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2015年9月25日 (金)

伊勢の皇大神宮について

伊勢の皇大神宮は、日本伝統信仰の最尊最貴の聖地である。伊勢の神宮に来て神を拝ろがめば、日本伝統精神が現実のものとして顕現してゐることを実感する。理論理屈は要らない。日本伝統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる神殿・神域を生んだのである。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の思ひであり、稲への限りない感謝の心である。

 

天武天皇は、壬申の乱の時、朝明郡迹太川(とほかわ)で伊勢の神宮を遥拝された。柿本人麻呂の高市皇子への挽歌では、伊勢の神風を称へてゐる。

 

西行(平安末期・鎌倉初期の歌人、僧)は、治承四年(一一八〇)六十三歳のときに三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り住み、

 

「何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるゝ」

と詠んだ。これは、伊勢の神宮に参拝する万人に共通する思ひを詠んでゐる。

 

伴林光平は、

 

「度會(わたらひ)の 宮路(みやぢ)に立てる 五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは 神代なりけり」

 

と詠んだ。伊勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。伊勢の神宮は度會郡に鎮まりまします故に伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思はれ、自分自身も神代の人のやうに思はれる」といふ意である。

 

光平のこの歌は、それを理論理屈ではなく、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴へてゐる。だからこそ多くの人々に日本の道統への回帰を生き生きと自然に神ながらに促すのである。

 

光平は「神代を恋ふる歌」を詠み、さうした絶対的な信念に根ざしつつ現実の変革への行動を起こした。それが文久三年(一八六三)の天誅組の義挙への参加である。同年八月十三日、孝明天皇におかせられては、攘夷祈願のため大和に行幸され畝傍の神武天皇山陵に親拝される旨の勅が下った。これを好機として一部の公家や勤皇の志士たちは倒幕を決行せんとし、「天誅組」を名乗って決起した。ところが八月十八日に政変が起こって朝議が一変し、大和行幸は中止となった。決起した志士たちは逆境に陥り、壊滅させられてしまった。伴林光平は天誅組に記録方兼軍義方として参加したが、捕らへられ、元治元年二月十六日京都にて斬罪に処せられた。  

 

光平の歌でもっとも人口に膾炙してゐる歌は、

 

「君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪」

 

である。京都にて斬刑に処せられる際の辞世の歌と伝へられる。死への恐怖などといふものは微塵もないこれほど堂々としたこれほど盤石な精神の満ちたこれほど力強い辞世の歌は少ない。

 

「君が代はいはほと共に動かぬ」といふ信念は光平の「神代即今」「今即神代」といふ深い信仰が基盤になってゐる。草莽の志士たる光平をはじめとした天誅組の烈士たちの熱い祈りと行動が、王政復古そして維新の原動力となった。まさに明治維新の先駆である。

 

「今即神代」が日本伝統信仰の根本である。伊勢の神宮に行くと今日においても誰でもこの思ひを抱く。近代歌人もさうした思ひを歌に詠んでゐる。若き日に社会主義革命思想に傾斜した土岐善麿も伊勢の神宮において、

 

「おのづから 神にかよへる いにしへの 人の心を まのあたり見む」

 

と詠んでゐる。

 

窪田空穂は、

 

「遠き世に ありける我の 今ここに ありしと思ふ 宮路を行けば」

 

と詠んだ。

 

今を神代へ帰したいといふ祈り即ち「いにしゑを恋ふる心」がそのまま現状への変革を志向する。

 

伊勢の聖地に伝はる清浄なる精神こそ世界平和の根幹になると確信する

 

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮した時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、

 

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

 

と書いた。

人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み、神を信じる人々同士による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。

 

しかし、宗教の根底にあるものは、天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心であらう。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。

 

わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きてゐると信じてきた。秀麗の山河に神が天降り、神の霊が宿ってゐると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至ってゐる。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが、わたつみ(海神)信仰・龍宮信仰である。海は創造の本源世界として憧憬され崇められた。

 

わが國傳統信仰即ち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」と言ふ。

 

その典型が、天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽の神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来た。

 

伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地なのである。伊勢の聖地に伝はる清浄なる精神こそが今後の世界平和の根幹になると確信する。

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