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2016年5月18日 (水)

「WiLL」誌六月号の西尾・加地対談について

今回の「WiLL」の記事は,皇太子殿下への「諫言申し上げます」などという見出しになっているが、記事冒頭に引用された『週刊文春』本年一月二十一日号の記事は、天皇陛下が明確に否定され、宮内庁からも二度にわたって文春に抗議が行われているものである。しかるに「ウソと断じることはできない」などと主張している。

こうした編集部の姿勢自体がそもそも諫言とは程遠い。

 

この対談で、加地伸行なる人物は、「四月三日の神武天皇没後二六〇〇年関連の行事が象徴的てした。天皇皇后両陛下は奈良県橿原市の神武天皇陵に随行された秋篠宮ご夫妻と共に参拝されましたが、皇太子ご夫妻は皇居の皇霊殿に参拝したのとどまり、ました」と述べこれに答えて西尾幹二氏は「雅子妃の行動が皇室行事の運営に何かと支障をきたしていることは関係者の共通の認識になっているようですね」と言った。

 

「神武天皇没後」「秋篠宮ご夫妻」「皇太子ご夫妻」「雅子妃の行動」「皇室行事の運営」というもの言いは全く天皇・皇室に対する尊崇の念が欠けている証拠である。「神武天皇崩御後」「皇太子同妃両殿下」「秋篠宮同妃両殿下」「雅子妃殿下のご行動」「皇室祭祀の斎行」と申し上げるべきである。

 

さらに重要なのは、『皇室祭祀令』には、「第十八条 神武天皇及先帝ノ式年祭ハ陵所及皇霊殿ニ於テ之ヲ行フ但シ皇霊殿ニ於ケル祭典ハ掌典長之ヲ行フ」とある。

神武天皇の式年祭は,奈良県にある神武天皇陵と皇居の中の皇霊殿との二箇所で行われるのであ。天皇皇后両陛下は神武天皇陵に親拜あそばされ、皇太子同妃両殿下は天皇皇后両陛下の御名代として皇居の皇霊殿に参拝あそばされたのである。加地伸行なる人物は皇室祭祀の「しきたり」に対して全く無知な人間なのである。その無知・認識不足の上に立って、皇太子同妃両殿下は「本来神武天皇御陵にお参りになるべきなのにそれをされなかった」などと批判している。全く許し難いことである。



加地氏は、「皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、その夫人の出欠を問う必要はまったくありません。雅子妃が矢面に立たないためにはそうするしかありません」と語り、これに答えて西尾氏は「矢面に立たないようにしてあげる、ということがたしかにとても大切ですよね。皇太子殿下が妃殿下をどうしても守りたいというお気持ちが強いなら、加地先生が仰るように殿下がご自身の立場をお変えになることです。それ以外に、妻と国民のどちらかを傷つけないで済ますことはできません」と述べた。

 

何という不敬な主張であるか、この発言を讀んで、この二人は皇室尊崇の思いはが薄いどころか尊崇の思いはないと断じざるを得ない。「摂政ならば、その夫人の出欠を問う必要はまったくありません」「矢面に立たないようにしてあげる、ということがたしかにとても大切ですよね」などというのは、天人共に許さざる不敬発言である。「夫人」「してあげる」とは何事か。

 

一体何との資格があって、皇太子殿下に対し奉れ「摂政になることです」などという言辞を弄するのか。そもそも「矢面に立たないため」などと言うが、皇太子同妃両殿下に対し奉り矢を放って攻撃しているのはこの二人ではないか。何とも許し難い。

 

西尾加地両名に限らず、近年、國體護持を主張人々による、皇室・皇族に対する「諫言・批判・苦言」が雑誌新聞などに発表されることが多くなった。

 

また本当に尊皇愛国の精神が篤い人も、あるいは尊皇精神が篤いからこそ、天皇皇后両陛下・皇太子殿下同妃殿下が「自分たちの抱く天皇・皇族の理想像」あるいは「天皇・皇族にはこうあっていただきたいという思い」と異なる御発言や御行動をされた時、批判の思いを抱くことがある。

 

しかし、天皇皇后両陛下をはじめ皇太子同妃両殿下などの皇族方の御行動・御発言に対し奉り、「諫言」と称して、雑誌新聞などで色々と批判し苦言を申し上げることは慎むべきである。

 

いかなる憂国の士・学識のある愛国者といえども、天皇・皇室に対し奉り、自分の考え方や、ものの見方や、思想・理論を、押し付ける資格はない。天皇・皇族のご意志ご行動が、自分たちの抱く理想像や自分たちの抱く國體観念と異なっているからと言って、天皇・皇族をあからさまに雑誌新聞などで批判するのは慎むべきである。

 

自分の意志や思想と一致する天皇・皇族を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成の事績を見ればあまりにも明らかである。

 

久保田収氏は、「楠正成が、わが国史上の英雄として崇拝されて来たのは、その絶対尊皇の精神と行動にある。『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。…天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎の学問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と伝えている。強斎は、このことばが『わが国士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」と論じている。(『建武中興』)

 

正成公の『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』という精神こそ、わが国の臣民のあるべき態度である。天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道である。尊皇精神とは、日本国の祭祀主として神聖なる君主であられる天皇へのかしこみの心である。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇国の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びずと思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じている。

 

天皇は現御神であらせられ、皇太子殿下は日の御子であらせられる。絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇・皇太子の御心や御行動が、自分の考えや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下・皇太子殿下をあからさまに批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。楠正成が言われた如く「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし」なのである。

 

天皇陛下・皇太子殿下が間違ったご命令を下されたりご行動をされているとたとえ思ったとしても、国民は勅命に反してはならず、まして御退位を願ったりしてはならない。どうしても従えない場合は自ら死を選ぶべきであるというのが、わが国の尊皇の道であり、勤皇の道であるということを本居宣長先生は教えているのである。

 

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