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2016年5月28日 (土)

高御産巣日神・神産巣日神について

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の『苔のむすまで』の「むす」、大伴家持の歌の「草むすかばね」の「むす」も、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

『萬葉集』の「中皇命(なかつすめらみこと、舒明天皇の皇女・間人皇女あるいは斉明天皇の御事とされる)、紀の温泉の往きましし時の御歌」には、

 

君が代も わが世も知るや 磐代の 岡の草根を いざ結びてな

 

と詠まれてゐる。「あなたの命も私の命も司る磐代の岡の草をさあ結びませう」といふほどの意。熊野街道の要衝にあたり、旅人が行路の平安を祈る場所である磐代(和歌山県日高郡南部町岩代)で、「君」(天智天皇の御事といふ)と「我」の無事を神に祈られた時の御歌。

 

有間皇子(孝徳天皇の皇子。謀叛の罪により紀伊國藤白坂で死を賜はる)は処刑地に向はれる途中、同じ場所で次の御歌を遺された。

 

有間皇子、みづから傷みて松が枝を結ぶ歌

 

磐白の 濱松が枝を 引き結び まさきくあらば またかへり見む

 

「磐白の浜松の枝を引き結んで、幸ひ無事であったなら、またここに歸って来て見よう」といふ意。折口信夫氏は、「『濱松が枝を引き結び』と言ふ事は、濱の松に自分の分割した靈魂の附着したものを結びつけられた意で、松の枝に鎮魂的處置をしたと言ふ事になる」(『産靈の信仰』)と論じてをられる。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

この二首の御歌に見られるやうに、草や木の根を「むすぶ」といふ行為は、生命の無事を祈る意義があった。とくに磐代の土地の神の前を通る時は、旅人は松の枝などを結んで無事を祈ったのである。

 

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐるのである。

 

『古事記』では、「高木神」と申し上げる神が高御産巣日神の別名であると記され、高木神は「田の神」の降臨を仰ぐ祭りの神籬(ひもろぎ・上古、神祭のとき、清浄の地を選んで、周囲に常磐木を植えて神座としたもの。後世、神社または臨時に神を招請するために室内・庭上などに立てた榊のことを言ふ。後には、神社のことをも言ふ)にゆかりの深い神名であるとされる。

 

また、高御産巣日神は「隠身」であられ「身を隠された神」ではあられるけれども、天照大御神と共に天孫・邇邇藝命の地上への降臨を命令される神であられる。

 

天之御中主神を中心とする造化の三神そして別天つ神は『古事記』冒頭に記されただけでその後全く登場されないといふことはない。また、単なる理念の神でもない。天孫降臨の御事績そして「萬葉歌」を見ても明らかなごとく、具体的お働きをされ日本人の信仰生活に深く関はる神であられる。

 

日本神話においては、神が天地を創造するのではなく、天地は神と共に「なりませる」存在である。人間の祖先神は天地生成の神とつながってゐる。

 

天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“むすびの原理”の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多・中心歸一といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

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