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2016年2月20日 (土)

日本文化と支那大陸の文化とは全く異なる

 

 「日本と中國は同文同種であるから他の國々よりもずっと深い友好関係を結ばねばならない」という意見があるが、これは重大な誤りである。こういうムードに酔って日本が支那共産政権と無原則な関係を結ぶことはまことに危険である。

 

支那大陸内部においてすら、同じ漢字という文字表現を用いていても、時代により地域によって全く異なる文化を形成している。

 

 和辻哲郎氏は「漢字の機能ゆえに、シナの地域における方言の著しい相違や、また時代的な著しい言語の変遷が、かなりの程度まで隠されている…現代の支那において、もし語られる通りに音表文字によって表したならば、その言語の多様なることは現代のヨーロッパの比ではないであろう。またもしシナの古語が音表文字にもって記されていたならば、先秦や秦漢や唐宋などの言語が現代の言語と異なることは、ギリシア語やラテン語やゲルマン語が現代ヨーロッパごと異なるに譲らないであろう。文字の同一は…必ずしも…緊密な文化圏の統一を示すものではない」「同じシナの地域に起こった國であっても、秦漢と唐宋と明清とは、ローマ帝國と神聖ローマ帝國と近代ヨーロッパ諸國とが相違するほどに相違している…ヨーロッパに永い間ラテン語が文章語として行われていたからと言って、直ちにそれがローマ文化の一貫した存続を意味するのではないように、古代シナの古典が引き続いて読まれ、古い漢文が引き続いて用いられてきたからと言って、直ちに先秦文化や漢文化の一貫した存続を言うことはできない。」(『孔子』)と論じている。

 

 支那大陸では色々な民族が混在したり融合したりして来たし、種々の國が相次いで興亡を繰り返してきた。それはヨーロッパにおいてギリシアやローマが相次ぎ、種々の民族が混在したり融合して来たのと同じである。

 

支那大陸を統一したといわれる「秦」、そしてそのあとの「漢」の大帝國も、人倫を喪失した権力機構なのであり、「天子」と言われる君主も實質は権力者・覇者であって、支那大陸の王朝はわが日本のような天皇を中心にした同一の文化と信仰と傳統をもって統一され継承された信仰共同體・人倫國家ではなかった。強いもの勝ちの覇道(権力・武力・経済力・権謀術数の力)が支那を制して来たのである。またそうした覇道でなければあの広大な大陸を統一できなかったのである。

 

 従って支那大陸に生活する人々は、親子・夫婦・兄弟といった家族関係即ち血縁共同體たる「家」を大切にしても、國家観念はきわめて希薄であった。

 

支那の古典『十八史略』に「日出て作り、日入りて息ふ、井を鑿りて飲み、田を耕して食ふ。帝力我に何かあらむや」という言葉があるのでも分かる通り、支那大陸に住む人々の生活は、家を中心としていて國家の保護や干渉は否定していたのである。それだけ権力者が好き勝手は事をして民衆を苦しめてきたということである。それは今日の共産政権も同じであろう。

 

第二次世界大戦後、中國共産党の一党専制政治によって、支那大陸全體が一つの國家として存在しているように見えるが、これはむしろ不自然な状態である。戦後支那大陸がまがりなりにも統一を保ってきたのは共産党一党独裁体制によるのである。共産主義イデオロギーはすでに破綻し一党独裁体制も揺らぎつつある。支那大陸の共産党独裁體制が崩壊する可能性は十分にある。それを食い止めるために共産支那政権は「反日」を煽動しているという見方も成立する。

 

共産党独裁體制が崩壊したら、支那大陸は群雄割拠の分裂状態になる。即ち支那大陸本来のあり方に戻る。少なくとも満洲・北支・中支・南支・チベット・内蒙古はそれぞれ独立しては別々の國となる事によってしか、支那大陸とその周辺の安定は図られないと思われる。「十億以上の民を単独の政権でまとめるのは難しい。上海料理・北京料理・広東料理・四川料理・満州料理という料理で分けるべきだ」という意見もある。

 

要するに支那大陸は様々な氏族が覇を競い様々な王朝が興亡を繰り返した来た地域であって、全體が一貫した文化傳統を有する統一した國家ではあったことはなかった。天皇を中心に時間的連続性地域的統一性を連綿として維持し続けてきた信仰共同體國家たるわが日本とは、全くその性格を異にする地域が支那なのである。

 

日本人と支那人とでは根本的に異なる文化感覚を持っており、ものの考え方が實に大きく違っている。わが國のように四面環海で魚類の食べ物の豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのだが、支那大陸のように広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行われ、動物食で栄養を摂るのは自然である。支那人は豚肉をとりわけよく食する肉食人種である。明治以後になって初めて獣肉を食べ出した日本人とは大きな違いがある。

 

したがって、わが日本と支那大陸が同じ漢字を使用しているからといって、同じ文化傳統を有しているわけではない。わが國と支那が他の國と比較して格別に深い関係を持っていると考えるべきではない。日本民族及びその傳統文化と、支那大陸に存在する様々な民族及び文化とは、全く異なるものなのであって、支那に格別の親近感を抱くのは誤りである。

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