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2016年4月29日 (金)

日本的ナショナリズムは國體護持精神と不離一體である

 「ナショナリズム」とは、一つの民族が他の民族の支配を排除して、自身の國家の独立を回復あるいは維持しやうとする國民的規模の思想及び行動である。さらに、「ナショナリズム」は、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって、決して回顧的なものではない。今日の日本の危機打開独立のためにも欠くべからざるものなのである。

 

安政五年(一八五八)のアメリカとの通商条約締結の問題によって、倒幕論が澎湃として起こった。和辻哲郎氏は「シナ古代に典拠を求めていた尊皇攘夷論は、日本人が欧米の圧迫によって日本を一つの全體として自覚するとともに、その鋒(ほこさき)を幕府の封建制に向け、武士社會成立以前の國民的統一を回復しようとする主張に変わって行った。…日本第一期以来の天皇尊崇の感情が…國民的統一の指導原理となった。…王政復古の達成は、松陰処刑後わずかに八年目のことであった。」(『日本倫理思想史』)と論じてをられる。 

 

わが國幕末期における「攘夷の精神」とは、松陰など維新を志した人々が抱いたアジア及び日本に対する西欧列強の侵略を打ち払ふといふナショナリズム・國防意識と言って良いのである。しかしそれは前述した通り決して外國との交はりを一切絶つといふことではない。

 

日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。日本國民の國を愛する心の特質は、「尊皇攘夷」「尊皇愛國」といふやうに萬邦無比といはれる日本國體の精神即ち天皇尊崇の心と一體であるところにある。日本の民族意識・日本ナショナリズムの基礎は、一君万民の共同體即ち天皇中心の國體を護持する精神である。民族主義・愛國心・ナショナリズムは、天皇中心の歴史意識と不離一體である。日本民族の歴史を我々一人一人の精神の中で甦らせて、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。今日においても然りである。日本ナショナリズムの基礎にはわが國の古代からの傳統精神への回帰があった。これを復古即革新といふ。 

 

日本人における愛國心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇し日本の自然を慈しむごく自然な心である。「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心)であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

そして、『萬葉集』の防人が「大君の命かしこみ」と歌って以来、蒙古襲来の時は日本神國思想が勃興し、幕末において欧米諸國のアジア侵略を脅威と感じた時も「尊皇攘夷」が叫ばれ、明治以来大東亜戦争に至るまでの内外の危機に際して勃興したのも國體精神である。日本における変革や國難の打開は、必ず尊皇心の興起と一體であった。

 

「尊皇攘夷」は、國家的危機に際會して燃え上がったところの日本的ナショナリズムを一言で表現した言葉である。

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