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2016年2月 9日 (火)

維新運動とは、神代への回帰である

道義心・祖国愛喪失の原因の一つは、七十年以上も昔の戦争の後遺症がますますひどくなっているところにある。

 

戦後日本の国民は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている。親孝行も愛国心も義理も人情も全て、旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が、今日の亡国的状況をもたらしたのである。つまり履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が横行しているところに今日の混迷の根本原因があるのである。

 

戦後のわが国を弱体化せんとして押しつけられた亡国憲法、偏向教育と低俗にして偏向したマスコミこそが、今日の凄まじいまでの亡国的状況の元凶である。

 

また、「戦後」という言葉が七十年以上も続いている国は日本以外にない。わが国は、「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった。だから日本を負かしたアメリカやソ連の言いなりになっているのがいい」という「戦後意識」にさいなまれ続けている。もういい加減にこうした「戦後意識」を払拭しなければ駄目である。戦前の日本は悪いことしかしてこなかったという「歴史認識」を根本的に改めるべきである。

 

ただし、戦前の日本が理想国家だったとしいえない。むしろ、現代日本の混迷の根源にあるものは、近代以後のわが国が近代かを急ぐあまり、日本の道統を軽視し、欧米思想・文化・制度・科学技術を優先し過ぎた結果である。日本の近代化には根本的な欠陥があった。それが近代以後今日までの日本に大きな悲劇と混迷をもたらしてゐると思ふ。明治初年の科学技術偏重・精神教育軽視・傳統の隠蔽が近代の日本に大きな悪影響をもたらした。唯物思想・営利至上主義は戦後だけの現象ではなかった。

 

形而下の現象だけを対象とする科学技術には限界があるそれを是正する精神文化を大切にしなければならない。

 

近代日本は、國家神道が國教になり、國民は國家神道によって洗脳されていたかの如く主張する人がいるが、明治の文明開化から大正、昭和の日本は、真の意味の神を見失った日本だったのではあるまいか。近代日本そのものが大きな矛盾を含んでゐたのである。

 

林房雄氏は「年毎に教師に引率されて県社に詣で、聯隊の招魂祭の庭に整列することは知ってゐるが、神官の祝詞を聞けば、必ず笑ひ出す中學生が出来あがった。神は失はれたのである。日本を讃へ、日本の神に祈る荘厳にして敬虔なる言葉が、この中學生たちには、全く異國語の如く、更には笑ひの神経のみをくすぐる阿呆陀羅経に聞こえた。…まことに不可思議なる時代、否俗劣極まる時代である。だれを責めようか。…糾弾すべくんば、かかる教師を生み、かかる生徒を育てた日本そのものをである。」(『勤皇の心』・昭和十七年)

 

戦前の日本も、國民の多くは日本の神を見失ひ神話の精神を喪失してゐたのである。でなければ、地方の疲弊・農業の衰退そして社會主義革命思想の流入が起こるはずがなかった。明治天皇が『戊申詔書』を発せられる必要もなかった。また、大正維新運動・昭和維新運動も起こるはずかなかった。維新運動とは、神代への回帰である。近代の超克とは神への回帰であった。

 

神靈への信即ち造化の三神を無視し否定した國體精神・日本主義は真の國体精神・日本主義ではない。根本を無視したこうした考え方が祭祀國家・皇道國家の本姿をくらませたと言い得る。そして神道精神は純粋ではない歪められた形で鼓吹された。これが近代日本の大欠陥である。こうした状況から脱却するには、国民一人一人の道義精神を回復する以外にない。

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