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2015年9月21日 (月)

「現行占領憲法」の「天皇条項」は日本の國柄を隠蔽し、天皇の御本質を正しく表現していない

 何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 

 したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は天皇の御本質を正しく表現していない。

 

 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。

 

 そうした「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

 

 日本國體とは、<天皇を祭祀主とする精神的信仰的生命的共同体>のことである。決して単なる「國家の体制」のことではない。「体制」とは、ものの組み立てられた状態という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。したがって、「國家の体制」とは、無機的な権力機構としての國家組織のあり方即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、伝統的な日本國體を「國家の体制」と表現する間は誤りである。

 

 國體とは、日本國の國柄・國の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各國家の國柄、品格のことをいふのであって、その國の成立事情によって定まる。」「我が國にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百萬神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(『國體と政体について』)と述べられている。

 

 小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その國をその國たらしめている、その國の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『萬世一系の天皇』を日本國の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の國柄の最大の特質がある。」(『正統憲法復元改正への道標』)と述べておられる。

 

 「國體とは戦前の天皇主権の國家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張があるが、全く間違っている。『帝國憲法』の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも國家の意思を最終的に決定する権力という意味での「主権」という「概念」と「言葉」は、天皇中心の神の國である日本には全くそぐわないのである。 

 

 日本天皇と日本國民は相対立する権力関係にあるのではない。天皇と國民とは、天皇が民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われる祭祀を基とした信仰的一体関係にある。

 

 「天皇制と民主主義は矛盾する。歴史の進歩にしたがって天皇制はなくなるし、なくすべきだ」と考える人がいる。こうした考え方は、悠久の歴史を有する日本國を否定し破壊する邪悪なる思想である。そして、こうした思想に妥協して、いわゆる「民主主義」といわゆる「天皇制」を何とか矛盾なく結合させようとする考え方がある。「現行占領憲法」の「天皇条項」はそうした考え方によって書かれていると言えるのかもしれない。

 

 日本天皇の国家統治は、決して独裁政治ではない。日本神話に記されている須佐之男命に関する記事を拝して明らかな通り、何事につけても決して専断で決めたのではない。天の安河原にぞくぞくと八百萬の神々が集まられて相談して物事を決めたのである。

 聖徳太子の『十七条憲法』にも「独り断(さだ)むべからず」「必ず衆とともに論(あげつ)らふべし」とあり、『大化の改新』の「詔勅」にも「独り制(おさ)むべからず、かならず臣の翼(たすけ)をまつ」とある。このように天皇のまつりごとは、きわめてデモクラチックであって独裁を排撃したものである。國民は、天皇及び皇室に対し奉り、畏敬はしたが恐怖することはなかったのである。

 

 「占領憲法」の「戦後民主主義」(欧米民主主義思想と言い換えてもよい)なるものが如何に日本國を堕落させ破壊したかは、今日の日本の現状を見れば火を見るよりも明らかである。

 

 我々は日本を亡國の淵から救い、立て直すために、「戦後民主主義」を根底から否定しなければならない。そして、「戦後民主主義」の否定は、日本の伝統的國家観・政治思想の復興によって行われるのである。

 

 わが日本は建國以来、民が「主」の國ではない。天皇が「主」の國である。これが萬古不易のわが日本國體である。ゆえに、日本國は決して占領軍や共産主義勢力が目指した「民主國家」になってはならない。日本國は天皇國である。「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)は決して善でも正義でも真理でもない。日本にとって百害あって一利無き亡國思想である。それは「戦後民主主義」に支配され七十年を閲したわが日本の現状を見れば明らかである。

 

 従って「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)と「天皇制」との結合などということは全く必要のないことであるし、また不可能なことなのである。

 

 西洋法思想・欧米國家観に貫かれた『現行占領憲法』の「(天皇の地位は注)國民の総意に基づく」という条項は、日本天皇の御本質及び日本國體の本質を正しく表現していない。そればかりではない。この規定は天皇及び皇室の尊厳性・神聖性を冒し隠蔽する元凶となっている。

 

 わが國日本及び日本國民は神聖君主・日本天皇にお護り頂いているのである。ゆえに憲法において、天皇は日本國の統治者であらせられ、神聖不可侵の御存在であられることを明確に規定すべきである。『大日本帝國憲法』の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神は全く正しいのである。

            

 「現行占領憲法」の「天皇条項」が、日本の國柄を隠蔽し天皇の御本質を正しく表現していないから、今日の日本は安定を欠いているのである。日本とは國の成り立ち・歴史伝統が全く異なる欧米の國家論に基づく「國民主權論」「契約國家論」は、日本國體とは絶対に相容れない。現行憲法の「天皇条項」は根本的に是正されなければならない。

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