« 千駄木庵日乗一月二十二日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十三日 »

2016年1月23日 (土)

やまと歌・和歌について

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋で最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまと歌」という言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之といわれている。紀貫之は、平安前期の歌人、歌学者で、仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任し、醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、「仮名序」を執筆した人である。

 

「やまと歌」の発生は古代祭祀である。日本では太古から、天地自然の中に生きている神々に、五穀の豊饒や民の幸福を祈る「祭祀」が行われている。その「祭祀」において祭り主が神憑りの状態で「言葉」を神々に捧げた。「唱え言」である。その「唱え言」が度々繰り返されていくにつれて、一定の形をとるようになった。それが「やまと歌」の起源である。その「唱え言」は後に「祝詞」と言われるようになった。つまり祝詞とやまと歌はその発祥を同じくするのである。

 

「唱え言」は、神に自己の思いや願いを訴える言葉である。この「訴える」が「うた」の語源なのである。即ち「歌」とは他者に何事かを「訴える」言葉である。人間が神に何事かを訴えることが歌の起源である。祭祀における「となえごと」は、「やまと歌」のみならずわが國の文藝全體の起源である。

 

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然など他者に対する訴えかけが、日本文藝の起源である。他者に対して何事かを訴えるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げ経典を読誦する。即ち神仏に特定の言葉を唱えることが基本的行事である。すべて言葉を唱える行事である。

 

「やまと歌」は自然に声調・調べが「五七調」あるいは「七五調」に自然に整えられた。これは「五七調」あるいは「七五調」という調べに、日本人の心を訴えることに適する何ものかがあるということである。これは「五七調」「七語調」に日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるということである。「五七調」は対照的に素朴で力強い感じを与えることを特徴とし、『萬葉集』に使われている。「七五調」は優しく優雅な感じを与えることを特徴とし、主に『古今和歌集』に使われている。

 

『萬葉集』の九十五%が、短歌(五・七・五・七・七)である。短歌形式を古代日本人は、自分たちの抒情の文藝形式として獲得した。『記紀』『萬葉』以来今日まで千数百年にわたって、短歌形式が日本人の生活の中に生きてきて断絶がなかったという事實は非常に重要である。

 

それだけ、「五・七・五・七・七」の短歌形式には魅力があり、日本人の心を表現する形式として非常に適していたといふことになる。そして和歌が「五・七・五・七・七」という「定型」になっていったのであろう。

 

和歌は、なぜ定型・韻律に則って歌われるのか。それは日本人の生活が常にある一定の規則・リズムに則っているからであろう。日本の四季は規則正しく変化する。したがって農業を基本としてきた我が國民の生活も規則正しいものとなっている。わが國においては四季の変化と農耕生活とが調和しており、毎年一定の「型」が繰り返されている。規則正しい四季の変化と農耕を基本とする規則正しい生活が、定型詩である和歌が生んだということができる。

 

和歌は、人知の「さかしら」を超えて自然に生まれてくる「素直な心」(まごころ・もののあわれ)の表白であるから、規則正しい生活の中から、自然にある声調を生み、「五・七・五・七・七」の定型を生み出したのである。

 

「型」を大切にするのは日本人の特性である。歌舞伎などの演劇の世界をはじめとして茶道・歌道・書道などにおいて型の継承が、非常に大切なものとされる。武道もしかりである。「型」を継承することは、単に旧態依然としたものを墨守するというのではなく、新しい創造をともなう。典型をなぞっていくことによって新たなる進歩発展があるところに和歌の面白さがある。

 

これは和歌のみならず學問においてもいえる。「学ぶ」の語源は「まねぶ」であるという。先達・師匠の真似をすることが「学ぶ」の原点である。

|

« 千駄木庵日乗一月二十二日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十三日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/63104556

この記事へのトラックバック一覧です: やまと歌・和歌について:

« 千駄木庵日乗一月二十二日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月二十三日 »