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2016年5月12日 (木)

荷風の文明批評は今日においてもその輝きを失ってゐない

 

現代日本に対する警告・批判となり得る荷風の文章を引用したい。

「丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾を壮麗にす子女またクリスマスとて互に物を贈りて賀すといふ近年人心夷狄の祭祀を重んじ我邦在來の豊かにめでたき行事を忘るゝことを歎ずべしといふ者あり」(『毎月見聞録」大正五年十二月二十四日)。「若し直に國辱の何たるかを問はば獨り對外交渉のみに止まらず現代の世態人情悉く國辱となすに足る…試みに停車場に入りて掲示を見よ。蟇口を開いて貨幣を見よ。皆外國の文字あり。此の如きは欧米何處の國に至るも決して見る事能はざるものなり。…我邦人もしそれ博愛仁義の意を以て外夷の便宜を圖るものとなさば、世界外交文書の例に倣ひて須らく仏蘭西語を以てすべきなり。…全國停車場掲示の英語は屡々人をして神國六十餘州宛ら英米の植民地たるの思ひあらしむ。そもそも異郷人の異國に遊ばむとするや先づその國の言語を習得するの用意なかるべからず。外客の便不便は元来その國人の深く問ふべき處にあらず」(『麻布寿襍記』・大正十三年)。

 

かかる傾向は、今日のわが國に於いてますますひどくなってゐる。いはゆる横文字の氾濫は、日本國が一體どこの國かと思はしめるやうな状況である。横文字とは英語のことであるが、最近はハングル文字・支那簡體字までもが其処此処に掲示されてゐる。

 

戦争直後の昭和二十二年に脱稿した『秋の女』といふ文章で荷風は、「今日われわれに過ぎ去った明治時代が日にまし懐しく思返されるのは學び教へられた西洋文化の底に傳統の流の猶涸れつくさずにゐたが爲でせう。一例を舉げるならば、繪畫には原田直次郎、黒田清輝の制作。文學には四迷鷗外の著述がそれを證明してゐます。活字にならなければ俳句の一首さへよまないのは現代文士の常態です。賣名虚榮を滿たすために、公衆を相手に花をいけ琴をひくのは學校教育に賊(そこな)はれた現代女性の通弊でせう。…公衆に見せる目的に重きを置かずして、猶花を愛し、金錢に目がくらまずに刀を磨くごとき風習はいつの間にかわれわれの世の中から消えてしまったのです」と書いてゐる。これは、戦後日本への批判である。

 

永井荷風の文明批評は、今日においてもその輝きを失ってゐない。荷風が憤り憂へたことは今日の日本に於いてますますひどくなってゐる。

 

荷風は、大正八年八月に「地震は安政以來久しく東都の地を襲はぬけれど、浅間しき末世の有様は、何かにつけて古來の迷信を回想せしめる便宜となり易い」(『厠の窓』)と書いてゐる。関東大震災が起こったのは、荷風がこの文章を書いた五年後の大正十二年九月一日であった。

 

五月三日は『憲法記念日』である。小生はとてもこの日を祝日として心からお祝ひする気にはなれない。亡國の日・屈辱の日と認識し、一日も早く帝國憲法復元改正を實現しなければならないと決意を新たにする。『日本國憲法』といふ名の占領憲法は、昭和二十二年五月三日に「施行」された。この日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふべし。」と記されてゐる。

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