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2016年4月12日 (火)

神武天皇御即位・橿原奠都の聖史

『日本書紀』巻三・神武天皇即位前戊午九月の条に「九月の甲子(きのえね)朔(ついたち)…賊虜(あだ)拠る所は、皆是要害の地なり。故(かれ)、道路絶え塞(ふさが)りて、通らむに處無し。天皇悪(にく)みたまふ。是夜、自ら祈(うけ)ひて寝ませり。夢に、天神有(ま)して訓(をし)へまつりて曰く、宜しく天香山の社(やしろ)の中の土を取りて、以て天平瓮八十枚(あめのひらかやそち)を造り、并(あは)せて厳瓮(いつへ)を造りて、天神地祇(あまつやしろくにつやしろ)を敬ひ祭れ。亦厳呪詛(いつかのかしり・潔斎して行ふ咒言)を為せ。如此(かくのごとく)せば、虜(あだ)自づからに平(む)き伏(したが)ひなむ」「是(ここ)に天皇甚(にへさ)に悦びたまひて、乃ち此の埴(はにつち)を以て、八十平瓮(やそひらか)、天手抉(おめのたくじり)八十枚(やそ き)、厳瓮(いつべ)を造作(つくり)りたまひて、而して丹生(にふの)川上に陟(のぼ)りて、用(も)て天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)を祭り(いはひまつ)たまふ。」「時に道臣命(みちのおみのみこと)に勅(みことのり)すらく、『今高皇産霊尊を以て、朕(われ)親(みづか)ら顯齋(うつしいはひ)を作(な)さむ。汝(いまし)を齋主として、授くるに嚴媛(いつひめ)の號(な)を以てせむ。其の置ける埴瓮(はにへ)を名づけて、嚴瓮(いつへ)とす。又火の名をば嚴來雷(いつのかぐつち)とす。水の名をば嚴罔象女(いつのみつはのめ)とす。…』とのたまふ」

 

神武天皇は、天つ神の神示をいただき、丹生川上において、天神地祇を祭りたまひ、祈願を籠められ、神霊の御加護を得て、まつろはざるものたちを平定し、橿原の宮で即位を行はれた。これを「丹生川上の御親祭」と申し上げる。

 

「高皇産霊尊を以て、朕親ら顯齋を作さむ」の「顯齋」とは、顕露(あらは)には見えない神を、顕露に見えるやうに斎き祭ることとされる。即ち、高皇産霊尊の神靈が神武天皇の御身に憑りつき合一されて、現御神として顕現される祭りである。「丹生川上の御親祭」は、単なる戦勝祈願ではなく、神武天皇が現御神としての御資格を発現されたみ祭りなのである。

 

神武天皇御即位・橿原奠都の聖史の上で、非常に由緒のある地が吉野である。歴代天皇が度々吉野離宮は御幸されたのは、単なるご静養とか、物見遊山のためではなく、皇室の歴史と傳統を継承し、天神地祇を祭られるためである。神武天皇が橿原奠都の前に神の御加護を祈る祭事を行はれた吉野で、祭事を行はれ、現御神日本天皇としての神威・霊力を高められたと拝察する。神聖な吉野の地で、川水で御祓をされ祭祀をされ、國の平和、皇統連綿、朝廷の彌榮を祈られるためであった。

 

『日本書紀』に次のやうに記されてゐる。

(神武天皇)四年の春二月の壬戌(みづのえいぬ)の朔甲申(きのえねさるのひ)に、詔して曰はく、『我が皇祖(みおや)の靈(みたま)、天より降り鑒(み)て、朕が躬を光(てら)し助けたまへり。今諸の虜(あだども)已(すで)に平(む)けて、海内(あめのした)事無し。以て天つ神を郊祀(まつ)りて、用(も)て大孝(おやにしたがふこと)を申(の)べたまふべし』とのたまふ。乃(すなは)ち靈畤を鳥見山の中に立てて、其地(そこ)を號(なづ)けて、上小野(かみつをの)の榛原(はりはら)。下小野(しもつをの)の榛原と曰ふ。用て皇祖天神(みおやのあまつかみ)を祭りたまふ。」

 

鳥見山は標高七三五メートル。神武天皇御即位後四年春二月、神武天皇が大嘗祭を執行された聖跡と傳へられる。昭和十五年の紀元二千六百年を記念して文部省が行った神武天皇聖蹟調査で桜井市の鳥見山が霊畤傳承地として決定された。

 

神武天皇は、橿原の地に都を開かれる前に、丹生川上に於いて天神地祇を祭られ、都を開かれた後には、鳥見山に於いて天神地祇を祭られた。この二つの祭祀によって現御神として大和の國を統治せられるご資格を開顕されたと拝する。

 

現御神日本天皇の日本國統治は、西洋の「王権神授説」や支那の「天命説」とは全く異なる。神や天から王者としての権力を与へられるのではない。天皇御自ら祭祀を執行せられ、神と合一され、地上における神の御顕現即ち現御神となられるのである。「祭る人」から「祭られる神」になられるのである。三千年を経た今日も、その祭祀の聖蹟が麗しくも厳粛に傳へられてゐることに感激にほかなかった。

 

故に、天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行はれた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま國民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神の祭祀によって聖化された。日本神話には、神武天皇が御即位あそばされる前に、大和地方の國魂がこもっていると信じられた天香具山の埴土(はにつち)を以て天平瓮(あめのひらか)・厳瓮(いつへ)を作り、大和地方の神を祀って大和地方を平定されたと書かれている。

 

大和朝廷による祭祀的統一とは、各氏族・部族の尊崇していた神々を抹殺して大和朝廷の尊崇する神のみを祭ることを強制したのではない。各氏族・部族が尊崇する神々をそのままお祭りすることによって、精神的信仰的統一を実現したのである。これが西欧と日本との大きな違ひである。

 

日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そしてそれと一体のものとしての「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。

 

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられる。その大君に對し奉り、臣下國民は赤き心直き心で仕へまつるのが日本國民の道である。そして上御一人の大御心は『おほみことのり』即ち詔勅・大御歌・公的御行動によって示されるのである。

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