« 千駄木庵日乗一月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十日 »

2016年1月20日 (水)

警察について

戦後、再軍備が行われた時、「警察予備隊」と言われた。これが自衛隊の前身である。警察予備隊発足直後に、私の父は都庁から警察予備隊に移った。その頃から、内局はだいたい警察官僚が牛耳っていたといわれる。増原恵吉氏など立派な人ももちろんおられた。

 

しかし、警察官僚には、反軍思想・反自衛隊思想を持っていた人物もいた。名前は忘れたが、防衛庁官房長を務めた警察官僚は、何と非武装中立論者で、退職後、左翼の集会に出ていた。

 

後藤田正晴氏も「軍隊」に対する反感を持っていたようである。彼が中曽根内閣の官房長官だった頃、ある議員が「憲法を改正し、自衛隊を国軍にしなければならない」と言ったら、後藤田は色をなして、「五・一五、二・二六で警察官は軍人に殺されたのだ」と言ったという。

 

また九・一一テロの後、町村信孝氏などの自民党政治家が、「皇居・総理官邸・国会は、自衛隊が警備したらどうか」という意見を出したら、警察官僚が強硬に反対したという。もっとも、町村氏の父上の町村金吾氏は戦時中の警視総監だった。戦後、参院議員・国家公安委員長自治大臣・北海道知事を歴任した人で、風格のある人であった。

 

戦前、ゴーストップ事件以来というよりも、明治維新後、西郷隆盛の意向により、薩摩の城下士が軍、郷士が警察を担当して以来、軍と警察は仲があまりよろしくないという「伝統」があったようである。

 

警察庁のキャリア官僚が成田空港の手荷物検査場でブチ切れて女性検査員に暴言をはいたうえ、プラスチック製の検査用トレーを投げつけたという事件があった。こういうことはよくある。私も何年か前、皇居参賀に行った時、女性警察官の荷物検査を受けたが、その対応が無礼だったので、ブチ切れたことがあった。テレビの討論番組でブチ切れた経験もある。これは全国に放送されてしまった。したがってあまり他人のことは言えないが、キャリア官僚は、一流大学を出て、難しい試験に合格した人がなるとものとされている。それなりの知識・教養・品性を持っている人々であると承知している。そういう人が切れたのだから、余程のことがあったのであろうか。それともこの官僚の資質に問題があったのだろうか。そういう人が、他人を逮捕し捜査する権限を持つ警察官僚になっていることはやはり問題である。その人は、三十六歳で警視だったそうだが、普通の警察官は、その圧倒的多数が一生かかっても警視にはなれないで退職する。キャリア官僚はやはり以て範となる人でなければなるまい。格差社会とよく言われるが、官僚・役人の世界こそまさに格差社会の典型である。

 

軍・警察・税務署の三つは、国家にとってなくてはならない組織である。しかし、この三つの組織・役所ほど、時として民衆の敵となったり嫌われる場合があることは、時の今昔・洋の東西を問わずよくあることである。公立図書館や公立学校が好きだと言う人はいるが、税務署や警察が好きだと言う人はあまり聞かない。

 

警備公安警察が、日本国の治安のため・国民大衆の安全な生活のために活動しているのなら良いが、特定の政治権力者・特定政党などの手先になる場合があるとしたら問題である。

 

靖国神社に「昭和殉難者」をお祀りしていることに反対し東條元総理を猛烈に非難している読売新聞社トップや、靖国神社の存在そのものをも否定している創価学会が、警察権力に強い影響力を持っているという。

 

警察権力は組織防衛のためなら違法行為もする。私が実際に体験した事だが、私が都議会の警察消防委員会を傍聴しようとしたら、警視庁暴対課の警部に威圧を加えられた。これは明らかに公務員職権濫用であった。一生忘れられない事実である。

 

いわゆる保守勢力や政権与党の中に国を危くする者共がいる今日、国家権力機構である警備公安警察がそうした者共の手先となってしまう危険がある。

 

以前、鹿児島県警が摘発した選挙違反事件の被告十二人全員が無罪判決を受け、鹿児島県警の自白強要等の強引な捜査手法が糾弾されたことがある。拷問に近い取調べが行われ、無実の人々が多数罪に陥れられた。

 

警察及び検察権力は強大でありそれが濫用されると大変なことになる。しかも、捜査官が正義感や犯罪を摘発するという使命感に燃えて起った行き過ぎ事件ならまだしも、出世欲、功名心、成績を上げたい、署長に恥をかかせない、などというきわめて低次元の意識がその原因となって違法捜査が行われることがあるとしたら大問題である。鹿児島県警志布志事件はそうした事件であった。

 

警察署長のことをその警察の署員は「オヤジ」と呼ぶようである。ヤクザ組織も親分のことを「オヤジ」と呼ぶようである。つまり、警察署員には警察署長に対する「絶対服従」「絶対忠誠」が強いられているのだろうか。犯罪の防止と摘発を使命とする警察が戦闘的・軍隊的な指揮命令と服務が行なわれるのは止むを得ないが、それが履き違えられるとおかしな事が起る。事実、志布志事件で、捜査に疑問を感じた捜査員がその旨捜査会議で上申したら、署長にさんざん怒鳴られ、配置転換されられたという。

 

公安委員会も議会の警察委員会も、警察に飼い慣らされていると言っては言いすぎだが、警察に対するチェック機関の役目を果たしていない。県会議員などは、自分を逮捕し政治生命を奪う権限のある警察に対して厳しい姿勢をとれるはずがない。

 

警察は、違法行為があれば、法と証拠に基づいて、都道府県会議員でも、県知事でも逮捕できるし、しなければならない。警察とはそれほどに強大な権力を持つのである。その警察に対する第三者機関によるチェック態勢が整備されるべきであろう。

|

« 千駄木庵日乗一月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/63092243

この記事へのトラックバック一覧です: 警察について:

« 千駄木庵日乗一月十九日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十日 »