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2015年9月15日 (火)

武士道精神は櫻の心であり大和魂・大和心と一體である

日本人は、櫻に滅びの美しさを見た。櫻はすぐに散ってしまふから、人はなほさらその美しさを感ずるのである。櫻が咲いてゐる姿にすぐに散ってしまふ影を感じる。櫻は、「三日見ぬ間の櫻かな」といふ言葉があるやうに他の花々よりも咲いてゐる時間が非常に短い。また、雨や風に当たればすぐに散ってしまふ。

 

保田與重郎氏は「しきしまの大和心を人問はばと歌はれたやうに、花の美のいのちは、朝日のさしそめる瞬間に、その永遠に豊かな瞬間に、終はるものといふ。日本の心をそれに例へたのは、さすがに千古の名歌を、永く國民のすべてに吟唱される所以であった」(昭和十四年・『河原操子』)と論じておられる。

 

 日本人は、未練がましく現世の命に戀々としないといふ精神を本来的に持ってゐる。この心は、「七生報國」の楠公精神そして神風特別攻撃隊の「散華の精神」に継承されてきた。

 

 日本人が最も美しいと感じる窮極的なものは、花そのものや花の命と共に、花の命が開き且つ散る「時」なのである。

 

 日本人は、花とは見事に咲き潔く散って行くべきであると考へた。人間もまたさうあらねばならないとした。この世に戀々として生き延びるのはそれ自體が汚れた行為であり、潔くないし、醜いと考へた。

 

 しかし、櫻の花の命は、はかなくそして見事に散ってしまへば、それで消滅してしまふのではない。櫻の花は散ってしまふが、来年の春になると必ずまた美しく咲く。つまり、花が散るといふのは花の命が消滅したのではなく、また来年の春に甦る。花の命は永遠なのである。人間の肉體も櫻の花と同じく一度滅びても人の命は永遠であり必ず甦る。ただ現世における命には限りがあるといふことなのである。

 

滅亡の奥に永遠の命がある。さう日本人は信じた。それが楠正成公の「七生報國」(七度生まれて國に報いる)の精神である。 

 

新渡戸稲造氏は、本居宣長の「しきしまの」の歌を引用して、武士道および大和魂について次のやうに論じてゐる。「大和魂は柔弱なる培養植物ではなくして、自然的という意味において野生の産である。それはわが國の土地に固有である。……その本質においてはあくまでもわが風土に固有なる自発的発生である。……櫻はその美の高雅優麗がわが國民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花も及ぶところではない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことをえない。薔薇は櫻の単純さを欠いている。……薔薇が甘美の下に刺を隠せること、その生命に執着すること強靱にして、時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること、その華美なる色彩、濃厚なる香気ーーすべてこれらは櫻と著しく異なる特質である。わが櫻はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何度なりとも生を棄て、その色は華美ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。……美しくして散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂のタイプであるのか。」(『武士道』)。

 

 日本人は櫻を好む。西洋人は薔薇を好む。この嗜好の違ひは深い意味を持つ。薔薇は人々が丹精を込めて養育し咲かせ、薔薇の美しさは重厚である。少しでも長い時間咲かせておく花である。したがって薔薇の花はその寿命が一日でも長いことが願はれる。言ってみれば未練がましい花である。そして萎れた姿は醜い。

 

 一方、櫻は本来的には野性の花であり、櫻の美しさははかない。人間が毎日毎日手を加へ養分を与へることはしない。咲いてゐる時間も短い。櫻はぱっと咲いてぱっと散るところに特質がある。言ってみれば潔い花である。散華の美と言はれる如く散り行く姿も美しい。

 

 この違ひは欧米人の気質と日本人の気質の違ひと相似である。武士道精神はまさに櫻の心であり大和魂・大和心と一體である。

 

本居宣長は、朝日に映える山櫻花を理屈なしに美しいと感じた純粋な感受性を、神の生みたまひし大和國に生まれた日本人のみが持つ即ち心=「大和心」であると歌った。理屈なしに素直に國のため大君のために命を捨てるといふ純粋なる精神もまた「大和心」なのである。そしてそれが「花は櫻木、人は武士」と歌はれるやうに「日本武士道精神」なのである。かかる心は、近代によって発生し國民に教育されたのではない。神代の昔からわが國にある心である。

 

日本人が櫻の花の潔さを好むことは、神話の世界にも記されてゐる。大山津見の神(山の神)は、天孫・邇邇藝命に、石長姫(いはながひめ・醜い女性を岩に譬へた。また、岩が長く変らずにある、すなはち長命を譬へた御名)と木花佐久夜姫(このはなさくやひめ・美しい女性を花に譬へた。また、木の花が咲きそして散ること、すなはち寿命には限りがあることに譬へた御名)といふ二人の姫を妃として献上しやうとした時、邇邇藝命は木花佐久夜姫を選ばれた。

 

 邇邇藝命が木花佐久夜姫を妃に選ばれたことにより、「天つ子(邇邇藝命の御事)の御壽(みいのち)は、木の花のあまひのみましまさむとす」(木の花のようにはかなくおられるでせう)」といふことになり、邇邇藝命だけでなく「天皇たちの御命長くまさざるなり」(御歴代の天皇の御命は長くゐらっしゃらないのである)と、『古事記』に記されてゐる。この神話は、山にある木の花と岩とになぞらへて、人の美醜と生命の長短とを美しく物語った神話である。日本人が、未練がましく現世の命に戀々としないといふ精神を尊ぶことを示してゐる。

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