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2016年5月 9日 (月)

『出光美術館開館五十周年記念日の祝典』展参観記

本日参観した「2016年春、出光美術館は開館50周年を迎えます。その記念企画として所蔵の絵画作品から、国宝・重要文化財を中心とした屈指の優品を厳選して三部構成により一挙大公開いたします。第一部のテーマは、『やまと絵』。日本の伝統美を象徴する鮮やかな色彩と、やわらかな造形が織りなす『やまと絵』は、古来、宮廷文化に導かれながら発展してきました。とくに四季折々に移ろう山景や樹木の装い、そして野に会する花鳥たちの表情は、いつの世の人々にも愛され、絵に描かれることで独自の情緒や典雅な美意識を伝え遺してきました。優れた画家たちの手によって制作された、時代を代表する数々の名品を特集展示する本展では、重要文化財の『絵因果経』(奈良時代)や『真言八祖行状図』(平安時代)、『四季花木図屏風』(室町時代)をはじめとし、出光コレクションが誇る『やまと絵』の華麗なる展開をご紹介します。なおこの期間、国宝『伴大納言絵巻』上巻を10年ぶりに特別展示します」との趣旨(案内文)で開催された。

 

『伴大納言絵巻』(平安時代)、『長谷寺縁起絵巻』(南北朝時代)、『四季花木図屏風』(室町時代)、『吉野龍田図屏風』(桃山時代)、『月に秋草図屏風』(江戸時代)、『増長天像』『持国天像』(鎌倉時代)、『山越阿弥陀図』(南北朝時代)、『真言八祖行状図』(保延二年)などを参観。

 

「やまと絵」とは、支那風の絵画「唐絵」(からえ)に対する呼称であり、平安時代の国風文化の時期に発達した日本的な絵画のことだそうである。『源氏物語絵巻』などの絵巻物かその典型と言ふ。

 

今日参観した『伴大納言絵巻』は、貞観8年(866)閏310日に起きた応天門の炎上(『応天門の変』)をめぐる大納言伴善男の陰謀、その露見と失脚を物語った絵巻物。火災現場に駆けつける検非違使の役人たち、炎上する応天門と、それを風上と風下で眺める群集、炎に包まれる応天門がリアルに描かれている。群衆一人一人の仕草や表情がこまかく描写されていてまことに面白い。このように克明な描写を平安時代の昔に描かれたことに驚く。後白河天皇に重用された宮廷絵師・常盤光長が主導的な役割を担ったと言う。

 

『応天門の変』は、当初は大納言伴善男(とも  よしお、弘仁2年(811年) - 貞観10年(868年)は左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣藤原良房の進言により無罪となり、その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、拷問によって自白させられ、有罪となり、伴善男父子が流刑に処された事件である。これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。藤原氏による大伴氏排斥事件とされている。『伴大納言絵巻』は藤原氏側に立った描かれ方がされているように思う。伴善男は、神代以来の明俗・大伴氏の血統をひく人物である。ということは、『萬葉集』の編纂者とされ、大歌人であった大伴家持の子孫である。大伴氏は、天孫降臨の先導役であった天忍日命の子孫とされる天神系氏族で、『萬葉集』の時代から藤原氏と並ぶ氏族であった。何とも陰惨な事件である。

 

『山越阿弥陀図』も印象に残った。亡くなった人を阿弥陀如来と観世音菩薩、勢至菩薩が極楽浄土から迎えに来た状景を描いている。まことに荘厳な作品で、こういう絵を見た人は、阿弥陀仏への信仰をより深めたと思われる。山の向うに浄土があると信じたのであろうか。日本浄土信仰発祥の地は、大和の二上山の麓である。そこには當麻寺(たいまでら)というお寺があり、西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」が伝えられている。東の三輪山から昇った太陽が西の二上山に沈む。大和に生活した古代の人々は二上山の彼方に淨土があると信じたのであろうか。

 見ごたえのある展覧会であった。

 

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