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2016年2月29日 (月)

日本人は、肉體は滅びても、生命は永遠といふ信仰を持ってゐる

 

日本人にとって「死」とは虚無の世界への消滅ではない。肉體は滅びても生命は永遠であると信じてゐる。生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる。本来日本人は、「死ぬ」と言はず「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言った。「葬る」ことを「はふる」といふ。「はふる」とは「羽振る」である。魂が空を羽ばたいて飛んでいくことである。羽振りが良いとは勢ひがあるといふ意である。

 

日本武尊は薨去された後、その御靈は白鳥となって故郷に向かって飛んで行かれた。古代において鳥は靈魂を運ぶものと信じられた。肉體を離脱する靈魂の自由性・不滅性の最も原初的な信仰である。そしてその鳥が純白なのは、清らかさを好む日本人の生活感覚から生まれたのであらう。

 

「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」といふ言葉は、肉體は滅びても生命・靈魂は生き続けるといふ信仰に基づく言葉である。今でも、丁寧な言ひ方をする時には「死んだ」とか「死ぬ」と言はない。「他界する」「昇天する」といふ。また、「亡きがら」「遺體」とは言っても「死體」とは言はない。

 

肉體の死は、人間そのものの消滅ではなく、現世から身を隠すことに過ぎない。だから、死後の世界を幽世(かくりよ)と言ひ、死後の人間を隱身(かくりみ)と言ふのである。

 

日本人は、古来、靈魂が遊離して肉體は滅びても人間が無に帰するといふことは無いと信じて来たのである。

 

柳田國男氏は、「日本人の死後の観念、即ち靈は永久にこの國土のうちに留まってさう遠くへは行ってしまはないといふ信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられて居る」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

死者の靈魂は、はるか彼方の他界に行ってしまふのではなく、この國土に留まって子孫を見守ってゐるといふ信仰は、わが國において永く継承されてきてゐる。「先祖様が草葉の蔭から見守ってゐる」といふ言葉がある通りである。

 

この世を去った人の靈魂を身近に感じて来たのが日本人の傳統的祖靈観、生死観である。日本人が比較的死を恐れない強靭な精神を持ってゐるのは、かうした信仰が根底にあるからであらう。

 

魂が身體から遊離することが死である。それがために肉體人間は力を失ふ。死とは無に帰するのではない。勢ひがなくなることを意味する「しほれる」が「しぬ」といふ言葉の語源である。

 

『萬葉集』の柿本朝臣人麻呂の歌「淡海(あふみ)の海()夕波千鳥汝()が鳴けば心もしのに古(いにしへ)思ほゆ」の「しの」である。くたくたになってしまって疲れるといふ意味である。氣力がなくなってしまったといふ意味である。

 

枯れるといふ言葉と同根の「から」が「亡骸」のからである。死とは命が枯れることであり、肉體から魂・生命が去ることである。死は消滅ではなく、生き返るのであり、甦るのである。日本傳統信仰には死はない。死後の世界は近く親しく、いつでも連絡が取れるところである。

 

お盆には先祖の御靈が帰って来るといふ信仰もある。生と死の区別は明白ではなく、人はこの世を去ってもまた帰って来るといふ信仰を持ってゐる。日本人にとって死とは、誕生・元服・結婚と同様の「生まれ変はりの儀式の一環」である。

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千駄木庵日乗二月二十九日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆の準備など。

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この頃詠みし歌

高らかにわが歌声は響きけりオーソレミオと荒城の月

 

おでん屋の前を行き過ぎ夕方でなきを悲しむ我にしありけり

 

いか焼きを食しつつ海岸でバスを待つ境港の正月二日

 

境港の岸壁でバスを待ちをれば潮の香りがわが身を包む

 

王府井(わんふーちん)の古き旅館に泊まりたる遠き日の旅昨日の如し(大陸の旅を思ひ出して)

 

栄宝斎(えいほうさい)で買ひたる硯今もあり墨すりてさて年賀状書く()

 

埃だらけの毛沢東像を見上げたり長江大橋のたもとのビルで()

 

北京空港で俵星玄蕃を歌ひたる懐かしき旅を思ひ出しをり()

 

駅のホームで買ひたる鳥の丸焼きを美味し美味しと友と食せり()

 

西安まで二十四時間の汽車の旅 朝早く黄河を渡り行きたり()

 

鄧小平が好みしといふ北京ダック食しつつ友と語らひし旅()

 

晴れあがる二月の空の下に立ちすめらみ国の歴史を語る(紀元節街頭演説)

 

わが好物の金平糖を人々に配りつつ祝ふ建国記念日()

 

天皇陛下萬歳を唱へすがすがし皇居の庭の民草一人(皇居参賀)

 

命たらふ思ひするなり参賀終え皇居の坂道くだり行く時()

 

松の緑生き生きとして大御代を寿ぐ如きその光かも()

 

明時 (あかとき)にメール着信の音がして今日の生活が始まらんとす

 

水の撒かれし坂道のぼり行く時に清められたきわが身と思ふ

 

わが打ちし柏手の音 部屋内に響きわたれり強く祈らん

 

柏手は強く響けり この朝(あした)神を仰ぎて祈りする時

 

群れ飛べる蛍を眺め喜びしはるか昔の美しき女(ひと)

 

共に遊びし夏の夕べの蛍の灯 明るき笑顔の君と重なる

 

狭き道歩み行きなば物欲しげな目をせる猫が我を見つめる

 

この頃の小動物は人間を恐るる心持たざる如し

 

命の力強くあれかしと祈りつつ母の冷たき手を握りゐる

 

夕暮れの雲を眺めてわが母は動かないねとつぶやきたまふ

 

薄暗き夕闇の中 ちょび髭の男が近寄り笑顔向けたり

 

咲きて散る花の運命(さだめ)さみしみて見上げる梅は萎れてゐたり

 

新派劇の舞台となりし梅園の夕暮れ時は人賑はへり(湯島天神)

 

お蔦主税の逢引の舞台の渡り廊下くぐりて行けば白梅薫る()

 

江戸情緒未だのこれるを喜びて夕暮れ時の湯島を歩く

 

愚か者が野合の政党を作るといふ二人の顔を見よや人々(民主維新合流)

 

この二人に国政任せてよいものか松野の息子とスーパーの息子()

 

元の鞘に納まるだけの出来事を書類交はして何の遊びか()

 

殉職者の慰霊堂といふに神もゐまさず佛もゐまさぬ無宗教とは(彌生慰霊堂)

 

何となく悲しき心になりにけり犬の鳴き声遠く聞きつつ

 

ともし火の遠く見ゆるを眺めつつ永久に流るる時を思へり

 

一人食す朝餉のパンはふくよかにわが身に入りて我を生かすか

 

愛の神我を見離し今日もまた一人身にして朝餉を食す

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き母に付き添う。少し疲れているようであった。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、「第五十九回 日本の心を学ぶ会」開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。瀬戸弘幸氏が「ヘイトスピーチをめぐる諸情勢」と題して講演。小生が「今日のアジア情勢と日韓関係史」と題して講演。質疑応答。討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年2月28日 (日)

歴代天皇は全て高天原から天降って来られた神聖なる御存在である

天皇のご即位が天孫降臨の繰り返しであるといふ信仰は「高市皇子尊の城上(きのへ)の殯(あらきの)(みや)の時、柿本朝臣人麿の作れる歌」に歌はれてゐる。

 

「かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやにかしこき 明日香(あすか)の 眞()(がみ)の原に ひさかたの 天(あま)つ御門(みかど)を かしこくも 定めたまひて 神(かむ)さぶと 岩隱(いはがく)ります やすみしし わが大君の きこしめす 背面(そとも)の國の 眞木立つ 不破(ふは)山越えて 高麗劍(こまつるぎ) 和蹔(わざみ)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)りいまして 天の下 治めたまひ 食國(をすくに)を 定めたまふと…」(心に思ふのも憚り多いことだ。言葉に出すのもとても畏れ多い。飛鳥の眞神の原に天の宮殿(天武天皇の飛鳥清御原の宮の御事)を畏れ多くもお定めになられて天下を統治され、今は神様らしく岩戸の中にお隠れになったわが大君(天武天皇の御事)が、お治めになる北國(美濃の國を指す)の眞木の立ってゐる不破山を越えて、和蹔が原の仮宮に天降られて(天皇は高天原から天降られたご存在であるので、天武天皇が御出陣になられたことを天降ると表現した)、天下をご統治され統治される國をお定めになると、といふほどの意)

 

人麻呂は、天武天皇の崩御は、天の岩戸にお隠れになることと信じた。天皇は現御神であらせられ、天照大御神の生みの御子即ち地上的御顕現であらせられるから、天皇の崩御は「天の岩戸隠れ」であると信じたのである。

 

そして柿本人麻呂は、天武天皇が挙兵され和蹔が原(今日の関ヶ原)に軍陣を張られた御行動は、天武天皇が天降られて天下を統治され、治められる國を確定されるためであったと歌った。

 

つまり、柿本人麻呂は天武天皇の御行動を、天孫邇邇藝命の御降臨と同じであると信じたのである。邇邇藝命は天照大御神から稲穂を授けられ「これを地上に沢山稔らせなさい」といふ御命令を承って地上に降って来られた。邇邇藝命とは、「にぎにぎしく稲穂を稔らせるご使命を承ったお方」といふ意味である。日本民族は、歴代天皇は全て高天原から天降って来られた神聖なる御存在であると信じて来たのである。地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まりまします。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られてゐる。

 

「食國」とは、天皇が治められる國を言ふ。この國の各地で生育したお米は、天津神及びそのご代理であらせられる天皇がお食べになるので、日本國を「食國」(天皇がお食べになる國)と言ふ。「食國」といふ言葉には、天皇がお米をお食べになる事によってそのお米が生育した國土の魂が天皇と一体になって、天皇が日本國を霊的・信仰的に統治されるといふ信仰が込められてゐる。

 

即位後最初の新嘗祭とされる大嘗祭では、悠紀國・主基國から収穫された新穀が奉られる。その新穀を、天皇が神に捧げ、神と共に召し上がられる。その事によって、新たに皇位につかれた天皇と、天照大御神と稲穂の霊が合体して、天皇は現御神としての御資格を開顕されると承る。天皇は、天照大御神・邇邇藝命の御子孫であらせられると共に、御一代御一代の天皇が天照大神と御一体なのである。大嘗祭は、天武天皇・持統天皇の御代から、皇室の祭祀として執行されるやうになったと承る。

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千駄木庵日乗二月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。村松伸治日本文化大学教授が司会。高乗正臣平成国際大学名誉教授が「憲法違反の『日本国憲法』-限界超えた解釈改憲」と題して講義。質疑応答、討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2016年2月27日 (土)

彌生慰霊堂Iについて

本日、フジテレビで次のようなニュースが報道された。

 

「陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った、1936年の『二・二六事件』から、26日で80年を迎え、東京・千代田区にある彌生慰霊堂では、殉職した5人の警察官を追悼する行事が行われた。
追悼行事には、要人警護などにあたる、警視庁警護課の警察官「SP」ら、85人が出席した。


出席した警察官たちは、80年前の先輩の行為に敬意を表するとともに、職務を全うする覚悟を新たにしていた」。

 

彌生慰霊堂は、北の丸公園にある。田安門の枡形の石垣の上である。田安門を入ると、すぐに石垣に沿って左に折れると、「彌生廟」と刻まれた石柱と、入り口を守る狛犬がある。参道はそこから登り坂になっている。

 

彌生慰霊堂は、明治18年(1885)、当時、本郷区(現、文京区)向ヶ岡彌生町にあった警視総監の邸内に警察官・消防官の殉職者を祀るため創建された彌生神社がその起源である。

 

その後、鎮座地は、芝公園、鍛冶橋の警視庁、青山墓地、麹町区(現、千代田区)隼町と転々としたが、昭和22年(1947)、現在地に移り、名称は彌生廟と改められた。それは、昭和20年(19451215日、GHQより出された「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」いわゆる「神道指令」により、警視庁による神社奉仕ができなくなったためという。

 

神道指令以後の建築であるにもかかわらず、彌生廟の本殿は、千木と堅魚木こそないものの、様式は神明造の一間社の様式であり、四本柱の四方吹き放ちの拝殿があって、社殿の構成は、およそ1間×1間の本殿と、3間×2間の拝殿からなる神社建築制限図の小社の規模に準じているという。

 

彌生慰霊堂では、警察関係者によって奉祀されている。現在、祀られているのは、皇宮警察本部、警視庁、東京消防庁、関東管区警察局、東京都警察通信部、警防団の各殉職者合わせて2500余柱と、特別功労者として川路利良とガンベッタ・グロース(警察消防が創成期のころに、顧問だったフランス人であるという)2柱である。

 

昭和四十七年、連合赤軍の浅間山荘事件で殉職した警察官の合祀祭は、神道祭式で行われた。

 

ところが、昭和五十八年、慰霊祭の形式も神道祭式からいわゆる無宗教方式に変更された。この変更について警視庁は「法律を守る立場にある警察としては、政教問題が取りざたされているときでもあり、どこからも文句のでない無宗教方式へ変更した」と説明した。

 

小生も何回か参拝しているが、本殿は神社形式の建物である。しかし鳥居などは取り外されている。

 

国のために命を捧げた人々に対して、神社祭式での慰霊をやめて無宗教の慰霊施設となってしまった先例が彌生慰霊堂なのである。

 

東京都慰霊堂は、仏教施設であり、そこで行われる春秋の慰霊大法要には、都庁・都議會の幹部が公式に参列している。殉職警察官を神道祭式で慰霊しても何ら問題はない。殉職者への慰霊というきわめて重要な行事を、わが國伝統信仰たる神道祭式で行わないというのは、敬神崇祖というわが國の倫理精神の基本そして日本伝統信仰たる神道祭式を、警視庁などが否定したということである。

 

小生は何度か、警察庁長官及び警視総監に対し、殉職警察官慰霊施設は日本伝統信仰に基づく慰霊すなわち神道祭祀に戻すべきであると要望しているが、いまだに実現していない。殉職警察官慰霊施設の無宗教化が、最近の警察官の道義精神希薄化・不祥事続発の原因の一つがあるとするのは考え過ぎであろうか。「無宗教」とは霊魂の否定であり道義の否定である事は確かである。

 

信教の自由が保障され政教分離が行われている国においても、国家的な追悼行事はその国の伝統的な宗教の祭式によって行われている。わが國に対して、政教分離を規定した現行憲法を國際法に違反してまで押しつけたアメリカも、ニューヨークにおける同時テロの犠牲者の追悼式を、ブッシュ大統領及び歴代大統領が参列して、堂々とワシントンのナショナル大聖堂というキリスト教会で行っている。この式典でブッシュ大統領は「我々は悲しみと敵に打ち勝つ固い決意で結束している。あらゆる手段を尽くしてこの悪を追及する」と戦勝を誓った。英国ではロンドンのセントポール寺院でエリザベス女王・ブレア首相参列のもとに追悼式典が行われ、ドイツではデュッセルドルフのヨハニス教会で中央追悼ミサが行われた。

 

また、アメリカでは、大統領就任式もキリスト教の牧師・神父の祈祷が行われ。大統領は聖書に手を置いて宣誓を行っている。つまりキリスト教は、アメリカの事実上の國教なのである。しかし、アメリカにおいてキリスト教以外の宗教が弾圧され、信教の自由が侵されるということはない。

 

「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

 

さらにいえば、わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同体である。共同体としての日本國家と神社神道の本来一体なのである。そしてそれは決して教団宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れば明々白々である。

 

國家民族のために一身を捧げた護國の英霊を、わが國伝統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。

 

殉職した警察官・消防官なども國のために命を捧げたのである。彌生慰霊堂は、創建当初に回帰し、彌生神社とし、日本伝統祭式によっておまつりすべきである。

 

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千駄木庵日乗二月二十六日

午前は、諸雑務。

お昼、二松学舎大学の後輩と、食事を共にしつつ懇談。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明後日の「日本の心を学ぶ会」における講演の準備など。

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2016年2月25日 (木)

韓國に口約束なんか通じるはずがない。大統領が代ればまた謝罪要求をして来る危険がある

産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘氏は、『サピオ』三月号で次のように論じている。

 

「過去の財産や権利などに関わる〝補償〟について、条約で『完全かつ最終的に解決された』宣言し合った(日韓請求権協定)にもかかわらず、韓国は慰安婦問題や徴用工問題を持ち出し補償請求を蒸し返してきた。慰安婦問題は昨年末の合意で『最終的かつ不可逆的に解決』と発表されたが、条約でさえ守られなかったのだから、政権が変れば合意発表という〝口約束〟を無視することなど簡単であろう。貴稿竹島問題もそうだ。国交正常化にあたって、『未解決をもって解決』という棚上げ・現状維持で了解し合った。いわば『静かな外交』を約束したのだ。ところがその後、金泳三政権は島に埠頭を建設して現状維持変更を強行、さらに盧武鉉政権は民間人の往来を自由化して島を観光地化し、李明博政権になるとついに大統領自ら島に上陸してしまった。…外交的裏切りの連続である。…今回の慰安婦問題合意に対し、野党陣営は『屈辱外交』と言って早くも破棄や最高賞を叫んでいる。二年後の政権交代では、その野党による政権が誕生する可能性は五〇%はある。野党の体質では政権を握った場合、反日情緒への迎合と愛国パフォーマンスで〝新たな裏切り〟に走ることは十分ありうる」。

 

同感である。そもそも韓國に口約束なんか通じるはずがない。大統領が代ればまた謝罪要求をして来る危険がある。

 

韓國は、わが國の主権回復を承認する「サンフランシスコ平和条約」発効直前の昭和二七年一月、韓國が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域「李承晩ライン」を引いた。これは、國際法上全く不当不法な行為であった。韓國警備艇は、「李承晩ライン」の外側を航行中の日本漁船までも襲撃し、無辜の日本漁民を拉致して釜山港へ連行し、残虐な拷問を加え、自白を強要し、一方的な判決を言い渡した。そして日本漁船を多数強奪した。昭和四十年に「日韓基本条約」「請求権・経済協力協定」「日韓漁業協定」が締結されるまでの間、韓國の不法行為により投獄された日本漁民は三九二九人にのぼり、拿捕時の攻撃による死傷者は四十四人、物的被害総額は当時の金額で約九十億円にも上る。にもかかわらず、韓國は現在に至るまで謝罪も補償も一切していない。わが國政府は、韓國政府に対して「李承晩ライン」問題について謝罪と賠償を強く求めるべきだ。また、韓國民による靖國神社に対するテロについても謝罪を求めるべきだ。韓國政府がこれを拒否したら、今回のいわゆる「従軍慰安婦問題」についての「合意」なるものを反古にすべきだ。

 

さらに、「日本政府は、『従軍慰安婦の強制連行に日本軍が関与した』ということを事實と認め、謝罪した」ということが世界の共通認識になる。慰安婦像は撤去されず、金を取られ、ユネスコの記憶遺産に慰安婦問題の関連資料の登録を申請される。台湾に蟠踞する國民党政権まで尻馬に乗って「いわゆる従軍慰安婦問題の解決に向けた日韓両政府の合意を受け、台湾も日本に賠償などの交渉を改めて求める」という方針を示した。

 

そもそも何故なぜ我が國外相が韓國に行かなければならなかったのか。支那や韓國にバカにされ、甘く見られ続ける日本は一体どうなるのか。日本政府は、韓國大統領・外相を日本に呼びつけて、竹島からの撤退と謝罪と賠償、李承晩ライン問題の謝罪と賠償を要求せよ。それこそ「積極的平和主義」であり「戦後レジームからの脱却」だ。

 

 

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千駄木庵日乗二月二十五日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、書状執筆、二十八日に行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備、原稿執筆など。

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第五十九回日本の心を学ぶ會

 

テーマ 日韓関係を考える

 

昨年12月に慰安婦問題について日韓両政府の間で合意が成立しました。

こう着状態だった両國の関係が進展するとして各種メディアはこの合意を歓迎する論調で報道しております。しかし両國とも本音では不本意な合意であったようです。

韓國では日本大使館前でこの合意の破棄を求める集會が開かれ、日本側の十億円が供出される前提である慰安婦像の撤去についても強い反発があるようです。

一方、我が國でも昭和四十年に締結された日韓基本条約の「完全かつ最終的に解決した」という立場から逸脱していることや、なによりも國家の名誉の問題が見落とされており「日本が性奴隷の強制連行を認めた」と世界に誤解されかねないという批判があります 。

今回 の合意は両國が慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決した」としていますがこれまでの経緯から考えてもこの言葉は到底信じられません。

このような多くの問題を含んだ合意の背景にはアメリカの強い意志があったといわれています。北朝鮮の不測の事態に備え日韓の連携がうまくいかないことを恐れたアメリカが慰安婦問題の解決を強く要請した結果が今回の合意であったといえます。

北朝鮮は一月には水爆実験の成功を宣言し二月には「人工衛星」の発射を通告して國際社會の反発を買い地域の安定の重大な脅威となっております。慰安婦問題の合意はこのような朝鮮半島情勢の危機と無関係ではありません。そして朝鮮半島の情勢は日清日露戦争を例に出すまでもなく我が國の安全に重大な影響を及ぼします。

朝鮮半島の情勢が大きく揺らいでいる今こそもう一度、日韓の歴史関係について考えてみましょう。

 

【日 時】平成二八年二月二八日(日)午後六時より

 

【場 所】文京シビックセンター 3階會議室A

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩一分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩一分JR総武線水道橋駅(東口)徒歩九分

 

【講 演】

「今日のアジア情勢と日韓関係史」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

せと弘幸氏は調整中です。

 

【司會者】林大悟

 

【参加費】資料代五〇〇円終了後、近隣で懇親會(三千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 〇九〇―八七七〇―七三九五

この告知文は、主催者が作成しました。

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『笹川平和財団 笹川日中友好基金主催 講演会―中国の現状と課題』における登壇者の発言

昨年十月二十日に開催された『笹川平和財団 笹川日中友好基金主催 講演会―中国の現状と課題』における登壇者の発言は次の通り。

雷頤氏(中国社会科学院近代史研究所研究員)「一九四九年に中華人民共和国成立。一九四八年末、中共が全国的に勝利。中共第七回党大会で青写真を作った。農村から都市を包囲。都市は劉少奇の担当。新民主主義理論を構築。民間企業を発展させるという青写真。農民に土地を分ける。一九五三年に闘争があった。政治局会議で、毛沢東の方針で社会主義改造をすると決定。計画経済になった。農民は自分で収穫物を売ることが出来なくなった。国が買い付けた。農村と都市が固定化される。市民社会が無い状態になる。自由選択の余地なし。工業は発展したがアンバランス。毛沢東の死後、改革開放が行われることになった。中国の経済はとても大きな力を得た。日本への観光客が年間五百万人。外交は直接交流ではなくソフトパワーが大事と思い、孔子学院を作ったが、成功していない。中國の実力は高まっていない。全ての人々に受け入れられていない。愛国主義教材が増えた。若い人々にある程度浸透している」。

劉澎氏(北京普世社会科学研究所所長)「中国には多数の宗教があり発展している。仏教、道教の内部混乱が深刻。宗教管理がうまく行っていない。法整備は大きな成果を上げたが、宗教は駄目。宗教法を作る必要あり。二十年間研究している。儒教文化は中国の伝統。我々か何者であるかを尋ねると、儒教にたどり着く。『講師は御子っており、孟子は焦っている』という言葉がある。」。

簫功秦氏(上海師範大学人文学院教授)「日本は軍国主義なんてあり得ない。中国其れを知るべし。日本は多元的社会。中日両国の交流が必要。日本の一部の右翼がバタフライ効果を発揮し中国人を不安にする。中国のナショナリズムにも穏健なものがある。ネットで七五%が私に対して『売国奴』と書き込んだ。私を支持した人は日本に行ったことがある人。大量の中国人が日本に来るのは良い事。お互いに交流することが大事。日本に来ると日本を理解する。中国は日本から学ぶことが多い。民族の団結の始源を自分の文化に求める。儒教にそれを求める。中國には五十六の民族がある。漢民族以外には儒教は限界がある。政府の中にも反儒教の人がいる。中國の現在の状況は緊張している。日本に対する長期にわたる不信がある。中産階級が増えて、大量の人が日本に観光に来ている。お互いの交流実績で誤解は解ける。七、八年で二〇〇八年の日中関係に戻る」。

 

任剣涛氏(中国人民大学政治学部教授)「東アジアに新しい国際秩序が出来た。新しい国際秩序で両国にとって利益になるメカニズムを見つけなくてはならない。日本は早く近代化し自分を見失った。そして悲劇が起こった。中國には国家観はあったが、世界観が無かった。プライドは高い。自分を中心ととらえた。国際情勢への認識はなかった。うぬぼれが厄介。他の民族に対する朝貢体系があった。中国の天下という大系。自分たちが優れているので周囲が朝貢するのは当然と思っていた。朝鮮は朝貢していた。日本は一度も朝貢していない。中国は近代の世界観が理解できなかった。中国の天下の大系が近代に接触して悲劇が生まれた。皇帝に跪くことが強制された。平等な立場で交易することがない。この清朝の態度が悲劇を生んだ。阿片常習者が出た。不平等の解決は戦争である。阿片戦争に敗れた。中国は儒教を守ろうとした。東洋も西洋も契約中心の関係になった。契約というのは中国の知らない事だった。中國は契約を中心とした世界を受け入れざるを得なかった。国際社会で契約の感覚を学習し身に付けねばならない」。

 

周為民氏(中国共産党中央党学校マルクス理論教育研究部主任)「中国の改革開放はまだ道半ば。十数億の中国人の貧困と立ち向かう事業。その根本的任務は多くの人々が自ら富を造り出し配分する体制を作ること。特色ある中国の社会主義を歩むという鄧小平氏の意見は革命的意義を持つ。素晴らしい条件を作り出す。富を作り出すシステムを作り出す。計画経済から市場経済への転換は歴史的大変化。改革開放・市場化が進むにつれて民間企業が発展。その故に中国経済は今までにない発展をしてきた。しかしまだ完成途上にある。資本・労働力・土地・資源市場では市場メカニズムを発揮できていない。行政によって経済統制が行われている。中國の色々な問題の根本はここにある。過剰な生産をやっている。大量の資源が間違った配分になっている。腐敗汚職がある。市場が配分すべきなのに、権力を持つ人が配分するから汚職が起こる。様々な矛盾が出ている。これでは経済を持ちこたえることが出来ない。改革は人々に富をもたらすことが第一の目的。市場の論理を堅持する。市場の原理に基づくべし。法治の精神を堅持しなければならない。経済体制の改革、市場体制の改革、政治社会体制の改革が進むと、中國の改革開放は近代化の道を切り開く。中國は近代化の道を日本によって二回止められた。しかし今日の近代化は日本からかなり協力してもらった。二度の長期借款は重要な役目を果たした。大量のインフラ整備で、日本の技術支援、経営支援、管理面の支援があった。中國は日本の経験から真摯に学んだ。改革開放を進めていくには、日中の良好な関係が必要。イデオロギーの主体は、中国的特色を持つ社会主義。これは鄧小平の言葉。ソ連方式からの脱却。抽象的文脈からイデオロギーを議論しても仕方がない。概念の争いを超えなければならない。三中全会で中国の今後が決定された」。

 

華生氏(東南大学経済管理学院名誉院長)「三十年の最大の変化は経済から来ている。三十年前は発展途上国。今日は世界第二の経済大国。今後の中国の行方も経済次第。強い権力は何をしてもいい。唯一出来ないことは経済。毛沢東は殆どやりたい放題だった。しかし、経済は失敗。改革の成果は人間に対する全方位の制限を打破した。農民を解き放った。労働力の開放。都会に出稼ぎに行き、収入を得る。農村の土地の所有制度の改革も必要。中國には数千年来、平均主義の土壌がある。中國は近代化しなければならない。そのために農村を都市化しなければならない。革命的政治から自律的政治へ移行できるかという問題。中國と日本は違う発展段階にある。中國は一人あたりの所得も低い。都市化は進んでいない。一九九〇年代の日本より相当低い。発展途上国。挑戦に直面している。各方面に矛盾がある。これを克服しなければ経済は停滞する」。

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千駄木庵日乗二月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。共に歌を歌う。

この後、湯島天満宮参拝。梅園を散策。神職の人に聞くと、七分咲きとのこと。

帰宅後も、原稿執筆。

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2016年2月24日 (水)

わが国の歴史を汚し旧軍人を侮辱することは天人共に許さざる行為である

中川八洋氏はその著書で、「第二次大戦における戦場でのレイブ事件の発生率については、日本軍は他国に比して際立って少ない。まさしく称讃されるべき世界第一級の模範軍であった。…戦場の『敵国』女性を保護する政策を立派に遂行した。その成果であった。また、慰安婦がすべて民間の純粋な『市場』において集められた点でも世界の範であった。…『従軍置屋』をもって、『日本のみがなした野蛮な制度』とするのは歴史的事実に反する。日本を中傷するための悪意ある嘘である」

 

「一九五〇年に朝鮮戦争が始まると米軍は日本の横浜、大阪(のち奈良)、小倉の三カ所に日本人女性の売春婦(慰安婦)を集めた米軍管理の『センター』を設置した朝鮮の戦場から一定期間ごとに交代で米軍の兵隊が送られてきた」

「一九四五年八月十五日の停戦と九月二日の敗戦の日以降、米軍約四十万人が日本に上陸したが、『従軍置屋』も売春婦も伴っていなかった。このため、GHQも命令したし、また日本政府側も日本の一般女子の貞操を強姦から守るべく、占領軍用の売春施設を全国規模で設置した」

 

「置屋が従軍して移動する制度は…国際的には普遍的である。何ら非難されるべきものではない。むしろ戦場や占領地における強姦を防止し性病をより減少せしめる成果においてそれ相応に評価されねばならない。売春の是非という問題だけに論点を視野狭窄させて、『従軍置屋』制度を非難するとすれば、その方が非人間性に基づいた非難である。非難されるべきは、満洲や東欧やドイツでなしたロシア(ソ連)軍のような残虐極まる強姦の問題である。…日本軍の『従軍置屋』制度について真赤な嘘をもって難詰しながら、この満洲や東ヨーロッパやドイツでのロシア軍によって生じた二十世紀最悪のレイプ被害に対しては一切の言及もしない、日本の『従軍慰安婦』キャンペーンを専門とする弁護士たちは、果たして人間なのだろうか。人格喪失のデマゴーグたちである」(『歴史を偽造する韓国』)と論じている。

 

 「従軍慰安婦実在説」は成立しない。「強制連行」という事実がない以上、慰安婦は戦地に出張営業したただの娼婦・売春婦であり、官・軍が営業を認可した「公娼」に過ぎない。

 

「女子挺身隊の名で戦場に連行され日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦」などというものは全く存在しなかった。実際、戦地に出張した朝鮮人娼婦・売春婦のほとんどが、親に売られたり、朝鮮人の民間業者(女衒)の手で転売されたりした女性たちである。

 

 虚構・嘘八百による日本断罪は、「慰安婦強制連行」を一つの材料にして反日史観を広める意図があるのである。ソ連の崩壊――東西冷戦の終結によって、それまで社会主義を礼賛し日本の共産化を呼号してきた勢力は、「目標」を失った。それに代わる目標あるいは自己の存在証明が、「反日史観――慰安婦強制連行プロパガンダ」などにある。

 

問題は日本の近現代史を悪逆非道と描き出す「朝日新聞」などの反日メディア、社民共産民主党左派などの反日勢力の存在である。わが国の歴史を汚し旧軍人を侮辱することは天人共に許さざる行為である。

 

 

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千駄木庵日乗二月二十三日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、原稿執筆など。

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2016年2月23日 (火)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年三月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年三月号(平成二十七年二月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

『萬葉集』戀愛歌について

全人格的な戀愛を文藝に表現したのは、東洋においてはわが國のみである

 

大海人皇子と額田王との開放感に溢れた明るい唱和

 

磐姫皇后の戀歌と嫉妬伝説

 

『萬葉集』の女性の戀歌の中でも屈指の名歌

 

戀の成就を大胆率直に喜んだ藤原鎌足の歌

 

大津皇子と石川郎女との戀愛贈答歌

 

『萬葉集』では、「武」「歌」「戀」の三つは一体である

 

この頃詠みし歌

 

 

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2016年2月22日 (月)

『笹川平和財団 日米交流事業主催 講演会 「不安定化する世界と日米パートナーシップ」』における登壇者の発言

昨年十月十五日に開催された『笹川平和財団 日米交流事業主催 講演会 「不安定化する世界と日米パートナーシップ」』における登壇者の発言は次の通り。

 

ストローブ・タルボット氏(ブルッキングス研究所所長)「九十年代は、我々人類はかなり良い時代に入ったと思っていた。ゴルバチョフ時代、改革派が動き、ロシアは普通の近代国家になるところまでいった。第三次大戦は心配しなくていいということになった。長期的葛藤があったが、ロシアは世界に適合したいと真剣に思っていた。中国は毛沢東主導の政策をわきに追いやって、平和な世界に統合しようということになった。良いニュースばかりだった。国家単位のガバナンスも出来た。それがグローバルなガバナンスにつながると思われた。しかし暗雲が立ち込めた。リーマンブラザーズの件で近視眼的になり、津波のような影響を世界に及ぼした。第一次大戦後、大恐慌が起こりストレス危機が生じたことを思い起こした。ユーロ危機が起こった。ナショナリズムが台頭。ロシアが百八十度方向を転換し始めた。プーチン時代が到来。経済的トラブルが蔓延。より平和になろうという戸口に立っていたが押し戻された。中国とロシアが独裁主義・専制主義に立ち戻った。国際主義がナショナリズムに取って代わられた。ここで言うナショナリズムとは紛争につながるもの。ロシアが近隣国家に戦争を仕掛けている。グルジア・バルト三国にも介入。直接の紛争が米露間に起り得るところまで来ている。中国の指導者は『平和的抬頭』と言っているが、『平和』という言葉の意味を忘れている。日本とアメリカはどこに行くか分からない世界を着実な路線に戻す。プーチンの持っている権力は、クレムリンの中でスターリン以来の最強の指導者。プーチンは誰の言うことも聞かなくていい。今は仲良くしている中国も、ロシアにとって危険。今の中露友好は浅いもの。長く続くとは思わない。中国はロシアがクリミアを編入したのを見て、南シナ海に進んだ。ウクライナの住民の殆どはNATOに入りたいと思っている。日米は同盟国であり、G7のメンバーである。G7の連帯は固い。北方領土は、アメリカは百%日本の立場を支持している。グロムイコは『一粒の砂も返しはしない』と言った。プーチンも然りだ。ロシアはヨーロッパの土地を自分の物にして返そうとしていない。北方領土も同じ。中國の野望は太平洋をアメリカと二分しようとしている。中国は昔持っていたものを取り返し、朝貢国を復活させたい。日本はそれは受け入れがたい。尖閣の領土問題で何事かがあったら、アメリカは日本を守るのは間違いない。TTPは閉鎖的なクラブにならないということで来ている」。

 

イーホル・ハルチェンコ駐日ウクライナ大使「アメリカは病に陥っている。景気が思わしくない。立法司法行政が病んだ形になっている。アンチワシントン、アンチ体制ということだけで支持を増やしてしまう。トランプさんが断トツ。お父さんが大統領だった人はランクが低い。ヒラリー・クリントンは厳しいスタートを切った。彼女も体制側の一員なのである。フランスの右派の抬頭は民主主義の危機。今やアメリカの民主主義の実績が足りなくなっている。ロシアは十四か国と国境を接している。ロシアと国境を接している國は、ロシアを非常に怖がっている。ロシアは敵国を作り出した」。

 

平林博・元駐インド日本大使「八月の安倍談話は、私としては前向きの印象を受けた。未来の世代がお詫びをし続けるようなことはしないと言った。北朝鮮に最も大きな影響力を持っているのは中国」。

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千駄木庵日乗二月二十二日

午前は、諸雑務。

昼、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。

午後三時より、芝公園の機械振興会館にて、『セミナー・熾烈さを増す米国での日中韓ロビー合戦』開催。ロー・ダニエル氏(ベニンシュラ・モニター・グループ社長)が講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆など。

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萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 三月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

東京都豊島区南大塚二-三六-一 ☎〇三-三九四六-四三〇一 「東京メトロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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日本國及び日本國民は天皇によって護られて来た

 

蒙古の侵略・大東亜戦争をはじめとして、わが日本は建國以来さまざまな國難に遭遇した。今日もまさに「國難来たる」の状況である。しかし、如何なる困難に直面してもわが國家・民族が滅亡することがなかったのは、日本國及び日本國民が、國家の安泰と國民の幸福を常に神に祈られる天皇にお護り頂いて来たことによるのである。天皇がいましてこそ、今までの、そして今日の、さらに将来の日本國及び日本國民があるのである。 

 

わが日本は、日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。そして、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固に保守し続けてきた。現実面の変化の奥に不動の核があった。それが日本天皇であらせられる。

 

天皇・皇室は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となって、その危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。

 

日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

日本天皇は、日本國及び日本國民を武力や權力によって護って来られたのではない。その神聖なる權威によって護って来られたのである。そしてその神聖權威は、天皇が常に日本の神を祭り神に祈られる祭祀主であらせられるところから発する。

 

蒙古襲来の時も大東亜戦争の時も、天皇は御一身を神に捧げられる御心で神を祭り神に祈られた。神祭りとは自己を無にして神に合一する行事である。天皇は常に無私の心で祭祀を執行され國家國民を統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されるということである。そのことがそのまま國民にその處を得さしめる事即ち國民の幸福実現となるのである。

 

天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考えている。しかしわが國においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、國民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族國家の中心であると考えている。簡単に言えば支那においては、天子は権力と武力によって國民を支配してきた。ところが、日本においては天皇の信仰的権威によって國民を慈しむのである。この違いは支那と日本の國家の成り立ちとその後の歴史の違いでもある。 

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千駄木庵日乗二月二十一日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。この後、資料の整理。

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2016年2月21日 (日)

わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている

わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。国民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが国においては、古代より国民を「おほみたから(大御宝)」ときた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

 

歴代の天皇は、すべて国民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」戸しての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの国民に限りない仁政を垂れたもうたのである。

 

わが國の天皇統治はまさに国民の幸福を実現する政治制度を生み出す根幹なのである。天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。

 

それは、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、民主政治の基本が示されている。

 

葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外国の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治しそうであった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

 

昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、国民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった」と仰せになられた。天皇の国家統治は、「輸入のものではない民主政治であり民主主義」なのである。

 

天皇の国家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の統治は民の心をお聞きになり、民の心をお知りになる事が基本である。そしてそれは議会によって実現する。ゆえに、明治維新断行後において、帝国議会が開設され『大日本帝国憲法』が施行されたのである。

 

近代に於いてのみならず、古代日本においても、国民のために政治が天皇の統治によって実現していたのである。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

 

天皇が国民の幸福を祈られる祭祀を執行され、国民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、国民のための政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。

 

天皇は常に国民の幸福を祈られ、天皇統治とは国民を意志をお知りになることが基本である。わが國は天皇が民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされる君民一体の国柄である。

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千駄木庵日乗二月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。機嫌良し。

帰宅後も、原稿執筆。

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2016年2月20日 (土)

日本文化と支那大陸の文化とは全く異なる

 

 「日本と中國は同文同種であるから他の國々よりもずっと深い友好関係を結ばねばならない」という意見があるが、これは重大な誤りである。こういうムードに酔って日本が支那共産政権と無原則な関係を結ぶことはまことに危険である。

 

支那大陸内部においてすら、同じ漢字という文字表現を用いていても、時代により地域によって全く異なる文化を形成している。

 

 和辻哲郎氏は「漢字の機能ゆえに、シナの地域における方言の著しい相違や、また時代的な著しい言語の変遷が、かなりの程度まで隠されている…現代の支那において、もし語られる通りに音表文字によって表したならば、その言語の多様なることは現代のヨーロッパの比ではないであろう。またもしシナの古語が音表文字にもって記されていたならば、先秦や秦漢や唐宋などの言語が現代の言語と異なることは、ギリシア語やラテン語やゲルマン語が現代ヨーロッパごと異なるに譲らないであろう。文字の同一は…必ずしも…緊密な文化圏の統一を示すものではない」「同じシナの地域に起こった國であっても、秦漢と唐宋と明清とは、ローマ帝國と神聖ローマ帝國と近代ヨーロッパ諸國とが相違するほどに相違している…ヨーロッパに永い間ラテン語が文章語として行われていたからと言って、直ちにそれがローマ文化の一貫した存続を意味するのではないように、古代シナの古典が引き続いて読まれ、古い漢文が引き続いて用いられてきたからと言って、直ちに先秦文化や漢文化の一貫した存続を言うことはできない。」(『孔子』)と論じている。

 

 支那大陸では色々な民族が混在したり融合したりして来たし、種々の國が相次いで興亡を繰り返してきた。それはヨーロッパにおいてギリシアやローマが相次ぎ、種々の民族が混在したり融合して来たのと同じである。

 

支那大陸を統一したといわれる「秦」、そしてそのあとの「漢」の大帝國も、人倫を喪失した権力機構なのであり、「天子」と言われる君主も實質は権力者・覇者であって、支那大陸の王朝はわが日本のような天皇を中心にした同一の文化と信仰と傳統をもって統一され継承された信仰共同體・人倫國家ではなかった。強いもの勝ちの覇道(権力・武力・経済力・権謀術数の力)が支那を制して来たのである。またそうした覇道でなければあの広大な大陸を統一できなかったのである。

 

 従って支那大陸に生活する人々は、親子・夫婦・兄弟といった家族関係即ち血縁共同體たる「家」を大切にしても、國家観念はきわめて希薄であった。

 

支那の古典『十八史略』に「日出て作り、日入りて息ふ、井を鑿りて飲み、田を耕して食ふ。帝力我に何かあらむや」という言葉があるのでも分かる通り、支那大陸に住む人々の生活は、家を中心としていて國家の保護や干渉は否定していたのである。それだけ権力者が好き勝手は事をして民衆を苦しめてきたということである。それは今日の共産政権も同じであろう。

 

第二次世界大戦後、中國共産党の一党専制政治によって、支那大陸全體が一つの國家として存在しているように見えるが、これはむしろ不自然な状態である。戦後支那大陸がまがりなりにも統一を保ってきたのは共産党一党独裁体制によるのである。共産主義イデオロギーはすでに破綻し一党独裁体制も揺らぎつつある。支那大陸の共産党独裁體制が崩壊する可能性は十分にある。それを食い止めるために共産支那政権は「反日」を煽動しているという見方も成立する。

 

共産党独裁體制が崩壊したら、支那大陸は群雄割拠の分裂状態になる。即ち支那大陸本来のあり方に戻る。少なくとも満洲・北支・中支・南支・チベット・内蒙古はそれぞれ独立しては別々の國となる事によってしか、支那大陸とその周辺の安定は図られないと思われる。「十億以上の民を単独の政権でまとめるのは難しい。上海料理・北京料理・広東料理・四川料理・満州料理という料理で分けるべきだ」という意見もある。

 

要するに支那大陸は様々な氏族が覇を競い様々な王朝が興亡を繰り返した来た地域であって、全體が一貫した文化傳統を有する統一した國家ではあったことはなかった。天皇を中心に時間的連続性地域的統一性を連綿として維持し続けてきた信仰共同體國家たるわが日本とは、全くその性格を異にする地域が支那なのである。

 

日本人と支那人とでは根本的に異なる文化感覚を持っており、ものの考え方が實に大きく違っている。わが國のように四面環海で魚類の食べ物の豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのだが、支那大陸のように広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行われ、動物食で栄養を摂るのは自然である。支那人は豚肉をとりわけよく食する肉食人種である。明治以後になって初めて獣肉を食べ出した日本人とは大きな違いがある。

 

したがって、わが日本と支那大陸が同じ漢字を使用しているからといって、同じ文化傳統を有しているわけではない。わが國と支那が他の國と比較して格別に深い関係を持っていると考えるべきではない。日本民族及びその傳統文化と、支那大陸に存在する様々な民族及び文化とは、全く異なるものなのであって、支那に格別の親近感を抱くのは誤りである。

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千駄木庵日乗二月十九日

午前は、『政治文化情報』発送作業。

午後、発送完了。購読者の皆様には、早ければ明日お届けできると思います。

この後、書状執筆、原稿執筆など。

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2016年2月19日 (金)

わが国は独立と主権と国益を守るために支那と断固戦うしかない

共産支那は、南シナ海・東シナ海に対して歴史的水域という言葉を使って進出し支配しようとしている。東シナ海を支那に押さえられれば,日本の内堀・外堀を埋め立てられることになる。

 

共産支那は、毛沢東が『鉄砲からに政権が生まれる』と言ったように、軍が国家権力の基盤である。典型的な軍国主義国家である。軍権を握るものが全ての権力を握る。毛沢東も鄧小平も江沢民そうである。支那は野蛮国家以外の何ものでもない。

 

共産支那は軍事拡大・領土拡大に狂奔している。そして、アジアにおける覇権確立を目指している。

 

共産支那はわが国固有の領土・尖閣諸島の海底に埋蔵される一千億バレルの莫大な石油を狙っている。さらに、南シナ海・西沙・南沙に進出してエネルギー安保を求めようとして海軍拡大方針を立てている。

 

共産支那は、わが国や台湾に対しては軍事力で脅しをかけている。共産支那は、「台湾は支那の一部」という虚構を大義名分にして、台湾を狙っている。台湾を支那が併呑すれば次に狙われるのはわが国である。

 

公表している共産支那の軍事予算の四倍が真の軍事予算であるという。共産支那が台湾に軍事侵攻すれば、共産支那はバシー海峡・台湾海峡・南シナ海・東シナ海を押さえることになる。そうなるとわが国は共産支那に首根っこを押さえられることになる。

 

これに対抗するためにはわが国は真の「自主憲法」に回帰し、シーレーンを守るだけの海軍力を持つべきである。支那の侵略を粉砕するだけの軍事力を持つべきである。最新鋭のミサイル防衛システムを早く導入しなければならない。

 

わが国の国史上、支那や朝鮮からの侵略の危機は何度かあった。しかし、その頃は、支那や朝鮮との間に海があったから助かった。しかし今は違う。海があってもそれはわが国防衛の役には立たない。ミサイルは海を越えて飛んで来るし、支那海軍はわが国に海を越えて怒涛の如く攻め寄せて来る。

 

日本は、チベットの如く「中華帝国」に編入され、併合され、日本民族は永久に支那人の支配下に置かれる。支配下に置かれるどころか日本民族が迫害され殺戮される危険がある。

 

民族の独立は正義である。しかるに、共産支那は、新疆ウイグル(東トルキスタン)、モンゴル南部、チベットという歴史的・文化的・民族的に全く異なる地域を侵略し支配している。そして今日、台湾をそしてわが国の沖縄を侵略しようとしているのである。

 

今日のアジアの状況を冷静に見れば、「中華人民共和国」と自称している共産支那はアジア最大の軍国主義国家であり、侵略国家である。ところが、わが国には、共産支那の侵略策謀に加担し、協力する勢力がいる。我々は内部の敵を粛清しなければならない。

 

共産支那は、今日、着々と軍事力を増強し、アジアにおける軍事的・政治的覇権を確立しようとしている。そして、わが国や台湾に向かって核兵器の狙いを定めている。繰り返し言う。支那はアジア最大の侵略国家である。このような国に対してわが国は、断固たる姿勢で臨むべきである。

 

戦後日本は、自国の主権を守る事に関してに関して怯懦・鈍感である。そして、共産支那や朝鮮に対して売国的・土下座外交を行なってきた。

 

支那を政治的・軍事的・経済的に包囲し、アジアにおける支那の覇権確立・侵略支配を防がねばならない。そのためにわが国が主導的立場に立って、アメリカ、台湾、ベトナム、シンガポール、フィリッピン、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランドという海洋国家と協力体制を構築することが大切である。わが国は独立と主権と国益を守るために支那とは断固戦うしかないのである。まさに「暴支膺懲」の時は来ているのである。

 

そのために軍事的に極めて大事な地域が沖縄なのである。沖縄における国防体制をより一層強化すべきである。これを否定し、批判する者どもは、その意図が那辺にあろうとも、結果的に共産支那のアジア及び日本侵略支配に加担し協力することとなる。

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千駄木庵日乗二月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。食欲あり。元気なり。有り難し。

午後六時より、水道橋にて、永年の同志二氏と懇談。

帰宅後も、発送準備、書状執筆。

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2016年2月17日 (水)

日本伝統信仰と現代の危機

 

戦後日本が文化の土台を無視して来た結果が現在の混迷だ

 

今日、わが國は政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になり、日本國民の心の中に不安と空虚感が広まっている。人心は乱れ、大人はもちろん幼き子供たちまで、常軌を逸した犯罪行為に走っている。

 

こんな情けない國家に日本がなってしまった原因は、日本民族がその主体性・民族的一体感・愛國心を否定もしくは隠蔽し、わが國の伝統文化・道義精神を顧みなくなったことにある。戦後日本は六十年近くにわたって日本文化の土台を無視或いは軽視してやって来た。その結果が現在の混迷である。

 

終戦後、わが國に対する精神の奥底に達する破壊行為=〈日本弱体化策謀〉が、昭和二十年から六年八ヵ月の占領期間に行われた。神道指令による伝統信仰の破壊、憲法の押し付け、東京裁判史観・自虐史観の強制、誤れる個人主義の押しつけ、愛國心の否定、家族制度の解体、偏向教育、出版物の検閲、近代日本の行動原理たる教育勅語の失効などによって、日本民族は精神的にも制度的にも弱体化された。そして、紀元節・天長節・明治節が世俗的次元の休日に引き下された。こうした日本弱体化策謀が、今日、実を結び花開いているのだ。

 

國家の基本法である『日本國憲法』の民主主義・平和主義・基本的人権の尊重といういわゆる『憲法三原理』の土台には日本の文化伝統はない。敗戦後戦勝國によって日本弱体化の意志を以て押し付けられた憲法なのだからそれは当然である。

 

憲法だけではない。政治・國防・外交・教育などをあらゆる面において、戦後日本は日本民族としての主体性を喪失している。國を守るという神聖なる使命を放棄し、國を愛するという高貴なる精神を喪失した國民が、正しき道義心を持つはずがない。日本民族としての主体性を喪失した戦後教育の行き着いた果てが今日の日本である。

 

日本の抑制された簡素な文化に中にある価値観と社會の仕組みが、日本の近代化の成功の原因であった。伝統を重んじながら、常に進取の気性を持っていた日本人は、本来優秀である。その優秀さは、勤勉性、高い道義心、協力と献身の精神の旺盛さ、謹厳実直さといったものに価値を置いてきたことと一体である。ところがこういった価値観を戦後五十数年間かけて否定あるいは軽視してしまったのである。 

 

日本民族の主体性の核は天皇を祭祀主とする神道である

 

 人間の土台は文化である。文化にはその國その民族の特殊性がある。わが國には三千年来の伝統文化がある。しかるに戦後民主主義は家族を否定した。これを何とかしなければならない。日本民族としての主体性・帰属意識(いわゆるナショナル・アイデンティティ、民族的一体感・國民的同一性)、帰属する共同体としての民族伝統精神の回復が緊急の課題である。

 

 民族の主体性の回復とかナショナリズムと言うと、戦争につながるとか軍國主義だと鸚鵡返しのように言う人がまだまだ沢山いる。そもそも戦後日本はそういう人たちが主導してきたのだ。そしてそういう考えが日本國を衰退させたのだ。

 

 「天皇中心の國體」はわが民族伝統の根幹である。「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を継承される天皇による國家統治の本姿である。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める=共同体の中心者として統一すること)ということである。天皇國日本の倫理・生活伝統・信仰精神そしてそれに基づく國柄を総称して「國體」という。

 

伝統的な信仰は、民族精神の最も端的な表現であり民族意識の中核である。伝統信仰は、政治・経済・法律・芸術など他の文化と並立するものではなく、これらの文化の根源に位置する。日本神道は、日本の伝統信仰である。日本民族の主体性・独自の文化の核は、天皇を祭祀主とする日本神道である。

 

 そのわが國伝統信仰たる神道の基本は、自然信仰と祖霊信仰である。自然信仰と祖霊信仰は、太陽神であり皇室の祖先神である天照大神信仰によって結ばれている。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。

 

 言い換えると、わが國において太陽神という自然神への信仰と祖霊への信仰は、天照大神及びその御子孫である天皇への尊崇の精神によって統合されている。日本民族の天皇尊崇の念が日本民族としての独自性の原点である。

 

 また日本伝統精神は文献としての「神話」によって伝えられているだけではない。天皇は神話の世界からの道統である「祭祀」を今日においても行っておられる。天皇の祭祀は「生きている神話」であり、天皇は「日本伝統精神の生きませる象徴」である。だから、天皇は生きたまう神・現御神と申し上げて尊崇されてきた。日本民族の信仰・文化・伝統を体現されるお方が天皇である。

天皇は<日本民族の道義心の根源・道の体現者>として仰がれて来た

 

 わが國の道徳観念・倫理思想は、〈天皇の祭祀〉を通して指し示された。日本天皇は祭祀を行われることによって道徳心の体現者となられる。なぜなら「神を祭る」ということは自分を「無」にして神に合一することであるからである。つまり祭祀主たる天皇は、〈無私の精神〉の体現者であらせられるのである。

 

 折口信夫氏は、「日本では、神祭りの主體となられるのは宮廷の神祭りで、その祭りに於ける主體は、歴代聖主であられた。主上の御生活には、日常の御生活のほかに、神としてのあらたまった御生活があった。そのハレの生活は更にケの生活の規範であって、同時に我々のハレの生活の典型であった。」(『宮廷と民間』)と論じた。

 

和辻哲郎氏は、「日本は人倫國家であり、その中心は天皇の神聖なる権威である。人々は天皇の神聖な権威を通じて正義を自覚した。」(『日本倫理思想史』)と論じ、新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』)と論じている。

 

天皇は、〈日本民族の道義心の根源・道の体現者〉として長い歴史を通じて仰がれて来たのである。天皇は権力機構としての國家の最高権力者ではない。また天皇を唯一絶対神として尊崇することを政治権力の國家支配のイデオロギーとするのでもない。「天皇を、わが國の祭り主、もっとも清浄な御方、地上における神の御代理、人間の姿をした神(現御神)と仰ぎ、政治・軍事・文化・宗教の最高権威者・道義の要として仰ぐ」というのが、建國以来の天皇のあるべき姿である。

 

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體の精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。政治・倫理・文化など國家民族形成の基本に天皇がある。それがわが國の歴史である。

 

橘曙覽は「利(クボサ)のみむさぼる國に 正しかる日嗣のゆゑを しめしたらなむ」と詠んだ。強い者勝ち・利益至上の醜い闘争・戦争に終止符を打つのは、わが國伝統信仰すなわち天皇を祭祀主とし道義の鏡と仰ぐ神道である。しかし、その大前提として、日本國自身が民族の誇りと伝統信仰を忘却し「利のみむさぼる國」になり果てていることを、大反省し禊祓いすることが必要である。

 

日本人の高い倫理観を生み出した〈日本國體精神〉が、國家主義・民族主義をよりい一層強固にするとともに、半面、強い者勝ち・力づくの精神を規制し緩和させ、ナショナリズムをより健全なものにする。それはわが國の歴史を見れば明らかである。

 

今こそ天皇を中心とした國體の回復を目指す大維新運動を繰り広げるべし

 冒頭に述べたように、今日わが國は、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識が大事になってくる。今こそナショナリズムが勃興すべき時である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。 

 

わが國において、民族的一体感・國民的同一性の中心は天皇以外にあり得ない。そしてわが國伝統信仰は、一神教ではないから、包容力があり排他的はではない。日本神道は混迷する現代において極めて重要な役割を担うと考える

その本来の天皇のお姿が顕在化することは、わが國の正常な発展にとってきわめて大切である。

 

日本天皇の宗教的・文化的権威がこれからのわが日本の安定と発展の基礎である。世界は激しく変化しても、日本は古来からの伝統を保持しつつ急速な変革を為し遂げてきた。それは日本國の中心・不動の核に天皇がおわしましたからできたことである。天皇が上におわしますかぎり、日本民族は統一体としての日本・道義國家としての日本を回復し、新たなる力を発揮していくと信じる。 

日本民族としての主体性の回復=ナショナリズムの興起は、単に回顧的なものではなく、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神である。これからの日本の独立維持のために欠くべからざるものなのである。明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、民族の主体性の回復すなわちナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

 

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして、東洋の精神特に農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神の使命は重要である。日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。天皇がその体現者であられる日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得るのである。

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千駄木庵日乗二月十七日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

午後六時半より、アルカディア市ヶ谷にて、『第四六回 呉竹会・アジアフォーラム』開催。樋泉勝男愛知大学教授が講演。頭山興助会長が挨拶。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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わが國の朝鮮併合を『植民地支配』と言うのは大きな間違いである

中川八洋氏は、その著『歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取を捏造された日本』において次のように論じている。

 

「主権国家が具備すべき第一は、国家の名誉や体面をみずから擁護していく堅い決意であり、それが対外行動の規範となっていなくてはならない。だが、現実の日本は韓国の歴史の改竄・偽造に目をつぶる。それでいながら、韓国からの国際社会のルール違反の内政干渉という不条理さをもっての歴史の改竄・偽造の強要に対しては叩頭する。日本の謝罪や叩頭は、国家観の正常な交際からの、日本の逃避である。是では日本は国家でない。国家としてあるまじき、古の日本の姿勢は、日本に併合されるかそれとも亡国化に瀕していた、あの李氏朝鮮の末期そのものの再現である」「日本の朝鮮統治は『植民地支配』などといわれるが、朝鮮はわずかも『植民地』として扱われていない。日本は朝鮮統治から財政的・経済的メリットがあったはずであるが、そのようなものは皆無であった。逆に、日本は朝鮮統治のために巨額で過度な財政的負担を強いられた。七千万の日本人は、その分増税を強いられた。マルクスの用語に従えば、日本人は朝鮮人に『搾取』された」「朝鮮は日本の統治によって年々豊かになった。人口は、一九一〇年の一三一三万人が、一九四二年には二五五三万人へと激増した。…一人当たりの国内総支出も、一九一〇年の五八円が一九三八年には一一九円と、二倍になった。人口が増えた上に所得がさらに増えた事実だけでも、朝鮮統治における世界史的に例をみない日本の『善政』は一目でわかる」。

 

中川氏の言うとおり、わが國の朝鮮併合を『植民地支配』と言うのは大きな間違いである。朝鮮は日本の植民地ではなかった。九州・四國と同じに考えられた合邦國家であった。だから朝鮮総督府は内閣に直属していた。

 

明治天皇の『韓國併合に付下し給へる詔書』(明治四十三年八月二十九日)に、「(朝鮮の注)民衆は朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし。産業及び貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし。而して東洋の平和は之に依りて愈々其の基礎を鞏固にすべきは朕の信じて疑はざる所なり」と示されている通り、わが國には韓國・朝鮮を植民地する考えは全くなかった。

 

わが國が朝鮮半島において植民地搾取を行ったと言うなら、『数字』を根拠とするべきである。朝鮮統治三十六年間、朝鮮総督府の財政予算の一五~二0%は日本中央政府から補助を受けていた。『日本は朝鮮半島の土地を収奪し、人の命を収奪した』と言うが、日本統治時代に朝鮮の土地の利用価値・生産価値を高め、三十七年間の自然・社會環境の整備によって人口を倍増せしめた。

 

十九~二十世紀にかけて『合邦國家』は、日本と朝鮮だけでなく、中南米・欧州にも多くあった。ノルウェーとデンマーク、チェコとスロバキア(これが一番日韓と似ている)、オーストリアとハンガリー、スコットランドとイングランドなどである。『合邦國家』の誕生は「侵略」でもなければ、「植民地支配」でもなかったのである。

 

 

昭和四十年の『日韓基本条約』締結の時、韓國は『日本の韓國統治は侵略・不法行為である』といった態度で臨んだが、当時の日本政府は『あなたの國と戦争したことはない。賠償をするような不法行為はなかった。歴史問題を言い出したら切りがない』という主張を貫き、過去の歴史問題に決着をつけた。

 

さらに当時のわが國政府は、「日本は戦前、朝鮮半島に莫大な財産を築いたが、戦後全て取り上げられた。取り上げられた日本の財産の請求権を日本は放棄するから、韓國も賠償を請求するな」と主張した。「韓國國民に対する個人賠償が出来ていない」という主張があるが、それは「請求権に関して完全且つ最終的に解決した」と書かれている『日韓基本条約』への無知から出て来る議論である。

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千駄木庵日乗二月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日のスピーチの準備、書状執筆、原稿執筆。

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2016年2月16日 (火)

「一君万民」の思想と基本的人権――光ある人間を生み熱のある世を実現する道

戦後日本は「国家は人権擁護の敵である」という思想に支配されてきた。そして国家以前に人権があるのだから、人権擁護のためには国家は窮極的には否定されるべきであるという思想が幅をきかして、欲望充足のため権利の濫用、他者の権利や共同体の安全を無視する「自由の濫用」となった。さらに「人権」という言葉がこれまで左翼にからめ取られ、天皇を君主と仰ぐわが国の国柄の否定・伝統破壊の道具としてまで用いられてきた。戦後の「差別撤廃運動」はそのまま「天皇制否定運動」でもあった。

 

「天賦人権」の思想は、フランス革命の「人権宣言」に始まったと言われるが、その基本は、政府のみならず国家も、個としての人間の権利尊重・幸福実現のための手段に過ぎないという思想である。

 

フランス革命の思想を継承するアメリカによって押し付けられた現行憲法の「三原理」の一つ「基本的人権の尊重」は、憲法施行以来、「自分さえよければ他人はどうなってもいい」「好き勝手し放題」という思想として国民の間に浸透している。

 

「現行憲法」第十三条に「すべて国民は、個人として尊重される」と規定されている通り、「現行憲法」には、人権を歴史と伝統および共同体とのつながりで捉えるという思想がきわめて希薄である。それどころか「現行憲法」は、「国家のみならず家族・家庭は人権の敵だ」とする考え方が生まれる土壌となった。そして家庭と国家の崩壊が起こりつつある。

 

しかもこの「基本的人権の尊重」という原理によって本当に戦後日本の国民一人一人の人権が尊重され守られて来たかというと決してそうではない。むしろ国民の人権が侵害され、教育は荒廃し、犯罪は増加し、国民の共生が著しく損なわれてきた。人権尊重・人権擁護と国防・治安維持とは全く相対立するものだとして、戦後七十年以上にわたって、国防や治安維持のための有効な施策が講じられて来なかった。その結果として、北朝鮮による我が国民拉致を未然に防止できなかったという最大の人権侵害の悲劇も起った。また、人権尊重ということを目標として政治運動によって学校長など公教育関係者が自殺に追い込まれるというもっとも悲惨な人権侵害が起こっている。また学校や家庭においても凄まじいばかりの人権侵害が起こっている。

 

個としての人間の権利の擁護・尊重の思想がかえって人権のみならず生命の安全すら危殆に瀕せしめる状況を生み出している。人権尊重の思想によって起ったフランス革命やロシア革命の後、それらの国民の人権が蹂躙されたのと同じである。

 

基本的人権の尊重・擁護とは、個人の欲望の無制限の充足ではないし、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという考え方でもない。しかし戦後日本はまさに欲望の無制限の充足、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという観念に支配されてきた。人権に対する誤った考え方がその原因である。

 

真に国民の自由と権利を尊重するためには、人権とは何か、人権擁護とは如何なることなのかを、考え直すべきである。国民の自由や権利は最大限に尊重されなければならないが、権利の乱用を防止し、他人の権利の尊重・他者との共生や公共の福祉・共同体の維持を正しく認識しなければならない。

 

人間を欲望充足の動物と考え、国家を権力機構・搾取機関と考えているかぎり、国家と個人、言い換えれば國権と人権は永遠にそして絶対的に相対立する関係となる。人権問題を考える場合、その根本において、人間とは如何なる存在であるのか、国家とは何かが、正しく把握されなければならない。

 

人間は絶対的にして永遠の宇宙大生命の地上における自己実現である。宗教的にいえば、人間は神の子であり佛の子である。そして、国家とは人々が共同して生活する精神的結合体である。ゆえに、人も国家も本来的には倫理的存在である。個としての人間は共同体なくして生きていくことはできないし、共同体は個としての人間なくして存立し得ないのである。歴史と伝統という縦(時間)の思想、共同体における共生という横(空間)の思想を回復しなければ個人も共同体も滅亡せざるを得ない。

 

天皇および天皇を中心とする国柄を(社会主義者の言う『天皇制』)を「差別の根源」として否定することは誤りである。歴史からも共同体からも切り離された個人は存在し得ない。歴史伝統の体現者であり国民統合の中心者を否定することが国家および国民の破壊をもたらすのである。天皇を中心とする国柄を守っていくことによって国民としての権利・生命・福祉・安全が真に守られ尊重されるのである。

部落解放運動の指導者・西光万吉氏は「高次タカマノハラの展開」と主張した。これは、高天原が天照大神を中心に八百万の神々が同胞として生活していたように、地上においても祭祀主天皇を中心として全国民が同胞として生活する理想世界の実現を目指すという思想である。これは、今日においても光を放つ思想である。わが国の伝統たる「一君万民」の思想そして「天皇の民」の自覚が、差別をなくし国民的和合を実現するのである。

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千駄木庵日乗二月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2016年2月15日 (月)

『文字の力・書のチカラー書の流儀』展を参観して

二月十二日に参観した出光美術館主催の『文字の力・書のチカラー書の流儀』展は、「『書』の世界は、多岐にわたっています。美術・芸術の場で飾られる作品ばかりでなく、文学・歴史・文化など各分野から手向けられる眼差しとも深く関わり合っています。一見、豊かに広がって見えるこの世界ですが、一般に『書』とは筆文字全般をさす用語として曖昧に理解されていることも確かです。本展では、このようにどこか混沌とした『書』の世界を新たな視点でとらえ直し、我が国における『書』の多様な魅力を探ります。テーマは『流儀』。書体、書式といった伝統的なルールの基本から、表現の特徴や書き手の思想にいたるまで、『書』のイロハと奥行きが実感できる会場をお楽しみ下さい」(案内書)との趣旨で開催された。

 

「筑後切 伏見天皇 鎌倉時代」、「中務(なかつかさ)集 傳西行 平安時代」、「鳳輩道上詩 木戸孝允 明治元年」、「禅院額字 選佛場 無準師範 中国・南宋時代 重要文化財」、「継色紙 伝 小野道風 平安時代 重要文化財」、「高野切第一種 伝 紀貫之 平安時代 重要文化財」、「水草下絵三十六歌仙和歌色紙 松花堂昭乗 桃山時代」、「笠置山詩 頼山陽 江戸時代」、「日課念佛 徳川家康 慶長十七年」「一行書 賓中主々中賓 江月宗玩 江戸時代」、「定頼集 藤原定家 鎌倉時代」、「高野切第一種 傳紀貫之 平安時代」、「和歌色紙 後陽成天皇 桃山時代」などを参観。

 

文字を書くという営為は、日常のことである。しかし、漢字平仮名カタカナは、美術作品としての価値を生む。わが国においては、カタカナ・平仮名という表音文字と、漢字という表意文字の両方を文字として用いている。表音文字だけの欧米諸国、表意文字だけの支那とはそこが大いに異なっている。情報量も多いし、表現能力が高い。そして、筆でそれを書き表すと、とても素晴らしい美を生み出す。それが書道藝術である。

 

上手な字と、下手な字、あるいは美しい字、そうではない字の違いは、見ればわかる。最近は、ワープロというものが発達して、文字を手書きで表現することが余りなくなった。私も、手紙・論文などはワープロで書くようになってしまった。しかし、夜寝る前に書く日記そしてその時に詠む和歌はさすがに手書きで書く。和歌をワープロで詠もうとすると、どうしても良い歌が出て来ない。不思議なことである。大学時代、書道専攻コースをとったが、卒業後、墨字を書く機会は減ってしまった。

 

今回の展覧会で興味をそそられた作品は、木戸孝允の「鳳輩道上詩」である。「掃尽千秋帝土塵 旭輝自与岳光新 東巡今日供奉輩 多是去年獄裏人」と書かれている。明治元年に書かれた「書」である。木戸孝允の「書」は初めて見たが、大変に力強く生き生きとに書かれている。江戸開城から半年を経た明治元年十月十三日、明治天皇が初めて江戸に行幸された折、供奉した木戸孝允がその感激を詠んだ漢詩であろう。私なりに訳してみると、「永い間の日本国の塵を祓い尽くし、朝日は輝いて富士山の光も新しい、東国への御巡幸が行われている今日、そのお供をする者どもの多くは、去りたる年には獄につながれていた人である」という意。

 

尊皇討幕の戦いに挺身した志士たちが、明治天皇に供奉して、江戸に向かっている。その人たちの多くは、幕府によって投獄されていた人々であると詠み、維新成就の喜びを烈烈たる感激で表白したのである。辛酸をなめた長州藩士たる木戸孝允の気迫が迫ってくる。見事なる書である。

 

一方、徳川家康の「日課念佛」という「書」は、「南無阿弥陀仏」という六字名号が書き連ねられている。慶長十七年に家康が日課として細かい字で書いたと言う。関ヶ原の戦いの勝利の後、そして豊臣滅亡の前の時期であり、家康がいよいよ天下の覇者になりつつある時の作品。どういう意図で書かれたのか。戦国の世に斃れて行った多くの人々の霊を慰めたのであろうか。自らの長寿と極楽往生を祈ったのであろうか。おそらく両方であろう。しかし、これは偽作という説もある。

 

徳川家康氏がまさに天下をわがものにする直前の覇者の「書」と、関ヶ原の戦いで敗れ、長い間逼塞を余儀無くされた長州藩の藩士・木戸孝允が、徳川幕府打倒の直後にその喜びを詠んだ「書」を同時に見ることが出来、深い感慨を覚えた。やはり書道藝術は素晴らしい。

 

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千駄木庵日乗二月十四日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、四谷のTKPスター会議室にて、『アジア自由民主連帯協議会・民主社会主義学習会』開催。中村信一郎氏(國體政治研究会代表幹事」)が「民主社会主義運動、その思想戦に末端で連なっての五十余年を回顧する」と題して講演。質疑応答。ペマ・ギャルポ氏が挨拶。

中村信一郎先輩とは、三十年来の「道の友」であり、「酒友」であるが、本格的な講演を聞いたのは今日が初めてである。同じ「社会主義」を標榜しても「民主社会主義」と「マルクスレーニン主義」とは全く異質であることを縷々論じられた。大変勉強になった。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2016年2月13日 (土)

靖國神社における戦没者への祭祀は古来よりの日本民族の道義精神の典型

靖國神社における戦没者への祭祀は古来よりの日本民族の道義精神の典型である。「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行はれている信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式に依っている。祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祀ることは、わが國の神話時代からの傳統信仰たる神社神道の祭式に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教団體による宗教行事ではない。

 

無宗教の國立追悼施設建設は、わが國傳統信仰である神社神道の祭式で戦没者を慰靈し追悼する事を否定し、明治天皇の大御心によって創建された靖國神社を形骸化することである。そしてそれは、天皇を祭祀主とする信仰共同體日本・祭祀國家日本を破壊することにつながる。まさに國體の根幹に関はる重大問題である。断固として阻止しなければならない。

 

戦没者に限らず、亡くなった方を慰霊し追悼するということが無宗教でできるわけがない。慰霊追悼は、人間が肉体だけの存在ではなく、永遠の命を持つ存在であるということが前提になる。つまり慰霊追悼という行いそのものが宗教行為なのである。無宗教の国立追悼施設・慰霊施設などいうのは論理矛盾であり、不可能である。

 

靖国神社の否定は、祭祀国家日本の否定に直結する。単に歴史観がどうとか、近隣諸国との外交関係がどうのといふ問題ではない。わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同體である。共同體としての日本國家と神社神道は本来一體なのである。それは決して教團宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

 

國家民族のために一身を捧げた護國の英靈を、わが國傳統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰靈し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどといふ批判は全く誤りである。靖國神社國家奉護が実現しない限りわが國の戦後は終はらないし、わが國は真の独立國家とは言へない。

 

國のために身命を捧げた人々の御靈を共同體信仰である神道祭式でお祭りする靖國神社を、國家が奉護し、政府の長たる内閣総理大臣が公式に参拝するのは当然のことである。

 

神道祭式・神社は、わが國の稲作を基本とする共同體の生成と共に生まれた。神道祭式は、國家といふ共同體と不離一體の関係にある。五穀の豊饒を祈り収穫に感謝する祭りは個人の宗教行為といふよりも共同體(村)全體の行事である。神社神道は共同體(小さくは家大きくは國家)と一體なのである。日本傳統信仰たる神道そしてその祭りの場である神社は、國・町・村・家といふ共同體と共に生まれ守られ続けてきたのである。

 

日本民族は、神に対して常に祭祀を行ってきた。祭祀=「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」といふ言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行ふ」「ものを献上する」「ものを奉る」といふほどの意である。

 

<敬神崇祖>といふわが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の<神祭り><祭祀>といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、さうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

 

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強く盛んに行はれてゐる信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。

 

世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる伝統宗教の儀式によってゐる。祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祭りを行ふことは、わが國の神話時代からの傳統に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教團體による宗教行事ではない。

 

わが国においては、わが國の傳統的神道祭式による慰靈・顕彰・鎮魂でければ真の戦没者への慰靈・顕彰・鎮魂にはならない。

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千駄木庵日乗二月十三日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き。母に付き添う。共に歌を歌う。

帰宅後は、資料の整理。

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千駄木庵日乗二月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、丸の内の出光美術館で開催中の『文字の力・書のチカラー書の流儀』展参観。

帰宅後は、原稿執筆など。

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『水―神秘の形』展参観記

一月二十二日に参観したサントリー美術館にて開催された『水―神秘の形』展は「水は、あらゆる生命の源であるがゆえに世界中でさまざまな信仰を生み、祈りの対象ともなりました。特に四方を海に囲まれ、かつ水源が豊かな日本においては、自然崇拝と相まって、水のもつ精神性が発展したようで、日本語に信仰背景があることを連想させる水の慣用句が多いことや、水による潤いが精神にも及ぶ発想があることに、一端が示されるでしょう。

さらに、祭器である銅鐸に流水文が表されることから、すでに弥生時代より信仰があったことがうかがえ、それが今でも続くことは、湖や滝がご神体として祀られることに見ることができます。また、龍宮城など、水にまつわる昔話が多くあることは、多岐にわたる信仰を映し出すでしょう。とりわけ、今でも日本各地に残る龍神信仰は、雨乞いと深くかかわるものであり、五穀豊穣ひいては鎮護国家に直結することから、時代を通じて信仰され、水の信仰の中核といえるものです。本展は、水にかかわる神仏を中心に、その説話や儀礼、水に囲まれた理想郷や水の聖地など、水を源とする信仰に根ざした造形物を、彫刻、絵画、工芸にわたって展観することで、日本人が育んできた豊かな水の精神性を浮び上がらせようとするものです。特に篤い信仰を集めた龍神は、国宝「善女龍王像(ぜんにょりゅうおうぞう)」など優れた造形性を有するものが伝わり、龍神の持つ神秘の玉―「宝珠(ほうじゅ)」に関する作例とともに、本展の見どころの一つとなります。若水を汲む新春に、清らかな水が生んだ神秘のかたちをお楽しみください」との趣旨で開催された。

 

『流水分銅鐸』(弥生時代)、『十一面観音立像』(長快作・鎌倉時代),『重要文化財孔雀経曼荼羅』(鎌倉時代)、『弁財天坐像』(鎌倉時代)、『石清水宮曼荼羅』(南北朝時代)、『蓬莱蒔絵手箱』(室町時代)、『高野四社明神像』(室町時代)、『日吉山王祇園祭礼図屏風』(室町から桃山時代)、『厳島天橋立図屏風』(江戸時代)などを参観。

 

『高野四社明神像』とは、高野山麓の天野神社に祀られる空海を高野山に導いた丹生神、高野神、三宮、四宮の四明神を言う。丹生神は天女形で団編を持ち、高野神は黒抱束帯で笏を持つ姿、三宮も天女形で払子を持ち、「四宮」の厳島明神は琵琶を持つ弁財天の姿となっている。

 

京都山科の四宮といふ所に、「四宮大明神」と言う祠があるが、琵琶の名手と言われ、琵琶法師の祖神とされる人康(さねやす)親王が御祭神である。人康親王は、仁明天皇の第四皇子であり、母は藤原沢子とする。通称山科宮。貞観元年、病気のために出家し、諸羽山の麓に隠棲した。「四宮」という地名は、親王が天皇の第四皇子である事に因むという説がある。隠棲の理由は両目の患いとされ、宮に盲人を集め、琵琶・管弦・詩歌を教えたと伝わる。親王は『伊勢物語』に登場する「山科の禅師親王」にあたる。琵琶を弾く神が琵琶湖に近い山科に祀られているのも何かの因縁であろうか。

 

弁財天は、インドの聖なる河であるサラスヴァティー河の化身であり水の霊力の象徴といはれる。近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになる。弁財天は、日本神話に登場する水の神・市寸島比売命(市杵嶋姫命。いちきひめのみこと)と習合した。市寸島比売命は、天照皇大御神が素盞鳴尊と誓約(うけひ)をされた際にお産れになった五男三女神の一柱である。厳島神社の御祭神である。また、神戸の四宮神社にも祀れている。弁財天は「四宮」に関連があるのは確かである。

 

日本は、山紫水明麗しいという言葉があるように、清らかな水が豊かなる国である。水道の蛇口から出る水を温めもせずにそのまま飲むことが出来る国は日本以外にあまり無いのではないか。日本民族は、豊かにして清らかな水の恩恵を蒙って来た。だから、水の神を崇めるのは自然の成り行きである。インドから伝えられた水の神が日本の水の神と習合した。それが弁才天である。七福神の一神となり、「弁財天』と書かれるようにもなり、財福の神として崇拝されている。

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2016年2月11日 (木)

わが國は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ、どう対処すべきか

 

今後、わが國は朝鮮半島に対して如何に向き合ひ、どう対処すべきかについて、葦津珍彦氏は次の如くに論じてゐる。

 

「日韓両民族が、一視同仁の聖天子の兄弟たるべき時代は消え去ってしまった。…仲のわるい隣邦の外國人にすぎなくなった。日本人の道義も失はれ、金権の外に考えない気風に汚染されている。韓國人は自ら國を亡ぼしてしまった歴史を、ことさらに抹殺して、日本をただ悪者にして、公正の歴史をゆがめて、対日請求のやくざ集団のような思想にとりつかれている。ここでは、はっきりと日韓は別國とわり切って、冷徹な國家対國家の國際公法の『理性』に立ち、相和すべき理があれば和するが、対決すべき理があれば同志を拒否し対決するとの原点に戻って、初めから、出直す外にあるまい。その対等対決の中から、自らにして兄弟の情のわき出るを切望するが、心にもない特殊、非情理な、拵え事のだらだら回想情操論は一旦打ち切った方がいい。今の條件で日本天皇と親しむ者には親しみ、敵対する者には敵対するがいい。異國人相手の交際からの出直しだ」(『朴鐡柱君悲痛の生涯』・「朴鐡柱大人を偲ぶ」所収)

 

全く同感である。日本と韓國とは近親でも身内でもない。異文化・異民族であることを正しく確認すべきだ。当たり前のことだが、日本と韓國とは別の國であり別の民族である。地理的には近隣でも文化的・民族的には決して近隣國家ではない。

 

また、アジア・東洋で一括りにすることはできない。アジア諸國家・諸民族には文化・歴史・宗教などに大きな違ひがある。それぞれ個性がある

 

近年、「東アジア共同体」といふ考へ方が唱へられてゐる。全世界の國家がさうであるやうに、東アジアにおいても大陸國家と半島國家・海洋國家とに分けられる。支那は大陸國家であり、朝鮮は半島國家であり、日本や東南アジア各國は海洋國家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島國家であると言ふ。大陸國家・半島國家・海洋國家が「共同体」を形成することはきはめて難しいといふか、不可能に近いと考へる。 

 

日本と支那が「共同体」を形成するといふことは、日本が大陸との関係を今日以上に深めるといふことである。これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。今日言はれてゐる「東アジア共同体」に日本が積極的に関与するのは、きちんとした國家戦略を確立しないままに、無原則に支那大陸に深く進出して行った戦前のわが國の過ちを繰返すこととなると考へる。

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千駄木庵日乗二月十一日

午前は、諸雑務。

午後、新宿駅西口駅頭にて開催された「建国記念の日奉祝街頭宣伝活動」に参加。同志とともに演説を行う。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。有り難し。

夕刻、谷中にて、幼馴染ご夫妻と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、送付。

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紀元節の意義

 二月十一日は「建国記念の日」である。正しくは「紀元節」である。皇紀元年は西暦紀元前六六〇年にあたる。本年は皇紀二六七六年である。この日にこそ、我々は正しき国家観を考え、日本国を道義国家として新生せしめねばならない。

 

 永遠の維新を繰り返す日本国は永遠に不滅である。而して、我々の目指す維新とは、国家の日本的変革である。

 

 権力国家としての側面のみになってしまっている国家の現状を改革し、天皇中心の信仰共同体としての国家を回復せしめることが今日における国家変革即ち維新なのである。

 

 麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科学技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。こうした状況を打開するには、真に生命を尊重する精神を国民一人一人が保持しなければならない。

 

 そのためには日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復することが大切である。

 

 戦後七十年間、、物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本国民の頽廃を救うには、日本の伝統精神・国家観・人間観を回復する以外に道はない。

戦後において、「個の尊重」とか「人権」ということが叫ばれ、ともすると国家を邪魔なもの悪いもの人権を侵害するものという考え方が横行するようになっている。しかし、人間は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。

 

「人」というものはだから自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 国家が人間の生活を守り発展させる有機体(生き物)であるという側面と、国民を圧迫し束縛する側面を持つことも確かである。

 

 一定地域で共同生活を営む人々の数が増加すると、共同生活の場である国家が巨大化する。特に近代産業国家は規模が大きく仕組みが複雑になる。すると、それにともなって国家を運営するために必要な国家権力というものも肥大化する。肥大化するだけでなく、国民を抑圧し圧迫するものとなる場合がある。また、他の国家との闘争・戦争を行う場合もある。また、そこに生きる国民同士の衝突も起こる。

 

 しかしだからと言って、国家を否定することはできない。むしろ、国家の悪しき側面をできる限り押さえることが大切になってくるのである。そのためには国家はただ人間の共同生活を営むための装置・権力機構であるという考え方を持たないことが大切なのである。

 

 人間が共同生活を営む国家という共同体には、「精神的共同体」という側面と「利益共同体」という側面がある。「精神共同体」とは共同生活を営む人間がお互いにいたわり合い助け合い愛し合い信じ合うという精神的「結び」によって成立する共同体と言っていい。一方、「利益共同体」とは人間が物質的・経済的な利益を共同して獲得し分配する共同体と言っていい。

 

 人間自身にも、精神的なやすらぎや信頼や安穏や道義精神を追い求める側面とともに、物質的利益や肉体的快楽を追い求め悪事を行う側面があるのと同じである。

 

 また、人間というものは残念ながらお互いに愛し合い信じ合い協力し合うだけではなく、他人より優位に立ちたがり、他者を憎み闘争し果ては殺し合うこともある。

 

 こうしたことを抑制しつつ国家という共同体を秩序あるものとして成り立たせるには、強制力を持った権力機構が必要になって来るのである。

 

 ただし、この権力機構もその存立の基本をただ「力」に置くだけでなく、道義的正統性というものがなければならない。それは国家の尊厳性と言い換えてもいい。それがないとただ国民と対立する暴力機構と化してしまうおそれがある。

 

 ともかく、国家も人間と同様に、できる限り、利益追求のみに走らず、共同の道義精神に基づく立国(国の成立)につとめるべきである。そして、ただ利益のみを追求する営利至上主義国家ではなく道義国家の確立を目指さなければならない。

 

 本来の国家とは単なる力の支配装置ではなく、その基礎にはその国に生きる国民が等しく正しいと信ずる価値・精神的道統というものがなければならない。

 

 「くに(国)」という言葉がある。「国のために尽くす」とか「国を愛する」という場合の「国」とは、「精神共同体」=道義国家たる「国」である。一方、「国に税金を取られる」とか「国に対して訴訟を起こす」という場合は「権力機構」としての「国」である。

 

 今日この「国」という言葉が非常に混乱して使われている。「大して国民のためにもならないのに沢山の税金を取るような国、国民から訴訟を起こされるような国を愛することは出来ないし、そんな国に尽くすことは出来ない」という考えを持つ人がいる。

 

 しかしこれは「国」というものを混乱して考えているのである。我々国民が愛するべき国、尽くすべき国とは、単なる権力機構でもないし利益共同社会でもない。信頼と正義と愛と真心によって結ばれた精神的道義的共同体なのである。

 

 現代日本の多くの人々は、愛国心を喪失し、自分さえ良ければ他人はどうなってもいいなどという利己的な精神に冒されたかに見える。そうした文字通り「亡国的状況」を是正するためには、正しき国家観の確立が行われなければならない。

 

 幾億人と存在する人間というものにもそれぞれ個性があるように、国家というものも、世界の多くの国々にはそれぞれに個性があり特殊性がある。

 

 日本という国には民族的個性がある。と言うよりもむしろ民族的個性を離れては国家は存立し得ない。日本という国そして日本人という民族の主体的歴史性、風土、信仰精神の意義を正しく把握してこそ、正しき国家観を持つことができるのである。

 

 人間の道義精神・道義に則った生活の実現も、そして道義国家・人倫国家の回復も、抽象的な「人類普遍の原理」などによって為され得るものではない。道義精神は、それぞれの国の歴史伝統・民族信仰の中から培われるものである。

 

 倫理・道義とか信仰精神というものは、それぞれの民族精神としてのみ表現されてきている。民族的歴史性・個性を通して表現されない普遍の原理などというものはありえない。たとえあると錯覚しても、それは抽象的な観念に過ぎない。その意味において「人類普遍の原理」だなどと言って欧米民主主義思想を基本原理としている現行占領憲法は無国籍憲法なのである。そもそも道義精神や政治思想には「人類普遍の原理」などというものはあり得ない。 

 

 宗教上の神や仏もそれぞれの宗教教団やそれぞれの宗教の発生した地域の特殊な個性ある神・仏として信じられてきている。ユダヤ教・キリスト教・回教という一神教ですらそれぞれ個性ある神となっている。仏教も日蓮宗・浄土宗・禅宗等々それぞれ個性ある仏を拝んでいる。

 

 日本という国家には日本の長き歴史の中から生まれてきた立国の精神というものがある。

 

 日本という国は、日本民族の生活と自然環境・風土の中からの生成して来た。日本民族の生活の基本は稲作である。日本人の主食は米である。

 

 稲作に欠かすことのできない自然が太陽であり大地である。その太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は国津神として祭られた。また稲穂そのものも神の霊が宿っているものとして尊んだ。

 

 天照大神をはじめとする天津神・国津神および稲穂の霊をお祭りされ、国民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主が、「すめらみこと」即ち日本天皇であらせられる。

 

 そして天照大神は太陽神であるのみならず、天皇の御祖先でるあると信じられた。天照大神は「日本国に沢山稲を実らせなさい」という御命令を与えられてその御孫神であられる邇邇藝命を地上に天降らせられた。その邇邇藝命の御子孫が神武天皇であらせられ、大和橿原の地に都を開きたまい、初代天皇に御即位あそばされた。その年から数えて今年は二六七六年なのである。

 

 『教育勅語』に示されている「皇祖皇宗」の「皇祖」とは、天照大神及び邇邇藝命の御事であり、「皇宗」とは神武天皇の御事である。 日本国家の存立の精神的中核はこのような信仰精神にあり、日本という国家は天皇を祭祀主とする信仰共同体なのである。ゆえに日本国は天皇国といわれるのである。

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2016年2月10日 (水)

千駄木庵日乗二月十日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、大塚地域文化創造館にて。「萬葉古代史研究会」開催。小生が笠金村などの歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十二号 

オピニオン雑誌『傳統と革新』第二十二号 

たちばな出版発行(四宮正貴責任編集) 定価本体1,000円

特集 歴史戦」に如何に立ち向かうべきか

―中国韓国からの圧迫と恫喝に勝利する道―

巻頭言 「歴史戦勝利への道」                        四宮正貴

〈インタビュー〉

この国を「徳高き国」に 自信を持てる国としてのグランドデザインを明確にすること

                                 下村博文 

歴史戦と国際経済競争に打ち勝つ――カギを握るのは「教育」と「安全保障」だ  八木秀次

 

歴史戦争に勝つためには〝謝る外交〟を絶対にしてはならない          筆坂秀世 

我が国の安全保障、平和・独立を考える(後篇)                百地 章

〈論文〉

主権国家なら当然保有する権利――それが集団的・個別的自衛権である

「佐藤優の視点」歴史認識と慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決       佐藤 優 

歴史戦――それは言うまでもなく「戦争」だ                  西村眞悟

中国の膨張を抑え込む戦略を                         田村秀男 

中国、韓国の「歴史認識」の嘘を突き破れ                   宮脇淳子 

「最終的かつ不可逆的な解決」で合意した、慰安婦問題            阿比留瑠比 

「歴史戦」の王道                              茂木弘道 

サイパン・テニアン慰霊の旅で考へたこと                   本間一誠 

国体から見た大御心と臣民の道―国體政治研究會 講演録―            田尾憲男 

「東亜百年戦争」史観を発信せよ                       坪内隆彦

《直言・提言》

「沖縄の真実が報道されない」という真実                   長尾 敬 

歴史戦に終止符を打つ環境が整ってきた                    大西宏幸 

歴史戦にどう立ち向かうべきなのか                      宗清皇一 

転換期だから為政者に歴史観を求める                     松崎哲久

《連載》 

米国の東アジア戦略に乗った「日韓合意」でよかったのか?           木村三浩 

『やまと心の歌』                            千駄木庵主人 

〈石垣島便り⑯〉沖縄の防衛強化や基地問題で考える、県民の総意ってなんだろうか 

 中尾秀一 

我が体験的維新運動史第二一回 熱い議論を重ねた「維新公論会議」のこと  犬塚博英

編集後記

 定価 本體価格1000円+税。 168頁

〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 

四宮 正貴さんの写真

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萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會 

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 二月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

東京都豊島区南大塚二-三六-一 〇三-三九四六-四三〇一 「東京メトロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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この頃詠みし歌

 

母上が家に帰らうとつぶやくを聞くは悲しく切なかりけり

無愛想なあるじの店に今日も行き煮込みを食すは面白きかな

灯の消えし店の前に立ちて読む閉店の挨拶は悲しかりけり

消え残る雪を踏みしめ歩みたり冬といふ季節を確かめるごとく

待ち合はせし水道橋の改札口昭和の日々の面影残す

破邪顕正か売り上げ増加かは分からねど不正追及の週刊誌讀む

朧月の下に輝くスカイツリー東京の夜は美しきかな

神の齋(いつ)く島に詣でし思ひ出は海中に立つ朱色の鳥居(厳島神社)

水清き大和島根に今日も生きわが身も清くあらまほしきかな

雪が降る外出控へろとNHKが放送するを疎ましく聞く

わが部屋より見ゆる景色は建ち続くビルに次々と狭められゆく

幼子の如くにならねば入り行けぬ天国といふは何処に在りや

今此処がこのまま天国浄土なりと教へられたり原宿の地で

夜が明けて朝日が昇り甲斐の國の山々美しく照り映えにけり

『武田節』の歌詞の通りに甲斐の國の山々は日に照り映えてをり

父と二人で木戸の修理をする夢を見ぬ健やかなその面影恋し

神ながら靈(たま)ちはへませと唱へつつ祈りは終る朝の神前

静かなる時をいとしみ過ごす夜 筆の音のみさらさらと鳴る

わが魂の底よりほとばしり出る力 強く保ちて今日を生きなむ

若き友と酒酌み交はし語らへる時ぞ楽しき神保町の夜

反戦だ護憲だ平和だと言ふ声は祖国を敵に売り渡す声

アメリカに押し付けられし憲法を護れと言ふは反米主義者

シャワー浴びすがしかりければそのままに暫く座して目を閉じてゐる

鏡見てまだ若いなあと思ふ時少し幸せな気分になりぬ

春浅き丘の上なるみ寺にて護摩焚き祈る節分会かな

過ぎし日に父母と連れ立ち参り来し菩提寺に今日は一人来たりぬ

父の眠る墓を磨きて春立ちぬ

たらちねの母は今日も笑顔にて我を迎へる施設の小部屋

鬼は外と大き声出し豆を撒くこの世の憂さを吹き飛ばす如く

施設暮らしを嘆く言葉を聴くことが何よりつらき母の子われは

父に似たるわが顔を鏡で見るたびに父を思へり父の子われは

うつせ身は何時この世から去り行くか分からねど強く今を生き行く

鷹といふ鳥の姿を見しことなく都に生きて雀見てをり

ベランダにカラス来たりてすぐ去りぬ好きになれざる鳥なればこそ

妻も無く子も無く七十歳になることを致し方なしと肯ひてゐる

太陽に祈る朝(あした)に冬の光 われにさし来て力湧き来る

わかき夫婦の営む店で楽しくも語らひにつつ白飯(しろいい)を食す

慶喜公の曾孫が語る慶喜論 歴史の秘話と言ふべかりけり

乃木坂の乃木会館で乃木會の講演を聞く冬の日の午後

肥満体で青山通りを歩み行くわが目指すビルはまだまだ遠し

帰り来しマンションの廊下に靴が鳴り一人居の部屋に入り行かんとす

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千駄木庵日乗二月九日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。機嫌良し。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2016年2月 9日 (火)

維新運動とは、神代への回帰である

道義心・祖国愛喪失の原因の一つは、七十年以上も昔の戦争の後遺症がますますひどくなっているところにある。

 

戦後日本の国民は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている。親孝行も愛国心も義理も人情も全て、旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が、今日の亡国的状況をもたらしたのである。つまり履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が横行しているところに今日の混迷の根本原因があるのである。

 

戦後のわが国を弱体化せんとして押しつけられた亡国憲法、偏向教育と低俗にして偏向したマスコミこそが、今日の凄まじいまでの亡国的状況の元凶である。

 

また、「戦後」という言葉が七十年以上も続いている国は日本以外にない。わが国は、「大東亜戦争は日本の侵略戦争だった。だから日本を負かしたアメリカやソ連の言いなりになっているのがいい」という「戦後意識」にさいなまれ続けている。もういい加減にこうした「戦後意識」を払拭しなければ駄目である。戦前の日本は悪いことしかしてこなかったという「歴史認識」を根本的に改めるべきである。

 

ただし、戦前の日本が理想国家だったとしいえない。むしろ、現代日本の混迷の根源にあるものは、近代以後のわが国が近代かを急ぐあまり、日本の道統を軽視し、欧米思想・文化・制度・科学技術を優先し過ぎた結果である。日本の近代化には根本的な欠陥があった。それが近代以後今日までの日本に大きな悲劇と混迷をもたらしてゐると思ふ。明治初年の科学技術偏重・精神教育軽視・傳統の隠蔽が近代の日本に大きな悪影響をもたらした。唯物思想・営利至上主義は戦後だけの現象ではなかった。

 

形而下の現象だけを対象とする科学技術には限界があるそれを是正する精神文化を大切にしなければならない。

 

近代日本は、國家神道が國教になり、國民は國家神道によって洗脳されていたかの如く主張する人がいるが、明治の文明開化から大正、昭和の日本は、真の意味の神を見失った日本だったのではあるまいか。近代日本そのものが大きな矛盾を含んでゐたのである。

 

林房雄氏は「年毎に教師に引率されて県社に詣で、聯隊の招魂祭の庭に整列することは知ってゐるが、神官の祝詞を聞けば、必ず笑ひ出す中學生が出来あがった。神は失はれたのである。日本を讃へ、日本の神に祈る荘厳にして敬虔なる言葉が、この中學生たちには、全く異國語の如く、更には笑ひの神経のみをくすぐる阿呆陀羅経に聞こえた。…まことに不可思議なる時代、否俗劣極まる時代である。だれを責めようか。…糾弾すべくんば、かかる教師を生み、かかる生徒を育てた日本そのものをである。」(『勤皇の心』・昭和十七年)

 

戦前の日本も、國民の多くは日本の神を見失ひ神話の精神を喪失してゐたのである。でなければ、地方の疲弊・農業の衰退そして社會主義革命思想の流入が起こるはずがなかった。明治天皇が『戊申詔書』を発せられる必要もなかった。また、大正維新運動・昭和維新運動も起こるはずかなかった。維新運動とは、神代への回帰である。近代の超克とは神への回帰であった。

 

神靈への信即ち造化の三神を無視し否定した國體精神・日本主義は真の國体精神・日本主義ではない。根本を無視したこうした考え方が祭祀國家・皇道國家の本姿をくらませたと言い得る。そして神道精神は純粋ではない歪められた形で鼓吹された。これが近代日本の大欠陥である。こうした状況から脱却するには、国民一人一人の道義精神を回復する以外にない。

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千駄木庵日乗二月八日

午前は、諸雑務。

午後二時より、渋谷の日本文化チャンネル桜にて、『闘論!倒論!討論!2015日本よ、今・國體論と戦後日本』収録。荒谷卓(明治神宮至誠館館長)、小堀桂一郎(東京大学名誉教授)、澤村修治(評伝作家)、田中英道(東北大学名誉教授)、馬淵睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)の各氏と討論。司会は水島総日本文化チャンネル桜代表。大変勉強にもなり有意義な討論会であった。二月十三日午後八時より放送予定。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。、

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2016年2月 7日 (日)

大化改新とは天皇中心の國體を回復する大変革である

大化改新は、皇極天皇の御代に断行された大変革であり維新である。中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足(後の藤原鎌足)と図って、蘇我氏を滅ぼして、天皇中心の國家体制を確立した。これは、古代における最大の変革にして國史上最初の大変革である。変革の柱は、制度的には、諸豪族の私有地・私有民を廃して、公地公民制とすることであった。

 

しかし、それはあくまでも制度の面においてであり、大化改新の指導精神は、『天壌無窮の御神勅』に示された「天つ神の御子がこの日本國を統治したまう」という天皇中心の國體の真姿を回復することにあった。

 

皇極天皇元年(六四二) 正月、敏達天皇の曾孫である宝皇女が即位して、皇極天皇となられた。この時、皇極天皇は四十九歳であられた。しかし、皇極天皇の御代になってから、蘇我氏は益々その権力を強めた。蘇我蝦夷は錦に縁取られた紫冠をその子・入鹿に贈った。聖徳太子の定められた冠位十二階を無視した振る舞いである。これは私的に大臣の位を譲ったことになり、天皇の権威を蔑ろにした行為である。

 

また、蘇我蝦夷の墓を大陵、その子の入鹿の墓を小陵と称させたりした。そしてその墓造りに聖徳太子の乳部の民(みぶのたみ・御子の養育の奉仕した人々)を使った。

 

同年十月、病気になった蘇我蝦夷は、天皇の御承認を得ず、独断で息子の入鹿に大臣の身分をあらわす紫の冠をかぶらせた。

 

これに対し、聖徳太子の王女であられる上宮大娘姫王(かみつみやのいらつめのみこと)は、「天に二つの日無く、國に二の王無し。何に由りてか意の任(まま)に悉くに封せる民を役(つか)ふ」と批判された。また、民たちも蘇我氏の横暴に反感を持ち、山背大兄皇子に同情を寄せた。

 

蘇我蝦夷の息子・入鹿はこれを不快に思い、聖徳太子の一族への反発心を強めた。入鹿は父親以上に権勢欲の強い人で、山背大兄皇子が多くの人々に慕われていることを妬んだ。ともかく、聖徳太子の理想を追求される山背大兄皇子が蘇我氏にとって邪魔だったのである。

 

そして、舒明天皇と馬子の娘法提郎媛(ほてのいらつめ)の間にできた古人大兄皇子を、皇極天皇の次の天皇に擁立する計画を立てた。そして山背大兄皇子を亡き者とする決意を固めた。

 

十一月一日、蘇我入鹿は、巨勢徳太などを差し向けて山背大兄皇子を斑鳩宮に襲わせた。不意をつかれた山背大兄皇子は、いったんは生駒山に逃れたが、「自分が蘇我氏と戦われると苦しむのは民衆である」と言われ、すでに焼け落ちた宮殿の近くにある斑鳩寺に帰られ、皇子一族二十五人は、自経(自らくびること)して果てられた。その時、空には五色の幡、蓋が翻り、伎楽の舞が見られたと、人々は伝えている。きっと諸天諸仏が山背大兄皇子の<捨身無我>の行動を喜ばれたのだと人々は噂したという。これにより聖徳太子の子孫は滅びてしまった。

 

皇極天皇四年(六四五)六月、中大兄皇子によって、蘇我蝦夷・入鹿父子が誅殺された。中大兄皇子は、舒明天皇を御父とし、皇極天皇を御母とした皇子であらせられる。皇子は、幼い頃から、蘇我氏の専横に憤りを感じておられた。山背大兄皇子一族が蘇我氏によって滅ぼされる事件を見て、何としても蘇我氏を打倒しない限り、天皇中心の國體を護ることは出来ないし、日本の國づくりはできないと判断され、蘇我氏誅滅を決意されたのである。

 

まず、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)において、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を誅殺し、ついで蘇我蝦夷を攻め滅ぼした。これはまさに劇的な大事件であった。

 

蘇我氏の専横は、崇峻天皇の弑逆、山背大兄皇子一族の殲滅など、その極に達していた。大化改新は、蘇我氏という悪逆無道の逆族を滅ぼして、天皇中心の國體を明らかにすることがその根本目的であった。それは聖徳太子の『十七条憲法』の精神の継承でもあり、実現でもあった。 

 

それは、大化二年の中大兄皇子の奏言(天皇に申し上げる言葉)に「天に双の日無く、國に二の王無し。是の故に天下を兼併して萬民を使ひたまふべきは、唯天皇のみ」(『日本書紀』)と示されていることによって明らかである。

 

一方、対外関係も、支那大陸において中央集権的な唐が成立し、その対外進出政策が顕著になり、朝鮮半島において新羅勢力が勃興し、わが國は極めて危険な立場に立つことになった。まさに内憂外患交々来るといった状況だったのである。それは幕末・明治維新期と相似である。そればかりでなく、今日唯今の日本の状況とも酷似している。

 

大化改新は日本建國以来最初の大きな國家変革である。そして大化改新以来今日まで日本の國家変革は、後鳥羽上皇による北条氏討伐の御行動も、建武中興も、明治維新も、そして昭和維新運動も、「天皇中心の國體の明徴化」言い換えれば「天壌無窮の御神勅への回帰」「神武建國への回帰」がその基本であった。

皇極天皇四年六月十九日、天皇及び皇太子(中大兄皇子)は、大槻樹下に群臣を集めて、次のように天神地祇に誓われた。そして、年号を建てて、大化元年とした。

 

「天覆ひ、地載せて、帝道(きみのみち)は唯一なり。しかるに末代澆薄(すえのようすら)ぎて、君臣序(ついで)を失へり。皇天、手を我に仮()し、暴逆を誅し殄()てり。……自今以後、君に弐(ふたつ)の政(まつりごと)無く、臣は朝(みかど)に弐(ふたごころ)あること無し。」

 

これはまさに聖徳太子『憲法十七条』の「詔を承けては必ず謹め、君をば天とし、臣をば則ち地とす」「國に二君なく、民に両の主無し。率土の兆民、王を以て主と為す。所任(よさせ)る官司は皆是れ王の臣たり」の御精神を受け継いだものである。

 

大化改新以前は、各豪族(氏上)もまた「君」であり、天皇はその氏上を統合する「おおきみ」(大王)であらせられたのであるが、天下に君たるお方は天皇ただお一方であるという、神代以来の一君萬民の國體のあるべき姿を明らかにせられたのである。

 

さらに重要なのは、大化改新において、「公地公民制」が採用されたことである。諸氏族の私領私民に対して氏上が君たることの否定であり、私領私民の否定である。これは、一君萬民の國體が明らかにするための当然の変革である。

 

これらの変革は、明治維新における徳川幕府打倒・廃藩置県と同じである。大化改新後、時間が経過して武家社會になると、この大化改新の精神が忘却され隠蔽されて、各地の武将・大名を「君」と仰ぐようになるのである。

大化改新はただ聖徳太子の御精神を継承し実現しただけではなく、神代以来の天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体としての日本國の本姿を顕現せしめた変革であった。

 

蘇我氏討滅直後、政治をいかにするかという事を群臣が協議し、先ず神祇を祭り鎮めて後に政治を議すべきであるとの結論に達した。

 

そして、大化元年八月五日に、孝徳天皇が、東國等國司に与えられた『勅語』に、「天つ神のうけよさせたまひしまにまに、今始めて将に萬國を修めむとす」と示されている。

 

和辻哲郎氏は、「この考えは、聖徳太子の憲法にはあらわれていない。従って、大化の改新が、内容的に太子の憲法を実現するものであったとしても、なおここに第一期の伝統的精神と力強く結びつくことによって、強い実践力が生じたのである。」(日本倫理思想史)と論じておられる。和辻氏のいう「第一期」とは古代祭祀社會のことである。

 

この『勅語』の御精神は、神代以来の現御神(あきつみかみ)信仰を高らかに宣せられているのである。言い換えると、日本神話の精神への回帰が大化改新の根底あったということである。

 

さらに、大化改新後の「詔」は「明神御宇日本天皇」(あきつかみとあめのしたしらしめすひのもとのすめらみこと)というお言葉で始まっている。これは、日本神話の精神・「天壌無窮の御神勅」の御精神を体した御言葉である。

 

さらに、大化改新後に制定された公式令で、重大事に関して外國の使いに詔を与える場合には、「明神御大八洲天皇詔旨」(あきつかみとおおやしましろしめすすめらみことのみことのり)と書き出すべきことを規定した。

 

日本天皇の國家統治は、『天壌無窮の御神勅』に示されているように、天つ神の生みの御子(現御神)が豊葦原瑞穂國(日本國)を統治されるのである。天皇中心の國體とは実にこのことなのである。

 

大化改新はただ単に、蘇我氏を打倒して、聖徳太子の御精神の継承し実現した変革ではなく、神武建國への回帰であり、さらには、『天壌無窮の御神勅』に示された日本國體精神の実現であったのである。

 

この神聖なる天皇の権威を基として國家変革が推し進められたのが大化改新である。だからこそ、祭祀と政治とが一体となり、地方的集団を全國的に一つにまとめ、全國を一つの國土、全國に住む民を公民とするという未曾有の変革が断行し得たのである。

 

今日の日本も、改革とか政治変革が叫ばれてきたが、益々日本國は混迷を深めている。制度ばかりいじくり回しても國家を救うことは出来ない。

 

「本立って道生ず」という言葉があるが、根本の道が立てられていなければ改革は実現しない。維新とは天皇中心の國體の明徴化によって現実の國家を変革することである。國體明徴という「本」を立ててこそ真の変革が断行できるのである。

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千駄木庵日乗二月七日

午前は、諸雑務。

午後二時より、赤坂の乃木会館にて、『中央乃木會主催講演会』開催。加藤司郎宮司が挨拶。徳川康久靖国神社宮司(徳川慶喜徳川幕府第十五代征夷大将軍の曾孫)が「大阪城ディナー」と題して講演。質疑応答。

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講演する徳川康久氏

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、明日の討論の準備など。

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2016年2月 6日 (土)

昭和天皇の御遺徳をお偲びして

わが国は大東亜戦争という正義の戦いに敗北した後、戦勝国によって日本弱体化政策が行なわれました。戦後七十一年を経過して、その日本弱体化政策が、花開き、実を結んでいる状況を呈しているのが今日の日本の体たらくなのです。これを何とかしなければ日本は滅びます。すでに神代以来の道義国家・神聖国家日本は滅びつつあると言わなければなりません。

 

戦後日本は、戦勝国の「日本つぶし」の嵐の中にあっても、たくましくそしてしたたかに生き抜き、経済復興を立派に遂げてきました。この戦後日本復興の原動力は、つねに日本国民の幸福を願われてきた昭和天皇の大御心であります。そして、戦前・戦中を生きぬいて来られた多くの先人・先輩の方たちの血と汗のにじむご努力をお蔭です。このことを私たちは忘れてはなりません。

 

昭和天皇様は終戦直後次のような御製を詠まれて国民を励まされました。

 

「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」

 

 敗戦の悲しみ・苦しみを降り積もる雪に喩えられ、松の緑が雪に覆われても色を変えないで雄雄しくしているように、日本国民もどのような困難に遭遇しても、くじけることなく雄雄しく生きていくことを望む、という大御心を示したもうたのであります。有難き限りであります。

 

 今日、日本国が存在し、日本民族が生きているのは、実に昭和天皇の仁慈の大御心によるのであります。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦う道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救いたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下されたのであります。あのまま戦争を続けていたなら、本土が戦場となり、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたでありましょう。それを救われたのが昭和天皇なのです。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならないと思います。 

その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のように歌われています。

 

「爆撃に たおれゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも」

 

「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたおれゆく 民をおもひて」

 

「国がらを ただまもらんと いばら道 すすみゆくとも いくさとめけり」

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、というまさに神のごとき無私のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのであります。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の御本質を仰ぐ事ができるのであります。

 

 さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌われていることです。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいという、建国以来日の浅い普通一般の国家ではないのです。日本独自の国柄すなわち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體というものが正しく継承されていなければ日本国とは言えないのです。

 

天皇中心の日本國體とは、天皇が政治的支配者として国家権力の頂点に立つ国家のあり様という事では断じてありません。信仰的共同体としての日本の精神的中核の御存在であられる天皇、祭祀国家日本の祭祀主としての天皇を、上に戴いた長い歴史と伝統を持つ国柄のことをいうのであります。

 

つねにご自分を無にして、国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇は、権力や武力で国家・国民を支配と従わせるという覇者ではあらせられず、祭祀主としての信仰的権威と御徳によって国民をしろしめしてこられたのであります。この「しろしめす」とは国民の意志や希望をよくお知りになるという意味であります。わが国は、天皇を中心として発展し統一を保ってきた国であります。

 

たしかに領土も国民も主権も大切です。しかし、日本のように三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら、たとえ領土と国民と主権が維持されても、日本は日本でなくなるのです。長い歴史と伝統を持つ国家とは本来はそうしたものなのです。

 

 昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌いになったのは、このかけがえのない日本国の國體が護持するために、たとえどのような苦難があろうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝察します。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌われていることで明白です。昭和天皇は、たとえ自分か退位させられても、あるいは戦犯として処罰されても、天皇中心の国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのであります。有難き限りであります。

 

終戦の年の九月二十七日に、昭和天皇はマッカーサーをお訪ねになり、「私は、国民が戦争を成し遂げるにあたって、政治、軍事の両面で行なったすべての決定と行動に対する、全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁きにゆだねるためにお訪ねした。日本国民は現在、飢餓に瀕している。もうこれ以上日本国民を苦しめないでもらいたい。米国に是非食糧援助をお願いしたい。皇室財産の有価証券類を持参したので、その費用の一部に当ててもらいたい」と申されました。

 

このお言葉にマッカーサーは「骨のズイまで揺り動かす」(マッカーサー自身の言)ほどの感動を覚え、占領政策に大きな影響を与えました。そして食糧援助が行なわれるようになったのです。実に戦争直後、国民が飢えから救われたのは、ご自分を無にして国民を思われる昭和天皇の御行動によるのです。

 

マッカーサーは後年、昭和天皇を讃嘆して「私ははじめて、神のごとき帝王を見た」「天皇陛下こそ新日本の生みの親である」と語っています。

 

このように、天皇によって日本は救われたのです。日本国及び日本民族が今日あるのは、これは歴史の真実です。

 

日本は、天皇中心の國體を護持しさらにその本当の姿を顕してこそ、正しく発展していく事が出来るのです。昭和の歴史だけでなく、元冦や明治維新など、これまで幾度か起った大きな国難の歴史を見てもそれは明らかです。 

 

経済的・物質的に復興を成し遂げた日本も、今日、民族の誇り・日本人の心を失ってしまいました。天皇・皇室への尊敬の心も希薄になってしまいました。そして、その結果として、今日、政治は混乱し、経済は停滞し、教育は荒廃し、外圧の危機は高まっております。それは有史以来未曾有の危機と言っても言い過ぎではありません。

 

こうした状況を打開するためには、日本國體の真の姿を正しく明らかにする以外にありません。わが国には、国家的危機を伝統精神の復活・國體精神への回帰によって乗り越えてきた歴史があります。今日唯今もそうした時期にあると確信します。

 

 

 

 

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千駄木庵日乗二月六日

午前は、諸雑務。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。阿部純一氏(霞山会理事・研究主幹)が「習近平の軍事改革」と題して講演。質疑応答。奥野誠亮先生がお元気に出席された。

この後、施設に赴き母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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第五十九回日本の心を学ぶ会


テーマ 「日韓関係を考える」

昨年12月に慰安婦問題について日韓両政府の間で合意が成立しました。
こう着状態だった両国の関係が進展するとして各種メディアはこの合意を歓迎する論調で報道しております
しかし両国とも本音では不本意な合意であったようです。

韓国では日本大使館前でこの合意の破棄を求める集会が開かれ、日本側の10億円が供出される前提である慰安婦像の撤去についても強い反発があるようです。
一方、我が国でも1965年に締結された日韓基本条約の「完全かつ最終的に解決した」という立場から逸脱していることや、なによりも国家の名誉の問題が見落とされており「日本が性奴隷の強制連行を認めた」と世界に誤解されかねないという批判があります 。

今回 の合意は両国が慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決した」としていますがこれまでの経緯から考えてもこの言葉は到底信じられません。
このような多くの問題を含んだ合意の背景にはアメリカの強い意志があったといわれています。北朝鮮の不測の事態に備え日韓の連携がうまくいかないことを恐れたアメリカが慰安婦問題の解決を強く要請した結果が今回の合意であったといえます。

北朝鮮は1月には水爆実験の成功を宣言し2月には「人工衛星」の発射を通告して国際社会の反発を買い地域の安定の重大な脅威となっております。慰安婦問題の合意はこのような朝鮮半島情勢の危機と無関係ではありません。そして朝鮮半島の情勢は日清日露戦争を例に出すまでもなく我が国の安全に重大な影響を及ぼします。

朝鮮半島の情勢が大きく揺らいでいる今こそもう一度、日韓の歴史関係について考えてみましょう。

【日 時】平成28年228日(日)午後600分より

【場 所】文京シビックセンター 3階会議室A
東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【講 演】

「今日のアジア情勢と日韓関係史」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

せと弘幸氏は調整中です。

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

             〇

この告知文は、主催者が作成しました。

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2016年2月 5日 (金)

宮脇淳子氏(東洋史家・学術博士)による「日中韓の真実の歴史を知って、日本の未来を開かう!」と題する講演内容

昨年十月十二日、赤坂の乃木神社にて開催された『皇學祭と記念講演』における宮脇淳子氏(東洋史家・学術博士)による「日中韓の真実の歴史を知って、日本の未来を開かう!」と題する講演内容は次の通り。

 

「孫文は、日本の援助で革命をすると言って十回も失敗した。孫文は土地もない貧乏な広東省出身の客家。軍閥でもない。マカオで医者になった。辛亥革命は日本の士官学校で勉強した人たちによるクーデター。孫文をかついで大統領にした。袁世凱の方が強かった。二人で話をつけて大統領を袁世凱に譲った。溥儀を紫禁城で暮らしていいといって説得し、清朝は平和裏に中華民国に禅譲した。明治維新を真似た。孫文は、日本に逃げて来た。

 

『二十一カ条の要求』は日本の外務省が出した希望的条項。日露戦争後に日本が清と結んだ生薬を中華民国に再確認させるものだった、それを袁世凱がばらした。清朝が認めた条約で日本は満洲に出て行った。国家予算に相当する当時の四億円で満鉄を作った。そして投資し続けた。これを続けたいというのが『二十一カ条』。

 

孫文は大法螺吹きと言われた。日本に来ては日本人から金をもらった。日本人が金を出さなくなったら、ソ連と組んで反日。

 

一九四九年に出来た国がどうして戦勝国なのか。朝鮮人は、当時は日本人。即ち敗戦国民だった。アメリカは空爆でどれだけ多くの無辜の日本人を殺したか。沖縄であんなに人を殺して、あそこを基地にして日本を支配しようとした。三国人を味方にして日本を監視しようとした。アメリカは自分たちの精神の安定を図るために、日本人が大虐殺をしたとした。それが南京大虐殺。原爆や東京大空襲はアメリカの棘。日本人はアメリカ人をそんなに沢山殺していない。

 

戦前の中国・朝鮮はちゃんとした国家ではなかった。日本がいなくなって七十年経ったのに、何でも日本の所為にする。

 

『持っている人間は悪い奴だから殺してもみんなで分けよう』というのがマルクス主義。国民国家は無かった。君主と領民があった。君主を取っ払った後、殺し合って皆の物にしたのが国民国家。徴兵制がしけるので強くなった。君主も法律を守るのが立憲君主国。

 

富を獲得するために植民地にして収奪した。これに対する防御が明治維新。明治日本はうまくいった。持っている奴は悪い奴とは日本人は思わなかった。搾取被搾取は日本にはなかった。だから日本では社会主義革命は起らなかった。

 

袁世凱がいなかったら支那は国民国家になっていなかった。孫文では駄目。中国は何でも日本を見て変えた。『一八四〇年の阿片戦争で屈辱の歴史が始まる』というのは、中国共産党の正統性を証明するために毛沢東が発明した虚構。阿片戦争の後も、イギリスを『英夷』と呼び朝貢国扱いにした。国民意識はまだ生まれていない。阿片戦争で目覚めたのは日本。日本人は武士も商人も勉強した。識字率は非常に高かった。共産主義は人殺しが好き。真実を知れば未来は開ける。日本に悪いことをする奴には金をやらない。ユネスコは価値を下げた。分担金を減らせば良い。国連だって然り。日本は文化が高い。日本主体の世界になった方が良い」。

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千駄木庵日乗二月五日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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歴史は正しく継承されなければならない。それが真の祖国復興への道である。

 我が国は古来、東方の君子国といわれ、我が国民は、道義心篤く、勤勉であり、建国以来統一国家を保ち、隆々と発展して来た。しかるに、今日の我が国は、国民の道義心が頽廃し、祖国への愛も、親への尊敬心も、国民同士の信頼感も希薄になりつつある。そして自国の歴史と伝統を故意に軽視あるいは蔑視する者どもがいる。

 

 北朝鮮がわが国に対してミサイル攻撃をして来る危険が高まっている。共産中国の軍事力拡大増強わが国に大きな脅威をもたらしている。共産支那によるわが国領海・領土・海洋資源への侵略策謀は日に日に活発化して来ている。内憂外患という言葉があるが、今日の日本はまさにこの言葉通りの状況となっている。

 

大東亜戦争はわが国による一方的侵略であったという誤れる自虐誌観が横溢している。いわゆる従軍慰安婦・七三一部隊・南京事件など、捏造された歴史問題にこだわり、自虐的な歴史観を抱いている勢力がいる。これを煽っているのが偏向マスコミであり、亡国政党なのである。政府与党も、歴史問題について確固とした正統なる主張をしない。謝罪と反省なるもの繰り返している。外国に対して謝り続けている国に対して、その国の国民が誇りを持つはずがないではないか。

 

わが国の軍隊が戦争中に行ったことが「侵略」であり「残虐行為」ならば、アメリカによる東京大空襲・広島長崎への原爆投下、ソ連による満洲・樺太・千島・シベリアにおけるわが国国民の大量殺戮は「侵略」「残虐行為」ではないのか。大東亜戦争で最も惨い「残虐行為」を行ったのは、米ソである。そしてまた今日の共産支那や北朝鮮は侵略行為・残虐行為を繰り返している。

 

アメリカ覇権主義・中華帝国主義・イスラム原理主義の戦いが熾烈化しつつある現代において、わが國は日本伝統精神を回復する事がもっとも大切である。

 

大東亜戦争に敗北して七十一年、今日わが國は、精神的にも未だに敗戦国家・敗戦国民の悲哀と屈辱を味わい続けている。そして、国民精神の腐敗と國家の欺瞞は、「軍國主義國家」などとであったといわれる戦前の日本にはあり得なかったような、人命軽視という言葉すら空しくなるような、残虐なる殺人が日常茶飯事になった現代社會を現出させた 

 

しかし悲観してはならない。わが国には建国以来二六七六年という光輝ある歴史と伝統がある。愚者は歴史を経験するのみだが、賢者は歴史に学ぶと言われている。今日の国難を打開するために歴史に学ばねばならない。わが国には国難を乗り切った明治維新の歴史、建武中興の歴史、元寇の歴史、大化改新の歴史がある。その歴史に学ばねばならない。

 

わが国が国難を乗り切った歴史の根底には、伝統的な道義精神を正しく保持し、開顕して改革を実現し、現状の危機を打開したということがある。

 

わが国の伝統精神を回復し、天皇を尊崇し、国を愛し、神仏を尊び、先祖及び護国の忠霊を敬い、親や家族を大事にする心を取り戻すことが今日もっとも大切である。

 

今日の危機を打開するためには、日本伝統精神に回帰し、それを開顕することが必要である。これを復古即革新という。大化改新・明治維新という国家的危機を救った大変革はこの原理によって断行され、国家民族を再生せしめた。歴史は正しく継承されなければならない。それが真の祖国復興への道である。

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千駄木庵日乗二月四日

午前は、諸雑務。

午後二時より、日暮里にて、先輩方三氏と三月に行われる小生の講演について打ち合わせ。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿校正、執筆、資料の整理など。

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2016年2月 4日 (木)

教育荒廃の原因は何処にあるのか

 今日、学校教育の施設は、昭和二十年代後半から三十年代前半に公立の小中学校に通っていた筆者から見ると、これ以上充実できないというくらいに充実している。校舎も立派だ。図書館も整備されている。給食も美味しい。教職員の待遇もよい。教科書も無償である。それなのに、今日の学校教育は荒廃している。この原因は何処にあるのか。そしてそれを是正するにはどうしたらいいのか。

 

学校に体育館はあっても徳育館はなく、祝日に『体育の日』はあっても『徳育の日』はない。学校教育の現場では、「知育」「体育」が優先されて、「徳育」は軽視され正しく行われていない。もしも「徳育」が正しく行われていれば、教育がこれほどまでに荒廃するはずはないし、青少年犯罪がこれほどまでに悪質化するはずがない。

 

知育も体育も大切である。しかし、知育・体育によって養成された知力・体力が正しく用いられるためには、人としての道徳心がしっかりと確立されていなければならない。教育の基本は徳育である。その徳育を軽視して来たのがいわゆる「戦後教育」である。

 

ただし、徳育・知育・体育の三つは、無関係なものとして行われるのではなく、三位一体である。知識を学び体を鍛錬することによって徳が磨かれるし、道徳を正しく身につけることによって知識を正しく学び肉体を正しく鍛錬することができる。

 

学校で人命に関わる事件が起こると、「学校長が全校集会で゙人の命の大切さを改めて生徒たちに教えた」などと報道される。 

 

 「人の命を尊ぶ心」は、人間が単なる物質的な存在であるとする唯物論からは絶対に出て来ない。「戦後教育」は、唯物論を本旨とするマルクス・レーニン主義勢力=左翼教員組合によって牛耳られ、学校教育の場において戦後一貫して唯物論教育が行なわれてきた。その結果が、現在の惨状である。

 

人の命の尊厳性を子供たちに正しく教えるには、唯物論を否定し、神仏を尊び人間生命の永遠を信じる「宗教的情操を涵養する教育」が正しく行なわれなければならない。ところが、戦後日本においては、まともな「宗教教育」が行われて来なかった。

 

「宗教教育」は、特定の教団の教義を強制的に子供たちに教えることではない。わが國生成以来の國民信仰であるところの神道、そして長い歴史の中で日本に包摂されてきた儒教や佛教などの精神を、学校教育の場で正しく子供たちに教えることが「宗教教育」である。それによって人の命の尊さを分からせることができるだけでなく、人としての生きる道、踏み行うべき道を指し示すことができるのである。

 

さらに、正しい宗教精神の涵養によって、人の命だけでなく、自然の命、そして亡くなった人々すなわち先祖を尊ぶ心も養われるのである。「人の命・自然の命を、神として仏として拝ろがむ精神」が大切である。

 

また、国のため、他人のために尽す心を涵養することが大切である。昔から『忠孝』という言葉があるように、国を愛する心と親を敬う心が一切の道義精神の根本である。ところが「戦後教育」において、この二つの道義精神は「軍国主義」「封建思想」と揶揄され、全くと言っていいほど教育されて来なかった。

 

それでは「戦後教育」とは一体何か。大東亜戦争終結後、わが国を二度と再びアメリカや旧ソ連などの戦勝国に刃向かうことのない国にするため、言い換えると日本を弱体化するために押し付けられた『占領憲法』の精神に基づく教育、そして左翼教員組合が日本を共産化するために行ってきた左翼偏向教育の総称が「戦後教育」である。

 

 

 

「左翼偏向教育」は、自虐史観・左翼史観に基づく歴史教育を生徒児童に徹底的に教え込んだ。日本国の歴史は、対外的には外国への侵略の歴史であり、国内的には支配階級が庶民大衆を搾取し苦しめた歴史であるとする偏向教育を半世紀以上にわたって続けて来たのである。

 

「左翼偏向教育」は、愛国心という道義の根幹を否定し、わが國の伝統そしてその体現者であらせられる天皇・皇室の尊さについては一切教育しなかった。それどころか、天皇を中心とする国柄を否定し破壊する思想を生徒児童に叩き込んで来たのである。

 

 こうした「戦後教育」なるものを徹底的に払拭しなければ、児童生徒に正しい道義精神を教育することはできない。一言で言えば、戦後教育の否定が教育荒廃の解決なのである。

 

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千駄木庵日乗二月三日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、原稿校正、執筆、資料の整理など。

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2016年2月 3日 (水)

三島由紀夫氏の天皇観と現行占領憲法

昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫氏が市ヶ谷台上で「天皇陛下萬歳」を三唱して自決された。三島氏は、深く切なる恋闕の思いを自決という行動で示した。今の日本は、三島氏が『檄文』で訴えられた「國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んで」いう情況が当時以上ひどくなり、日本という國が溶解しつつあるのではないかという危惧が深刻なものになっている。

 

國體の真姿を回復することによって国難を打開して来たのが、わが国の歴史である。三島氏のいふ「國の大本」「國民精神」とは天皇中心の國體及びその精神である。そうした意味で、三島氏の天皇論・憲法論は日本を再生するために重要な意味を持つと考える。

 

日本民族の古代からの傳統的な天皇観は現御神信仰である。それは日本の民族信仰の柱でもある。現御神信仰とは、「天皇はこの世に生き給う神である」「天皇は人にして神であり神にして人である」という信仰である。しかしその「神」とはキリスト教・イスラム教の唯一絶対神即ち全知全能の無謬神ではないことはいうまでもない。

 

三島氏はその著『日本文學小史』で、『古事記』を「神人分離の文化意志」と位置付け、日本武尊を「本来の神的天皇」「純粋天皇」とし、景行天皇を「人間天皇」「統治天皇」としている。

 

また、『討論 三島由紀夫vs東大全共闘』において,戦後あるいは近代の「天皇制」は,ゾルレン(理想としてあるべき姿)としての要素の甚だ希薄な『天皇制』であるとし、ゾルレンの要素の復活によって初めて天皇が革新の原理になり得ると論じている。これらは言って見れば三島氏の二元論的天皇観である。

 

三島由紀夫氏のこうした天皇観が、その作品『英霊の声』で「英霊」に「國體を明らかにせんための義軍をば、叛亂軍と呼ばせて死なしむる その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。これは神としてのみ心ならず、人として暴を憎みたまひしなり。…人として陛下は面をそむけ玉ひぬ。などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と嘆かせ、また、「昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせらせられるべきだった。何と云はうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだった。…何ゆゑ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせたまはざりしか」と語らしめたのである。

 

しかし、日本には<神人分離>は本来なかった。天皇が「人間」となりたまいしことはかつて一度もなかった。「今即神代」「神人合一」が日本の傳統信仰の最重要行事である「祭祀」の精神である。人は、神の分け御霊であり日子であり日女である。また、人にして神であり神にして人であらせられるのが天皇の御本質である。

 

日本天皇に、「神的天皇」「純粋天皇」と「人間天皇」「統治天皇」という二つの面があるということは絶対にない。天皇は人にして神であられ、天皇の統治は神ながらの統治である。

 

「現御神信仰」とは、歴代の天皇お一方お一方が天照大御神の「生みの御子」であらせられ、天照大御神の地上における御代理・神人合一の御存在であらせられるという信仰である。神武天皇以来今上天皇に至るまで歴代の天皇はなべて現御神であらせられる。それは大嘗祭の意義を拝すれば明らかである。現御神日本天皇を「ゾルレンとしての天皇」「ザイン(現実にある姿)としての天皇」と二元論的に分ける事は出来ない。

 

精神と肉體、祭祀國家と権力國家、神と人を、絶対に対立する存在とするのは西洋的二元論である。三島氏は西洋的二元論の影響を受けていることは自ら認めている。

 

しかし、三島氏は最晩年に、「二元論的天皇観」を克服した。だからこそ、自決の際、三島氏は「天皇陛下萬歳」を唱えたのである。

 

また、晩年の三島氏の『問題提起(日本國憲法)』という文章では、「大嘗祭」の深い意義を論拠として憲法上の「天皇」を論じている。それは、極めて正統な天皇論・憲法論になっている。

 

三島氏はその文章で、「大統領とは世襲の一點において異なり、世俗的君主とは祭祀の一點において異なる天皇は、まさにその時間的連續性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、『象徴』たる特色を擔ってゐるのである。」と論じ、現行占領憲法では、歴史、傳統、文化の連續性と、國の永遠性を保證する象徴行事である祭祀が、「天皇の個人的行事」となっており、天皇が「神聖」と完全に手を切った世俗的君主となってしまったと論じている。

 

これは三島氏による文字通り重要な問題提起である。天皇は大嘗祭をはじめとした祭祀を行なわれることによって天津神の地上における御代理としての資格を持たれ、現御神として御本質を顕現されるのである。そしてその神聖君主が統治される道義國家・祭祀國家が日本なのである。その根本を成文憲法が否定あるいは無視してしまっているところに、今日の日本のあらゆる混迷と堕落の真因がある。

 

天皇は<信仰共同體日本>の祭祀主であらせられるのだから、権力機構としての國家の基本法たる成文憲法の規定以前の御存在である事は言うまでもない。成文憲法の条文どおりの國家であらねばならないなどというばかばかしい議論があるが、全く逆であって、成文憲法というものは國家の本質どおりに作られていなければならない。その意味において「現行占領憲法」は失格である。全くの欠陥憲法である。

 

「現行憲法」が占領憲法といわれる所以は、まさに國體精神を忘却し日本の傳統を隠蔽する憲法であるからである。今日の日本において成文憲法は必要不可欠であるとすれば、憲法に正しき國體条項をつくり、現御神日本天皇・祭祀國家日本の本質を正しく成文として規定しなければならない。祭祀という天皇のもっとも重要な行事を「天皇の私的行事」にしまっている「現行憲法」は一日も早く否定されねばならない。

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千駄木庵日乗二月二日

午前は、諸雑務。

午後、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓を掃苔。ご加護とご冥福を祈る。

午後二時より、本堂にて、『節分会護摩供養』執行。御住職の導師で法要。豆撒き。懇親会。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『月刊日本』誌連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。

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2016年2月 2日 (火)

明治維新をめざした人々の攘夷の精神

 

國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を打ち払ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

「尊皇攘夷」の起源は、貝塚茂樹氏によると、北狄や南蛮の侵略にあった古代支那(周の末期)の都市國家群・支那民族が、危機を乗り越えやうとした時の旗幟(きし)である。ただし支那の場合は、「尊皇」ではなく」尊王」である。

 

日本國の長い歴史の中で、「攘夷」の精神は静かに表面に出ず脈々と継承され生き続けたのであるが、白村江の戦いの敗北・元寇・幕末といふ外患の時期においてこの精神が昂揚した。

 

大化改新と明治維新は共通する面が多い。それは外圧の排除であり、政治体制・法体制の整備であり、外國文明・文化の輸入である。大化改新後の律令國家体制は明治維新後の明治憲法体制と相似である。

 

明治維新における「攘夷」とは、かたくなな排外思想ではない。吉田松陰をはじめ維新の志士たちは時代の趨勢を正しく把握してゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しやうとした。

 

真の攘夷精神を端的に示してゐるのが土佐藩士・中岡慎太郎(名は道正。薩長二藩の提携に尽力。坂本竜馬とともに刺客に暗殺された)が慶應二年(一八六六)に書いた次の文章である。「それ攘夷と云ふは、皇國の私言にあらず。その止むを得ざるに至っては、宇内(註・世界中)各國、皆これを行ふものなり。米利堅(註・アメリカ)かつて英國の属國なり。時に英吉利(註・イギリス)王、利を貪る日々に多く、米民ますます苦しむ。因って華盛頓(註・ワシントン)なる者、民の辛苦を訴へ、是に於て華盛頓、米地十三邦の民を帥(ひき)ゐ、英人を拒絶し鎖國攘夷を行ふ。此より英米連戦七年英ついに不勝を知りて和を乞ひ、米利堅是に於て英属を免れ独立し、十三地同盟、合衆國と号し一強國となる……皇國当今、和親開港の如きは、幕吏彼の兵威に怖れ、上天子の勅意に違ひ、義理の当否、國の利害を計らず、……往々彼(註・外國)の命ずる所のまま(註・関税権を奪はれたこと)にて、萬民殆ど途端に苦しむ。……是故に萬々願くば天下の士民、……薪に座し胆を嘗むるの思を為し、……吉田松陰の攘夷の志によって海外に渡り、彼の長を取らんと企てしことなどを思ひ、その心を心とし、上下一致学術に励み、兵力を養ひ、早く攘夷の大典を立て、諸港の条約を一新し(註・不平等条約を改正すること)……会稽の恥(註・外國から受けたひどい辱めのこと)を雪(そそ)がざれば、死するとも止まずと決心する…」(『愚論ひそかに知人に示す』)。

 

この文書は、攘夷とは外國の侵略から祖國を守るために戦ふことであり、徳川幕府それを実行できなかったのであり、日本中の人々は上下一致して、耐へ難きを耐へて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと論じてゐる。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるといふのである。これが明治維新をめざした人々の攘夷の精神であった。

 

井伊直弼主導の幕府の開港策は進歩的であり、朝廷などの攘夷の主張は保守的とするのは誤りである。上御一人・孝明天皇も、草莽の士・吉田松陰も、わが國の神代以来の伝統精神を回復し民族の主体性を確立し独立を堅持した上での外交との交際を期したのである。

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千駄木庵日乗二月一日

 

午前は、諸雑務。

 

昼は、若き友人と懇談。

 

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理。

 

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『第九八回・東京財団フォーラムトランプは生き残れるのか?米大統領予備選の行方』開催。 アメリカ大統領選挙分析プロジェクトメンバー(順不同※印はモデレーター) 久保文明(東京財団上席研究員・アメリカ大統領選挙分析プロジェクトリーダー/東京大学法学部教授) 飯塚恵子(読売新聞編集局国際部長) 西川賢(津田塾大学学芸学部准教授) 前嶋和弘(上智大学総合グローバル学部教授) 安井明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長) 渡部恒雄(東京財団上席研究員兼政策研究ディレクターの各氏が討論。質疑応答。

帰宅後は、資料の整理など。

 

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2016年2月 1日 (月)

日本的ナショナリズムについて

 「ナショナリズム」とは、一つの民族が他の民族の支配を排除して、自身の國家の独立を回復あるいは維持しようとする國民的規模の思想及び行動である。

 

わが國には、対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚ます歴史がある。民族主義・愛國心・ナショナリズムと歴史意識と不離一体である。現代もそうした時期である。日本民族の歴史を我々一人一人の精神の中で甦らせて、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識・ナショナリズムが形成される。

 

わが國の伝統の根幹は「天皇中心の國體」である。「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治ということである。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める)ということである。それは信仰共同体國家たる日本独特の國柄である。天皇國日本の倫理・生活伝統・信仰精神そしてそれに基づく國柄を総称して「國體」という。

 

 日本伝統精神は経典としての神話によって伝えられているだけではない。天皇は神話の世界からの道統である祭祀を今日においても行っておられる。天皇の祭祀は「生きている神話」であり、天皇は「日本伝統精神の生きませる象徴」である。だから、天皇は生きたまう神・現御神と申し上げて尊崇されてきた。

 

 天皇中心の國體には基本的には変化はなくても、政体・制度としての天皇のあり方は歴史的に様々な変化があった。江戸時代・明治維新から終戦まで・戦後七十年の天皇の政体上のあり方には大きな違いがある。しかし、天皇の伝統的な権威は、古代から今日に至るまで、如何なる政体の変化があってもわが國の歴史を貫いて存してきた。

 

 そして、國家的危機において國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動が必ず勃興した。これが日本におけるナショナリズムと言っていいだろう。元寇・幕末の時期に起こった動きがそれである。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強の侵略の脅威を感じた幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。

 

 日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。そういう意味で、わが國においては「天皇抜きのナショナリズム」というのはあり得ない。

 

 今日も、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。にもかかわらず人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識(いわゆるナショナル・アイデンティティ、民族的一体感・國民的同一性)、帰属する共同体としての民族というものが大事になってくる。

 

 ナショナリズムとは、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって決して回顧的なものではない。これからの日本の独立のために欠くべからざるものなのである。明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

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千駄木庵日乗一月三十一日

午前は、諸雑務。

午後は、今夜行う講演の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『第五十八回日本の心を学ぶ会』開催」林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「日本共産党の國體破壊体質について」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆など。

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