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2015年8月10日 (月)

『大日本帝國憲法』は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、肇國以来の日本の傳統的國體精神の結晶であった

『大日本帝國憲法』の第一条から第三条までが國體法、第四条以下が政体法である。「國體法」は天皇國日本の國體の本義が書かれてゐる。「政体法」は國家の統治権を運用する具体的なあり方即ち政治の具体的形態が書かれてゐる。つまり、國體法は、永遠に変はることのない國家の基本が示されており、政体法は、時により改正されることがある政治のあり方が示されてゐる。

 

國體法とは「立國の基本たる法」と定義づけることができる。これに対して政体法とは、國體法の基礎の上に定められた「國家の統治組織や國家活動の原則や國民の権利義務などに関する基本的な定め」を総称する。

 

『大日本帝國憲法』は第一條の「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」といふ条文は、祭祀國家・神がお生みになった國家としての日本を天皇が統治されることが書かれてゐる。第四條の「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」といふ條文は、政治権力機構即ち政体における天皇の権能について書かれてゐると解すべきであらう。

 

『大日本帝國憲法』第一條の「統治ス」とは、権力行為ではなく祭祀國家日本の祭祀主としての権能のことである。祭祀共同体としての國家は國體であり、権力機構としての國家は政体である。『大日本帝國憲法』は、國體と政体を正しく分けて、第一條から三條は「國體」が書かれ、第四條以下は「政体」が書かれてゐるまことに理想的な憲法である。

 

「近代成文憲法」以前の存在であるところの「天皇中心の日本國體」は成文憲法で規定する必要はなく、成文憲法には國の政治組織について規定するのみでよいといふ論議もある。言ひ換へれば成文憲法には國體については規定せず、政体についてのみ規定すればよいといふ主張である。

 

中川剛氏は「君主主権も不敬罪もヨーロッパ大陸の産物である。憲法を持つこと自体が、英米にはじまるものである。明治憲法はじつは極端なほど欧化政策の結果であった。明治憲法下の天皇制はむしろ傳統をねじ曲げるものだった。近代國家としての体裁を整えるための、たてまえとしての性格の強かった明治憲法であるから、憲法が制定されたからといってただちに、天皇が西欧の絶対君主なみの統治権を掌握したわけではなかった。天皇は制度とは別に、依然として國民的つながりの中心としての文化的存在でありつづけた。政治的天皇と文化的天皇の二重性をそこに認めることができる」(『憲法を読む』)と論じてゐる。

 

『大日本帝國憲法』は、ただ単に西洋立憲制度を模倣したのではなく、日本の傳統信仰の体現者として國家を統治される天皇の御本質を成文法によって名文化しようと努力したものである。

 

葦津珍彦氏は「帝國憲法制定の歴史について、これを伊藤博文とか、井上毅等の官僚政治家が、西欧(とくにドイツ、プロシャ、バイエルンなど)の憲法をまねて起案し制定したもののように解釈する学者が多い。しかしそれは非常に浅い皮相の見解であって、全く日本國民の政治思想史を無視したものといわねばならない。この近代憲法ができるまでの歴史条件としては、少なくとも弘化・嘉永ころからの激しい政治思想の展開を見なければならない。黒船が日本に対して開國をせまって来たころから、徳川幕府がそれまでの独裁専決の政治原則に自信を失って、外交政策については『會議』によって國是を固めようとすることになってきた。この會議政治の思想が生じてきたことは、そののちの政治思想に決定的な波紋を生じた」(『近代民主主義の終末』)と論じてゐる。

 

『大日本帝國憲法』の起草に当たった井上毅は「御國の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡持て天か下の民草をしろしめすという意義より成立したるものなり。かゝれば御國の國家成立の原理は、君民の約束にあらずして一の君徳なり。國家の始は君徳に基づくといふ一句は日本國家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」「わが國の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらずして即遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるなり」(『梧陰存稿』)と論じてゐる。

君主と民とは相対立しており國家は君と民、あるいは民同士の契約によって成立するなどといふ西洋法思想・國家観は、日本の國體観念・天皇観とは全く異質なものであると井上毅は説いてゐるのである。

 

ただ、井上毅はここで「君徳」と言ってゐるが、日本天皇は人としての「徳」よりももっと深い「祭り主としての神聖権威」、日本傳統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって國家を統治したもうのである。「御稜威」とは天皇の有される神霊の威力と言ふべきものである。

 

折口信夫氏は「御稜威」について、「みいつといふ語の語根いつといふ語は、稜威といふ字をあてる…いつのちわき・いつのをたけびなどといふ風につかってゐます…天子に傳り、これが内にある時は、その威力が完全に発現するところの権威の原動力なる魂の名でありました。」(『神々と民俗』)「天子には天皇霊といふべき偉大な霊魂が必要であって、これが這入ると、天子としての立派な徳を表されるものと考へられてゐました。その徳をみいつといふ語で表してゐます。…これは天皇靈の信仰上の名稱でした。」(『鳥の聲』)と論じてゐる。そしてその御稜威(天皇靈)は大嘗祭において新しき天皇のお体に入るとされる。

 

歴代天皇には「人」としての徳がいかにあられようと歴聖一如の「御稜威」によって國家を統治したまふのである。今上天皇におかせられても、大嘗祭を執行されて現御神となられ御稜威を保持されてゐることは言ふまでもない。昭和天皇もしかりである。つまり『昭和二十一年元旦の詔書』において、天皇が神格を否定され「人間宣言」をされたなどといふことは、「みまつり」といふ厳粛なる事實によって否定されるのである。

 

ともかく井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を實に苦心して作りあげたのである。『大日本帝國憲法』は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではなかった。『大日本帝國憲法』は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、肇國以来の日本の傳統的國體精神の結晶であった。

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