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2015年10月 5日 (月)

靖國の英靈に対しわれわれ今に生きる日本國民が感謝と慰靈の誠を捧げることが、日本國及び日本國民永遠の平和の基礎である。

憲法二〇条で定める政教分離の原則をめぐっては、津市が市体育館の起工式を神道祭式で行ったことに対して、反日勢力が市長に工費返還を求めた訴訟で、最高裁が昭和五十二年に出した判決がある。そこでは、「國家と宗教との完全な分離を実現する事は、実際上不可能に近い」とした上で、憲法で禁止している「宗教的活動」とは、その「行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」に限られるとして、いわゆる<目的効果基準>を示した。妥当な判決である。

 

「政教分離」とは國や行政が宗教と全く関わってはいけないという事ではない。それは不可能である。そこにたとえ何らかの宗教的側面があったとしても、行為の本来の目的が別にあったならば、「政教一致」にはならない。

 

國家や行政が宗教と全く関わってはいけないと言うのなら、善通寺市・天理市・金光町という自治体名をつけることは違憲になる。また、刑務所で特定の教団宗教に属する僧侶などが行っている「教誨」は公共の施設の中で宗教活動を行うのであるから明白なる違憲行為となる。さらに、東京都慰靈堂(都有財産・関東大震災及び戦災で亡くなった方々を慰靈する施設)で都知事などが出席して仏式で行われる「慰靈大法要」も明確に違憲である。

 

総理の靖國神社参拝は、戦没者慰靈が目的である。靖國神社という宗教法人を援助し助長するためではない。また他の宗教法人を圧迫するためでもない。したがって現行憲法下においても、総理の靖國神社参拝は合憲である。今後も正々堂々と参拝は続けられるべきである。

 

しかし、現行占領憲法に重大な欠陥がある事も事実である。敬神崇祖の伝統、美風にそって全國民が等しく英靈に対して感謝と慰靈の真心を捧げるという最も大切なことを禁じていると解釈できる現行憲法は悪法である。そうした憲法は一日も早く否定しなければならない。

 

日本という國は祭祀國家であり信仰共同体である。ゆえに、日本國を神道と切り離すことは不可能である。政教分離などという原則をわが國の神道祭式による公的な慰靈行為に適用してこれを禁止しようとすることが大きな間違いなのである。

 

政教分離の原則というのは、激しい宗教戦争を繰り返してきた西欧や中近東の國々において、政治権力と特定の教会・教団が結びついて他の教会・教団を弾圧し圧迫する事のないようにするために考え出された原則である。

 

わが國には、歴史を紐解けば明らかなように、一神教の世界のような激しくも残虐なる宗教戦争はなかったし、特定の教団が政治権力を壟断して他の教団を弾圧したり圧迫した歴史はなかった。

 

わが國の長い宗教史・精神史・思想史においては、儒教などの支那思想や仏教そしてキリスト教における日本の伝統と著しく異なる思想は自然にすたれて行き、わが國傳統信仰と融合したというのが事実である。

 

大東亜戦争で散華した二百十三万余英靈の人柱の上に今日の日本がある。そして英靈たちは今日唯今も祖國日本を護って下さっているのである。靖國の英靈に対しわれわれ今に生きる日本國民が感謝と慰靈の誠を捧げることが、日本國及び日本國民永遠の平和の基礎である。

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