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2015年9月11日 (金)

大東亜戦争は、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。

大東亜戦争の開戦は、侵略戦争の開始ではない。その目的においても實際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。

 

わが國は何故米英に宣戦を布告したのか。それは米英本國に日本が攻め入り、彼の國を占領支配せんとしたためではない。米英が百年来、東亜諸國諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦ひをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

 

一四九二年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、一四九七年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を廻って以来、ヨーロッパ諸國=白色人種によるアジア侵略・植民地化は休みなく進み、十九世紀には、トルコから支那大陸に至るまで、アジアのほぼ全體が、欧米諸國の植民地支配下にあった。

 

十九世紀半ばになると、わが國にも、西からはアメリカ、北からはロシア、西からはイギリスといふやうに西欧列強の侵略の手はひしひしと迫ってゐた。日本もやがて植民地化の運命を辿ると思はれた。

 

しかし、われわれの父祖は、さうした外圧のさなかにあって、大変革を断行して國内體制を整へ、民族の独立を維持した。それが明治維新である。明治維新は、西欧列強の日本侵略の危機と徳川幕府の皇室軽視・封建支配といふ内憂外患を打開するため「尊皇攘夷」を基本理念として断行された大変革であった。

 

わが國は、明治維新断行以後、憲法を公布し、議會を開設し、近代國家への道を歩んだ。「富國強兵・殖産興業」を合言葉にして、軍事面経済面でも大発展を遂げた。日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列強・白色人種に虐げられてゐたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。アジアの中でよく独立を維持しさらに近代化を遂げ、発展した唯一の國である日本は、欧米列強の植民地支配からアジア諸國諸民族を守る大きな盾となったのである。

 

アメリカは日本の強大化を恐れ、日露戦争直後の明治三十七年に、對日戦争計画たる『オレンジ計画』を立てた。アメリカといふ國は、開拓精神に燃えた人々によって建國されたといはれてゐるが、この『開拓精神』とは他人の土地に入って行ってそこを占拠し自分たちのものにするといふことである。北米大陸そのものがもともと先住民族(いはゆるインディアン)のものだったのである。そしてハワイ・グァム・フィリッピンと西に進み、シナ大陸に入り込もうとした。ところが、その前に立ちはだかったのが日本だったのである。

 

さらに、日本を戦争へと追ひ込んだのはソ連である。名目上は世界の共産化、實際には自國の権益の拡大・領土拡張を目指し、さらには日露戦争の仇を討ちたいソ連は、日本を取り潰す策謀を展開した。曽野明氏(元外交官)は、「昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった…決議には…米英仏日独といった『帝國主義列強』を互いに對立させ、戦争に追い込め、という戦略指令であった。日本について言えば、①日本を米國との戦争へ追い込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、ということであった。ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透をはかり(当時の青年将校の思想は、いわば『天皇制共産主義であった』であった)、米國との對決路線に追い込み、また、マスコミにも、國粋主義、排外主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米國内では、排日機運の盛り上げが工作されていた。…『中立条約』の締結があったので、日本國民は『北辺の安寧』が保障されたと安心した。かくて、日本軍部の進路は米()との對決以外になくなったし、したがって日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである」と書いてゐる。

 

倉前盛通氏は、「尾崎秀實が對中國強硬論者の一人であったこと、對米開戦を最も叫んだ人間であったことは、戦後、故意にもみ消されて、あたかも平和の使者であったかのごとく、全く逆の宣傳が行われている。…日本が大陸にのめりこんで、國家の大方針を誤ったのは、①陸軍が、一九二〇年頃からドイツ型大陸地政學にかぶれ、大陸政策に深入りしたこと。②日本の目を大陸に向けさせ、海軍力の充實に回す予算を少なくさせようという米國の陰謀が裏にあったこと。この二つに大きな原因を見出すことができよう。…二・二六事件によって、『蒋介石と和解し、對ソ作戦の準備に力を入れよう』と主張する人々のほとんどが陸軍内部から排除され『シナ大陸への侵攻』を考えるグループによって陸軍の主導権が握られた…ここにも日中を戦わせようとする米ソ双方の巧妙きわまる陰謀工作が伏在していた」(『悪の論理』)と論じてゐる。

 

ソルゲと尾崎などのコミンテルンのエージェントたちは、当時わが國内で澎湃と湧き起こって来てゐた「國家革新」「東亜解放」といふ正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦ふよりも「米英を撃つべし」といふ世論を煽った。『革命の祖國・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。

尾崎を側近にした近衛文麿氏は、社會主義に共感を覚えてゐた人であり、マルクス主義経済學者である河上肇を慕って東京帝大哲學科から京都帝大法科に移ったといふ経歴の持ち主である。近衛氏は、「防共反ソ」よりも「英米駆逐」に力を入れ南進論を主導した。わが國と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったことは今日明らかになってゐる。

 

かくて、日本の進路は米英との對決以外になくなり、日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである。つまり、わが國は米英とソ連とによって挟撃される事態となった。わが國は、米英及びソ連によって戦争に追ひ込まれたのである。

 

昭和天皇は、わが國が戦争に追ひ込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列國の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本國民を憤慨させるに十分なものである。」「総理になった東條は、九月六日の御前會議の決定を白紙に還すべく、連日連絡會議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…實に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、萬一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになってゐる。

 

鈴木貞一氏はテレビで、「資源が無いのに何故アメリカと戦争をしたのですか」との質問に對し「資源が無いから戦争をはじめたのだ」と答へてゐたと記憶する。

 

開戦前のアメリカによるわが國への圧迫は、①對日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めるやうなことをして来たのである。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京國民政府及び満州國の否認、日独伊三國同盟の死文化を求める米國務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王國やルクセンブルグ大公國でさえも合衆國に對して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いてゐる。

 

わが國は、まさに「開戦の詔勅」に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

佐藤優氏は、「日本國民は当時の國家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の國際社會のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護國、準植民地となる運命を免れなかったというのが實態ではないか」(『日米開戦の真實』)と論じてゐる。

 

對米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員會で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千萬の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸國人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ國家生存、國民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼國人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ。」と切言してゐる。

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