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2016年2月27日 (土)

彌生慰霊堂Iについて

本日、フジテレビで次のようなニュースが報道された。

 

「陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った、1936年の『二・二六事件』から、26日で80年を迎え、東京・千代田区にある彌生慰霊堂では、殉職した5人の警察官を追悼する行事が行われた。
追悼行事には、要人警護などにあたる、警視庁警護課の警察官「SP」ら、85人が出席した。


出席した警察官たちは、80年前の先輩の行為に敬意を表するとともに、職務を全うする覚悟を新たにしていた」。

 

彌生慰霊堂は、北の丸公園にある。田安門の枡形の石垣の上である。田安門を入ると、すぐに石垣に沿って左に折れると、「彌生廟」と刻まれた石柱と、入り口を守る狛犬がある。参道はそこから登り坂になっている。

 

彌生慰霊堂は、明治18年(1885)、当時、本郷区(現、文京区)向ヶ岡彌生町にあった警視総監の邸内に警察官・消防官の殉職者を祀るため創建された彌生神社がその起源である。

 

その後、鎮座地は、芝公園、鍛冶橋の警視庁、青山墓地、麹町区(現、千代田区)隼町と転々としたが、昭和22年(1947)、現在地に移り、名称は彌生廟と改められた。それは、昭和20年(19451215日、GHQより出された「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」いわゆる「神道指令」により、警視庁による神社奉仕ができなくなったためという。

 

神道指令以後の建築であるにもかかわらず、彌生廟の本殿は、千木と堅魚木こそないものの、様式は神明造の一間社の様式であり、四本柱の四方吹き放ちの拝殿があって、社殿の構成は、およそ1間×1間の本殿と、3間×2間の拝殿からなる神社建築制限図の小社の規模に準じているという。

 

彌生慰霊堂では、警察関係者によって奉祀されている。現在、祀られているのは、皇宮警察本部、警視庁、東京消防庁、関東管区警察局、東京都警察通信部、警防団の各殉職者合わせて2500余柱と、特別功労者として川路利良とガンベッタ・グロース(警察消防が創成期のころに、顧問だったフランス人であるという)2柱である。

 

昭和四十七年、連合赤軍の浅間山荘事件で殉職した警察官の合祀祭は、神道祭式で行われた。

 

ところが、昭和五十八年、慰霊祭の形式も神道祭式からいわゆる無宗教方式に変更された。この変更について警視庁は「法律を守る立場にある警察としては、政教問題が取りざたされているときでもあり、どこからも文句のでない無宗教方式へ変更した」と説明した。

 

小生も何回か参拝しているが、本殿は神社形式の建物である。しかし鳥居などは取り外されている。

 

国のために命を捧げた人々に対して、神社祭式での慰霊をやめて無宗教の慰霊施設となってしまった先例が彌生慰霊堂なのである。

 

東京都慰霊堂は、仏教施設であり、そこで行われる春秋の慰霊大法要には、都庁・都議會の幹部が公式に参列している。殉職警察官を神道祭式で慰霊しても何ら問題はない。殉職者への慰霊というきわめて重要な行事を、わが國伝統信仰たる神道祭式で行わないというのは、敬神崇祖というわが國の倫理精神の基本そして日本伝統信仰たる神道祭式を、警視庁などが否定したということである。

 

小生は何度か、警察庁長官及び警視総監に対し、殉職警察官慰霊施設は日本伝統信仰に基づく慰霊すなわち神道祭祀に戻すべきであると要望しているが、いまだに実現していない。殉職警察官慰霊施設の無宗教化が、最近の警察官の道義精神希薄化・不祥事続発の原因の一つがあるとするのは考え過ぎであろうか。「無宗教」とは霊魂の否定であり道義の否定である事は確かである。

 

信教の自由が保障され政教分離が行われている国においても、国家的な追悼行事はその国の伝統的な宗教の祭式によって行われている。わが國に対して、政教分離を規定した現行憲法を國際法に違反してまで押しつけたアメリカも、ニューヨークにおける同時テロの犠牲者の追悼式を、ブッシュ大統領及び歴代大統領が参列して、堂々とワシントンのナショナル大聖堂というキリスト教会で行っている。この式典でブッシュ大統領は「我々は悲しみと敵に打ち勝つ固い決意で結束している。あらゆる手段を尽くしてこの悪を追及する」と戦勝を誓った。英国ではロンドンのセントポール寺院でエリザベス女王・ブレア首相参列のもとに追悼式典が行われ、ドイツではデュッセルドルフのヨハニス教会で中央追悼ミサが行われた。

 

また、アメリカでは、大統領就任式もキリスト教の牧師・神父の祈祷が行われ。大統領は聖書に手を置いて宣誓を行っている。つまりキリスト教は、アメリカの事実上の國教なのである。しかし、アメリカにおいてキリスト教以外の宗教が弾圧され、信教の自由が侵されるということはない。

 

「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

 

さらにいえば、わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同体である。共同体としての日本國家と神社神道の本来一体なのである。そしてそれは決して教団宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れば明々白々である。

 

國家民族のために一身を捧げた護國の英霊を、わが國伝統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。

 

殉職した警察官・消防官なども國のために命を捧げたのである。彌生慰霊堂は、創建当初に回帰し、彌生神社とし、日本伝統祭式によっておまつりすべきである。

 

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