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2015年11月21日 (土)

現状の穢れを祓ひ清め、神代のままの清く麗しい日本を回復することが維新の真精神

橘曙覧は次の歌を詠んでゐる。

 

「天の下 清くはらひて 上古(いにしへ)の 御まつりごとに 復(かへ)るよろこべ」

 

「天下の汚れを祓ひ清めて、神武肇国のまつりごとに還ることを喜ぼう」といふほどの意。

 

清明心(きよらけくあきらけき心)が日本民族の伝統的道義精神である。現状の穢れを祓ひ清め、神代のままの清く麗しい日本を回復することが日本的変革即ち維新の真精神である。

 

橘曙覧が、維新実現を素直に純真に喜んだ歌がこの歌であり、維新すなはち復古即革新の精神を見事にうたひあげてゐる。この曙覧の歌の心が、維新=日本的変革の根本精神であると思ふ。

 

慶應四年十二月九日の(『王政復古の諭告』『王政復古御沙汰書』とも申し上げる)に、天皇国日本の真姿すなはち日本國體を回復することによって、現状の悪・穢れを祓ひ清めといふ明治維新の理念及び構想が如実に示されてゐる。

『王政復古の大号令』には次のやうに示されてゐる。「徳川内府、従前御委任の大政返上、将軍職辞退の両条、今般、断然と聞こしめされ候。・・・(中略)之に依りて、叡慮を決せられ、王政復古、国威挽回の御基、立たせられ候間、自今摂関、幕府等廃絶、総裁・議定・参与の三職を置かれ、万機を行はせらるべく、諸事神武創業之始めに原(もとづ)き、縉紳・武弁・堂上・地下の別なく、至当の公議を竭(つく)し、天下と休戚を同じくあそばさるべき叡慮に付、各々勉励、旧来の驕惰之汚習を洗ひ、盡忠報国之至誠を以て奉公致すべく候事」。

橘曙覧が歌った「上古(いにしへ)の 御まつりごと」とは、「時間的過去」の政治形態をとり戻すことではない。民族の歴史と道統を、変革の原理とするといふことである。

 

「復古」とは、「古きがゆゑに良い」といふ骨董趣味ではないし、時間を過去に戻すことでもない。日本の理想的姿を単なる「時間的過去」に求めるのでもない。「元初の時」「物事の始まりの時」に回帰し復興するといふことである。新たなる復活・発見である。

 

「諸事神武創業の始めに原(もとづ)き」とは、「復古」の精神であり、「至当の公議を竭(つく)し」「旧来の驕惰の汚習を洗ひ」とは、「革新」の精神である。

 

さらに、「至当の公議を竭(つく)し」とのお言葉に、議会政治を開き民意をきこしめす精神が示されてゐる。そしてここに、外国の革命とは全く異なる日本的変革すなはち維新の根本がある。

 

国学は、決して偏狭な排外主義や、単なる時間的過去への郷愁の思想ではない。むしろそれまで日本が外国から受容し学んできた学問的成果・思想的遺産を素直に継承してゐる。国学はイデオロギーや教条ではないのだからそれは当然である。

 

近世国学者が、外圧の危機に中で行ったやうに、古代日本の歴史精神として今日まで伝へられてきている『道』を学び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが大切である。

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