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2015年12月 8日 (火)

日本郷友連盟東京都郷友会主催『歴史・防衛講座』における青山学院大学大学院教授福井義高氏による「歴史における意図と結果~チャンドラ・ボースと汪兆銘の場合~」と題する講演内容

八月二十二日に行われた日本郷友連盟東京都郷友会主催『歴史・防衛講座』における青山学院大学大学院教授福井義高氏による「歴史における意図と結果~チャンドラ・ボースと汪兆銘の場合~」と題する講演内容は次の通り。

 

「皇国史観とは、一言で言えば、『日本は立派である』という歴史観。戦後、それを全否定する歴史観になった。NHKの朝ドラの歴史観は必ずそうなっている。日本とドイツは経済力があるのにいまだに国連常任理事国になっていない。七十年前に固まったまま今日まで来ている。この二つの歴史観は、戦前も戦後も日本が主役だという歴史観。皇国史観も戦後の史観も日本は世界の主役として書かれている。

 

『七十年談話』はアメリカを意識して書かれている。『侵略』(aggression)とは英語では『攻撃した』という意味。日本は当然、世界の主役ではなかった。米英ソが主役であった。この三国は持久戦に耐えることが出来た。日本やドイツは地域での強者。長期持久戦は不可能。それがあたかも世界征服を狙っていたと考えられた。

 

人間の意図しない結果が重要。皆が自分勝手にやると何となくうまくいく。『私益を追求すると公益になる』とアダム・スミスは言った。意図が良いか悪いかと、結果が良いか悪いかとは関係ない。意図の良否と結果の良否の切り離し。意図がそのまま結果になるわけではない。意図を議論しても仕方ない。スターリンは、『日本は歴史の進行を追い立てるために選ばれた間抜けだ』と言った。

 

藤原岩市氏のF機関は汪兆銘政権樹立工作と並ぶ工作を行った。インド独立支援。ネルー王朝の終焉はインドの自己認識の変化をもたらした。ネルーの非同盟平和路線は失敗だったと言われている。強くなったインドのイメージに合うのはチャンドラ・ボースである。ボースはインドでは評価され、欧米では否定されている。

 

マレー・シンガポール攻略戦は、自存自衛の勢力圏確保するために真珠湾より重要な戦い。二カ月で十万人の敵を三万人で攻略。英兵五万とインド兵五万であっが、F機関の工作で、インド兵は南下する日本軍に戦わずして投降。日本軍は手を挙げたインド兵を寛大に扱った。シンガポール陥落前にINA(インド国民軍)誕生。藤原岩市氏は『日本軍はインド兵諸君を捕虜という観念で見ていない。日本軍はインド兵諸君を兄弟の情愛で見ている』と演説した。工作の最中に、官僚的移動で藤原氏は転属。インド全体でネタージ(指導者)と呼ばれていたボースの重要性を理解できなかった。

 

ボースは四十七歳で、台湾で死去。日本軍と共にINA(インド国民軍)がインパールで戦ったことが、インド独立を決定づける。INA将校を反逆者として裁こうとしたらインド民衆が激高した。チャーチルはガンジーを蛇蝎の如く嫌った。

 

毛沢東はスターリンの傀儡。蒋介石アメリカの傀儡。汪兆銘は日本の傀儡。三つの傀儡があった。毛沢東は一九四三年まで、スターリンに指示されていた。

 

大東亜戦争により、旧体制は打破され、植民地支配に引導を渡した。毛沢東が覇者になる事により、日本の戦略的価値は高まった。スターリンはゾルゲを全く評価していなかった。スターリンが死んでからゾルゲを評価。『歴史の進行を追い立てる鞭として選ばれた間抜け』というのがスターリンの日本評価。

 

アメリカ政府の中に二百人のソ連のスパイがいた。日本もゾルゲと尾崎の二人だけではなかったであろう。社会主義プラス天皇という思想は、日本の右翼と軍の中にもあった。『敵の敵は味方』という発想もあった。計画経済への期待も高かった。ソ連は当時、人種差別反対を強く打ち出していた。アメリカ・イギリスは差別は当然と考えていた」。

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