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2016年3月23日 (水)

江戸時代初期からすでに竹島はわが國の実効支配下にあった

韓國は、戦後の誤った反日教育を受けた世代が中心になり、反日感情は強まっている。日本統治時代を体験していない人すなわち韓國における誤った反日教育によってのみ日韓関係史が理解される人が韓國民の大多数を占めるようになっている。そして、日本による朝鮮半島発展への貢献がまったく無視されて、反日感情が高まり、反日運動が愈々強まっている。

 

竹島はわが國固有の領土である。竹島は、島根県隠岐郡五箇村に属し、松江市から約二百二十㌔、隠岐島の北西約一五七㌔の北緯三七度九分、東経一三一度五五分に位置する二主島と数十の岩礁からなる総面積〇・二三平方㌔(日比谷公園よりやや広く東京ドームの約五倍)の島である。近海はベニズワイガニなどの好漁場になっている。竹島周辺は、北から寒流のリマン海流、南から暖流の対馬海流が流れて来てぶつかり、複雑に海流が入り乱れる絶好の漁場となっている。

 

わが國は、遅くとも一七世紀はじめには、竹島を実効支配しその領有権を確立し、竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは歴史的事実に照らし、且つ、多くの文献、地図などにより明白である。

 

江戸時代(元和年間)にわが國漁民は隠岐を経て漁場であった欝陵島(うつりょうとう)を往復する途中の寄港地として竹島(当時の名は松島)を利用していた。江戸時代初期からすでに竹島はわが國の実効支配下にあったのである。 

これに対して、李氏朝鮮は一三四八年(わが國の南北朝時代)から欝陵島すら放棄しており、欝陵島よりなお九二㌔日本に近い竹島についてはその存在すら知らなかったのである。竹島に李氏朝鮮の支配が及んだことはない。

 

江戸時代初期の元和四年(一六一八)、伯耆國(鳥取)の大谷、村川両家が幕府から竹島を拝領し、竹島周辺に漁場を開拓し経営した歴史的事実がある。元禄九年(一六九六)、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は日本國民の鬱陵島への渡航を禁じたが、鎖國体制下にあっても、竹島への渡航は禁じなかった。竹島は江戸時代初期から日本固有の領土である。

 

韓國は竹島(韓國名・獨島)が西暦五一二年以降、韓國領に組み込まれたと主張している。しかし、韓國側が自國領とする当該島は、今日の欝陵島であり、わが國の竹島ではない。韓國側の主張は、古文献・古地図の読み変え・誤読による歴史歪曲に過ぎない。

 

明治三八年(一九〇五)一月に、わが國政府は閣議決定に基づいて、近代國家として竹島を領有する意志を再確認した上で、この島を「竹島」と命名し、同年二月二二日島根県告示第四〇号を以て告示された。わが國は、閣議決定及び島根県告示により領有を再確認し、島根県所属の隠岐島島司の行管と定められ、島根県が國有地として管理することとなった。これによりそれまでもわが國の領土であった竹島は島根県の管轄下にあると再確認されたのである。以後、隠岐島民が渡り、東島に漁業基地を設け、アシカを捕獲するようになった。

 

韓國側は、「日本政府による竹島編入の時、韓國は日本に外交権を奪われて抗議できなかった」と言うが、その頃韓國は日本の保護領ではなかった。当時の韓國は、竹島に関心が無かったのだ。一九〇五年二月二二日は、韓國は歴然とした独立國(大韓帝國)であった。第二次日韓協約(日韓保護条約)によって、日本が韓國の外交面を担当するようになったのは、一九〇五年一一月一七日である。従って強奪でも強制でもなんでもないのである。大韓帝國は主張できる立場にあった。また、当時、新聞にも掲載され、秘密裡に行われたものではなく有効に実施されたものである。

 

韓國は、「日本の韓國侵略の始まりは竹島の日本編入からである」と主張しているが、その当時からわが國に朝鮮併合の意思があったなら、わが國政府は、領土的には何の価値も無い竹島ではなく、人が住める鬱陵島の主権を奪ったはずである。ところが日本政府は江戸幕府と同様に一貫して鬱陵島は朝鮮領とした。これは、竹島がその時以前からわが國固有の領土であったからである。

 

明治三十八年の、閣議決定及び島根県告示による竹島の島根県への編入措置は、日本政府が近代國家として竹島を領有してきた事実を再確認したものであり、それ以前に、日本が竹島を領有していなかったこと、ましてや他國が竹島を領有していたことを示すものではない。

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