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2016年1月 5日 (火)

歴史戦勝利への道

大東亜戦争は侵略戦争ではない。その目的においても實際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。

 

世界の中で、政府及び國会が、自國の歴史を侵略の歴史であったと表明した國はわが國のみである。

 

戦争犯罪の最たるものは非戦闘員を大量に虐殺した広島、長崎の原爆投下であり東京大空襲である。

 

わが國に対してのみ「植民地経営・帝國主義の糾弾」が行はれてゐるが、チベット・内モンゴル・東トルキスタンを見てもわかるやうに、歴史問題でわが國に謝罪しろと執拗に迫ってきてゐる共産支那こそ、帝國主義的侵略と搾取と暴虐の植民地経営を行ってゐる。

 

日本は、もっと積極的に大東亜戦争の正当性を明らかにすべきである。日本侵略國家論に対して思想的な反撃を大々的に展開すべきである。

 

大東亜戦争の歴史を考へる時、「鬼畜米英」といふ言葉は決して大げさではなかったと思ふ。アメリカは、日本の主要都市に爆撃へ敢行し、無辜の民を殺戮した。原爆二発の投下は、広島大虐殺・長崎大虐殺である。また、旧ソ連の侵略体質・火事場泥棒体質も許し難い。旧ソ連は日露戦争の敗北を恨みに思ひ、終戦直前に日本に対して侵略を開始し、南樺太全千島を奪ひ、多くの無辜の日本人をロシアに連行し死地に追ひやった。

 

アメリカ及びロシアのやったことは、文字通り「鬼畜の所業」であった。「鬼畜米露」といふ事になる。

 

「戦後」といふ言葉は何時まで続くのであらうか。日本が米英支蘇四國に対しその『共同宣言』を受け入れてからすでに七十年以上経過してゐる。戦後とは敗戦後といふことであり、屈辱的な時代といふ事だ。「戦後」といふ言葉はさういふ意味で陰鬱な響きを持ってゐる。我々はもういい加減に「戦後何年」といふ言葉を使ふのを止めるべきである。

 

私たち日本人は、「終戦以来何年たった」といふ事を意識することはもう止めにして、「開戦以来何年たったか」を意識すべきではなかろうか。

 

日本の行った大東亜戦争即ち満洲事変から日米戦争までの戦ひは、自存自衛・東亜解放の正義の戦ひであったことを國際社會に認めさせなければ、本当の歴史問題の解決にはならない。

 

今年は、開戦以来七十五年である。その事に思ひを致し、民族の誇りを取り戻すべきである。

 

パール判事は、「時が熱狂と偏見とをやはらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変へることを要求するであらう」と、判決文の最後に書いた。

にもかかはらず、日本國民自身が、戦後七十一年を経過した今日においても、「偏見」と「虚偽」から脱出することができないでゐる。

 

明治維新、日清・日露両戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争は、まさに幕末以来の尊皇攘夷の戦ひ即ち西欧列強によるアジア侵略支配を打破する戦ひの延長であった。このことをわが國民は正しく認識し理解し、「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである。それこそが「歴史戦勝利への道」である。

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