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2015年9月24日 (木)

支那を「中国」と呼ぶことは『中華帝国主義』に屈服することになる

今日、中華帝国主義が猖獗を極めようとしてゐる。日本民族及び日本国家の尊厳そして国益を守らねばならない。

 

「中華思想」を簡単に定義すれば、「支那は天下の中心・世界の真ん中にあって文化が華のやうに咲き誇ってゐる國」といふ思想である。支那は世界帝國であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝に貢物を差し上げること)する属國の形式でしか外國の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないといふ思想が「中華思想」である。

 

世界各地の支配者は支那の皇帝の冊封(天子の命で官・位を授ける書きつけである『冊』により諸侯に封禄・爵位を授けること)によってその地位と権力を認められるとする。「中華思想」には対等な外交関係はあり得ない。支那以外の國は支那の従属し属国になるしかない。

 

それだけではなく、「中華思想」は、周辺諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と、獣や虫けらのやうに呼んでこれを蔑視し侮った。「東夷」とは弓を射るのがうまい民族・東方の野蛮人のことで、日本・満州・朝鮮などの民族を指す。「西戎」とは槍術のうまい民族・西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指す。「南蛮」とは蛮は虫扁がつく南方の野蛮人のことで、インドシナなど南海諸地方の民族を指す。「北狄」とは犬扁のつく北方の野蛮人のことで、匈奴(きょうど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指す。いずれも人間以下の禽獣に等しい野蛮な民族といふことである。

 

周辺諸民族は、野蛮人なのだから、逆らったり、言ふことを聞かなければそれこそ虫けらの扱っても構はないといふ思想である。テレビの記録映像で共産支那の警察官が笑ひながらチベットの僧侶を蹴飛ばしてゐるのを見たが、さうした残虐さはかかる観念が大きく影響してゐると思ふ。

 

「中華思想」に基づくアジア支配思想を「華夷秩序」「華夷の弁」と言ふ。「文化的優越性を持つ漢民族は中華であり、民族性が低劣である他の民族は夷狄である。故に、中華民族は世界の中心にゐて支配者になり、夷狄は被統治者である」といふとてつもない差別思想である。

 

これほどの他民族差別思想・侵略思想・大國主義はない。支那はこの論理によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略して来た。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝・唐太宗のやうに内乱の後に大統一帝國が成立させた後に、強力な國外侵略を行ってゐる。「中華人民共和國」といふ名の大帝国が出現した今日、その歴史が繰り返されやうとしてゐる。

 

渡辺利夫氏は、「中華人民共和国が継承したものが中国史上最大規模の版図を構築した清の版図だ」「清の時代であれば『分治』の対象として包容的にその存在を許されていた異民族は、中国が主権国家観念を導入したことによって、暴力的な抑圧の対象になってしまった」「中華人民共和国が国内異民族はもとより、周辺国をも含む新しい中華帝国として出現しつつある」「国力と軍事力の増強、それにともなうナショナリズム昂揚の現在の中国において、伝統的な王朝の『遺伝子』が再び覚醒しつつある」(「帝国を志向する中国」・『正論』平成二十年三月号)と論じてゐる。

 

黄文雄氏は、「大中華民族主義は、決して近代国民国家の樹立を目指す民族主義ではなく、諸民族を次から次へと統合、同化していくアンチ・ナショナリズムである。漢民族を中心にチベット人やモンゴル人など少数民族を統合、同化していく侵略主義にほかならない。…中華民族主義とは清帝国の遺産を継承し、中華帝国の再建をもくろむ侵略思想である。まさしく異民族支配を正当化する覇権主義の別形態である」(『中国人の偽善台湾人の怨念』)と論じてゐる。

 

国境の観念がなくどんどん支配地域を広げても構はないといふ「中華思想」が、実際の強大なる軍事力を保持する権力国家=「中華人民共和国」の基本思想になったといふことである。周辺諸国に脅威をもたらす「中華帝国主義国家」が誕生し膨張しつつあるのである。

 

現実に共産支那は、内モンゴル・満州・チベット・東トルキスタンを侵略支配してゐる。そして近年は海洋に進出してゐる。台湾も沖縄も支配下に置かうとしてゐる。

 

我々は何としても中華思想に打ち勝たねばならない。それは決して不可能ではない。不可能どころかわが国の歴史は、中華思想に打ち勝ってきた歴史である。

まづ第一に、支那を「中国」と呼ぶことを止めなければならない。私は、出来る限り、支那のことを「中国」とは書かず「支那」と書くことにしてゐる。支那を「中国」と呼んでしまふと、「支那は天下の中心・世界の真ん中にあって、天下を支配する國」といふ中華思想を肯定することになる。

 

石原慎太郎東京都知事が、平成二十年三月二十一日の首都大学東京の卒業終了式で、卒業生らに向けて「言っとくけど、諸君ね、中国の事を『シナ』って言はなきゃだめだよ」と発言したことに対して、『朝日新聞』などの偏向新聞が愚図愚図文句を言った。

 

支那といふ国名はあるが、「中國」といふ名称の國家は地上に存在しないし歴史的にもこれまで存在したことはない。「中國」とか「中華」は、正式な國名でも民族名でも地名でもなく、漢民族が抱いてゐる文化概念である。

 

また、「支那」とは、秦帝国(始皇帝が周および六国を滅ぼして天下を統一した王朝)の「秦(シン)」の音変化に由来し、サンスクリット語の仏典を漢訳した時から漢字では支那と書くようになったといふ。以来、支那人自身が用いてきた言葉である。だから諸外国も支那と呼称するやうになり、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などでも支那と呼んでゐる。英語ではChina(チャイナ)と呼称した。支那は歴史的名称であり、わが国も支那と呼称するやうになった。わが国が、支那を支那と呼ぶことは決して支那及び支那人を侮蔑することにはならない。

 

わが国は古代より「日本」が国号である。ところが、支那は「五千年の伝統」と言ふが、革命が繰り返されて、一つの王朝が継続して来なかった。従って一つの国号が続かなかった。すぐ思い浮かぶだけでも隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国と実に多く国名が変はった。支那だけが「中国」であるのではない。

 

わが日本も「中国」である。わが国には「葦原中国(あしはらなかつくに)」といふ国号がある。つまり、わが日本国も「中国」なのである。わが国の文化も中華文化である。従って、わが国民が支那のことを「中国」と呼ぶべきではないのである。

 

支那大陸に存在する国家のみに「中國」とか「中華」を名乗る資格があるのでは断じてない。「中国」といふ言葉は本来固有名詞ではない。そもそも支那だけが「中国」ではないし、漢民族だけが中華文化の民族なのでもない。

 

「中国といふ言葉はすでに定着してゐるのだから、中国を刺激してまで無理に支那と呼称することはない」といふ意見があるが間違ひである。これはわが国の尊厳性・文化の独自性の保持、突き詰めればわが国の独立に関はる問題である。

 

世界の先進国で支那を「中国」と呼んでゐる国は日本以外にない。どこの国も「支那(英語ではChina)」と呼んでゐる。わが国が支那のことを「中国」などと呼称する自体、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになり、わが国にとってこれほどの屈辱はない。

 

さらに、わが国がとてつもない差別思想である「中華思想」を容認することとなり、「中華帝国主義」に侵略され併呑される原因となる。わが国及びわが国民が支那を「中国」と呼ぶことは、極論すればわが国及びわが国民が支那の支配下に日本が入ることを容認することになる。

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