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2016年1月12日 (火)

国難と和歌

 蒙古襲来は中世における一大国家危機であった。蒙古は文永十一年(一二七四)と弘安四年)一二八一)の二回にわたって来襲したが、いずれも日本軍の奮戦と暴風雨(これを世の人は神風と信じた)によって撤退した。これにより日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

 

そして、

 

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮者の神職中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌)

 

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

 

という歌が生まれた。外来宗教の仏教の禅の僧侶宏覚も蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には、

 

「末の世の末の末まで我国はよろづの国にすぐれたる国」

 

という歌を記した。

 

こうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。 

 

このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきているのである。徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の歌に表現された。

 

幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。特に「君が代」「国」を思う心を直截に歌った歌を挙げてみる。

 

藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

 

「かきくらすあめりかひとに天つ日のかがやく邦のてぶり見せばや」(心をかき乱すよ うなアメリカ人がやっ て来たが、天日が照り輝く日本の國風を  見せてやればよい、という意)

 

 伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

 

「君が代はいはほと共に動かねばくだけてか へれ沖つ白浪」(天皇国日本は巌のように不動であるから  日本を侵略しようとする国々は沖の白波  のように砕けて帰ってしまえ、という意)

 

梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

 

「君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありとはおもはざりけり」

 

吉田松陰は、

「討たれたるわれをあはれと見む人は君を崇めて夷攘へよ」

 

と詠み、

 

平野國臣は、

「君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを」

 

という歌をのこしている。

 

明治維新断行後、近代日本は堂々の歩みを開始したのであるが、やがて東亜解放の大義を掲げて大東亜戦争を戦うこととなる。この戦争は有史以来未曾有の国難であった。「一億一心火の玉だ」という言葉があったように、従軍兵士のみならず国民全てが参加して戦った。この時も大いに「国を愛する心」の歌が歌われた。専門歌人の歌よりも戦線に赴いた軍人兵士たちの歌や一般国民が口ずさんだ戦時歌謡・軍歌に胸を打つ「国を愛する歌」が多い。

 

昭和二十年(一九四五)六月二十三日未明、沖縄第三十二軍司令官として摩文仁岳にて自刃した牛島満陸軍大将の辞世歌。

 

「矢彈盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國護らむ」

 

さらに昭和二十三年十二月二十三日、東京巣雅も拘置所にて絞首刑に処せられた東條英機元首相は、

 

「例へ見は千々にさくとも及ばじな栄えし御世を墮せし罪は」 

 

という歌をのこしさらに

 

「苔のした待たるゝ菊の花ざかり」

 

という句をのこした。どちらの歌もすでに身を国に捧げつつも死してなお国家(皇國・御世)の行く末を思う真心が切々と歌われている。

 

「腕をたたいて 遥かな空を 仰ぐ眸に雲が飛ぶ 遠く祖国を はなれ来て しみじみしった 祖国愛 友よ来て見よ あの雲を」

 

 藤田まさと作詞大村能章作曲『麦と兵隊』の一節である。東海林太郎が歌って大ヒットし長く兵士や庶民によって歌われ続けた軍歌である。ここにあらわれているのは祖国のために外地へ行った時にこそ祖国への愛がしみじみと生まれてくるという実感である。遠い萬葉の昔にも遣唐使たちがそういう歌を詠んでいる。 

 

大東亜戦争に敗北した後、愛国心・尊皇心が「反動」だとか「軍国主義」だとか言って批判されてきた。しかし、戦後日本・現代日本においても魂を打つ愛国歌が生まれている。それは愛国運動に身を捧げた人々の歌である。

 

 昭和三十五年(一九六〇)十月十二日、当時の浅沼稲次郎日本社会党委員長を刺殺した山口二矢氏は、自決に際して、

 

「国の為神州男児晴れやかにほほえみ行かん死出の旅」

 

という辞世をのこしている。

 

さらに昭和四十五年十一月二十五日、東京市ヶ谷の陸上自衛隊内で三島由紀夫氏と共に割腹自決を遂げた森田必勝氏は、

 

「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみか」

 

という辞世をのこした。

 

そして昭和五十四年五月二十五日大東神社にて割腹した影山正治氏は、

 

「身一つをみづ玉串とささげまつり御代を祈らむみたまらとともに」

 

という辞世をのこしている。

 

 愛国尊皇の心を張りつめた精神で歌う時、やはり日本伝統の文学形式即ち和歌で表現されることが多かった。(漢詩にもすぐれたものもあるが)和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからである。

 

 今日の日本はまさしく亡国の危機に瀕している。今こそその危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が祖国への愛・至尊への恋闕の思い歌いあげる和歌の復興なのである。

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