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2016年2月22日 (月)

日本國及び日本國民は天皇によって護られて来た

 

蒙古の侵略・大東亜戦争をはじめとして、わが日本は建國以来さまざまな國難に遭遇した。今日もまさに「國難来たる」の状況である。しかし、如何なる困難に直面してもわが國家・民族が滅亡することがなかったのは、日本國及び日本國民が、國家の安泰と國民の幸福を常に神に祈られる天皇にお護り頂いて来たことによるのである。天皇がいましてこそ、今までの、そして今日の、さらに将来の日本國及び日本國民があるのである。 

 

わが日本は、日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。そして、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固に保守し続けてきた。現実面の変化の奥に不動の核があった。それが日本天皇であらせられる。

 

天皇・皇室は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となって、その危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。

 

日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

日本天皇は、日本國及び日本國民を武力や權力によって護って来られたのではない。その神聖なる權威によって護って来られたのである。そしてその神聖權威は、天皇が常に日本の神を祭り神に祈られる祭祀主であらせられるところから発する。

 

蒙古襲来の時も大東亜戦争の時も、天皇は御一身を神に捧げられる御心で神を祭り神に祈られた。神祭りとは自己を無にして神に合一する行事である。天皇は常に無私の心で祭祀を執行され國家國民を統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されるということである。そのことがそのまま國民にその處を得さしめる事即ち國民の幸福実現となるのである。

 

天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考えている。しかしわが國においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、國民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族國家の中心であると考えている。簡単に言えば支那においては、天子は権力と武力によって國民を支配してきた。ところが、日本においては天皇の信仰的権威によって國民を慈しむのである。この違いは支那と日本の國家の成り立ちとその後の歴史の違いでもある。 

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