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2016年3月 6日 (日)

天照大御神の御神體・八咫鏡の意義

 

三種の神器の一つである八咫鏡は、伊勢の神宮に御神體として祀られ、草薙剣は熱田神宮に御神體として祀られ、八坂瓊曲玉は宮中に傳へられてゐる。

 

八咫鏡は、天照大御神が岩戸にお隠れになった時、石凝姥命(いしこりどめのみこと)がお造りした。天孫降臨後、天照大御神の神靈の依代(よりしろ)として宮中に安置され、垂仁天皇の時代に伊勢に移されたと傳へられる。伊勢神宮の御神體である。皇位継承の「みしるし」として宮中賢所(かしこどころ)に代りの鏡がまつられてゐる。

 

『日本書紀』には、天照大御神が天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと・邇邇藝命の父神)に「宝鏡」を授けて、

「視此宝鏡、当猶視吾、可与同殿共殿、以為斎鏡」(この鏡を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし。ともに床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし)

と命じられたと記されてゐる。

 

『古事記』には、邇邇藝命が天降られる時、天照大御神が、三種の神器を副へて、

「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごと、斎(いつ)きまつれ」(この鏡こそはもっぱら私の魂として、私の前を祭るやうにお祭り申し上げよ)

との御神勅を下されたと記されてゐる。

 

「八咫鏡」は、天照大御神の依代(よりしろ・神が顕現する時の媒體となるもの)として拝まれるのである。

 

『日本書紀』には、鏡を作って日の神の御像としたことが記されてゐる。鏡は三世紀代の古墳から発見されてをり、その頃には太陽神(日の神)祭祀に用いられてゐたと思はれる。太陽に鏡を向けると、その鏡は太陽と同じようにまぶしく光り輝くので、鏡は太陽神を象徴するのに最もふさわしいものであったと考へられる。

 

『古事記』には、天照大御神が天の岩屋戸にこもられた時、天照大御神に再び御出現していただくために、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が八咫鏡を作り、真榊に取り付けて、さまざまな事をして喜び遊んだ。天照大御神が不思議に思はれて岩戸から外を覗かれた時、八咫鏡を示した。大神は、ご自分の姿がその鏡に映ったのでいよいよ不思議に思はれ、岩戸より少し出られた所を手力男命が御手を取って外に引き出した、といふ神話が記されてゐる。

 

天の岩戸神話は、新嘗祭に発する本縁(事の起こり。由来や起源。縁起)譚であり、冬至の日に執り行はれた太陽復活祭であるといはれてゐる。

 

松前健氏は、「冬に衰える太陽の光熱の回復のため、その神の裔としての日の御子であり、且つその化身であると考えられた天皇に対して、そのたまふりを行なったのが趣意であろうということは、すでに定説化している。…冬至は、農耕民族においては、『古い太陽が死ぬ日』でもあったし、また『新しい太陽の誕生する日』でもあった。この衰弱死する古い太陽が磐隠りするアマテラスであり、このときふたたび生まれ出る新しい太陽が『磐戸を開いて出現する日の御子』である。」(『日本の神々』)と論じてをられる。

 

「太陽復活祭」たる天の岩戸開きは、新嘗祭・大嘗祭の原型と言ってよいと思ふ。ゆへにその祭りは、神々の知力・呪力・體力・技術力・笑ひの力といふもろもろの力が結集されてをり、これ以上盛大な祭りはないといふほどの祭りである。天皇は、新嘗祭・大嘗祭を通して、日の神たる天照大神の神威を體現されるご存在と仰がれるのである。

 

鏡は太陽の光を反射させるので、太陽神も鏡に宿るとされたと思はれる。祭祀によって「高天原を地上へ」「今即神代」といふ信仰が実現する。その時に「鏡」が重要な役目を持つのである。

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