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2016年1月27日 (水)

吉野山について

奈良県の吉野は今日も自然の美しいところであり、日本民族そして皇室の歴史と伝統を伝へてゐる地である。神武天皇は大和橿原の地に都を開かれる際、熊野に御上陸になった。そして吉野をお通りになった時、神のお告げにより無事に大和の國にお入りなり都を開かれるための祭事を行はれた。その時、神武天皇は、吉野にもともと住んでゐた尻尾の生へてゐる人に道案内されて、大和に入られた。大和朝廷成立の上で、非常に由緒のある地が熊野と吉野である。

 

その吉野に歴代の天皇が離宮を造営されたのは、皇室の歴史と伝統を思ひ起こすためである。天皇が離宮に行かれたのは、単に遊びに行かれたのではなく、歴史的由緒のある神聖な吉野の地で、川水で御祓をされ祭祀をされるためであった。歴代の天皇は、度々吉野や熊野に行幸され、神祭りを行はれた。

 

特に、持統天皇にとって吉野の地は、夫君・天武天皇が「壬申の乱」の前に隠棲された地であるので思ひ出深いところであった。また、「壬申の乱」以後の不安定な時期に、持統天皇は皇統の正統性を確認するために、神武天皇が橿原奠都の前に神の御加護を祈る祭事を行はれた吉野で、祭事を行はれたのである。そして、天皇としての神威・霊力を高められた。また、伊勢の神宮の式年遷宮祭の制度も、天武天皇の御代に定められ、持統天皇の御代から行はれるやうになった。 

 

持統天皇は御在位中非常に多く吉野へ行幸された。持統三年(六八九)正月から持統十一年(六九七)四月にかけての八年間に三十三回ほど行幸された。即位されて間もない時期は一年に五回吉野に行かれた。そして、御滞在日数は長い時は三ヵ月、短い時は二日。一回平均して一週間くらい吉野に滞在された。真冬にも赴かれた。これは避暑とか物見遊山ではなく宗教行事である。

 

天皇に即位されるはずであったのに夭折された草壁皇子が薨去された後も、吉野に行幸されることが多くなる。山深い清浄な吉野の地へ赴かれて、亡き皇子を偲ばれたのであらう。

 

吉野は日本山岳信仰・修験道(役小角【えんのおづの】を祖とする、密教の一派。山岳修行によって超自然的な力を得ることを目的とする)の聖地である。吉野に行くことによって、大きな霊的な力が与へられると信じたのである。雄略天皇もよく吉野に行かれ、天武天皇は吉野に籠られ、南北朝の騒乱の時も、後醍醐天皇は吉野に朝廷を開かれた。

 

吉野は山が険しい要害の地であると共に、背後の熊の灘から全國からの物資を運ぶこともできるし、全國に指令を発することもできた。だから、大和や京の都の中央勢力に対抗するために立て籠もるのに適してゐた。

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