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2015年8月15日 (土)

日本敗戦と蒋介石

国民党政権は台湾での強権政治を行い、台湾人に対して凄惨なる弾圧・殺戮を行った。台湾人とりわけ独立運動を行い処刑されたり投獄されたりした人及びその家族の人々にとって、蒋介石・経国父子及び国民党は不倶戴天の仇敵である。しかし、蒋介石は日本との関係について、次のようなことが伝えられている。

 

① いわゆる「南京事件」についての蒋介石の見解

 

 昭和四十一年九月、岸信介元総理の名代として五名の日本人台湾使節団が訪台し、蒋介石総統と面談している。その五名の中の一人である田中正明氏が、蒋介石総統との面会の様子を次のように記している。

 

 「最後に私は、蒋介石総統の前に進み出て、御礼の挨拶をした後『私は総統閣下にお目にかかったことがございます』と申し上げました。

 すると『いつ?どこで?・・・・』とたずねられた。

 『昭和十一(一九三六)年二月に、松井石根閣下と二人で、南京でお目にかかりました』

 その時『松井石根』という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。

 目を真っ赤にし、涙ぐんで『松井閣下には誠に申し訳ないことをしました』手が震え、涙で目を潤ませて、こう言われるのです。

 『南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・』といいながら涙しつつ私の手を二度三度握り締めるのです。私は驚いた。一同も蒋総統のこの異様な態度に驚いた。

  

 周知の通り南京戦の直後、蒋は漢口にいてしきりに対日抗戦の声明文を発表したが、〈虐殺事件〉など一言も触れていない。何応欽軍司令官の『軍事報告書』の中にも一行もない。それを東京裁判は、松井大将の責任で二十万余を虐殺したと判決して、絞首刑に処したのである。

 

   あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何らむくいることも出来ず、ありもせぬ『南京虐殺』の冤罪で刑死せしめた悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。」(『興亜観音第十号』・『興亜観音第十五号』)

 

 

② 大東亜戦争末期における蒋介石の対日姿勢

 

(注・一九四三年十一月二十三日、カイロに於いてルーズヴェルト米大統領と会談した蒋介石総統は)戦後日本の軍事占領に関しては、中国にそのような重責を担うだけの用意が充分にはないから、アメリカが指導力を以て占領し、中国はそれをサポートする立場で責任を果たすことが適当と思うと述べている。」

 

 「注・(張桂芳著『蒋総統与天皇制』は)『マッカーサー元帥による日本占領の初期、日本管理機関のソ連代表デレヴィヤンコ(中将)は、日本を三つの占領区に分け、北海道をソ連に、本州をアメリカに、九州を中華民国に占領させることを提案した。この時、張岳軍は?総統の特使として日本に渡り、マッカーサーを訪ね、ソ連軍が北海道を占領することを拒絶すると同時に、中国軍の九州占領を辞退したということを伝達した。このことによって、マッカーサーはソ連の提案を拒絶することが出来たのである。もしソ連軍による北海道進駐の計画が実行されていたならば、日本は南北朝鮮や東西ドイツのように国土が分裂され、思想は混乱に陥り、政局は不安定となり、経済的復興が遅れ、南北朝鮮、東西両ドイツの世紀的悲劇を演ずることになっていたであろう。蒋総統は自己の権利すら放棄して、北海道を占領しようとするソ連を阻止し、分裂と混乱という脅威から日本を救ったのである。この事実は多くの日本人に知られていないがゆえに、ここでとくにこの問題を持ち出して説明する。』と述べている」

 

 「日本の皇室の地位に関する問題に関しては、ルーズヴェルトは、戦後、日本の天皇制は廃止されるべきかどうかにつき、蒋介石総統の意見を求めた。蒋介石は、これは、日本の政府の形態(組織)に関する問題を含んでおり、将来、国際関係に千載的遺恨を残すような誤りを犯さないために、戦後、日本国民自身の意志決定に任せるべきことだと述べている。蒋介石をはじめ、国民政府要人たちは、『日本の国体は戦後日本国民自身の意志で決定するべきだ』という蒋介石総統のこの時の主張がその後の連合国の規準となり、ポツダム宣言にも採択されたと解してきたようである。」

 

 「(張桂芳著『蒋総統与天皇制』は)一九四五年一月、アメリカのヴァージニア州ホットスプリングスで開催された『太平洋問題調査会』の第九回会議において、中国代表として出席した邵毓麟が天皇制廃止論者のオーエン・ラティモアらと対立し、戦後、日本の天皇、および、その政治形態は日本国民自身の意志によって決定すべきだと、蒋介石総統の意見を代表して述べ、天皇制打倒論に立ち人々の激烈な反対を受けたこと、および、アメリカ国内で『天皇制存続』論を主張していたグルー元駐日大使の最も有力な援軍になったということなどを記録している。」(武田清子氏著『天皇観の相剋』)

 

  そして武田清子氏は、「さらに、本書(張桂芳著『蒋総統与天皇制』)は、日本が無条件降伏した時『以徳報怨』をもって、中国当局が、数百万人の日本軍の将兵の帰還を進めたこと、戦時中、中国のこうむった莫大な損失にもかかわらず、対日賠償の要求を放棄したこと等を、敗戦国日本への寛大な態度として強調している。」と書いている。

 

  アメリカとりわけマッカーサーは、ソ連に北海道を占領させる意思は全くなかったし、所謂「天皇制の存続」は日本占領の基本方針であった。しかし、蒋介石の対日姿勢がアメリカとりわけマッカーサーの占領方針をやりやすくさせたことは事実であろう。

 

 

 

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