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2016年3月19日 (土)

『五箇条の御誓文』は、維新日本出発の基礎であり、近代日本の基本精神

 

『五箇条の御誓文』は、慶応四年(明治元年)三月十四日、明治天皇が、百官・公家・諸侯を率いられて京都御所紫宸殿に出御あらせられ、御自ら天神地祇をお祀りになり、維新の基本方針を天地の神々にお誓ひになった御文である。

 

『五箇条の御誓文』には、「我國未曽有ノ変革ヲ為サントシ,朕躬ヲ以テ衆ニ先ンジ,天地神明ニ誓ヒ,大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協力努力セヨ」と示されてゐる。『五箇条の御誓文』は、維新日本出発の基礎であり、近代日本の基本精神と言っても過言ではない。

 

慶応三年十二月九日(一八六八年一月三日)に、江戸幕府を廃絶し、同時に摂政・関白等の廃止と三職の設置による新政府の樹立を宣言した『王政復古の大號令』は、明治維新の構想を明示した大宣言であるが、それには「諸事神武創業之始ニ原キ、縉紳武弁堂上地下之無別、至当之公議竭シ、天下ト休戚ヲ同ク可被遊叡慮ニ付、各勉励、旧来驕惰之汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國之誠ヲ以テ可致奉公候事」と示された。

 

「公議を竭す政治」の實現は、明治維新の大きな目的の一つであった。萬延元年六月に岩倉具視が提出した『上申書』に「誠に皇國危急の秋に際して、憂慮に堪へず候。之に依り其の匡済(注・悪をただし、乱れを救ふこと)の長計を愚考仕り候には、関東へご委任の政柄(注・政治を行ふ上での権力)を隠然と朝廷へ御収復遊ばされ候御方略に為されられるに拠り、先づ億兆の心を御収攬(注・人の心などをとらへて手中におさめること)、其帰向する所を一定為し致し候て、輿議(注・世論)公論(注・公けの議論)に基き、御國是を儼然と御確立遊ばされ候半(そうらは)では、相成り難しと存じ奉り候」と論じた。

 

徳川幕府に委任してゐた國政に関する権能を朝廷に収復し、さらに國民全体の意志をよく確認し、世論や公論をよく聞いて國是を確立すべきであるといふ意見である。井伊大老天誅直後において、すでに、天皇中心の政治、議會政治・國民世論重視の姿勢の確立が主張されたのである。

 

慶応三年十月三日、山内豊信(土佐藩第十五代藩主、隠居後の号は容堂)が幕府に提出した『建白書』に添へられた『上書』には「一、天下の体制ヲ議スル全権ハ朝廷ニアリ。乃チ我皇國ノ制度法則一切萬機必ズ京師ノ議政所ヨリ出ツベシ。一、議政所上下ヲ分チ議事官ハ上公卿ヨリ下陪臣庶民二至ル迄正明純良ノ士ヲ撰挙スベシ」と書かれてゐた。

 

朝廷中心の政治・萬民の中から選ばれた人による議會政治の實現が説かれてゐる。この「上書」は坂本龍馬の『船中八策』を参考にしてものと言はれる。

『船中八策』とは、慶応三年六月九日土佐藩船「夕顔」で長崎を出航、十二日に兵庫に入航するまでに、坂本龍馬の発案により、長岡謙吉(土佐藩士。海援隊隊員)が筆記したもので、「一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ萬機ヲ参賛セシメ、萬機宜シク公議ニ決スベキ事」「一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事」とある。朝廷中心の政治と議會政治實現と共に「無窮の大典」即ち「憲法」制定をも提言してゐる。

 

「朝廷中心の政治」「公議を竭す政治」の實現は、德川幕府打倒を目指した側のみならず、幕末期の徳川幕府においても論じられてゐた。慶應四年十月十四日に提出された『大政奉還の表』には「當今、外國の交際日に盛んなるにより、愈々朝權一途に出で申さず候ひては、綱紀立ち難く候間、從來の舊習を改め、政權を朝廷に歸し奉り、廣く天下の公議を盡くし、聖斷を仰ぎ、同心協力、共に皇國を保護仕り候得ば、必ず海外萬國と並び立つ可く候」と書かれてゐた。

天皇中心の日本國體の回復即ち天に二日無き一君萬民の國家實現と萬民の公議による政治が、旧幕府側からも論じられたのである。

 

諸事神武創業に回帰することを大眼目とし、公議を竭(つく)して天下と休戚(喜びと悲しみ、幸福と不幸)を同じくし、旧習を洗ひ清めて、國民の身分差別をなくし、國民が倦むことなく明るく幸せに暮らす一君萬民の理想國家を建設することが「王政復古」即ち明治維新の理想である。

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