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2016年6月12日 (日)

生長の家が発表した「文書」について―とうとうここまでおかしくなったか

 

生長の家は、六月九日、「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針 与党とその候補者を支持しない」と言ふ文書を発表した。

 

それには、「与党とその候補者を支持しない」といふ事が書かれてゐる。つまり、野党を支持するといふ事である。そしてそれは民進党のみならず日本共産党をも支持するといふことである。「天皇国日本」「國體」を破壊せんとする政党を支持するということである。谷口雅宣はとうとう狂ったのかとしか言ひようがない。

 

その文書には「戦後の一時期、東西冷戦下で国内が政治的に左右に分裂して社会的混乱に陥っている時、当教団の創始者、谷口雅春先生は、その混乱の根源には日本国憲法があると考えられ、大日本帝国憲法の復元改正を繰り返し主張されました」と書かれてゐる。

 

谷口雅春先生は、東西冷戦下で、国内が政治的に左右に分裂し社会的混乱に陥ってゐたから『大日本帝国憲法』復元を主張されたのではない。『現行占領憲法』が、天皇国日本の実相即ち日本國體を隠蔽してゐるから『大日本帝国憲法』復元を主張されたのである。

 

続いてその文書には「明治憲法の復元は言うに及ばず、現憲法の改正などを含め、教団が政治的力を持つことで“上から行う”のではなく、国民一人一人が“神の子”としての自覚をもち、それを実生活の中で表現し、良心にしたがって生きること。政治的には、自己利益の追求ではなく、良心(神の御心)の命ずることを、『意見表明』や『投票』などの民主的ルールにしたがって“下から行う”ことを推進してきました」と書かれてゐる

 

当寺の生長の家が政治運動を行ひ、選挙戦を展開したのは「教団が政治的力を持つことで上から行」ったではない。国民そして国民の所属する団体が選挙戦を戦うのは、国民の権利の行使であり、意思表示であり、政治的権利の行使である。まさにこのこの文書に書かれている「『意見表明』や『投票』などの民主的ルールにしたがって」選挙戦を戦ったのである。それを「上から」とか「下から」といふ言葉を使用して否定するのは、生長の家の歴史の否定あり、国民の参政権を否定するこじつけ・牽強付会の論理である。

 

この文書は、「冷戦時代」を強調するが、谷口雅春先生の「天皇国日本実相顕現」の主張は、戦前戦中戦後を通じて一貫した思想である。この文書はそれを「生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的」「古い政治論」と断定した。これは、谷口雅宣指導下の生長の家は完全に創始者谷口雅春先生の中心思想を破棄し否定したのである。

 

「宗教運動は時代の制約下にある」と言うが、「久遠天上理想国実現」「中心帰一」「天皇国日本実相顕現」という谷口雅春先生の教え、生長の家の根本教義は、時代を超えた真理である。宗教的真理というものは時代の制約下でころころ変わるものではない。『聖書』『法華経』『コーラン』の教えはそのまま継承され説かれてきている。

 

繰り返し言ふが、谷口雅春先生は、國體の眞姿顕現のために『大日本帝国憲法復元』を説かれたのである。「冷戦下」だから説かれたのではない。また自民党は「帝国憲法復元」を主張してはいない。「憲法改正」を主張してゐる。

日本会議も「帝国憲法復元」を主張していないと思ふ。

「米ソ対立」の「冷戦」はソ連が崩壊して終焉したが、その後、冷戦時代以上にアメリカ・日本などの自由国家と、共産支那や・ロシア・北朝鮮といふ全体主義国家との軍事的膨張・他国侵略は激しくなってゐる。また宗教対立、領土紛争そしてテロも激しくなっている。今や「熱戦時代」に突入したと言へる。かかる状況下において、わが日本はアメリカなどの自由国家と協力して、世界の平和・アジアの安定に努力しなければならい。そのためには、防衛力・抑止力を強化するのは当然である。

 

侵略国家からの祖国防衛、真のアジア・世界平和実現のための精神的基盤として、谷口雅春先生の説かれた國體思想は益々大切になってゐるのである。

 

谷口雅宣こそ、自己の誤れる考へに固執し、生長の家創始者谷口雅春師の教えを否定し、その尊い足跡を踏み躙る「原理主義」者である。そして今日が「冷戦時代」どころか「熱戦時代」であるといふ時代認識を欠く「時代錯誤」に陥ってゐる。

 

 谷口雅宣はかつて次のようなことを書いた。

「独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。アベノミクスに好意的だったアメリカでさえ、失望と不快感を表明した。しかし、同首相は『話せばわかる』という意味のことを言うだけである。また、『どんな国でも戦没者を尊敬し、礼節を尽くすのは当たり前だ』というのは分かるが、その『戦没者』の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。そんな施設に参拝して“礼節を尽くす”という行為が、海外から見れば戦争と植民地政策を正当化していることになるという簡単な外交的論理が、この首相にはまったく理解できないか、あるいは強引に無視することで国益が増進されるという奇妙な信念をもっているように見える」。

 

靖国神社を「施設」とは何事であらうか。「戦争を起こした」張本人はルーズベルトであり、毛沢東であり、スターリンであり、尾崎秀実であり、ゾルゲである。即ちわが國は旧ソ連とアメリカによって戦争に追い込まれたのである。「植民地政策を遂行した張本人」は西欧列強である。歴史の改竄を止めてもらいたい。「外交的論理」「国益」などといふ精神性の全くない言葉を用いる谷口雅宣はまさに、祖父の教えを踏み躙るばかりか、祖国の裏切者である。

 

生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。生長の家でいふ「國家」すなはち谷口雅春先生の説かれる「國家」とは、単に、「領土・主権・國民を三要素とする統治組織をもつ政治的共同体機構」といふことではない。

 

『久遠天上理想國實現の神示』(昭和七年五月二十七日)には、「實相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となってゐるのである。…久遠皇統連綿と云ふことは偶然になることではない。形の世界が心の世界の影であることが解り、實相世界が久遠常住の世界であると云ふことが判れば久遠皇統連綿と云ふことは實相世界の久遠常住性が最も迷ひの念なしに形に顕れたのが日本國だと云ふことが解るのである。」「…今の世界で實相世界の常住性を形に顕(うつ)し出してゐるのはたゞ日本の國ばかりである。生滅常なき現實世界が変じて久遠實相世界の常住性を顕現するには、常住性ある國がひろがりて常住性なき國を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。十六菊と云ふのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の國ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである。」

 

この『神示』には、日本國は世界の手本となるべき理想國家であり、日本天皇の皇統連綿性が世界の中心たるの御資格・御使命を有したまふと説かれてゐる。ただしそれは「権力國家としての日本」の主権や領土の拡大ではない。理念の日本・實相の日本つまり「久遠天上理想國・日本」の世界的顕現である。天皇を祭祀主とする理想的世界國家の實現である。

 

谷口雅春先生の天皇信仰の特質は、天皇は日本民族・日本國家の祭祀主・統治者であらせられるだけでなく、世界の統合の中心者として、日本天皇を仰ぐところにある。

 

日本天皇は、常に自分を無にして神と合一する行事である祭祀を行はれ、仁慈の大御心で國家・國民の平和と幸福を祈られてゐる。谷口雅春先生はそれを端的に「天皇之大慈悲心是國體」と喝破された。神と合一された天皇は、天津神の地上における顕現即ち現御神であらせられる。世界人類が天皇の神聖なる大御心に帰一し奉る時に世界永久平和が實現する。

 

天皇中心帰一の理想の姿を地上に正しく實現することが、日本建國の大精神であり、生長の家の人類光明化運動の目的なのである。生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。生長の家の教への立教以来の根本である天皇信仰・大日本真理國家論を度外視したら、真の人類光明化運動にはならない。「久遠天上理想國」を地上に持ち来たす運動、天皇國日本の實相を顕現する運動を實践する宗教が生長の家である。

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