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2016年3月 1日 (火)

福澤諭吉も強烈なる「大アジア主義者」だった

 

頭山満らが唱へ實践した「大アジア主義」と福沢諭吉の「脱亜論」とは相対照的思想として論じられることが多い。しかし、「大アジア主義」は、一つの大きな思想運動・政治運動であったし、近代日本の一つの思想潮流となったが、「脱亜論」は思想潮流とはならなかったし、政治運動として発展はしなかった。

 

「大アジア主義」の根源となってゐるのは『大西郷遺訓』の「文明とは道の普(あまね)く行はるるを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何を文明と言ひ、何を野蛮と言ふや、少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の國に対しは、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、然らずして残忍酷薄を事とし、己れを利するは野蛮なりと言ふべし」といふ主張である。

 

近代日本には、西欧列強に対する抵抗意識と、西欧列強によって虐げられ搾取され続けるアジア諸國に対する同胞意識、アジア諸民族を救済しやうといふ義侠心が共存してゐた。

 

明治維新は、アジアを植民地化せんとしてゐた西欧列強に抗して祖國の独立を守るための大変革であった。西欧諸國と対等に交はる國家体制を確立せんとしたのである。そしてそれはほぼ成功した。

 

維新に成功した日本が、欧米列強による植民地支配に呻吟するアジア諸國・諸民族を解放しようといふ思想が「大アジア主義」である。この思想は頭山満などによって継承され實践された。頭山満をはじめわが國の維新運動指導者は、インドのビハリ・ボース、支那の孫文、朝鮮の金玉均などを支援し、インド、支那、朝鮮の独立と近代國家建設に協力した。

 

では、「脱亜論」を書いた福澤諭吉は、欧米文化を拝跪崇拝するのみで、アジア諸民族に対する義侠心は無かったのか。決してそんなことはない。

 

福澤諭吉が、欧米崇拝、欧化一辺倒の人物ではなかったことは、彼の代表的著書『文明論の概略』第十章において、「今の亜米利加は元誰の國なるや。其國の主人たる『インヂヤン』は、白人のために遂はれて、主客処を異にしたるに非ずや。故に今の亜米利加の文明は白人の文明なり、亜米利加の文明と云ふべ可らず。此他東洋の國々及び大洋州諸島の有様は如何ん。欧人の触るゝ処にてよく其本國の権義と利益とを全ふして真の独立を保つものありや。『ペルシャ』は如何ん。印度は如何ん。暹邏(シャム)は如何ん、呂宋(ルソン)爪哇(ジャワ)は如何ん。欧人の触るゝ所は恰も土地の生力を絶ち、草も木も其成長を遂ること能はず。甚しきは其人種(ひとだね)を殲(つく)すに至るものあり。是等の事跡を明にして、我日本も東洋の一國たるを知らば、仮令ひ今日に至るまで外國交際に付き害を蒙たることなきも、後日の禍は恐れざる可らず」と論じてゐることによっても明白である。

 

この福澤の文章は、欧米列強のアジア侵略への怒り、白人文明に対する怒りの表明である。西郷隆盛の思想と相似である。

 

さらに福澤諭吉は『學問のすゝめ』において、「日本とても西洋諸國とても同じ天地の間にありて、同じ日輪に照らされ、同じ月を眺め、海を共にし、空気を共にし、情合い相同じき人民なれば、ここに余るものは彼に渡し、彼に余るものは我に取り、互に相教へ互に相學び、恥ずることもなく誇ることもなく、互に便利を達し互にその幸いを祈り、天理人道に従て互の交を結び、理のためにはアフリカ黒奴にも恐入り、道のためには英吉利、亜米利加の軍艦をも恐れず、國の恥辱とありては日本國中の人民一人も残らず命を棄てゝ國の威光を落とさゞるこそ、一國の自由独立と申すべきなり」「王制一度新たなりしより以来、わが日本の政風大に改まり、外は万國の公法をもって外國に交り、内は人民に自由独立の趣旨を示し、既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基こゝに定まりたりと云ふべきなり」と説いてゐる。

 

福澤諭吉は、日本人の自尊心・愛國心・道義心を捨てて欧化の風に染まった人間ではなかった、寧ろ強烈なる愛國心と義侠心を持つ人だったのである。「天理人道に従て互の交を結び、理のためにはアフリカ黒奴にも恐入り、道のためには英吉利、亜米利加の軍艦をも恐れず」といふのは『大西郷遺訓』に示された西郷隆盛の思想と共通するものがある。

 

さらに、福澤諭吉は明治十四年発表の『時事小言』においては「我武備を厳にして國権を皇張せんとする。其の武備は独り日本一國を守るのみに止らず、兼て又東洋諸國を保護して治乱共に其魁を為さんとする目的なれば…亜細亜州中協心同力以て西洋人の侵凌を防がんとして何れの國かよく其魁を為して其盟主たる可きや、我輩敢て自から自國を誇るに非ず虚心平気にこれを見るも亜細亜東方に於て、此魁盟主に任ずる者は我日本なりと言はざるを得ず」と論じた。これぞ正真正銘の「大アジア主義」でなくて何であらうか。

 

「脱亜論」と「大アジア主義」とは相対立する思想であるとされてきたが、西欧列強のアジア進出から如何にして祖國の独立を守るかといふ根本姿勢は共通する。と言ふよりも、福澤諭吉自身も強烈なる「大アジア主義者」だったのである。

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