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2016年5月29日 (日)

『天壌無窮の神勅』に示された日本國體精神と日本の憲法

日本國體は、太陽神であり皇室の祖先神であらせられる天照大神が、地上に天降られる邇邇藝命に与へられた『天壤無窮の神勅』に端的に示されてゐる。

 

 『天壤無窮の神勅』

 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(「豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう」といふほどの意)

 

 「吾が子孫(うみのこ)」とは、邇邇藝命をはじめ神武天皇から今上天皇に至るまでの歴代の天皇は、天照大神の「生みの子」であり、歴代の天皇は天照大神の御神靈と一體であり、同一神格であり、天照大神とのご関係は、邇邇藝命も神武天皇も御歴代の天皇も今上天皇も、同じであるといふことである。今上天皇は、天照大神・邇邇藝命・神武天皇と不二一體である。これを「現御神信仰」と言ふ。

 

日本國は現御神であらせられる天皇が永遠に統治する國であるといふ日本國體は、建國以来厳然と確立してゐる。これを法律的に言へば、不文法によって定まってゐるといふことである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。

 

しかるに、『現行占領憲法』では、前文には「主權が國民にあることを宣言し」と書かれ、第一条には「主權の存する日本國民の総意に基づく」といふ規定になってゐる。これを根拠にして「日本は君主制の國ではないと」する意見がある。これは日本國體を根本から否定する論議である。かかる議論が起こり得るところに『現行占領憲法』の重大欠陥がある。故に『現行占領憲法』は否定されなければならない。日本國の統治大権は建國以来、天皇にあることを憲法に明確に示すべきである。

 

天皇の統治は、祭祀と一體であり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。故に「萬世一系の天皇が日本を統治する」といふ表現が適切である。

 

日本國の素晴らしさは、太古に生成した「天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家」が今日に至るまで連綿として続いてゐるところにある。

 

わが日本國は崇高なる理想を持った「天皇を中心とした神の國」なのである。日本を立て直し、國家を正しく保つためには、祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

 

吉田松陰先生は、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助氏に与へた手紙の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書かれた。

 

処刑の直前といふ絶望的状況にあっても、なほ、日本國體に対する絶対的信を保持せられた松陰先生に対し無上の尊敬の念を抱く。

 

今日、日本はまさに危機に瀕してゐる。しかし、神は必ず日本國と日本皇室を守り給ふ。『天壌無窮の神勅』に示されてゐるやうに、天照大御神の「生みの御子」であらせられる日本天皇が統治されるわが日本國は永遠に不滅である。されば、現御神日本天皇の大御心を体し、日本傳統精神に回帰することによって、いかなる危機もこれを乗り切り、神國日本の真姿が回復すると確信する。『天壌無窮の神勅』こそ、永遠に遵守されるべき最高最尊の成文憲法である。

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