« 千駄木庵日乗四月十二日 | トップページ | 千駄木庵日乗四月十三日 »

2016年4月13日 (水)

七生報国の精神とよみがヘリの思想

日本人は古来、肉体は滅びても、生命は永遠といふ信仰を持ってゐる。今日の日本人の多くもさういふ信仰を持ってゐる。生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世の近くにゐて我々を守ってゐると信じてゐる。この信仰は仏教の極楽往生の思想と矛盾しても今日まで生き続けてゐる。

 

『太平記』には次やうに書かれてゐる。「舎弟の正季に向て、そもそも最後の一念に依て、善悪の生(しゃう)を引くといへり。九界の間に何か御辺の願なると問ければ、正季からからと打笑て、七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候へと申しければ、正成よに嬉しげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、われもかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替(かへ)て、この本懐を達せんと契て、兄弟共に刺違て、同枕(おなじまくら)に伏にけり。」

 

この文章には、楠公のそして日本民族の絶対尊皇精神、七生報国の精神が見事にうたいあげられてゐる。「七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばや」という正季の言葉は、後々の世まで深く人の心に感銘を与へ、人の心を動かした。歴史を動かしたと言っても過言ではない。

 

楠公兄弟は、「今度は浄土に生まれたい」「地獄には行きたくない」「後生はもっと善い処に生まれたい」などとは言はなかった。ただひたすら、「七生まで唯同じ人間に生れて、朝敵を滅さばや」といふ強烈な決意を吐露した。

 

「七生」とは永遠の生命を意味する。日本人たるもの、永遠に生き通して、君国に身を捧げるといふ捨身無我の尊皇精神に憧れたのである。

 

保田與重郎氏は、「『罪業深き悪念云々』といふのは、当時の仏教思想に基づく考へ方である。『太平記』の作者も、仏教観念の鼓吹を、この物語執筆の趣旨としたのだが、大楠公の品格をのべ行動と結末を語るに当っては、さういふ観念のものを全く棄て、超越してゐるのである」「正季公がからから打笑ひ、七生尽忠の志を誓はれたのにたいし、大楠公が『よに嬉しげなる気色にて』これを諾ったといふ書きぶりは、まことにこの物語の作者の志のたけ高さ示すに十分であった。これこそすなほな民族感情の表現である。正季公がからからと打笑ったといふことは、当時の一般教養界を風靡した仏教信仰からくる穢土厭離の思想をその笑ひで吹きとばされたのである。」(『太平記と大楠公』・湊川神社社務所発行「大楠公」所収論文)と論じてゐる。

 

柳田國男氏は、「人があの世をさう遥かなる國とも考へず、一年の力によってあまたゝび、此世と交通することが出来るのみか、更にあらためて復立帰り、次次の人生を営むことも不可能ではないと考へて居なかったら、七生報国という願ひは我々の胸に、浮かばなかったであらう…廣瀬中佐が是を最後の言葉として、旅順の閉塞船に上った…生死の関頭に立つ誠實な一武人としては、是がその瞬間の心境に適切であったのは固よりで…同じ体験が至誠純情なる多数の若者によって次々と積み重ねられた。さうして愈々この四つの文字を以て国民生活の一つの目標として居るのである」(『先祖の話』)と論じてゐる。。

 

「七生報国」の精神、「七生まで唯同じ人間に生れる」とは、「よみがへり」の思想である。「よみがへり」と「黄泉(よみ)の國から帰って来る」ことである。黄泉の国に行かれた伊邪那美命を訪問しこの世に帰って来られた伊邪那岐命は、「よみがへられた」のである。

 

『萬葉集』では、「よみがへり」といふ言葉に「死還生」(死の世界から生きて帰るといふ意であらう)という字をあててゐる。

 

日本人が死者は必ずよみがへると信じたといふことは、日本人にとって絶対的な死は無いといふことである。人は永遠に生き通すと信じたのである。

|

« 千駄木庵日乗四月十二日 | トップページ | 千駄木庵日乗四月十三日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/63478019

この記事へのトラックバック一覧です: 七生報国の精神とよみがヘリの思想:

« 千駄木庵日乗四月十二日 | トップページ | 千駄木庵日乗四月十三日 »