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2015年11月22日 (日)

維新とは神の回復であり、信仰共同體日本・祭祀國家日本の回復である

明治二十三年十月三十日に渙発された『教育勅語』は、日本傳統精神がその基盤にある。

 

「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」の「皇祖」は伊邪那岐命伊邪那美命二神及び天照大神の御事であり、「皇宗」は邇邇藝命そして神武天皇をはじめとする歴代の天皇の御事である。「國ヲ肇ムル」とは、國生み及び天孫降臨と神武建國の御事である。「國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されてゐる以上そのやうに拝するのが自然である。しかし、『教育勅語』渙発に際して、さうしたことに否定的な見解を示した人がゐた。

 

新田均氏はその著において大要次のやうに論じてゐる。「『教育勅語』発布後文部省は解説書を井上哲次郎(注・東京大學教授。哲學者)に依頼した。井上の草案では、勅語の『皇祖』は『天照大御神』、『皇宗』は『神武天皇』であると説明していた。井上(注・井上毅。大日本帝國憲法制定に参画、法制局長官となり、『教育勅語』など詔勅・法令を起草。枢密顧問官・文相などを歴任。)は文句をつけて『皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇』とするよう求めた。彼は、君臣関係の力点を、神話よりも、神武建國以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」(『「現人神」「國家神道」という幻想』)

 

葦津珍彦氏は次のやうに論じてゐる。「勅語には『皇祖皇宗』の道とあり『祖先』の遺風とある。これをもって、皇祖皇宗を初めとして各地の神社の民族祖神の『神靈』の意と解すれば、勅語は神道の強力な一拠点となり得る。明治天皇の勅語としては、かく解するのは決して無理ではない。しかしそれを神宮神社の『神靈』と結びつけることには『神道を國教化するもの』としての強い反抗の底流があった。その反抗の強力なことを知ってをればこそ、井上毅は、とくに厳重な前提条件として尊神とか敬神とか『神靈』を意味する語を絶対に避けねばならないとし、神靈存否の論は、各人の解釈に任せて、勅語そのものの関知せざるところとした。この明治的合理主義官僚が、神社局の思想となる時には、『神靈については当局は関知せず』として、神道独自の精神を放棄して、一切の合法的宗教、哲學との妥協にのみ神経を労して、神宮神社をもって、歴史的偉人の記念堂(モニュメント)と同視して、神道精神を空白化することになる。」(『國家神道とは何だったのか』)

 

新田氏によると加藤玄智(大正・昭和期の宗教學者)は「わが國明治以来教育界の通弊は、その實証主義、科學萬能主義で在り、それに加ふるに、迎合外交と追随教育の幣は、教育勅語に仰せられた皇祖皇宗を解するに、単なる人間としての祖宗、すなわち人祖人宗に外ならないものとして、これを解し奉ってをった。…」と批判していたといふ。私は加藤玄智の批判は正しいと思ふ。

 

「皇祖」を神武天皇のみとし、「肇國」を神武建國のみとすることは、『天壌無窮の御神勅』の否定につながる考へ方であり、神話の精神を隠蔽するものである。日本國體は神話を基礎とするのだから、神靈への信を無視し否定した國體精神・國家主義は真の國體精神ではない。神霊への信仰を排除し神社を歴史的偉人の記念堂のごときものとするのは、明らかに傳統信仰の隠蔽であり、祭祀國家の破壊である。今日の「靖國神社を排除した國立戦没者追悼施設建設」につながる思想である。ここに葦津氏のいふ「明治的合理主義官僚」の日本傳統信仰に対する無理解といふ大きな欠陥が表れてゐる。かうしたことが、祭祀國家・皇道國家日本の本姿を晦ませて日本を覇道化させた原因だと言ひ得る。

 

村上重良氏らの「國家権力が神道を人民支配のイデオロギーとするためのバイブル・経典が『教育勅語』であった」といふ主張は誤りである。むしろ國家権力による神道精神の隠蔽が行はれたことが近代日本の過誤の根本原因であったと考へる。

 

神靈への信を忘れ天皇を祭り主と仰ぐ信仰共同體から遊離した國家至上主義は誤りである。維新とは神の回復であり、信仰共同體日本・祭祀國家日本の回復である。宗教対立・宗教戦争が繰り返され、宗教裁判・魔女狩り・聖戦といふ名のテロが行はれてきてゐる一神教の世界では、まったく考へられないことだらうが、神社神道・日本傳統信仰は、佛教あるいはキリスト教ですら共存させる寛容さ・柔軟さそして強靭さを持ってゐる。それが日本人の当たり前の宗教感覚であり、信仰文化であった。

 

日清戦争、日露戦争の勝利は、「脱亜入欧路線」の勝利ではない。日本精神を保持して西洋傳来の武器を使用して戦ひ勝利したのである。まさに「和魂洋才」の勝利だった。ところがその後の日本は、「和魂」を忘却し、上滑りな「洋才國家」の道を歩むこととなった。西郷隆盛の言った「野蛮」を尊しとするやうになった側面がある。「明治維新の精神」は日露戦争勝利の後、國民精神の弛緩によって矮小化されもわが國は西洋覇道の道を歩んだのである。日露戦争の勝利は、それまで西欧列強によって支配されていた有色民族・アジアアフリカ諸國諸民族を感激させ希望を与へた。しかし、日本自身は、勝利に奢り、明治維新の精神を忘却してしまったのである。

 

明治中期以後、金銭営利を求める風潮が横溢し、明治維新の理想、清潔なる國體精神は混濁し、「文明開化」の悪しき側面即ち欧米追従・強い者勝ちの西洋覇道精神・近代合理主義が世を支配するやうになった。近代日本において、「文明開化」「近代化」のために傳統信仰が晦まされてしまった。

 

勿論、西欧諸國との拮抗、とりわけ帝國主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。日本が「富國強兵」の道を歩まねばならなかったのは当然であるし、否定することは出来ない。「富國強兵」を實現するために西洋の文物を學び取り入れることも大切であった。しかし、その根底に日本傳統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。欧米近代の國家の侵略による植民地化を跳ね除けるために富國強兵政策がとられたのは正しい選択であった。しかし、「脱亜入欧」は誤りであった。

 

天皇國日本には、「侵略」「排外」などといふ事はあり得ない。傳統信仰を無視した近代化・富國強兵は日本魂を消失したものであるがゆゑに大きな矛盾を抱へ失敗を招来した。だからこそ、神の回復・信仰共同體日本・祭祀國家日本の回復を目指した昭和維新運動が起ったのである。

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