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2015年10月11日 (日)

 神と仏は日本人の生活の中で溶け合っている

 日本人は、外国からの文化・文明を自由に受容してきた。古代における仏教の受容はその典型といえる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきている。神と仏は日本人の生活の中で溶け合っている。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合している。

 

 稲作生活を基盤として生まれた日本の地域共同体には、自然を神と崇め祖霊を祭るという固有信仰が、太古以来今日までの脈々として生きてきている。日本人は「自然に宿る霊」と「祖先の霊」を八百万の神として尊崇した。そして八百万の神々に現世の幸福(五穀の豊饒・病気の治癒など)を祈するための祭りを行ってきた。

 

 そういった日本の固有信仰に仏教が融合したのである。仏教の受容については、多少の反対はあったものの、祈祷宗教として採用された。現世の幸福を仏に祈祷することは、日本の神々への祭りによって現世の幸福を祈祷するのことと同じである。というよりも、日本人の仏教信仰の実態は日本人の固有信仰が仏教という表皮をまとって形を変えたものなのである。

 

 日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次の仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。

 

 つまり日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。

 

 日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教祭壇の形態を借りて行い、現世の幸福を祈祷しているのである。日本の一般庶民が仏教の深遠な教義が日本人の実生活に知識として受け容れられたということではない。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うに止どまった。

 

 そもそも、人間に対して厳しい気候風土のインドに生まれた仏教は、現世を実在とは考えず苦界と見、人間が現世から超越して解脱の境涯に入ることを理想とする宗教である。本来厭世的な宗教といっていい。

 

 一方、明瞭な四季の変化があり、四方環海にして山が多く平地が小さい日本列島は、人間に対してやさしい気候風土である。そういうところに生まれた日本の固有信仰は、現世を肯定し、人間生活を謳歌するところの明るく大らかな信仰精神である。『古事記』を見てもわかるように日本人は厭世思想とは無縁である。仏教が大分浸透した後に編纂された『萬葉集』にも仏教の厭世思想に関係があると思われる歌はきわめて少ない。

 

 日本固有信仰(神道)と仏教は全く異なった性格を持つ二つの宗教である。しかし、日本人は仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。即ち、仏教の日本化であ。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

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