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2015年12月30日 (水)

日本による朝鮮韓国統治について

 拉致事件・教科書問題・靖国問題・竹島問題・いわゆる慰安婦問題をはじめとする北朝鮮・韓国によるわが国への内政干渉・主権侵害・侵略行為に対して、わが国政府および国民が毅然とした態度をとれない最大の原因は、「過去の歴史問題」すなわちわが国が過去において「朝鮮半島を侵略し植民地支配し朝鮮人を苦しめた」と一方的に断定されていることにある。

 

 明治維新を断行したわが国は、李氏朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を侵略しようとしたロシアの野望を撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。当時の朝鮮半島が独立国家として自立していれば、わが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して「事大主義」(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本である。「朝鮮併合」はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。

 

 併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。これは台湾も同様である。つまり、台湾及び朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。 

 

 「江華島条約」(明治八年)から「日韓併合」(同四十三年)に至るまでの間、日本の対朝鮮半島政策において明治の父祖が一貫して心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして日本および朝鮮を守り抜くかということであった。隣接する朝鮮半島とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全に対する脅威であった。

 

 ゆえに、日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、「朝鮮独立」を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。

 

 「朝鮮併合」以前の朝鮮半島は混乱の極にあった。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。「朝鮮併合」の翌年支那に辛亥革命が起こり清朝が滅亡している。

 

 日露戦後の明治三八年(一九○五)、「第二次日韓協約」が調印されて韓国は我が国の保護国とされ、外交権を日本が掌握した。そして、韓国統監府が設置され、初代統監に伊藤博文が就任した。その伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文公を追慕して「伊藤は「自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように」と常々申していた」と語ったという。

 

 以来、日本にとっての朝鮮は植民地というより拡張された日本の国土であった。日本国民は、朝鮮・台湾を統治するにあたって、おおむね本土と同じ待遇を与えた。そして本土以上の投資を行った。台湾と朝鮮の総督府、台北駅・ソウル駅を見れば明らかである。日本の何処のにもあのような立派な建物はなかったし、駅舎もなかった。金泳三は歴史的建築物の旧朝鮮総督府を壊してしまった。台湾の旧総督府は総統府としてそのまま使われている。

 

 しかし伊藤博文公の朝鮮に対する真摯な心を韓国民の一部は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺された。これが、「日韓併合」に至る原因である。

                

日本に併合されることによって近代化が達成できるということは朝鮮改革派の合意だった。明治四三年(一九一○)の「日韓併合条約」締結(初代総督寺内正毅)は、日本の強圧によるのではない。日本に併合されることによって朝鮮の近代化・文明開化が達成できるということは、当時の朝鮮改革派の合意であった。一九○四年(明治三七年)の日露戦争では、東学党(民間宗教)の教徒五万人は日本と共にロシアと戦った。さらに、一進会の前身の進歩会の人々三五万人がこれに加わった。

 

 一九○四年に結成された「一進会」という近代的な大衆政治組織は、朝鮮王朝と守旧勢力を打倒し、日本の連携して近代化を為し遂げようとした。そして、日韓併合・開化啓蒙運動を展開し、一時期は百万をこえる組織となった。

 

この大韓帝国内の強力な民意に従い、日本が合法的な手続きを経て朝鮮統治権を持ったのである。「日韓併合条約」は、十九~二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれを勧め、支持したものである。当時韓国内に百万人の会員がいた一進会は、「併合嘆願書」を韓国十三道からの「併合嘆願書」と共に、韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に提出し、皇帝の「御沙汰書」により、内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

 

当時の国際法では、政府代表に直接明白な強制がない限り、正当対等に成立したものとされたのである。「日韓併合」は法的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。「日韓併合条約」は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。                                

 

「日韓併合」に対して、韓国・北朝鮮側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、以上述べて来た通り、「日韓併合」は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではないのである。それは、明治四十三年八月二十九日の「韓国併合に付下し給へる詔書」に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と示され、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された「総督府官制改革の詔書」に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と示されていることによって明らかである。

 

 したがって、朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近く移住して来た。その上、毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。

 

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 

 日本の朝鮮統治により、朝鮮は多大な発展を遂げた。三○年間に、一○○万足らずだった人工が二五○○万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳に伸び、未開の農業国だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。

 

 日本本土から優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが整備された。その他、文芸・美術など文化面でも復興が遂げられた。 

 

 韓国・朝鮮人の独立運動が国内外において起こったが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。朴正煕大統領もその一人である事は言うまでもない。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。

 

 日本の台湾・朝鮮統治は、台湾・朝鮮を搾取の対象としたのでない。投資と開発、教育の普及を行うことによって、共存・共栄の道を歩んだのである。台湾・朝鮮の遅れた社会構造を解体して産業革命の基礎を作り出した。

 

日本が大東亜戦争で敗戦に追い込まれたからといって、朝鮮統治が「国策の誤り」であり、「アジア近隣諸国に対して植民地支配と侵略を行ひ、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と貶めることば絶対に許されない。

 

 

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千駄木庵日乗十二月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、明日からの旅行の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集」解釈原稿執筆、脱稿、送付。

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日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と幸福を奪う政党である

 

共産党の以前の綱領では、「君主制を廃止する」と明記していた。ところが、近年、この表現を削除し、「(天皇制は)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」との考えを打ち出した。

 

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

 

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフという党最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

 

支那も、辛亥革命で清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民による独裁専制政治が行なわれてきた。

 

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

 

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩雲という三代にわたる残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、金一族のみが専横を極め金一族を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民が栄養失調で死んで行く国なのだ。

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。それはまさに「歴史的必然」である。『君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民は差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する』というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。

 

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

 

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、民主党や自由党などとの野党共闘をやりやすくするための方便である。

 

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「綱領」には、「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。

 

共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」(私はこういう言葉は使いたくない)を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇中心の日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

 

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによっても明らかである。

 

前述した通り、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。

 

共産党の国会議員は、「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反だ」などと言って国会の開会式に出席しない。また、政府や地方自治体の公式行事で、『国歌斉唱』が行なわれても、共産党所属の議員は決して歌わないし、起立もしない。共産党の「天皇制否定」はこれほどまでに徹底しているのだ。共産党が、「綱領」で「天皇制を容認した」と言うのなら、共産党所属議員は今後、国会の開会式にも出席して、天皇陛下の「お言葉」を頭を深くたれて拝聴し、色々な行事において国歌斉唱が行なわれる時、起立して高らかに斉唱するべきである。しかし、共産党および共産党所属議員がそのようなことをすることはないであろう。

 

「綱領」に、「情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。これは、「天皇制廃止論が多数になれば憲法を改正して天皇制を廃止する」という事である。

 

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

 

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千駄木庵日乗十二月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、新年を迎える準備。根津神社に参拝しお札納め。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。有り難し。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年12月29日 (火)

安倍総理がかみしめるべき吉田松陰先生の言葉

安倍総理は、郷里の大先輩・吉田松陰先生の次の言葉をよくよくかみしめるべきである。

 

「独立不羈三千年来の大日本、一朝人の羈縛を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや」。 

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今回の「合意」なるものは、「積極的平和主義」ではなく「積極的屈辱外交」であり、「戦後レジームからの脱却」ではなく「戦後レジームへの埋没」である

そもそもなぜ我が国外相が韓国に行かなければならないのか。支那や韓国にバカにされ、甘く見られ続ける日本は一体どうなるのか。今回の「合意」なるものは、「積極的平和主義」ではなく「積極的屈辱外交」であり、「戦後レジームからの脱却」ではなく「戦後レジームへの埋没」と言うべきでしょう。日本政府は、韓国大統領・外相を日本に呼びつけて、竹島からの撤退と謝罪と賠償、李承晩ライン問題の謝罪と賠償を要求すべきである。。これこそが「積極的平和主義」であり「戦後レジームからの脱却」だ。このままでは安倍晋三氏も、加藤紘一・河野洋平などと同じ程度ということになる。

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日韓両国政府の国辱的「合意」について

いわゆる「従軍慰安婦問題」で、日韓両政府が合意し、日本政府は同問題への旧日本軍の関与を認め、「責任を痛感」するとともに、安倍晋三首相が「心からおわびと反省の気持ち」を表明。元慰安婦支援のため、韓国政府が財団を設立し、日本政府の予算で10億円程度の資金を一括拠出することとなった。絶対に容認できない「合意」である。

 韓国は、わが國の主権回復を承認する「サンフランシスコ平和条約」発効直前の昭和二七年一月、韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域「李承晩ライン」を引いた。これは、国際法上全く不当不法な行為であった。

 

 韓国警備艇は、「李承晩ライン」の外側を航行中の日本漁船をも襲撃し、無辜の日本漁民を拉致して釜山港へ連行し、残虐な拷問を加え、自白を強要し、一方的な判決を言い渡した。そして日本漁船を多数強奪した。

昭和四十年に「日韓基本条約」「請求権・経済協力協定」「日韓漁業協定」が締結されるまでの間、韓国の不法行為により投獄された日本漁民は3929人にのぼり、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。

 にもかかわらず、韓国は現在に至るまで謝罪も補償も一切していない。許し難い事である。

 

わが国政府は、韓国政府に対して、「李承晩ライン」問題について、韓国政府に対して、謝罪と賠償を強く求めるべきだ。また、韓国民による靖國神社に対するテロについても、謝罪を求めるべきだ。韓国政府がこれを拒否したら、すべきではなかった今回の「合意」なるものを反古にすべきだ。否、「李ライン問題」「靖国神社に対するテロ」について韓国が謝罪、補償をしても、今回の「合意」は反古にすべきである。

 

安倍総理は最近、「戦後レジームからの脱却」ということをあまり言わなくなった。そして韓国に対してしなくて良い謝罪を行い、断乎として要求すべき謝罪と補償に口をつぐんでいる。困ったことである。

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四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十八年一月号のお知らせ

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
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購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十八年一月号(平成二十七年十二月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

本居宣長の國體論

『直毘靈』には肇國以来の日本國體精神が示されてゐる

 

「天孫降臨」「天津日嗣高御座」の意義

 

歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられる

 

天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道

 

まごごろをつくし清らかにして明るい心で大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神

 

千駄木庵日乗

大原康男國學院大學名誉教授「楠公景仰の心から、靖國神社ら祀られている英靈を顕彰して、悲しくも雄々しい精神を我々も背負って行かねばならない」

 

施展氏(北京外交學院世界政治研究センター主任)「中國には百年間苛められてきたという被害意識がある。それが今後の中日関係にマイナスになっている。これをなくさないと中國は國際社会から尊敬されない」

 

周濂氏(中國人民大學哲學院副教授)「中國は不平等が深刻。怨恨・怨み・妬みが蔓延している。社会的公正・正義は重要。怨恨・嫉妬を、正義を求めるエネルギーにすべし」

 

輝華氏 (中國人民大學経済學院教授、中國人民大學國家発展及戦略研究院研究員)「東アジアの多くの國々では反腐敗と成長の間に良いバランスを見つけないといけない。反腐敗と共に制度の規制改革をしないと経済はおかしくなる」

 

城内實外務副大臣「六十年間の日本の開発援助の特徴は自助努力の促進。日本人は勤勉。旺盛な経済成長を遂げて来た。物や金だけではなく、経験や知識を援助し、自助努力を助けている」

 

半田晴久氏(世界開発協力機構(WSD)総裁)「日本人の日常生活は常に研究し學ぶことを喜びとしてきた。これが発展の基。教育のレベルを整えることが重要」

 

平沢勝栄衆議院議員「警察運営のノウハウ・交番をODAで輸出。『交番』が世界の言葉になっている。交番が地域犯罪を防止する。これが地域の治安維持の原点」

 

舛添要一東京都知事「人づくりが一番大切。日本は何故こんなに豊かに國になったのか。教育が良かったからしっかり仕事ができる人がいる。江戸時代の農業水準・教育水準がきわめて高かった。欧州よりもはるかに識字率が高かった」

 

この頃詠みし歌

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千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、新年を迎える準備、原稿執筆、資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2015年12月28日 (月)

この頃詠みし歌

久方ぶりに「昭和維新の歌」歌ひたり 逝きにし友を偲ぶ集ひで(『早雪忌』)

 

凄まじき描写を息呑み見つめをり 藤田嗣治の戦争画の前(「藤田嗣治作品展」)

 

かくまでにむごきいくさを描きたる藤田嗣治の見事なる絵筆()

 

今に続く人と人との殺し合ひ げに恐ろしき人類の歴史()

 

「あれから四十年」と笑ひ飛ばせぬ我は思ふ 若き日の母甦り来よと

 

「家に帰らう」と我に問ひかける母悲し すでに帰るべき部屋あらざれば

 

母と子の会話楽しむひと時にしみじみと命尊しと思ふ

 

車椅子の母と語らふこの夕べ甦り来よ若き日の母

 

母と共に上野寛永寺に参りし日が次第に遠くなるを悲しむ

 

パソコンに頼らざるを得ぬわが人生『モダンタイムス』の映画を思ふ

 

文明の進歩は人間に 平安をもたらすことはさらにあらざる

 

宗教は数多くあれどテロ貧困飢餓を救へざる現実を如何に

 

花の都パリと言ふとも人間の果てしなき闘争の外にはあらず

 

コークスのストーブも霜焼けの耳たぶも木造校舎も懐かしきかな

 

喪中葉書次 々と来る 年の暮

 

古き時代の古き歌手たちを懐かしみ今宵もパソコンの動画を開く

 

パソコンの動画に出で来る歌手と共に歌を歌ふは楽しかりけり

 

いまだ元気に渡辺はま子の歌ひゐる「蘇州夜曲」を共に歌へり

 

人さはに満ちて歩める南禅寺 物見遊山か信仰心か

 

観光はお断りのの看板を掲げる寺をややうべなひぬ

 

車椅子で街を行く人増え来れば何とも邪魔なのは電信柱

 

空港の巨大な看板に「総統萬歳」と書かれをりたり独裁体制下

 

はじめての海外旅行は台湾でありにしことを懐かしみ思ふ

 

街角に白きヘルメットの憲兵が立ちにゐにけり戒厳令下

 

バスガイドの初老の男性は高らかに 明治天皇御製を朗誦せしかな

 

ベル鳴らし「太太在不在」と呼び掛けし日本人女性は外省人の妻

 

「莒に在るを忘るること勿れ」と書かれたる標語をめずらみ見し日本人我

 

蒋介石の銅像が其処此処に建ちてゐし四十年前の台湾の街

 

和歌を詠む台湾の人々と逢ひにける遥か昔の旅は懐かし

 

林森北路中山北路といふ町は皆国民党指導者の名前

 

他人様の欠点が妙に気にかかるこの頃の我は老いにけるかな

 

足取りは確かに保たんこの道を神に祈りつつ歩み行く我

 

花の水取り換へし朝亡き父の遺影に真向ひ手を合はせたり

 

夜となれば火の用心の声が聞こえ来る千駄木三丁目北部町会

 

卵黄が浮かび出る如く昇り来る朱色の満月の不可思議な光

 

満月が諏方台の上に昇り来てこれから長き冬の夜が始まる

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千駄木庵日乗十二月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年12月27日 (日)

『壬申の乱』について

 大海人皇子(後の天武天皇)は、天智天皇の御代に皇太弟であられた。しかし天智天皇には大友皇子といふ皇子がおられた。大友皇子は太政大臣の地位につかれた。

 

 『日本書紀』によると、天智天皇は天智天皇十年(西暦六七一)十月に崩御される二十日ほど前に、皇太子であられた大海人皇子を枕許に呼ばれて、「皇位を譲りたい」と仰せられた。そこで大海人皇子は、「天の下を挙げて皇后(倭姫)を附けさせたまへ。なほ、大友皇子を立てて、よろしく儲君(もうけのきみ・皇太子)としたまふべし」」と申し上げ、「私は出家して修道する」(皇后に皇位を継いで頂き大友皇子を摂政にしてほしい)と申し上げる。天智天皇はそれを許されお引き止めにならなかった。そして大海人皇子はすぐに剃髪されて吉野に向はれる。この時には鵜野皇女(後の持統天皇)と僅かな舎人がお供をした。ある人は大海人皇子が近江の都から吉野へ行かれることを「虎に翼を着けて放った」と言ったといふ。

 

 天智天皇が崩御され、大友皇子(弘文天皇)が皇位を継承された七ヵ月後に、天武天皇は吉野から兵を挙げられて近江朝廷を滅ぼされる。これを「壬申の乱」といふ。近江朝廷側が兵を準備して吉野におられた大海人皇子を攻めようとしたので大海人皇子が立ち上がられたと『日本書紀』には記されてゐる。

 

 「壬申の乱」は萬葉時代の最大の事件であり、初期萬葉はこの「壬申の乱」をテーマにした歌が多い。萬葉集は決して平和な時代の太平楽な歌集ではない。

            

 この頃は必ずしも長子が皇位を継承されるという決まりごとはまだ無かった。天皇の弟君や皇后などが皇位を継承される場合があった。

 

 大化改新の後に、天智天皇が、神武天皇が神の御託宣によって都を開かれて以来都が置かれゐた地である大和から近江に都を遷し、支那風の法律・行政制度を取り入れたことに対する反発は非常に大きかった。これが大海人皇子によって近江朝廷が滅ぼされた最も大きな原因であるといふ説がある。

 

大海人皇子は吉野に籠られた時に祭祀をされる。そして伊勢の神宮を遥拝して近江朝廷を攻められた。そして天孫降臨以来の皇臣である大伴氏も大海人皇子に従ふ。そして近江朝廷が滅びると都はすぐに明日香清御原宮に遷された。

 

 萬葉時代の人々が如何に大和地方の重要性を認識してゐたかは、萬葉集の巻一の歌の配列を眼光紙背に徹して読むとよく分かる。巻一冒頭の歌は、雄略天皇の御製で、「そらみつ やまとの國は おしなべて 吾こそをれ しきなべて 吾こそませ…」(そらみつ大和の國はことごとく私が統べゐる國だ、すみずみまで私が治めてゐる國だ…」と歌はれており、大和の國は天皇が統治される國であることを高らかに歌ひあげられてゐる。第二首目は、舒明天皇の國見歌で、「うまし國ぞ あきづ島 大和の國は」(本当に結構な國だあきづ島大和の國は)と歌はれて、大和の國を讃へられてゐる。

 

 萬葉集巻一の編者は大和の國は大切な國であり、大和の國を捨てて近江に遷都したことへの批判が強かったことをそれとなく訴へてゐるように思へる。

 

 「壬申の乱」とは単なる皇位継承争ひ・権力闘争ではなく、もっと深いわが國の伝統信仰に関はる問題があったとされる。神話の世界・古墳時代からの伝統を守ることと律令國家建設・天皇中心の中央集権國家建設の矛盾の中から起こった悲劇が「壬申の乱」である。

 

 天武天皇の御命令によって編纂された『日本書紀』には、大伴皇子即ち弘文天皇の御即位の事は記されてゐない。平安時代の『扶桑略記』『大鏡』などが大友皇子の御即位を認め、江戸時代の『大日本史』において定説となった。そして明治三年(一八七〇)七月二三日に、大友皇子は、第三十九代・弘文天皇と追諡(ついし・おくりなのこと)された。

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千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は、諸雑務。『政治文化情報』発送作業、発送終了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、年賀状作成、原稿執筆など。

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2015年12月26日 (土)

戦後民主主義を反省し、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない

戦後世代すなわち戦後教育を受けた世代が、わが國の政界・官界・財界などの指導層になった頃から、國家意識の喪失が深刻化して来たと思う。戦前の教育を受けて来た官僚・政治家・財界人が健在であった時期の日本は、戦後復興に努力し、経済大國として蘇生して来た。戦後復興を為し遂げたのは戦前の教育を受けた世代の人々である。ところが、そうした世代が第一線を退いて行くと共に、日本はおかしくなって来た。

 

國家意識の喪失とは、「國家」とは何かという基本問題に対する理解がおかしいために起こって来た問題である。大東亜戦争の敗北によって、「國家悪」というものが強調され、國家は國民を抑圧し、國民を搾取する権力機構であり、國民あるいは人民・市民に相対立する存在であるという、考え方が支配的になった。そして、「國を愛する」とか「國家に忠誠を尽くす」ということは犯罪的行為であると言う考え方に國民の多くが汚染されてしまったのである。

 

戦後日本は戦勝國によって西洋の國家観を押し付けられた。西洋の國家観は、契約思想に基づいている。西洋は、神と人間とが契約を結ぶキリスト教という宗教がその基盤にある。ゆえに國家もそれを構成する人々の合意と契約によって成り立っていると考えられている。西洋近代國家論の歴史的淵源はキリスト教の聖書である。『旧訳聖書』とは神と人との古い契約のことであり、『新約聖書』とは新しい契約のことである。近代思想家のロックにしろ、ルソーにしろ、社會契約説を唱える場合、必ず聖書の契約を持ち出している。 

 

しかし、國家社會が人間と人間との契約によって成り立つという考え方は、全く架空の観念でありフィクションである。原始社會において人間が社會や國家を作ろうと合意して契約を結ぶなどという馬鹿げたことはあり得ない。家庭・社會・共同体で育てられない人間は狼少年になる以外にない。

 

ところが、この「社會契約説」はアメリカ合衆國という國を作り出すためには大きな役割を果たした。アメリカという國は建國以前は、全く法律のない「新天新地」であり、言ってみれば無法地帯であった。そこには天から天降った君主もいなければ、総督もいなかった。だから、植民者が自らが自らを治める以外になかった。こうしたことが契約國家論がアメリカにおいて受け容れられた原因である。

 

メイフラワー号(一六二0年にイギリスからアメリカに上陸した清教徒の船。清教徒とは、十六世紀後半、イギリス國教會に反抗して起こった新教徒の一派。清浄に生活することを主張した。ピューリタン)で結ばれた『メイフラワー憲章』には、「主権在民」「信託による統治」「法の下における平等」が謳われていた。現行占領憲法の原理の淵源がここにある。

 

今日のアメリカは「自由民主主義國家」の見本のように言われているが、かつては、メイフラワー号で渡米して来た清教徒たちの子孫が特権階級となっていた。メイフラワー号の子孫にしても、最初から船に乗っていた純粋な清教徒は四十一名とその家族だけで、途中から乗船した残りの人たちはいわゆる「ならず者」「刑余者」であった。清教徒たちはセインツ(聖者)として尊敬され、残りの者たちはデヴィル(悪魔)として差別された。 そして、アメリカで一六四一年に制定された『マサチューセッツ法』では、「第一条 異神(キリスト教以外の神)を信じたものは死刑。第二条 魔女も死刑。第三条 神も死刑」と規定されていた。また「インディアンと一緒に住んだ者は三年の懲役」という規定もあったという。さらに、マサチューセッツでは、知事をはじめとした役人は必ず何処かの教會に属するクリスチャンでなければならなかった。

 

これは一神教の排他独善性、残虐性が如実に現れた法律である。アメリカがキリスト教國家であるイタリアやドイツには原爆は落とさなかったが、非キリスト教國家であるわが國には原爆を二発も落とし、東京に大規模な焼夷弾攻撃を行い、大虐殺を敢行したのも、一神教の排他独善性、残虐性及び有色人種への差別意識にその原因があると思われる。

 

現行占領憲法の骨格となっている思想である「自由と民主主義」、そして「契約國家論」の淵源である「アメリカ建國の精神」及びキリスト教というものは、このような恐ろしき性格を有していたことを我々は正しく知っておくべきである。          

 

「自由・平等・博愛」そして「民主主義」というものは白人のキリスト教徒にのみ与えられた特権だったのである。このような残虐にして差別的なアメリカ製民主主義・國家論は絶対にわが國には相容れないのである。

 

しかし、そのアメリカでさえ、歴史を経過するにしたがって、キリスト教という信仰がその道徳的基盤となった共同体國家となり、強烈な國家意識・ナショナリズムが生まれ、存在している。國家とは運命共同体であるから当然そうなるのである。

 

人間が生存する時、個々バラバラに独立して生きる状態などというものはあり得ないのである。個人の生存も人権も平和も繁栄も、多くの人間の協力と多くの人間の共同生活の中から生まれるのである。

 

西欧の契約國家観では、個人のみが唯一の実在であるとするが、これは容易に利己主義に転落する。現代日本の有様がそれである。

わが國は精神的・信仰的・道義的共同体である

 

わが國の伝統信仰は、神と人とが相対立して契約を交わすなどということはなく、人も國土も神から生まれたと信じて来た。したがって、わが國の伝統的國家観は、人と人との結びつき(精神的血縁と言い換えてもよい)と信仰によって國家が成立しているという考え方である。

 

『日本人とユダヤ人』という本には、「日本には、『天の時、地の利、人の和』という言葉がある。かつてわが國では人口の八十パーセントがある時期になると同一の行動を起こした。田植えの時期になると全日本人が田植えをしなければならなかった。『ゴーイング・マイ・ウェイ』だなどと言ってそれをしなかったら飢死するしかなかった」という意味のことが書かれている。 

 

四季の変化が規則正しい自然環境にあるわが國は稲作國家であり、そこに生きる我々日本民族は、誰に強制されることもなく自然に共同体生活を営んで来た。そういう生活から日本國という信仰共同体國家が生まれてきたのである。砂漠の宗教の排他独善性をその淵源とする西洋の国家観・人間観と、わが國との國家観・人間観には決定的な違いがある。 ところが日本が戦争に敗れた後、アメリカの押しつけによって、西洋的國家観を最上のものとして受け入れられてしまった。現行占領憲法も政治制度も西洋的國家観に基づいている。 

 

わが國の國家観と全く異なる國の憲法の理念が、戦争直後、無理やり押しつけられたのである。現行憲法が戦後日本の混迷の元凶であることはこの事実によって明白である。したがって、現行憲法擁護を唱えている政党・政治家には現代日本の危機を打開することはできないのである。

 

人間が本然的に持っている相互扶助の精神が発達拡大することにより國家が成立する。人間の小さな利己主義へのとらわれを克服して、國家國民全体の幸福・繁栄・平和を生み出すことが大切である。

 

國家とは、人と人とがお互いに協力して生活していく共同体であるという本質を忘却し、國家を搾取機構・権力機構としてのみとらえれば、「國を愛する」とか「國に忠誠を尽くす」などという心は起こらない。まして生命を懸けて國を守ろうなどという気は起こらない。 

 

また、個人の生活が、物質的・経済的条件のみで成り立っているのではなく、精神的信仰的道義的価値が無くしては成り立たないのと同様に、國家もまた決して経済的・物質的・政治権力的機構ではない。精神的・信仰的・道義的共同体である。

 

國民の自由と民主的な政治の根底には、それを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、わが國民は、戦後日本のいわゆる民主化が進行する過程において、伝統的権威や慣習に制約されることが少なくなった。それだけに、一層自己を統制することが必要であった。しかし、今日の日本國民の多くとりわけ若者たちは、正しき國家観を喪失しているだけではなく、正しき道義観・倫理観も持ち合わせていない。 

 

戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは全て「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観なき「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。そして七十年を経過し、今日の体たらくとなっているのである。

 

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

 

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができるのである。

 

混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を反省し、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。 

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千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、年賀状作成。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後五時半より、湯島にて、永年の同志二氏と懇談。小忘年会。

帰宅後も、年賀状作成。

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2015年12月25日 (金)

国賊政党には「国会開会式」に出席する資格はない

 共産党の志位和夫委員長は24日、大島理森衆院議長と国会内で会い、これまで党として出席を見合わせてきた国会の開会式に、来年14日召集の通常国会から出席する方針を伝えた。

 

何を偉そうにそんなことを衆議院議長にわざわざ言いに行ったのか。国賊は国会開会式に出席しなくていい。何を偉そうに「出席してやるから有難く思え」というような物言いをするのか。不敬千万だ。

 

また、出席するのなら黙って出席すればいいではないか。議長に面会するなどというパフォーマンスなんかする必要はない。

 

何故こんなパフォーマンスをしたのか。共産党の魂胆は明白だ。国民の大多数が仰慕し崇敬する「皇室」を貶めているという現実、「共産党は國體破壊政党である」という真実を隠蔽するためである。

 

何のためにそんなことをするのか。共産党の言う「国民連合政権」とやらを作るため、そして次の参院選挙で野党との選挙協力を実現するためである。

 

それは、メディアが「(共産党が・)従来の方針を大きく転換することで、来年の参議院選挙に向けた野党結集を進めたい狙いもあるとみられます」と報道している通りである。

 

共産党は、屁理屈をこねまわして自己を正当化することを得意とする政党である。そして歴史を改竄することを得意とする。

 

志位は「出席した場合、『天皇制に反対する立場から欠席している』との要らぬ誤解を招くことなく、憲法順守のため改革を求める真意がよりストレートに伝わる」と語ったというが、日本共産党は結党以来「君主制打倒」を党是としてきた政党である。志位の言う「天皇制に反対する立場」を取り続けてきた政党である。

 

共産党は「綱領」に、共産党の言う「天皇制」について「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」と書かれている。

 

つまり、「情勢が熟したら」、天皇を君主と仰ぐ建国以来の日本國體を破壊することを目指す政党である。この事には何に変りはない。「解決」などと言う欺瞞的な言葉を使っているが、「廃止する」「打倒する」ということである。

 

それは共産党が「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張していることによって明らかだ。

 

共産党は、「立憲君主制」を破壊し打倒し、「共和制」を樹立することを目的としている政党なのである。この事は全く変わりはない。

 

さらに共産党は、「今の天皇の父=昭和天皇は、明治憲法のもとで軍の統帥権をもつ元首として、侵略戦争と植民地支配を指導した戦争責任があった。このことをきっちり裁けずに戦後日本の政治がスタートしたために、『あの戦争は正しい戦争だった』という時代錯誤の潮流がいまだに幅をきかす。ここに、日本の政治の後進性があります」「(共産党は・注)ま戦後一貫して昭和天皇の戦争責任を追及してきました。昭和天皇の戦争責任は、今なお〝時効〟にできるものではありません」と主張している。

 

常に平和を望まれ、国民のため、国家のために命懸けで終戦の御聖断を下された昭和天皇様に対し奉り、このような不敬至極な考え方を持っているのが日本共産党である。まさに国賊だ。このような政党に、国会開会式に出席する資格はない。

 

共産党の議員や党員は、今後、「国歌君が代」を斉唱するのか、「国旗日の丸」掲揚の時には起立するのか、この事を厳しく問いたい。

 

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千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、資料・書類の整理。年賀状執筆、原稿執筆など。

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2015年12月24日 (木)

空文化された憲法を基とする「立憲主義」は成り立ち得ない

憲法学者の三潴信吾先生から、「法治とは法律を守る事によって国を治めるという意味ではない。国を治めるために法律を用いるという意味である。法律特に成文法は絶対的なものではない。成文法を守ってかえって国を滅ぼすことになる場合がある」と教えられた事がある。

 

国家があって法律があるのであり、法律があって国家があるのではない。本末転倒してはならない。

 

法律を守ってさえいれば、國は安泰であるというわけではない。悪法を守ると国がおかしくなる場合がある。「現行占領憲法」はその典型である。だから政府自身が憲法違反・解釈改憲をせざるを得ないのである。「現行憲法に違反するから、国を守るために外敵と戦ってはいけない」などという事があっていいはずがない。

 

国家緊急の場合は「超法規的措置」が必要な場合がある。法律を頑なに守っていては、明治維新は断行できなかった。「現行憲法」を頑なに守っていては、国を守ることはできない。

 

「現行占領憲法」は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かふことのないようにすることを目的として押しつけられたのである。だから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかった。

 

しかし、現実にわが國に存在する自衛隊を見て、「戦争をするための組織でなく、國際紛争を解決するために武力による威嚇や行使を行ふ組織でもなく、陸海空軍ではなく、戦力も交戦権も持っていない」などと思っている人はいない。

 

自衛隊は事実としては、立派な陸海空軍によって構成される國際紛争を解決することを目的とした國軍であり、武力の行使又は威嚇を行ふ組織であり、戦力も交戦権の保持している。いざとなれば戦争を行う組織である。

 

そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られてきている。この事実は、自衛隊が違憲であるか否かに関わらず、国民大多数の合意になっている。このことによっても「現行占領憲法」が如何に現実を無視しており、空文となっているかは火を見るよりも明らかである。空文化された憲法を基とする「立憲主義」は成り立ち得ない。

 

吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べた。これが『現行占領憲法』の立法意志であり、まともな解釈である。

 

したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上、「軍」として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」といふ絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は法治國家ではない。政府自らが憲法違反といふ大罪を犯しているのだから、國民の遵法精神が希薄になるのは当然である。

 

國の独立と安全を守ること即ち國防は、最も重要な國家機能である。多くの國では憲法で國民の國を守る義務を定め、また軍保有とその指揮系統を明確に規定している。國家存立の基本たる國防が、「解釈改憲」「違憲合法論」で成り立っている状況は何としても是正されるべきだ。

 

「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真實である。極論すれば、國家基本問題においては『現行占領憲法』に違反してこそ、日本は正常な國になるのである。正統性が全くない押しつけ憲法である『現行占領憲法』に何が書かれていようと、一切これを無視するくらいの気持ちがなければ「憲法守って國滅ぶ」という言葉が現實のものとなる。

 

平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。

 

冷戦終結後、わが國を取り巻く軍事・安保情勢はかえって厳しくなってきている。何時熱戦が始まるか分からない。だから東南アジア諸国をはじめとした國際社会は、わが國が主権國家として安全保障問題・平和維持に主体的に取り組み、積極的な貢献することを期待している。

 

國防戦争・自衛戦争まで「悪」として否定し、憲法に國防が明確に規定されていないという欺瞞的にして危険な状況を一刻も早く是正することが必要である。

 

「現行憲法」を否定して、自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである。

 

ともかく、『現行占領憲法』は、その制定過程ばかりでなく内容も正統性は全く無い。この憲法がなくならない限り日本は真の独立國とは言へないし、日本の真の再生はあり得ない。それどころか『現行憲法』がある限り國體破壊が進行していく危険があるし、祖国日本の独立と平和を守ることができない。

 

法治国家の国民である以上、法は守らねばならない。しかし、今日の日本は成文法の根幹たる「憲法」が正統性を失っているのである。現代日本の混迷と堕落と危機の根本原因の一つはここにある。正統なる憲法を回復した時、はじめて『立憲主義』が正しく確立するのである。

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千駄木庵日乗十二月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送の準備。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、新橋の新橋亭にて、『呉竹会』忘年会開催。小生の音頭で乾杯行い、盛宴に移った。石川多聞茨城県議会議員などがスピーチ。そ最後に、頭山興助会長が挨拶。広瀬義道会長代行の発声で「聖壽万歳」を三唱し、終了した。

帰宅後も、発送準備など。

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2015年12月22日 (火)

「萬葉古代史研究會」のお知らせ

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 一月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区南大塚地域文化創造館

東京都豊島区南大塚二-三六-一 〇三-三九四六-四三〇一 「東京メトロ 丸ノ内線 新大塚駅」一番出口より徒歩八分。JR山手線 大塚駅」(南口)より徒歩五分。「都電荒川線 大塚駅前駅」より徒歩五分。都バス「大塚駅」停留所より徒歩五分 (都〇二、上六〇)

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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『アジア問題懇話会』における田久保忠衛杏林大学名誉教授による「『安倍談話」を読み説く」と題する講演内容

九月十二日に開催された『アジア問題懇話会』における田久保忠衛杏林大学名誉教授による「『安倍談話」を読み説く」と題する講演内容は次の通り。

 

「安倍総理は『歴史問題には慎重にならざるを得ない』と言っていた。『安倍談話』は『村山談話』『小泉談話』の延長線上にある。連立政権に公明党もいる。野党には民主・社民・共産がいる。海外には中国、韓国、アメリカがいる。政治的スイテトメントにならざるを得ない。しかし政治的にはこの二つの談話に比べると成功。

 

『安倍談話』の土台になったのが有識者会議(注・『21世紀構想懇談会』)。有識者会議は『東京裁判史観』を脱していない。満州事変以降日本は侵略戦争に乗り出したとした。この考えは私の考えとは異なる。旧連合国への謝罪文を十年ごとに独立国家の総理大臣が出さねばならないのか。鄧小平が仕掛けたマジックを跳ね返さねばならない。

 

四つのキーワードが入っているかどうかで大騒ぎ。まず『侵略』。座長の北岡伸一氏は結論が出る前に二回、安倍さんに『侵略と言ってほしい』と言った。『侵略』ということを総理から言わせようということを公式の場で二回言った。『広辞苑』の『侵略』の定義に基づいて言っている。この定義は今の国際紛争は説明がつかない。北岡氏は『大東亜戦争は東亜解放と言う連中がいるから日本がおかしくなる』と言っている。

 

『安倍談話』は日本が侵略したとは一言も言っていない。一般論に差し換えている。プレッシャーを無くす表現としては見事。十五年戦争は日本の侵略というのは『東京裁判史観』。濱口雄幸から東條英機までの十五代が共同謀議をしたとはとても思えない。巣鴨ブリズンの戦犯たちも『はじめてお目にかかりました』と言った人もいる。『東京裁判』で共同謀議はないと言うことが証明されてしまった。

 

満洲事変は軍部の暴走。長期間にわたって調査したリットン調査団は、満州国の独立は認めなかったが日本には同情的だった。

 

日露戦争前後から日本人がカルフォルニオに移民。移民した若い人々は花嫁を欲する。『三角のパンツでうろうろする、痰を吐く』という日本では何でもない事でも問題になった。日本人は勤勉。初めは中国人、次に日本人が嫌われた。日本人隔離法案が可決されてしまう。

 

今日、事実上植民地支配をしているのは、中国がチベットやウイグルにしていること。

 

『安倍談話』は國内外の批判を見ごとにクリアしたと思う。『大東亜戦争』という名称は固有名詞である。『詔勅』にもある。変えるわけにはいかない。『太平洋戦争』という名称はアメリカ側の史観に基づく。この談話では『先の戦争』となっている。

 

原爆を落とした犯罪は許せない。ライシャワーは『二発目の長崎は許せない』と書いている。ソ連が入って来てから落とした。

 

ソ連の侵略は計画的。北方領土は強奪された。六十万人がシベリアの二千カ所の強制収容所に入れられた。六万人が飢えと寒さと重労働で亡くなった。昭和20812日、満州国鶏寧県麻生区において、日本の哈達河開拓団が避難中にソ連軍によって一斉射撃され集団自決した麻山(まさん)事件がおこった。421人が死亡した。このような恐ろしいことがあらゆるところで起こっている。ソ連に関しては日本は被害者。終戦の仲介をソ連に頼んだ日本が馬鹿。

 

大きな国際情勢の変化で、日本は戦後最大のターニングポイントを迎えている。アメリカの内向きが大問題。中国の抬頭は凄まじい。極東に中国人労働者が増えている。

 

暴力革命論に先祖返りしている。民衆が国会を取り巻いて『民主主義を実行する』と言っている。

 

アメリカの国力は中国の抬頭で相対的に衰退している。日本は存在感がなくなってしまう。しかし安倍総理によって存在感が出てきた。

 

日本は皇室を中心とする神の國。憲法に緊急事態条項を盛り込むことだけはやって貰わねばならない。『前文』に立憲君主制をはっきり謳うべし。こういう事をきちっとしてくれる人は今のところは安倍氏以外にいない。

 

外国の研究所で、私が『日本には二千年以上続く皇室がある』と言うと、他の国の人は粛然とした。天皇は征服王ではなく、祭祀王。日本の伝統を継承される。

 

韓国経済はおかしい。中国経済は曲がり角に立ち、成長率が落ち始めている。ロシア経済は瀕死の状態。三つの国は共通している。ロシアの収入源のエネルギー価格がどんどん下がっている。安倍氏はプーチンに好感を持っている。メドベージェフの国後上陸は国内に対する『日本に屈していない』という意志表示」。

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千駄木庵日乗十二月二十二日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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いわゆる「A級戦犯」とされる方々こそ「昭和殉難者」として真っ先に靖國神社に祀られるべき方々である

「サンフランシスコ平和条約で明らかなように、十四人のA級戦犯がすべての戦争責任を負う。昭和五十三年に靖國神社が十四人を合祀して以降は、首相が正式に参拝することは外交上正しくない。条約を尊重するかどうかの観点から考えるべきものだ」として、「内閣総理大臣の靖国神社参拝はサンフランシスコ条約違反である」という主張がある。

 

そもそも「東京裁判=極東國際軍事裁判」なるものは、「平和条約」発効以前の交戦状態継続中に行われた戦勝國による戦敗國に対する復讐である。「裁判」という體裁をとっているが、「罪刑法定主義」という大原則に反した國際法違反の軍事的報復である。その復讐によって殺された方々は、立派な戦死者である。ゆえに、いわゆる「A級戦犯」とされる方々こそ「昭和殉難者」として真っ先に靖國神社に祀られるべき方々である。また我々日本人は、「A級戦犯」などという言葉を使ってはならないのである。

 

「極東國際軍事裁判」は國際法上違法なのであるから一切無効である。第一、「サンフランシスコ講和条約」において日本が受諾したのは、「判決」であって「裁判」そのものではない。「サ条約」の英文には「judgment」と書かれている。これは「裁判」ではなく「判決」という意味である。「サ条約第十一条」は、日本政府が刑の執行を停止することを否定した条文なのである。わが国政府も国民も、「東京国際軍事裁判」そのものを受けいれたのでは絶対にない。「極東国際軍事裁判」が国際法上違法なものなのであるから、その「裁判」そのものは無効である。

 

「極東国際軍事裁判」は勝者による敗者に対する復讐に過ぎなかったのである。このようなものを根拠にして靖国神社について論ずること自体全く間違っている。そういう人たちは余程祖国に対する誇りを喪失した人々であり、『法の正義』を忘却している。

 

マスコミ界や政界・官界にこういう人が多くいることが祖国を危くしているのである。

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千駄木庵日乗十二月二十一日

午前は、諸雑務。

午後一時より、西荻窪にて、筆坂秀世元参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆など。

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2015年12月21日 (月)

武士道とは

 「武士道」とは、字義的には武士が守るべき道を意味する。中世以後発生した武士階級の間に発達した道徳律すなわち道徳的原理の規範のことといわれている。規範ではあるが、聖書やコーランや論語のように特定の人物によって書かれた教義書はない。

 

 武士道は、忠誠・名誉・尚武・勇気などを重んずる。その内容を詳しく言えば、(一)、忠孝を第一とし、(二)、廉恥(心が清らかで、名を惜しみ恥を知る心がつよいこと)を重んじ、(三)、義勇に励み、(四)、狂暴を挫いて孤弱を扶け、(五)、自己の責務を果たすということという。一言にして言えば、難に臨んで死を畏れず、一命を賭して君に仕えることである。

 

 和辻哲郎氏は、武士道の内容について、「(注・武士の)献身の道徳の中核とは…利己主義の克服、無我の実現である。…享楽を欲する自我の没却、主君への残りなき献身、それが武士たちにとっての三昧境であり、従ってそれ自身に絶対的価値を持つものであった。…『武者の習い』の確信が無我の実現にある。」(『日本倫理思想史』)と論じている。

 

 無我の心とは大和魂・そのままの心・もののあはれを感じる心と通じる。合理的な思考や判断以前の素直なる心=大和魂が武士道の奥底にある。武士道とは本来すめらみことに対する無我の献身であった。しかし、中世に至って力の強い者が弱い者を倒して獲得する地位である武士団の棟梁に対する忠誠という「私的」なものになってしまった。そこから覇道が生まれる。

 

 生死の際の覚悟のほどは、合理的な儒教論或いは仏教思想という外来思想とは全く縁のない日本民族特有の感性に依拠する。「今はこう」「今はこれまで」と悟った時、日本の武士は、まっしぐらに顧みることなく死ぬことを潔しとした。これが、日本的死生観である。

 

 武士道は中世に起こったものではない。また、儒教や仏教から発したものでもない。記紀・萬葉の歌を見ても明らかな如く、日本傳統的な中核精神(神道)から発した國及びすめらみことに対する忠誠心と名誉を重んじ恥を知る心が根幹である。

 

 倉前盛通氏は、「“もののあはれ”というか“日本的死生観”というか、混沌の中からもえいでて結ばれいのちを得たものが、解(ほど)けてふたたび混沌の中に隠れていくという生死の見定めは、儒教でも仏教でもなかった。」「武士の生死の覚悟は禅によって定まるものではない。もちろん、論理の虚構を排する禅の哲學は、『さかしらに言挙げせず』の傳統的自然観に結びつきやすかったこともあろう。しかし『今はこれまで』の意志決定は、涅槃や達磨という形而上學的で普遍的な法概念によって把えられるものではなかったであろう。原始の混沌がいまに生きている日本の精神風土、古代の神々の息吹きが残っている風土であるからこそ、論理の枠組みから外れた情動の激しい発露として、武士の死に方が生じてきたのである。…武士道が仏教から生じたものものならば、なぜ禅の盛んであった宋に武士道が生じなかったのであろうか。」(『艶の発想』)と論じている。

 

 大和魂・もののあはれ・日本的死生観が日本武士道の根底にあったのである。ゆえに、日本の武士の祖は、須佐之男命であり倭建命であり神武天皇であらせられる。

 戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値として押し戴いた。「平和と民主主義」は、國のために戦うという強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・主権・領土・平和・歴史・傳統が侵略的意図を持った外國から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する弱者の思想である。

 

 

 國家を守る精神は、國民の道義精神の要である。國防と道義は不離一體の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、兵役の義務・國防の義務がない國民は、眞の國民とはいえない。運命共同體であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、眞の國民である。 今日の日本人の中には、崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥ってい人がいる。

 

 

  外國人参政権付与も、國民としての義務に「兵役の義務」がきちんと憲法に書かれていないから起こる問題である。税金さえ納めていれば國民であるというまさに利益至上主義的考え方が、「定住外國人も税金を納めているから参政権を付与すべきだ」という考えを生むのである。 

 

 

  われわれ神洲清潔の民は、強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、もののふの心・大和魂=日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神に回帰しなければならない。 

 

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千駄木庵日乗十二月二十日

午前は、諸雑務。

午後からは、在宅して、明日のインタビューの準備、原稿執筆、校正など。

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2015年12月20日 (日)

「ますらをぶり」は日本民族の基本的道義精神である

 

 

神武天皇御製 

 

 「みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮一茎(かみらひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」(威勢のよい久米の人々の、粟の畑には臭い韮が一本生えて いる。その根のもとに、その芽をくっつけて、やっつけてしまうぞ)

 

 九州日向(宮崎)の美々津の浜を出発され、十年かかって橿原の地に至り、建國を宣言された。反抗した長髄彦を討たれる際に、皇軍を激励して詠まれた御歌である。烈々の攻撃精神が充満している。天皇の大御心は「和」「仁慈」だけではない。剣の精神・戦いの精神もあった。上御一人日本天皇はもののふの道の體現者であらせられた。

 

 「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一度戦闘となれば神武天皇御製に歌われたような「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」という雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

 ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されている。御東征の戦いは神を祭り、神の霊威を背負い神の御心のままの戦いであり武であった。故に武は神武であり、剣は神剣であり、戦いは聖戦となるのである。

 

 「天皇中心の神の國」がわが國體であるが、この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。天皇の統治したまえるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、御歴代の天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、そうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦い」を否定しているのではない。

 

 「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されているのである。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

 これらは別々の観念として傳えられているのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一體になること)の観念である。

 

 「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。つまり、武こそ真の平和を実現するのである。

 古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

 「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いわゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕えまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はこうした信仰にある。

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千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、年賀状原稿作成、原稿執筆。

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2015年12月19日 (土)

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった。それを考へずして、日本近代の戦ひと発展と祖国防衛・独立維持の歴史を弾劾するのは一方的であり自虐的である。

 

攘夷即ち西欧列強の武力侵略から祖国を守るためには、日本自らも武力を強化しなければならなかった。これを「攘夷のための開国」といふ。

 

近代日本の混迷の根本的原因は、明治維新直後の路線にあった。明治新政府は「攘夷のための開国」即ち文明開化路線を歩んだ。欧米使節団に参加した人をはじめとする文明開化路線の推進者たちは、欧米を進歩と捉へ、東洋を未開と捉へた。「脱亜入欧・文明開化路線」をまっしぐらに進んだ。そして日清・日露の戦いに勝利したことにより、日本は西欧化に成功したと認識し、アジアの盟主として、アジアの解放・アジアの進歩発展に貢献できると信じた。ところが、肝心要の日本の精神状況の頽廃と西洋化が進んだ。

 

さらに、近代化・工業化による日本国内の生活の変化が、自然と共に生き自然を神と拝ろがむ傳統信仰を希薄化せしめた。つまり、文明開化・脱亜入欧路線が、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の真姿を隠蔽した。そして権力国家・利益社会国家の強化が図られた。

 

西欧列強に抗して祖国の独立を維持するといふことは、「豐葦原千五百秋之瑞穂國日本」の防衛であった。そのためには、軍事力と科学技術を充実させなければならなかった。農業重視から工業重視へと転換が図られねばならなかった。そしてそれは、信仰共同体の破壊であり、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の隠蔽であった。これは自己保全のための自己否定といふ二律背反を意味する。日本國を守るために「瑞穂の國」といふ日本国の本質を否定若しくは隠蔽しなければならなかったところに近代日本の最大の悲劇があった。

 

日本の伝統信仰を無視した近代化・富国強兵は、魂を消失した国家の強化であるがゆゑに大きな矛盾を生み行き詰まることは明らかであった。「夷を以て夷を制する」「攘夷のための開国」といはれるが、日本自身が「夷」となり日本自身が「外国」になってしまったのでは元も子もなくなる。

 

ただし、かかる近代日本の悪しき側面を批判するだけでは駄目で、やはり弱肉強食の世界状況下にあって、日本が独立を維持していくために、明治日本及び近代日本がいかに苦悩したかも考察しなければならない。文明開化・富国強兵・西欧化を全面否定することはできない。萬止むを得なかったといふことである。

 

西欧諸国との拮抗、とりわけ帝国主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的対決でなければならなかった。欧米近代の国家の侵略による植民地化を跳ね除けるために「富国強兵」政策がとられた。「富国強兵」政策を否定することは出来ない。また、「富国強兵」を実現するために西洋の文物・学問・科学技術を取り入れることも必要であった。

 

しかし、その根底に日本伝統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。

 

日本が欧化路線を批判し近代日本が覇道を歩んだと弾劾するのは気分爽快かもしれない。しかし、祖国に生きる者はそれをしてはならない。するべきではない。することはできない。何故かならば、それは萬止むを得ざることだったからである。それは次の一点を見れば明白である。

 

明治新政府は、幕末期に徳川幕府が西洋列強と締結した日本国内に外国の軍隊が一方的に駐留し、裁判も外国人によって行はれるといふ不平等な条約を改正する事を大きな目標とした。明治四年(一八七一)の岩倉使節団派遣の最大目的は不平等条約の改正であった。しかし、維新直後のわが國による平等条約改正要望は列強に全く相手にされなかった。日本が不平等条約を改正できたのは、明治四十四年(一九一一)、日本が日清・日露両戦争の勝利した後だった。

 

田原総一朗氏は、「日本の帝國主義、覇権主義は、日清、日露戦争から考えなければならないとする説が少なくないが、日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたというのはぬぐえない事実である」(『日本の戦争』)と論じてゐる。

 

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則であった。それは二十一世紀を迎へた今日でも変っていない。近代日本が、帝國主義国家と対峙しつつ独立国家として自立していくためには、西欧化し近代化し軍備を整へねばならなかった。その道の到達点が、大東亜戦争であった。大東亜戦争は、明治維新以来の攘夷の戦ひの総決算であった。

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千駄木庵日乗十二月十八日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆、資料の整理など。

午後六時より、築地にて、同志・先輩各氏と懇談会。六本木に移り、二次会。小生、『長編歌謡浪曲俵星玄蕃』『大利根無情』『誰か故郷を思わざる』を熱唱。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年12月18日 (金)

維新とは、天皇國日本の真姿すなはち肇國以来の國體を回復することによって、現状の悪・穢れを祓ひ清める変革である

近年、「この國のかたち」といふ言葉がよく使はれる。この言葉は、司馬遼太郎氏の日本思想史をテーマとして著作の書名であり、それなりの意味が込められてゐる言葉だと思ふ。

 

しかし、現代の政治家や評論家がよく言ふ「この國のかたちを変へる」だの「維新」だの「革命」だの「一新」とは、一体どういふ定義なのか。「國のかたちを変へる」といふことは大変なことである。単なる行政改革・経済改革のことを「國のかたちを変へる」表現すべきではない。

 

日本といふ國家には日本の長き歴史の中から生まれてきた日本独自の<立國の精神>がある。それは、日本列島の豊かな自然環境と共に生きる生活・風土の中から生成して来た。

 

日本民族の生活の基本は稲作であり、日本人の主食は米である。古代から現代に至るまで、稲作を中心とした農事を営む人々が、五穀の豊饒を神に祈り、豊作を神に感謝する祭祀を行って来た。

 

祭祀を中核とする共同體の統率者・祭り主(共同體を代表して神に祈り、神の意志をうかがひ知りそれを國民に告げる役目の人)は信仰的権威を担った。古代における祭り主を中心とする信仰的な血族関係即ち共通の祭祀と文化を持つ村落共同體が、民族共同體へと自然に発展し生成してきた國家が、日本國である。つまり、稲作文化が祭祀を生み、その祭祀の祭り主を中心とした共同體の生成が、日本國家の成立である。

 

稲作に欠かすことのできない自然の恵みが太陽であり大地であり水である。その太陽と大地と水を、神として拝んだ。太陽の神が天照大神である。また大地の神は大國魂大國主大神などの國津神として祭られた。水の神は罔象女神(みつはのめのかみ)などの神々として祭られた。また稲穂そのものにも神の霊が宿ってゐるとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽を最も尊貴なる神として崇めた。それが天照大神である。

 

天照大神をはじめとする天津神、そして大地の神である國津神、水の神、および稲穂の霊などをお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主は、天照大神の御子即ち「日の御子」として國民から崇められた。これが即ち日本天皇であらせられる。

 

天照大神は、太陽の神であるのみならず、天皇の御祖先神と信じられた。そして天地の神々の祭り主たる天皇を、古代日本共同體の統一と連帯の中心者と仰いだ。

 

古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行はれる太陽神・天照大神の祭祀を頂点とし、その神聖なる権威が他の多くの地方の神々と祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現した。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神の祭祀によって聖化された。

 

これがわが日本の「この國のかたち」であり。正しくいへば「日本國體」である。わが國肇國以来の國體は、「日本は天皇を祭祀主・君主と仰ぐ祭祀國家・信仰共同体である」といふことである。これは永遠に変はらざるわが國體のである。「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體・祭祀國家・道義國家」が日本國の本質であり、日本國體である。

 

わが國に於ける維新とは、天皇國日本の真姿すなはち肇國以来の國體を回復することによって、現状の悪・穢れを祓ひ清める変革である。

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千駄木庵日乗十二月十七日

午前は、諸雑務。

午後は、平河町の平河天満宮に参拝。

この後、平河町の先輩事務所訪問。先輩と懇談。

この後、施設に赴き、母に付き添う。皆さんと歌を歌う。

午後六時より、若き友人と二氏と小忘年会。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年12月16日 (水)

國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社神道祭式によるのがあるべき姿である

わが國は建國以来、天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同體である。共同體としての日本國家と神社神道は本来一體なのである。それは決して教團宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

 

國家民族のために一身を捧げた護國の英靈を、わが國傳統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰靈し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどといふ批判は全く誤りである。

 

國のために身命を捧げた人々の御靈を共同體信仰である神道祭式でお祭りする靖國神社を、國家が奉護し、政府の長たる内閣総理大臣が公式に参拝するのは当然のことである。

 

神道祭式・神社は、わが國の稲作を基本とする共同體の生成と共に生まれた。神道祭式は、國家といふ共同體と不離一體の関係にある。五穀の豊饒を祈り収穫に感謝する祭りは個人の宗教行為といふよりも共同體(村)全體の行事である。神社神道は共同體(小さくは家大きくは國家)と一體なのである。日本傳統信仰たる神道そしてその祭りの場である神社は、國・町・村・家といふ共同體と共に生まれ守られ続けてきたのである。

 

日本民族は、神に対して常に祭祀を行ってきた。祭祀=「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」といふ言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行ふ」「ものを献上する」「ものを奉る」といふほどの意である。

 

<敬神崇祖>といふわが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の<神祭り><祭祀>といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、さうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

 

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強く盛んに行はれてゐる信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。

世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式によってゐる。祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祭りを行ふことは、わが國の神話時代からの傳統に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教團體による宗教行事ではない。

 

わが國の傳統的神道祭式による慰靈・鎮魂ではなく無宗教方式による慰靈では、真の慰靈・鎮魂とはならない。

 

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千駄木庵日乗十二月十六日

午前は、諸雑務。

午後二時より、芝の駐健保会館にて、『大行社』幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

この後、六本木にて「納め会」。同志各氏と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。

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2015年12月15日 (火)

「天孫降臨」「天津日嗣高御座」の意義

 「天津日嗣高御座」について本居宣長は、「天津日嗣(アマツヒツギ)の高御座(タカミクラ)は、天皇の御統(ミツイデ)を日嗣(ヒツギ)と申すは、日ノ神の御心を御心として、其御業(ミシワザ)を嗣坐(ツギマス)すが故なり。又その御坐(ミクラ)を高御坐と申すは、唯に高き由のみにあらず、日ノ神の御座なるが故なり。日には、高照(タカヒカル)とも高日(タカヒ)とも日高(ヒダカ)とも申す古語(フルコト)のあるを思へ。さて日の神の御坐を、次々(ツギツギ)に受け傳へ坐()して、其ノ御坐に大坐(オホマ)します天皇命にませば、日の神に等(ヒトシ)く坐すこと決(ウツナ)し。かゝれば、天津日ノ神のおほみうつくしみを蒙(カガフ)らむ者は、誰(タレ)しか天皇命には、可畏(カシコ)み敬(ヰヤ)び尊(タフト)みて、奉仕(ツカヘマツ)らざらむ」(『直毘霊』)と説いてゐる。

 

「天津日嗣の高御座は、皇統を日嗣と申すのは、日神の御心をわが御心として、その御業を継承なされてゐるためである。御座を高御座と申すのはただ高いからだけではない。日神がをられるところであるからである。日には高照るまたは高日とも日高とも申す古語があることを思ふべきである。さて、日神の高御座を次々に受け継ぎ伝へられて、その御位におはします天皇命であられるので、日神と等しくゐらっしゃることは疑ひがない。したがって天の日神の慈しみを蒙る者は、天皇命を畏敬し尊びて、ご奉仕しないことがあらうか」といふほどの意。

 

平田篤胤は「我が天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所知看(シロシメ)せと依(ヨサシ)賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子とは申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり」(『靈の真柱』)と説いてゐる。

 

「天津日嗣高御座(アマツヒツギノタカミクラ)」の「天津」とは「高天原の」の意であり、「日」は「太陽」もしくは「靈」の意である。「天津日嗣」とは、太陽神たる天照大神の靈統を嗣(つ)ぐといふほどの意である。つまり、高天原の天照大神から皇位を永遠に継承してゐるといふ意である。

 

「高御座(たかみくら)」は、『宣命』(宣命體で書かれた詔勅)や『萬葉集』や『中臣寿詞』に、「天津日嗣の高御座」と示されてゐるやうに、「天津日嗣」と不可分であり、天皇の「みくらい」を表す言葉である。

 

折口信夫氏は、「天津日嗣の高御座」とは「天上の神の居られる場所、と同一な高い場所といふ意味である。」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。

 

「高御座」とは高天原の天照大神のおられる所と同じ高さの所といふ意味なのである。「天津日嗣の高御座」とは、天の日神即ち天照大御神の御神霊を受け継がれて天下を統治されるお方が坐される高い場所の意である。

 

天皇陛下が即位式において「天津日嗣の高御座」に登られるのは、現御神として日本國を統治される事を闡明され、天照大神の地上における御代理即ち「現御神」としての御本質を開顕され天つ神と同格になられるのである。

 

高御座に上られ百官の前にお姿を現はされた天皇の御装束は、日の神の御姿である。

 

「天孫降臨」は、日神であり祖母神であらせられる天照大御神の御神霊そして穀霊を體された邇邇藝命が、「日嗣の御子」として豊葦原瑞穂國の稲穂の稔りを體現される御存在として地上に降られたのである。「即位の大礼」及び「大嘗祭」「新嘗祭」は「天孫降臨」の繰り返しの意義がある。

 

『紀元節』の歌に、「天津日繼ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。

 

皇位の繼承は肉體的な血統のみによるのではなく、日の神の神靈を繼承するといふ神代以来の信仰に基づくのである。邇邇藝命は正しくは、「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)と申し上げる。この御名は、「天地に賑々しく實ってゐる太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」といふほどの意である。邇邇藝命は、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の体現者であらせられる。

 

穀物を稔らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命が、地上に天降り、天上の斎庭の神聖なる稲穂を地上に稔らせるといふ「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを示してゐる。「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。

 

皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に傳持させ、その稲穂を地上において栄えさせるといふ使命を歴代の天皇に与へられた。それがわが日本の肇國であり、わが日本民族の基本的性格である。この尊い神話に日本といふ國家と民族の理想が示されてゐるのである。

 

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千駄木庵日乗十二月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。元気なり。有り難し。

帰宅後も、原稿執筆。明日のスピーチの準備など。

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神聖君主・天皇の御存在が日本國存立と安定の基礎

日本國存立と安定の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。いかなる醜い政治権力闘争が行なわれていても、日本国が崩壊せず統一と安定が保たれているのは、皇室の御存在があるからである。

 

日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

 

近代の歴史を顧みても、西欧列強のわが国に対する侵略の危機をはねのけた明治維新の大変革は、天皇・皇室を君主と仰ぐ日本國體の明徴化という原理によって断行された。大東亜戦争敗北という亡国の危機も、先帝昭和天皇の無私の大御心によって打開することができ、戦後復興が成し遂げられた。東日本大震災においても、今上天皇・皇后の国民を切に慈しみたまふ仁慈の御心がどれほど被災者たちの励ましになったか、はかり知れない。

 

わが国は建国以来、天照大御神の生みの御子・現御神日本天皇を、祭祀主・君主として仰いできた。これが万邦無比のわが日本國體である。国民が、天皇及び皇室を限りなく尊崇し奉ることが、わが國の平和と安定の基礎である。

 

しかし、天皇国日本の國體を破壊あるいは隠蔽せんとする勢力が存在してきたこともまた事実である。天皇・皇室の敵対する者すなわち朝敵・国賊は昔から存在したけれども最終的には悉く天皇・皇室の御稜威に服し、平定された。

 

大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」そしてその後続けられた左翼革命勢力、反皇室・反國體勢力による執拗な國家破壊策謀は、日本國を亡國への道を歩ましめる危険があった。しかしそれでも建国以来三千年の國體は破壊されることはなかった。常に世界の平和・国家の安泰・五穀の豊饒・國民の幸福を神に祈られる天皇・皇室に対する国民の尊崇の心は継承され続けてきた。今日、あからさまに『天皇制打倒』などと叫んでも誰も相手にしない。

 

それだけに、天皇を君主と仰ぐ日本國體を破壊せんとする策謀は最近きわめて巧妙になっている。天皇を中心とした國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の尊崇の心を破壊する事を目的として、皇室の尊厳性・神聖性を破壊する巧妙にして陰湿な画策を続けている。

 

『朝日新聞』など左翼偏向マスコミの皇室報道のあり方は、そうした巧妙な『天皇制打倒運動』=國體破壊策謀ではないのか。皇室に対する敬語の簡略化または廃止はその顕著な例である。発行日を、暦を主にし元号を括弧の中に書くようにしたのは、『朝日新聞』が一番先である。『朝日新聞』は反皇室・反日本的姿勢の新聞と断じても何ら間違いではない。

 

『朝日新聞』などのマスコミが、御皇室への敬語・尊敬語の使用を止めたのは、國民の皇室への尊崇の心を喪失せしめるための策謀である。「天皇皇后両陛下」「皇太子同妃両殿下」と書くべきなのに、「天皇ご夫妻」「皇太子ご夫妻」と書いている。ひどいのになると「天皇夫妻」と書いている(『週刊現代』など)。またマスコミ全般の皇室の尊厳性を損なう報道や論説は枚挙すればきりがない。

 

さらに「皇室」に対し奉り、「天皇御一家」とか「天皇家」と申し上げるのは慎むべきである。なぜなら、天照大神の後裔であらせられ、「姓氏」を持たれない「皇室」は普通一般の「何某家」ではないからである。

 

わが國は古来言葉を大切なものとして来た。『萬葉集』には「言霊の幸ふ國」「言霊のたすくる國」と歌われている。仏教は「声字即実相」と説いている。また『聖書ヨハネ伝』には「言葉は神なりき」とある。「言葉の乱れは世の乱れ」とも言われる。  

 

言葉は単なる意志伝達手段ではない。文化そのものであり人間の生活そのものである。その言葉を乱すことによって日本國體を破壊せんとしているのが『朝日』などの亡國マスコミ・反日マスコミなのである。

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千駄木庵日乗十二月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆。

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2015年12月13日 (日)

『MOMAT コレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示』を参観して

昨日参観した『MOMAT コレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示』は「戦後70年にあたる今年は、 4階、3階の2フロア、約1500㎡を使い、所蔵する藤田嗣治の全作品25点と特別出品の1点、計26点を展示します。特に戦争画14点の一挙展示は初の機会です。藤田が監督をつとめた貴重な映画もギャラリー内で常時上映します。藤田旧蔵の挿絵本や、藤田の言葉を伝える当時の雑誌なども加え、藤田のしごとをさまざまな側面からご紹介します。1920年代、パリで成功を収めた理由は何だったのか。なぜ日本に戻り、戦争画を制作したのか。戦後フランスに渡り、何を考えていたのか。藤田をめぐるさまざまな問いは、いまもわたしたちに未解決のまま残されています。この秋、藤田の魅力/魔力と『MOMATコレクション』の底力をどうぞ感じてください」(案内書)との趣旨で開催された。

 

藤田嗣治が描いた《自画像》1929年、《猫》1940年、《アッツ島玉砕》1943年、《サイパン島同胞臣節を全うす》1945年、《ソロモン海域における米兵の末路》1963年、《十二月八日の真珠湾》1942、《シンガポール最後の日》1942、《血戦ガダルカナル》1944、《神兵の救出到る》1944、などを参観。何とも凄まじい絵ばかりであった。

わが国における「戦争画」とは、特に、支那事変期から大東亜戦争期に、陸海軍の委嘱により画家たちが描いた絵画のことを指すという。戦争画とは言っても、藤田嗣治のそれは、戦争をただ賛美しているのではない。恐ろしさ、むごさを強調して表現しているように見えた。

 

あの美しくも魅惑的な乳白色の美人画や、猫を描いた絵、そして晩年に描いた可愛らしいフランスの子供たちを描いた絵とは全く異なるものであった。一体藤田嗣治はどういう心境で戦争画を描いたのであろうか。軍に協力したというのなら、これほどまでにむごたらしい作品にならなかったと思うのだが。なんとも不思議である。戦時下に、藤田の戦争画を見た人は感動した。《アッツ島玉砕》という作品の前では、戦死した人々を慰霊する心を表白してお賽銭を供え,涙を流して拝む人々がいた。これを見た藤田は深く感動したという。宗教画ではないのに、それほどまでに人を感動させた絵画はあまりないと思う。藤田の戦争画はそれだけ価値のある作品なのである。私も絵の前に立ちつくし、国の為に身命を捧げた人々の御霊に頭を垂れた。

 

戦後の昭和二十一年、アメリカ進駐軍は戦争画150点あまりを接収し、二六年、講和発効の直前に、作品をアメリカに運び出した。昭和三十六年、「日米修好100年」を機に日本国内で戦争画返還を求める声が高まり、外交交渉の末、昭和四五年、作品は「永久貸与」の形で日本に戻ってきたという。以来、東京国立近代美術館が保管している。

 

藤田嗣治は、終戦後、「戦争責任」なるもの追及され、画壇の一部から「責任を負ってくれ」と強要されたという。嫌気がさした藤田はフランスに行き、亡くなるまで祖国に帰ることはなかった。

 

小生がご指導を受けた作家・中河与一氏も、戦後文壇から「戦争協力者」として指弾を受け、文壇から追放された。その中河氏は、藤田嗣治と若い頃からの親友であった。フランスに藤田を訪ねて行ったこともある。『天の夕顔』『萬葉の精神』『愛恋無限』という中河氏の文藝作品も多くの人々に感動を与えた。藤田と中河はよく似た境遇であったと言えよう。中河幹子夫人は小生に、「うちの人も画家だったら、フランスへ行くという事も出来たかもしれないが、小説家はそうはいかなかった」と語っていたこと思い出す。

 

 

 

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千駄木庵日乗十二月十三日

午前は、諸雑務。

午後一時より、東京ビッグサイト国際会議場にて、『WSD世界人権サミット』開催。「このサミットには、政財界、学界、スポーツ界から国際的リーダーが集い、グローバルな視点で人権問題を討論します。今回のサミットでは、世界が直面する喫緊の人権問題の一つ、人身売買に関する認識を広めることをテーマにします。外交問題としては、ハードの安全保障に対する、ソフトの安全保障です。つまり、人の安全保障問題なのです。現在、人身売買を行う犯罪組織に対抗するため、国際的に様々な努力がなされています。このサミットでは、それらの努力の成果や協力性を高めるため、創造的な戦略を提言します。しかし、サミットなので、横道にそれた話しが興味深いのです」(案内書)との趣旨で開催された。

半田晴久、ヴァレリー・エイモス、スラキアット・サティアンタイ、ハッサン・ウィラユダ、オン・ケン・ヨン、城内実、高村正彦、デイヴィッド・コーエン、イアン・ソープ、デイヴィッド・カーデン、ハークリストゥテイ・ハークリスノウォ、ティアリー・セン、ラフェンディ・ジャミン、ベス・ヴァン・シャーク、ブレンダン・スキャネル、カロリーナ・ヘルナンデス、カヴィチョン・キッタヴォーン、カリム・カーン、リー・ハン・シ、ダト・シャマラ・アレゲンドラ、アヴィヴァ・ナババンの各氏が討論。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

 

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「武の心・もののふの心・ますらをぶり」の回復

『萬葉集』の中心の時代は、天武天皇の御代から、孝謙天皇の御代にかけてである。その時代は決して太平の世ではなかった。大化改新・壬申の乱といふ大変革・大建設の時代であり支那朝鮮からの武力侵攻の危機もあった。「やまとうた・和歌」をはじめとした優れた文藝はさうした時代に生まれる。変革・建設・戦ひと「和歌」とは切っても切れない関係にある。

 

 今日のわが國も萬葉時代とまったく同じ内憂外患交々来たるといった危機的状況にある。それは逆に変革の時代でありさらなる発展の時代であるともいへる。國家的危機を乗り越へ偉大なる変革を成し遂げた萬葉時代の日本民族精神に學び回帰すべきである。

 

 保田與重郎氏は、「わが國の歴史に於いてみても、國民思想の樹立の契機となる重大な問題は、壬申の亂を峠とする時代の國の人心と人倫の歸趨にある。…萬葉集に於ては、はるかに一般國民精神の動向を臣民に道に於てあまねくうつし、しかも最もよく國の倫理の大本を護持して、當時二百年前後にわたる海外文化の影響下の日本にあって、わが固有の文化の流れを傳へた歴史の精神が如何に己を持して動かなかったかを示す點で國の精神の重きを思はせて實に感謝に耐へないものがある」(『萬葉集の精神』)と論じてをられる。

 

『萬葉集』には大変革・大建設の時代の息吹きに満ち満ちた日本民族の精神が歌はれてゐる。『萬葉集』の中核精神は、國家の危急時に、わが國民が如何にして天皇を中心とする國體を守り、國民が神と天皇に仕へ奉ったかが表白されてゐる。歌の調べの美しさも、慟哭も、みなこの一点より解さねばならない。萬葉歌のみならず和歌を學ぶとは、和歌の道に傳はった日本傳統精神に回帰しそれを踏み行ふことなのである。

 

今日の日本において特に取り戻さなければならないのは萬葉時代以来の「武の心・もののふの心・ますらをぶり」である。

 

大東亜戦争敗北以後、「武の心・もののふの心・ますらをぶり」が否定され隠蔽され続けてきた。『現行占領憲法』の三原理のひとつに「平和主義」といふのがあるが、これは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。ゆへに、日本及び日本國民は今後一切いかなることがあっても、武力・戦力・國軍は持たない、武力の行使はしない、戦争はしないことを決意する」といふ思想である。それは戦勝國による日本弱体化思想以外の何ものでもない。

 

國家を守る精神こそ、國民の道義精神の要の一つである。國防と道義は不離一体の関係にある。「國民」は、運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感があってこそ、「國民」である。

 

崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さへよければ他人はどうなってもいいといふ考へ方に陥ってゐる現代の青少年によって、凶悪無比なる犯罪が繰返されてゐる。軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の平和も、眞の道義もなくなっているのである。 

 

平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し實現するために國防力・軍事力が不可欠である。そしてその根幹として、日本國民一人一人が「武の心・もののふの心・ますらをぶり」の回復がなければならない。 

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千駄木庵日乗十二月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『МOМATコレクション特集:藤田嗣治全所蔵作品展示』展参観。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆の準備、原稿執筆。

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2015年12月12日 (土)

この頃詠みし歌

父の上着を揺り椅子の上に置きしまま三年経てり懐かしみつつ

 

留守番電話にのこる父の音声を消すことはなし我生きる限り

 

東都北鎮根津権現の氏子として今日も暮らしゐるこの千駄木に

 

色冴えぬ紅葉見つつ せはしなく年の瀬の街を歩み行くなり

 

静か夜は煙草くゆらしもの思ふことぞよろしき一人居の部屋

 

一日に五六本の煙草吸ふ事をとがめられることあらざるや

 

よくしゃべる老人の隣に一人座し酒を呑みをり耳は塞げず

 

かすかなる水音頼りにのぼり行き小さき流れに巡り合ひたり

 

冬日さす路上に寝そべる猫一匹人を恐れず我を見つめる

 

黄葉はあと幾日か散らざるや街路樹見上げる師走の夕べ

 

喫煙可の茶房に坐りて落ち着きぬさて一杯のコーヒーを飲まむ

 

古き茶房の老いたる店主がつくりたるコーヒー美味し今日もまた飲む

 

メンチカツ食してうまきビヤホール神保町の街眺めつつ

 

その昔吉田健一と出逢ひたる古き酒房で生ビール飲む

 

古書店の懐かしき看板を眺めつつ図書館勤務の若き日を偲ぶ

 

小宮山も大雲堂も未だ健在ああ懐かしき古書店の街

 

そのかみの栄華を偲び佇めば黄葉かがよふ今日の六義園 

子を思ふ母の心の歌を読み胸迫り来る今宵なりけり(中河幹子先生歌集『悲母』を讀みて)

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千駄木庵日乗十二月十一日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、原稿執筆の準備・原稿執筆。

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2015年12月11日 (金)

「天皇の國家統治」とは

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事をいふ。

 

日本天皇の國家統治とは、天皇が権力や武力によって國家國民を屈従させることではないし、天皇が國民の意志を全く無視し蹂躙して恣意的に権力を行使するといふ事でもない。

 

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事をいふのであり、「天皇は日本國の統治者である」とは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。

 

「統治」とは〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

 

祭祀國家・信仰共同体であった古代日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。

 

明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といへども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したといふ。

 

日本天皇は、『朕は國家なり』と言ふような國家國民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。

 

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。

 

天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した日本神話には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られた時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

 それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ生みの子よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されてゐる。

 

この御神勅は、天照大神の神霊をそのまま受け継がれた生みの子たる天皇が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐる。

 

天皇の國家統治とは、人為的に権力・武力によって民と國土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって國民と國土を治めるといふことである。

 

〈やまとことば〉ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言ふ。天皇が民の心を聞かれるといふ意味である。

 

 日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひめあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本國の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたとされる。

 

天皇の國家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈従せしめるといふものではない。天皇は國民の意思を広くお知りになり統合される御存在であるといふ事である。

 

さらにいへば天皇の國家統治とは、國家と國民の統一と調和すなはち統合が天皇の宗教的権威によって保たれるといふことである。

 

ただし、天皇が日本傳統信仰の祭祀主として君臨されるといふことは、天皇が現実政治に全く関はりを持たれないといふことではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にゐまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられてゐることが、政治のみならず日本國のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

 

「わが國は天皇を君主と仰ぐ君主國である」といふ建國以来の傳統即ち日本國體を護りぬかねばならないし、正しく開顕しなければならない。

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千駄木庵日乗十二月十日

午前は、諸雑務。

午後は、書状執筆、原稿執筆の準備。

午後六時より、新宿にて、『三浦重周烈士没後十年追悼会「早雪忌」』開催。玉川博己氏が主催者挨拶。出席者数氏が追悼の言葉を述べ、故人を偲んだ。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年12月10日 (木)

「國民主権」なる概念をわが國の成文憲法から徹底的に排除しなければならない

「國民主権」といふ日本の傳統と相容れない西洋概念を成文憲法に持ち込んではならない。

 

「『大日本帝國憲法』では主権は天皇にあったが、『現行憲法』では主権が國民に移った、故に天皇は君主ではない」といふ議論が蔓延してゐる。

 

「國民主権」といふ思想は、西洋の歴史における國王あるいは皇帝と人民との権利のぶつかり合ひの中から生まれた思想である。西洋の憲法の歴史とは、國王・皇帝と人民との権力争奪戦の歴史と言っても過言ではない。

 

ところが、日本國の君主であらせられる天皇と大御宝である日本國民とが権力闘争を行なふなどといふ歴史は日本にはなかった。日本國體は、君民一体であり、君と民とは信仰的にも精神的にも文化的にもそして政治権力の関係においても、闘争関係・対立関係にあった事はない。これを君民一体・君臣一如の國體といふ。わが國には君主に主権があるとか、人民に主権があるとかいふやうな発想は本来なかった。従って「國民主権」といふ日本の傳統と相容れない西洋概念を成文憲法に持ち込んではならない。

 

小生は憲法學は素人であるが、憲法學では「國民主権」といふ事自体「抗争的概念」とされてゐるといふ。吉原恒雄氏は、「國民(人民)主権學説は十六世紀のキリスト教プロテスタント運動の過程で、第一階層である聖職者と第二階層である君主・貴族との権力争いの中で生まれたものだ。…支配力が衰えつつある聖職者側が君主を上回る権力を保有する論拠として構築したのが國民主権説である。…十七世紀に入ってこの國民主権學説は、第三階層と呼ばれたブルジョアジー(市民)が第二階層の君主・貴族に対抗する理論として利用されるようになる。…國民主権は人類普遍の原理どころか、特定の時代背景のもとに特定の意図を持って構築された理論であり、極めで特殊的゛なものである…統治原理は文化の霊の中核をなすものである。日本の現状は、國民主権という他國の守護神が成文法に入りこみ悪意と破壊の鬼になって暴れまわっている状況と言ってよい。それゆえ、憲法論議の中心は國民主権主義の検証でなければならない。」と論じておられる。(『祖國の青年』平成十一年六月号・「『國民主権』は憲法論議の前提か」)と論じてゐる。

 

この吉原氏の論は、今日のわが國において「天皇は君主でも元首でもない」などといふ暴論(憲法學界では永い間「天皇元首説」は少数説だったといふ)が罷り通ってゐる根本原因を鋭く言ひ当ててゐる。

戦後に押し付けられた米國製の憲法ではじめて「國民主権」などといふ言葉・概念が登場した。これは、天皇を君主と仰ぐ日本の國柄を隠蔽せしめ日本民族と國家を弱体化せんとする戦勝國アメリカの意図に基く。

 

「國民主権」といふ日本の傳統的國家観とは相容れない思想・概念・言葉はわが國の憲法から排除しなければならない。「國民主権論」を第一とした「現行憲法三原理」を踏襲する憲法改定では、「自主憲法制定」にも「憲法改正」(「改正」とは間違ひや不十分な部分を直して良くするといふ意)にもならない。

 

西洋の価値観である「國民主権論」と、わが國の「歴史・傳統及び文化に根ざした固有の価値」とは矛盾するものである。西洋概念でありその「定義」も多義にわたってゐる「國民主権」なる概念をわが國の成文憲法から徹底的に排除しなければならない。

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千駄木庵日乗十二月九日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

午後六時半より、南大塚地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が、柿本人麻呂の歌などを講義。

閉会後、出席者の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年12月 9日 (水)

「天皇」といふ御稱号について

わが國の君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり、成文憲法の規定によって、天皇が君主となられるのではない。

 

「天皇」といふ御稱号の「字義」は、「天」は天つ神のをられるところすなはち高天原である。「皇」は冠が架上に置かれている形の象形文字であり天の神をいふ。(加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』)

 

津田左右吉氏は、「推古天皇時代にかういふ御稱號の用ゐられたことは確實であらう。これは此の天皇の丁卯の年に書かれた法隆寺金堂の藥師像の光背の銘に『池邊大宮治天下天皇』とあるからである」「『天皇』といふ御稱号がやはりシナの成語を採ったものであることは、おのづから推知せられる。さうしてそれは、多分、神仙説もしくは道教に關係ある書物から来たのであらう」「支那に於ける天皇の稱呼は、帝王としての意義を裏面には含みながら、宗教的觀念が主になってゐるのであるが、それは恰もよく、上代人の思想に於いて政治的君主の地位に宗教的由来があり、その意味で神とも呼ばれ、そこから天つ神の御子孫として天から降られたといふことになってゐた、わが皇室の地位に適合するものであって、此の語の採られた主旨もそこにあったに違ひない」と論じてゐる。(『日本上代史の研究』)

 

肥後和男氏は、「『天皇』というのはもちろん中國語で、『三皇本紀』に『天地初めて立つ、天皇氏有り』と見え、天の支配者といった意味で、いわば最高の神格をさした名称であり、中國でも君主をば天子と称し、あえて天皇とはいわなかった」「聖徳太子は…スメラミコトは天皇という新しい称号のもとに、絶対なる存在たらしめようとした。ここに、中國では天の支配者をさす『天皇』という大きな名を、スメラミコトの称号として採用することにふみきったものと思われる」「聖徳太子等をして、そこまでふみきらせた歴史的根拠は…古くからの日神信仰にあったと考えられる。…日本民族は『ことば』にひとつの力を認める。それがいわゆる言霊の説であるが、スメラミコトが天皇という称号を用いることによって、その本質が一段と高められ、一種の神格的存在となった…」「太子が隋との國交において対等の礼を用い、その國書に『東天皇つつしみて西皇帝に申す』といった用語をされたことは、日本を未開の外蕃とみなしてきた中國古来のゆきかたに正面から挑戦したもの…」と論じてゐる。(『天皇と國のあゆみ』)

 

高森明勅氏は、「天皇号の成立は、シナ王朝を中心とする古代東アジア世界において、わが國が自尊独立の文明國家を目指すことを内外に闡明したもの」「天皇号成立の意義については、対外的には何ものにも従属しない國家の主体性と尊厳を表徴するものであって、同時に國内的には、君主大権の神聖な超越的権威と公的・普遍的統治の理念を堅持するものだったと言へるのである」と論じてゐる。(「天皇号の濫觴」・『立正』誌皇紀二六五五年一月号)

 

「天皇」といふ御稱号は、「天の神様」を指すことばである。日本國の君主を『天皇』と申し上げるのは、天命の主体たる天つ神の地上的御顕現、言ひ換へると肉身をそなへた天つ神すなはち『現御神』もしくは『現人神』がわが國の君主であらせられるといふわが國の傳統的な「天皇信仰」に基づく御稱号である。

 

山崎闇斎を祖とする「垂加神道」の「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり」(玉木清英『藻盬草』)といふ「絶対尊皇思想」は、「天皇」といふ御稱号の意義と一致する。

 

里見岸雄氏は、「天皇とはなにかといふことは、天皇なる概念に含まれてゐる多くの表象を分析した上で総合的に観念されなければならないのであって、憲法によって天皇の概念が定まったかの如くに思ひ、そして、軽視的に『象徴である』『象徴に過ぎない』などといふのは、全く逆である」「憲法の象徴といふ規定と関連して、天皇非君主説、換言すれば天皇國民説、乃至天皇非元首説を主張するのは、憲法の法相を無視し、天皇概念を正確に把持しない非科學的独断、イデオロギー的見解といはねばならぬ」「古来の日本人が、天皇といふ言葉によって観念してきたものは、…他國に類例のない理想的帝王であるとの誇りに充ちた観念である…もう少しくわしく言えば、天皇とは、日本國民が古来、世界に類例のない理想的帝王であると信じてきた萬世一系の君主である。と定義してよからう」「憲法が天皇といふ文字を用ゐてゐるのは、國民に対しての概念である事、及び天皇なる文字そのものが君主の意味である事を前提としたものであるのは明白であって、天皇が君主でないなら、天皇の文字を用ゐることは許されぬ。天皇は明白疑ふ余地のない君主である」と論じてをられる。(『萬世一系の天皇』)

 

ともかくわが國においては、神聖なる君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり、成文憲法の規定によって天皇が君主となられるのではないのである。繰返し言ふ。天皇は君主ではないなどといふ論議は全く成り立たないのである。

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千駄木庵日乗十二月八日

午前は、諸雑務。

午後二時半より、六本木の国際文化会館にて、八木秀次氏にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。

帰宅後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

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2015年12月 8日 (火)

日本郷友連盟東京都郷友会主催『歴史・防衛講座』における青山学院大学大学院教授福井義高氏による「歴史における意図と結果~チャンドラ・ボースと汪兆銘の場合~」と題する講演内容

八月二十二日に行われた日本郷友連盟東京都郷友会主催『歴史・防衛講座』における青山学院大学大学院教授福井義高氏による「歴史における意図と結果~チャンドラ・ボースと汪兆銘の場合~」と題する講演内容は次の通り。

 

「皇国史観とは、一言で言えば、『日本は立派である』という歴史観。戦後、それを全否定する歴史観になった。NHKの朝ドラの歴史観は必ずそうなっている。日本とドイツは経済力があるのにいまだに国連常任理事国になっていない。七十年前に固まったまま今日まで来ている。この二つの歴史観は、戦前も戦後も日本が主役だという歴史観。皇国史観も戦後の史観も日本は世界の主役として書かれている。

 

『七十年談話』はアメリカを意識して書かれている。『侵略』(aggression)とは英語では『攻撃した』という意味。日本は当然、世界の主役ではなかった。米英ソが主役であった。この三国は持久戦に耐えることが出来た。日本やドイツは地域での強者。長期持久戦は不可能。それがあたかも世界征服を狙っていたと考えられた。

 

人間の意図しない結果が重要。皆が自分勝手にやると何となくうまくいく。『私益を追求すると公益になる』とアダム・スミスは言った。意図が良いか悪いかと、結果が良いか悪いかとは関係ない。意図の良否と結果の良否の切り離し。意図がそのまま結果になるわけではない。意図を議論しても仕方ない。スターリンは、『日本は歴史の進行を追い立てるために選ばれた間抜けだ』と言った。

 

藤原岩市氏のF機関は汪兆銘政権樹立工作と並ぶ工作を行った。インド独立支援。ネルー王朝の終焉はインドの自己認識の変化をもたらした。ネルーの非同盟平和路線は失敗だったと言われている。強くなったインドのイメージに合うのはチャンドラ・ボースである。ボースはインドでは評価され、欧米では否定されている。

 

マレー・シンガポール攻略戦は、自存自衛の勢力圏確保するために真珠湾より重要な戦い。二カ月で十万人の敵を三万人で攻略。英兵五万とインド兵五万であっが、F機関の工作で、インド兵は南下する日本軍に戦わずして投降。日本軍は手を挙げたインド兵を寛大に扱った。シンガポール陥落前にINA(インド国民軍)誕生。藤原岩市氏は『日本軍はインド兵諸君を捕虜という観念で見ていない。日本軍はインド兵諸君を兄弟の情愛で見ている』と演説した。工作の最中に、官僚的移動で藤原氏は転属。インド全体でネタージ(指導者)と呼ばれていたボースの重要性を理解できなかった。

 

ボースは四十七歳で、台湾で死去。日本軍と共にINA(インド国民軍)がインパールで戦ったことが、インド独立を決定づける。INA将校を反逆者として裁こうとしたらインド民衆が激高した。チャーチルはガンジーを蛇蝎の如く嫌った。

 

毛沢東はスターリンの傀儡。蒋介石アメリカの傀儡。汪兆銘は日本の傀儡。三つの傀儡があった。毛沢東は一九四三年まで、スターリンに指示されていた。

 

大東亜戦争により、旧体制は打破され、植民地支配に引導を渡した。毛沢東が覇者になる事により、日本の戦略的価値は高まった。スターリンはゾルゲを全く評価していなかった。スターリンが死んでからゾルゲを評価。『歴史の進行を追い立てる鞭として選ばれた間抜け』というのがスターリンの日本評価。

 

アメリカ政府の中に二百人のソ連のスパイがいた。日本もゾルゲと尾崎の二人だけではなかったであろう。社会主義プラス天皇という思想は、日本の右翼と軍の中にもあった。『敵の敵は味方』という発想もあった。計画経済への期待も高かった。ソ連は当時、人種差別反対を強く打ち出していた。アメリカ・イギリスは差別は当然と考えていた」。

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千駄木庵日乗十二月七日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母に付き添う。食事の介助。

午後二時半より、衆議院第二議員会館にて、下村博文衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年12月 7日 (月)

天皇が日本國の君主であらせられることは「帝国憲法」下においても「現行憲法」下においても全く変りはない。

日本天皇は日本國の君主であらせられることは日本建國以来の傳統であり事実である。それは「大日本帝國憲法」下においても「現行占領憲法」下においても全く変りのないわが國の國體である。

 

国歌「君が代」の「君」とは日本國の君主であらせられる天皇の御事であり、「君が代」とは「天皇の御代」といふ意である。そして日本國は天皇と國民は対立する関係ではなく、精神的に一体関係にあるから、「君が代」=天皇の御代とは「天皇及び天皇を君主と仰ぐ日本國及び日本國民」と解釈するのが正しいし、これ以外の解釈はあり得ない。

 

「君主」とは、「世襲により國家の最高位にある人。天子。皇帝。帝王」と定義される。この定義にあてはまる御存在はわが國においては建國以来今日に至るまで天皇以外にあり得ない。「現行占領憲法」下においても、天皇が君主であらせられることは、条文に照らしても、また、皇居における様々な行事そして國會の開會式などを見ても、あまりにも明白である。

 

「現行占領憲法」においても、天皇が日本國の君主であらせられることについて、佐伯宣親氏は、「君主とは…『統治権の重要部分を掌握し(特に行政の主体であり)、國家の象徴的性格を持つ、世襲の独任機関』であるというのが最も一般的な定義のようである。…今日ではほとんどの君主國において君主の権限が形式的なものとなってゐることを考慮すれば、形式的ではあるが、内閣総理大臣の任命、最高裁判所長官の任命、國會の召集および解散という國家統治権の中枢的なことがらが天皇の権能とされており、さらに、皇位が象徴的性格をもつ世襲制の独任機関であるというところからして、天皇は現代的意味で日本國の君主であると解するのが妥当なところであろう。」と論じてゐる。(『現代憲法學の論点』)

 

「形式的」と言ふけれども、形式は非常に大事なのである。國家においても団体においても家庭においても重要なことであるばあるほど、ある形式を踏まなければ物事が成立しない。そのことについて佐伯氏は「内閣総理大臣や最高裁判所長官は天皇の任命を得てはじめてその地位につくのであり、天皇によらない任命は無効である。また、天皇によらない國會の召集や衆議院の解散も無効である」と述べてゐる。

 

昭和四十八年六月二十八日の参議院内閣委員會で吉國一郎内閣法制局長官(当時)は、「わが國は、國民の総意に基づいて象徴たる天皇をいただいておるという意味の天皇制の國である…公選による大統領その他の元首を持つことが共和制の顕著な特質であるということが一般の學説でございまするので、わが國は共和制ではないことはまず明らかであろうと思います。…わが國は近代的な憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行なう國家でございます以上、立憲君主國と言っても差し支えないであろうと思います。」と答弁してゐる。(大原康男氏編著『詳録・皇室をめぐる國會論議』)

 

 「現行占領憲法」において「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴」と規定されてのは、過去から現在そして将来へと永遠に続く日本國と日本國民の生きた姿が、日本國の君主であられる天皇御一身によって体現されるといふ事である。天皇が日本國の君主であらせられるからこそ「日本國及び日本國民統合の象徴」といふお役目を果たされるのである。「天皇は象徴であって君主ではない」とすることは重大なる國體隠蔽といふよりも國體破壊である。

 

「現行占領憲法」の押し付けによって、「天皇の御地位は統治者・元首から象徴になった」といふ議論があるが、「天皇」といふ御存在自体が「君主」であらせられ「元首」であらせられるのである。「天皇といふ御稱号を持たれる日本國の君主が、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴である」といふのが正しい憲法解釈であり、それ以外の解釈はあり得ない。

 

わが國は永遠に天皇が君主であらせられる國である。それを「君が代」といふのである。すなわち君が代とは「天皇國日本」なのである。これを否定し破壊する事は断じてあってはならない。

 

そもそも「國歌君が代」は、大日本帝國憲法下であらうと現行占領憲法下であらうと、その原義が変化する事はあり得ない。解釈は解釈であって原義ではない。「和歌」の原義は憲法がどう変化しやうとも変化する事はあり得ない。『萬葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』などに収められた和歌の原義が、「現行憲法」下と「帝國憲法」下とで変化したなどといふ事はあり得ない。和歌である「國歌君が代」の原義と憲法は無関係である。

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千駄木庵日乗十二月八日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理など。

午後六時より、春日の文京シビックホールにて、『第五十七回 日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。松本創氏が開会の挨拶。瀬戸弘幸氏が「ヘイトスピーチ規制と言論の自由」と題して講演。小生が「大東亜戦争の意義と戦後体制の打倒」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。渡邊昇氏が閉会の挨拶を行い終了。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2015年12月 6日 (日)

「天皇はわが國の君主であり、わが國は立憲君主國である」

「天皇はわが國の君主であり、わが國は立憲君主國である」といふ明々白々たる事実、わが國建國以来の國體否定につながる論議をする政治家が、大正生まれの政治家、それも政府与党の枢要な地位と役職を経験して来た政治家にも存在した。

 

内閣官房副長官といふ官僚の最高位に昇りつめ政治家としても内閣副総理といふ枢要な地位についた後藤田正晴氏は、國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではないといふ意識の持ち主である。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

 

これは天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國國體を否定し、現行占領憲法体制下においても、わが國は立憲君主制であるという自明の理を否定する発言である。

 

後藤田氏はまた、「私が役人になった戦前は天皇制であり、当時は官吏といわれていた。…統治権を構成している一員の立場にあり、一方、國民は被治者の立場にあった。…ところが現在は新しい憲法によって國民主権が確立し、役人は全体の奉仕者つまり國民に対してサービスを提供する立場にある。戦前と比較すれば、主客転倒した関係になった」と述べてゐる。(『政治とは何か』)

 

さらに、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏は次のやうに述べた。

「中曾根康弘 私は國民投票による首相が望ましい姿だと思っています。中曾根内閣はいわゆる大統領的首相の手法でやったのです。というのは、いまの憲法上の首相の地位も、アメリカの大統領より強いですよ。最高裁裁判長も閣議で推薦するとか、自衛隊の最高司令官になっているとか、國會の多数党の首領になっていればアメリカの大統領より権限は強いのです。しかし、それをよう使いませんね。それは吉田茂さんに罪がある。あの人は戦前の総理大臣のイメージが頭から消えきれなかった。つまり、天皇を上に置いて、同輩中の首席的総理大臣というイメージですね。だから『臣茂(しん・しげる)』と言ったわけですよ。そういう戦前の古い陋習の総理大臣というイメージを、吉田さんは持っていた。天皇の権威を維持するために、臣茂が一番いいのだと思ったのではないでしょうか。しかし私に言わしめれば、それが間違いなのです。主権はいま國民に在って、天皇ではないのですからね。総理大臣はそういう意味で、そうとうな責任と権限を持っている。だから、思い切ってやればいいのです。天皇は、歴史と傳統と文化による権威を持ち、首相は政治的権力を持つ。(JUSTICE 平成十三年三月十九日号)

 

これは後藤田氏以上に重大な発言である。中曽根氏は、「主権は天皇にはなく國民にある。総理大臣は天皇陛下の臣下ではない。総理大臣が天皇陛下の臣下だといふ思想は戦前の古い陋習である」と主張してゐるのである。

 

ところが中曽根氏は、通産大臣だった昭和四十八年六月五日、参議院内閣委員會で、「自分は過日イラン訪問の際、イラン首相に『日本はアジアの東にあって王制の國です。あなた方はアジアの西にあって同じく王制の國で、ともに古い傳統をもってゐる』と言った」と発言した。

 

一体中曽根氏の本心はどちらなのであらうか。中曽根氏がかつて言った通り日本國は「王制」(正しくは立憲君主制)であるのだから、吉田茂内閣総理大臣が『臣茂』と言ったのは当然である。國家存立の最も重要な問題で主張が文字通り[風見鶏]のやうにコロコロ正反対に変化するのはまことに遺憾である。

 

後藤田正晴氏は、大正三年八月九日生まれ。昭和十四年、東京大學法學部卒。中曽根康弘氏は、大正七年五月二十七日生まれ。昭和十六年、東京大學法學部卒。お二人とも大体同年代でしかも内務官僚であり、軍隊経験もあり、同じやうな人生経歴である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点に立った後藤田氏、そして、内閣総理大臣といふ権力の頂点に上り詰め大勲位まで頂いた中曽根氏といふ「保守政治家」の典型と言っていい二人の人物がこのやうな発言をしたのである。

 

大正五年生まれで、京都大學法學部卒業、昭和十四年内務省採用、宮内庁総務課長、京都府警察本部長、近畿管区警察局長を歴任された大野健雄氏の著書に『なぜ天皇を尊敬するのか─その哲學と憲法』がある。大野氏は後藤田・中曽根両氏と大体同年代で同じ内務官僚である。後藤田・中曽根両氏と同じく軍隊経験もある。大野氏はこの書物において後藤田・中曽根両氏とは全く正反対の正統なる國體論・天皇論・憲法論を展開されてゐる。

 

大野氏はその著書において次のやうに論じてをられる。「天皇は君主である。…(ところが)君主ではないなどという日本人がいるので事がややこしいのである。それも精神病院にでもいるというのなら話は分るが、一応世間的には學者という事になっている人物なのでまこと慨嘆に堪えない訳である」と論じてゐる。

 

「世間的には學者という事になっている人物」のみならず「世間的には政治家それも内閣総理大臣・内閣副総理といわれた人物」にも、天皇は君主ではあらせられないと思ってゐる人物がゐるのである。まことにもって慨嘆に堪へない。

 

宮沢俊義・清宮四郎両氏が「天皇が『君主に共通な標識』を持ってゐないから、天皇は君主ではなく日本國は君主制ではない」と説いてゐることについて大野氏は、「宮沢、清宮両氏の標識と称するものも…ヨーロッパ諸國の君主について、歴史上見られたと思われるものを抽き出したもので別に大した権威のあるものとは思われず…我が日本の國に適用せらるべき標識とは思われない。」と論じてをられる。

 

ちなみに、宮沢俊義氏のいふ『君主に共通な標識』とは「a独任機関であること b統治権の主要な部分、少なくとも、行政権を有すること、c対外的に國家を代表する資格を有すること d一般國民とは違った身分を有し、多くの場合その地位が世襲であること eその地位に傳統的ないしカリスマ的な威厳が伴うこと f國の象徴たる役割を有すること」であるといふ。

 

大野氏は、「天皇は立法権に対しては日本國憲法第七条の國會の召集権、衆議院の解散権をお持ちになり、六条によって行政府の長たる内閣総理大臣を任命し給い、さらに司法に対しては最高裁判所の長たる裁判官を任命し給う。これ等は統治権の最も重要な部分と言わずして何ぞや。…天皇の権威にして初めて有効になし能うのであって、天皇以外何人もなし得ないものである。」

(外國大公使の接受)とは外國の代表である大使公使の信任状の奉呈を受け給うことを含む極めて重要な天皇の大権であり、単なる儀礼的なことではない」

「十九世紀のヨーロッパの覆滅常ならざる諸君主に共通すると称する標識の解釈によってはじめて君主であらせられるのではなく、天皇は太古以来『おおぎみ』にましまし、君主でない天皇など日本國民にとって夢想だにできるものではない。」

「前述の標識の如きは、本来天皇が勿論君主であらせられることを大前提としてそれに適合するような解釈を施すべきであり、もしそれが困難な標識ならば標識の方が間違っているものとして捨て去るべきである。…天皇はもとより君主にましまし、わが國は日本國憲法のもとにおいても立憲君主國であって、象徴的君主制ということができよう。」

と論じてゐれる。まさに正論である。

 

今日、グレートブリテン・北アイルランド連合王國(イギリス)、スウェーデン王國、オランダ王國など自由民主政治が行なわれている國の君主は、いふまでもなく専制君主ではない。また政治的実権を持っていない。しかし、國民から君主と仰がれてゐる。「政治的実権を持たないから君主ではない」などといふことはない。

 

日本天皇の「憲法上の御地位」は、独任機関であり、國事行為といふ統治権を有し、対外的に國家を代表する資格を有し、一般國民とは違った身分を有し、その地位はいはゆる世襲であり、傳統的な威厳が伴ひ、國の象徴たる役割を有してゐる。「現行占領憲法」上の天皇の御地位も、宮沢俊義・清宮四郎両氏がいふ『君主に共通な標識』を十分に充たしてゐる。

 

「現行憲法」においても、天皇が君主であり日本國は立憲君主國であるといふことはあまりにも明白な事実である。ただし、わが國を弱体化する事を目的として銃剣の圧力で押し付けられた「現行占領憲法」の『天皇条項』が日本國體の真姿を正しく明確に成文化してゐるとはいへない。だから、宮沢俊義・清宮四郎両氏のような「天皇が『君主に共通な標識』を持ってゐないから、天皇は君主ではなく日本國は君主制ではない」といふ解釈が生まれるのである。

 

天皇は近代成文法以前から君臨されてきた日本國の神聖なる君主であらせられる。日本國の國體が隠蔽されてゐる状況を是正し、さらには國體破壊を防ぐめには、天皇は日本國の君主であらせられ日本國は立憲君主國であることを明確に期待した成文憲法に回帰すべきである。天皇は、信仰共同体日本の君主・祭祀國家日本の祭祀主であらせられ、國家と國民を統合される神聖にして至高の御存在であるといふ古代以来の國體を正しく規定した憲法を回復すべきである。

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千駄木庵日乗十二月五日

午前は、諸雑務。

昼は、施設に赴き、母に付き添う。とても元気なり。有り難し。

午後三時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。渡辺利夫拓殖大学総長が「『戦後七十年』とは何だったのか」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備、明後日行うインタビューの準備など。

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2015年12月 5日 (土)

日本の心を学ぶ会のお知らせ

テーマ 大東亜戦争の意義を考える

 

自民党は新組織を設置してGHQによる占領政策や東京裁判や現行憲法の成立過程を検証するようです。首相直属のこの組織は谷垣幹事長をトップとして結党60年を迎える11月中に発足するようです。

 

このような動きには戦後レジームからの脱却を掲げる安倍首相のつよい意志が働いていることと思われます。

 

言うまでもないことですが、戦後レジームの原点と成っているのはGHQによる占領政策です

 

GHQは各種の検閲とメディアの統制を行い日本の弱体化を目指した心理作戦を行いました。

 

「真相はこうだ」「太平洋戦史」といった各種のメディアを通じた宣伝工作や、30項目にも上った報道規制を行い

 

さらに「東京裁判」を行うことで日本が悪辣な侵略国家であったことを日本人にすり込もうとしました。。

 

これらの心理作戦の目的は、大東亜戦争の意義を見失わせ、二度とアメリカに刃向かえない国家に日本を改造することです。

 

そしてGHQの目的は「東京裁判史観」としてその結実し、今現在も日本を拘束しています。

 

我々は本来の日本を取り戻すため大東亜戦争の意義を学ばなければなりません。

 

そこで大東亜戦争開戦の12月8日を前にした今年最後の勉強会では大東亜戦争の意義について考えてみたいと思います。

 

(今回の勉強会は日時と場所が若干変則的になっていますのでご注意ください。)

 

(勉強会終了後は忘年会を予定しております。こちらもご参加ください)

【日 時】平成27126日(日)午後600分より

 

【場 所】文京シビックセンター 五階 会議室A

 

東京都文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1

JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【講 演】

 

「大東亜戦争の意義と戦後体制打倒」四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

せと弘幸先生は調整中です。

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

          〇

この告知文は主催者が作成しました。

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『特別展・《裸婦図》重要文化財指定記念・村上華岳―京都画壇の雅が立ち』展を参観して

本日参観した『特別展・《裸婦図》重要文化財指定記念・村上華岳―京都画壇の雅が立ち』展は、「2014年に山種美術館が所蔵する《裸婦図》が、村上華岳の作品としては2件目の重要文化財に指定されたことを記念し、その画業を振り返る特別展『村上華岳 ―京都画壇の画家たち』を開催いたします。1888(明治21)年、大阪に生まれた華岳は、神戸で少年時代を過ごした後、京都市立美術工芸学校(美工)、京都市立絵画専門学校(絵専)に学びます。在学中に文展への入選を果たしたものの、やがてその審査の評価基準に疑問を抱くようになった華岳は、1918 (大正7)年には文展を離脱、絵専の同期でもあった土田麦僊、小野竹喬らと新団体「国画創作協会」を結成します。ここで華岳は新鋭の画家たちと切磋琢磨しながら意欲的な作品を発表し、官能性と崇高さが融合した独自の世界を確立していきました。本展では、華岳が画家として頭角を現した初期の試みから、理想とした『久遠の女性』を描いた《裸婦図》の完成、そして自己と向き合いながら孤高の境地を追求し続けるまでの作品を通して、その画業をたどります。本展では、《裸婦図》を一つの到達点として華岳の画業の歩みをたどるとともに、美工・絵専時代の師である竹内栖鳳や、同窓生の麦僊や竹喬、国画創作協会でともに活動した岡本神草や甲斐庄楠音らの作品にも注目し、同時代の京都画壇の歩みをふり返ります』(案内文)との趣旨で開催された。

 

村上華岳 重要文化財《裸婦図》、《驢馬に夏草》、竹内栖鳳 重要文化財《班猫》、西村五雲《白熊》、上村松園《蛍》、岡本神草《口紅》、菊池芳文《狐》、橋本関雪《春江帰帆図》などを観る。

 

やはり、竹内栖鳳 重要文化財《班猫》が一番印象に残った。猫が毛づくろいする様子がリアルに描かれている。そして青い目が印象的であった。村上華岳の《裸婦図》は官能的ではなく仏菩薩のように描かれていた。同じように女性を描いてはいても、華岳と松園では全く異なる。作者が違うのだから当たり前だが、華岳は宗教画に近い。松園の絵には宗教性は全くない。ところが華岳には官能美があるが松園にはない。面白いことである。

 

竹内栖鳳も村上華岳も日本画家であるが、西洋画の手法を取り入れている。しかしどちらも少しも違和感を感じさせないところが見事である。

 

先日京都に行って、旧居・アトリエを見学して来た橋本関雪の絵はこれまであまり鑑賞した事かなかったが、スケールが大きいと言うか大柄な絵である。京都の画家たちにはやはり一種独特の画風があるように思う。伝統美を継承している。上村松園の美人画は美人画なのであるから当たり前だが、いつ見ても美しい。

 

今日は、大いなる日本の絵画芸術を鑑賞した。

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千駄木庵日乗十二月四日

午前は、諸雑務。

午後は、広尾の山種美術館にて開催中の『村上華岳―京都画壇の画家たち』展参観。

帰宅後は、書状執筆、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2015年12月 4日 (金)

強盗国家・独裁国家・侵略国家共産支那こそ、溶けてなくなるべき存在である

中華帝国主義国家=共産支那について

 

与党幹事長二人がまた支那に出かけて行った。何故いつもこっちから出かけるのか。たまには「中国共産党」の指導者や共産支那政府の首脳を日本に呼びつけたらどうか。恥辱外交・土下座外交はもういい加減にして欲しい。

 

共産支那は、わが國に対して歴史問題などで恫喝を行えば、わが國は震えあがり言うことを聞くと考えているのではないかとさえ思う。支那の対日外交はそういう姿勢に貫かれているように見える。近年、日本にとって、共産支那は友好國家ではなく敵性國家であることが明白となっている。

 

田中内閣による「日中國交正常化」以来、わが國は共産支那に対して土下座外交・弱腰外交を繰り返し、相手の言いなりになってきた。そして莫大な経済援助・技術援助を行った。その結果が今日の事態なのである。

 

日本の援助によって軍事的・経済的に強くなった支那によって、わが國が危険に晒されている。「日中友好」を叫び、「日中経済協力」を推し進めてきた勢力の「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という主張は全く誤りであったことが証明された。

 

事実はその逆で、日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

 

共産支那は、日本の経済援助によって国家が強大化するにつれて「中華思想」を再現させている。共産支那の「四つの現代化」のスローガンは、「建設四化・振興中華」であった。この「四つの現代化」とやらに全面的に協力したのが日本である。その結果、日本は「中華帝国主義」の圧迫と脅威にさらされているのである。

 

「中華思想」とは、漢民族が世界の中心であり、他はみな野蛮人であるというとてつもない差別思想・侵略思想である。秦の始皇帝が大陸を統一して以来、絶大な権力を持った皇帝が大陸を支配してきただけでなく、周辺諸国に対しても、四千年にわたって冊封体制(さくほう)をもって律してきた。共産支那は「振興中華」を叫ぶのは、こうした差別思想・侵略思想の復活を目指しているのである。

 

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

 

「中華帝国主義」の「帝国」という意味は、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族多国家を傘下に収め、管理体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

 

かつてオーストラリアを訪れた共産支那の李鵬首相(当時)は、「日本などという國は二〇一五年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と述べた。

 

支那はわが国の消滅を期待しているのだ。わが国民の誤れる贖罪意識を利用して機会あるごとにわが国を打ちのめし、謝罪させ、金や技術を強奪してきたのが共産支那である。まさに強盗である。強盗国家・独裁国家・侵略国家共産支那こそ、溶けてなくなるべき存在である。

 

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京都にて詠みし歌

紅葉の名所東福寺の庭は数多くの観光客でにぎわひてゐる

 

とても静かに紅葉を愛でる雰囲気にあらざる庭を彷徨ひて歩く

 

更けてゆく京都の夜は静かなり 空には満月が煌々と照る

 

訪ね来し京都大原三千院 紅葉を愛でる人々の群れ

 

次から次へ人々押し寄せ 庭も樹木も困りゐる如し

 

後鳥羽天皇順徳天皇鎮まります大原の里に悲史を偲べり

 

若き僧侶が一所懸命に説明する茶室に座して窓を見上げる

 

バスに乗り走り行きなば巨大なる東西本願寺の伽藍の見ゆる

 

亀山天皇ご創建の南禅寺 元寇の国難を偲び参り来たりぬ

 

黒衣の宰相金地院崇伝を思ひ出せば その行状に怒りも新た

 

東山ふもとの寺の霊鑑寺 如意輪観世音がまつられてをり

 

古き御寺みなそれぞれに皇室との縁(えにし)持てるは有難きかな

 

東山大文字の見ゆる庭に立ち 京の都に来たる喜び

 

南洲と月照が密議をこらしたる草庵のありし山に来たれり

 

大獄の歴史を刻む薩摩藩ゆかりの寺は今静かなり

 

戊辰戦争薩摩軍の屯営跡 今は静かに紅葉散り敷く

 

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千駄木庵日乗十二月三日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿校正。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

この後、谷中にて、若き友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2015年12月 3日 (木)

この頃詠みし歌

赤く燃え夕日が沈む時にしも彼方より呼ぶ声聞こゆるごとし

 

それぞれの人生を歩み行くものを今朝は行列して登校する兒等

 

キリストへの信を描きしルオーの絵 暗き色彩で描かれてをり

 

歌舞伎座で芝居を見たる思ひ出は「三波春夫特別公演」

 

懐メロ大会の楽屋で会ひし歌手たちのその殆どはこの世を去りぬ

 

虎ノ門の雑踏を歩き日本でテロが起らぬことを祈れり

 

人類の進歩と調和といふ言葉いよいよ空しきテロの続く時代

 

白人もキリスト教徒も殺戮の歴史を持つを忘れるべからず

 

神は偉大と叫びつつ殺戮を繰り返すを狂気と断じて済まされはせず

 

何時ものやうに坂を上りて会ひに行けば母はにこやかに喜びたまふ

 

我に会へば本当に嬉しさうな顔をする母はいとしも今日もまた会ふ

 

通夜が終はり帰り行く道 賑はへる人々の群れは何時もの如く

 

建物が全て建て替へられにける街に迷ひて彷徨ひ歩く

 

「月よりの使者」といふ歌を歌ひつつ見上げる空に半月浮かぶ

 

柔和なる面差しで語る人の心に 秘めたる思ひは強く厳しき

 

生きてゆくことを肯ひ一歩一歩進み行く我を神よ護らせ

 

靖國の宮をこぼたんとする輩この日の本にゐるが悔しき

 

餓死自殺一家心中のニュース続く何とも悲しき経済大国

 

長州藩ゆかりの寺の退耕庵 岸信介の文字は鮮やか

 

杖つきて去り行く老女の後ろ影 まだまだ強く生きてゆくらむ

 

雑踏をかき分けにつつ東福寺の紅葉の庭を経巡りにけり

 

雑踏の中を歩みて南禅寺山門に至る紅葉の季

 

五右衛門が絶景かなと叫びたる南禅寺山門を仰ぎたりけり

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千駄木庵日乗十二月二日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

午後五時より、永田町の赤坂茶寮にて、『ゆずり葉連句会』開催。

帰宅後は、書状及び原稿執筆。

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2015年12月 1日 (火)

日本神話と沖縄

 一部に「沖縄県民は日本人ではなく先住民族だ」との主張があるといふ。翁長氏が九月に国連人権理事会で普天間移設問題に関し、「先住民族論」に沿う形で「沖縄の自己決定権や人権がないがしろにされている」と主張した。

 

沖縄県民には、「沖縄は薩摩に苛められ、先の大戦で犠牲になり、戦後は異民族の支配を受け、現在も米軍基地で被害を受けている」と主張し、「沖縄は常に日本の犠牲になって来た」という「反日感情」を持っている人がいる。

 

 しかし、沖縄の歴史は、悲劇ばかりではない。十五、六世紀には琉球王國が海洋民族として雄飛した世界に光り輝く歴史がある。また、日本列島の最も古い人間の化石は琉球から出ているという。太古の歴史を見ると日本との関係が実に深い。日本民族のルーツの一つは沖縄であり、日本伝統信仰も沖縄から来ている部分が多い。

 

 折口信夫氏は、「元々我々『本土日本人』と毫も異なる所なき、血の同種を沖縄びとの上に明らかにすることなく、我々は、今まで経過して来た。…我々の祖先の主要なる者は、曾ては、沖縄の島々を経由して、移動して来たものであった。其故、沖縄県の島々及び、其北に散財する若干の他府県の島をば、日本民族の曾て持ってゐた、最も古い生活様式を、最も古い姿において伝へる血の濃い兄弟の現に居る土地である。」(『沖縄を憶ふ』)と語り、岡潔氏は、沖永良部の子守歌をピアノで聞いて懐かしいと思ったとその著『春風夏雨』に書いている。

 

 日本民族信仰の伝統的ロマン精神(他界への憧れ)は、北方から来た「天上への憧れ」の心と共に、南方から来た「海の彼方への憧れ」の心を持っている。だから天も海も「アマ」と云うのである。

 

 我々日本民族は、ポリネシア的な海洋民族が基盤にあり、鉄器文化を持って朝鮮半島を経て北方から来た人々と、太陽信仰と稲作文化を持ってマレー半島あたりから沖縄を経て来た人々、の三つが合体したものと云われている。

 

太陽信仰及び稲作は日本民族の伝統信精神基本であり、それは太古に「海上の道」を沖縄を経由して日本に来たのである。 

 

沖縄古代信仰も水平線の彼方に「神の國」があると信じた。その「神の國」を「ニライカナイ」と云う。これは日本民族の海の彼方へのロマン精神と同じである。

 

『古事記』によれば、天孫・邇邇藝命の御子・火遠理命(ほをりのみこと・海幸彦)は失った釣針を探すために「綿津見の神の宮」(竜宮城)に行き、海の神(綿津見の神)がその釣針を探し出してくれる。そして、海の神の姫である豊玉売命(トヨタメヒメノミコト)と結婚する。

 

「綿津見の神の宮」は鹿児島の海の彼方にあるとされるのだから、沖縄以外に考えられない。そう言えばおとぎ話の絵に出て来る竜宮城は沖縄の首里城にそっくりである。

 

 さらに、神倭伊波礼古命(カムヤマトイハレヒコノミコト・神武天皇)は、火遠理命と豊玉売命の間に生まれた鵜葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)と豊玉売命の妹である玉依売命(タマヨリヒメノミコト)との間に生まれた。日本の初代天皇・神武天皇の母方の御祖先は沖縄にいました神なのである。

 

 これは『古事記』のみに記されている伝承ではない。沖縄本島北部の伊平屋島という島には、古代大和の太陽信仰・山岳信仰と同じ信仰がのこっており、島の北部西海岸には籠屋(くまや・別名天の岩戸)と云われる洞窟があり、ここで神武天皇が生まれられたという伝承がある。

 

 古代日本人が南方の海の彼方に憧れたからこういう神話が生まれたのである。それは自分たちの祖先が遠い昔にやって来た故郷への思慕だったのである。

 

『教育勅語』に「我ガ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠」と示されている。沖縄の太古の歴史はこれを証しする。 

 

このように、日本民族そして日本皇室の一つのルーツは実に沖縄にあったと云えるである。「沖縄が天皇制日本に組み込まれたのは近々百年に過ぎず、それ以前は沖縄独自の文化・政治圏を形成していた。天皇は如何なる意味でも沖縄の文化や伝統の体現者ではない」という主張は誤りである。

 

沖縄が日本及び日本天皇を否定することは、沖縄の太古の歴史と信仰を否定することになる。悠久の古代史を正しく認識すれば、日本と沖縄は一体であることが分かる。沖縄県民は、決して先住民族ではない。太古から日本民族である。

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千駄木庵日乗十二月一日

未明、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

この後、施設に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆など。

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靖国神社について

最近、靖国神社に関して、不穏な動きが活発化している。

 

靖国神社については、①戦没者の慰霊顕彰は、日本伝統信仰たる神道祭式で行なわれなければならない、②靖国神社は普通一般の『宗教法人』とは全くその性格を異にする、③大東亜戦争はわが國による一方的侵略戦争ではなかったし、わが国には「戦争犯罪人」は一人も存在しない、という三つの原則は絶対に曲げてはならない。

 

靖国神社は、オウム真理教や創価学会などの一般の宗教法人とはまったく性格を異にする。神社神道の否定は、わが國體の否定である。

 

國家民族のために一身を捧げた護國の英霊を、わが國伝統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

 

わが国には戦争犯罪人は日本には一人もいない。「戦争責任」と「戦争犯罪」とは全く異なる。東條英機氏らを裁いた「極東軍事裁判」はその名の示す通り「軍事裁判」なのであり、日本人自身による公正な裁判では決してなく戦争行為の継続であり、敵国の復讐であったのである。そこにおいて絞首刑の「判決」を受け執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には戦勝国の復讐の犠牲者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦犯」は存在しない。「極東軍事裁判」なるものの「判決」により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖国神社にお祭りするのは当然である。

 

我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常に野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な報復の場=復讐劇において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。

 

「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」という罪名を勝手に作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。 さらに言えば、日本に原爆を落し東京大空襲を行ったアメリカの指導者・マッカーサーやトルーマンも戦争犯罪人として処罰されるべきだったのである。

 

東条英機氏等のいわゆる「戦犯」は勝者による形だけの「裁判」で敵国により復讐され殺されたのである。東条英機氏等十四人の人々を「絞首刑」に処した戦勝国こそ「人道に対する罪」を犯したのである。同じ日本国民として東条氏を戦死者・殉難者として靖国神社に祭らねばならぬのである。それが日本人の道というものである。

 

戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、戦争行為の継続である。ゆえにそこで処刑された人々はまさしく戦死者である。

 

また「極東国際軍事裁判」は見せしめのためのリンチであった。そして、わが國に「侵略國家」の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

 

「A級戰犯は靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った無法な「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 

「昭和殉難者」は、まさに英靈であり戦没者である。靖國神社に祭られている英靈は、今日唯今もわが國をお護り下さっている。

 

昭和二十八年、わが国政府は当時の国会の決議を踏まえて戦勝国即ちかつての敵国の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定しその遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは国家意思と言っても良い。今になって外国からの干渉に怯えて「戦犯」は戦死者ではないから靖国神社に祭るのは間違っているなどと言うのはまさしく歴史への冒瀆である。

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千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

午後六時より、湯島にて、古くからの同志二氏と懇談。意見交換。

帰宅後は、寝不足のためか、寝てしまう。

深夜に起きて、原稿執筆など。

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