« 千駄木庵日乗五月十八日 | トップページ | 萬葉古代史研究會 »

2016年5月19日 (木)

混迷する現代においてこそ『萬葉集』の精神へ回帰するべきである。

 

今日の日本は、日本民族の主體性・誇りを喪失しつつある。また、戦後日本は祖國の良き傳統を軽視あるいは否定し来た。これがわが國が今日、精神的思想的頽廃が末期的様相を呈している根本原因である。わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。わが國本来の政治と道義と國の姿を回復することが必要である。

 

それは偏狭な排外主義的と独善に陥ることでは決してない。わが國のすぐれた古典であるところの「記紀・萬葉の精神」への回帰による精神の救済を図るといふことである。「神話の精神・萬葉の精神」の復活によってこそ祖國日本の再生が行はれると確信する。

 

また公害問題・自然破壊問題、そして阪神淡路大震災、東日本大震災が起こり、今年は熊本地震が起こった。人間と自然の関係をどうするかが大きな問題となっている。『萬葉集』に歌われている日本伝統信仰の「自然神秘思想」「祖霊信仰」をもう一回見直すべきではないだろうか。

 

『萬葉集』は神話の時代来の「日本の中核的な傳統精神」をうたいあげた真の意味の「古典」であり國家変革・激動・外患の危機の時代の歌集である。

 

『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江(はくすきのえ)の戦ひ(唐新羅連合軍と日本百済連合軍の戦ひ)の敗北という國家変革・激動・外患の危機の時期の歌集である。『萬葉集』が生まれた時代は、明治維新の時期とよく似ている時代であり、今日の日本の状況ともよく似ていた時代であった。文字通り内憂外患交々来たる時代であった。

 

同時に、『萬葉集』の時代は、わが國が外国の思想・文化・政治制度・法制度を受容した時代であった。わが國が異質の文化(特に仏教・儒教という精神文化と唐の政治法律制度の受容)に遭遇した激動の時期であった。これに対峙するためにわが國傳統的精神文化が興起した結晶が『萬葉集』である。 

 

変革の意志のないところに価値のある文藝は生まれない。『萬葉集』は復古即革新=日本的変革の歌集である。古代日本の律令體制下において、文化革新・文化維新を希求した歌集である。現代においてもそのような文化維新が望まれる。

 

 わが國は白村江の戦い・元寇・明治維新・大東亜戦争など、國家的危機の時に、ナショナリズムが燃え上がった。そしてそれ一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」としての和歌が勃興する。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。

 

『萬葉集』は、決して平和安穏の世の文藝ではない。内憂外患交々来るといった國難状況の時に生まれた歌集である。それは明治天皇が「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」と歌われている通りである。

 

今日の日本も萬葉時代と同じようにわが國には朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来ている。精神的・経済的・政治的・軍事的苦悩を強いられてゐる現代においてこそ、また自然災害の危機がいつ訪れるか分からない今こそ、『萬葉集』の精神の復興が大事である。『萬葉集』に歌われた精神の回復によって現代の危機を乗り越えなければならない。混迷の極にある現代においてこそ『萬葉集』の精神へ回帰するべきである。

|

« 千駄木庵日乗五月十八日 | トップページ | 萬葉古代史研究會 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/63651499

この記事へのトラックバック一覧です: 混迷する現代においてこそ『萬葉集』の精神へ回帰するべきである。:

« 千駄木庵日乗五月十八日 | トップページ | 萬葉古代史研究會 »