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2015年9月16日 (水)

『大東亜共同宣言』に謳はれた日本の戦争理念

大東亜戦争開戦当初、日本軍が連合國軍を撃ち破り破竹の進撃を続け欧米列強を駆逐したことは、長い間,欧米の植民地支配に喘いでいたアジア・アフリカの人々を勇気づけた。日本軍の捕虜となったイギリス軍インド人兵士の中からインド國民軍が結成された。そしてインド独立を達成すべく、日本軍と協力して「進めデリーへ」の合言葉のもとインドに向けて進撃した。インドネシアやビルマでも、日本の指導・援助で独立を目指す軍隊組織がつくられた。

 

 日本の指導者の中には、戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いて置く方が良いといふ考へも強かった。しかしこれらの地域の人々が日本に寄せる期待にこたへるため、日本は昭和十八年、ビルマ、フィリピンを独立させ、また、自由インド仮政府を承認した。

 

 日本はアジア諸國家に大東亜戦争への協力を求め、あはせてその結束を示すため、昭和十八年十一月六日、アジア諸國代表(日本・中華民國・満州國・タイ・フィリピン・ビルマの六カ國および自由インド仮政府)を東京に集めて「大東亜會議」を開催した。

 

會議では、各國の自主独立、各國の提携による経済発展、人種差別撤廃をうたふ『大東亜共同宣言』が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。署名した各國代表は、大日本帝國の東條英機総理、満州國の張景恵総理、中華民國南京政府の汪精衛行政院長、タイ國のワンワイタヤコーン殿下、フィリッピンのホセ・ぺ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、そしてチャンドラ・ボース自由インド仮政府首班であった。この宣言は,連合國の『大西洋憲章』に對抗することを目指してゐた。

 

『大東亜共同宣言』には、各國が相提携して戦争を完遂し,大東亜をアメリカ・イギリスから解放して道義にもとづく共存共栄の秩序を建設し,大東亜の安定をはかるといふ理念がうたはれてゐた。

 

「            大東亞共同宣言

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ

 然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス

大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス

一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス

一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス

一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス

一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス」

 

大東亜戦争によって、東南アジアの國々の殆どが独立を達成した。戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸國が独立を早めるきっかけとなった。

 

日本が敗戦によって撤退したのち,インドネシアには,オランダが植民地支配を再開しやうとして復帰してきた。これに對し,戦時中,日本によって訓練されたインドネシアの軍隊が中心となって独立戦争を開始し,1949年独立を達成した。

 

 インドでは,日本軍と協力したインド國民軍の兵士をイギリスが裁判にかけたことに對して,はげしい民衆の抗議運動などもおきた。こうして,長く続いていた独立への気運がさらに高まり,インドは一九四七年,イギリスから独立した。そのほかにも,ビルマは戦後,植民地支配を再開したイギリスから改めて一九四八年に独立を勝ち取った。

 

かうした事實は、大東亜戦争においてわが國が戦争目的としたことが實現したことに外ならない。勝った國である米英ソよりも、日本の方が倫理的に高かったといふことである。

 

深田佑介氏は、「極東國際軍事裁判による歴史観を見直すべき時期が到来している…この裁判においては、『民主主義對ファシズム』という對立図式を硬直的、教条的に適用し、戦時における日本の行動は全てファシズムによる悪と断罪した。この裁判に基く歴史観に戦後日本が支配されてきたのは、まことに不幸であった…大東亜會議は『アジアの傀儡を集めた茶番劇』では決してなかったのである。戦後、バー・モウは『歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した國はない。しかしまたその解放を助けたり、或いは多くの事柄に對して範を示してやったりした諸國民そのものから日本ほど誤解を受けている國はない』(『ビルマの夜明け』)と述べる。この誤解している諸國民の中に『日本國民』自身も含まれているところに、戦後日本の悲劇がある」(『黎明の世紀』)と論じてゐる。

 

終戦時の関東軍作戦参謀・草地貞吾氏は、「十二月八日、いよいよ、大東亜戦争の発動となり、…赫々たる緒戦の戦果が、眠れる東亜諸人種・諸民族に與えた感作・影響は甚大なるものがあった。…大きな一撃が西欧の實力を破砕すると共に東亜全域の民心を覚醒した。…大東亜三十余國の独立は、この時成ったというも過言ではない。」「戦後半世紀の間に、新しく百二十を超える独立國が出現した。しかもその多くは大戦終わって間もなくの頃である。…壮大雄渾なる大東亜戦争の発動と、それに誘発奮起したアジア・アフリカ人種・民族の自決闘争総合の結果と言える。」「これほどすばらしい、これほど美しい歴史的行為・行動は、三千年の日本歴史上に無い。また、五千年の世界史上にも無い。實に大東亜戦争は、神武天皇以来、八紘一宇の皇謨による不可避の天命的大戦争であった。われらは今こそ、護國の礎となった靖國の英霊に無限の感謝を捧げると共に、挙國一致敢闘努力した、大東亜戦争の栄光を末長く傳えなければならない。」(『大東亜戦争大観論』)と論じてゐる。

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