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2015年11月 5日 (木)

維新と和歌

 愛國尊皇の心を張りつめた精神で歌ふ時、やはり日本傳統の文學形式即ち和歌で表現されることが多かった。漢詩にもすぐれたものもあるが、和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからである。

 

 明治維新において神武建國への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本である。その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った先人たちの志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切なのである。そのためにも先人たちの詠んだ詩歌を學ぶべきであるし、自己自身も歌心を持つべきである。

 

近代においてわが國にも共産主義革命思想が流入し、共産主義革命運動が起った。しかし、共産主義革命運動においては、美しい日本の歌は決して生まれなかった。共産主義革命は日本の道統を否定した変革だからであらう。

 

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする維新は、それを志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現する。これを復古即革新即ち維新といふ。そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのである。

 

いにしへから傳へられた「五・七・五・七・七」といふ形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌が、「復古即革新」の文藝である。 

 

現代日本においても和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指すわれわれは、和歌の力・言靈の力の偉大さを今こそ実感すべきである。

 

日本の傳統文芸の復興、日本文學の道統の回復とは、天皇皇室を中心として行れるべきである。とりわけ和歌は、古代より、「宮廷ぶり」を最も大切なものとしてきた。和歌の根底にあり続けたものは、御歴代天皇の御製である。和歌は、宮廷に始まり、その正統なる「しらべ」は宮廷の御歌にある。武家専横の時代にあっても、外来文化思想が隆盛をきはめた時代にあっても、日本民族の中核的な傳統精神・美感覚は宮廷において継承され保持されてきた。

 

阿部正路氏は、「日本の傳統の精神がもっとも荒れはてた現代にこそ新しい真の意味での勅撰集が編まれるべきではないのだろうか。それが具體化するかどうかに、日本の傳統の意志の行方が見定められることになるのだと考えられる。日本の和歌が、世界でもっとも長く傳統に輝き得たのは……勅撰集に明らかに見ることのできる、一系の天皇の、和歌に対するゆるぎない信頼の中においてこそ《悠久》の世界を具體化し得たのであった。」(『和歌文學発生史論』)と論じてゐる。まことに大切な主張である。

 

大化改新の時に『萬葉集』が生まれた。明治維新の時に勅撰和歌集が生まれなかったのはまことに持って残念といはざるを得ない。

 

今日の日本はまさしく亡國の危機に瀕してゐる。現代の余りに情けない頽廃を是正しなければならない。今こそ危機を脱出する方途として、単に政治體制の革新のみではなく、國民精神の革新・日本の傳統精神の復興を期さなければならない。そしてそれは祖國への愛・至尊への恋闕の思ひを歌ひあげる和歌の復興によって実現するのである。

 

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