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2016年6月30日 (木)

千駄木庵日乗六月三十日

午前十時、病院に赴き、母の退院の手続き。施設の自動車で施設に帰る。しばらく母に付き添う。食事がとれるようになれば良いのだが…。

この後、丸の内の出光美術館で開催中の『美の祝典―江戸絵画の華やぎ』展参観。

再び、施設に赴き、母に付き添う。母は寝ていた。何とか入院前の状態に戻ってくれることを祈る。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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2016年6月29日 (水)

川村純彦氏(川村純彦研究所代表・元海将補)による『どう阻止するか―中国の南シナ海覇権の野望―』と題する講演内容

三月五日に開催された『アジア問題懇話会』における川村純彦氏(川村純彦研究所代表・元海将補)による『どう阻止するか―中国の南シナ海覇権の野望―』と題する講演内容は次の通り。

 

「昭和三十五年に防衛大学を卒業し、対潜哨戒機に乗っていた。ソ連の原子力潜水艦を追いかけて過ごした。ソ連の潜水艦は核ミサイルでアメリカ本土を狙っていた。一九七九年頃、ソ連は北方領土の兵力を増強した。陸上兵力、ミサイル、潜水艦、空母を持ってきた。ロシアは今も最新のミサイル潜水艦をオホーツク海に入れてある。対アメリカ、対中国防衛のためである。ロシアがこの戦略を捨てない限り北方領土返還はない。

 

そのロシアと同じことをやっているのが中国。中國は力の空白を衝いて南シナ海全域に進出。海南島に大きな海軍基地がある。南シナ海を中國のミサイル潜水艦の聖域にしようとしている。二〇一六年二月、西沙諸島に長距離地対空ミサイル及び戦闘機を配備。南沙諸島の四カ所にレーダー施設を建設し地対空ミサイルを配備。他国の軍事力が入って来ないようにしている。アメリカと核抑止力で同等の力を持たねばならないというのが中国の最大の目的。

 

一九九六年、李登輝氏が総統に昇格した。その時、中国は大変な圧力をかけた。台湾の近くにミサイルを撃ち込んだ。選挙妨害が目的。アメリカが空母二隻を出した。中國は信頼できる核抑止力はなかった。中國は何とかして核抑止力を持たねばならないと考えた。中国の国家目標は、超大国としての国際的地位獲得のための確実な核抑止力の獲得、外洋展開のためのアクセス確保、台湾武力統一の際の外国の干渉排除。

 

海南島基地に近い南シナ海に空母を持ってきた。能力的にすぐ叩き潰される空母。日本の職人技術は凄い。空母に使われるエンジン用の物を作る。中國では作れない。船も然り。

 

劉華清(注・中国共産党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを歴任。上将)は第一防衛線の防衛を言った。九州・沖縄・台湾の内側で敵に自由に行動させない線。伊豆・小笠原・グアム・パラオの線が第二列島線。ここに敵を近づかせないようにする。劉華清『インド洋・太平洋でアメリカに対峙できる海軍力を作る』と言った。第一列島線の内側では自由な行動を拒否する。第二列島線は近づくのを拒否する。空母を近づかせてはならないことを学んだ。そして空母を作ろうとしている。

 

第二列島線から近づいてくるアメリカに対抗するために弾道ミサイルを持っている。頭の先にレーダーを持っていなければならない。そういう技術を中國が持っているのか、私は疑問に思っている。アメリカ海軍はこれで近づけない。アメリカは危険にところに虎の子の空母は出せない。第二列島線の外に待っているという考え方に代って来ている。頼りにしていたアメリカの空母が頼りにならないことに愕然とした。

 

中國では兵隊さんが漁業をやっている。漁船の乗員は海上民兵。民兵は二千万人いる。海軍は二百万人いる。定期訓練を受けている。小笠原にサンゴを獲りに来たのは普通の漁民ではない。訓練を受けた組織。小笠原に来たのは第二列島線の日本による警備の状況を見に来た。日本の海上保安庁は大人しいし優しい。中國は強力な放水能力を持っている。機関砲も持っている。体当たり専門。体当たりは武力行使にならない。

 

習近平は二〇一三年に『海洋強国の建設』を主張し、海軍+海警+商船+漁船群(海上民兵)を増強。現状変革のために一つ一つの小さな行為をある戦略目的のために遂行し、その積み重ねにより結果的に地域に大きな変化をもたらす戦術をとっている。

 

一番怖いのはミサイル。日本に届くミサイルは数百発。これに対する防衛が日本はまだできていない。

 

南西諸島の守りは日本が行う。南シナ海は尖閣につながっている。中國への対策は、いざとなれば中国資産の凍結も出来る。TPPも大事。台湾との関係拡大・強化、緊密化。日本と台湾の合同訓練を行う。

 

中国海軍に日本自衛隊が圧倒されることはない。中國の将官は『十五年経ったら追いつく』と言った。日米同盟は潜水艦の能力及び対潜戦能力において圧倒的な対中優位を保持。アメリカがあてにならなくなれば、日本は核武装を考えるべし。潜水艦を潜らせておけば十分な抑止力なる。アジアの平和・安定の鍵は日米同盟。これを分裂させようとしているが中国。

 

ミサイル攻撃にどう対応するのか。イージス艦を八隻にする。パトリオットミサイルは三十六基ある。十八カ所しか守れない。十倍百倍にしなければならない。レーザー光線は安い。ABFという兵器をジャンボ機に乗せて叩き落とす。原価百円しない発電機を回せばいい。日本の技術はアメリカよりも優れている。中國の防衛予算は日本の三倍の十五兆円。日本はGDPの一%にいっていない。上位二十か国の国防費は二・三%。新しい脅威が出て来て防衛予算は倍増しても足らない。中國に対しては力のない交渉はまったく効果なし」。

 

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、諸雑務。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、田久保忠衛氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。色々今日なお話がうかがえた。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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防人の心

 和歌は、天皇と国民をつなぐ大きな絆である。わが国最古にして最大の和歌集である「萬葉集」は、上は天皇から下は一般庶民の歌(遊女の歌もある)まで収録さている。萬葉歌の一首一首にわが国の古代人の信仰・思想・生活感情・美感覚があますところなく表現されている。「萬葉集」は、わが国の伝統精神・日本民族の中核精神を和歌という定型文学で表現した一大アンソロジーであり、わが国の伝統的な民族精神を知る上で、「記紀」と並んで、まことに大切な文献である。「記紀」はわが国民族精神が語られている文献であり、「萬葉集」はわが国民族精神が歌われている文献である。

 

 「萬葉集」巻二十には、九十三首の防人の歌が収められている。防人とは、唐・新羅のわが国への侵攻に備えるために、筑紫・壱岐・対馬に配置された兵士のことで、わが国が百済に送った救援軍が白村江で敗北した翌年の天智天皇二年(西暦六六三)に配置された。諸国の軍団の正丁(せいてい・二十一歳から六十歳の公用に奉仕した男子)のうちから選ばれて三年間の任務についた。天平二年以降は、特に勇壮を以て聞こえた東国(遠江以東の諸国)の兵士が専ら派遣された。大陸及び朝鮮半島との緊張関係は、約千三百年前から今日まで変わらずに続いているということである。

 

 防人の歌は、防人の率直な心境や東国庶民の生活感情を知り得る貴重な歌である。天皇国日本の永遠を願いながら遠く旅立つもののふの決意を表明した歌であり、生きて故郷へ帰ることができない覚悟した者たちの歌である。当時における辺境の地の素朴な歌ではあるが、日本文化・文学の基本である宮廷文化(みやび)への憧れの心があり、君への忠、親への孝、人への恋心が表白されている。

 

 一人一人がそれぞれの立場で個性的表現をしているが、全体として国のため大君のためにわが身を捧げるという共通の決意が歌われている。天皇への無限の尊崇・仰慕の念と敬神の心、そして愛する父母や妻子への思いが生々しい情感として歌われている。

 

 つまり、日本人の最も基本的にして永遠に変わることなき道義精神・倫理観を切々と歌っているのである。東国の庶民は都に生活する貴族などと比較すれば教養や学識においては劣るものがあるかもしれないが、天皇・国家・家族を思う心は純真で深いものがある。東国の庶民である防人の歌には、古代日本の豊かな精神・純粋な感性がある。

 

「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」(防人の任を仰せつかった今日よりは、一切を顧みる事なく、不束ながら大君の尊い御  楯として出発致します、私は、という意)

 

 下野(今日の栃木県)の火長今奉部與曾布(かちょういままつりべのよそふ)の歌。火長とは十人の兵士を統率する長。

 

 もっとも代表的な防人の歌である。「醜」とは醜いという意ではなく、大君に対し奉り自分を謙遜して言った言葉で、「不束ながら」或いは「数ならぬ」という意。葦原醜男神(あしはらのしこおのかみ・大己貴神の別名)の「醜」と同じ用法で、「力の籠った、荒々しい強さを持ったものの意」とする説もある。

 

 「御楯」は楯は矢・矛・槍から身を守る武具であるが、大君及び大君が統治あそばされる日本国土を守る兵士のこと。大君にお仕えする兵士であるから「御」という尊称をつけた。

 

 出征する時の勇壮・凜然とした固い決意を格調高く歌っている。この歌の心は一言で言えば上御一人に対する「捨身無我」である。そうしたきわめて清らかにして篤い尊皇の心がふつふつと伝わってくる。しかも、押し付けがましいところがない、さわやかな堂々たる歌いぶりの重厚な歌、と評価されている。                   

 

「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」(鹿島の社に鎮まります建御雷神に武運長久を祈り続けて天皇の兵士として私は来たのだ、という意)

 

 常陸の國那珂郡の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちぶみ)の歌。「あられ」は鹿島に掛る枕詞。あられが降る音はかしましいので鹿島に掛けた。「鹿島の神」は鹿島神宮に祭られている武神・建御雷神(たけみかづちのかみ・武甕槌神とも書く)の御事。建御雷神は、天孫降臨に先立って出雲に天降られ、大国主命に国譲りを交渉せられた神であらせられる。鹿島神宮の御創祀は、神武天皇御即位の年と伝えられる。「皇御軍」は天皇の兵士という意味。天皇の兵士・皇軍という意識は、近代になってつくり上げられたのではなく、千三百年の昔よりわが日本の庶民に受け継がれてきているのである。

 

 この鹿島神宮は、山崎氏の御祖先が藩士であった初代徳川頼房以来、水戸徳川家が崇敬の誠を捧げていた。今に残る日本三代楼門の一と言われる楼門は寛永十一年に頼房が寄進したものである。幕末の徳川斉昭は、『大日本史』を奉納し、安政四年には、鹿島神宮の御分霊を水戸弘道館に勧請し、鹿島神社を創建した。

 

 日本武士道の淵源は、記紀に記された須佐之男命・神武天皇・日本武尊の御事績にある。この御精神の継承し踏み行ったのが防人たちだったのである。

 

 防人の歌に限らず萬葉歌は、理論・理屈ではなく、日本人の魂に訴える「歌」によって、日本人の中核精神・伝統信仰・倫理観を今日の我々に教えてくれているのである。まことに有難きことと言わねばならない。また、当時は既に聖徳太子の時代の後であるから仏教がわが国に浸透していたはずであるが、「萬葉集」全体、特に防人の歌には、崇仏の歌が全く無い。  

 

 尊皇愛国・国のために身を捧げることが日本人の道義の基本である。「萬葉集」とりわけ防人の歌には、日本民族の道義精神・倫理観の中核たる、「天皇仰慕・忠誠の精神」「神への尊敬の思い」「父母への孝行の心」が素直に純真に高らかに歌われている。現代日本の混迷を打開し、道義の頽廃を清め祓い、祖国を再生せしめる方途は、萬葉の精神への回帰にあると確信する。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『第一〇二回 東京財団フォーラム 安保法制と日米同盟-東アジア地域の安全保障を考える』開催。ブラッド・グロッサーマン(パシフィックフォーラムCSIS理事)、香田洋二(元海上自衛隊自衛艦隊司令官)、朱鋒 (南京大学中国南海研究協同創新センター主任)、泰孝 (成均館大學校政治外交學科敎授)渡部恒雄 (東京財団政策研究ディレクター兼上席研究員)の各氏が討論。質疑応答。

 

午後六時半より、永田町の憲政記念館にて、『第四七回呉竹会アジアフォーラム』開催。渡辺利夫拓殖大学前総長が「憲法改正の志」と題して講演。

 

この後、赤坂にて、友人夫妻と懇談。

 

帰宅後は、明日のインタビューの準備など。

 

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2016年6月28日 (火)

事実上の共産支那の手先=民進党・共産党を勝たせてはならない

 

共産支那は、わが國に対して恫喝を行えば、わが國は震えあがり言うことを聞くと考えている。支那の対日外交はそういう姿勢に貫かれている。日本にとって、共産支那は友好國家ではなく敵性國家である。

 

田中内閣による「日中國交正常化」以来、わが國は共産支那に対して土下座外交・弱腰外交を繰り返し、相手の言いなりになってきた。そして莫大な経済援助・技術援助を行った。その結果が今日の事態なのである。

 

日本の経済技術援助が共産支那を強くした。そして日本の援助によって軍事的・経済的に強くなった支那によって、わが國が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。

 

日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

 

共産支那は、わが国に対して「侵略国家だ」と非難するが、昨日も書いたように、東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である。清帝国は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。

 

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」などである。

 

共産支那は、「改革開放路線」と共に、「富国強兵」路線をとり、軍拡を続けて来た。この名称は明治維新後におけるわが國の国策の猿真似である。(内実は全く違うことは言うまでもないが)

 

なぜ共産支那は、軍拡を行う必要があるのか。「富国」はともかく「強兵」を行う必要があるのか。今日、世界においてもアジアにおいても、支那を武力攻撃しようとしている国などは存在しない。支那の軍拡は、日本及び台湾への侵略を目論んでいるからである。またアジアにおける軍事的覇権確立を目論んでいるからである。「反国家分裂法」の制定はその準備工作であるったのである。

 

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば「台湾を回復する」「解放する」とか言って台湾を、「琉球は古来わが国の領土である」「歴史問題で反省謝罪が足りない日本を懲罰する」とか言ってわが国に対して軍事侵攻を行う危険性がある。

 

一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

 

共産支那は、「大躍進政策」の経済失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほどの軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。

 

これに対し、わが国は戦後ただの一回も対外戦争を行っていない。世界中で日本ほどの平和国家はないし自由民主国家もない。過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那に、わが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。わが国国民はこの事を先ずもって認識しなければならない。

 

日本などの支那周辺諸国にとって、中華帝国主義は最大の脅威である。支那は絶対に自分の非をみとめない国家であり民族であることは、これまでの共産支那政府の日本に対する態度を見れば明白である。

 

共産支那は、日本の経済援助によって国家が強大化するにつれて「中華思想」を再現させた。共産支那の「四つの現代化」のスローガンは、「建設四化・振興中華」であった。この「四つの現代化」とやらに全面的に協力したのが日本である。その結果、日本は共産支那の中華帝国主義の圧迫と脅威にさらされているのである。

 

「中華思想」とは、漢民族が世界の中心であり、他はみな野蛮人であるというとてつもない差別思想・侵略思想である。秦の始皇帝が大陸を統一して以来、絶大な権力を持った皇帝が大陸を支配してきただけでなく、周辺諸国に対しても、四千年にわたって冊封体制(さくほう)を以て律してきた。共産支那は「振興中華」を叫ぶのは、こうした差別思想・侵略思想の復活を目指しているのである。

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

 

中華帝国主義の「帝国」という意味は、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族多国家を傘下に収め、管理体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

 

かつてオーストラリアを訪れた共産支那の李鵬首相(当時)は、「日本などという國は二〇一五年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と述べた。幸いこの予言は的中しなかった。しかし、共産支那が我が国の滅亡を望んでいることは間違いない。

わが国民の誤れる贖罪意識を利用した機会あるごとにわが国を打ちのめし、謝罪させ、金や術を強奪してきたのが教唆支那である。

今日の日本の野党及び偏向メディアは、『現行占領憲法』及び『自虐史観』に汚染されている。そして事実上、共産支那のアジアおよび日本侵略の手先になっている。岡田克也民進党代表はその典型だ。今度の参院選で、民進党・共産党を勝たせてはならない。

 

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、病院に赴き、母に付き添う。医師及びケアマネージャー・看護師の方々と、母の病状そして今後のことについて相談。

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆。

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2016年6月27日 (月)

支那の手先となってわが國の国防体制の強化充実に反対する民進党・共産党などの亡国政党を叩き潰せ!!

 

共産支那は建国以来、外敵を作り出すことによって、国家の統一を図り、民衆の不満を押さえ込んできた。冷戦時代は、アメリカ帝国主義・ソ連修正主義であった。今日は、日本である。

 

「反日」が今日の共産支那の国是である。というよりも、「反日」を高揚することによってしか、国家の安定と統一を図ることができないのである。

 

共産支那における八〇年代の改革・開放路線は、わが国からの経済援助や投資によって推進された。その頃は、「過去の歴史問題」を持ち出してわが国を非難攻撃しなかった。しかるに「天安門事件」によって支那民衆の共産主義に対する幻想が崩壊し、共産党政権の虚像が崩れ、共産党一党独裁体制が危機に瀕するようになると、共産党の威信を保つために支那共産政権は国民の不満を外に向けさせるようになり、日本をその標的にしたのである。

 

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある。共産支那もアメリカもこれを着実に実行している。しかし、わが国は戦争直後日本を弱体化する目的で押し付けられた「現行占領憲法」に束縛されている。そしてわが国内の反日・親支那勢力=民進党・共産党・朝日新聞などの偏向メディアは「新安保法制・、集団的自衛権容認」に狂気の如く反対している。彼らは完全に共産支那の手先である。

 

共産支那という國は、明確な國家目標・國家戦略を持ち、そのために國力のすべてを投入することができる國である。つまり、今日のわが國とは正反対の國なのである。

 

共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印に「富國強兵」策を通じて、アジアでの覇権確立を狙って蠢いてきた。核開発は建国以来行っている。海洋進出は四十年前から始まっている。共産支那は、沖縄トラフ(海溝)まで自國の排他的経済水域と主張し、台湾併合を通じて東シナ海を内海化しようとしている。

 

アジアにおける覇権確立とわが國の属國化を目論む共産支那を封じ込めるために、わが國はアメリカ・東南アジア諸国との協力を一層強化すべきである。

 

共産支那の侵略策謀と外交的恫喝に打ち勝つには、先ず以って過去の歴史問題に対する正しい認識を日本国民一人一人が確立することである。つまり、わが国近代史は決してアジア侵略の歴史ではなかったという歴史の真実、そして共産支那こそアジアにおける最大最悪の侵略国家であるという認識を、国民一人一人が共有することである。さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、自国の安全と生存を保持しようと決意した」という夢物語・危険極まりない幻想に貫かれている「現行占領憲法」を否定しなければならない。『現行占領憲法』下の「立憲主義」は亡国思想である。

 

支那の國家目標達成のために一番邪魔存在がわが日本なのである。日本は、支那の属國になるか、支那を押さえこむか、二つの道しかない。しかし、共産支那・中華帝國主義を押さえこむ力が日本にあるのか。甚だ心許無い。まずもって、わが國は國防体制をより一層強化しなければならない。

 

その意味に於いて、支那の手先となってわが國の国防体制の強化充実に反対する民進党・共産党・社民党という亡国政党ら叩き潰さねばならない。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、諸雑務。

午後一時より、春日の文京シビックセンターにて、『「第六十三回 日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。国民儀礼。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「参院選と日本共産党を考える」と題して講演。質疑応答。

この後、病院に赴き、母に付き添う。看護師と相談。

帰宅後は、原稿執筆、資料の整理。

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「日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ」のお知らせ

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日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ

  ~国体政治研究会 特別研究会~

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関係各位

時下益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて、このたび、「日本の名誉と国益を守る緊急提言の集ひ」と題する研究集会を下記次第により開催いたします。

祖国日本が直面し、早急の対応を迫られてゐる内外の難題について各界の有志・識者が緊急提言と決意表明を行ふところの、この集会が国民覚醒の新たな端緒となることを願つてやみません。

趣意ご賢察の上、皆さまの積極的なご参加と、本案内拡散へのご協力をよろしくお願ひ申し上げます。

 国体政治研究会 特別研究会世話人

  相澤宏明(日本国体学会理事)

  四宮正貴(四宮政治文化研究所代表)

  中村信一郎(国体政治研究会代表幹事)

【日時】

 7月8日(金)18時半開場、19時開会、20時半閉会

【会場】

 全国町村会館(2階)ホールB

  東京都千代田区永田町一丁目11-35

  電話03-3581-0471

  地下鉄有楽町線永田町駅3番出口から徒歩1分

【登壇者】(順不同。敬称略)

 加瀬英明(外交評論家)

 宮崎正弘(評論家)

 西村眞悟(前衆議院議員)

 鈴木信行(維新政党新風代表)

 なほ、数名の方から力強いメッセージが寄せられます

【参加費】

 一千円

【参加申込み及び問合せ先】

 相澤宏明

  090-7202-0139    ahisaha@nifty.com

 中村信一郎

  090-4815-8217    caq97080@pop11.odn.ne.jp

  郵送 〒152-0003 東京都目黒区碑文谷四丁目16-7-202

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2016年6月26日 (日)

「第六十三回日本の心を學ぶ會」のお知らせ

第六十三回日本の心を學ぶ會

 

テーマ 参院選と日本共産党を考える

 

参院選が近づいてきました。安倍総理は憲法改正を争点とすることを明言しており、逆に野党は護憲の主張のもとに野党共闘を成立させて対決姿勢を強めております。今回の野党共闘を主導したのは日本共産党です。

 

共産党は全国三十二の参院選一人区で野党の選挙協力を成立させ、さらに安保法制の廃止を目的とした連立政権である「国民連合政府」を提唱しており、「野党の盟主」となったかのようにふるまっています。しかしながら日本共産党は、いわゆる「普通の野党」ではありません。

 

旧ソ連による世界共産化の謀略組織であったコミンテルン日本支部として成立したこの政党は現在でも暴力革命の路線を捨ててはおりません。「綱領」の中では革命のプロセスとして「民主主義革命」によって「民主連合政府」つくり、そののちに共産革命に移行する「二段階革命」を唱えており「さしあたって一致できる目標範囲で統一戦線を形成する」とされております。つまり、今回の参院選での安保法制廃止と野党共闘こそが「さしあたって一致できる統一戦線」であり、「国民連合政府」は共産革命の前段として綱領のなかであげられている「民主連合政府」なのです。

 

大衆闘争と党建設が「二本足の党活動」よばれる党活動の基本方針のなかで選挙活動以前から重要視されていたことからも、この政党が単なる議会主義政党ではないことは明らかです。

 

反原発や反安保法制、反ヘイトスピーチ運動に共産党の関与があったのもこれらの大衆闘争を通じて党勢拡大を目指す意図があると思われます。

 

参院選直前となる今回の勉強会では日本共産党の「革命政党」としての本質と危険性について学んでみたいと思います。

 

(今回の勉強会は開始時刻が異なります。お間違えないようお願いします)

 

【日 時】平成二八年六月二六日(日)一三時〇〇分より

 

【場 所】文京シビックセンター 四階会議室A

東京都文京区春日一-一六-二一 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分 都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分

 

【講 演】

「国体破壊・自由圧殺の政党=日本共産党の歴史と実態」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円 終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 〇九〇―八七七〇―七三九五

 

このお知らせは主催者が作成しました。

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 明治維新と徳川慶喜

 徳川第十五代将軍・徳川慶喜は天保八年(一八三七)九月二十九日、水戸藩九代目藩主・徳川斉昭の七男として、江戸小石川の水戸藩邸に生まれた。母は有栖川宮織仁親王の王女、登美宮吉子女王である。水戸藩は、二代藩主・光圀以来、国史の振興につとめ、尊皇精神をその伝統として来た。とりわけ光圀は、三十五万石の所領のうち、八万石を国史振興即ち『大日本史』編纂の費用に充てたといわれる。

 

 しかし、徳川慶喜は徳川幕府打倒の武力戦であった戊辰戦争において、賊軍の総大将の汚名を蒙った。しかし慶喜は決して天皇に背くつもりもなかったし、背いたわけでもなかった。慶喜の父・徳川斉昭は、井伊直弼が勅許を得ずして開国した非を糾弾したことにより、「安政の大獄」において蟄居させられた。また、斉昭が藩主になった当時の水戸藩には、藤田幽谷・藤田東湖・会沢正志斎など天下に鳴り響く尊皇攘夷の学者がいた。長州の吉田松蔭もはるか水戸にまで来て教えを乞うたほどである。

 

 さらに、勅許を得ずして屈辱的な開国を行うという暴挙を行い、それに抗議した多くの志士たちを弾圧した井伊直弼を、桜田門外において討ち取ったのは、徳川斉昭を慕う水戸脱藩浪士たちであった。これが、幕末期の尊皇攘夷運動の発火点となったのである。その徳川斉昭の実子たる慶喜が、天皇に背くなどということはあり得ないことであった。

 

 徳川慶喜は、慶應二年(一八六六)十二月五日、征夷大将軍・内大臣に補任された。時に三十歳であった。ところが、攘夷の意志は極めて強く持っておられたけれども、「公武一和・公武合体」即ち「徳川幕府を存続させた上で、公家と武家とが協力して国難に当たるべし」と思し召されていた孝明天皇が、同年十二月二十五日に、御年・三十六歳で崩御された。そして、翌慶應三年(一八六七)睦仁親王(明治天皇)が御年十六歳で践祚された。これにより、朝廷内に徳川幕府を打倒して国難を打開せんとする勢力即ち倒幕派が勢力を強めた。

 

 こうした状況下にあって、徳川慶喜は、倒幕勢力の力を弱めるために、政体の根本的改革を断行しなければならないと痛感した。それが「大政奉還」である。この「大政奉還」は、土佐藩主・山内容堂(豊信)の建白によるものである。そしてその建白書は、この年の六月に長崎から京都へ向かう航海の途中、坂本龍馬が後藤象二郎(二人とも土佐藩士)に授けた有名な『船中八策』(新政府綱領八策)を手直ししたものである。

 

 その内容は、「一、天下の大政を議する全権は朝廷にあり。乃我皇国の制度法則、一切万機、必ず京都の議政所より出づべし。一、議政所上下を分ち、議事官は上公卿より下陪臣・庶民に至る迄、正明純良の士を撰挙すべし」などと書かれてあった。

 

そして、征夷大将軍が自発的に政権を朝廷に奉還し、徳川将軍は諸侯と同列に下り、合議を尽くすため新設する列藩会議の議長を慶喜が務める、というものであった。土佐藩としては、徳川家の政権参与の維持を図っている幕府側と倒幕を目指す薩摩・長州との妥協を計ったのである。

 

 そして、同年、十月十三日、京都にいた五十四藩の重臣を京都二条城に召集し、意見を聞いた上で、同十四日「大政奉還」の上書を奉呈し、翌十五日勅許された。慶喜は将軍職辞職も願い出たが、これは許されなかった。 

 

 徳川一族の者としてそして徳川将軍家を相続した者として徳川慶喜に徳川家の国政参与を何とか存続せしめようとする意志があったことは確かである。しかし、彼が皇室・天皇を蔑ろにする意志は毛頭無かったこともまた確かである。

 

 「大政奉還」は、明治維新断行後の政体変革とは比較にならない不徹底なものであるが、それでも、「天下の大政を議する全権は朝廷にあり」と書かれてあるように、天皇中心帰一の我が国の本来的な國體を明確にしている。また、議会政治形態を志向している。この二点において、徳川幕藩体制の根本的変革であったことは間違いない。    

 

 ただ、今すぐ大政を朝廷に奉還するとは言っても、朝廷側にはこれを受け入れる態勢はなかった。慶應三年十一月十七日の朝廷より征夷大将軍及び諸侯に対して下された大政改革の諮問に「政権の儀、武家へ御委任以来数百年。朝廷に於て廃絶の旧典、即今行き届かせられ難き儀は十目の視る所に候。…」と書かれてある通りである。これがまた慶喜の狙い目だったという説もある。たとえ徳川氏が朝廷に「大政奉還」をしても、朝廷には実際の政治を司る能力がないのだから、自然に徳川将軍家・幕府が政治権力行使を継続する以外にないと踏んでいたという説である。実際に徳川慶喜は、側近の西周などに「大政奉還」後の具体的な政権構想を立てさせていたという。あるいはそうかも知れない。

 

 しかし、事態は徳川将軍家にとってそう甘いものではなかった。薩摩・長州そして岩倉具視等倒幕派の公家たちは、「何としても徳川幕藩体制を打倒せずんば非ず」という強固な意志を持っていた。   

 

 徳川慶喜が「大政奉還」の上書を朝廷に提出したその日(慶應三年十月十四日)に、倒幕の密勅が下されていた。この「密勅」は、「大政奉還」によって決行の名分が失われたが、薩長両藩は藩兵を京都に上らせた。

 

また、十一月十五日、坂本龍馬・中岡慎太郎が京都近江屋で刺客に襲われ、暗殺された。暗殺したのは、最近まで幕府方の見廻り組・佐々木只三郎だとされていたが、最近薩摩による暗殺という説もある。坂本龍馬は「大政奉還」の下敷きとなった「船中八策」を起草した人物であり、かつ、徳川慶喜を尊敬し、さらに徳川氏を討伐するという意見には組みしていなかった。そこで坂本が邪魔な存在となった薩摩藩が彼を暗殺したというのである。

 

 一方、大阪・京都に駐屯する徳川幕府方兵力は一万を超している。そして、倒幕を目指して色々と運動していた薩・長・土・芸諸藩は「何としても徳川幕府を討たずんば非ず」という強固な意志を持っていた。まさに我が日本は内戦開始直前の状況となったのである。

 

 そして、慶應三年十二月八日、薩摩・広島・尾張・越前の諸藩の兵が突然御所の宮門を固め、岩倉具志が衣冠束帯に威儀を正して参内し、明治天皇に聖断あらせられた「王政復古」の大号令を発せられたき旨を奏上した。

 

 その「王政復古」の大号令といわれる「王政復古御沙汰書」には、「徳川内府従前御委任大政返上、将軍職辞退の両条、今般断然、聞こし召され候……王政復古、国威挽回の御基立ち為され度く候間、自今摂関・幕府等廃絶、……諸事神武創業の始に原(もと)づき、…至当の公議を竭(つく)し、……」「近年物価格別騰貴、如何ともすべからざる勢、富者は益(ますます)富を累(かさ)ね、貧者は益窘急(差し迫った状態になること)に至り候趣、畢竟(つまるところ)政令正からざるより致す所、民は王者の大宝、百事御一新の折柄、旁(かたがた)宸衷(天皇の御心)を悩ませられ候。……」と示されている。

 

 徳川幕藩体制を廃絶し、神武天皇以来の国家御統治の真姿を回復し、さらに公議を尽くして国政を運営すべきであると示されているのである。これは神武天皇建国の理想に立ち返ることによって国難を打開し国政を刷新するということである。復古即革新即ち維新である。また、国民を宝と思し召され民の苦しみを救いたいという日本天皇の大御心にそった政治を行うべしと宣言されている。ここに明治維新の基本精神が示されている。限り無く民を慈しむ御精神が天皇統治の基本である。

 

 またこの「王政復古御沙汰書」には、「百事御一新」という言葉がある。徳川幕藩体制を打倒し、国政を根本的に改革することを目指したからこのような言葉が使われたのである。明治維新は文字通り「世直し」だったのである。

 

 徳川慶喜は、徳川宗家を継承した人として、徳川家による政治参与の体制を守ろうとした。水戸学の尊皇攘夷の精神を旨としている慶喜ではあったが、そこに限界があったのである。徳川慶喜の尊皇精神は篤いものであったが、時代変革の流れ、言い換えれば維新即ち復古即革新断行の動きに抗したことが、慶喜の立場を悲劇的なものとしたのである。

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、母に付き添う。看護師さんと共に食事の介助。

帰宅後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

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2016年6月25日 (土)

谷口雅宣・生長の家は谷口雅春師の根本思想たる「天皇国日本実相顕現」を踏み躙った

谷口雅宣を総裁をしている生長の家は「今夏参議院選挙に対する生長の家の方針」として「与党とその候補者を支持しない」と宣言した、ということは「野党」を支持するということだ。國體破壊政党=日本共産党を支持するということだ。谷口雅宣・生長の家は谷口雅春師の根本思想たる「天皇国日本實相顕現」を踏み躙ったのである。

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古代民族信仰が今日ただ今も脈々と生き続けてゐるのは日本のみ

 天皇が天下を統治される聖なる所を「都」といふ。天皇は祭祀主として神を祭り、國民の幸福・國家の平安・五穀の豊饒を祈られた。それを「まつりごと」といふ。そして、政治と祭祀は一体であった。天皇の祭祀が行われる宮のあるところであるから、「みやこ」といふ。

 

 天武天皇の御代までは「一代一宮の遷宮」といって、御代替りごとに皇居も新しく造営された。新たなる祭り主たる天皇が御即位になったら、宮も作り替えなければならなかった。新しき宮に新しき神霊が天降ると信じたからである。

 

 このしきたりは、伊勢の神宮の式年遷宮に受け継がれてゐる。日本の伝統信仰・民族信仰の中心神殿たる伊勢の神宮は、二十年毎に式年遷宮が行はれ、神殿を新しく作り替え、御装束・神宝が新調される。式年遷宮を大神嘗祭と申し上げる。神嘗祭とは、その年にできたお米を伊勢の大神にお供へする行事である。新しい宮を造ることによって、祭られてゐる神の威力が更新し増大すると信じられてゐる。

 

 神宮は決して過去の遺物として今日残ってゐるのではない。わが國の古代民族信仰は今日ただ今も脈々と生き続けてゐる。他の國の古代民族信仰は、キリスト教や回教に滅ぼされて、神殿は過去の遺物となってゐるが、日本伝統信仰は、今日ただ今も日本人の生活の中に生きており、全國各地でお祭りが行はれてゐる。最新の技術を用いた建物などを建設する時も、地鎮祭や上棟祭が行われる。國家の君主が神話時代以来の伝統信仰のまつりごとを行はれるといふのもわが日本だけである。

 

 アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓をする。イギリス國王はキリスト教會で即位式を行ふ。しかしそれらは民族信仰・古代からの伝統信仰に基づく行事ではない。

 

日本天皇は、御自身が古代以来の日本伝統信仰・民族宗教の祭り主であらせられ、しかも事実上の國家元首であらせられる。このやうに國はわが國だけであらう。だからこそわが國の國體を萬邦無比と言ふのである。

 

 天武天皇の御代になると、國家の運営や外國との関係、宮殿の規模や官僚機構の肥大化などにより、「一代一宮」の制度は、事実上困難になった。また大化改新の後、唐の政治法律制度を見習ったので、唐の都を模した都を建設することとなった。そして、天武天皇は、都を御一代毎に遷都するのではなく、恒常的な新京造営を計画された。持統天皇はその御遺志を継がれて藤原京を御造営あそばされた。藤原京の造営によって「一代一宮制」は廃止になった。

 

 藤原遷都は、持統天皇八年(六九四)十二月である。藤原京は奈良県橿原市高殿町一帯を中心として九百二十メートル四方。東西二・一キロメートル。南北三・一キロメートル。中央に内裏がある。大内裏・朝堂院・大極殿を中心に中央政府の官庁が造られた。そして官僚の家族の住む家ができ、一万人位の官僚およびその家族が住んでゐた。その周りに一般の人々が住む家ができた。藤原京は、元明天皇の御代の和銅三年(七一〇)に奈良に遷都されるまで十六年間続いた。

 

 藤原京跡地には大極殿跡が残ってゐる。そこに立つと今でも萬葉時代と同じ眺めすなわち大和三山と吉野の山々を眺めることができる。

 

 持統天皇は、藤原京において、

 

春過ぎて 夏來たるらし 白たへの 衣(ころも) ほしたり 天の香具山

 

といふ御歌を詠まれた。 

 

 神武天皇が日向から東に歩を進められて、大和橿原の地に都を開かれたのは、海路の神であられる鹽土老翁(しほつちのをぢ、別名・住吉大神) の「東に美(うま)き地(くに)あり、青き山四方にめぐれり。……蓋し六合(くに)の中心(もなか) か。……都つくるべし」といふ御託宣に基づくのである。日本國の中心地にして四方山に囲まれてゐることが皇都の大原則であった。

 

 藤原京はその原則・御託宣にかなった地である。長歌に歌はれてゐる通り、四方の山々すなわち北側の耳成山、東側の天香具山、西側の畝傍山、遥か南の吉野山は、すべて神聖にして美しい神奈備山(神のゐます美しい山)である。東西南北を神聖なる山で囲まれることによって、藤原京はそれらの神奈備山の神々によって護られるといふことである。日の神の御子である天皇がまつりごとをされる宮殿は、神聖な山に囲まれて、東から昇る太陽が西に沈むその中心地にある。

 

 大和國の別名を大倭日高見國(おほやまとひだかみのくに)といふ。太陽が天空高く見える國といふ意である。神武天皇は日向國(日に向かふ國)からどんどん太陽に向かって東へ東へと進まれて日本國の中心であり四方を山に囲まれた大和に来られ、都を開かれた。そこで日の神であられ皇室の御祖先神であらせられる天照大神を祭られたのである。

 

 持統天皇は、このやうな歴史と伝統に基づいて、天皇を中心とする神の國であるわが國の都として藤原京を造営されたのである。

 

 天智天皇・天武天皇・持統天皇の御代は、「天皇を中心とする神の國」たるわが國肇國以来の國體が正しく國家体制として顕現した時代である。『古事記』『日本書紀』の編纂もこの時代であり、大嘗祭が初めて行はれたのも、伊勢の神宮の式年遷宮が初めて行はれたのも、「大宝律令」が制定されたのも、この時代である。また、古代日本人の思想・信仰・美的感覚が最も大らかに直截的に表白された初期の萬葉歌はこの時代に詠まれた。つまり、天智天皇から持統天皇の御代はわが國にとってきはめて重要な時代であったといへるのである。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

病院に赴き、母に付き添う。入院当初よりいくらか快方に向かっているようである。

午後六時半より、カルカディア市ヶ谷にて、『三島由紀夫研究会公開講座』開催。玉川博己代表幹事が挨拶。王明理さん(詩人、台湾独立建国聯盟日本本部委員長)が「台湾の新しい出発と日台関係」と題して講演。質疑応答。大変興味深い講演であった。後日報告します。

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講演する王明理さん

帰宅後は、資料の整理など。

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2016年6月24日 (金)

民進・共産両党に勝たせてはならない

日本共産党は暴力革命闘争を展開しロシア・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略に加担した政党である。

 

日本共産党の志位委員長は、「野党共闘を成功させ、選挙に勝ち、安倍政権を打倒し、立憲主義、民主主義、平和主義が貫かれる政治、個人の尊厳を守り大切にする新しい日本を作ろう」と「正義の味方面」をして叫んでゐる。

 

日本共産党は、「現行占領憲法制定議會」で、「制定」に反対した唯一の政党であった。日本共産党と出自を同じくするソ連・共産支那・北朝鮮といふ共産主義國家は民主政治と自由を否定し抑圧してきた独裁専制國家であり、他國への侵略と軍事的圧迫を繰り返してゐる國家である。日本共産党も内部粛清を繰り返し暴力革命闘争を展開した。日本共産党及び共産主義勢力には、立憲主義、民主主義、平和主義を主張する資格はない。

 

オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇。イギリスの劇作家・小説家。世紀末文学の代表的作家で、芸術至上主義者。代表作に戯曲『サロメ』がある)に、「もっとも害を与へる人は、もっとも善いことをしようと努めてゐる人だ」といふ言葉がある。「自分の行ってゐることが正義だ」と信じ込み行動する組織や個人が、殺戮を行ひ、世の中を暗黒にし、独裁政治を生み、國民から自由と繁栄を奪ふといふ意味であらう。

 

自由で幸福な世の中とは、ある特定の人や政治集団が唱へる「正義」を絶対のものとして民衆に押しつける世の中ではない。独裁者は必ず「正義」を旗印として独裁政権を手に入れる。レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、カストロ、金日成・金正日・金正恩は、虚構の「正義」を振りかざして多くの人々をそれこそ「無慈悲に」殺戮してきた。

 

真に正義を尊重し正義の實現を目指す人は、そしてそれが権力を持つ人であればなほさら、自由で柔軟で大らかな精神を持ってゐなければならない。正義や人間の幸福は法律や権力のみによって實現されるものではない。法律や権力のみによって實現された正義の世の中とはロボットが動く世の中と同じである。

 

「正義」の呪文を唱へながら、自由を否定する狂気は暗黒と専制の世の中をもたらす。それが一七八九年革命直後のロベスピエール独裁下のフランスであり、革命後の旧ソ連であり、共産支那であり、北朝鮮である。旧ソ連の独裁者・スターリンは、「革命の同志」であったブハーリン、トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフなどの政敵を抹殺した。實際に銃殺したり、刺客を送って殺害したのである。毛沢東は、「革命の同志」であった劉少奇・彭徳懐・賀龍などをなぶり殺しにした。今日の共産支那の独裁者・習近平も「汚職撲滅」と言ふ「正義」を主張しながら、政敵を監獄にぶち込んでゐる。

 

日本共産党もさうした体質は同じである。戦後の日本共産党を主導してきた最高幹部は、徳田球一・野坂参三・志賀義雄・宮本顕治・伊藤律・袴田里見らであった。そして戦後共産党の歴史は、かうした人々による権力闘争・除名・追放・抹殺の歴史であった。

 

宮本顕治は、戦前戦中戦後を通じて日本共産党の最高指導部に位置し党書記長・幹部會委員長などを歴任した人物だが、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやった「リンチ共産党事件」の主犯として懲役刑に処せられた。さらに宮本顕治は「リンチ共産党事件」の共犯であり長年の同志であった袴田里見を自分に背き「リンチ事件」の真相を明らかにしたことで党から追い出した。

 

野坂参三は、宮本と同じく戦前戦中戦後を通じて日本共産党の最高指導部に位置し、これまた党第一書記・中央委員會議長などをつとめた人物だが、スターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志・山本懸蔵をソ連の秘密警察に売り渡し、死地に追いやったとして、齢百二歳にして日本共産党を除名された。さらに野坂参三は徳田球一の後継者と言はれた同志・伊藤律を共産支那の監獄にぶち込んで自分の権力維持を達成した。

 

かういふ人物二人を長年党首と仰いできた政党が日本共産党である。党内闘争と粛清を繰り返してきた日本共産党は、ソ連共産党・中國共産党・朝鮮労働党と同体質・同根なのである。

 

大正十一年の日本共産党結成に中央委員として参画した鍋山貞親氏は、「マルクス・レーニン主義は人間の心―意識を、単なる外界の反映としか見ない。…マルクス・レーニン主義における人間は、外的条件の被造物でしかないのである。…主体的な人間の否定である。そこから出てくる考えは、人間共通の道徳を否定することである。人間など、それ自体として、尊重する価値をもっていない。外的条件の、単なる被造物にすぎぬ人間を貴重なものと見ること自体が、おかしいというわけである」「昨日までの同志を、冷ややかに、しかも凄惨な手段で殺すのは尋常一様の心情ではない。…その境地にまで、人間の心を追いつめるものは、…最高唯一、絶対とする理念に対しての狂信以外にないのである。物事を絶対的にではなく、相対的に考える心情ならば、人間としてただちに相手の命を奪う極端にまで突き進み得るはずがない」(『共産党をたたく十二章』)と論じてゐる。

 

共産主義の根本的欠陥は、人間の生命の尊厳、精神の自由を否定し無視するところにある。しかも、それが突き進むと「絶対とする理念」のために裏切り者を殺すだけではなく、自分の権力の維持拡大のために対立者を殺すことになる。それがスターリンの粛清であり、毛沢東の文革であり、習近平の政敵排除であり、金正恩の張成沢銃殺であり、わが國においては野坂参三や宮本顕治あるいは連合赤軍などによるリンチ・粛清である。

 

日本共産党は昭和二十五年の「コミンフォルム批判」・朝鮮戦争勃発以後、凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産支那の指令に基づいて暴力革命路線を突っ走った。これは日本に駐留してゐた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓國侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするために後方撹乱の役割を果たしたのである。

 

日本共産党は朝鮮総連と共に、日本國内各地で武力闘争・暴力革命闘争いはゆる火炎ビン闘争を展開した。共産党員の多くは「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。そして、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件・白鳥警部射殺事件・大須騒擾事件などを引き起こすなどの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起した。日本共産党に平和や民主主義を語る資格は毛筋の横幅ほども無い。かかる政党と共闘して参院選で戦ってゐるのが民進党である。民進・共産両党に勝たせてはならない。

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、病院の赴き、母に付き添う。看護師と共に夕食の介助。嚥下能力が回復することを切に祈る。

帰宅後は、資料の整理・原稿執筆。

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2016年6月22日 (水)

オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十三号のお知らせ

オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十三号(六月下旬刊) 

たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)

 

特集 宗教は現代の危機を克服できるか―神と仏と現代日本―

 

巻頭言 日本伝統信仰と一神教について         四宮正貴                

 

◎インタビュー

イスラム教徒がアラーの神のために戦って死んだら、行けると信じている「天國」が日本にはあるのです             曽野綾子                          

宗教と政治の絡みがない日本は、外交でもっと世界平和に貢献すべき

です                     ケント・ギルバート

ダライ・ラマ法王の願い――それは中國との対話による問題解決とチベットの「真の自治」の實現である      ペマ・ギャルポ                   

 

◎佐藤優の視点

キリスト教の土着化について、八木橋康弘牧師の意欲的な研究について                         佐藤 優

今甦る、アメリカインディアン酋長、「予言の書」の精神         西村眞悟

 

(聞き書き)万物に「いのち」あり。神仏を一体に捉える日本人の生命観  薗田 稔

人類の権力構造そのものの転換が、心の平和を得るための方策      原口一博

テロと文明の衝突               ヴルピッタ・ロマノ

神と仏と現代日本~現代の危機と日本の宗教              田中英道

よみがえる精霊信仰―縄文の血脈から探る神道の未来像         戸矢 学

宮沢賢治の心に学び、日蓮上人を讃仰し奉る              竹内泰存

「世界神道」の構想――諸宗教融和のために              中島英照

万教和解・國家鎮護・浪費的科学文明是正が肝要            原 嘉陽

宗教原理主義・オウム真理教から中東のテロリズムまで         三浦小太郎

血盟団事件と昭和維新                        岡村 青

 

◎提言・直言

宗教への向き合い方                         松木謙公

日本人の根底には、何よりも「自然への畏敬」がある          長尾 敬

日本の懐の深さが、世界平和に導く一助となるだろう          大西宏幸

宗教は社會の変容に対応する                     松崎哲久

今上天皇陛下のお言葉から学ぶ立憲主義へのメッセージ         岡島一正

 

◎シリーズ・連載

世俗の一神教國家と聖性をつなぐ多神教國家――エマニュエル・トッドの憂い 木村三浩

「やまと歌の心」                  千駄木庵主人                        

石垣島便り 「スマホ」持たざれば、人にあらず?           中尾秀一

第二十二回 我が体験的維新運動史 盟友・大野康孝君帰幽す 最愛最高の同士・大野康孝宮司との暫しの別れ、「さらばです」              犬塚博英

 

六月下旬発売予定です。

 

 定価 本體価格1000円+税。 168頁

〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

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三輪山信仰について

 三輪山は奈良県桜井市にある。大和盆地の東南にある山。麓に古道・山辺の道が通ってゐる。海抜四六七㍍。周囲十六㎞。紡錘形の美しい山。麓に大物主神を祭る日本最古といはれる大神(おほみわ)神社が鎮座する。この神社の御神体が三輪山である。したがって大神神社には神殿は無い。大物主神は三輪山の御神霊である。大物主命は出雲に祭られてゐる大國主命の和魂であり別名とされてゐる。大國主命は皇孫命が大和に都を遷されることを知り、御自らの和魂を大物主と名前を変えて大和の神奈備(注地域社会・共同体ごとに信仰の対象になる神の山)である三輪山に鎮まられたとされる。

 

 三輪山には次のやうな古来からの伝承がある。崇神天皇の御代に悪疫が流行した時、大物主神が、倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト・孝霊天皇皇女)に神憑りし、また、崇神天皇の夢枕にあらはれ、「意富多多泥古命(大田田根子命とも書く・オホタタネコノミコト)に私を祭らせなさい」といはれたので、天皇がそれを実行されると悪疫はなくなったといふ神話である。

 

 また、意富多多泥古命の三代の祖の活玉依姫(イクタマヨリヒメ)が、男性が通って来た様子もないのに妊娠した。両親が「どうして子供を身ごもったのか」と聞いたところ、夜、夢の中に眉目秀麗な若者が訪ねて来ると答へた。そこで両親はその男の身許を知るために男の衣服の裾に麻糸を通した針を付けさせた。朝になってその親子が男が帰って行った跡を、糸でたどって追って行くと三輪山に着いた。そこでその男は三輪山の神であることが分かった。 

               

 御神体になってゐる山には必ず磐座(イハクラ)がある。京都の岩倉にも磐座があり神社がある。巨石信仰は世界共通である。巨石信仰を英語ではストーンサークルといふ。大きな石を幾つか置いてそこに神が降って来るといふ信仰である。

 

 三輪山には頂上・中腹・三号目の三ヵ所に石群が山を取り巻く輪になってるゐる磐座がある。だから三輪山と名付けられたといふ説もある。

 

 三輪山はわが國の原始信仰が今日において生きてゐる山である。わが國には地域社會・共同体ごとに信仰の対象になる神の山があった。これを神奈備(かむなび)信仰といふ。そして神奈備山には磐座といはれる巨石がある。特に大和盆地の東南に美しい形で横たはってゐる三輪山を大和地方の人々はの姿を毎日仰ぎながら生活して来た、そして、神奈備とし古くから崇めて来た。

                            

 わが國には三輪山信仰などの太古からの信仰が今日唯今も生きてゐる。それも現代生活と隔絶した地域で生きてゐるのではなく、今日唯今の生活の中に生きてる。これが日本伝統信仰のすばらしさである。世界でも類ひ稀なことである。

 

 三輪山が大和地方の神奈備であるといふことは、三輪山はその地に都を置いてゐた大和朝廷の権威の象徴でもあったわけである。だから、敏達天皇の御代に、蝦夷の反乱を討伐して蝦夷の酋長を大和に連れて来た時、泊瀬川(はつせがわ)で体を清めさせて、三輪山の神の御前で大和朝廷への服従を誓はせたといふ。

 

 なぜ三輪山が大和の神奈備になったのかといふと、山の姿そのものが美しかったことにもよるが、それと共に大和盆地の東南に位置する三輪山の方角から太陽が昇って来たからである。そして大和盆地の上を太陽が渡って二上山の方角に沈んだ。故に太陽信仰・日の神信仰の象徴として三輪山が仰がれた。三輪山信仰は、山そのものを御神体として拝むと共に、三輪山の背後から昇って来る日の神への信仰・太陽信仰でもあったのである。

 

 三輪山の麓には檜原神社がある。ここは大和笠縫邑(ヤマトカサヌイノムラ)といはれ伊勢の神宮に祭られる前に天照大神が祭られた場所である。だから檜原神社を元伊勢と申し上げる。天照大神は最初に三輪山の麓に祭られた後、各地を経巡られて、最後に大和盆地の直線上東方に位置する伊勢の地に鎮まられたのである。

 

 また、三輪山の麓から真直ぐ西に行ったところに天皇御陵のやうに大きな大きな箸墓といふ古墳がある。倭迹々日百襲姫命の墓といはれてゐる。『書紀』には、この倭迹々日百襲姫命に大物主神が神懸りしたと伝へられてゐる。つまりこの墓は三輪山の神を祭った巫女の墓といふことである。

 

 邪馬台國畿内説をとる人は、この古墳を、太陽神を祭った祭祀王である卑弥呼(ヒミコ)の墓であると言ってゐる。卑弥呼(ヒミコ)とは支那人が日本を蔑視してこのやうな漢字をあてたのであって、正しくは「日の御子」である。邪馬台國(ヤマタイコク)はいふまでもなく「大和の國」である。

                     

 何故、日本最尊・最貴の神であられ、皇室の御祖先神であり太陽神であられる天照大神が女性神であられるかといふと、太陽神を祭る祭り主が女性であったから、祭る神が祭られる神になったからであるといふ。太陽神が祭り主と合体合一したのである。

 

 大和盆地をはさんで三輪山の向かひ側(即ち大和盆地の西方)にある二上山には、刑死された大津皇子(天武天皇の第三皇子)の御墓がある。二上山の麓には当麻寺といふ寺がある。この寺はわが國最初の浄土信仰の寺であり、浄土を描いた有名な『当麻曼荼羅』がある。つまり二上山は夕陽が入る山であるので他界(西方極楽浄土)の入り口と考へられたのである。

 

 そして二上山の向かふ側には天皇御陵がたくさん鎮まり、さらに西へ真っ直ぐに直線を伸ばすと、國生みの神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命を祭った神社がある淡路島に至る。

 

 伊勢の神宮起源の地といはれる伊勢の齋宮から、大和盆地の三輪山・檜原神社(元伊勢)・倭迹々日百襲姫命墓・二上山を経て、仁徳天皇御陵などの天皇御陵の鎮まる大阪府堺市百舌鳥、そして國生みの神を祭る淡路島に至るまで、東西に走る直線で結ばれる、まことに不思議な事実がある。これは太陽の移動する線と共に神々を祭る地があるといふことである。この線は北緯三四度三二分であるといふ。

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千駄木庵日乗六月二十二日

朝は、諸雑務。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

午後二時半より、赤坂にて、櫻井よしこさんにインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。色々興味深いお話がうかがえた。

この後、再び病院に赴き、母に付き添う。医師に話を聞く。厳しい状況である。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理。、

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四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年七月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

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購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年七月号(平成二十七年六月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

 

日本共産党論

 

日本共産党は暴力革命闘争を展開しロシア・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略に加担した

 

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織

 

共産主義革命は歴史の進歩であり人民の人民による人民のための政治の實現といふのは大嘘であった

 

昭和初期に提出された中河与一の反必然論・偶然論の先見性

 

独善的観念大系=イデオロギーが人々を「革命運動」に駆り立て、暴力闘争、専制政治を生む

 

「民主」といふ美辞麗句について

 

千駄木庵日乗

 

田村秀雄産経新聞特別記者「中國の膨張をいかにして止めるか、スローダウンさせるかが、日本の戦略であるべし」

 

楊伯江氏(中國社會科学院日本研究所副所長)「日中両國の行く末は世界の平和に責任がある。この地帯の秩序を保つ責任がある。戦略的転換期にある」

 

呉懐中氏(中國社會科学院日本研究所政治室主任)「安保面で緊迫した場面になれば冷静になるべし。軍事的相互信頼を深めることが大事。互恵の協力をすべし」

 

加茂具樹氏(慶應義塾大学総合政策学部准教授)「日本側も中國側も相手國に対してステレオタイプ的見方をしている。我々は中國に対して日本のことを発信する必要あり」

 

王春光氏(中國社會科学院社會科学研究所社會政策室主任)「今、中國は模索している段階だから誤りもある。今日、法治を大切にしている。法によって言論をマネージしている」

 

胡澎氏(中國社會科学院日本研究所日本社會研究室主任)「改革開放で中國は変化。少しづつ自由になっている。先進國は変化する面を見てほしい。建國百年の時、偉大な中國、健康な中國になりたい」

 

小嶋華津子氏(慶應義塾大学法学部准教授)「私は『友好』という言葉で日中関係を括ることに懐疑的。空虚な友好は要らない。中國の暴走を食い止めること」

 

この頃詠みし歌

 

 

 

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2016年6月21日 (火)

天皇の国家統治と『国見』

 「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 

 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇国家統治の御事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)と言ふ。

 

荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じられてゐる。(『現御神考試論』)

 

 天皇が「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

 

 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。           

 

 昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

 

 「丘に立ち 歌をききつつ 遠つおやの しろしめしたる 世をししのびぬ」

 

 昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

 

 「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」

 

である。

 

 農業國家・稲作國家であった古代日本は、國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願ひ感謝しそして自然災害が起こらないやうに神に祈る祭祀を行ふことがことが大きな御使命であった。ゆゑに、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを<祭政一致>と申し上げる。

 今日においても、天皇陛下におかせられては各地を行幸され視察される。この行事は今日における「國見」(現御神として國土と國民を祝福される行事)であると拝する。

 

 日本天皇、権力によって國を支配されてゐるのではなく、現御神としての宗教的・祭祀的権威即ち御稜威(みいつ)によって國家を統治されてゐるのである。天皇は全國各地を御行幸されることによって「國見」をされ、日本各地の産土の神(うぶすなのかみ・土地を守る神)鎮守の神々を祝福され鎮められ、國土の新生と國民の幸福を實現されるのである。

 

 また、「國見」によって天皇の靈と各地の國魂(産土の神・鎮守の神)とが一体となって結ばれる。これを「魂触り」(タマフリ)といふ。この「魂触り」によって、天皇の神聖なる國家統治の霊的お力が益々増幅されるのである。これを「食國天下のまつりごと」といふ。先帝昭和天皇におかせられても、全國を御行幸あそばされ國民を祝福された。これがわが國の戦後復興の基となったのである。今上陛下におかせられても、その道統を継承されておられるのである。

 

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き。母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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日本人の天地の神への信仰 

         

 天地の 神を祈りて 幸矢(さつや)(ぬき) 筑紫の島を さして行く吾は

                     (四三七四)

 

 『萬葉集』に収められた下野の國(現在の栃木県)の火長大田部荒耳(くわちゃうおほたべのあらみゝ)といふ防人の歌である。

 

 「天地の神」とは天の神と地の神。わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神に系統が分かれてゐる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ) 。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神といふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神といってもよい。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神である。

 

 そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

 

 天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。

 

また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。

 

そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

 全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社があるやうに、わが國民は、天の神・地の神(これを天神地祇といふ)を共に敬って来た。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのであらう。

 この歌にも「天地の神」と歌はれてゐるやうに、また「天神地祇」と言ふやうに、日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

 

 地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。そして、須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。

 

日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

 

 キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

 

 しかし、わが國の伝統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。それはわが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海(天)と空とが一体になっている。ゆえに空のことも「天(アマ)」といひ、海のことも「アマ」といふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

 

 「幸矢」とは狩猟の用いる矢をいふ。「幸」とは山の幸すなわち山で捕れる獲物。その山の獲物を取ることができる力を持つ矢の意味で「幸矢」といふ。獲物が捕れることは人にとって幸いであるので「幸福」といふ意味が生まれた。『古事記』に出て来る「海幸彦」「山幸彦」とは、それぞれ「海の獲物を捕るのが上手な人」「山の獲物を捕るのが上手な人」といふことである。

 

 「貫く」とは、矢を靫(ゆぎ・太い筒形の中のがらんどうな所に矢を入れ、腰につけて持ち歩く道具。矢を入れて背に負う器具)に収めて身に帯びること。

 

「筑紫の島」の「島」とはある限られた地域のことで、筑紫の方面といふ意。 

 

 「天地の神に祈って、矢を身に帯びて筑紫の方を目指して行くのである」といふほどの意。

 

防人としての決意と宣誓の歌である。この歌によって、この時代の東國の庶民にも、わが國の伝統信仰が生き生きと根づいてゐたことが分かる。

                         

 天の神・地の神(天神地祇)は截然と区別できるわけではない。三輪山にも葛城山にも神様がおられる。山の神は本来地神であるが、三輪山は大和地方における太陽信仰の山であり、その麓には元伊勢と呼ばれる天照大神をお祀りした檜原神社がある。この神社は、天照大神が伊勢に鎮まります前にお祀りされてゐたところと言はれてゐる。

 

 日本民族の神観は柔軟であり、幅が広く奥行が深い。悪神が善神になる。そこが日本伝統信仰の特徴で、とらはれないし硬直した考へ方ではない。日本の神の定義について本居宣長は、「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(カシコ) きものを神とは云ふなり」と述べてゐる。

 

 キリスト教の神と日本の神との大きな違ひは、キリスト教の神は天地の創造主として人間を造るのであるが、日本の神は國土や人間を生むのである。そしてキリスト教の唯一絶対神は「天にまします我らの父」であって、普通の状態では人間は神に近づき難い存在であり隔絶した存在である。また地上と天國も隔絶してゐて、地上から簡単に天國に行くことはできない。

 

 ところが、日本の神は、國土や人と血族関係にある。天地に遍満したもうのが日本の神である。また、今の代と神代、地上と高天原は互ひに交流してゐる。それどころか、「今即神代」(この世がそのまま神代であるといふ信仰)といふ考へ方がある。神も単に天におられるのではなく、地上にもおられるのである。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前十時、施設に赴き、母と看護師と共に、病院に赴く。病院にて診察を受け、入院が決まる。入院手続きを行い、しばらく母に付き添う。一日も早く快癒し、施設に戻れることを切に祈る。

帰宅後は、明後日行われるインタビューの準備など。

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2016年6月19日 (日)

 国歌『君が代』について

 国歌『君が代』

「君が代は千代に八千代にさゞれ石の巌となりてこけのすまで」

 

「天皇の御代は千年も八千年も続き小さな石がだんだん成長していって巌となるまで永遠に続く」といふ意である。

 

 「イハ」は「イヘ」と同根の言葉である。岩(イハ)は「魂の籠るところ」といふ意味である。大きな石のことを「巖(いはほ)」といふ。「家(イヘ)」は「いはふ」(神を畏敬し、神に祈るために家に忌み籠ること)の音韻が変化した言葉。そして、人が籠る所を家(イヘ)といふようになった。

 

 古代日本人は石や岩には魂が籠ってゐると信じたのである。その信仰が歌はれた歌が『萬葉集』の「東歌」(東國庶民の歌)の

 

「信濃なる筑摩の川の細石(さざれし)も君しふみてば玉と拾はむ」(三四〇〇)である。この歌は、「信濃の千曲川の小石でも恋しいあなたが踏んだのなら玉として拾ほふ」といふ意である。この場合の玉は単に宝石といふ意味ではなく愛する人の魂が籠ってゐるといふ意である。

 

 古代日本では、石には魂が籠ってゐるのでそれが次第に成長していって巖になると信じられてゐた。その信仰が歌はれた歌が、『國歌君が代』である。「さゞれ石の巌となりてこけのすまで」は、決して比喩ではなく実際の信仰である。

 

 さらに、イシ(石)・イハ(岩)・イツク(齋く)・イハフ(齋ふ)・イノル(祈る)の「イ」は、生命力・靈力を意味する名詞であり生命力の強い自然物(植物や岩)の称辞として用いられると共に、物事を神聖化することを意味する動詞にも用いられてゐる。            

 

 何故日本人は石や岩に魂が籠ると考へるやうになったかといふと、石は地上にありながら、石の下即ち地下から湧出する深く大きな生命力と威力を包含し、地下の精靈や魂の具象であり象徴である考へたのであるといはれてゐる。つまり石とりわけ巨岩は神靈の依り代(よりしろ・憑代とも書く。神靈が現れる時に宿ると考へられてゐる物、樹木・岩石・御弊など)であると信じられた。

 

古墳をはじめ、墓を石で造るのは、それが地下の死の世界にゐる死者の魂が表出する依り代であるからである。この信仰は石器時代に端を発してゐるといふ。

 

 このやうに『國歌・君が代』は古代日本から今日まで続く伝統信仰が歌はれてゐるのであり、「石が大きくなって岩になるなどといふのは非科學的である」といふ批判は全く誤りなのである。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸雑務。

午後一時より、九段の靖国会館にて『大吼出版「大吼」創刊三十五周年祝賀会』開催。石井忠彦会長が挨拶。阿形充規・犬塚博英の両氏、そして小生が祝辞を述べ、盛宴に移った。丸川仁氏が謝辞を述べ、終了した。多くの方々か参集した。

帰途、同志と懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。夕食の介助。

帰宅後は、原稿執筆。

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 太刀・剣の神聖性

わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社もある。

 

日本武尊が「床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀」と歌っておられるやうに、太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。

 

 太刀(タチ)の語源は、「断ち」であり、「顕ち・現ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるといふ言霊である。罪穢を祓い清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。

 

 太刀は「幾振り」と数へられるやうに、魂ふり(人の魂をふるい立たせ活力を与へ霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。

 

 太刀・剣には魂が籠ってゐると信じられ、太刀を授受することは精神的・魂的な信頼関係が成立したことを意味する。敗者から勝者へ太刀・剣が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶してゐるところである。小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すといふことは恭順の意を表するといふことである。小野田氏は昭和の御代において武人の伝統を継承した人物だったのである。

 

 さらにいへば、「タチ」は「タツ」と同じ語源であり、それは「龍(タツ)」である。龍神は水の神であるから、水のよく出る山奥には龍神の祭った神社が多い。蛇を祭った社(やしろ)も水の神である。道を歩いてゐて、蛇を見ると光ってるやうに見える。「龍」や「蛇」は長くて光る動物であるので、「刀」とよく似てゐる。ゆえに「刀」は「龍・蛇」を連想させる。また、雷が鳴ると必ず雨が降る。だから水の神と雷神とも近い関係にあると考へられた。雷の稲妻は、光を放つので太刀を連想した。このやうに、「刀」「龍」「蛇」「水の神」「雷神」はきはめて近い関係にあるものと信じられた。

 

 須佐之男命が八俣の大蛇を退治した時、大蛇の尻尾から出て来たのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・後の草薙の剣)である。八俣の大蛇は出雲の國を流れる斐伊川のことだとされ、大蛇が暴れるのは斐伊川の氾濫であり、大蛇に食べられそうになり須佐之男命に助けられた稲田姫とは稲田の人格化といふ説がある。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、施設に赴き、母に付き添う。嘔吐があり、食欲もないとのことで、介護の方、ケアマネージャーと相談。月曜日に病院で受診することとなった。心配である。

本日は、正午より、青山霊園にて『無名烈士之碑』法要が執行されたが、参列がかなわなかった。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。池田維霞山会理事長・元交流協会台北事務所長が「台湾・蔡英文政権の目指すもの」と題して講演、質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』発送作業、作業終了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると存じます。

この後、原稿執筆など。

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2016年6月18日 (土)

都知事候補について

厳しい選挙戦を戦い、たとえ勝利したとしても、政治資金の事ばかりでなく過去の事を色々と穿り返される、公用車を使うにも神経を使わねばならない。自宅や別荘の使用についてもいろいろ調べられる。メディアの監視下に置かれる。自ら好んでそんな窮屈な役職になろうとする人はあまりいないのではないか。

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萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 七月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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 「剣魂歌心」がわが國の武人・詩人の伝統

 日本の武士は常に剣・太刀を持ってゐた。そして、剣を持ったますらをは「やまとうた」を詠む。武門の名門の棟梁たる大伴家持はその典型であった。

 

 「剣魂歌心」とは日本の武士のあるべき姿を言った言葉であって、剣を持つ者の魂と歌を詠む者の心は一つであるといふほどの意である。剣を持つ者は歌を詠まねばならないし、歌を詠む者は剣を持たねばならないと言ってもよいであらう。

 

 この「剣魂歌心」の元祖的御存在が、須佐之男命と景行天皇の皇子・日本武尊であらせられる。

 

 天照大神の御弟君であらせられる須佐之男命は、出雲の國で八俣の大蛇を退治されて、稲田姫をお助けになり、お二人が結ばれて共にお住まひになる宮を造られた時、

    

 

 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

 

 といふ歌を詠まれた。「おびただしい雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を造る。ああその八重垣よ」といふほどの意であるが、この歌は和歌の発祥といはれてゐる。須佐之男命は猛々しい武人であらせられると共に、わが國の伝統文芸である和歌の元祖的御存在でもあらせられるのである。

 

 日本武尊は、御父君・景行天皇の御命令で東夷の反乱を水火の難を冒して平定し給ひ、その御東征の帰途、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)のもとに、草薙の剣を置いて来る。そして、伊服岐山(いぶきやま)の神を平定されようとするのだが、剣を置いてきたことが命の運命を悲劇にする。そして、能煩野(のぼの・今日の三重県鈴鹿郡)で病となられ薨じられる時、

                     

 孃子の 床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀 その大刀はや   

 

 といふ歌を詠まれた。「乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ」といふほどの意。その草薙の剣を美夜受姫は永く祭られる。その神社が熱田神宮である。

 

日本武尊のこの御歌について、萩原朔太郎氏は、「ホーマー的ヒロイックな叙事詩(英雄詩)の情操と、ハイネ的スヰートな叙情詩(恋愛詩)の詩操と、二つの對蹠的な詩情が、一つに結合融和して現はれてゐる。そしてこの一つの精神こそ、所謂『戰にも強く戀に持つ良い』天孫大和民族の原質的な民族性で、奈良朝以後に於ける日本武士道の本源となってゐる。」(朔太郎遺稿)と論じ、保田與重郎氏は、「武人としてのその名顕な日本武尊の辞世にむしろ耐へがたい至情を味ふのである。わが神典期の最後の第一人者、この薄命の武人、光栄の詩人に於ては、完全に神典の自然な神人同一意識と、古典の血統意識とが混沌してゐた。」(戴冠詩人の御一人者)と論じてゐる。                      

 

 須佐之男命も日本武尊もわが國の武人の典型であられると共に、わが國の「詩人」の典型であらせられた。まさしく「剣魂歌心」がわが國の伝統なのである。そしてその心は皇室によって継承されてきたのである。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き。母に付き添う。

午後六時より、 新宿の三平酒寮別館にて、 『欣欣の清筵 福永武君の結婚を悦ぶ会』開催。多くの同志友人が参集し、お祝いした。


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挨拶する福永氏ご夫妻

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2016年6月17日 (金)

「言論の自由」「表現の自由」を踏み躙って、偏向報道をまき散らしているのは偏向メディアである

本年28日に行われた衆議院の予算委員会で、高市早苗総務大臣は、『放送法』「第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。一  公安及び善良な風俗を害しないこと。二  政治的に公平であること。 三  報道は事実をまげないですること」について、次のように答弁した。

 

それはあくまでも法律であり、第4条も、これも民主党政権時代から国会答弁で単なる倫理規定ではなく、法規範性を持つものだという位置づけで、しかも電波法も引きながら答弁をしてくださっております。どんなに放送事業者が極端なことをしても、仮にそれに対して改善をしていただきたいという要請、あくまでも行政指導というのは要請になりますけど、そういったことをしたとしても、公共の電波を使って、まったく改善されないということを繰り返した場合に、それに対して何の対応もしないということを、ここでお約束するわけにはまいりません。そこまで極端な、電波の停止にいたるような対応を、放送局がされるとも考えてはおりませんけど、法律というのはやはり法秩序をしっかりと守ると。それで違反した場合には、罰則規定も用意されていることによって、実効性を担保すると考えておりますので。まったく将来にわたってそれがありえないとは断言できません」。

 

当然過ぎるほど当然の答弁であり、何の問題もない。しかるに、偏向メディア靴揃えて、「言論の自由」「表現の自由」への圧迫であり、放送局への恫喝だという批判キャンベーンを張った。

 

[朝日新聞]「テレビ朝日]などの反日勢力は、自分たちの「御機嫌を損ねる」事象に対しては、極めて狭量にして独善的な非難攻撃を加える。国内問題では、瑣末なことでも「人権蹂躙だ」「言論の自由の侵害だ」と騒ぐのに、支那においてあれほどの人権蹂躙、言論弾圧がおこなわれていても、報道もしないし抗議も非難もしない日本のメディアは全くおかしい。社民共産両党も然りである。

 

「言論の自由」「人権擁護」を叫び、「日本は中国を侵略した」と言っている連中ほど、共産支那の暴虐には口をつぐんでいる事実を決して見過ごすことはできない。 わが国の歴史問題については、やれ侵略したの、大虐殺をしたのとがなり立てるのに、共産支那のチベット侵略・虐殺には何も言わない。こういう連中こそ、最も許すべからざる存在である。

 

「言論の自由」「政治活動の自由」を侵害しているのは偏向メディア、社民共産両党であり、民進党左派(最近これが増えて来た)であり、媚中勢力である。独裁国家支那の手先が「言論の自由」を云々すること自体許し難いことである。

 

「言論の自由」「表現の自由」は守られねばならない。今日「言論の自由」「表現の自由」を侵害している国家は支那であり北朝鮮である。そして事実上その手先になっているのが国内の反日メディアであり、反日政党なのである。この連中は、国内の人権問題には正義の味方面してがなり立てるくせに、共産支那の人権抑圧・民族自決抑圧に対しては何も言わない。こうした勢力に対する批判を強めねばならない。

 

「表現の自由」「政治活動の自由」は大切である。「権力」によってこれらの「自由」が束縛されることがあってはならない。しかし「権力」とは政治権力のみではない。メディアは第四権力と言われている。その第四権力たるメディアによって、「言論の自由」「表現の自由」「政治活動の自由」が圧殺される事態が起っているのである。

 

「言論の自由」「表現の自由」を踏み躙って、偏向報道をまき散らしている偏向メディアに対して、『放送法』に基づき、規制を加えるのは当然である。

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時半より、市ヶ谷の UAゼンセン会館 にて、『 2回調査会セミナー「なぜ北朝鮮は拉致を行ったのか」(特定失踪者問題調査会主催)開催。荒木和博氏が講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

 

 

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2016年6月16日 (木)

都知事選について思う

蓮舫が都知事選に立つという動きがあるようだが、共産党が支持するのかどうかが問題である。私は、「仕分け」という名の「人民裁判」を行ない、国会内で高額のドレスをまとってファッションショーをやった蓮舫は嫌いである。自民党が誰を擁立するかが問題だが、確実に勝てるとなれば小泉進次郎だろう。だが彼が立つ可能性は少ないと思う。ともかく共産党が支持する人間を都知事にしてはならない。

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『セミナー・熾烈さを増す米国での日中韓ロビー合戦』におけるロー・ダニエル氏(ベニンシュラ・モニター・グループ社長)の講演内容

二月二十二日に開催された『セミナー・熾烈さを増す米国での日中韓ロビー合戦』におけるロー・ダニエル氏(ベニンシュラ・モニター・グループ社長)の講演内容は次の通り。

 

「日韓の政権レベルでは、慰安婦問題は済んだと思っているが、市民のレベルではこれからも続く。

 

五十ドル札のグラント大統領が政治の仕事から逃げていたホテルのロビーで待っていた請願者たちを、グラント大統領はロビイストと呼んだ。これがロビイストの語源。法律用語ではない。ロビイという言葉には暗いイメージがある。二〇一五年の法務省へのロビイストの登録人数は一一四六五人。報告されたロビイ活動費用は三二億ドル。現職から離れた上院議員の五〇%、下院議員の四〇%がロビイストになる。連邦政府レベルの政策に影響を及ぼす行動のプロセスをロビイ活動と言う。それを職業としている人をロビイストと言う。納税者の意見を政府に仲介するのがロビイスト。彼らは何でもできると言われている。法律会社、PR会社がある。政府の政策立案に影響を及ぼす。

 

外国から自分たちの国益のためにアメリカで活動する組織もある。ロビイストはエージェント。ワシントンDC中心部を東西に貫通するKストリートで働く。特殊な専門家。中国のロビイ活動は非常に活発。大事なターゲットは立法補佐官。最強のロビー法律会社は多数の元高位公職者を雇用。ロビイストはアメリカを動かす大きなエンジン。そこで自国の利益をはかるのは当然。

 

日本政府にも雇われているロビイストもいる。総理官邸か電通を通して経営している。以前はイスラエルロビイ、台湾ロビイが大きかった。今日は中国ロビイ・韓国ロビイが活発になっている。視野を広げるとシンクタンク。研究が中心。中立的研究は少ない。保守系が多い。アメリカが覇権国家になるための国際政治の研究だからそれは当然。

中國・韓国のセンターはあっても日本センターは存在しない。中國・韓国のセンターは日韓歴史問題に深く関わっている。北朝鮮研究グループも存在する。中國の場合、目立つのは孔子学院。習近平政権のソフトパワー。中國流の国際政治論を作っている。孔子学院は韓国・日本にもある。世界四八〇カ所にある。中國の言語文化・教育を普及している。アメリカでは色々反発がある。中国政府の武器であるという批判がある。

 

日本の場合、笹川平和財団の助成によって一九九〇年に作られた『Sasakawa eace oundation USA」がある。責任者は元米海軍提督・太平洋司令官の軍人。韓国はKEⅠ(韓米経済研究所)というシンクタンクがある。

 

安倍首相が昨年四月二十二日に米議会で行った歴史問題での演説に対抗する活動をした。演説の前に熾烈な戦いがあった。中国と韓国は、主に歴史問題がロビイ活動の一番大きな課題。

 

アメリカにおける日米共同体が衰退している。数において劣勢。若い世代の日系米国人の中韓への同調がある。アメリカがアメリカの価値基準に基づいて歴史問題を判断するのは何ら問題ないと言われている。日系共同体が形骸化している。数において劣勢。民族性の喪失。伝統的ジャパンロビイは衰退。日米はずっと経済戦争が続いていた。しかしそれも終わった。世界で称賛される日本の味方になっているアメリカの日本専門家の学者がいる。しかしそういう人々の影響力が低下している。

 

アジア出身の国会議員の会合のパーティでマイク・ホンダは日本酒の樽を叩きながら演説。従軍慰安婦問題が主な活動。日本のために頑張る国会議員はいない。韓国のために頑張る国会議員はいる。チャイニーズ・アメリカンは圧倒的数。連邦・州・地方レベルで中国系政治家が躍進。数のゲームでも質の強さでも中国は凄い力がある。歴史問題では韓国と連携。

 

韓国移民は一九六五年から始まった。日韓正常化と関係あり。アメリカはベトナムに韓国の兵隊を派遣するのとバーターで韓国人ねアメリカ移民を受け入れた。黒人の多い町で韓国人に商売をさせた。一九九二年のロスの暴動での教訓が票の結集ということになった。パワーをつける運動。本国と在米組織の融合。移民は増加を続ける。

日本は一国完成主義があり、わざわざ外国に行って博士号を取る必要性なし。この伝統は良いが、アメリカでの発言力は弱まる。二〇一一年にアメリカ大学院で取得した博士号の数は中国が一六一一〇、インドが八九三二、韓国が四八六八、台湾が二二八三、日本か九〇五。アメリカの一流大学の博士に日本人は少ない。中国人・韓国人は多い。

 

日系アメリカ人に日本人という意識が希薄になっている。日系議員に慰安婦の碑の建設に賛成する人が多い。

 

アメリカには、神の意志に従ってアメリカが世界に秩序を作るという意識がある。アメリカの人口はマイノリティの数が白人を超える。アジア系の七三%がオバマを支持した。アジア系の票を奪い合っている。その中で日本系が力を落としている。台湾人は日本が好き。日本語の歌を歌って抱き合う。韓国人とは全然歴史認識が違う。台湾人は政治活動をやっていない。

 

韓国はエリートと市民が分裂している。韓国の学者は『日韓基本条約』否定の学会まで作ろうとしている。こういう事がアメリカでの活動の原動力。個人の利益のために国家を斃してもいいというのがジョン・ロックの考え方であり、アメリカの考え。日本のエリート層は考え方を変えなければ日本は負ける。勤勉な日本人を西欧は評価」。

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千駄木庵主人曰く。この講演内容は、日本にとって深刻な問題だと思う。日本は官民挙げてアメリカでのわが日本の影響力強化につとめねばならない。それは民進党・共産党連合政権では不可能である。民進党の大半そして共産党の歴史観は中韓と同じである。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて開催された『大行社幹部会』に出席。顧問の一人としてスピーチ。参院選で日本共産党と民進党に勝たせてはならないことを訴えた。

夕刻、谷中にて友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年6月14日 (火)

『第四六回 呉竹会・アジアフォーラム』における登壇者の発言内容

二月十七日に開かれた『第四六回 呉竹会・アジアフォーラム』における登壇者の発言内容は次の通り。

 

樋泉勝男愛知大学現代中国学部教授「私が生まれた六日後に台湾で『二二八事件』が起こった。その二年五の一九四九年に中華人民共和国が成立。日本人は本当に中国を知っているのか。今日始めて世界は中国人を知った。伝統に則って悪いことをしている。一九五八年の大躍進政策の時、『アメリカを追い越す』がスローガン。内陸部の経済建設はどうやったらいいのか。地下資源・森林資源がある。タイと中国は関係が深い。東南アジアと中国との経済関係は相当に深い。援蒋ルートの逆を狙っている。外れは実は真ん中である。華僑の動きは重要。『一帯一路』は中国が形成を目指す経済・外交圏構想。海のシルクロードの方が陸のシルクロードより古い。権力闘争・環境問題・経済問題で中国は動いている。中国人の生き方を知る必要あり。華僑とは企業家。実利があると愛国。実利とは儲かるか儲からないかの問題。日本人にとって中国人とは何かを知るべし」。

 

宮崎正弘氏(評論家)「中国人は嘘と本当との区別がつかない。その集大成が今、経済面で出てきた。貿易は十一%減、電力消費量は横ばい。外貨準備はマイナス。失業者四〇%。タイは国王とプレーム(注・軍人、政治家)が支えている。皇太子はどうにもならない人。軍政も難しい時期にさしかかっている。日本はタイ王室に全くコミットしていない。タイ王室は中國に操作されている」。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、諸雑務。

昼は、友人と懇談。意見交換。

午後からは在宅して、原稿執筆の準備、原稿執筆など。

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『大日本帝国憲法』は肇国以来の日本國體を成文化した憲法であり、日本國體精神の結晶である

『大日本帝国憲法』は、西洋立憲制度を模倣したというのではなく日本の伝統信仰の体現者として国家を統治される天皇の御本質を成文法によって名文化ししたものである。

 

葦津珍彦氏は「帝国憲法制定の歴史について、これを伊藤博文とか、井上毅等の官僚政治家が、西欧(とくにドイツ、プロシャ、バイエルンなど)の憲法をまねて起案し制定したもののように解釈する学者が多い。しかしそれは非常に浅い皮相の見解であって、全く日本国民の政治思想史を無視したものといわねばならない。この近代憲法ができるまでの歴史条件としては、少なくとも弘化・嘉永ころからの激しい政治思想の展開を見なければならない。黒船が日本に対して開国をせまって来たころから、徳川幕府がそれまでの独裁専決の政治原則に自信を失って、外交政策については『会議』によって国是を固めようとすることになってきた。この会議政治の思想が生じてきたことは、そののちの政治思想に決定的な波紋を生じた。」(近代民主主義の終末)と論じておられる。

 

『大日本帝国憲法』の起草に当たった井上毅は「御国の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡持て天か下の民草をしろしめすという意義より成立したるものなり。かゝれば御国の国家成立の原理は、君民の約束のあらずして一の君徳なり。国家の始は君徳に基づくといふ一句は日本国家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」「わが国の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらずして即遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるなり」(『梧陰存稿』)と論じている。

 

君主と民とは相対立しており国家は君と民、あるいは民同士の契約によって成立するなどという西洋法思想・国家観は、日本の国体観念・天皇観とは全く異質なものであると井上毅は説いているのである。

 

ただ、井上はここで「君徳」と言っているが、日本天皇は人としての「徳」よりももっと深い「祭り主としての神聖権威」、日本伝統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって国家を統治したもうのである。御稜威とは天皇の有される神霊の威力というべきものである。

 

折口信夫氏は「御稜威」について、「みいつといふ語の語根いつといふ語は、稜威といふ字をあてる…いつのちわき・いつのをたけびなどといふ風につかってゐます…天子に傳り、これが内にある時は、その威力が完全に発現するところの権威の原動力なる魂の名でありました」(『神々と民俗』)「天子には天皇霊といふべき偉大な霊魂が必要であって、これが這入ると、天子としての立派な徳を表されるものと考へられてゐました。その徳をみいつといふ語で表してゐます。…これは天皇靈の信仰上の名稱でした」(『鳥の聲』)と論じておられる。そしてその御稜威(天皇靈)は大嘗祭において新しき天皇のお体に入るとされる。

 

歴代天皇には「人」としての徳がいかにあられようと歴聖一如の「御稜威」によって国家を統治したまうのである。今上天皇におかせられても、大嘗祭を執行されて現御神となられ御稜威を保持されていることは言うまでもない。『昭和二十一年元旦の詔書』において、天皇が神格を否定され『人間宣言』をされたなどということは、「みまつり」という厳粛なる事実によって否定されるのである。

 

天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ「統治」は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(『日本憲法要論』)と論じておられる。

 

それでは「やまとことば」の「しろしめす」(「しらしめす」ともいう)とは一体いかなる意義なのであろうか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 

文武天皇の宣命には「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。

 

また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

ともかく井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の国体を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。『大日本帝国憲法』は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではなかった。『大日本帝国憲法』は肇国以来の日本國體を成文化した憲法であり、日本國體精神の結晶である。

 

谷口雅春先生が、『大日本帝国憲法』復元を主張したのは、日本國體の正しい回復を願われたからであって、冷戦という時代状況における時務論として主張されたのでは決してなかったのである。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備など。

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2016年6月13日 (月)

冷戦構造崩壊後の混乱と闘争の歴史と、天皇国日本の使命

旧ソ連および東欧の共産主義体制の崩壊し、東西冷戦構造も消滅した。しかしこれで世界は平和になったわけでは全くなかった。東西冷戦構造の時代はアメリカと旧ソ連という二超大国の世界支配が強大であったので民族間・国家間の対立抗争は押さえられてきた。言ってみればソ連とアメリカという重石が「冷戦構造」という名の「平和」を維持して来たと言って良い。それが無くなってしまったのだ。そして国家と国家・民族と民族・宗教と宗教の鋭い対立抗争の時代に突入したのだ。冷戦構造崩壊後の歴史を見れば火を見るよりも明らかである。

 

 また、民族主義は急速な科学技術の進歩と世界の統合化現象によって、人類の中に吸収され消滅するという見方がある。しかし歴史的社会的に長い時間をかけて形成されて来た運命共同意識としての民族主義は消滅するものではない。このことは、民族を超え国家を超えんとした共産主義が破滅した後において、民族主義が破滅しなかったどころか逆に勃興したという事実によってと明白である。どんなに科学技術が進歩し世界統合化現象が顕著になってきたように見えても民族主義はなお根強く生き続けるのである。

 

 旧ソ連東欧の人々は民族主義へ回帰した。しかもそれはかなり尖鋭的にして排他的な民族エゴ国家エゴとして噴出している。バルカン半島やロシアなどの国内紛争を見てもわかるように経済の不均衡と民族間の武力抗争問題が新たなそして深刻な問題となっている。

 

 アジアにおいてもしかりである。共産支那の軍事的膨張は日に日に深刻になり、我が国をはじめとしたアジア諸国に大きな脅威を及ぼしている。

 

 要するに戦後四十数年間の米ソ二超大国支配という冷戦構造というある意味の「秩序」崩壊した後、それに代わる新秩序が構築されず混乱と闘争の世界が現出したのである。

 

しかもわが日本はこうした事態に正しく対応できる国家体制を確立していない。大東亜戦争侵略史観(東京裁判史観)に呪縛されたまま、戦後体制(護憲安保体制)を解体することもできず、「平和国家」の虚名に酔い、「戦後平和主義」呪縛から解放されず、「占領憲法」を破棄できずにいる。

 

 民族エゴ国家エゴのぶつかり合いの世の中になった現在、日本は何を如何に為すべきかが問題なのである。その場しのぎの政策ではなく、新たなる世界秩序建設のために日本が正しく貢献し参画出来得る原理を示すべき時なのである。しかるに、いまだに戦後が終わらない日本即ち東京裁判史観から脱却し得ず戦後体制を打倒解体し得ない日本は、とてもそのようなことを為しうる状況には立ち至っていない。これが最大の問題なのである。日本も健全にして正統な民族主義・民族的自覚(これは民族エゴとは似て非なるものである)を強めねばならない。

 では、この民族的自覚とは何であろうか。特に現代日本における民族的自覚とは何かが問題なのである。民族は人種とは異なる。人種という概念は皮膚の色・容貌、毛髪の色および形状、骨格、瞳の色など、人間の身体的特色、即ち先天的とも言うべき要素によって分類された一団の人間たちのことである。

 

 一方、民族とは、人種を基礎とはしているが、必ずしも同じ人種ではなくても、言語と生活様式を共通にするとともに、運命の共同性に基づいて結合された人間集団の全体ということである。言い換えれば運命共同体であり、運命を共同するという意識を持っている人々によって形成された精神的文化的共同体である。

 

 日本という国に生まれ基本的生活様式を共同にし共通の運命を持つ人々を日本民族という。そしてその人々が共同に有する意識・精神を日本民族主義と言うのである。日本民族の基本的生活様式とは稲作農業である。そしてそこから日本民族の独自の宇宙観・世界観・宗教が生まれる。

 

 民族主義は伝統的な信仰と切り離せない。民族に固有な心のあり方・精神はその民族の信仰が最も雄弁に物語る。日本民族主義の特色は何か。それは天皇中心の國體精神である。天皇中心の國體とは日本の伝統信仰の継承者であらせられ、祭祀主であらせられ、日本文化の体現者であらせられる萬世一系の天皇が日本国を統治されるという国家の在りようをいう。そしてそれは日本民族がこれまで継承して来ただけでなく今日も脈々と生きている様々な倫理・制度・生活伝統などの全ての中核精神である。

 

 この日本國體精神こそが日本人の運命共同意識の根幹である。故にこれまでの国史上の大難は、天皇中心の国体を正しく開顕することによって突破し打開してきた。幕末における尊皇攘夷の思想はその典型である。

 

日本の歴史を繙くと、大化改新直前や元冦や明治維新直前の時などのように外圧という国家的危機に際して運命共同意識が湧きいでて民族主義が勃興した。そしてそれは伝統信仰即ち神道思想そして何よりも日本國體精神に回帰した。

 

民族主義は、時の今昔洋の東西を問わず、国家的危機状況において勃興する。インドにおいても反英独立運動という民族主義の勃興時においてインド古代思想への回帰が起こった。そしてラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、オーロビント・ゴーシュなどの神秘思想が生まれた。そしてこれらの思想家たちはみな親日的であった。

 

 しかし、現在世界的に活発になりつつある民族エゴと国家エゴのぶつかり合いを見ても明らかなように、民族主義は往々にして闘争的排他的になりやすい。なぜなら民族主義は理性的、現実主義的、論理的なものではなく、ある危機に際会しての多分に情念的、ロマン的、感情的な窮地の打開運動であるからである。

 

今日の求められている民族主義には、民族の伝統に回帰することによってその民族が幸福になるのみならず、世界の平和実件に寄与するという理想がなければならない。今日の日本に求められているのは、日本傳統信仰・日本民族精神による世界平和確立への貢献である。

 

前述したように民族主義はそれぞれの民族の中核精神への回帰と憧憬の心がその根幹となっている。日本建国の精神は世界平和の思想(八絋一宇・万邦共栄の精神)であり、日本民族の中核精神たる日本国体精神は、覇権覇道闘争の精神ではなく、米作りという絶対に平和的な人間の生産活動より生まれた精神である。地上においてお米を豊かに実らせるというのが、日本天皇が神から授かった御使命である。我等日本人はこの精神を発展させて、いよいよ混迷を深める真の全世界の安定と繁栄の実現のために貢献すべきである。それが即ち「この漂へる國を修理固成(つくりかためな) せ」との御神勅を奉行することなのである。

今こそ、『大日本帝国憲法』の國體条項に示された日本國體精神すなわち「天壌無窮のご神勅」の精神の恢弘が大切なのである。

 

 

  

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日本の軟弱なる外交姿勢が続けば竹島はおろか対馬まで領土要求される。現にそういう動きがある。

 領土問題という国家の主権に関わる問題においては、我が国は姑息な妥協をせず、毅然として正論を貫かねばならない。

 

竹島は、韓国警備隊が軍事力を以て不当に占領している。そして、竹島の領有権について国際司法裁判所の判断を仰ぐことを韓国側が拒否している。これは韓国の主張に正当性がない何よりの証拠である。

 

 明治三十八年(一九〇五年)の日本政府による竹島編入の時、韓国は日本に外交権を奪われて抗議できなかったと言うが、その頃韓国は日本の保護領ではなかった。当時の韓国は、竹島に関心が無かったのだ。

 

 また、「サンフランシスコ講和条約」で竹島は日本領土と確定した。同条約で日本が放棄した地域に竹島は入っていない。韓国は日本に竹島を放棄させ韓国領にせよと要請したが米英は否定した。竹島が日本固有の領土であるのは明白である。

 

 しかるに、韓国は昭和二十七年に李承晩ラインをひいて実力を以て竹島を占領する暴挙に出た。そして、漁民の拿捕にわが国国民は切歯扼腕した。日本は海軍を解体されていたし『現行占領憲法』九条の制約があるので十分な措置ができなかった。しかし、昭和二十七、八年に我が国の海上保安庁は四回にわたって巡視船を竹島に派遣し命懸けで標識を立てた。

 

 日本は『日韓基本条約』締結の時竹島問題の国際司法裁判所への提訴を合意すべきだった。

 

 韓国は日本には『占領憲法』があるから、韓国が日本に何をしても日本は反撃しないと甘く見ている。また、韓国は反日感情を国内政争の道具にして煽っている。

 

韓国は、戦後の長期にわたる反日教育を受けた世代が国民の大半を占め、反日感情は根強いものになっている。

 

 日本の軟弱なる外交姿勢が続けば竹島はおろか対馬まで領土要求される。現にそういう動きがある。韓国に対して毅然として発言すべきである。歴史認識について屈辱外交を繰り返している限り竹島は返って来ない。

 

 韓国との歴史問題は、『日韓条約』で決着がついている。しかるに我が国政府は歴史問題についての韓国側の脅しに毅然とした対処が出来ない。政府は、竹島問題について独立国家としての正当なる措置を講じるべきである。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』発送準備、資料の整理。

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2016年6月12日 (日)

生長の家が発表した「文書」について―とうとうここまでおかしくなったか

 

生長の家は、六月九日、「今夏の参議院選挙に対する生長の家の方針 与党とその候補者を支持しない」と言ふ文書を発表した。

 

それには、「与党とその候補者を支持しない」といふ事が書かれてゐる。つまり、野党を支持するといふ事である。そしてそれは民進党のみならず日本共産党をも支持するといふことである。「天皇国日本」「國體」を破壊せんとする政党を支持するということである。谷口雅宣はとうとう狂ったのかとしか言ひようがない。

 

その文書には「戦後の一時期、東西冷戦下で国内が政治的に左右に分裂して社会的混乱に陥っている時、当教団の創始者、谷口雅春先生は、その混乱の根源には日本国憲法があると考えられ、大日本帝国憲法の復元改正を繰り返し主張されました」と書かれてゐる。

 

谷口雅春先生は、東西冷戦下で、国内が政治的に左右に分裂し社会的混乱に陥ってゐたから『大日本帝国憲法』復元を主張されたのではない。『現行占領憲法』が、天皇国日本の実相即ち日本國體を隠蔽してゐるから『大日本帝国憲法』復元を主張されたのである。

 

続いてその文書には「明治憲法の復元は言うに及ばず、現憲法の改正などを含め、教団が政治的力を持つことで“上から行う”のではなく、国民一人一人が“神の子”としての自覚をもち、それを実生活の中で表現し、良心にしたがって生きること。政治的には、自己利益の追求ではなく、良心(神の御心)の命ずることを、『意見表明』や『投票』などの民主的ルールにしたがって“下から行う”ことを推進してきました」と書かれてゐる

 

当寺の生長の家が政治運動を行ひ、選挙戦を展開したのは「教団が政治的力を持つことで上から行」ったではない。国民そして国民の所属する団体が選挙戦を戦うのは、国民の権利の行使であり、意思表示であり、政治的権利の行使である。まさにこのこの文書に書かれている「『意見表明』や『投票』などの民主的ルールにしたがって」選挙戦を戦ったのである。それを「上から」とか「下から」といふ言葉を使用して否定するのは、生長の家の歴史の否定あり、国民の参政権を否定するこじつけ・牽強付会の論理である。

 

この文書は、「冷戦時代」を強調するが、谷口雅春先生の「天皇国日本実相顕現」の主張は、戦前戦中戦後を通じて一貫した思想である。この文書はそれを「生長の家の現在の信念と方法とはまったく異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的」「古い政治論」と断定した。これは、谷口雅宣指導下の生長の家は完全に創始者谷口雅春先生の中心思想を破棄し否定したのである。

 

「宗教運動は時代の制約下にある」と言うが、「久遠天上理想国実現」「中心帰一」「天皇国日本実相顕現」という谷口雅春先生の教え、生長の家の根本教義は、時代を超えた真理である。宗教的真理というものは時代の制約下でころころ変わるものではない。『聖書』『法華経』『コーラン』の教えはそのまま継承され説かれてきている。

 

繰り返し言ふが、谷口雅春先生は、國體の眞姿顕現のために『大日本帝国憲法復元』を説かれたのである。「冷戦下」だから説かれたのではない。また自民党は「帝国憲法復元」を主張してはいない。「憲法改正」を主張してゐる。

日本会議も「帝国憲法復元」を主張していないと思ふ。

「米ソ対立」の「冷戦」はソ連が崩壊して終焉したが、その後、冷戦時代以上にアメリカ・日本などの自由国家と、共産支那や・ロシア・北朝鮮といふ全体主義国家との軍事的膨張・他国侵略は激しくなってゐる。また宗教対立、領土紛争そしてテロも激しくなっている。今や「熱戦時代」に突入したと言へる。かかる状況下において、わが日本はアメリカなどの自由国家と協力して、世界の平和・アジアの安定に努力しなければならい。そのためには、防衛力・抑止力を強化するのは当然である。

 

侵略国家からの祖国防衛、真のアジア・世界平和実現のための精神的基盤として、谷口雅春先生の説かれた國體思想は益々大切になってゐるのである。

 

谷口雅宣こそ、自己の誤れる考へに固執し、生長の家創始者谷口雅春師の教えを否定し、その尊い足跡を踏み躙る「原理主義」者である。そして今日が「冷戦時代」どころか「熱戦時代」であるといふ時代認識を欠く「時代錯誤」に陥ってゐる。

 

 谷口雅宣はかつて次のようなことを書いた。

「独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。アベノミクスに好意的だったアメリカでさえ、失望と不快感を表明した。しかし、同首相は『話せばわかる』という意味のことを言うだけである。また、『どんな国でも戦没者を尊敬し、礼節を尽くすのは当たり前だ』というのは分かるが、その『戦没者』の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。そんな施設に参拝して“礼節を尽くす”という行為が、海外から見れば戦争と植民地政策を正当化していることになるという簡単な外交的論理が、この首相にはまったく理解できないか、あるいは強引に無視することで国益が増進されるという奇妙な信念をもっているように見える」。

 

靖国神社を「施設」とは何事であらうか。「戦争を起こした」張本人はルーズベルトであり、毛沢東であり、スターリンであり、尾崎秀実であり、ゾルゲである。即ちわが國は旧ソ連とアメリカによって戦争に追い込まれたのである。「植民地政策を遂行した張本人」は西欧列強である。歴史の改竄を止めてもらいたい。「外交的論理」「国益」などといふ精神性の全くない言葉を用いる谷口雅宣はまさに、祖父の教えを踏み躙るばかりか、祖国の裏切者である。

 

生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。生長の家でいふ「國家」すなはち谷口雅春先生の説かれる「國家」とは、単に、「領土・主権・國民を三要素とする統治組織をもつ政治的共同体機構」といふことではない。

 

『久遠天上理想國實現の神示』(昭和七年五月二十七日)には、「實相世界では既にひとつの極身(きみ)に統一せられて、常楽の浄土となってゐるのである。…久遠皇統連綿と云ふことは偶然になることではない。形の世界が心の世界の影であることが解り、實相世界が久遠常住の世界であると云ふことが判れば久遠皇統連綿と云ふことは實相世界の久遠常住性が最も迷ひの念なしに形に顕れたのが日本國だと云ふことが解るのである。」「…今の世界で實相世界の常住性を形に顕(うつ)し出してゐるのはたゞ日本の國ばかりである。生滅常なき現實世界が変じて久遠實相世界の常住性を顕現するには、常住性ある國がひろがりて常住性なき國を包みて、十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界としなければならぬのである。十六菊と云ふのは光が十六方位にひろがりて、十六方位の國ことごとくを中心に統一せることを象徴(かたちど)ったものである。」

 

この『神示』には、日本國は世界の手本となるべき理想國家であり、日本天皇の皇統連綿性が世界の中心たるの御資格・御使命を有したまふと説かれてゐる。ただしそれは「権力國家としての日本」の主権や領土の拡大ではない。理念の日本・實相の日本つまり「久遠天上理想國・日本」の世界的顕現である。天皇を祭祀主とする理想的世界國家の實現である。

 

谷口雅春先生の天皇信仰の特質は、天皇は日本民族・日本國家の祭祀主・統治者であらせられるだけでなく、世界の統合の中心者として、日本天皇を仰ぐところにある。

 

日本天皇は、常に自分を無にして神と合一する行事である祭祀を行はれ、仁慈の大御心で國家・國民の平和と幸福を祈られてゐる。谷口雅春先生はそれを端的に「天皇之大慈悲心是國體」と喝破された。神と合一された天皇は、天津神の地上における顕現即ち現御神であらせられる。世界人類が天皇の神聖なる大御心に帰一し奉る時に世界永久平和が實現する。

 

天皇中心帰一の理想の姿を地上に正しく實現することが、日本建國の大精神であり、生長の家の人類光明化運動の目的なのである。生長の家の人類光明化とは、天皇信仰・真理國家日本の實相を恢弘することによつて世界の永遠平和を實現することである。生長の家の教への立教以来の根本である天皇信仰・大日本真理國家論を度外視したら、真の人類光明化運動にはならない。「久遠天上理想國」を地上に持ち来たす運動、天皇國日本の實相を顕現する運動を實践する宗教が生長の家である。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。有り難し。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆。

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2016年6月10日 (金)

水戸學の基本精神が記された『弘道館記』

水戸藩の藩校・弘道館は藩政改革に燃えた第九代藩主・徳川斉昭(烈公)が、天保十二年(一八四一)に創立した。

 

徳川斉昭(寛政十二<一八00>~萬延元年<一八六0>)は、七代藩主・治紀の第三子。幕末の國難の時期に積極果敢な言動を示して國政に大きな影響を与えた人物である。自ら先頭に立って藩政改革を断行した。また尊皇攘夷の基本的立場から幕政改革を求めつつげた。ために、六十三歳でその生涯を終えるまで前後三回幕府から処罰を受けた。

 

弘道館は単なる藩校ではなく、内憂外患交々来るといった情勢にあった幕末当時のわが國の危機を救うための人材を養成する目的で作られた。儒學・諸武芸のみならず、天文、地理、数學から医學まで教授した当時としては稀に見る壮大な規模の総合教育施設である。斉昭の學校建設の基本精神は、「神儒一致、文武合併」(神道と儒教の融合、文と武を共に學ぶ)であった。

 

幕末には、水戸藩だけでなく維新回天の大事業に貢献した薩摩藩・長州藩などでもなどでもこうした教育振興策が講じられた。しかし、水戸藩内保守派は弘道館建設に反対した。水戸藩には七代藩主・治紀(はるとし)の頃から深刻な内部対立があった。幕末期にも、その延長として改革派(尊皇攘夷派)と保守派(徳川宗家への忠誠を第一とする佐幕派=門閥派)との対立が続いた。尊攘派には家格の低い藩士、門閥には家格の高い藩士が多かったという。しかも尊攘派も激派と鎮派とに二分するという複雑さだった。

 

弘道館の建學の精神と綱領とを記したのが『弘道館記』である。『館記』の草案については、天保七年(一八三六)に斉昭から藤田東湖に下問があり、斉昭・東湖・會澤正志斎(水戸藩士、水戸學の祖・藤田幽谷の思想を発展させた。東湖と共に尊皇攘夷運動の思想的指導者)・青山延于(のぶゆき・水戸藩士、儒學者)・佐藤一斎(陽明學者)の意見が入れられている。

 

藤田東湖は、文化三年(一八0六)三月十六日に生まれ、安政二年(一八五五)に亡くなった。藤田幽谷(彰考館総裁・『正名論』により水戸學を確立)の次男。東湖の号は屋敷の東に千波湖を望見したことによる。『正気の歌』『回天詩史』『壬辰封事』『弘道館述義』の著者。父の學問を継承発展させ、徳川斉昭の改革の事業を補佐する一方、熱烈な尊皇攘夷論で勤皇家を主導、安政の大地震で圧死した。道義によって鍛えられた日本人の純正な在り方を示した不朽の英傑である。

 東湖から正志斎に宛てた書状に、「神州の一大文字にも相成るべき儀、東藩(水戸藩のこと)學術の眼目に仕り」と記されているように、『館記』は、水戸の學問の眼目ばかりでなく、わが國の一大文字にしたいという志で書かれた。

 

『弘道館記』には、「弘道とは何ぞ。人、よく道を弘むるなり。道とは何ぞ。天地の大経(天地の間にそなわっている大道)にして……弘道の館は、何のために設けたるや。…上古、神聖(記紀の神々)極(窮極の標準)を立て統を垂れたまひ……宝祚(天皇の御位)これを以て無窮、國體、これを以て尊厳、蒼生(國民)、これを以て安寧、……中世以降、…皇化陵夷(天皇の徳化が次第に衰退する)し、禍乱相次ぎ、大道の世に明らかならざるや、蓋しまた久し。わが東照宮(徳川家康)、撥乱反正(乱世を治めて正道に帰る)、尊王攘夷、允に武、允に文、以て太平の基を開きたまふ。……義公(徳川光圀)…儒教を崇び、倫を明らかにし、名を正し、以て國家の藩屏(朝廷の守護となること、またその人)たり。……臣士たる者は、豈に斯道を推し弘め、先徳を発揚する所以を思はざるべけんや、これすなはち館の、為に設けられし所以なり。……わが國中の士民、夙夜解(おこた)らず(朝早くから夜遅くまで勉励する)、斯の館に出入し、神州の道を奉じ、西土の教え(儒教)を資(と)り、忠孝二无(な)く(忠と孝とは根本において一つであることを知る)、……神を敬ひ儒を崇び、偏黨あるなく(一方にかたよらず)、衆思(多くの人々の考え)を集め郡力(多くの力)を宣べ、以て國家無窮の恩に報いなば、すなはち豈にただに祖宗(徳川頼房・光圀)の志、墜ちざるのみならんや、神皇(神々と御歴代の天皇)在天の霊も、またまさに降鑒(天より人間界のことを見る)したまはんとす」と記されている。

 

『館記』の精神は要するに、日本の神々を敬い、天皇を尊び、祖先を崇める精神である。そして、神道と儒教を尊ぶ姿勢である。この精神によって藩士を教育し、國家的危機打開の為に役立たせようとしたのである。『館記』は水戸學の精神が端的に表現されている文である。水戸學は尊皇ではあるが、徳川家康そして幕府を否定する考えはなかった。この『館記』の解説書が藤田東湖の『弘道館述義』である。

 

明治維新の基本思想たる『尊皇攘夷』は『弘道館記』の一節「わが東照宮(徳川家康)、撥乱反正(乱世を治めて正道に帰る)、尊王攘夷、允に武、允に文、以て太平の基を開きたまふ。」より発したのである。藤田東湖はこれを解釈して「堂々たる神州は、天日之嗣(てんじつのしし)、世(よよ)神器を奉じ、万方に君臨し、上下・内外の分は、なほ天地の易(か)ふべからざるごとし。然らばすなはち尊皇攘夷は、実に志士・仁人の、盡忠・報國の大義なり。」(『弘道館記述義』)と述べている。

 

徳川幕藩體制打倒の基本思想が徳川御三家の一つ・水戸徳川家から発したという事実は驚嘆に値する。

 

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理など。

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この頃詠みし歌

遠き日に父と共に観に行きしバンビといふ映画の懐かしきかも

 

天津祝詞唱へてすがしき初夏の朝 いのちの力もりもりと湧く

 

般若心経誦してなごめるわが心 観世音菩薩の慈顔仰ぎて

 

オバマさんはやはりともがらと思ふなり白色人種とは違ふ大統領

 

大君に深々と頭を下げにけるオバマ大統領は親しかりけり

 

チャルメラの音聞かなくなりしより幾歳たちしか 懐かしきかな

 

届けられし花を飾れば仏壇の父の遺影も喜ぶ如し

 

何回も同じきことを聞く母に同じ答へを繰り返しゐる

 

雄叫びゐる老闘士の姿顕()ちて来る 数寄屋橋公園に夕陽まばゆし

 

燃ゆる火の激しさを見つつ我もまた燃ゆるがままに生きゆかむとす

 

丘の上に我が入るべき墓はあれど 子孫のこさざるは何とさみしき

 

飢餓といふことは知らずに生きて来て 父母とこの國に手を合はすなり

 

我こそは日本男児よこの國に力強くぞ生きてゆかなむ

 

胃を守り健やかなれと祈りつつ大食をひかへるこの頃の我

 

熊野なる川の流れにそひて行きし 旅はとことはに忘れ得ぬかも

 

逢ひたしと切に思へどその女(ひと)はいよいよ遠くなりゆきにけり

 

関東には琵琶湖なきゆゑ水不足となること多し 雨よ降れ降れ

 

メティアを挙げて舛添攻撃 これをしも魔女狩りと言ふは正しきや否や

 

これほどまでに責め苛まれても都知事の地位にすがりつかんとするあはれさよ

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、諸雑務。

午後二時より、飯倉にて、上杉隆氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、送付。

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2016年6月 9日 (木)

第六十二回日本の心を學ぶ會のお知らせ

第六十二回日本の心を學ぶ會

テーマ 参院選と日本共産党を考える

参院選が近づいてきました。安倍総理は憲法改正を争点とすることを明言しており、逆に野党は護憲の主張のもとに野党共闘を成立させて対決姿勢を強めております。今回の野党共闘を主導したのは日本共産党です。

共産党は全国三十二の参院選一人区で野党の選挙協力を成立させ、さらに安保法制の廃止を目的とした連立政権である「国民連合政府」を提唱しており、「野党の盟主」となったかのようにふるまっています。しかしながら日本共産党は、いわゆる「普通の野党」ではありません。

旧ソ連による世界共産化の謀略組織であったコミンテルン日本支部として成立したこの政党は現在でも暴力革命の路線を捨ててはおりません。「綱領」の中では革命のプロセスとして「民主主義革命」によって「民主連合政府」つくり、そののちに共産革命に移行する「二段階革命」を唱えており「さしあたって一致できる目標範囲で統一戦線を形成する」とされております。つまり、今回の参院選での安保法制廃止と野党共闘こそが「さしあたって一致できる統一戦線」であり、「国民連合政府」は共産革命の前段として綱領のなかであげられている「民主連合政府」なのです。

大衆闘争と党建設が「二本足の党活動」よばれる党活動の基本方針のなかで選挙活動以前から重要視されていたことからも、この政党が単なる議会主義政党ではないことは明らかです。

反原発や反安保法制、反ヘイトスピーチ運動に共産党の関与があったのもこれらの大衆闘争を通じて党勢拡大を目指す意図があると思われます。

参院選直前となる今回の勉強会では日本共産党の「革命政党」としての本質と危険性について学んでみたいと思います。

(今回の勉強会は開始時刻が異なります。お間違えないようお願いします)

 

【日 時】平成二八年六月二六日(日)一三時〇〇分より

 

【場 所】文京シビックセンター 四階会議室A

東京都文京区春日一-一六-二一 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分 都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分

 

【講 演】

「国体破壊・自由圧殺の政党=日本共産党の歴史と実態」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五百円 終了後、近隣で懇親會(三千円位の予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 〇九〇―八七七〇―七三九五

 

 

このお知らせは主催者が作成しました。

 

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2016年6月 8日 (水)

亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶しなければならない

 日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

 

 大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」そしてその後続けられた左翼革命勢力による國家破壊策謀は、今日の日本の國を亡國への道を歩ましめている。その最大のものが、「天皇の尊厳性の破壊」という策謀である。

 

 天皇を中心とした日本國の國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の篤い尊崇の心を破壊するために、皇室の尊厳性・神聖性を失わしめるために巧妙にして陰湿な画策を続けている。否、続けているどころか益々活発化している。

 

 マスコミの「皇室報道」の不見識ぶり・不敬姿勢は、天皇及び皇室の神聖性・尊厳性・権威を破壊しようという意図によって行っているとしか思えない。余りにもおそれ多いのでここでいちいちその具体例を挙げることは差し控えるが、言葉に言い表せないほどの憤りを覚える。

 

 それにしても『朝日新聞』というのは許し難い新聞である。発行日を西暦を主にして元号を括弧の中に書くようにしたのは『朝日』が一番先である。また皇室への敬語も一切使っていない。このように『朝日』は反皇室・反日本的姿勢の新聞であり、民族の敵・現代の朝敵と断じても何ら間違いではない。

 

 ところが『朝日新聞』は何か御皇室に慶事など重大行事があると、『御写真集』や特集を組んだグラフ雑誌などを発行するのだ。これは『朝日新聞』が皇室尊崇の念を持っているのではなく、明らかに営利至上主義に基づくものである。

言葉を乱すことによって日本國體を破壊せんとしている亡國マスコミ

 

 『朝日』などのマスコミが皇室への敬語・尊敬語の使用を止めたのは、國民の皇室への尊崇の心を喪失せしめるための策謀である。「天皇皇后両陛下」「皇太子同妃両殿下」と書くべきなのに、「天皇ご夫妻」「皇太子ご夫妻」と書いている。ひどいのになると「天皇夫妻」と書いている(『週刊現代』など)。

 

 さらに「皇室」に対し奉り、「天皇御一家」とか「天皇家」と申し上げるのは慎むべきである。なぜなら、天照大神の後裔であらせられ、「姓氏」を持たれない「御皇室」は普通一般の「何某家」ではないからである。

 

田尾憲男氏は、「天皇は日本國の永遠性の象徴であり、日本民族の誇りなのです。そういう『特別の御存在』に対して、敬意の表現としての敬語を用いるのは、伝統的な國民感情に基づいた言葉づかいとして当然……日本國と日本國民の『象徴』をおとしめることは、自分たちをおとしめることにほかなりません」(昭和聖徳記念財団発行『昭和』十二月十日号)と論じている。同感である。

 

わが國は古来言葉を大切なものとして来た。萬葉集には「言霊の幸ふ國」「言霊のたすくる國」と歌われている。また『聖書ヨハネ伝』には「言葉は神なりき」とある。「言葉の乱れは世の乱れ」とも言われる。   

 

 言葉は単なる意志伝達手段ではない。文化そのものであり人間の生活そのものである。その言葉を乱すことによって日本國體を破壊せんとしているのが『朝日』などの亡國マスコミ・反日マスコミなのである。

 

 「開かれた皇室」などということを何時頃誰が言い出したか知らないが、これも、天皇の及び皇室の尊厳性を破壊することを目的とした巧妙なる策謀である。「開かれた皇室」とは、「皇室は神秘のベールに包まれるべきではない」「皇室の関する公私にわたる情報は全て公開せよ」「皇室は國民ともっと自由に接触せよ」ということなのだろう。 

 

 日本國民は古来、信仰共同体・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇を神聖なる御存在と仰いできた。これを現御神信仰という。そしてこの信仰は、日本伝統信仰の中核である。「神秘のベール」を取り除くということは、天皇の祭祀主としての神聖なる御本質を否定することになる。天皇の神聖性の保持と「開かれた皇室論」とは絶対的に矛盾する。

    

 亡國勢力による皇室批判、というよりも皇室への罵詈讒謗・悪口雑言の根絶に最大の努力をしなければならない。政府及び宮内庁の行政努力だけで天皇・皇室の尊厳性・神聖性を冒する言動を抑止し得ない場合は、「皇室の尊厳保持法」の制定が必要である。

 

 日本國建國以来の、天皇及び皇室への國民の仰慕は、法律や權力によって強制されたものでない。しかし、日本國内に巣喰う反日本勢力の「國體破壊」「反皇室」策謀が愈々益々活発になり、それが國家の現在及び将来に重大な影響を及ぼす時代になっている今日、政府及び宮内庁は、天皇及び御皇室の尊厳性をお護りする具體的処置をとるべきである。

 

 ただしこのことによって、天皇及び皇室と國民とを離間せしめるようなことになってはならない。あくまでも天皇及び皇室の尊厳性・神聖性を否定し冒する行為、そして皇室への罵詈讒謗・悪口雑言を抑止することが目的である。天皇及び日本國體に関する真摯な論議や研究を權力や法律によって抑圧することが目的ではない。

 

 ともかく、尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。

 

 ともかく、日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶しなければならない。

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、諸雑務。

午後は、今夜の『萬葉集』講義の準備、資料の整理。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が、大伴坂上郎女などの歌を講義、質疑応答。帰途、出席者の懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2016年6月 7日 (火)

『アジア自由民主連帯協議会・民主社会主義学習会』における中村信一郎氏(國體政治研究会代表幹事」)による「民主社会主義運動、その思想戦に末端で連なっての五十余年を回顧する」と題する講演の内容

二月十四日に開催された『アジア自由民主連帯協議会・民主社会主義学習会』における中村信一郎氏(國體政治研究会代表幹事」)による「民主社会主義運動、その思想戦に末端で連なっての五十余年を回顧する」と題する講演の内容は次の通り。

「民主社会主義そして民社党の大部分は尊皇敬神の立場であった。しかし、民主社会主義を深く研究しても、尊皇敬神という思想は出てこない。それよりも共産党との戦いであった。社会主義・自由主義という思想に立っても政治的共同体の文化伝統を大切にするということまでしか言えない。

 

國體の問題に一貫して取り組んできたのは高池勝彦氏と私。高池氏の父親は神職。小学校に入る前から本居宣長の世界に生きていた。高池勝彦・梅澤昇平両氏は掛け替えのない盟友。

 

社会主義の定義は貧富の差の是正。共同体を守っていく。もう一つが勤労の重視。自分の関係者に思いを寄せ楽にするというが『はたらく』いう意味。やまと言葉と欧米語では『労働』という言葉の意味が全く違う。

 

貧富の格差是正と勤労と協同は一体不可分。マルクスレーニン主義は格差是正に一点集中。しかし今日、支那は世界歴史上比類のない貧富の差がある国。日本は江戸時代から貧富の格差が少ない。共産主義国家は貧富の格差是正を大義名分にして、他の二つのキーワード(勤労と協同)を無視。毛沢東は六千万人を虐殺。虐殺に次ぐ虐殺が共産主義の現実。マルクスレーニン主義は社会主義の異端。傍流とも言えない。マルクスレーニン主義は社会主義とは無縁の思想。

社会主義という思想が体系的社会改革運動として人々に知られるようになったのは、英国流社会主義。英国の社会主義は自由主義と一体不可分の関係にある。社会主義の本流である。

 

西尾末広氏は昭和十年代、社会大衆党の活動で、民主社会主義の理念を踏まえた活動をしていた。民主社会主義運動は、昭和二十一年十月に社会思想研究会が創立されたのが出発点。民主社会主義という言葉を正面に立てたのが河合栄治郎の門下生が創立した社会思想研究会。河合栄治郎は戦闘的自由主義者。社会主義・自由主義の正統なる思想を普及して行くということで社会思想研究会は結成された。西尾末広は戦前からの政治活動の遺産を踏まえつつ民主社会党を結成。民社党の支援組織として全日本労働総同盟が出来た。民主社会主義思想は今後も維持されていくべきと思う。歴史的連続性の共同体を維持していくことがとても大切。『神ながらの道』を党の綱領に表わしていく。日本の國體を守っていく」。

ペマ・ギャルポ氏が挨拶し次のように語った。「アジアには自由も法の支配も無い国がある。中国共産党は共通の敵である。中村信一郎氏にはお世話になった。原稿を書かせていただいた。これからの我々が目標とすべきものは民主社会主義。『中華人民共和国』の国家の中身は崩壊しつつある。汚職摘発は特定人物の追放」。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。明日開かれる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日の講義の準備、原稿執筆、資料の整理など。

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「違法性はないものの、不適切だった」という言葉について

「違法性はないものの、不適切だった」という言葉はなかなか意味深長である。私もこれまでの人生で「違法性はないものの、不適切だった」行為はしたことがあるだろう。しかし、短時日の間に、元検事から「違法性はないもののも不適切だった」と指摘それるようなことは、舛添氏ほどはしていないと思う。まして、舛添氏は、政治資金の問題でも、政治家の資質や政治姿勢に関しても、他者を度々批判してきた人物である。また舛添氏は、政治学者・国会議員を経て、今は東京都知事である。やはり相応の責任の取り方があると思う。

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左翼=「共産主義者」「社会主義者」こそ、日本を亡国に導き、日本国民を圧制の下に呻吟せしめようとする者共である

二十年ほど昔、ロンドンの大英博物館を参観した。収蔵品の多くは要するに世界侵略支配を行った英国が各地から略奪して来た品々であった。特にエジプトや古代ギリシャの美術品が多かった。日本は今日、侵略国家だったなどと批判されているし、日本人自身にも侵略国家だったなどと思っている人が多い。しかし、日本の美術館や博物館には、このような外国から奪って来た物は無い。日本皇室の美術館たる三の丸尚蔵館の展示物にも一切ない。日本は本来、覇道の国ではないし、侵略国家ではない。 欧米の帝国主義国家とわが国とは全く国柄・國體が異なるのはこの事実によっても明白である。

 

従って、國の根幹たる憲法は、日本傳統精神を根幹とすべきであって、西欧政治思想・法思想を根幹とすべきではない。西洋法思想・政治思想によって貫かれている「現行占領憲法」が今日の日本に頽廃と混迷をもたらしている。

 

帝国主義国家は、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらえ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想が、西洋の文化・文明の根源にある。

 

共産主義思想も、一神教の思想・精神の根源にしている。共産主義は理屈の上では国家を否定する。しかし、共産主義国家は、国家権力が国民を弾圧し抑圧し殺戮した。「中華人民共和国」「朝鮮民主主義人民共和国」という共産国家は今日唯今、自国民を抑圧し続けている。共産支那は、帝国主義的侵略・膨張を激化させている。

 

そして、この二つの国と同根の「主義」「思想」を持つのが日本の社民党と共産党なのである。この二つの政党と、民進党やメディア・学界などに紛れ込んでいる左翼=「共産主義者」「社会主義者」こそ、日本を亡国に導き、日本国民を圧制の下に呻吟せしめようとする者共なのである。今回の参院選で、民進党が共産党・社民党と共闘しようとしている事実にそれがよく表れている。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、諸雑務。

午後からは在宅して、原稿の校正、執筆、資料の整理など。

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2016年6月 6日 (月)

「萬葉古代史研究會」のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 六月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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『川端康成コレクション 伝統とモダニズム』展参観記

昨日参観した丸の内の東京ステーションギャラリーで開催中の『川端康成コレクション 伝統とモダニズム』展は、「ノーベル賞作家の川端康成は、美術品の収集家としても知られています。近世絵画の傑作や近代工芸の優品から、現代アートの巨匠の作品にまでいたるそのコレクションは、優れた審美眼によって形成された、独自の魅力的な美の世界を作りだしています。本展では、伝統とモダニズムの双方にまたがる川端の収集品を軸に、川端文学の展開や、画家、文学者たちとの交流をも視野にいれ、その深淵な美意識の世界に分け入ろうとするものです」(案内書)との趣旨で開催された。

 

古賀春江の「そこに在る」「公園のエピソード」東山魁夷の「晩鐘」「マリアの鐘」「山湖静」「北山初雪」草間彌生の「不知火」パブロ・ピカソの「ヴェールの女」渡辺崋山の「桃花山禽双孔雀図」小林古径の「双鶴図」などの絵画、菊池寛・横光利一・太宰治・三島由紀夫・坂口安吾などの川端康成宛書簡、古墳時代の「埴輪」、縄文時代の「土偶」、アフガニスタンで発掘された「仏頭」などの塑像、黒田辰秋の「拭漆栗楕円盆」などの木製漆塗、川端康成の「美しい日本」「以文會友」などの墨書。昭和初期の浅草の劇場のチラシ広告などが印象に残った。

 

普通の展覧会と違って、それぞれの展示品に関する川端康成の文章が添えられているのが良かった。川端康成の文章は読みやすいがとても深いものであった。東山魁夷の絵画はこれまで随分鑑賞する機会かあったが、「晩鐘」「マリアの鐘」という外国それもヨーロッパの風景を描いた作品を見るのは初めてであった。川端康成に宛てた太宰治の長文の書簡は芥川賞受賞を懇望する凄まじい内容であった。太宰の執念と自負が綿綿と書かれていた。それに比較して坂口安吾の書簡は、無頼派といわれたが原稿用紙に飼い犬のことが丁寧な字で書かれた冷静な内容であった。川端康成は、昭和初期の浅草を描いた『浅草紅團』という作品がある。浅草によく通った川端が逝去するまで保管していたカジノ・フォーリーなどの宣伝のチラシも展示されていた。田谷力三・羽衣歌子の名前が書かれているチラシもあった。田谷力三氏とは親しくさせて頂いたし、羽衣歌子さんとも一回お会いしたことがある。懐かしい方々である。

 

川端康成は、二十代から三十代にかけて千駄木・谷中・上野桜木町に住んでいた。昔の地名では、本郷区千駄木町三十八番地、下谷区谷中坂町七十九番地と言う。上野桜木町には昭和四年から十年まで住んだという。私宅の近くなので親しみを感じる。昭和十年に上野桜木町から鎌倉に引っ越し、昭和四十七年に自殺するまで住んだ。宅間ケ谷と言う所で、そこには林房雄氏も住んでいた。学生時代、生学連・日學同の同志たちと共に林房雄邸をお訪ねし、色々お話を伺ったことを思い出した。

 

川端康成は、大正末期から昭和初期にかけての文学運動であった「新感覚派」のメンバーであった。「新感覚派」には、川端をはじめ横光利一、中河与一、今東光、片岡鉄平などが属していた。今回の展覧会では、横光利一の書簡や写真が展示されていたが、中河与一はまったく登場していなかったので少しさみしかった。

 

私は、川端康成の作品は『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』『眠れる美女』などを讀んだ。題名からすると、美しい日本の風景や女性を描いているように思えるが、讀んでみるとそうではない。『伊豆の踊子』は別として、虚無の世界、異常性愛の世界が描かれている。川端はただ単に日本の伝統美を描いた人ではない。魔界、妖美な世界、人間の醜と悪、非情・孤独・絶望の世界も描いている。

 

川端康成、太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫などを見ても分かる通り、天才作家は自殺・自決で、この世を去った人が多い事は厳然たる事実である。

 

昭和時代の偉大なる作家であった川端康成のことがあらためて色々勉強になった展覧会であった。

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。

帰宅後、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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2016年6月 5日 (日)

『天の岩戸神話』について

天照大神と須佐之男命の御関係は「天の岩戸神話」に示されている。「天の岩戸神話」は、伊耶那岐命に海原を治めなさいと命じられた須佐之男命は「母のいる黄泉の国へ行きたい」と泣きわめいたので、伊耶那岐命に追い払われてしまった。そこで須佐之男命が黄泉の国へ行く前に天照大神のところへ挨拶に行こうと天に上っていくと、山川が鳴り騒ぎ国土が振動したので、天照大神は天上の国を奪いに来たのだと思われる。須佐之男命は「そんな心は持っていない」と言われ、「うけひ」(誓約・どちらが正しいかを判断する神秘的な行事)をした。その結果、須佐之男命が勝ったので須佐之男命は勢いにまかせて大暴れする。すると天照大神は天の岩戸にお隠れになってしまう。そこで八百万の神々は色々な方法を用いて、天照大神を岩戸から引き出す。そして須佐之男命は天上の世界から追い払われて出雲の国にお降りになる、という物語である。

 

天照大神は須佐之男命の田を壊したり溝を埋めたり御殿に糞をするという様々な御乱行(荒ぶる行為)に対して「糞のように見えるのは酔って吐いたのでしょう。田を壊し溝を埋めたのは大地をいたわってのことでしょう」と善いように解釈されて最初は咎められなかった。これを「詔り直し」と言う。悪い行為を善い意味に解釈することである。そして「詔る」とは言葉を発するという意であり「直す」悪いことを善くすることである。日本民族は本来、悪を固定的に考えないし、他人の長所を見て短所を細かくあげつらわないのである。これは言霊(ことだま)による浄化・善化・光明化である。邪悪なものを言霊によって直すことが「詔り直し」である。

 

この神話には、女性性と男性性あるいは母権と父権のせめぎあいが象徴的に描かれていると考えられる。つまり古代日本の共同体における中心者は神の意思を伺う巫女たる女性であったと思われる。しかしそのうち次第に政治と軍事で主導権を発揮する男性が共同体の中心者になっていく。その過程を、象徴している神話が、この天の岩戸神話ではなかろうか。

 

それでは天照大神が天の岩戸に隠れるということは一体いかなることを意味しているのであろうか。そもそも神話にあっては、本来、天空は父であり男性であり、大地は母であり女性である。ところが日本神話では天照大神と須佐之男命の御関係においてこれが転倒している。しかし天地初発の神話、伊耶那岐命・伊耶那美命の国生み神話などを拝しても、日本神話において天空が男性性、大地が女性を象徴していることは明らかである。

 

洞窟とか坑道は母あるいは女性の子宮であるという説がある。天照大神が天の岩戸の籠られたということは、母の子宮に帰ったということを意味するというのである。天照大神は、須佐之男命の大暴れに困惑され、共同体・国の統治者のとしての御役目を一時的に去られて女性として母としての姿に回帰されたことを物語っているという解釈である。

 

天照大神が天の岩戸の隠れることについては、さらに次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと言うのである。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。この説だと天照大神の天の岩戸隠れと須佐之男命の荒ぶる行為との因果関係は無くなる。

 

八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするのである。

 

中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。・…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(『天つ神の世界』)と論じておられる。

 

日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が衰える日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 

この天の岩戸神話には日本の「踊り」の起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。 

 

桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。 

 

祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが「天の岩戸神話」であると考える。  

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、諸雑務。

午後は、丸の内の東京ステーションギャラリーで開催中の『川端康成コレクション 伝統とモダニズム』展参観。

帰宅後は、原稿執筆・書状執筆。

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2016年6月 4日 (土)

徳川康久靖国神社宮司(徳川慶喜徳川幕府第十五代征夷大将軍の曾孫)による「大阪城ディナー」と題する講演の内容

二月七日に行われた『中央乃木會主催講演会』における徳川康久靖国神社宮司(徳川慶喜徳川幕府第十五代征夷大将軍の曾孫)による「大阪城ディナー」と題する講演の内容は次の通り。

 

「慶応三年三月二十五日、『大阪城ディナー』が行われた。大政奉還の半年前、江戸城明け渡しの一年前にこういう事があった。

 

徳川慶喜は慶応二年に将軍になった。偉人であったかどうかの判断は難しいものがあるが、わが家では偉いということになっている。我が家では『慶喜公』と呼んではいけない。『慶喜様』と呼んでいる。別格の扱い。高松宮妃殿下も『慶喜様』と呼んでいた。

 

慶喜の子供たちは慶喜が静岡に隠居した後に生まれた。私の祖父はお屋敷の中で育てられると病弱になるということで静岡の町の商家に預けられた。やんちゃな育てられ方をした。一週間に一回日曜夜、家族そろって晩御飯を食べた。月曜の朝、それぞれ預けられている家に帰る。うちの祖父が一番やんちゃで、家の帰ると、慶喜公を『チャン』と呼んだ。

 

慶喜は半年間の将軍空席の後、慶応二年に将軍になった。一年後に大政奉還。江戸城に住んだことはない。活動の場は京都。元治元年、禁裏御守衛総督就任。

 

第四代征夷代将軍・徳川家綱は『若いので京都に行くことが出来ない』ということで、江戸で任官した。以来、十四代・家茂まで江戸で征夷大将軍に任官。江戸城で将軍宣下が行われた。慶喜は将軍宣下を二条城で受けた。戦闘経験のある徳川将軍は、家康・秀忠。三代から十四代まで戦闘経験なし。十五代の慶喜は、禁門の変で刀を抜いて戦っている。

 

アメリカ、イギリス、フランス、オランダの公使を大阪城に呼んだ。兵庫開港が最大の問題。朝廷は『開港はならぬ』という意向。外国からは開港要求があった。慶喜は板挟みになった。各公使と会談の後、晩餐会が行われた。三月二十五日イギリス、三月二十六日オランダ、三月二十七日フランス、三月二十八日アメリカの順で会談。

 

イギリス公使は、警備の騎兵隊を連れて大阪城にやって来た。大手門に到着。下乗の札があったが外交団は下乗しなかった。騎兵隊は下乗した。慶喜からイギリスとの外交問題即ち生麦事件の賠償、下関砲台問題の解決の提案が出された。慶喜の態度も外見も立派だったとイギリス人は書いている。慶喜はイギリスの騎兵隊を閲兵。武術が披露された。慶喜は馬に一番興味を持った。イギリスはアラブの馬を使っていた。当時の日本の馬と比較してすらりとした大きな馬だった。

 

イギリス側は晩餐会に期待していなかった。慶喜将軍はナイフとフォークを上手に使っていた。小笠原長門守が陪席した。ディナーの料理を誰が作ったかが問題。シェフはフランス人を雇った。この人は、横浜外人居留地のホテルのレストランの料理人。四日分のディナーを作った。大変な量の食材。相当な金額で引き受けたと思う。

 

晩餐会には音楽がつきもの。大きなオルゴールで音楽を流した。当時の幕府の財政はかなり逼迫していた。慶喜さんは相当進歩的。和食と日本酒を出さずフランス料理を出した。彼の食物嗜好は四足を食べた。一ツ橋家の当主の頃から豚肉を食べた。

 

薩摩寄りのイギリスも慶喜の外交手腕を評価し信頼した。慶喜個人に対して悪い印象を持たなかった。

 

慶喜は大正二年に亡くなるまで、一切政治の表に出なかった。一切話もしなかった。当時、最高の料理でおもてなし出来る和食の板前がいたかどうか疑問。板前を二条城から連れてきても良かったがフランス料理にした。孝明天皇は四足を召し上がらなかったと思う。私の祖父の弟は勝海舟の家に養子に行った。それ以来勝家との付き合いが続いている」。

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2016年6月 3日 (金)

千駄木庵日乗六月三日

午前は、諸雑務。

昼は、若き友人と懇談。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、施設に赴き。母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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今こそ祭祀主・日本天皇を中心とした國家の眞姿回復即ち維新が断行されるべきである

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たらうとしたのである。

 

國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を打ち払ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

「尊皇攘夷」の起源は、貝塚茂樹氏によると、北狄や南蛮の侵略にあった古代支那(周の末期)の都市國家群・支那民族が、危機を乗り越えやうとした時の旗幟(きし)である。ただし支那の場合は、「尊皇」ではなく」尊王」である。

 

日本國の長い歴史の中で、「攘夷」の精神は静かに表面に出ず脈々と継承され生き続けたのであるが、白村江の戦ひ・元寇・幕末など外患の時期においてこの精神が昂揚した。

 

大化改新と明治維新は共通する面が多い。それは外圧の排除であり、政治体制・法体制の整備であり、外國文明・文化の包摂である。大化改新後の律令國家体制は明治維新後の明治憲法体制と相似である。

 

維新のことを日本的変革といふ。日本の伝統精神に基づいた変革が維新であり、日本の本来あるべき姿(天皇中心の國体)を明確にする変革が維新である。維新と革命の違ひは変革の原理を天皇とするか否かである。ゆゑに明治維新は革命ではない。

 

また、神武建國の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではない。日本の道統への回帰である。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのである。これを「維新とは復古即革新である」と言ふ。

 

徳川幕藩体制から天皇中心の統一國家への転生は、体制変革のみならず、精神の変革がその根底にあった。日本國家の発展と安定の基礎は、天皇中心の信仰共同体としての日本國體が、現実の國家運営の基盤として正しく開顕してゐることにある。

 

わが國の歴史始まって以来、日本國家を統合する<核>は、天皇であった。急速な変化と激動の中で、わが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革を為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。わが國は、どのやうな困難な時期においても、常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

 

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

 

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。日本人は優秀である。その優秀さは、勤勉性、高い道義心、協力と献身の精神の旺盛さ、謹厳実直さなど色々挙げられるだらう。

 

上御一人日本天皇は、もっとも清浄な御存在であり、人間の姿をされた神である。天皇が政治・軍事・文化・宗教の最高権威者である。

 

共産支那や北朝鮮の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されてゐる今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らさねばならない。

 

現代日本は、國民の皇室尊崇の念が薄れつつあり、伝統信仰が顧みられなくなりつつある。これが今日の國家の弱体化の原因であり、このままでは國家崩壊につながる。民族の正氣・日本の心を回復せしめなければならない。

 

外患に当って、神祭神事を盛んにするのは、わが國の伝統である。今こそ祭祀主・日本天皇を中心とした國家の眞姿回復即ち維新が断行されるべきである。

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』編集会議。終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆、脱稿、送付。

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2016年6月 2日 (木)

共産主義革命が進歩であり、人民の人民による人民のための政治の実現などといふのは大嘘であった

共産主義革命が進歩であり、人民の人民による人民のための政治の実現などといふのは大嘘であったことは、今日火を見るよりも明らかになってゐる。

 

「歴史は進歩し、前に進む。その先には自由と民主主義の世界・人民の人民による人民のための世界が待ってゐる」といふのがいはゆる「進歩史観」といふ仮面をつけたマルクス・レーニン主義の歴史観である。そして「進歩主義者」「マルクス・レーニン主義者」は「歴史的必然」「科学的法則」といふ言葉を使ふ。ロシア革命も支那共産革命も科学的法則の基づく歴史的必然であり、進歩であると言ふのだ。今でもそれを信じてゐる人がゐる。

 

林健太郎氏は、「(進歩史観は・注)ア・プリオリな理論的要求であって、現実を見た考え方ではない。いかに人間の生活があってもそこに停滞というものがあり得ることは、今日においてもなおアフリカ、南洋、南米等の奥地に未開民族が何千年も同一の生活を続けているという事実が示している」(『歴史と体験』)と論じてゐる。

 

共産革命後のロシアや支那がそれ以前のロシア・支那より進歩してゐるだらうか。一体「進歩」とは何か。確かに科学技術は進歩するだらう。政治体制や経済体制、それより何より国民の生活が進歩し発展してゐるのか。

 

今日の支那・北朝鮮は、言論集会結社の自由は無く、人権は全くと言っていいほど尊重されてゐない。民主的政治体制とはかけ離れてゐる。議会政治はまともに機能してゐない。日本では、百年以上昔の明治維新によって実現した事すら、支那・北朝鮮ではまだ実現してゐない。

 

支那の民衆は、辛亥革命によっても、共産革命によっても、文化大革命によっても、全く「進歩した生活」を営むことかできなかった。それは経済格差、圧倒的多数の国民の困窮、治安の乱れ、権力闘争などを見れば明白である。

 

今日の支那もロシアも革命以前のロシア帝国・支那帝国に回帰したのである。そして対外侵略の牙をむいているのだ。その手先が北朝鮮である。

 

キューバ、北朝鮮、カンボジアは、共産主義革命なるものが如何に間違ってゐるかを証明した。二十世紀はまさに共産主義といふ妖怪が多くの人類を殺戮し、自由を奪ひ、地獄に突き落とした世紀だったのである。

 

日本国内にいまだに「似非進歩主義」「マルクス・レーニン主義」の呪縛から脱出できてゐない者たちが残存する。さういふ人々の国家転覆を目指した活動に厳しい目を光らせなければならない。ロシア・共産支那は、日本への軍事的圧迫を強めてゐる。その手先となって動くのが、かうした連中である。

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千駄木庵日乗六月一日

朝は、諸雑務。

午前十一時半より、赤坂茶寮にて『ゆずり葉連句会』開催。

この後、大手町にて、友人と懇談。

夕刻、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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