐之男命が八岐大蛇を退治されたあと妻を娶られたときにお詠みになった御歌である。須佐之男命は、皇祖・天照大御神の弟神であらせられ、且つ、「武の神」であり、和歌を始めてお詠みになられた御方である。和歌は神詠であるといふ古来よりの信仰はここから生まれた。和歌と武とは一體なのである。これを「剣魂歌心」といふ。

 

『古事記』では、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き母に付き添う。家に帰りだかるのがつらい。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆の準備。

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2016年7月 5日 (火)

菅野完氏著『日本会議の研究』について

 

最近、菅野完氏著『日本会議の研究』という本が話題になっている。菅野完氏は、一体どういう目的でこの本を書いたのか。それは『日本会議の研究』の「むすびにかえて」に明確に示されている。曰く「(日本会議の規模と影響力を維持した来た人々の・注)地道な市民運動が今、『改憲』という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは『緊急事態条項』しかり『家族保護法』しかり、おおよそ民主的とも近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には『明治憲法復元』を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は間違いなく、民主的だ。…その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままでいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!」「賢明なる市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。2016年夏の参院選まで、あと数か月、絶望するには、まだ早い」

 

菅野完氏は、戦後体制打倒(ヤルタポツダム体制打倒)・正統憲法の回復を阻止し、「戦後民主主義」を守るために、この本を書いたのである。そして、「戦後レジームからの脱却」を主張する安倍晋三氏、安倍氏を支持する日本会議を批判し、その「危険性」を指摘し、参院選挙において、自民党の敗北を目指すためにこの本を書いたのである。

 

菅野完氏は、「民主主義」を金科玉条にしている。誰にも否定的出来ない言葉が「人民のために」であり「民主主義」である。共産中国は「人民のために」を合言葉にしている。しかし実際には権力者のための政治になっている。「朝鮮民主主義人民共和国」は世界で最も反民主的・専制国家である。

 

戦後日本で言われ続けて来た「個の確立」「主体性の確立」は<戦後民主主義>の精神的支柱であるが、「個」や「自我」というものを如何にとらえるかが大事である。正しき人間観・國家観の確立なくして、正しき「個の確立」も「主体性の確立」もあり得ない。道義精神なき「個の確立」は欲望民主主義に陥り、正しき國家観なき「個の確立」は利己主義となる。それが今日の日本の姿である。

 

長谷川三千子氏は、「重要なことは全員が一致協力することによって本当の『人民のための政治』が実現するということなのであって、…『人民のための政治』ということは、古来、多くのまっとうな政治思想が目指してきた究極の目標であった…古代メソポタミアの都市国家においては、王は神からその国を手厚く世話する義務を負わされているものと考えられており…わが国の伝統的な政治思想――天皇は皇祖皇宗の教えにより、民を『おおみたから』として第一に重んじる――もその典型と言えよう」と論じている。

 

つまり、わが日本國體精神が真の「人民のための政治=民主主義」なのである。そして近代において日本國體精神を明確に成文化した憲法が『大日本帝国憲法』なのである。

 

菅野完氏は、『大日本帝国憲法』を「古色蒼然としたもの」として否定するが、『大日本帝国憲法』は、日本の伝統精神・国家国民観を基とした正統憲法である

 

わが國體精神・天皇の國家統治は、國民の幸福実現を最高の目標としている。國民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが國においては、古代より國民を「おほみたから(大御宝)」と言ってきた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

 

歴代天皇は、國民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」としての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの國民に限りない仁政を垂れたもうてきた。國民の幸福を実現する政治制度という意味で「民主政治」という言葉を使うとするなら、わが國の天皇統治はまさにそういう政治制度を生み出す根幹なのである。

 

天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。それは、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、國民の幸福を実現する政治制度という意味での民主政治の基本が示されている。

 

葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外國の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治思想であった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

 

 昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、國民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった」と仰せになられた。

 

天皇の國家統治は、まさに「輸入のものではない民主政治であり民主主義」なのである。天皇の國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の統治は民の心をお聞きになり、民の心をお知りになる事が基本である。そしてそれは議会によって実現する。ゆえに、『五箇条の御誓文』の御理想に実現すべく。帝國議会が開設され『大日本帝國憲法』が発布されたのである。

 

『大日本帝国憲法』は、日本の伝統精神・国家国民観を基としてた民主的正統憲法である。

 

近代に於いてのみならず、古代日本においても、國民のために政治が天皇の統治によって実現していたのである。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

 

 天皇が國民の幸福を祈られる祭祀を執行され、國民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、國民のための政治即ち民主政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇の「まつりごと」にこそ、真の民主政治なのである。

 

天皇は常に國民の幸福を祈られておられる。天皇統治とは國民の意志をお知りになることが基本である。わが國の天皇は民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされてきた。わが國は君民一体の國柄である。これこそ言葉の真の意味における「民主政治」でなくして何であろうか。

 

『大日本帝国憲法復元』は谷口雅春先生の悲願であった。しかるに、谷口雅春先生の孫であり、生長の家三代総裁である谷口雅宣は、『大日本帝国憲法』を「古色蒼然たるもの」として真っ向から否定する書籍を、生長の家の書籍を頒布する世界聖典普及協会で頒布している。生長の家は完全に変質し、雅宣は雅春先生の意思を完全に踏み躙ったのである。

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、諸雑務。

午後三時より、西麻布にて、猪瀬直樹氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

この後、銀座にて知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年7月 4日 (月)

この頃詠みし歌

弟をシベリアで失ひし人の歌讀みつつ悔しき歴史を偲ぶ(窪田章一郎先生歌集)

 

わが母は「愛ちゃんはお嫁に」を楽しげに歌ひゐるなり施設の小部屋

 

パソコンでは佳き歌作れず 筆を持ち心のままに歌を詠まなむ

 

久しぶりに市ヶ谷の町に来たれども昔の人に逢ふよしもがな

 

朗々と詩吟の声の響きわたる今宵の宴の爽やかさかな(『欣欣の清筵 福永武君の結婚を悦ぶ会』)

 

道につながる友ら集ひて若き友の妹背の契り祝ふこの夜(同)

 

幾十年來の同志の元気な姿をば見てぞ嬉しき今宵の集ひ(同)

 

それぞれに戦ひの庭に立ちてゐる友ら集ひて今日の祝事(ほぎごと)(同)

 

懐かしき師の面影を偲びつつ「生命の實相」實相篇を讀む

 

街中の緑の森のみやしろは梅雨の光に濡れて美し

 

清らなる梅雨の晴れの間の青空の下のベランダに洗ひ物干す

 

バスに乗り不忍通りを行き行きて母のゐませる病院に着く

 

点滴を打たれてややに顔色の良くなりし母よ 安らかにあれ

 

せまき部屋に老いたる母は眠ります ただに祈らむ当病平癒

 

母上はわが手を握り安堵して眠りたまへりせまき病室

 

懸命に祈りつつプリンを口に運びなば母はわずかに食したまへり

 

わが母の健やかにゐませと祈りゐる我の心を神しろしめせ

 

わが母の胸に手を当てひたすらに快癒を祈る夕べの病室

 

わが母は薄目を開けて我にしも微笑みかける夕べの病室

 

細くなりし母の両足見るに耐えず 眼(まなこ)閉じれば胸迫り来る

 

わが母が老いませる体でよこたへて苦しむ姿を見るに切なし

 

嚥下能力よみがへりませと祈りつつ母の口に流動食運ぶ

 

嫌々と言ひながらようやく流動食を食したまへる母を励ます

 

命の光さらに輝けと祈るなり病室に眠る母に向かひて

 

わが母の叱咤の声の強ければまだまだ命は燃え盛るなり

 

友どちの笑顔のポスター眺めつつ元気で頑張れと祈りゐるなり

 

ジューシーだ肉厚だとかいふ言葉 飽食の時代に飛び交ひてゐる

 

緑濃き皇居の森を眺めつつ安らかな心になりてうれしき

 

この国の永久の安穏を祈りつつ皇居の森を眺めつつをり

 

楠公の雄々しき騎馬像振り仰ぎ日の本の国を守りませと祈る

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千駄木庵日乗七月三日

午前は、諸雑務。

午後は、『萬葉集』講義原稿執筆・脱稿・送付。

この後、施設に赴き、母に付き添う。やや食欲が出てきた。有り難し。

帰宅後は、明日のインタビューの準備。

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2016年7月 3日 (日)

維新即ち復古即革新の精神について

 徳川氏が独占してきた役職である征夷大将軍とは「夷」(えびす・えみし=日本に仇なすもの)を征討する大将軍という意味である。ところが幕府はペリーがやって来たら慌てふためいて、何もできない。そして天皇陛下のお許しを得ないでアメリカと屈辱的な國交を結んでしまった。そこで、徳川氏は征夷大将軍の役目を果たすことができないということになって、徳川幕府を倒して、天皇中心の國家を再生せしめた大変革が、明治維新である。

 

 わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。  

  

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 ただし、明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、時計の針を昔に戻すということではなかった。「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。そして、明治維新の大事業の一環として紀元節が制定された。

 

 『日本書紀』には、「辛酉年(かのととりのとし)の春正月(はるむつき)の庚辰(かのえたつ)の朔(ついたち)、天皇(すめらみこと)橿原宮(かしはらのみや)に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳(このとし)を天皇の元年(はじめのとし)とす」と記されている。

 

 神武天皇即位の日が正月朔日(むつきついたち)であるのは、むつき(正月)の始めにおいて、神も天地も人も新生するという上古以来の日本人の信仰に基づく。そして、明治六年、この日を太陽暦に換算した二月十一日を『紀元節』とした。

 

 明治維新後に行われた紀元節の制定は、「神武創業への回帰」という根本精神・明治天皇の大御心の実現であると共に、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であったのである。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

 

 今日の日本も、幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面していると言っても過言ではない。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

 

 「紀元節」の歌に、「天津日繼ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日繼ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 

 「天津日繼ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(靈)を繼承される」ということである。日本天皇は天の神(天照大神・日の大神)の靈統を繼承され、神の御心のままに(神ながらに)日本國を治められるのである。

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて繼承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・國文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。つまり、皇位の繼承は肉体的な血統のみによるのではなく、日の神の神靈を繼承するという神代以来の信仰に基づくのである。

 

 さらに「高御座」について折口信夫氏は、「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神聖な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝(みかど)といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 

 天皇が高御座に昇られることによって、天皇は天上の神と一体になられ、地上の國がそのまま天上の國となるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。高天原を地上に持ち来たし、日本國を高天原のように清らかにして神聖なる理想國にすることが天皇の御使命である。

 

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を繼承され、御即位の大礼において天津日繼ぎの高御座にお立ちになった。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。「御即位の大礼」は、天照大神が皇孫邇邇藝命を天津日繼の高御座に即け給い、神器を授け給ひ、神勅を下し給ひしことを、新たに繰り返す行事である。

 

 このように、天皇の國家御統治の御精神は、常に、新たなる國家の生命の甦り、言い換えると國家の新生・再生を常に希求されているのである。しかもこの新生・再生は、それまでの伝統を断絶して行われるのではない。無限の過去から無限の未来にわたるまで、天皇による日本國の新生・再生、命の甦りは繰り返されるのである。ここに日本天皇の國家と統治そして日本國體の特質がある。

 

 我が國國民は毎年毎年同じように春から始まって冬に終わる周期的な生活を営んでいる。四季の移り変わりが規則正しく周期的であるので、お祭りも、農漁業などのなりわいも、周期的に繰り返される行事が多い。春夏秋冬の一年の暦の一巡りで、冬が終わり元の春に戻り新たな出発が行われるのである。

 

 そして、我が國民は、暦の移り変わる時、即ち新たなる年を迎えた時に、生活も万物も全て再び新生するという感覚を持つのである。その時が旧暦の睦月一日すなわち紀元節である。

 

 日本民族は物事は周期的に新生を繰り返すという生活感覚を自然に持っていた。御歴代の天皇が、神武創業の精神=物事の初め・國家統治の理想(すなわち)に回帰することによって革新を断行するという維新の精神は、ここから発生してきた。

 

 だからこそ、維新は「復古即革新」といわれて来たのである。「復古」とは決して反動ではないし、前に述べたように、時計の針を過去に戻すことではないし、回顧主義でもない。古きがゆえに良いというのではない。「復古即革新」とは、いにしえの理想の復興によって現在を新たならしめることである。  

 

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆・資料の整理。

午後六時より。新宿にて、『博友会』開催。横山孝平氏が司会。犬塚博英氏が主宰者挨拶・趣旨説明。菅野完氏が「なぜ『日本会議の研究』を世に問うたか」と題して講演。質疑応答。

帰途。古くからの同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年7月 1日 (金)

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織

日本共産党は、あらうことか長い間、「朝鮮戦争はアメリカの侵略だった」といふ嘘八百を並べ立ててゐた。

 

『日本共産党の四十五年』といふ書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」と書いてゐる。

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党は戦後一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口であった。

 

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」をわが國政府に働きかけ實現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰國した。

 

この「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのだ。

 

七〇年代初頭、北朝鮮の國家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰國者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰國者の約二割を処刑もしくは政治犯収容所送りにしたといふ。

 

帰國事業では、日本共産党の有力者が、全國の「帰國協會」で「事務局長」を務め、地方党員が實働部隊となって在日朝鮮人を帰國させ、政治的には「北朝鮮に社會主義國の建設を」と宣伝した。

 

在日朝鮮人の北朝鮮への帰國に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。む共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なってゐない。のみならず、悲惨極まる状況に陥ってゐる帰國者の救援・救出にもソッポを向き、それを妨害して来た。共産党は、昭和四十年代前半くらいまでは、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝してゐた。

 

日本共産党は拉致問題に関しても、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示してゐない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本國内にあるはずがない。わが國の警察の捜査が及ばない北朝鮮の國家ぐるみの犯罪について、わが國の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。不破氏がこんなことを言ったのは、共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

 

日本共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭ひ去ることのできない大きな罪を犯したのである。日共は戦後一貫してソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。

 

日本共産党は、根源的には北朝鮮と同根である。日本共産党は、日本の平和・安全・独立を内側から脅かしてきたのある。共産党こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしてきたのである。

 

かうした歴史を考へれば、日本共産党が「新安保法制」に反対し廃棄するために「國民連合政権構想」なるものをぶち上げたのは、今日唯今においても、共産支那や北朝鮮の軍事侵略に協力し加担するためである事は明白である。さうした政党と参院選で共闘しようといふのが民進党である。

 

そもそも日本共産党とは、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連に司令部があった國際共産主義組織・世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党である。「自主独立」などとは口が裂けても言へないのだ。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同質の政党なのである。

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制といふ政治である。共産主義者の「君主制度の國は人間平等の原則に反し、民主的でなく、國民の自由は奪はれ、國民が差別される。共産主義國家は民主的であり國民平等の社會が實現する」といふ主張は全く大ウソである。共産主義体制の國こそ、國民の自由と繁栄は奪はれ、共産党幹部以外の國民は差別され虐げられる自由も民主も無い専制國家なのだ。

 

もしわが國において戦争直後、共産革命が成功してゐたらどうなってゐたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行はれた。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治と志賀義雄などによる凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであらう。そればかりではなく、さうした権力闘争にソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本國の独立すら失はれた可能性がある。つまり、戦後共産党内部の権力闘争・派閥抗争が、國家的規模で行はれたのである。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は實現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

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「日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ」のお知らせ

「日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ」のお知らせ

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日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ

 ~国体政治研究会 特別研究会~

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関係各位

時下益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、このたび、「日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ」と題する研究集会を下記次第により開催いたします。

祖国日本が直面し、早急の対応を迫られてゐる内外の難題について各界の有志・識者が緊急提言と決意表明を行ふところの、この集会が国民覚醒の新たな端緒となることを願つてやみません。

趣意ご賢察の上、皆さまの積極的なご参加と、本案内拡散へのご協力をよろしくお願ひ申し上げます。

 国体政治研究会 特別研究会世話人

  相澤宏明(日本国体学会理事)

  四宮正貴(四宮政治文化研究所代表)

  中村信一郎(国体政治研究会代表幹事)

 

【日時】

 7月8日(金)18時半開場、19時開会、20時半閉会

 

【会場】

 全国町村会館(2階)ホールB

  東京都千代田区永田町一丁目11-35

  電話03-3581-0471

  地下鉄有楽町線永田町駅3番出口から徒歩1分

 

【登壇者】(順不同。敬称略)

 加瀬英明(外交評論家)

 宮崎正弘(評論家)

 西村眞悟(前衆議院議員)

 鈴木信行(維新政党新風代表)

 なほ、数名の方から力強いメッセージが寄せられます

 

【参加費】

 一千円

 

【参加申込み及び問合せ先】

 相澤宏明

  090-7202-0139   ahisaha@nifty.com

 中村信一郎

  090-4815-8217   caq97080@pop11.odn.ne.jp

  郵送 〒152-0003 東京都目黒区碑文谷四丁目16-7-202

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、諸雑務。

正午、新橋駅頭における西村眞悟候補の街頭演税を応援。

そして、七月八日に開催される『日本の名誉と国益を待見る緊急集会』について同志お二方と打ち合わせ。

この後、施設に赴き、母に付き添う。腰に痛みがある。

帰宅後は、原稿執筆など。

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『美の祝典―江戸絵画の華やぎ』展を参観して

本日参観した『美の祝典―江戸絵画の華やぎ』展は、出光興産の創業者・出光佐三氏が収集した「出光コレクション」を公開する趣旨のもとに開館した出光美術館の名品を展示した展覧会である。

平安朝の『伴大納言絵巻』、桃山時代の『南蛮屏風』『祇園祭礼図屏風』、江戸時代の『洛中洛外図屏風』『江戸名所図屏風』、喜多川歌麿の『更衣美人図』、葛飾北斎の『春秋二美人図』、酒井抱一の『風神雷神図屏風』『八橋図屏風』『紅白梅図屏風』などの江戸期の琳派の絵画、尾形光琳の『蹴鞠布袋図』などが展示されていた。

『伴大納言絵巻』は、伴大納言に関わる「応天門の変」を題材にした絵巻物である。大伴氏の末裔である伴大納言(伴善男)が代理の枢要な門である応天門に放火したとの罪で伊豆の国に流刑になった事件が描かれている。紅蓮の炎に包まれる応天門、そして火災の様子を見ている庶民たち、伴大納言が身柄を拘束された時に家人が嘆き悲しむ姿が実にリアルに描かれている。一人一人の表情も個性豊かに描写されており、面白い。絵巻物は、巻子本と同じように、巻物を広げていくと物語が展開し流れていく構成になっている。こういう美術作品は外国にはないのではなかろうか。

 

「応天門の変」は、藤原氏による大伴氏排除の謀略ではないとかと言われている。大伴氏は神代以来の血筋を誇る名族である。始祖は、天孫降臨の際、先導のお役目を担った天忍日命である。また、神武天皇の御東征の先鋒を務め、神武天皇御即位の際には宮門の警衛を務めた道臣命も大伴氏の先祖である。

 

「大伴」は「大きな伴造」という意味で、天皇に武門の棟梁として天皇にお仕えし、臣下としては最高の家柄である。そして,『萬葉集』の編者とされる大伴家持、その父の大伴旅人は、大伴氏の棟梁である。しかし、大化の改新以後、力を増してきた藤原氏によって圧迫されるようになった。「応天門の変」はその総決算と言えるのではないか。

 

『江戸名所図屏風』は、繁盛する江戸の町と庶民の姿、そして上野寛永寺、不忍池、湯島天神、神田明神、愛宕山、増上寺、日本橋、京橋、新橋など東京に住む者にとってとても親しい建物や橋が描かれている。特に、上野寛永寺、不忍池、湯島天神は私にとってまことに身近である。不忍池に舞い降りた鳥が小さく描かれているが、これはペリカンであるという。

『洛中洛外図屏風』は、江戸時代の作品であるためか、德川氏の京都における本拠地であった二条城が大きく描かれていた。取り壊された豊国社が描かれているのが不思議であった。それだけ上方において豊太閤は人気があったのであろう。

 

酒井抱一の『風神雷神図屏風』『八橋図屏風』『紅白梅図屏風』はまことに美しい絵画であり、特に『紅白梅図屏風』は生命力にあふれていた。抱一は近年大きな人気を集めている若冲と並ぶ画家であろう。酒井抱一は、姫路藩主・酒井忠以の弟として生まれた。母は大給松平家の出自で松平乗祐の娘里姫(玄桃院)である。大給松平家の屋敷は、私が育った家の前の坂(これを大給坂と言う)を上がったところにあった。その屋敷は、私の幼少の頃は、大平正芳氏が住んでいた。江戸時代は画家という言葉は勿論無く、「絵師」と呼ばれ、身分的にはそう高くはなかったようであるが、老中や大老にも任じられる酒井雅楽頭家の子息が「絵師」になったというのはなかなか面白い事実である。

大伴氏と大伴家持に関する拙論を掲載する。

 

大伴家持の新年を寿ぐ歌

 

新年を寿ぐ代表的な「やまと歌」は大伴家持の次の歌である。

 

 三年春正月、因幡國の廳(まつりごとどころ)に、国郡の司等に饗(あ へ)を賜へる宴の歌一首

 

                     

 

新しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや重()け吉事(よごと)                    

 

                    

 

 大伴家持が四十二歳の時の賀歌(お祝いの歌)で、『萬葉集』最後の歌である。天平宝字三年(七五九)の正月(太陽暦では二月二日)、因幡の國(鳥取県東部)の國廳(行政を扱う役所)で、因幡守(今日の県知事)であった家持が、恒例により郡長などの部下に正月の宴を与へた時に詠んだ歌。

 

 「いや重け吉事」の「重け」はあとからあとから絶える事なく続くこと。「新しい年のはじめの初春の今日降る雪の積もるやうに良きことが積もれよ」といふほどの意。

 

 元旦に雪が降るのは瑞兆で、その年は豊作であるといはれてゐた。しんしんと雪が降り積もるやうにめでたきことも重なれよといふ願望を歌った。雪の降る眼前の光景を見て歌った平明で清潔で堂々たる『萬葉集』の掉尾を飾るに最も相応しい名歌である。

 

 家持と同族であった大伴古慈悲とか大伴古麻呂という人たちは、称徳天皇の寵を得て専横をきはめてゐた藤原仲麻呂打倒の動きに関ってみんな粛清されてしまった。そして直接クーデター計画に関はらなかった家持も因幡國に左遷されたのである。

 

 さういふ状況下にあっても、家持は、年の初めにかういふめでたい歌を詠んだ。「言事不二」といふ言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。聖書にも「言葉は神なりき。よろずものこれによりて成る」と書かれてゐる。家持が、「いや重け吉事」と歌ったのは、めでたい言葉を発することによって吉事が本当に事実として実現すると信じたのである。

 

 そして、『萬葉集』の最後の歌にこれを収め、一大歌集の締めくくりにした。国が混乱し、世の有様は悲痛であり慟哭すべきものであっても、また自分の一族が危機に瀕してゐても、否、だからこそ、天皇国日本の国の伝統を愛し讃へ、日本の国の永遠の栄えと安泰を祈る心の表白である。

 

 また、『萬葉集』編者(家持自身かもしれない)は、祝言性豊かなこの歌を全巻の最後に置き、『萬葉集』を萬世の後まで伝へやうとする志を込めたと思はれる。我々は『萬葉集』という名称に、無限の力と祈りとを実感するのである。

 

 ともかくこの歌は、わが国の数多い和歌の中でもとりわけて尊くも意義深い歌である。

 

 家持は後に、都に戻り、参議兼東宮大夫、東北鎮撫の総帥持節征東将軍などを歴任し、延暦四年(七八五)、六十四歳でこの世を去ってゐる。

 

大伴家持は奈良時代の『萬葉集』の代表的歌人。旅人の子。奈良朝末期の人。地方、中央の諸官を歴任。晩年は中納言・東宮太夫。歌は繊細、優美を基調とし、すぐれた技巧と抒情性を示し、萬葉末期を代表。『萬葉集』中、歌数が最も多く、その編者といはれる。養老二年(七一八)~延暦四年(七八五)。 

 

家持は藤原氏の権勢が強まるに中にあって、神代以来の名門の悲運を身に負った人生であった。さうした生涯にあって、神ながらの精神・日本の傳統精神を守らうとし、私権を以て世を覆はむとする者たちに対して悲憤して止まなかった。 

 

大伴氏は、遠祖・天忍日命(あめのおしひのみこと)が天孫・邇邇藝命御降臨に際して、武装して供奉してより、代々武を以て朝廷に奉仕した。古代の中央豪族。大和朝廷の草創期に来目部・佐伯部などの集団を統宰して朝廷に仕へ、「大連」となり軍事力を担った有力な氏族である。壬申の乱には大海人皇子方に属した。御行・安麻呂・旅人は大納言に昇進した。

 

武門の名門たる大伴氏が『萬葉集』と深い関はりがあるのは、言を向けることが平定であったといふ古代信仰による。「言」とは言霊の力である。物部の「もの」の力である。

 

天平感宝元年(七四九)五月十二日、大伴家持は越中の國守の館で『陸奥の國より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌』(四〇九四)を詠んだ。

 

「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇(すめろぎ)の 神の命(みこと)の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代」と日本国の肇国から歌ひ起こし、「大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負()ひ持ちて 仕へし官(つかさ) 海行かば 水漬(みづ)く屍 山行ば 草生(むす)屍 大君の 邊()にこそ死なめ 顧みは 

 

せじと言立(ことだて) 丈夫(ますらを)の 清きその名を いにしへよ 今の現(をつづ)に 流さへる 祖(おや)の子どもぞ大君の 御門(みかど)の守護(まもり) 吾をおきて また人はあらじと いや立て 思ひし増(まさ)る 大君の 御言の幸の 聞けば貴み」と歌った。

 

聖武天皇は、天平二十一年(七四九)四月一日に、東大寺に行幸され、わが国からはじめて黄金を出した喜びを橘諸兄に仏前に報告せしめ、この年の四月十四日を以て天平感宝と改元された。その時の『宣命』で、聖武天皇は特に大伴一族の大伴佐伯のことに触れられ、「大伴佐伯宿禰は常にもいふ如く天皇(すめら)が朝(みかど)守り仕へ奉ること顧みなき人等(ども)にあれば、汝(いまし)たちの祖(おや)どもの言ひ来らく、海行かばみづく屍、山行かば草むす屍、王(おおぎみ)のへにこそ死なめ、のどには(静かには、穏やかには)死なじ(「のどにはしなじ」で無駄死にはしないの意)と言ひ来る人等(ひとども)となも聞こしめす。」と称賛された。これに感激して、家持がこの『陸奥の国より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌』を詠んだのである。佐伯氏は、大伴氏の別家で、武力を以て朝廷に仕へた名族。大伴氏と祖を同じくする。

 

 「海ゆかば 水づく屍 山行かば草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」には、大伴一族の「いかなることがあらうとも、天皇の帰一し、天皇の御為に、天皇のおそばで死にたい」といふ戀闕心・勤皇精神が歌はれてゐる。大君のそばで倒れるのは武士(もののふ)たるものの当然の帰結としてゐる。

 

「み民われ・武人」たる者の心を言ひ尽くしてゐる。これは、大伴氏のならず、全国民的な殉忠の精神をうたひあげた言葉となってゐる。「大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」といふ精神は、下野の国の防人・火長今奉部與曾布(かちゃういままつりべのよそふ)「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」(四三七三・防人としての任務につく今日からは、最早我が身のことは一切顧みないで、ふつつかながら大君にお仕へ申し上げる兵士として私は出発致します)と同じで精神あり、もののふの心である。

 

現御神天皇への捨身無我の誠忠をあらわした精神であり、日本人としての偽りのないすがすがしい「まごころ」であり、清明心である。

 

「大君の 御門(みかど)の守護(まもり) 吾をおきて また人はあらじと いや立て 思ひし増(まさ)る」は、文字通り恋闕の心である。最も大切な日本精神・もののふの心である。もののふとしての自負心である。天皇の御信頼に臣としてこたへ奉る心の表白である。

 

保田與重郎氏は、「家持が陸奥國より黄金を出せる時の詔を賀してよんだ長歌のごときは、藤原氏の指導する文化精神に対する峻厳無比な抗議である彼はこの長歌の中で當時の指導精神を完全に無視して、堂々國初の精神を讃へ、一族に対して維新の史観とその人倫を教へたのである。」「この歌は盧舎那佛造營の讃歌に非ず、すべて國風の歴史と言葉をたゝへ、國ぶりの道とをしへを守ることに於て、この年の優諚(註・天皇の厚い仰せごと。天皇のめぐみ深いおことば)に奉行すべきことを、己と族に喩したものである。萬葉歌人は一人として東大寺に於ける數々の国家的祭典を歌ってゐないのである。」(『萬葉集の精神』)と論じてゐる。

 

萬葉時代とりわけ奈良の大佛造営の頃は、佛教が大きな力を持ってゐた。しかし、それにもかかはらず、伊勢の神宮をはじめとした日本の神々への尊崇の念は非常に篤いものがあった。日本人独自の伝統的美的精神を歌ひあげ国民精神の表白である『萬葉集』には佛教思想の影響はきはめて少ない。

 

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