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2016年5月31日 (火)

「民主」という美辞麗句について

 日本共産党は「民主青年同盟」「民主商工会」「民主医療機関連合会」など「民主」といふ言葉をよく使ふ。この「民主」といふ言葉ほど怪しげな言葉はない。「民主」とか「民主主義」とは一体具体的にはどういふ事なのか。中華人民共和国=共産支那、朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮などを見れば明らかなように、麗々しく国名に「人民」とか「民主」とかを冠してゐる国において専制的にして残虐なる独裁政治が行はれてゐる。独裁専制政治・一党支配を、「人民民主主義」だとか「民主集中制」などと言ひ換へた。美辞麗句や奇麗事を声高に言ふ国や法律や政党ほど危険なものはない。

 

『気を付けよう、甘い言葉と暗い道』という標語があるが、共産主義者の「平和」「戦争反対」「民主主義」などといふ甘い言葉に騙されると、文字通り「暗い道」「悲惨な道」を歩むことになる。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の検索、原稿執筆など。

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「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

 

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。そして国会開会式に出席するようになったのか。それは言うまでもなく、民進党などとの野党共闘をやりやすくするための方便である。

 

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。

 

共産党の「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「綱領」には、「(象徴天皇制は・注)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、天皇制を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇中心の日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

 

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明確に書かれていることによっても明らかである。

 

共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間の自由平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。

 

共産党の「綱領」に、「情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれているのは、「天皇制廃止論が多数になれば憲法を改正して天皇制を廃止する」という事である。

 

 

國體破壊を目指す左翼憲法学者は、『現行占領憲法』の「(天皇の御地位は)主権の存する日本国民の総意に基く」という条文を、憲法九十六条の「憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成、国民の過半数の賛成を必要とする」という規定に基き、「国民の多数意思によって『天皇制』は廃止され得る」と解釈している。しかしこれは誤りである。

 

『現行占領憲法』上の『国民の総意』は選挙人である国民及びその代表者の国会議員の多数意思(多数決の総計)ではない。言い換えると、天皇の御地位は国民の投票によって選ばれた共和国の大統領のような御存在ではない。申すも恐れ多いことであるが、現行憲法下で、「天皇選出の選挙」が行なわれた事は一度もない。

 

「國民の総意」とは、日本国民の普遍意志すなわち過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的意思である。『現行占領憲法』上の「國民の総意」とは三千年の長い歴史の中で、遠い祖先から継承され培われてきた「日本国民の普遍的な意思」という解釈が、日本國體に合致した解釈である。

 

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由・繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗五月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備、資料検索。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。次号の企画案作成。

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2016年5月30日 (月)

この頃詠みし歌

 

街角の小さき焼鳥屋の若き夫婦仲良く楽しげに仕事してをり

 

講演で理路整然と語りし人 しどろもどろの答弁をする

 

尊皇の思ひ深く切にしてみささぎを拝せし人の懐かし(田中望子先生著『みささぎ』)

 

御陵巡拝の文章を尊く讀みにけるわが青春の日々の思ひ出()

 

命燃え奮ひ立つかなこの國に生まれし子としてますらをとして

 

清らけき山のみ社に響き渡る太祝詞言に魂(たま)奮ひ立つ

 

神の御前にただひたすらにかしこみて御代の榮を祈りまつれり

 

工事中の道路が多し 障害物乗り越えて行くが人生ならば

 

金切り声を張りあげてわめく女性議員 国会中継とは何と厭はしき

 

狭き道を歩めば猫が横切りぬ用心深さうに我を見つめて

 

みづからの金銭疑惑は棚上げにしてわめきゐるをみなの何と醜し

 

次々と建て替へられし家ばかり古き町はすでに古くはあらず

 

湯島天神の祭ちょうちんのほの灯りゆかしく浮かぶ夕つ方かな

 

夕暮の湯島の町は賑はひて初夏の祭りは今盛りなり

 

東叡山寛永寺根本中堂の屋根を仰ぐ徳川三百年の栄華を偲び

 

過ぎし昔の栄華は今は跡形もなくなりしかな上野のお山

 

金色の葵の紋は輝けり上野寛永寺の根本中堂

 

午後七時といふに明るき街を行く赤ら顔なるを恥ずかしみつつ

 

お塔婆をを立てて祖霊を供養するこのひと時はやすらぎの時

 

ともどちの誠こめたる誓願詞聞きつつ心引き締りたり

 

夕暮の乃木のみ社の庭に立ち柏手を打つ時のすがしさ

 

遠き世に来たりし思ひす夕暮のみ社の前に佇みをれば

 

父と共に銭湯に行きし思ひ出は昨日の如くに思ひ出さるる

 

わが町に銭湯は一軒も無くなりて五月の鯉幟も一本も無し

 

過ぎてゆく時は惜しまねど 古き良きものが消えゆくことをさみしむ

 

日の本の天地清らけきこの佳き日 伊勢の神域に首脳ら集ふ

 

片割月雨上がりの空に浮かびゐて眺める人の心和ます

 

半月がおぼろに浮かぶ初夏の空 平安なる世を守るごとくに

 

日米が強く絆を結ぶことにあせりゐるなる支那の外相

 

何でもかでも反対せずにはゐられない不健全野党 そは民進党

 

やがて来るそうめんの季節を楽しみにしつつ腹を撫でさすりゐる

 

キュウリ切る包丁の音の耳に響く朝の台所に一人の男

 

バス待てばやがて来ることを信じつつこれを必然と言ふのか否か

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千駄木庵日乗五月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

午後六時より、春日の文京シビックホールにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。坂東忠信氏が「国民目線の間接侵略」と題して講演、続いて小生が「『共産支那』の対外膨張と中華帝国主義」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年5月29日 (日)

『天壌無窮の神勅』に示された日本國體精神と日本の憲法

日本國體は、太陽神であり皇室の祖先神であらせられる天照大神が、地上に天降られる邇邇藝命に与へられた『天壤無窮の神勅』に端的に示されてゐる。

 

 『天壤無窮の神勅』

 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(「豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る日本國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう」といふほどの意)

 

 「吾が子孫(うみのこ)」とは、邇邇藝命をはじめ神武天皇から今上天皇に至るまでの歴代の天皇は、天照大神の「生みの子」であり、歴代の天皇は天照大神の御神靈と一體であり、同一神格であり、天照大神とのご関係は、邇邇藝命も神武天皇も御歴代の天皇も今上天皇も、同じであるといふことである。今上天皇は、天照大神・邇邇藝命・神武天皇と不二一體である。これを「現御神信仰」と言ふ。

 

日本國は現御神であらせられる天皇が永遠に統治する國であるといふ日本國體は、建國以来厳然と確立してゐる。これを法律的に言へば、不文法によって定まってゐるといふことである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。

 

しかるに、『現行占領憲法』では、前文には「主權が國民にあることを宣言し」と書かれ、第一条には「主權の存する日本國民の総意に基づく」といふ規定になってゐる。これを根拠にして「日本は君主制の國ではないと」する意見がある。これは日本國體を根本から否定する論議である。かかる議論が起こり得るところに『現行占領憲法』の重大欠陥がある。故に『現行占領憲法』は否定されなければならない。日本國の統治大権は建國以来、天皇にあることを憲法に明確に示すべきである。

 

天皇の統治は、祭祀と一體であり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。故に「萬世一系の天皇が日本を統治する」といふ表現が適切である。

 

日本國の素晴らしさは、太古に生成した「天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家」が今日に至るまで連綿として続いてゐるところにある。

 

わが日本國は崇高なる理想を持った「天皇を中心とした神の國」なのである。日本を立て直し、國家を正しく保つためには、祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

 

吉田松陰先生は、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助氏に与へた手紙の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書かれた。

 

処刑の直前といふ絶望的状況にあっても、なほ、日本國體に対する絶対的信を保持せられた松陰先生に対し無上の尊敬の念を抱く。

 

今日、日本はまさに危機に瀕してゐる。しかし、神は必ず日本國と日本皇室を守り給ふ。『天壌無窮の神勅』に示されてゐるやうに、天照大御神の「生みの御子」であらせられる日本天皇が統治されるわが日本國は永遠に不滅である。されば、現御神日本天皇の大御心を体し、日本傳統精神に回帰することによって、いかなる危機もこれを乗り切り、神國日本の真姿が回復すると確信する。『天壌無窮の神勅』こそ、永遠に遵守されるべき最高最尊の成文憲法である。

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千駄木庵日乗五月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

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2016年5月28日 (土)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年六月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

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購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年五月号(平成二十七年四月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

 

永井荷風論

 

荷風は近代化によって埋没されつつあった江戸情緒に対する愛惜の念を抱いた

 

荷風の文學精神、強靭なる思索力・創作力の根底に「反近代」「傳統回帰」があった

 

荷風の反近代の基盤は「江戸情緒への愛惜」であり太古以来の日本の傳統ではなかった

 

今日に於いて永井荷風の文明批評に學ぶことは多い

 

千駄木庵日乗

 

宮脇淳子氏(東洋史家・學術博士)「『一八四〇年の阿片戦争で屈辱の歴史が始まる』というのは、中國共産党の正統性を証明するために毛沢東が発明した虚構」

 

ストローブ・タルボット氏(ブルッキングス研究所所長)「ロシアはヨーロッパの土地を自分の物にして返そうとしていない。北方領土も同じ。中國の野望は太平洋をアメリカと二分しようとしている。中國は昔持っていたものを取り返し、朝貢國を復活させたい」

 

劉澎氏(北京普世社會科學研究所所長)「儒教文化は中國の傳統。我々か何者であるかを尋ねると、儒教にたどり着く」

 

簫功秦氏(上海師範大學人文學院教授)「日本は軍國主義なんてあり得ない。中國それを知るべし。日本は多元的社會。中日両國の交流が必要」

 

任剣涛氏(中國人民大學政治學部教授)「他の民族に対する朝貢体系があった。中國の天下という大系。自分たちが優れているので周囲が朝貢するのは当然と思っていた。朝鮮は朝貢していた。日本は一度も朝貢していない。中國は近代の世界観が理解できなかった」

 

周為民氏(中國共産党中央党學校マルクス理論教育研究部主任)「資本・労働力・土地・資源市場では市場メカニズムを発揮できていない。行政によって経済統制が行われている。中國の色々な問題の根本はここにある」

 

華生氏(東南大學経済管理學院名誉院長)「中國と日本は違う発展段階にある。中國は一人あたりの所得も低い。都市化は進んでいない。一九九〇年代の日本より相当低い」

 

田尾憲男氏(皇學館大學特別招聘教授・神道政治連盟主席政策委員)「國體は三つの側面から見るべし。政治的法的國體、精神的文化的國體、地理的自然的國體」

 

 

この頃詠みし歌

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高御産巣日神・神産巣日神について

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の『苔のむすまで』の「むす」、大伴家持の歌の「草むすかばね」の「むす」も、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

『萬葉集』の「中皇命(なかつすめらみこと、舒明天皇の皇女・間人皇女あるいは斉明天皇の御事とされる)、紀の温泉の往きましし時の御歌」には、

 

君が代も わが世も知るや 磐代の 岡の草根を いざ結びてな

 

と詠まれてゐる。「あなたの命も私の命も司る磐代の岡の草をさあ結びませう」といふほどの意。熊野街道の要衝にあたり、旅人が行路の平安を祈る場所である磐代(和歌山県日高郡南部町岩代)で、「君」(天智天皇の御事といふ)と「我」の無事を神に祈られた時の御歌。

 

有間皇子(孝徳天皇の皇子。謀叛の罪により紀伊國藤白坂で死を賜はる)は処刑地に向はれる途中、同じ場所で次の御歌を遺された。

 

有間皇子、みづから傷みて松が枝を結ぶ歌

 

磐白の 濱松が枝を 引き結び まさきくあらば またかへり見む

 

「磐白の浜松の枝を引き結んで、幸ひ無事であったなら、またここに歸って来て見よう」といふ意。折口信夫氏は、「『濱松が枝を引き結び』と言ふ事は、濱の松に自分の分割した靈魂の附着したものを結びつけられた意で、松の枝に鎮魂的處置をしたと言ふ事になる」(『産靈の信仰』)と論じてをられる。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

この二首の御歌に見られるやうに、草や木の根を「むすぶ」といふ行為は、生命の無事を祈る意義があった。とくに磐代の土地の神の前を通る時は、旅人は松の枝などを結んで無事を祈ったのである。

 

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐるのである。

 

『古事記』では、「高木神」と申し上げる神が高御産巣日神の別名であると記され、高木神は「田の神」の降臨を仰ぐ祭りの神籬(ひもろぎ・上古、神祭のとき、清浄の地を選んで、周囲に常磐木を植えて神座としたもの。後世、神社または臨時に神を招請するために室内・庭上などに立てた榊のことを言ふ。後には、神社のことをも言ふ)にゆかりの深い神名であるとされる。

 

また、高御産巣日神は「隠身」であられ「身を隠された神」ではあられるけれども、天照大御神と共に天孫・邇邇藝命の地上への降臨を命令される神であられる。

 

天之御中主神を中心とする造化の三神そして別天つ神は『古事記』冒頭に記されただけでその後全く登場されないといふことはない。また、単なる理念の神でもない。天孫降臨の御事績そして「萬葉歌」を見ても明らかなごとく、具体的お働きをされ日本人の信仰生活に深く関はる神であられる。

 

日本神話においては、神が天地を創造するのではなく、天地は神と共に「なりませる」存在である。人間の祖先神は天地生成の神とつながってゐる。

 

天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“むすびの原理”の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多・中心歸一といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

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千駄木庵日乗五月二十七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して原稿執筆の準備、資料理整理など。

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2016年5月27日 (金)

わが国による真珠湾攻撃とアメリカの二回にわたる原爆投下を同列に論じるのは全く誤りである

わが国による真珠湾攻撃とアメリカの二回にわたる原爆投下を同列に論じるのは全く誤りである。真珠湾攻撃でわが軍は軍事施設しか攻撃しなかったのに、アメリカはわが国全国主要都市を爆撃し、広島・長崎の原爆二発を投下して数十万の無辜のわが国民を殺戮した。戦争を早く終わらせるためには仕方がなかったなどと言うが、日本を戦争に追い込んだのはアメリカである。

 

相手に先に殴らせておいて、自国民の戦意を高揚させ、徹底的に相手をやっつけるというのがアメリカの常套手段である。メキシコとの戦争というよりもメキシコ侵略でも、先にアラモ砦をメキシコの攻撃させておいて「リメンバー・アラモ」を合言葉にして戦った。真珠湾攻撃もそれと同じだ。アメリカは「リメンバ・パールハーバー」を合言葉に日本と戦った。

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一神教と人類の闘争の歴史

 イスラム教・キリスト教・ユダヤ教の戰ひはとどまるところを知らない。神の慈悲を説く宗教が何故、戰爭の慘禍を厭ひながら、その厭ふところの慘禍を繰り返すのか。

 

イスラム教もキリスト教もユダヤ教も、「人類は罪人であるから、唯一絶対神から裁かれ、唯一絶対神を信じ悔ひ改めなければ地獄の責め苦に遭ふ」と説く点ではほぼ共通してゐる。これがお互ひに裁き合ひ相爭ふ根本原因である。言ひ換へると、一神教を信ずる人々は、「人類は唯一絶対の裁きの神に背いた罪の子なるがゆへに、何らかの方法で自己處罰をしなければならない」といふ潜在意識を持ち、それが精神的原因になり戰爭に駆り立ててゐるのではなからうか。つまり一神教の世界における闘爭・戰爭の根本原因は、裁きの神への恐れと人間の『罪の意識』による自己處罰と考へられる。

 

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教といふ一神教においては、天地宇宙の造り主は唯一絶対神しかあり得ないとし、唯一絶対神以外の神は絶対に認めない。自然に宿る精靈そして祖先神を拝む事は許されない。

 

そして、一神教においては、神といふ創造主(つくりぬし)と、人間といふ被造物(つくられたもの)とは、全く範疇の異なる存在であり、神はどこまでも支配者的存在であり、人間はどこまでも被支配者的存在である。その上、神は人間に原罪を負はせ、契約を結んだ。その契約を守らない者を神は裁く。人間は永遠に神の奴隷であり、神は人間に対して絶対君主的立場にあって、この関係は永遠に変るものではないとする。

 

『旧約聖書』(紀元前に、約千年にわたって書かれた多くのイスラエル‐ユダヤ文献の一部。ユダヤ教の聖典であり、キリスト教では、「新約聖書」とともに正典。三十九巻)のエホバの神は、天に住む戦争の神であり、また地震、噴火、砂嵐、疫病などの自然災害の神である。怒る神であり、復讐の神であり、裁きの神であり、嫉妬の神である。この神は、イスラエルの民がそれを崇めるかぎり、深い恵みを彼らに垂れ、彼らを擁護する。しかし、偶像崇拝など神の禁ずる行為をした者に対しては、その罪を裁く。

 

『創世記』二十二章には、「エホバの神はアブラハム(イスラエル民族の始祖)を試そうとして『お前の一人子イサクを燔祭(はんさい・旧約聖書の時代に神への供物として動物を祭壇で丸焼きにして供へたこと)の犠牲として自分に捧げよ』と命令した。アブラハムは、神の示した場所に祭壇をつくり、薪を並べ、イサクを縛ってその上にのせ、殺そうとした。その時、エホバの神は『お前は、お前の一人子すら私のために惜しまない。神を恐れるものである事が分かった』と言って、犠牲として羊を代りにくれた」と記されてゐるといふ。エホバの神は何とも恐ろしい神である。(大野健雄氏著『天皇の祭り』参照)

 

『士師記』(旧約聖書の第七書。イスラエルで、王の前身である士師(指導者)が民族を指導、保護した時代、すなわち指導者ヨシュアの死後からサムエル誕生前まで(前一二〇〇~一〇七〇年頃)の士師物語を中心にイスラエルの歴史を記した書)には、「イスラエルの人々は…先祖たちの神、主を捨ててほかの神、すなわち周囲にある國民の神々に従い、それにひざまづいて主の怒りをひき起こした。…主の怒りがイスラエルに対して燃え、…彼等が何処へ言っても、主の手は彼らに災ひした。」と書かれてゐる。

 

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教はかうした怒りと裁きの神を信じてゐる。その怒りをなだめるために犠牲(いけにへ)を必要とした。それが十字架に磔にされたイエス・キリストである。

 

イエス・キリストが犠牲となるといふ行動を通して、神の怒りがなだめられ、神なる創造主と、人間なる被造物との間にできてゐる永遠の断層を埋められ、「神は愛なり」といふ信仰が強調され、人間は被造物の位置から、“神の子”と同列の“友”の位置にのぼったとされてゐる。このことが記録されたのが『新約聖書』であるといふ。

 

しかし、キリスト教徒の信じる神が、その本質において唯一絶対神といふ怒りの神・裁きの神であることに変りはない。したがって、キリスト教徒の多くには、まだまだ神と人間は隔絶した関係にあり、「人間は罪の子である」といふ信仰が強い。ただしアメリカに起ったニュー・ソート(いはゆる「光明思想」)は神は愛であり人間は神の子とであるといふことを強調してゐる。このキリスト教思想を日本に紹介し日本傳統信仰と融合せしめた人が、谷口雅春師である。

 

一神教を信ずる人々の多くは罪の意識にさいなまれ、神の怒りと裁きと復讐を恐れてゐる。そして自分たちの信ずる絶対神以外の神を信じてゐる人々を異教徒として、排撃することが多い。十字軍の遠征も、アメリカのわが國に対する原爆投下も、イスラム原理主義者のテロも、そうした信仰が根底にある考へられる。

 

イスラム教は唯一絶対神のみを信じる<一神教>をもっと激しくした教義であり、人間はまさに「神のしもべ」であり、神を疑ったり絶対神以外の存在を信じたりしたら、裁きを受けると信じてゐる。

 

中近東の厳しい自然環境、自然と闘ひ自然の猛威に打ち勝ち自然を支配しなければ生きていけない生活が、かうした唯一絶対神への信仰を生んだ。それは、自然を支配する神への絶対の信によって、人間は神から自然を支配する権利を与へられ、自然を支配し改造することが許されるといふ信仰である。

 

戰爭の根本原因を取り除くためには、神は人間の罪を裁き人間を懲らしめる存在ではなく、人間は本來神と相対立し神に裁かれる存在ではなく神と一体の存在であるといふ信仰に回歸しなければならない。そして、人類の自己處罰方法たる戰爭を無用に歸せしめなければならない。

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千駄木庵日乗五月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理。

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2016年5月25日 (水)

「天地の初発の時」を回復することによって危機的状況を打開することができる

 現代日本の多くの人々は、愛國心を喪失し、自分さへ良ければ他人はどうなってもいいなどといふ利己的な精神に冒されたかに見える。麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科學技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。物質偏重・経済至上・科學技術万能の世界を訂正することが現代おいて求められてゐる。

 

 かうした文字通り「亡國的状況」を打開するには、日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。日本及び日本國民の頽廃を救ふには、日本の伝統精神・宇宙観・神観・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

 わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。

 

 我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神=日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。「神話の精神」への回帰によってこそ今を新たならしめることができる。

 

 日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

 我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、誰かが説いた知識として、論者の頭の中で勝手につくりあげてしまった観念に過ぎないものではなかった。

 

 神とか罪悪に関する日本人の考へ方が、全て「祭祀」といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきたやうに、抽象的な論理や教義として我が國伝統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國伝統信仰は、「神話」と日本人の生活そのものの中に生きてゐるのである。

 

 わが國の伝統精神における最も大切な行事は「祭祀」である。「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神=神話の精神の實践なのである。「祭祀」が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。稲作生活から生まれた「神話の精神」を、「祭祀」といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。天皇の「祭祀」によって、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はれてゐるのである。

 

 「祭祀」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。日本最高の祭り主であらせられる天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。

 

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 なべての「本来の姿」を回復する行事が「祭祀」である。つまり『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が「祭祀」である。

 

 今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」を回復することによって、危機的状況を打開することができるといふのが、我が國の伝統的な信仰である。實際、日本民族は、全國各地で毎日のやうに祭りを行ってゐる。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められてゐる行事である。 

 

 維新変革も、罪穢を祓ひ清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。「今を神代へ」であり「高天原を地上へ」である。

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千駄木庵日乗五月二十五日

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午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。

午後七時より、赤坂の乃木神社にて、『楠公祭』執行。国歌斉唱・祭詞奏上・祈願詞奏上・『櫻井の訣別』斉唱・玉串奉奠などが行われた。この後、犬塚博英氏が世話人挨拶を行った。

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帰宅後は、原稿執筆など。

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天之御中主神は、神々や人間や一切のもの生成の根源・宇宙の中心のにゐます神

 「言靈のさきはふ國」といはれるやうに古代日本人の言葉に対する信仰は深かった。神の名・人の名についての信仰はその最たるものであった。

 

 中西進氏は、「(『古事記』は)神々の誕生という主題のもとで、単に神々の名を連ねるという独自の神話的方法によっている…心理的文脈は神名の蔭にかくれている。」(『古事記を読む』)と論じてゐる。

 

 「天之御中主神」といふ神名には、古代日本人の壮大なる信仰精神が込められてゐる。大國主命・一言主命・事代主命・大物主命といふ神々がをられるやうに、古代日本人は森羅万象の中に何処かに「ぬし(主)」がゐると信じ、天地宇宙の中心にも「ぬし(主)」がゐると信じた。日本民族の叡智は、それを「天之御中主神」といふ神名で表現した。天之御中主神は、神々や人間や一切のもの生成の根源・宇宙の中心にゐます神である。

 

 影山正治氏は、「天(あめ)は全宇宙を意味し、御中(みなか)は眞中であり、主(ぬし)は主宰者を意味する。即全宇宙の根源の神であり、一切の可能性を内包された始發の神であり、宇宙そのものゝの神である。」(『古事記要講』)と論じてゐる。

 

 古代日本人は、宇宙の中心にまします無限定の神、無限に流動する神・神聖性の母胎を「天之御中主神」といふ神名で表現した。天之御中主神は、無限定にして特定の姿形なき天地宇宙の中心にまします神であり、一切を生み一切の存在の生成の根源の神である。現象世界の神ではなく目に見えぬ世界の神である。そのことを古代日本人は「独神に成りまして、身を隠したまひき」と表現した。

 

 「天之御中主神」といふ神名は、神話的な思考としてもっとも高次なものである。天之御中主神は、生命の根源・宇宙の中心の神であるが、他の神々と対立し他の神々の存在を一切認めない「唯一絶対神」ではない。多くの日本の神々の根源の神である。

 

 ゆゑに、天之御中主神は『古事記』の冒頭に登場するのみで、あとはまったく活躍しないのである。宮廷で重視された宮中八神殿の奉斎神にもみえず、地方でもこの神が祭祀された形跡はほとんどない。平安時代の『延喜式神名帳』にも、その神名や神社名はみあたらない。まさに「身を隠したまひき」なのである。しかし、天地生成の根源神として日本民族の信仰生活といふ實際の経験の中で仰がれてきたのである。

 

 中西進氏は、「(天之御中主神は)天の真中の支配神という抽象的な名である。…この神は神話體系を構築する時におかれた抽象神で、新しい時代の産物という通説は正しいであろう。…天の永遠性と、地の永遠性の真中に、天之御中主神がいるという一つの體系が看取できる」(『古事記を読む・天つ神の世界』)と論じている。

 

 天之御中主神は、古代日本人が天地宇宙・世界の生成の不思議を神話的に物語る時に生まれた神であり、その意味において英雄神・自然神・祖先神の出現よりも新しく生まれた神であり、相当人知の進んだ時期に至って生まれ神と見ることができる。だからと言って、虚構の神とすることはできない。古代日本人が天地生成の不思議を信仰的に把握した神の御名である。

 

「天之御中主神」と「天地生成神話」は、古代人の宇宙の神秘に対する驚嘆の思ひから生まれた「神」であり「神話」なのである。天之御中主神=宇宙主宰神を神統及び皇統の根源神と仰いだのである。

 

 『古事記』冒頭の天之御中主神及び天地生成の神話は、まさに古代日本人の信仰精神・宇宙観・神観の表白であって、「天之御中主神の如きものを國體の本源だと論ずるが、それは、何ら國體事實ではない」「思惟されたもの、観念形態であり、實在するものではない。したがって事實でもない」「事實としての國體とは全く無関係である」「科學的には何の価値もない独断に過ぎない」「価値を認めればユダヤ教がエホバを信ずるのと同等またはそれ以下のもの」などと論ずるのは断じて誤りである。誤りどころか日本神話への冒瀆である。

 

 『古事記』はその「序文」に示されてゐる通り、天武天皇の大御心によって編纂が企画され、元明天皇の「勅語」によって撰録され、天皇に献上されたものである。その内容について學問的な真摯な論議は当然としても、『古事記』に根源の神として仰がれてゐる「天之御中主神」に対して「天之御中主神の如きもの」「ユダヤ教がエホバを信ずるのと同等またはそれ以下のもの」などと論述するべきではない。古代日本人と同じく天地生成の不思議を信仰的に把握しした神として尊崇すべきである。

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千駄木庵日乗五月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2016年5月24日 (火)

日本神話と國體

論ずるまでもないことであるが、『古事記』において神代を語った上巻と、神武天皇以後のことを語った中・下巻とは決して別のものではなく、一続きにつながってゐるのである。「神代」と「今」はつながってゐるし、今上天皇は高天原にまします神の地上における御代理・御顕現=現御神であらせられる。そして「神代即今」である。そこには断絶は一切ない。神代から今日までのどこまでが「國體事實」ではなく、どこからが「國體事實」であるといふ事はない。だからこそ皇統連綿・万世一系なのである。かかる「神話的真實」を否定することは日本國體を否定することである。

 

「日本神話」は、神々の世界が地上に連続するものであること=「神統譜」を語ってゐる。そして、日本の神々の根源神が造化の三神であり、最高尊貴の神が天照大神であり、その生みの御子が邇邇藝命であり、そのご子孫として地上に顕はれられた神が現御神日本天皇であらせられることを語ってゐる。つまり「神統譜」と「皇統譜」を一続きとしてして語ってゐるのである。まさに天皇を中心とする日本國體の淵源と系統を記したものが「日本神話」である。

 

上山春平氏は「『古事記』の神統譜が、一方にタカミムスビーイザナギーアマテラスーニニギという高天の原の系譜、他方に、カミムスビーイザナミースサノヲーオホクニヌシという根の國の系譜を設定し、この二つの系譜が、アメノミナカヌシを共通の始点とし、イハレヒコ(神武天皇)を共通の終点とする、という形でとらえられ…」(『神々の體系』)と論じてゐる。

 

伊耶那岐命の國土生成は、『古事記』冒頭に示された「天つ神」=「天地初発の時に高天原になりませる神々」のご命令によって行はれたのである。「造化の三神」の否定は日本國土生成の否定である。

 

『記紀』『風土記』に登場する日本の神々は、日本各地の地域共同體で信仰されて来た神々であるが、「日本神話」全體として統一され系統化された。その始原・根源の神が「造化の三神」である。

 

「日本神話」は神統神話であり皇統神話なのである。一貫した道統・靈統の継承がはっきりと明確に示されてゐる。「万世一系の天皇」は「天地生成の神からの靈統・神統・皇統を継承する天皇」といふことである。

 

『古事記』神代史は、神々と皇室の系譜を神話として物語ってゐるのである。日本民族は、天之御中主神を天地宇宙の根源神と仰ぎ、天照大神を日本の神々の中で最高至貴の神と仰ぎ、天皇を現御神(地上に生きたまふ神)として仰いでゐるのである。

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千駄木庵日乗五月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、北区にある菩提寺赴き、四宮家の墓を掃苔。拝礼。お塔婆供養。ご加護を祈る。

夕刻、西日暮里にて、同志三氏と懇談。意見交換。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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荒木和博氏の正論

 

敬愛する荒木和博氏の正論を紹介します。

            ○

「専守防衛の虚像

 

 何度かこのメールニュースでも書いていますが、今あらためて色々調べていることがあり、「専守防衛」という戦後日本の国防方針がいかに虚構に満ちたものかを痛感しています。

 

 平成8(1996)韓国で日本海側の江陵の海岸に北朝鮮潜水艦が座礁した事件がありました。第一発見者は海岸沿いの道路を走っていたタクシーの運転手でした。2年後の平成10(1998)には北朝鮮潜水艇が漁網に引っかかって鹵獲(ろかく)されるという事件がありました。どちらも韓国軍ではなく民間人が見つけたので、当時韓国軍は警戒を怠っていたのではないかと批判されています。

 

 しかし現実には日本より遥かに短い韓国の海岸線で、しかも自衛隊の倍以上いる韓国軍が警備しても浸透を完璧に防ぐのは不可能です。いわんや日本においておや。米国の海岸線の約2倍ある日本の海岸線が水際で守れるわけがありません。

 

 その前提で考えると専守防衛というのは、要は敵が攻めてきたら国土を戦場にして民間人を巻き添えにして戦う、つまり沖縄戦のような戦い方をするということです。それがとりあえず成り立ってきたのは、実は専守防衛ではなく、米軍という、こちらが手を汚さなくても威嚇をしたり報復してくれる(はずの)存在があったからです。

 

 その虚構の中では北朝鮮工作員の浸透、そして拉致を防ぐことなど、どんなに警察や海保、自衛隊が頑張ったとしても物理的にできるはずはありません。国民を守るためには憲法にどう書いてあろうと威嚇や報復が必要です。そうしなければこれからも拉致の被害は続く可能性があります。拉致でなくても、あるいは北朝鮮でなくても主権と国民の人権は侵されるでしょう。何十年続いてきたものであったもごまかしは正さなければならないと思います。」

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2016年5月22日 (日)

『三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭』における田母神俊雄氏(第二十九代航空幕僚長)の講演内容

昨年十一月二十四日に行われた『三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭』における田母神俊雄氏(第二十九代航空幕僚長)の講演内容は次の通り。

 

「三島由紀夫氏が自決された時、私は防衛大学四年生で、陸上戦闘の訓練をしていた。昼飯を食べていた時、三島氏が自決したと聞き驚いた。当時の猪木正道防衛大学校長は、雑誌の対談や朝礼などで三島氏を激賞していた。ところが、中曽根総理が、三島氏の自決を『とんでもないことだ』と言ったら、猪木校長は我々を集めて、『とんでもないことだ』と言った。ガイダンスでも学校側は『三島はとんでもない人だ』と躍起になって言った。『三島氏は自分のためではなく国家のために自分の命を絶ち警鐘を鳴らした』というのが当時の防大生の認識だった。人が変らないと政治は変わらない。三島氏は感性が鋭い人だった。三島氏は日本の政治が中・韓・米などの外国から何か言われると右往左往することを予見していた。

 

防大の先生方は『自衛隊は軍になる』と言っていた。私は定年まで自衛隊にいたが、悪い状況にしかなっていない。今の自衛隊米軍に握られている。イージス艦を持っているが、アメリカの継続的支援がなければ動かない。兵器システムの機能はソフトウエアが決める。国家の自立とは軍の自立。F十五・イージス艦・パトリオットミサイルは暗号を使っている。アメリカの暗号しか使えない。GPS(注・グローバル・ポジショニング・システム。英語: Global Positioning System, 全地球測位システム。アメリカ合衆国によって運用される衛星測位システム)もアメリカのもの。そういう状況に置かれている。兵器国産の方向に行かねばならない。そうはならないのは政治が兵器を決めるから。決定権を自衛隊に与えなければ駄目。防衛予算が伸びる以上にアメリカに払う金が増える。対米依存から抜けられない。

 

『日本は良い国だ』と言ったら私は首になった。『正しいことを言うな』と言うバカな国があるか。日本の政治は事なかれ主義。拉致問題も隠されていた。『竹島上空に自衛隊機は行くな』という命令が出された。それから韓国による竹島実効支配が始まった。

 

戦闘機を国産すべし。国が大規模予算を投入しないと、あと五年経つと戦闘機開発技術者がいなくなる。三菱重工は国産戦闘機を作ることを目的にF1が飛んだ。三菱重工業が、戦後に、日本が初めて独自開発した超音速飛行が可能な戦闘機。F-35(注・アメリカ合衆国の航空機メーカー、ロッキード・マーティンが中心となって開発している単発単座の多用途性を備えたステルス戦闘機)へのアメリカの圧力がある。アメリカの物ばかり買っていないで自立の道を行かねばならない。アメリカは自衛隊をアメリカの支配下に置こうとしている。政治家が決心しないと駄目。

 

シビリアンコントロールは国際会議では話題にならない。財政上のコントロールなのに、日本では人事上のコントロールになっている。

 

憲法改正の道は遠い。安保法制に野党第一党の民主党が反対する。軍は国際法で動くのに、日本の自衛隊は国際法で動けない。国内法で動く。安保法制は第一歩。根拠法規で動くと相手に分かるから戦いに勝つことはできない。中国に作戦計画を知らせるような事。自衛隊の任務遂行が困難になる。集団的自衛権容認で少し改善された。

 

中国派とアメリカ派が争っているのが日本の政治。日本派の政治家がいない。これが、日本が右往左往している原因。自分の国は悪い国だと教えているのが日本の教育。朴槿恵は、父親が大日本帝国軍人として戦ったのに、中国が行った『反ファシズム戦争勝利七十周年の記念式典』に参加した。韓国とは言論で徹底的に戦うべし。日本がいないと中国の経済は成り立たない。中國との経済関係を全て止めても日本はビクともしない。韓国の『お願い』は絶対聞いてはいけない。韓国なんか助けないという強さが日本には必要。

 

日本派の政治家が集まった政党が出来なければならない。公明党は神社にお参りしない。日本伝統文化の中心が神社。そこにお参りできない政党が政権の中にいたら日本を取り戻すのは難しい。私は六十七歳だがあと十年は大丈夫。倒れるまで頑張る。女性の社会進出は出生率を低くする。女性の社会進出は税金の増収が目的」。

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千駄木庵日乗五月二十二日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後、資料の整理、原稿執筆。

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天皇を君主と仰ぐ日本國體の護持とその理想実現こそが、日本國永遠の隆昌の基礎である

日本の国は、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。建国以来、日本民族は天皇を君主と仰ぎ、皇室を神聖にご存在として尊崇してきた。それは、権力や暴力による強制ではまったくなかった。

 

権力者・政治家は、常に神聖なるもの、尊崇すべきものに対するかしこみの心を持っていなければならない。「神聖なるものへのかしこみの心」の無い政治家・権力者は、道義心を忘れ、権力におぼれ、腐敗堕落する。

 

国民主権論が横溢し、「国会は国権の最高機関」などと言われている。だから、「国民に選ばれた国会議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などという意識が生まれ、皇室尊崇の念が忘却される。そして、政治家は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

 

わが国において、国民全体が尊崇すべき神聖なるご存在は、「天皇・皇室」であることは言うまでもない。政治家・権力者(第四権力と言われるマスコミも含む)による國體破壊・皇室の尊厳性侵害は絶対に許してはならない。天皇・皇室の尊厳性を破壊する行為に対して、これを厳しく糾弾しなければならない。

 

「國民主權」の定義は次のようなものである。「憲法上最も重要な意味は、國家の意思を最終的に決定する權力ことである」「日本國憲法も、明治憲法における天皇主權を廃止して、この普遍の原理を採用した」(伊藤正己著『注釈憲法』)。

つまり、「主權とは國政を決定する權利であり、主權が國民にあるか君主にあるかによって、國民主權、または君主主權と呼ばれる」というのが今日の憲法學の定説になっている。 

 

かかる「主權」論から、「主權は國民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生した。

 

長谷川三千子氏は、十八世紀にできた近代成文憲法における國民主權というのは宗教戦争が繰り広げられたヨーロッパで生まれた闘争的概念であるとされて、次のように論じている。

 

「フランス革命を起こした人間たちは、自分たちの革命をどう正當化したのかーそのときに採用されたのが、國民主權という考え方なんですね。……自分たち國民が國の中枢に座って、自分たちが考えたことは何でも通る、そういう力を我々は持っているんだ、ということを宣言してしまった。これがフランス革命を通じて出来上がってきた國民主權という考え方なんです。…血なまぐさい、國民と國王とが首をはね合うような戦争の歴史の記憶が、憲法の上に投影されてしまいますと、國民主權という言葉は、ものすごく闘争的な概念となってしまう。……日本國憲法第一条にある『主權の存する國民』という言葉を、近代成文憲法の傳統に従った読み方で読みますと、國民主權なんだからどうしてこの國民は、すぐに天皇の首をちょん切らないんだ、という話になってしまうんです。つまり、本當に我が國の、國の體(てい)に基づいて憲法を考えるとしたら、この主權という言葉から徹底的に洗い直していかなければいけない」(『主權をどう考えるか』)。

 

わが國は三千年前に建國された天皇を中心とする信仰共同體國家・祭祀國家である。欧米のような契約國家でもなければ權力國家でもない。ゆえに、君主と國民が対立関係にある國家ではない。

 

ところが「現行憲法」では、國民主權という西洋の対立概念を日本國體に無理やりあてはめて、「(天皇の・註)地位は、主權の存する日本國民の総意に基づく」と成文規定している。つまり、現行憲法」は、君主と人民とは相対立する存在であり、國家とは國民同士が契約して成立するものであると考える西洋的法思想・國家觀・君主觀・權力論が基礎となっているのである。

 

天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人に対する暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「人民」と相対立する存在であるという考え方に立って制定されたのが「現行憲法」である。そして、「民主化」「個人の幸福」のためには、天皇の「地位」を低め「權能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想であり、対立闘争の概念である「國民主權論」が採用されているのである。

 

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋の憲法概念に基づいて成文憲法に規定することは重大な誤りである。「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを、論議すること自體、日本の傳統的な考え方・國體觀とはなじまない。 

 

祭祀主たる天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではない。わが國は、信仰的・祭祀的統一によって形成された國家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。祭祀國家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。

 

日本國は、國家の意思を最終的に決定する權力としての主權を持つ國民の意思によって形成された國家、すなわち契約國家・集合國家・權力國家・統治システムとしての國家ではない。

 

わが国は、神武建国以来、一系の天子が祭祀主として君臨されてきた信仰共同体であり、祭祀国家である。祭祀主としての天皇、道義の鏡としての天皇が、上におわしましたので、権力闘争に打ち勝った覇者が出現しても自然に自制心・かしこみの心が生まれた。それが、絶対専制君主や独裁権力者がわが国に生まれなかった原因である。

 

今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのである。これが、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさである。

 

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎である。天皇を君主と仰ぐ日本國體の護持とその理想実現こそが、日本國永遠の隆昌の基礎である。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければならない。

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2016年5月21日 (土)

千駄木庵日乗五月二十一日

午前は、諸雑務、『政治文化情報』発送作業。

午後、発送完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると思います。

この後、資料の整理、原稿執筆など。

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2016年5月20日 (金)

國體破壊政党=日本共産党を徹底的に排撃せよ!

君主制を廃止した共産主義国家は民主的で平等の社会だというのは真っ赤なウソである。

 

日本共産党の「綱領」には、「(天皇制は)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。

 

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の伝統である。

 

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフという党最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。今日は、プーチン独裁体制になっている。

 

支那も、辛亥革命で清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民による独裁専制政治が行なわれてきた。今日は、習近平独裁体制になっている。

 

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、一党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

 

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩の三代にわたる残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、金正恩一族のみが専横を極め金一族を批判する国民は迫害され粛清される国であり、金一族を批判しなくとも国民が栄養失調で死んで行く国なのだ。

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治になる。それはまさに「歴史的必然」なのである。『君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民の差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する』というのはまったく大ウソである。

 

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火をみるよりも明らかである。

 

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などと言っているのか。それは言うまでもなく、民進党などとの野党共闘をやりやすくするための方便である。

 

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。

 

「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「綱領」には、「(象徴天皇制は・注)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定する。共産党が「天皇中心の日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

 

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明確に書かれていることによっても明らかである。

 

前述したとおり、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。

共産党議員は、政府や地方自治体の公式行事で、『国歌斉唱』が行なわれても、共産党所属の議員は決して歌わないし、起立もしない。共産党の「天皇制否定」はこれほどまでに徹底しているのだ。共産党が、「綱領」で「天皇制を容認した」と言うのなら、色々な行事において国歌斉唱が行なわれる時、起立して威儀を正して高らかに斉唱するべきである。しかし、今後共産党および共産党所属議員がそのようなことをすることはないであろう。

 

「綱領」には、いわゆる「天皇制」について「情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。これは、「天皇制廃止論が多数になれば憲法を改正して天皇制を廃止する」という事である。

 

「現行占領憲法」の「(天皇の御地位は)主権の存する日本国民の総意に基く」という条文を、憲法九十六条の「憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成、国民の過半数の賛成を必要とする」という規定に基き、「国民の多数意思によって『天皇制』は廃止され得る」と解釈するのは誤りである。

 

現行憲法上の『国民の総意』は選挙人である国民及びその代表者の国会議員の多数意思(多数決の総計)ではない。言い換えると、天皇の御地位は国民の投票によって選ばれた共和国の大統領のような御存在ではない。申すも恐れ多いことであるが、「現行憲法」下で、「天皇選出の選挙」が行なわれた事は一度もない。

 

「國民の総意」とは、日本国民の普遍意志すなわち過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的意思である。現行憲法上の「國民の総意」とは三千年の長い歴史の中で、遠い祖先から継承され培われてきた「日本国民の普遍的な意思」という解釈が、日本國體に合致した解釈である。

 

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由・繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。國體破壊政党=日本共産党を徹底的に排撃せよ!

 

本稿においても論理の展開上、止むを得ず『天皇制』という言葉を用いたことを深くお詫びします。

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千駄木庵日乗五月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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天皇への國民の「かしこみの心」が國家の安定が保たれて来た根源

 山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」は、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)と説いてゐる。

 

村岡典嗣氏はこの文章を、「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。されば假に君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。」と解釈し、「これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶対對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

この精神こそが真の絶対尊皇精神である。わが國道義精神の基本は「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」である。それは「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神である。

 

わが國の道義精神の中核は、神を祭られる天皇の神聖なる権威である。日本國民は、天皇の神聖なる権威を通じて道義心を自覚した。ゆへに天皇は道義の鏡といはれてきた。日本國の祭祀主として神聖なる御存在であられる天皇に対し奉り國民が清らけく明らけく仕へまつる心=清明心が道義の基本である。

 

「天皇および皇室は日本の道義精神の中核であり鏡である」といふことは、天皇に完全無欠な佛教や儒教やキリスト教でいふところの「聖人」になって頂くことではない。それは、天皇が和歌をはじめとした日本文化継承の中心者であらせられることが、天皇に柿本人麻呂や芭蕉のやうな「歌聖・俳聖」になっていただくことではないのと同じである。

 

連綿たる道統と血統に基づく天皇の神聖性・正統性と、歴代天皇お一人お一人のご人格とは別である。もちろん、祭祀主としての天皇は日本國におけるもっとも神聖にして清らかなる御存在であるけれども、道徳的に政治的に絶対無謬の御存在ではない。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は『善悪の彼岸』にいたのである。ここに上代の道徳的評価意識の第一次の特徴がある。…スサノヲの命は親イザナギの命に対して不孝であった。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩は神々や皇族の間に盛んに行われている。…後代の道徳思想においては最も非難すべきものとせられているにかかわらず、神聖な神々の行為として、平然と語られているのである。…神々の行為には確かに悪もある。しかし神々は善事にまれ悪事にまれ『真心』に従って行なうゆえに、すべてそのままでいいのである。神々の行為は善悪の彼岸において神聖なものである。」(『日本古代文化』)と論じてゐる。

 

道徳的政治的法律的な善悪の区別・硬直した倫理教条もしくは自己の思想信条によって、神々や御歴代の天皇のご行動を評価してはならないのである。わが國史において、後代の道徳思想政治思想から見ればあるいは「失徳の天子」といはれる天皇がをられたかもしれない。しかし、基本的に日本民族が太古以来の絶対尊皇精神を保持してきたから、禅譲放伐・易姓革命が起らず、天皇中心の國體が護持され、國家民族の安定が基本的には保たれてきたのである。その根源には、祭祀主としての日本天皇の神聖性への國民の「かしこみの心」があるのである。

 

日本人が古代から抱いてきた現人神(あらひとがみ)思想=現御神(あきつみかみ)信仰は、天皇がイエス・キリストのやうに海の上を歩いたりする超人であるとか何の間違ひも犯されない全知全能の絶対神であるといふ信仰ではない。

 

日本物語文學の祖とされる『竹取物語』(成立年代不明・作者不明)では、かぐや姫に求婚した天皇が「天竺の宝物を持って来てくれ」などといふ難題を言ひかけられて大いに悩まれることが記されてゐる。日本人の現御神信仰が天皇は絶対無謬の御存在であり全知全能の神とする信仰であったら、このやうな物語が生まれるはずがない。

 

和辻哲郎氏は、「(天皇が神聖な権威を担ふといふ傳統、皇統が天つ日嗣として神聖であるといふことは・註)この傳統を担っている現人をそのまま神化しようとするのではない。従ってそこには天皇の恋愛譚や、皇室内部における復讐譚などを数多く物語っている。これらは天皇の現人性を露骨に示すものと言ってよいであろう。しかしかく現人たることなしに現人神であることはできない。現人でありながらしかも現人たることを超えて民族的全体性の表現者となり、その全体性の根源から神聖な権威を得てくるということ、従ってこの権威はただ一系であり不易であるということ、それを記紀の物語は説き明かそうとしたのである。」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。

 

現御神あるいは現人神とは、読んで字の如く、現実に人として現れた神といふことである。人でありながら神であり、神でありながらながら人であるお方が、祭り主であられる日本天皇なのである。それを名詞で表現したことばが現人神・現御神なのである。 

 

そしてこの場合の神とは、キリスト教や回教の神のような超自然的・超人間的な神なのではない。だから現御神であらせられる天皇御自身、神仏に祈願を込められ、天皇の御名において神々に御幤を奉られるのである。

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千駄木庵日乗五月十九日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、書状執筆、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2016年5月19日 (木)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 六月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

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混迷する現代においてこそ『萬葉集』の精神へ回帰するべきである。

 

今日の日本は、日本民族の主體性・誇りを喪失しつつある。また、戦後日本は祖國の良き傳統を軽視あるいは否定し来た。これがわが國が今日、精神的思想的頽廃が末期的様相を呈している根本原因である。わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。わが國本来の政治と道義と國の姿を回復することが必要である。

 

それは偏狭な排外主義的と独善に陥ることでは決してない。わが國のすぐれた古典であるところの「記紀・萬葉の精神」への回帰による精神の救済を図るといふことである。「神話の精神・萬葉の精神」の復活によってこそ祖國日本の再生が行はれると確信する。

 

また公害問題・自然破壊問題、そして阪神淡路大震災、東日本大震災が起こり、今年は熊本地震が起こった。人間と自然の関係をどうするかが大きな問題となっている。『萬葉集』に歌われている日本伝統信仰の「自然神秘思想」「祖霊信仰」をもう一回見直すべきではないだろうか。

 

『萬葉集』は神話の時代来の「日本の中核的な傳統精神」をうたいあげた真の意味の「古典」であり國家変革・激動・外患の危機の時代の歌集である。

 

『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江(はくすきのえ)の戦ひ(唐新羅連合軍と日本百済連合軍の戦ひ)の敗北という國家変革・激動・外患の危機の時期の歌集である。『萬葉集』が生まれた時代は、明治維新の時期とよく似ている時代であり、今日の日本の状況ともよく似ていた時代であった。文字通り内憂外患交々来たる時代であった。

 

同時に、『萬葉集』の時代は、わが國が外国の思想・文化・政治制度・法制度を受容した時代であった。わが國が異質の文化(特に仏教・儒教という精神文化と唐の政治法律制度の受容)に遭遇した激動の時期であった。これに対峙するためにわが國傳統的精神文化が興起した結晶が『萬葉集』である。 

 

変革の意志のないところに価値のある文藝は生まれない。『萬葉集』は復古即革新=日本的変革の歌集である。古代日本の律令體制下において、文化革新・文化維新を希求した歌集である。現代においてもそのような文化維新が望まれる。

 

 わが國は白村江の戦い・元寇・明治維新・大東亜戦争など、國家的危機の時に、ナショナリズムが燃え上がった。そしてそれ一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」としての和歌が勃興する。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。

 

『萬葉集』は、決して平和安穏の世の文藝ではない。内憂外患交々来るといった國難状況の時に生まれた歌集である。それは明治天皇が「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」と歌われている通りである。

 

今日の日本も萬葉時代と同じようにわが國には朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来ている。精神的・経済的・政治的・軍事的苦悩を強いられてゐる現代においてこそ、また自然災害の危機がいつ訪れるか分からない今こそ、『萬葉集』の精神の復興が大事である。『萬葉集』に歌われた精神の回復によって現代の危機を乗り越えなければならない。混迷の極にある現代においてこそ『萬葉集』の精神へ回帰するべきである。

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千駄木庵日乗五月十八日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母に付き添う。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2016年5月18日 (水)

「WiLL」誌六月号の西尾・加地対談について

今回の「WiLL」の記事は,皇太子殿下への「諫言申し上げます」などという見出しになっているが、記事冒頭に引用された『週刊文春』本年一月二十一日号の記事は、天皇陛下が明確に否定され、宮内庁からも二度にわたって文春に抗議が行われているものである。しかるに「ウソと断じることはできない」などと主張している。

こうした編集部の姿勢自体がそもそも諫言とは程遠い。

 

この対談で、加地伸行なる人物は、「四月三日の神武天皇没後二六〇〇年関連の行事が象徴的てした。天皇皇后両陛下は奈良県橿原市の神武天皇陵に随行された秋篠宮ご夫妻と共に参拝されましたが、皇太子ご夫妻は皇居の皇霊殿に参拝したのとどまり、ました」と述べこれに答えて西尾幹二氏は「雅子妃の行動が皇室行事の運営に何かと支障をきたしていることは関係者の共通の認識になっているようですね」と言った。

 

「神武天皇没後」「秋篠宮ご夫妻」「皇太子ご夫妻」「雅子妃の行動」「皇室行事の運営」というもの言いは全く天皇・皇室に対する尊崇の念が欠けている証拠である。「神武天皇崩御後」「皇太子同妃両殿下」「秋篠宮同妃両殿下」「雅子妃殿下のご行動」「皇室祭祀の斎行」と申し上げるべきである。

 

さらに重要なのは、『皇室祭祀令』には、「第十八条 神武天皇及先帝ノ式年祭ハ陵所及皇霊殿ニ於テ之ヲ行フ但シ皇霊殿ニ於ケル祭典ハ掌典長之ヲ行フ」とある。

神武天皇の式年祭は,奈良県にある神武天皇陵と皇居の中の皇霊殿との二箇所で行われるのであ。天皇皇后両陛下は神武天皇陵に親拜あそばされ、皇太子同妃両殿下は天皇皇后両陛下の御名代として皇居の皇霊殿に参拝あそばされたのである。加地伸行なる人物は皇室祭祀の「しきたり」に対して全く無知な人間なのである。その無知・認識不足の上に立って、皇太子同妃両殿下は「本来神武天皇御陵にお参りになるべきなのにそれをされなかった」などと批判している。全く許し難いことである。



加地氏は、「皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、その夫人の出欠を問う必要はまったくありません。雅子妃が矢面に立たないためにはそうするしかありません」と語り、これに答えて西尾氏は「矢面に立たないようにしてあげる、ということがたしかにとても大切ですよね。皇太子殿下が妃殿下をどうしても守りたいというお気持ちが強いなら、加地先生が仰るように殿下がご自身の立場をお変えになることです。それ以外に、妻と国民のどちらかを傷つけないで済ますことはできません」と述べた。

 

何という不敬な主張であるか、この発言を讀んで、この二人は皇室尊崇の思いはが薄いどころか尊崇の思いはないと断じざるを得ない。「摂政ならば、その夫人の出欠を問う必要はまったくありません」「矢面に立たないようにしてあげる、ということがたしかにとても大切ですよね」などというのは、天人共に許さざる不敬発言である。「夫人」「してあげる」とは何事か。

 

一体何との資格があって、皇太子殿下に対し奉れ「摂政になることです」などという言辞を弄するのか。そもそも「矢面に立たないため」などと言うが、皇太子同妃両殿下に対し奉り矢を放って攻撃しているのはこの二人ではないか。何とも許し難い。

 

西尾加地両名に限らず、近年、國體護持を主張人々による、皇室・皇族に対する「諫言・批判・苦言」が雑誌新聞などに発表されることが多くなった。

 

また本当に尊皇愛国の精神が篤い人も、あるいは尊皇精神が篤いからこそ、天皇皇后両陛下・皇太子殿下同妃殿下が「自分たちの抱く天皇・皇族の理想像」あるいは「天皇・皇族にはこうあっていただきたいという思い」と異なる御発言や御行動をされた時、批判の思いを抱くことがある。

 

しかし、天皇皇后両陛下をはじめ皇太子同妃両殿下などの皇族方の御行動・御発言に対し奉り、「諫言」と称して、雑誌新聞などで色々と批判し苦言を申し上げることは慎むべきである。

 

いかなる憂国の士・学識のある愛国者といえども、天皇・皇室に対し奉り、自分の考え方や、ものの見方や、思想・理論を、押し付ける資格はない。天皇・皇族のご意志ご行動が、自分たちの抱く理想像や自分たちの抱く國體観念と異なっているからと言って、天皇・皇族をあからさまに雑誌新聞などで批判するのは慎むべきである。

 

自分の意志や思想と一致する天皇・皇族を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成の事績を見ればあまりにも明らかである。

 

久保田収氏は、「楠正成が、わが国史上の英雄として崇拝されて来たのは、その絶対尊皇の精神と行動にある。『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。…天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎の学問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と伝えている。強斎は、このことばが『わが国士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」と論じている。(『建武中興』)

 

正成公の『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』という精神こそ、わが国の臣民のあるべき態度である。天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道である。尊皇精神とは、日本国の祭祀主として神聖なる君主であられる天皇へのかしこみの心である。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇国の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びずと思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じている。

 

天皇は現御神であらせられ、皇太子殿下は日の御子であらせられる。絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇・皇太子の御心や御行動が、自分の考えや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下・皇太子殿下をあからさまに批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。楠正成が言われた如く「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし」なのである。

 

天皇陛下・皇太子殿下が間違ったご命令を下されたりご行動をされているとたとえ思ったとしても、国民は勅命に反してはならず、まして御退位を願ったりしてはならない。どうしても従えない場合は自ら死を選ぶべきであるというのが、わが国の尊皇の道であり、勤皇の道であるということを本居宣長先生は教えているのである。

 

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千駄木庵日乗五月十七日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、書状執筆、資料の整理、原稿執筆、明日のスピーチの準備など。

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2016年5月17日 (火)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年五月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年五月号(平成二十七年四月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

日本人の祖靈信仰について考へる

 

タイやミャンマーの仏教は死者の骨即ち遺骨は不浄と考へてゐる

 

日本人は古代から遺骨には死者の「タマ」(靈魂)が宿ってゐるとして大切にしてきた

 

祖靈崇拝・死者への祭祀と神仏融合

 

「七生報國」の精神と「よみがへり」の思想

 

日本人は肉體が滅びても人間が無に帰することはないと信じて来た

 

千駄木庵日乗

 

青山学院大学大学院教授福井義高氏「日本軍と共にINA(インド國民軍)がインパールで戦ったことが、インド独立を決定づける」

 

田久保忠衛杏林大学名誉教授「ソ連の侵略は計画的。北方領土は強奪された。六十万人がシベリアの二千カ所の強制収容所に入れられた」

 

インド政策研究センター教授・プラーマ・チェラニー氏「アジアは列強によって植民地になった。日本がロシアに勝ったのは、アジアにとって励みになった」

 

松崎晃治小浜市長「自然を神と拝み、神と同じ酒をいただく。五穀豊穣を祈る。多くの人々に日本の心を傳えたい」

 

神崎宣武氏(民俗学者)「お神酒をあがらぬ神は無し。供えた酒をいただくのが直會」

 

大久保利泰(としひろ)(大久保利通の曾孫)「明治元年から二年に時代が大きく動いた。当時の政治家の偉大さを今日の政治家は見習ったら良い」

 

 

この頃詠みし歌

 

 

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臣下國民に敬神尊皇の思ひが希薄になったことが今日の政治の混乱の最大原因

今日のわが國の議會政治は、とても「公議を竭」しているとは言へない。また健全に機能してはゐない。政党間・政治家同士の醜い権力闘争が繰り返されてゐる。國會中継を見ればわかる通り、相手を議論で打ち負かし、相手の言葉の揚げ足を取り、自分の意見に従はせようとすることに汲々としてゐる。

 

かうした事の根本原因は、わが國の道統である「尊皇精神」「天皇へのかしこみの心」が、政治家にも國民にも官僚にも希薄になってゐるからにほかならない。

 

肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する無私の御存在・倫理的御存在が天皇である。天皇は、倫理道義の鏡として祭祀主として君臨されてゐる。

 

新渡戸稲造氏がその著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」と論じてゐる。

 

「天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもう」日本天皇は、権力や武力の暴走、権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在ではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与へられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してさういふおはたらきをされた来た。その事を『大日本帝國憲法は』は「天皇は統治権の総攬者」と表現したのだと考へる。

 

閣僚は、天皇の臣下ではないなどといふ主張は、かうした日本の正しい伝統を根底から否定する考へ方である。片岡啓治氏が「明治維新で求められた新時代とは、その後の現實に起こるような西欧化による近代の形成ではなかった」といふ指摘を思ひ起こさざるを得ない。 

 

わが國の傳統的倫理・道義は、〈神に対する真心の奉仕〉〈神人合一の行事〉である祭祀として継承されてきた。日本人の實際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れである。信仰共同体國家日本の祭祀の中核は「天皇の祭祀」である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられる。

 

江戸時代中期の不世出の國学者・思想家・詩人賀茂真淵は、「…さて臣たちも神を崇めば、心の内に、きたなき事を隱す事を得ず、すめらぎを恐るれば、みのうえに、あしきふるまひをなしがたし、よりて、此の二つの崇みかしこみを、常わするまじきてふ外に、世の治り、身のとゝのはんことはなきをや」(『賀茂翁遺草』)と説いてゐる。

 

議會政治は、多数決を基本とする。多数決を誤りなく機能させるためには、國民及び國民によって選出された議員が、権力闘争や利害の対立を抑制し、道義精神、理性を正しく発揮しなければならない。「人間は政治的動物だ」などと言って、道義道徳・理性を忘却してはならない。

 

日本の傳統の継承者であらせられ、常に神々を祭り、國民の幸福を神に祈られている神聖君主・日本天皇へのかしこみの心を國民全体が持つことが、日本の全ての面での安定の基礎である。

 

臣下國民に敬神尊皇の思ひが希薄になったことが今日の政治の混乱の最大原因である。現代日本は、肝心要の「一君萬民の國體」が隠蔽されてゐるのである。これは、『現行占領憲法』にその大きな原因がある。

 

しかしわが國には、國家的危機を傳統の復活・回帰によって打開して来た歴史がある。現代もさうした時期である。わが國の傳統の根幹は「天皇中心の國體」である。

 

「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治といふことである。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める)である。それは信仰共同体國家たる日本独特の國柄である。「一君萬民の國體の開顕」「公議を竭す政治の實現」を目指した明治維新の精神を今日回復することが大切である。

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千駄木庵日乗五月十六日

午前は、諸雑務。

昼は、若き友人と懇談。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後、書状執筆、資料整理。

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2016年5月15日 (日)

阿部純一氏(霞山会理事・研究主幹)による「習近平の軍事改革」と題する講演内容

二月六日に開催された『アジア問題懇話会』における阿部純一氏(霞山会理事・研究主幹)による「習近平の軍事改革」と題する講演内容は次の通り。

「習近平は二〇一二年に政権の座に就く前、国家副主席としてアメリカを公式訪問。米中パートナーシップを提案。その後、米中首脳会談の都度、新大国関係を提案。中國はアメリカ匹敵する大国という自負が垣間見える。二〇一三年、オバマはカルフォルニアにオバマを招き、初めて首脳会談を行った。習近平は『太平洋は中国とアメリカの希望を両方満たすことが出来る、ハワイより東方はアメリカ、西は中國が管理』と言った。太平洋を二分するという話。中國の野望。習近平は『我々の言う新型大国関係とは、ライジングパワーとすでに大国とは必ず対立が生じた。中國とアメリカはそういう歴史を繰り返し的ならないということ。相互に核心的利益を尊重しよう』と言った。

ウイグル、チベット、南シナ海など中国の領土主権という中國の核心的利益をアメリカが尊重すれば、共通の利益を達成できるとした。現状を中国に有利なようにしていくのをアメリカは容認してほしいと言う事。

 

習近平は、鄧小平の韜光養晦(とうこうようかい)という自力がつくまで時間を稼ぐ戦略を継承。経済・軍事共にアメリカの上を行く中国を実現する。アメリカに対抗できる軍事力を持った時、新型大国関係は言わなくなる。アメリカに『俺の言うことを聞け』と言う。

 

習近平は人民解放軍の実際の姿を見た時、大きな焦りを感じる。時代遅れの軍隊になっている。中國はアメリカに次ぐ軍事費大国になっている。習近平が人民解放軍を見た時、四つの総部は独立王国の如し。七つの軍区は温存されてきた。派閥形成の源。鄧小平の権力掌握の時期は、広州軍区は葉剣英王国。腐敗が温存されてきた。大陸軍を中心とした四総部と大軍区を改編。統合が出来るようにする。習近平は、現代的戦争に勝つ軍を作るために、近代化と反腐敗を達成する。習近平は軍に対する思い入れがある。清華大学を卒業後、中央軍事委員会の弁公庁の職員となり耿飈(こう ひょう)の秘書になった。

 

二〇一三年十一月の三中全会で、『中央軍事委国防・軍改革深化領導小組』設置。習近平が組長になった。二〇一四年八月、党中央政治局第十七回集団学習会が『世界軍事発展の新たな傾向とわが国軍事のあらたな動き』をテーマに開催。二〇一五年九月、『抗日戦争・世界反ファシズム勝利七十周年記念軍事パレード』の式典で習近平は、三十万人兵員削減を明言。二〇一五年十二月陸軍領導機構、ロケット軍、戦略支援部隊創設。軍事委員会を通じた党の軍に対する領導権限を強化集中する。従来の四総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)体制、七軍区体制、陸軍中心体制を排除。五大戦区体制に改編。

 

中國軍の改革がスムーズに達成されれば、東シナ海、南シナ海での作戦能力が向上した中国をわが国としても想定せざるを得ない。わが国の自衛能力向上は必須の要件となる。

 

国防部は国務院の中における解放軍の出先機関。笹川平和財団が、日中佐官級交流をやった。かなりの人民解放軍幹部が日本で研修を経験。そういう人々がとの位幹部になっているか。日本の対するかなりの知識を持つ。海上自衛隊の力量をかなり正確には測っている。自衛隊の能力を高く見ている。中国軍は志願兵で間に合っている。徴兵していない。

 

瀋陽軍区と北朝鮮軍とは密接な交流あり。持ちつ持たれつ。中國が一番困るのは北朝鮮がつぶれること。北朝鮮の命の絆は中国が供給する食料と石油。『北朝鮮がつぶれて韓国主導の統一が出来たら我々の先輩は何のために血を流したのか』というのが人民解放軍の伝統的立場。中國の軍の近代化のモデルはアメリカ。アメリカは海兵隊の役割が強いが、中国はまだそうではない。アメリカにはない戦略支援部隊を立ち上げた点は注目すべし。衛星破壊能力の向上を図っている。『憲法九条』が日本を守っているわけではなかったことを国民一人一人が身をもって考えるべし。日本も核兵器を持つべし」。

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千駄木庵日乗五月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。脱稿・送付。

午後六時より、新宿のバトゥールにて、『阿形充規先生の喜寿を祝う会』開催。横山孝平氏が司会。丸川仁氏が主催者挨拶。大下英二、犬塚博英の両氏そして小生が祝辞。大島竜珉史の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。そして、阿形充規氏か謝辞を述べ、白倉康夫氏の音頭で手締めを行い、終了した。

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謝辞を述べる阿形充規氏

帰宅後は、原稿執筆。

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孝明天皇の大御心にこたえ奉る変革が明治維新だった

一四九二年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、一四九七年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を廻って以来、ヨーロッパ諸國=白色人種によるアジア侵略・植民地化は休みなく進み、十九世紀には、トルコから支那大陸に至るまで、アジアのほぼ全体が、欧米諸國の植民地支配下になった。

 

十九世紀半ばになると、わが國にも、西からはアメリカ、北からはロシア、西からはイギリスというように西欧列強の侵略の手はひしひしと迫っていた。日本もやがて植民地化の運命を辿る危険があった。

 

嘉永六年(一八五三)六月三日、ペリーが浦賀沖に来航した。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行い、開國を迫った。典型的な砲艦外交である。

 

ペリーは大統領の國書のほかに、一通の書簡を白旗と共に幕府に提出した。その書簡には「……通商是非に希むに非ず。不承知に候はば干戈を以て天理に背くの罪を糺し候につき、その方も國法を立て防戦いたすべし。左候はば防戦の時に臨み必勝は我らに之有り。その方敵対なり兼ね申す可く、もしその節に至りて和睦を乞ひたくば、このたび送り置き候ところの白旗を押し立つべし」(どうしても開國通商をしてくれと希望しているのではない。承知しないなら武力に訴えるまでだ。我々は必ず勝つ。その時にはこの旗を掲げて降伏しろ、という意。市井三郎氏著『明治維新の哲学』より引用)とあった。これほどの恫喝外交はない。

 

さらにペリーは、嘉永七年(一八五四)一月十六日の二度目の来航の時には、油絵を幕府への贈り物として持って来た。その油絵はアメリカのメキシコ侵略を描いた戦争画であった。これは文字通り視覚による恫喝である。ペリーのした事は文字通り恫喝と威嚇による開國要求であった。 

 

アメリカは一八六年(弘化三年)から四八年にかけてメキシコを侵略し領土を奪った。今日のニュー・メキシコ州とカルフォルニア州はもともとメキシコの領地だった。以前、ジョン・ウェイン主演の『アラモ』という映画が好評を博したが、これはアメリカのメキシコ侵略の原因となったアラモ砦の攻防戦を描いている。アメリカはアラモ砦を先にメキシコに攻めさせ、アラモ砦が全滅すると、「リメンバー・アラモ」を合い言葉にメキシコに侵攻したのだ。

 

先の大戦においても日本に先に真珠湾を攻撃させて、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に日本に襲いかかったのと全く同じやり方である。独立國家に対してすらこういうやり方を行うのであるから、他の地域に対してはもっと暴虐な方法を用いた。アメリカはハワイやフイリッピンを侵略した。

 

先の大戦もその延長線上にあったと言っていい。大東亜戦争は東方に勢力を拡大するアメリカとの戦いであった。昭和二十年の降伏調印式が行われたミズーリ号艦上に、ペリーが黒船に掲げた星条旗が掲げられた事実はこれを証明している。

 

アメリカのやることは正義であり、それに刃向かうものに対しては容赦のない攻撃を加えるというアメリカの身勝手さと野蛮さは、今日ただ今に至るまで基本的には変わっていないと考える。

 

西郷隆盛は『大西郷遺訓』において、「文明とは、道の普ねく行はるゝを言へるものにして、…世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の國に對しては、自愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして残忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべし」と欧米を批判したが、アメリカの日本への恫喝はまさに西郷が指摘した通りのやり方だった。東方への進出即ちアメリカが誇りとする「フロンティア精神」とは「残忍酷薄を事とし、己を利する」野蠻な方法による東方への侵略そのものと言っては言い過ぎであろうか。

 

徳川幕府は、アメリカの砲艦外交に対して、軍事的衝突を避けつつ、全國の力を結集する必要に迫られた。また鎖國という徳川氏政権掌握以来の基本政策を外國の脅迫によって修正することは幕府の権威と正統性を失墜する危険があった。そこで、國民的合意を達成するために、ペリーの要求に如何に対応すべきかを各大名そして陪臣(大名の臣)にまで広く諮問した。さらに、朝廷に対しても事の成り行きを奉告申し上げた。徳川幕府成立以来の「國政は一切徳川幕府に任せられている」という原則を幕府自身が否定せざるを得なくなったのである。これは幕府の権威の大きな失墜である。「長堤も蟻の一穴から」という言葉があるが、まさにこの事が後の幕府瓦解を招いた。

 

屈辱的な開國は、徳川幕府の弱体化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるという古代以来の國體を明らかする端緒となり、明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神が生まれた。そして、徳川幕府を打倒し、天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は救われたのである。

 

第百二十一代・孝明天皇御製

 

「あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかゝる異國(ことくに)の船」(嘉永七年)

 

「戈とりてまもれ宮人こゝへのみはしのさくら風そよぐなり」(御詠年月未詳)

 

この御製は侵略の危機に瀕する日本を憂えられた御歌である。この御製を拝した多くの志士たちが尊皇攘夷の戦いに決起した。

 

宮部鼎蔵(熊本藩士。肥後勤王党の総帥。尊攘派志士として、京都を中心に活躍。諸藩の有志たちと協議を重ね尊皇攘夷運動を推進したが、元治元年【一八六四】六月五日、池田屋で会合中に新選組に襲撃され、奮戦し自刃)は、熊本を離れ京都に赴く時、次の歌を詠んだ。

 

「いざ子ども馬に鞍置け九重の御階(みはし)の桜散らぬその間に」

 

孝明天皇の御製に応え奉り、幼い子供たちを前に尊皇攘夷の不退転の決意を披歴した歌である。

 

このような維新の志士の、孝明天皇への赤誠・戀闕の志は、宮部鼎蔵だけでなく、全國の志士たちに共通するものだったであろう。

 

徳富蘇峰氏は、「維新の大業を立派に完成した其力は、薩摩でもない。長州でもない。其他の大名でもない。又当時の志士でもない。畏多くも明治天皇の父君にあらせらるゝ孝明天皇である。…孝明天皇は自ら御中心とならせられて、親王であろうが、関白であろうが、駆使鞭撻遊ばされ、日々宸翰を以て上から御働きかけになられたのである。即ち原動力は天皇であって、臣下は其の原動力に依って動いたのである。要するに維新の大業を完成したのは、孝明天皇の御蔭であることを知らねばならぬ」(『孝明天皇を和歌御會記及御年譜』「序」。小田村寅二郎・小柳陽太郎共編『歴代天皇の御歌』より引用)と論じている。

 

孝明天皇の國を憂え、民を思われる大御心が明治維新の原点であり、孝明天皇の大御心に応え奉る変革が明治維新であった。君民一體の神國日本の清潔さ・純潔を守ろうという國粋精神が日本の独立を守った。そしてその國粋精神の體現者・實行者が孝明天皇であらせられた。

 

 

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2016年5月14日 (土)

千駄木庵日乗五月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備、資料検索。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆の準備など。

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この頃詠みし歌

講演会で 理路整然と 語る人 しどろもどろの 会見をする

 

公費天国 といふ言葉を 思ひ出す 都知事さんの 海外出張

 

精査しないと 思ひ出せぬか 家族を連れて 休日旅行を したかしないか

 

図々しい 都知事の顔を 嫌悪して 思はずテレビの スイッチを切る

あほらしき 弁明を聞き 学者政治家が 醜き顔で 語るを悲しむ

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2016年5月13日 (金)

『第九八回・東京財団フォーラムトランプは生き残れるのか?米大統領予備選の行方』における登壇者の発言

二月一日に開催された『第九八回・東京財団フォーラムトランプは生き残れるのか?米大統領予備選の行方』における登壇者の発言は次の通り。

久保文明(東京財団上席研究員・アメリカ大統領選挙分析プロジェクトリーダー/東京大学法学部教授)「民主共和両党に予想外なことが起きている。クリントンが指名を勝ち取るのが五分。サンダースが上になっている。トランプは人目を引く。言ってはいけないことを言う。暴言を言う度に支持率が上がる。不動産で成功。テレビタレント。トランプ現象を支えるのは格差問題。共和党に対して『約束したけれど何もやってくれない』という不満がある。不法移民に対して不愉快な思いを持っている人がトランプを支持。イスラム教徒の移民を阻止するとまで言った人はいない。既成の共和党政治家への不満を吸い上げている。『メキシコとアメリカの間に壁を作る。二千年前に中国が出来たのだからアメリカにも出来る』と言った。冗談みたいな人だがシリアス。氏名を勝ち取る可能性あり。アメリカの排外主義的部分を見ることになる。過小評価できない。共和党・民主党の支持者は相当違う価値観を持っている。共和党は白人。民主党は多民族。場所によっても違う。民主党は若い人。共和党はそうではない。共和党には、イスラム教徒全面入国禁止に賛成する人が五十%。エリートらトランプに反感を持つ人が多い。」。

 

西川賢(津田塾大学学芸学部准教授)「共和党には、キリスト教的価値観を持つ原理主義的右派がいる。経済的原理主義者もいる。そして保守本流がある。トランプは第三極。極端な保守的主張と極端なリベラルな主張がないまぜになっている。大衆迎合的なポピュリスト。共和党は三つ巴の戦い。トランプの支持層は危うい均衡を保っている。社会に対して不満を持っている人が相当な数に上ることが浮き彫りになった。共和・民主両党のどちらがそれを取り込めるのか。サンダースはソシャリストと言うことによってその斬新さか若者に受けている」。

 

前嶋和弘(上智大学総合グローバル学部教授)「クリントンは生き残れるのか。サンダースは若者の熱狂度が高い。サンダース旋風でまさかが起こるかもしれない」。

 

飯塚恵子(読売新聞編集局国際部長)「イスラム教徒が五百万人いる。アフリカ系のアメリカ人がキリスト教からイスラム教に改宗している。ヒスパニックも増えている。これは長期的潮流となる。古き良きアメリカが崩壊しつつあるという不安がある」。

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千駄木庵日乗五月十三日

午前は、諸雑務。

午後二時より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

この後、神田駿河台の明治大学博物館参観。

帰宅後は、原稿執筆、資料の整理。

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この頃詠みし歌

物忌みの如くに籠る今日一日(ひとひ)書を讀み祈りをして過ごしたり

 

大食漢にはあらざれど蕎麦のみでは腹一杯にならぬ悲しさ

 

住み慣れしマンションは地震に耐え得るかそんな不安を抱きつつ居る

 

この国のこの平安は地震起きて一瞬のうちに崩れゆくかも

火事場見物の人々の顔の面白さ伴大納言絵巻をまじまじと見る(山種美術館参観)

 

山越えの阿弥陀仏像を仰ぎつつ二上山を思ひ出しをり()

 

西方に極楽があると信じゐし昔の人を心を偲ぶ()

 

生き生きと新緑の光は街に満ち歩む我らの心浮き立つ

 

生命力強きわが母今日も吾と共に過ごして楽しげなりき

 

買ひて来しスイーツを美味しと食し給うわが母よ永久に健やかにゐませ

 

東北の旅

 

清らけき湖と満開の桜並木わが日の本は美しきかな

 

山奥の水芭蕉の群れの中を歩む白きを喜ぶ心のままに

 

水車の音聞こえ来る部屋に一人居て美しきその調べ聞きをり

 

せせらぎの音を聞きつつ眠る夜清きしらべのごときその音

 

清き流れのせせらぎに掛けられし橋を渡り朝風呂に行くことのすがしさ

 

せせらぎの上の小さき橋渡り朝のいで湯に入り行く楽しさ

 

様々に調理されたる山菜をうましうましと友と食せり

 

学生時代の合宿生活を思ひ出す山奥の宿に顔洗ひつつ

 

春の朝白濁の湯につかりつつ青空仰ぐ心地良さかな

 

 

 

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千駄木庵日乗五月十二日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母の食事の介助。

午後二時より、虎ノ門の笹川平和財団ビルにて、『笹川平和財団・笹川日中友好基金主催講演会 「中国の現状と課題」』開催。<周志興>CONSENSUSメディアグループ総裁、<李 枏>中国社会科学院米国研究所副研究員、<廉 思>対外経済貿易大学青年発展研究センター主任、公共管理学院教授、<章 奇>復旦大学経済学院中国市場経済研究センター准教授の各氏が同論。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、送付。

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2016年5月12日 (木)

荷風の文明批評は今日においてもその輝きを失ってゐない

 

現代日本に対する警告・批判となり得る荷風の文章を引用したい。

「丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾を壮麗にす子女またクリスマスとて互に物を贈りて賀すといふ近年人心夷狄の祭祀を重んじ我邦在來の豊かにめでたき行事を忘るゝことを歎ずべしといふ者あり」(『毎月見聞録」大正五年十二月二十四日)。「若し直に國辱の何たるかを問はば獨り對外交渉のみに止まらず現代の世態人情悉く國辱となすに足る…試みに停車場に入りて掲示を見よ。蟇口を開いて貨幣を見よ。皆外國の文字あり。此の如きは欧米何處の國に至るも決して見る事能はざるものなり。…我邦人もしそれ博愛仁義の意を以て外夷の便宜を圖るものとなさば、世界外交文書の例に倣ひて須らく仏蘭西語を以てすべきなり。…全國停車場掲示の英語は屡々人をして神國六十餘州宛ら英米の植民地たるの思ひあらしむ。そもそも異郷人の異國に遊ばむとするや先づその國の言語を習得するの用意なかるべからず。外客の便不便は元来その國人の深く問ふべき處にあらず」(『麻布寿襍記』・大正十三年)。

 

かかる傾向は、今日のわが國に於いてますますひどくなってゐる。いはゆる横文字の氾濫は、日本國が一體どこの國かと思はしめるやうな状況である。横文字とは英語のことであるが、最近はハングル文字・支那簡體字までもが其処此処に掲示されてゐる。

 

戦争直後の昭和二十二年に脱稿した『秋の女』といふ文章で荷風は、「今日われわれに過ぎ去った明治時代が日にまし懐しく思返されるのは學び教へられた西洋文化の底に傳統の流の猶涸れつくさずにゐたが爲でせう。一例を舉げるならば、繪畫には原田直次郎、黒田清輝の制作。文學には四迷鷗外の著述がそれを證明してゐます。活字にならなければ俳句の一首さへよまないのは現代文士の常態です。賣名虚榮を滿たすために、公衆を相手に花をいけ琴をひくのは學校教育に賊(そこな)はれた現代女性の通弊でせう。…公衆に見せる目的に重きを置かずして、猶花を愛し、金錢に目がくらまずに刀を磨くごとき風習はいつの間にかわれわれの世の中から消えてしまったのです」と書いてゐる。これは、戦後日本への批判である。

 

永井荷風の文明批評は、今日においてもその輝きを失ってゐない。荷風が憤り憂へたことは今日の日本に於いてますますひどくなってゐる。

 

荷風は、大正八年八月に「地震は安政以來久しく東都の地を襲はぬけれど、浅間しき末世の有様は、何かにつけて古來の迷信を回想せしめる便宜となり易い」(『厠の窓』)と書いてゐる。関東大震災が起こったのは、荷風がこの文章を書いた五年後の大正十二年九月一日であった。

 

五月三日は『憲法記念日』である。小生はとてもこの日を祝日として心からお祝ひする気にはなれない。亡國の日・屈辱の日と認識し、一日も早く帝國憲法復元改正を實現しなければならないと決意を新たにする。『日本國憲法』といふ名の占領憲法は、昭和二十二年五月三日に「施行」された。この日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふべし。」と記されてゐる。

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千駄木庵日乗五月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、笠郎女の歌などを講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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2016年5月11日 (水)

『第六十二回 日本の心を学ぶ会』のお知らせ

 

 

中国とその脅威を考える

 

今夏の参院選に向けた動きが活発化してきました。

憲法改正が選挙の重要な争点として浮上しています。また、昨年は安全保障法制が大問題になりました。参院選でもわが国の国防体制・安全保障問題が議論されることとなりそうです。

 

わが国で国防安保が大きな問題となっている背景は、いうまでもなく中国の対外膨張・覇権主義・軍拡主義の抬頭です。

中国の対外膨張・覇権主義は、チベット、東トルキスタン(新疆ウィグル)、南モンゴルは言うまでもなく、南シナ海や東南アジアに拡大しており、周辺国に大変な脅威を与えております。

 

 中国の対外膨張・覇権主義は「間接侵略」とよばれる軍事力によらない手段によって対象国を経済的、思想的に従属させたうえ、直接的な軍事力を行使するという方法で侵略を続けてきました。

これらと並行して大規模な移民を送り込み人口構成を激変させる「人口侵略」や「洗国」と呼ばれる手段で侵略を完成させております。

 

このような「軍事力によらない手段」による侵略は我が国においても展開しており、これらの工作の結果は現実的な脅威となっております。

 

現在、在日中国人数は約70万人まで拡大しており、水源となる土地や自衛隊基地の周辺の土地の取得などが不気味に進行しております。

 

莫大な資金を背景にした政財界、マスメディアへの工作も進んでおり、なによりも危機感を覚えなければならないのは水面下で進む沖縄への工作でしょう。

近年叫ばれはじめた「琉球独立運動」も、その背後に中国の工作があることはいうまでもありません。

 

中国の覇権主義・膨張主義の最前線は今や台湾を超えて沖縄あるといえます。

今一度、我々は中国とその脅威について正しい認識を持たねばならない時が来たと言えます。

 

今回の勉強会では警視庁で通訳捜査官として活躍された坂東忠信氏をお迎えして「国民目線の間接侵略」という演題で中国移民が増えた町がどのような状態になるのかご自身の体験をもとに講演していただきます。

 

四宮正貴氏には「『共産支那』の対外膨張と中華帝国主義」という演題で講演していただき、我が国を侵食する中国とその脅威について考えてみたいと思います。

 

みなさまのご参加をお待ちしております。

 

【日 時】平成28529日(日)午後600分より

 

【場 所】文京シビックセンター 5階会議室A+

 

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【講 演】

 

「『共産支邦』の対外膨張と中華帝国主義」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

 

「国民目線の間接侵略」坂東忠信氏 元警視庁通訳捜査官

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

               ◎

 

この御知らせは主催者が作成しました。

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今こそ日本國民は「日本こ中華である」との大自覚を持ち國難に当たるべき時

「中華思想」は、周辺諸民族を「東夷」「西戎」「南蛮」「北狄」と呼んで獣や虫けらのやうに蔑視し侮った。

 

「東夷」とは弓を射るのがうまい民族・東方の野蛮人のことで、日本・満州・朝鮮などの民族を指す。「西戎」とは槍術のうまい民族・西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指す。「南蛮」とは蛮は虫扁がつく南方の野蛮人のことで、インドシナなど南海諸地方の民族を指す。「北狄」とは犬扁のつく北方の野蛮人のことで、匈奴(きょうど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指す。いづれも野蛮な民族といふことである。

 

「中華思想」ほどの他民族に対する差別思想・侵略思想・大國主義はない。支那はこの論理によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略して来た。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した後には、強力な國外侵略を行ってゐる。毛沢東も前述した通り、共産支那帝國成立後、東トルキスタン・内モンゴル・チベット・朝鮮・ベトナムを侵略した。今日、台湾・沖縄・南シナ海・東シナ海を狙ってゐる。

 

このやうに、支那人のきはめて独善的な支那中心意識から生まれた優越意識・唯我独尊・大國主義・統一主義・侵略主義の思想體系が「中華思想」である。この「中華思想」が、あの広大にして人口の多い支那大陸を一つの権力國家にまとめあげてゐる原理である。そして「中華思想」は、支那大陸における少数民族の抑圧の原理、アジアにおける覇権確立の原理となってゐる。

 

支那人に、欧米や日本に対する強烈な対抗意識・復讐心が生まれた。それが「中華思想」といふ侵略主義・大國主義を一層強化させてゐる。

 

共産支那による理不尽極まりないわが國への恫喝・内政干渉・日本に対する侮蔑・差別観念は、「中華思想」と復讐心から来てゐる。

 

我々日本民族は、支那大陸に存在する漢民族の政権のみが「中國」とか「中華」を名乗る資格があるのでは断じてないといふことを正しく認識しなければならない。わが國もまた「葦原中國(あしはらなかつくに)」即ち「中國」なのである。

 

山鹿素行の『中朝事實』といふ著書がある。これは徳川時代初期に著されたもので、「日本は神國なり、天皇は神聖なり」といふ思想が根幹にあり、後世のいはゆる日本主義思想に大きな影響を与へた。

 

平泉澄氏は次のやうに論じてゐる。「山鹿素行先生は…日本こそ他國にすぐれたる國であり、正しく中華といひ、中國といひ、中朝といふべき國であるとして、ここに日本の歴史を述べて、これに題して中朝事實といはれたのであります。…中朝事實こそは、長く外國の學問に耽り、外國の思想に惑ひたる後に、一朝目覺めて日本を發見し、日本の偉大に驚歎し、ここに眞の學問として日本學を樹立組織せんとしたる先哲の偉大なる足跡といふべきであります」(『日本學叢書 中朝事實』解説)と。

 

山鹿素行は我が日本こそ文化概念としての「中國」であって、支那は「中國」にあらずとの前提に立ってゐる。『中朝事實』には「『皇祖高皇産霊尊(みおやたかみむすびのみこと)、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵命(すめみまあまつひこひこほのににぎのみこと)を立てて、葦原中國(あしはらのなかつくに)の主(きみ)と爲さんと欲(おぼ)す。』謹みて按ずるに、是れ、本朝を以て、中國と爲すの謂(いひ)なり…本朝の神代、既に天御中主尊有り、二神(ふたはしらのおほんかみ)國の中の柱(みはしら)を建つれば、則ち、本朝の中國たるや、天地自然の勢なり」と記されてゐる。

 

支那に対する誤れる劣等意識は微塵も持ってはならない。日本は今日、中華帝國主義とアメリカ覇権主義の狭間にあって苦しむのみならず、北朝鮮にはミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られ、共産支那や韓國から教科書を検閲されてゐる。今こそ日本國民全體が「日本こそ他國にすぐれたる國であり、正しく中華といひ、中國といひ、中朝といふべき國である」との大自覚を持ち、愛國心・大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。それこそが、今日興起すべき健全なるナショナリズムである。

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千駄木庵日乗五月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と各指針』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。施設の人々が良くお世話をしてくれている。有り難し。

帰宅後は、『政治文化情報』編集の仕事。

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2016年5月10日 (火)

八幡大神のご神徳

八幡神が信仰されるやうになったのは奈良時代からであり、神代には登場されない神である。八幡信仰が盛んになったのは、武門とりわけ源氏の隆盛と深く関はりがあるといはれる。また、怨霊の魂鎮めとも関連があるといはれてゐる。中世以来、討死した武将、攻められて自裁した武将及びその一族を、八幡神として祀った例が多くあるといふ。八幡神は神代以来の神々いはゆる天神地祇とはそのご性格を少しく異にしてゐる。

 

八幡神は、わが國最初の神佛習合神として早くから信仰された。聖武天皇は、天平十九年(七四七)に東大寺大佛(盧舎那大佛)造立に際して、豊前國の宇佐宮に勅使として橘諸兄(従三位左大臣)を遣はされ、「國家鎮護」と「大佛造立」の祈願を行はせられた。八幡神の「天神地祇を率いて大佛建立に協力しよう」といふ意の神託が下された。

 

天平二一年(七四九)陸奥の國から大佛像に使ふ黄金が献上され大佛造立が完成した。聖武天皇は大変お喜びになり、この年の七月二日天平勝宝と元号を改められた。黄金の発見といふ瑞祥は八幡神の神徳のよるものとされたのであらう。天平勝宝元年(七四九)十二月に、宇佐八幡の神霊が、紫錦の輦輿(れんよ・鳳輦のこと)に乗って入京し、東大寺の地主神として迎へられたといふ。紫錦の輦輿は、天皇のお乗り物であり、八幡神がすでにこの頃、応神天皇の御神霊であると信仰されていたと思はれる。

 

天応元年(七八一)に、八幡神に「八幡大菩薩」の神号が与へられた。延暦二年(七八三)には、「護國霊験威力神通大自在菩薩」といふ号も加へられてゐる。

神佛習合の初期現象たる「八幡神上京」は、教義・教条の理論的裏付けがあって行はれたのではない。現實が先行し、それに後から理屈が付けられたのである。まず神と佛が習合することが先だったのである。ここが日本民族の信仰生活の特質であり、幅が広く奥行きが深いといはれる所以である。融通無礙なのである。

 

石清水八幡宮も、創建以来、幕末までは神佛習合の宮寺で石清水八幡宮護國寺と称してゐた。明治初期の神佛分離までは「男山四十八坊」と呼ばれる数多くの宿坊が参道に軒を連ねた。男山の麓からけーブルで登って来ると、宿坊の跡らしい所が点在してゐた。

 

神と佛とがごく自然に同居し、同じく人々によって信仰せられて来たのが日本の信仰の特色であり傳統であらう。神と佛とを理論的教学的に識別する以前に、日本民族の信仰においては、感性において神と佛とを同一のものの変身した存在として信仰したのである。一つの家に神棚と佛壇が祀られ安置されている姿は、一神教の世界ではあり得ないと思ふ。

 

日本人が太古から継承してきた自然信仰と祖霊信仰といふ日本民族の中核信仰に外来宗教が融合されていったのである。石田一良氏は「神道の原質と時代時代の宗教・思想の影響との関係は『着せ替え人形』における人形と衣裳との関係のようなものと喩えられるかもしれない。…神道の神道たる所以は原初的な原質が時代時代に異なる『衣装』をつけ、または『姿』をとって、その時代時代に歴史的な働きをする所にある」(『カミと日本文化』)と論じてゐる。卓見であると思ふ。

 

いくら外来宗教を受容したからとて、わが國の風土と日本民族の気質から生まれた「すべてを神として拝ろがむ傳統信仰」の中核は失はれることはなかった。

 

石清水八幡宮は、第五十六代・清和天皇が即位された翌年の貞観元年(八五九)七月十五日、弘法大師空海の弟子であった僧行教行が宇佐八幡宮に参詣した折、八幡大神の「吾れ都近き石清水男山の峯に移座して國家を鎮護せん」とのご託宣を受け、翌貞観二(八六〇)年四月三日、清和天皇のご命令により社殿を建立し八幡神を祀ったことを創建とする。石清水八幡宮はご創建からして佛教と深いかかはりがあったのである。

 

八幡神は全國の武士から武の神、弓矢の神として尊崇されただけでなく、「護國霊験威力神通大自在菩薩」とも称されたやうに、朝廷をはじめ全日本國民から國難打開の神として尊崇されて来た。

 

第九十代・亀山天皇が、後宇多天皇の御位を譲られ院政を始められた文永十一年(一二七四)元寇(蒙古軍侵攻)があった。朝廷は各神社に異國降伏の祈願を行はせられた。後宇多天皇は石清水八幡宮に奉幣され蒙古軍退去の御祈祷をされた。

 

弘安四年(一二八一)には蒙古の大軍が再びわが國に迫った。亀山上皇は、伊勢皇大神宮へ敵國降伏を祈願するための勅使を派遣された。『増鏡』(後鳥羽天皇即位から後醍醐天皇の隠岐からの還幸まで、一五代約百五十年間の歴史を編年体で記した歴史書)には「わが御代にしもかゝる乱出できて、誠にこの日本のそこなはるべくは、御命めすべき」との宸筆の願文を、伊勢皇大神宮に捧げられたと記されてゐる。

 

同年六月には、亀山上皇は石清水八幡宮に御幸され、神楽を奏せしめられ、西大寺長老・叡尊(えいぞん)をして真読(しんどく・経典を省略しないで全部読むこと)の大般若経(だいはんにゃきょう)を供養せしめ、終夜、敵國降伏・元寇撃滅を祈願あそばされた。

 

この時に、いはゆる「神風」が吹き、「國に仇をなす十余萬の蒙古勢は、底の藻屑と消え」てしまった。このことが、八幡大神をはじめとした日本の神々への神を深めしめ、日本神國思想がますます強固になった。

 

亀山上皇は、石清水神宮に御幸された時、次の御歌を詠ませられてゐる。

 

「石清水たえぬながれは身にうけて我が世の末を神にまかせむ」

 

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千駄木庵日乗五月九日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』原稿執筆など。

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2016年5月 9日 (月)

『出光美術館開館五十周年記念日の祝典』展参観記

本日参観した「2016年春、出光美術館は開館50周年を迎えます。その記念企画として所蔵の絵画作品から、国宝・重要文化財を中心とした屈指の優品を厳選して三部構成により一挙大公開いたします。第一部のテーマは、『やまと絵』。日本の伝統美を象徴する鮮やかな色彩と、やわらかな造形が織りなす『やまと絵』は、古来、宮廷文化に導かれながら発展してきました。とくに四季折々に移ろう山景や樹木の装い、そして野に会する花鳥たちの表情は、いつの世の人々にも愛され、絵に描かれることで独自の情緒や典雅な美意識を伝え遺してきました。優れた画家たちの手によって制作された、時代を代表する数々の名品を特集展示する本展では、重要文化財の『絵因果経』(奈良時代)や『真言八祖行状図』(平安時代)、『四季花木図屏風』(室町時代)をはじめとし、出光コレクションが誇る『やまと絵』の華麗なる展開をご紹介します。なおこの期間、国宝『伴大納言絵巻』上巻を10年ぶりに特別展示します」との趣旨(案内文)で開催された。

 

『伴大納言絵巻』(平安時代)、『長谷寺縁起絵巻』(南北朝時代)、『四季花木図屏風』(室町時代)、『吉野龍田図屏風』(桃山時代)、『月に秋草図屏風』(江戸時代)、『増長天像』『持国天像』(鎌倉時代)、『山越阿弥陀図』(南北朝時代)、『真言八祖行状図』(保延二年)などを参観。

 

「やまと絵」とは、支那風の絵画「唐絵」(からえ)に対する呼称であり、平安時代の国風文化の時期に発達した日本的な絵画のことだそうである。『源氏物語絵巻』などの絵巻物かその典型と言ふ。

 

今日参観した『伴大納言絵巻』は、貞観8年(866)閏310日に起きた応天門の炎上(『応天門の変』)をめぐる大納言伴善男の陰謀、その露見と失脚を物語った絵巻物。火災現場に駆けつける検非違使の役人たち、炎上する応天門と、それを風上と風下で眺める群集、炎に包まれる応天門がリアルに描かれている。群衆一人一人の仕草や表情がこまかく描写されていてまことに面白い。このように克明な描写を平安時代の昔に描かれたことに驚く。後白河天皇に重用された宮廷絵師・常盤光長が主導的な役割を担ったと言う。

 

『応天門の変』は、当初は大納言伴善男(とも  よしお、弘仁2年(811年) - 貞観10年(868年)は左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣藤原良房の進言により無罪となり、その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、拷問によって自白させられ、有罪となり、伴善男父子が流刑に処された事件である。これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。藤原氏による大伴氏排斥事件とされている。『伴大納言絵巻』は藤原氏側に立った描かれ方がされているように思う。伴善男は、神代以来の明俗・大伴氏の血統をひく人物である。ということは、『萬葉集』の編纂者とされ、大歌人であった大伴家持の子孫である。大伴氏は、天孫降臨の先導役であった天忍日命の子孫とされる天神系氏族で、『萬葉集』の時代から藤原氏と並ぶ氏族であった。何とも陰惨な事件である。

 

『山越阿弥陀図』も印象に残った。亡くなった人を阿弥陀如来と観世音菩薩、勢至菩薩が極楽浄土から迎えに来た状景を描いている。まことに荘厳な作品で、こういう絵を見た人は、阿弥陀仏への信仰をより深めたと思われる。山の向うに浄土があると信じたのであろうか。日本浄土信仰発祥の地は、大和の二上山の麓である。そこには當麻寺(たいまでら)というお寺があり、西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」が伝えられている。東の三輪山から昇った太陽が西の二上山に沈む。大和に生活した古代の人々は二上山の彼方に淨土があると信じたのであろうか。

 見ごたえのある展覧会であった。

 

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千駄木庵日乗五月八日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。

この後、丸の内の出光美術館にて開催中の『開館五十周年記念 美の祝典』展参観。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2016年5月 7日 (土)

昭和天皇御製・皇后陛下御歌に拝する「現御神信仰」

昭和天皇おかせられては、昭和三十四年、『皇太子の結婚』と題されて、

 

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り むすぶこの朝

 

と詠ませられてゐる。「日の御子」とは「日の神すなはち天照大御神の御子」といふ意味である。「日嗣(ひつぎ)の御子」と同じ意義である。この御製は、戦勝國アメリカの占領軍の無理強いによって発せられた『昭和二十一年元旦の詔書』が「人間宣言」であったなどといふことを根底から否定する。昭和天皇におかせられては、天皇及び皇太子は「天照大御神の生みの御子=現御神である」との御自覚はいささかも揺らいでをられなかったことは、この御製を拝すればあまりにも明白である。

 

『萬葉集』に収められてゐる柿本人麻呂の歌には「やすみしし わが大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと…」と高らかに歌ひあげられてゐる。「四方をやすらけくたいらけくしらしめされるわが大君、高く光る日の神の御子、神ながらに、神にますままに、…」といふほどの意である。この歌は、古代日本人の現御神日本天皇仰慕の無上の詠嘆である。

 

「高光る 日の御子 やすみしし わが大君」といふ言葉は、『古事記』の景行天皇記の美夜受比売(みやづひめ)の御歌に最初に登場する。現御神信仰は、わが國古代以来今日まで繼承されて来たてゐる。

 

御歴代の天皇そして皇太子は、血統上は天照大御神・邇邇藝命・神武天皇のご子孫であり血統を継承されてゐるのであるが、信仰上は今上天皇も皇太子もひとしく天照大御神の「生みの御子」であらせられるのであり、天照大御神との御関係は邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も皇太子も同一である。  

 

皇后陛下は、昭和三十五年、「浩宮誕生」と題されて、

 

あづかれる 宝にも似て あるときは 吾子(わこ)ながらかひな 畏れつつ抱(いだ)く

 

と詠ませられてゐる。ご自分のお産みになった御子ではあるけれども、「高光る 日の御子」であらせられるがゆゑに、宝の如く畏れつつ抱かれるといふ、まことに崇高なる御心をお詠みになったと拝する。

 

民間から皇太子妃殿下となられ、キリスト教教育を受けられた皇后陛下は、神話時代以来の「現御神信仰」を正しく受け継いでをられるのである。國體擁護・尊皇の立場に立つ人の中に、皇后陛下に対し奉り、不当にして理不尽な批判を行ふ人がゐるが、厳に慎むべきである。

 

葦津珍彦氏は「(注・今上天皇のご成婚に際して、皇后陛下がミッションスクールのご出身であられることによって)『皇室の傳統精神は確保され得るや』との真剣な憂念は、政府に対して強力に働きかけて来る。政府としては、御慶事を迎ふるための不可欠の準備としても、これら國民の心配を解消させなくてはならない。昨年末の十二月二十九日、皇太子妃教育の科目が発表されたが、その初めには宮中祭祀があげられ、次いで神宮祭祀が講義されると発表された。一月十四日、納采の儀に際しては、伊勢の神宮、畝傍の陵などに勅使が奉告のためさしつかはされた。いよいよ御成婚の盛儀は、賢所大前で神式の國家儀式でとり行はれるといふことになったわけである。…このやうな努力の必要を、政府に痛感させた原因は、…正田美智子さんが聖心女學院といふカトリック學校の優等生だったといふことから起ってゐる。…皇室は、キリスト教的教育を受けられた正田美智子さんを迎へたために、皇室神道の傳統を回復すべき好機を得られた、といふこともできる。歴史の流れといふものは、まことに複雑微妙であり、時によっては逆説的なコースをとるものである。」(「東宮殿下の御成婚の波紋」・『みやびと覇権』所収)と論じてゐる。

 

皇后陛下に対し奉り、國體否定論者ではなく、國體擁護の立場にあるとされる人からも色々な批判を耳にすることがある。中には「正田王朝」などといふ言葉を用いる「學者」もゐる。不届き至極である。

 

昭和三十四年のご成婚の時、「皇后は民間出身であってはならない」といふ批判が起って以来皇后陛下に対する反感が、一部の人々に地下のマグマのやうにくすぶり続けて来た。あってはならないことである。

 

皇后陛下は、宮中祭祀への伺候をはじめ「皇后」としてのご使命を果たされるべくつとめてこられた。皇后陛下の御歌を拝すれば、皇后陛下が、日本傳統精神そして皇室の傳統を常に重んじられ、回帰されつつ、皇后としての尊き道を歩まれてをられるがか分かる。

 

平成十五年  皇后陛下御歌

 出雲大社に詣でて

國譲(ゆづ)り 祀(まつ)られましし 大神の 奇しき御業(みわざ)を 偲びて止まず

 

平成十三年

外國(とつくに)の 風招(まね)きつつ 國柱(くにばしら) 太しくあれと 守り給ひき

 

この御歌についての、宮内庁ホームページの説明には「明治の開國にあたり,明治天皇が広く世界の叡智に學ぶことを奨励なさると共に,日本古来の思想や習慣を重んじられ,國の基を大切にお守りになったことへの崇敬をお詠みになった御歌。明治神宮御鎮座八十周年にあたり,御製,御歌の願い出があったが,六月に香淳皇后が崩御になり,今年の御献詠となった」とある。

平成十一年

結婚四十年を迎えて

遠白(とほしろ)き神代の時に入るごとく伊勢参道を君とゆきし日

 

平成八年

 終戦記念日に

海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたのみ靈(たま)國護(まも)るらむ

 

平成五年

 御遷宮の夜半に  

秋草の 園生(そのふ)に虫の 声満ちて み遷(うつ)りの刻(とき) 次第に近し

 

平成三年

 立太子礼

赤玉の 緒(を)さへ光りて 日嗣(ひつぎ)なる 皇子(みこ)とし立たす 春をことほぐ

 

平成二年

 明治神宮御鎮座七〇周年

聖(ひじり)なる 帝(みかど)にまして 越(こ)ゆるべき 心の山の ありと宣(の)らしき

この御歌についての宮内庁ホームページの説明には「この御歌は,明治天皇の御製『しづかなる心のおくにこえぬべきちとせの山はありとこそきけ』を拝してお詠みになったものです」とある。

 

 御即位を祝して

ながき年 目に親しみし み衣(ころも)の 黄丹(に)の色に 御代の朝あけ

 

畏れながら、「遠白(とほしろ)き神代の時に入るごとく伊勢参道を君とゆきし日」の御歌は、「今即神代」「神代即今」といふ日本傳統信仰の基本精神を、つつましくも清らかに歌はれた御歌と拝する。「赤玉の緒(を)さへ光りて日嗣(ひつぎ)なる皇子(みこ)とし立たす春をことほぐ」の御歌は、皇太子殿下は、天照大御神の靈統を継がれる御方であるといふ古来の傳統信仰すなはち現御神信仰を歌はれたのである。

 まことに畏れ多いことながら、皇太子雅子妃殿下におかせられても、色々精神的肉体的御苦労はあおりになったとしても、天皇皇后両陛下の祭祀、そして日本傳統信仰のご体得、国民を思はれる仁慈の御心を見習はれ、継承されることであらう。

 

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千駄木庵日乗五月七日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。浅川公紀筑波学園大学名誉教授が「米国大統領選挙と日米中関係の行方」と題して講演。質疑応答。奥野誠亮・小田村四郎良先生にお目にかかる。

帰宅後は、『伝統と革新」編集の仕事、原稿執筆。

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日本人の言霊信仰がやまと歌などの日本文藝を生んだ

日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈る「まつりごと」が行はれた。その「まつりごと」において祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが祝詞である。それが「やまとうた」(和歌)の起源である。

 

祭祀における「となへごと」は「やまとうた」のみならずわが國の文藝全体の起源である。「やまとうた」はまつりごとから発生したのである。日本人の言霊信仰が歌などの日本文藝を生んだといへる。

 

「敷島の日本(やまと)の國は言霊のさきはふ國ぞまさきくありこそ」 

(敷島の大和の國は言霊の力によって、幸福がもたらされてゐる国です。どうか栄えて下さい、といふほどの意)

 

これは、『萬葉集』柿本人麻呂歌集に収められてゐる歌である。この歌は言霊の霊力が発揮されて、人の幸福が実現することを祈り予祝した歌である。

 

山上憶良の「好去好来(かうこかうらい)歌」(遣唐使の出発に当たってその無事を祈り祝福した歌)には、

 

「神代より 言ひ傳(つ)て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國 言霊の 幸はふ國と 語り繼ぎ 言ひ繼がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり…」

(神代以来言い伝えられて来たことですが、そらみつ大和の國は皇神の威徳が厳然としてゐる國であり、言霊が幸をもたらす国であると、語り継ぎ、言ひ継いでき来ました。それは今の世の人もことごとく目の当たりに見て知っゐます…、といふほどの意)

 

と歌はれてゐる。

この憶良の歌について保田與重郎氏は、「憶良は、實は専ら儒佛の思想を喜んだ人で、その方では當時の代表的な文人であるが、その人が歌った歌の中に、言霊の幸ふ國を云ひこれを今の目のまへに見たと歌ひ、聞いたと云うてゐるのは、却って、かういふ傾向の人の言葉だけに、尊い道のありさまを云ふものである。…萬葉集のありがたさは、かういふ道のありさまを示してゐるところにある。」(『言霊私観』)と論じてゐる。 

 

古代日本人は、言葉の大切さ、偉大さを本然的に強く自覚し信じ、言葉の霊力によって、幸福がもたらされてゐる国が大和の国であると信じてゐたことが、この二首の歌によって理解されるのである。

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2016年5月 6日 (金)

千駄木庵日乗五月六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆など。

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四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年五月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年五月号(平成二十七年四月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

日本人の祖靈信仰について考へる

 

タイやミャンマーの仏教は死者の骨即ち遺骨は不浄と考へてゐる

 

日本人は古代から遺骨には死者の「タマ」(靈魂)が宿ってゐるとして大切にしてきた

 

祖靈崇拝・死者への祭祀と神仏融合

 

「七生報國」の精神と「よみがへり」の思想

 

日本人は肉體が滅びても人間が無に帰することはないと信じて来た

 

千駄木庵日乗

 

青山学院大学大学院教授福井義高氏「日本軍と共にINA(インド國民軍)がインパールで戦ったことが、インド独立を決定づける」

 

田久保忠衛杏林大学名誉教授「ソ連の侵略は計画的。北方領土は強奪された。六十万人がシベリアの二千カ所の強制収容所に入れられた」

 

インド政策研究センター教授・プラーマ・チェラニー氏「アジアは列強によって植民地になった。日本がロシアに勝ったのは、アジアにとって励みになった」

 

松崎晃治小浜市長「自然を神と拝み、神と同じ酒をいただく。五穀豊穣を祈る。多くの人々に日本の心を傳えたい」

 

神崎宣武氏(民俗学者)「お神酒をあがらぬ神は無し。供えた酒をいただくのが直會」

 

大久保利泰(としひろ)(大久保利通の曾孫)「明治元年から二年に時代が大きく動いた。当時の政治家の偉大さを今日の政治家は見習ったら良い」

 

 

この頃詠みし歌

 

 

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萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 五月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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2016年5月 5日 (木)

明治天皇御製を拝し奉りて

明治天皇御製

ことのはのまことのみちを月花のもてあそびとはおもはざらなむ

 

明治四十年、御歳五十六歳の砌、 『述懐』と題された御製である。

 

「ことのはのまことのみち」とは、やまと歌のことである。日本人にとって歌を詠むとは、ただ単に花鳥風月の美を愛で、それを五七五七七の歌にするといふ遊びでは決してない、といふ事を教へられた御製である。

 

徳川幕府が、朝廷に対する規制的意図を持って制定した『禁中並びに公家諸法度』(別名『禁中方御条目十七箇条』)に「和歌は、光孝天皇より未だ絶えず、綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄て置くべからず」などと記されてゐる。

 

「綺語」とは、美しく表現した言葉といふ意味であると共に、仏教の「十悪」の一つで真実に反して飾り立てた言葉といふ意味である。徳川幕府は、やまと歌をまさに「月花のもてあそび」と思ってゐたのである。徳川幕府が、和歌といふ日本伝統文学に対する理解がいかに浅かったかを証明してゐる文言である。

 

『禁中並びに公家諸法度』は、徳川家康が黒衣の宰相といはれた悪名高い金地院崇伝(世人から「大欲山気根院僭上寺悪國師」とあだ名されたといふ)に命じて起草させた。わが國和歌の道統について正しい理解がないのは当然といふべきである。明治天皇のこの御製は、『禁中並びに公家諸法度』を厳しく批判された御歌と拝することが可能である。

 

明治天皇は、同じ年、『歌』と題されて、

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

と詠ませられてゐる。

 

また、明治三十七年には、『歌』と題されて、

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」

「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

と詠ませられてゐる。

 

これらの御製は、やまと歌の本質について歌はれてゐる。和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

 

『古今和歌集・仮名序』(紀貫之)に「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

 

歌の語源は「訴へる」である。物事に感動して何事かを訴へた声調・調べ(音律の調子を合わせ整へること)のある言葉を歌といふ。そして、五七五七七といふ一定の形式と調べが自然に生まれた。

 

日本國民の心・思想・精神は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。 

 

わが國は元寇・明治維新・大東亜戦争など國家的危機の時に尊皇愛國の精神が燃え上がった。そしてやまと歌が勃興した。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。

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千駄木庵日乗五月五日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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祭祀と現代の危機

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

それは鎮守の森には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。 

 

祭祀は、現代に生きる神話である。祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

 

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

 

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教であるが、神の偶像を拝むといふことはない。何処の神社にお参りしても、その神社の御祭神の神像を拝むといふことはない。日本神道は自然神・祖霊神そのものを拝むからである。偶像崇拝は無い。

 

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。それは『記紀』の物語や『萬葉集』の歌に表白されてゐる。

 

近年多発する大地震と東日本大震災における原発事故で、日本民族は文明史上・人類史上大きな問題を突き付けられている。「自然との共生」という言葉をよく聞くが、そんな生易しいものではないことを實感した。確かに人間は自然と共に生きて来たし、自然の恩恵をこうむっている。しかし、時に自然は人間に無慈悲に襲いかかって来る。これにどう向き合うのかが問題である。

 

自然神・祖靈神の崇拝が日本伝統信仰=神社神道の基本である。自然に宿る神霊、そして亡くなった方々の御霊は、我々生きている者たちに恵みを与え下さり、お護り下さる有りがたき御存在である。しかし、神代・古代以来、自然に宿る神々も、そしてこの世を去った御霊も、時に怒りを現し、祟ることがある。

 

日本人は、自然災害はまさに自然の神の怒りととらえて来た。御靈信仰も神社神道の大きな流れである。全国各地に鎮座する天満宮も、そり原初は、無念の思いを抱いて亡くなられ、多くの祟りを現された菅原道真公の御霊をお鎮めするための神社であった。

 

日本民族は、常に自然の恩恵に感謝すると共に、災害をもたらす自然に対して畏敬の念を抱いてきた。また、日本民族は、亡くなった方々に対して感謝の念を捧げると共に、尋常でない亡くなり方をした方の御霊に対して御慰めしなければならないという信仰を持っていた。

 

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)(『古事記傳』)と定義してゐる。

日本の自然の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるということである。無限の可能性を持つと言い換えてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災いを齎すと古代日本人は信じた。

 

無暗矢鱈に自然に恐怖心を抱いたり、亡くなった人の祟りを恐れたりするべきではないが、自然と祖霊に対する畏敬の念を持つことは大切である。つまり、今こそ、日本国民斉しく自然と祖霊への祭祀の心を回復すべきなのである。

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千駄木庵日乗五月四日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。有り難し。

帰宅後も、『伝統と韓国』編集の仕事。

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2016年5月 3日 (火)

御寺泉涌寺・月輪陵・後月輪陵・後堀河天皇観音寺陵について

御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)は、東山三十六峰の一嶺,月輪(つきのわ)山麓にある。皇室の御菩提所(御香華院と申し上げる)であり、諸宗兼学と道場と言われる。

 

弘法大師が天長年間、この地に草庵を結び、法輪寺と名付けた。順徳天皇御代の建保三年(一二一八)、月輪大師といふ僧侶が大伽藍を造営した。この時、境内に泉が涌き出したので、寺号を泉涌寺と改めたといふ。このお寺は、朝廷の尊信が篤く、後鳥羽上皇、順徳天皇、後高倉天皇は、月輪大師によって受戒された。仁治三年(一二四二)、第八十七代・四条天皇の御陵が泉涌寺に造営された。

 

「承久の変」の後、後鳥羽上皇の皇孫、順徳天皇の第一皇子であらせられる第八十五代・仲恭天皇が、「承久の乱」の後わずか七十八日間で鎌倉幕府の意向により廃位された。そして、後鳥羽上皇の鎌倉幕府打倒の御意に反対の立場であられた御兄君・守貞親王の皇子が皇位につかれた。第八十六代・後堀河天皇であらせられる。

 

そして、後堀河天皇はまだ御年二歳の皇子に譲位された。第八十七代・四条天皇であらせられる。しかし、御在位十年、御年十二歳の砌、四条天皇は、御所で誤って転倒されたことが直接の原因になって崩御された。

 

洛中洛外、南都北嶺の諸寺院は、四条天皇の御葬儀に奉仕することを拒んだ。「承久の変」に敗れた、後鳥羽上皇、順徳天皇をお慕ひし、鎌倉幕府の専横に反感を持ってゐたからであらう。

 

そのやうな時、四条天皇の御葬儀奉仕を承ったのが、泉涌寺であった。その御縁で、以後、泉涌寺が朝廷の尊崇を得ることになったとされる。(中村尚勝氏の泉涌寺製作『皇室の御寺泉涌寺』所収論文参照)

 

総門を入り、参道を歩み行くと、左側に「拝跪聖陵」と刻まれた石標がある。この文字を讀むと歴代天皇を仰慕する国民の心が籠められてゐると感じ、自ずから粛然とした気持ちになる。

 

慶長年間に、内裏の御門をお移しした大門を入ると少し下り坂になる。その彼方に仏殿が見える。実に清らかにして美しい眺めである。歩み行くと右側に寺号の起源となった「泉涌水」といふ湧水がある。

 

仏殿は、寛文七年(一六六八)、德川四代将軍家綱の再建。釈迦、弥陀、弥勒の三尊が祀られてゐる。

 

その奥の霊明殿には、天智天皇から明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后に至るまでの歴代の御尊牌が奉安され、一山あげて朝夕ご冥福と国家の安穏が祈られてゐるといふ。

 

現在の霊明殿は、明治十五年(一八八二)十月炎上の後、同十七年明治天皇によって再建された尊牌殿である。慎みて参拝させていただいた。

 

霊明殿の奥に、御座所(天皇が参拝に来られた時の御休息所)がある。霊明殿が再建された時に、明治天皇の思し召しにより、京都御所の御里御殿が移築され造営された。

 

昭和天皇は、昭和四十二年に、泉涌寺に行幸あそばされた時、御座所の御庭をご覧になり、

 

「春ふけて雨のそぼ降る池水にかじかなくなりここ泉涌寺」

 

と詠ませられた。

 

なほ、終戦までは、泉涌寺の伽藍の補修、維持については宮内省の責任とされてゐた。ところが、戦後に押し付けられた『占領憲法』の「政教分離」の規定により、行政機関が直接神社仏閣に資を供することが禁止されたため、檀信徒を持たない泉涌寺の維持は極めて困難となった。ただ、わずかに、皇室内廷の御下賜金が唯一の拠り所であった。この時、伊勢神宮、橿原神宮、御寺泉涌寺を聖地とする解脱会といふ信仰団体が、霊明殿尊牌への奉仕と泉涌寺維持への協力が行はれるやうになった。

 

さらに、昭和四十一年、三笠宮崇仁親王を総裁に仰ぎ、民間篤志の人々が「御寺泉涌寺を護る会」が結成された。御手洗冨士夫日本経済団体連合会名誉会長が会長を務めてゐる。(泉涌寺製作『皇室の御寺泉涌寺』所収の石川忠元宮内庁京都事務所長の論文参照)

 

霊明殿の東の奥に、月輪陵(つきのわみさぎ)・後月輪陵(のちのつきのわみさぎ)が鎮まりまします。四条天皇より、後水尾天皇から仁孝天皇までの二十五の御陵、五御灰塚、九御墓が営まれている。全部の御陵域を合わせても五一五七平方メートル(約千五百坪)という狭い所である。まことに畏れ多き事である。

ここに鎮まる天皇・皇族の御葬儀は、泉涌寺長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされていると承る。唐門が美しい。

 

泉涌寺発行の『御寺泉涌寺』といふ案内書には、「月輪、後月輪陵も、わずかな御境域内に二十五陵、五灰塚、九御墓が鎮まっておられ、天皇陵は九重の石塔を、皇妃陵は無縫塔(むほうとう)を、親王墓は宝篋印塔(ほうきょういんとう)を立てただけで、深草北陵と共に心なき身にも、万乗の君と仰がれ給うた天皇が、幕府・権力者の非道に喘ぐ国民の上を思召されてかのような薄礼に甘んじられたことに無上の感激を覚えざるを得ない。」と記されてゐる。

 

徳川家康及び江戸幕府歴代将軍の霊廟が、日光東照宮や久能山東照宮、そして上野寛永寺、芝増上寺などに豪華に造営されてゐることを思ふと、幕府の朝廷軽視、不敬が実感される。

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千駄木庵日乗五月三日

五月一日より本日まで、秋田県・青森県を旅しておりました。

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