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2016年2月13日 (土)

『水―神秘の形』展参観記

一月二十二日に参観したサントリー美術館にて開催された『水―神秘の形』展は「水は、あらゆる生命の源であるがゆえに世界中でさまざまな信仰を生み、祈りの対象ともなりました。特に四方を海に囲まれ、かつ水源が豊かな日本においては、自然崇拝と相まって、水のもつ精神性が発展したようで、日本語に信仰背景があることを連想させる水の慣用句が多いことや、水による潤いが精神にも及ぶ発想があることに、一端が示されるでしょう。

さらに、祭器である銅鐸に流水文が表されることから、すでに弥生時代より信仰があったことがうかがえ、それが今でも続くことは、湖や滝がご神体として祀られることに見ることができます。また、龍宮城など、水にまつわる昔話が多くあることは、多岐にわたる信仰を映し出すでしょう。とりわけ、今でも日本各地に残る龍神信仰は、雨乞いと深くかかわるものであり、五穀豊穣ひいては鎮護国家に直結することから、時代を通じて信仰され、水の信仰の中核といえるものです。本展は、水にかかわる神仏を中心に、その説話や儀礼、水に囲まれた理想郷や水の聖地など、水を源とする信仰に根ざした造形物を、彫刻、絵画、工芸にわたって展観することで、日本人が育んできた豊かな水の精神性を浮び上がらせようとするものです。特に篤い信仰を集めた龍神は、国宝「善女龍王像(ぜんにょりゅうおうぞう)」など優れた造形性を有するものが伝わり、龍神の持つ神秘の玉―「宝珠(ほうじゅ)」に関する作例とともに、本展の見どころの一つとなります。若水を汲む新春に、清らかな水が生んだ神秘のかたちをお楽しみください」との趣旨で開催された。

 

『流水分銅鐸』(弥生時代)、『十一面観音立像』(長快作・鎌倉時代),『重要文化財孔雀経曼荼羅』(鎌倉時代)、『弁財天坐像』(鎌倉時代)、『石清水宮曼荼羅』(南北朝時代)、『蓬莱蒔絵手箱』(室町時代)、『高野四社明神像』(室町時代)、『日吉山王祇園祭礼図屏風』(室町から桃山時代)、『厳島天橋立図屏風』(江戸時代)などを参観。

 

『高野四社明神像』とは、高野山麓の天野神社に祀られる空海を高野山に導いた丹生神、高野神、三宮、四宮の四明神を言う。丹生神は天女形で団編を持ち、高野神は黒抱束帯で笏を持つ姿、三宮も天女形で払子を持ち、「四宮」の厳島明神は琵琶を持つ弁財天の姿となっている。

 

京都山科の四宮といふ所に、「四宮大明神」と言う祠があるが、琵琶の名手と言われ、琵琶法師の祖神とされる人康(さねやす)親王が御祭神である。人康親王は、仁明天皇の第四皇子であり、母は藤原沢子とする。通称山科宮。貞観元年、病気のために出家し、諸羽山の麓に隠棲した。「四宮」という地名は、親王が天皇の第四皇子である事に因むという説がある。隠棲の理由は両目の患いとされ、宮に盲人を集め、琵琶・管弦・詩歌を教えたと伝わる。親王は『伊勢物語』に登場する「山科の禅師親王」にあたる。琵琶を弾く神が琵琶湖に近い山科に祀られているのも何かの因縁であろうか。

 

弁財天は、インドの聖なる河であるサラスヴァティー河の化身であり水の霊力の象徴といはれる。近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになる。弁財天は、日本神話に登場する水の神・市寸島比売命(市杵嶋姫命。いちきひめのみこと)と習合した。市寸島比売命は、天照皇大御神が素盞鳴尊と誓約(うけひ)をされた際にお産れになった五男三女神の一柱である。厳島神社の御祭神である。また、神戸の四宮神社にも祀れている。弁財天は「四宮」に関連があるのは確かである。

 

日本は、山紫水明麗しいという言葉があるように、清らかな水が豊かなる国である。水道の蛇口から出る水を温めもせずにそのまま飲むことが出来る国は日本以外にあまり無いのではないか。日本民族は、豊かにして清らかな水の恩恵を蒙って来た。だから、水の神を崇めるのは自然の成り行きである。インドから伝えられた水の神が日本の水の神と習合した。それが弁才天である。七福神の一神となり、「弁財天』と書かれるようにもなり、財福の神として崇拝されている。

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