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2015年11月 7日 (土)

変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる

和歌は日本人の情念と思想を表現し訴へる文學形式である。そして和歌は日本の道統に則った現状変革を目指す志から生まれる。詠む者に維新変革への志があってこそ和歌としての価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。現状に満足し変化を望まないといふ意味での「平穏な暮らし」の中からは和歌は生まれない。ここでいふ維新変革とは政治的変革だけではない。自己変革・人間の生活や精神の変革も含まれる。

 

「革命的ロマンチシズム」といふ言葉がある。現状を否定し永遠の理想を追求する、そのために命を懸けた戦ひをするといふ意味の言葉であらう。人間が命懸けになった時、素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するにあたり決意を込めて詠んだ歌や、大東亜戦争の将兵たちが和歌に自分の最後の思ひを託して死地に赴ていったことを見ればわかる。和歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現として歌はれる事が多い。

 

村上一郎氏は、文學および詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言葉の価値を最高に認めることである。

 

「いのち」が枯渇し「言靈」が失はれた「言語」が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。現代においても、和歌や俳句といふ日本傳統文藝は多くの人々によって継承され愛好されてゐる。しかし、いのちある言葉・言靈は不足してゐるのではないだらうか。

 

歌とは、神への「訴へ」をその起源とする。和歌は、元初から神聖なるものとして尊ばれてきた。その神聖感は近世に至るまで生きてゐた。『古今和歌集序』の「天地をも動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」といふことは、決して誇張ではなく真実にさう信じられてゐたのである。

 

近代とりわけ戦後になって、この魂の訴へとしての和歌が余り歌はれなくなったやうに思へる。西洋の影響下に展開して来た近代文學全般が日本古来からの言靈信仰を無視した。今こそ、魂のこもった和歌が多くの人々によって歌ひあげられなければならない。「言靈の幸はふ國」を回復しなければならない。

 

「愛國心」とは個人が運命共同體として結集し拡大された鞏固なる歴史的存在意識であるといふ。「愛國心」といふ言葉が使はれ出したのはおそらく明治以降であらう。「愛國心」極言して「ナショナリズム」といふ言葉は、明治以後外國との交渉や競争が激しくなってきてから顕在化したと言へる。これはいふまでもなく「やまとことば」ではない。漢語である。また國を愛する心は日本國民のみが持ってゐるものではない。

 

 日本民族の國を愛する心の特質は、「尊皇愛國」といふ言葉もあるやうに萬邦無比といはれる日本國體の精神即ち天皇尊崇の心と一體であるところにある。日本人における愛國心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇しさらに麗しい日本の自然を愛するごく自然な心である。

 

日本人にとって愛する祖國とは本来的には天皇の御代すなはち『君が代』なのである。これが日本の愛國心の特質である。ゆえに『國歌・君が代』こそ最大の愛國歌といふことができる。

 

 日本における愛國心とは「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心)であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。そして、防人が「大君の命かしこみ」と歌って以来、蒙古襲来の時は日本神國思想が勃興し、幕末において欧米諸國のアジア侵略を脅威と感じた時も『尊皇攘夷』が叫ばれ、明治以来大東亜戦争に至るまでの内外の危機に際して勃興したのも國體精神である。日本における愛國心・ナショナリズムは尊皇精神・國體観念と一體である。

 

 大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなやうに、日本における変革や國難の打開は、言ふまでもなく愛國心・尊皇心の興起と一體であった。

 

 維新変革には悲劇と挫折を伴ふ。而して詩歌とは悲願と悲劇と挫折とを謳ひあげることによってその精神的・美的価値を高からしめる。神話時代における戦ひの神々すなはち須佐之男命・日本武尊の御歌を拝すればこの事は明らかである。

 

 維新とは懸命なる戦ひであるが、単なる破壊や暴力ではない。「あはれ」で悲しいものであるが、半面、美しく歓喜に溢れたものでもある。

 

 わが國の文學史とりわけ和歌の歴史に於いて、最も偉大なる時代は、國家の変革期である。変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる。日本最高最大の歌集『萬葉集』は大化改新・壬申の乱・奈良遷都といふ大変革を背景として生まれた。

 

 伴信友は、日本傳統文藝たる和歌とは「其をりふしのうれしき、かなしき、たのしき、恋しきなんど、其をりふしのまごころのままにうたふ」と言っている。そもそも愛國心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。

 

愛國心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。大化改新における『萬葉集』、平安時代の國風文化復興期における『古今和歌集』、明治維新における志士たちの述志の歌、日清戦争・日露戦争を戦った明治中期の和歌の勃興、そして大東亜戦争従軍将兵の歌を見ればそれは明らかである。 

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