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2016年2月 1日 (月)

日本的ナショナリズムについて

 「ナショナリズム」とは、一つの民族が他の民族の支配を排除して、自身の國家の独立を回復あるいは維持しようとする國民的規模の思想及び行動である。

 

わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある。民族主義・愛國心・ナショナリズムと歴史意識と不離一体である。現代もそうした時期である。日本民族の歴史を我々一人一人の精神の中で甦らせて、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。

 

わが國の伝統の根幹は「天皇中心の國體」である。「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治ということである。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める)ということである。それは信仰共同体國家たる日本独特の國柄である。天皇國日本の倫理・生活伝統・信仰精神そしてそれに基づく國柄を総称して「國體」という。

 

 日本伝統精神は経典としての神話によって伝えられているだけではない。天皇は神話の世界からの道統である祭祀を今日においても行っておられる。天皇の祭祀は「生きている神話」であり、天皇は「日本伝統精神の生きませる象徴」である。だから、天皇は生きたまう神・現御神と申し上げて尊崇されてきた。

 

 天皇中心の國體には基本的には変化はなくても、政体・制度としての天皇のあり方は歴史的に様々な変化があった。江戸時代・明治維新から終戦まで・戦後七十年の天皇の政体上のあり方には大きな違いがある。しかし、天皇の伝統的な権威は、古代から今日に至るまで、如何なる政体の変化があってもわが國の歴史を貫いて存してきた。

 

 そして、國家的危機において國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動が必ず勃興した。これが日本におけるナショナリズムと言っていいだろう。元寇・幕末の時期に起こった動きがそれである。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強の侵略の脅威を感じた幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。

 

 日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。そういう意味で、わが國においては「天皇抜きのナショナリズム」というのはあり得ない。

 

 今日も、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。にもかかわらず人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識(いわゆるナショナル・アイデンティティ、民族的一体感・國民的同一性)、帰属する共同体としての民族というものが大事になってくる。

 

 ナショナリズムとは、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって決して回顧的なものではない。これからの日本の独立のために欠くべからざるものなのである。明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

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