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2015年8月27日 (木)

世界でも類を見ないわが國独自の現象=神佛習合

 日本人は模倣が上手だとか言われるが、外國の文化や文明を模倣のみによって日本文化・文明・思想は成立しているのではない。外来思想の輸入は、必ず日本本来の思想精神を契機にしている。強靱なる伝統精神が厳然存在していたからこそ、日本民族は外國の文化・思想・宗教・技術を幅広く寛大に輸入し、さらに発展させ自己のものとしたのである。

 

 佛教が日本に受容されたのは、佛教と日本伝統信仰の根底にある自然観が、非常に共通するものがあったからである。日本人は、天地に遍満する自然神を八百万の神として仰いだ。佛教も、天地自然を佛の命として拝んだ。自然と日本の神と佛の三つは一つのものとして把握されたのである。。神佛習合(日本の神道と外来の佛教とを結びつける信仰思想)は日本の麗しい自然環境が生んだ。

 

 自然だけではない。人間自身も神佛と分かちがたい存在として信じられた。日本伝統信仰における『人間観』は、人は神から生まれた存在であり、人は神の分霊(わけみたま)であるという信仰である。人はすぐに神になるし神もまたすぐ人間となる。天照大神やその弟神であられる須佐之男命をはじめとした日本の多くの神々は、人間と隔絶した存在ではない。太陽神である天照大神もまた弟神の須佐之男命もほとんど人と同じように悩まれ、戦われる。それでいて、人と國土を守り、万物を育み給い導く神である。

 

 神佛習合は、世界でも類を見ないわが國独自の現象である。大陸から盛んに文化を輸入していた時期である七~八世紀にすでに神佛習合の素地は形成された。大陸文化の摂取がいかに盛んであっても、日本の独自の精神文化が、常に摂取した外来文化を日本化してした。これは日本の伝統文化が豊かな包容力を持っていると共に強靱さを持っていることを証明する。

 

 だから日本では外國では考えられないようなことが行われている。即ち、神社という日本神道の聖所に、本来全く別の宗教であり外来宗教である佛教の聖所であるお寺が建てられ、あるいはその逆にお寺の中に、神社が建てられていても、また佛教の信仰の対象であるおマンダラに、日本の神の名が書かれても、何の不思議も感じないという事実である。

 

 平安時代になって大陸文化の直接的な影響が希薄になり、文化の國風化現象が起こった。和歌・物語・随筆・日記文学において、建築・絵画・書道・彫刻などにおいて、そして宗教において、日本独自の文化が発達してきた。そして宗教においてはますます神佛習合が促進された。

 

 佛教と日本の伝統信仰とが、融合する形で現れたのが天台本覚論である。天台本覚論とは、平安後期に始まり、中世に盛行した現実を肯定的にとらえる佛教理論で、「本覚」とは人間に本来的にそなわっている悟りの心のことである。天台本覚論は、人間および天地自然は佛の命そのものであると説く。天台本覚論には「一切衆生悉有佛性」(天地一切の生きとし生けるものはすべて佛性を持っている)「草木國土悉皆成佛」(草木も國土もみな成佛している)という言葉がある。これは日本伝統信仰の自然の神を見る精神と同じである。

 

 日本において、自然も人間も佛と分かちがたい存在であるとする天台本覚論が生まれたのは、現実世界をそのまま神の生きる國であるとする現世肯定的な日本の伝統信仰があったからである。本覚思想が佛教の融合を促進した理論であったと共に、本覚思想を生んだのも日本伝統信仰だったのである。

 

 また、念佛を唱えれば救われる、題目を唱えれば救われると説く、浄土真宗や日蓮宗が生まれ広まったのは、神の道に随順して生きるのが人の道であるとする神道の根本思想と共通するものがあったからである。

 

 天台本覚思想の影響を受けた親鸞や日蓮の宗教も神道が形を変えたものと言ってもいいし、日本の伝統信仰に回帰した佛教であると言ってもいいのである。そして、そうした日本の佛教によって日本人の伝統的な信仰精神はより深化されたのである。

 

 寛容にして包容力豊かな日本伝統信仰があったからこそ、日本において佛教が広まったのである。日本伝統信仰には、佛教やキリスト教のような教義体系は無い。しかし、教義・教条を超越した大きな信仰精神があるのである。それが大きくそして強靱な土壌として存在しているからこそ、佛教のみならず多くの外来思想や文化を摂取したのである。

 

 日本の佛教受容(神佛習合思想)の形成において本覚思想と共に重要な役目を果たしたのが、本地垂迹(ほんちじすいじゃく)思想である。「本地」とは物の本源、本来の姿をいい、佛や菩薩が一切衆生を救済するために時と場所に応じて仮の姿を現すという考え方である。日本の神々は、本地である佛や菩薩が日本において仮の姿を現した存在であるとする。

 

 この思想によれば神と佛は全く対立する存在ではなくなる。神佛は一つのものの両面に過ぎない関係であって、その両面を本地と垂迹という言葉で表現したということになる。天地の奥に実体として久遠に流れる生命そのものを、あるいは神あるいは佛という名称を付けて崇敬する精神である。

 

 そもそも日本の神は、他界から来臨する。邇邇藝命のように天上から降られる神もいれば、塩椎の神のように海の彼方から来られる神もいる。ゆえにインドの佛が日本にやって来て神として姿を現すという信仰も生まれやすかったのである。

 

 こうした信仰を、後西天皇は、

 

「神のめぐみ佛のをしへふたつ無くたゞ國はこの道ぞかし」

 

と詠まれ、

 

崇徳天皇は、

 

「道のべのちりにひかりをやはらげて神も佛のなのりなりけり」

 

と詠まれている。 

 

 天台本覚論や本地垂迹説の根底には、日本人の篤い敬神思想があった。だから、信仰共同体日本の相互連帯の根幹にあった神への信仰が、佛への信仰よりも先行している。これは今日の町村という共同体における生活の実態を見ても、その共同体の相互連帯の中心は、お寺よりも神社であるのが一般的である。東京においては、山王日枝神社・神田明神・浅草神社・根津神社・富岡八幡宮などの祭りが、それぞれの地域の共同意識・連帯感の中核になっている。

 

 日本が佛教國といわれるまでに全國津々浦々に寺院があり、日本國民の殆どが何処かのお寺の檀家になっているのは、徳川時代初期に宗門改め(徳川幕府がキリシタン禁圧のために設けた制度で、各家・各人ごとに佛教の宗旨を調べ、寺に信者であることを証明させた)によるものである。これにより日本國民の殆どがいずれかの寺の管轄に属さざるを得なかった。つまり、日本國が佛教國と言われるようになったのは、権力の強制によるものと言っても過言ではない。

 

 これに反して、神社への崇拝は何ら権力の強制ではない。法事以外ではお寺の付き合いのない家や個人も、神社参りやお祭りへの参加は自由にそして盛んに行われてきた。神事が優位に立ち、佛事は副次的であった。

 

 本地垂迹説は、平安末期より鎌倉時代にかけて神が本地であって佛は神の仮の現れであるという、神本佛迹説へと発展していくのである。特に元の来襲による神國思想の高まりがそれを促進した。元の軍隊は神風によって滅びたと信じた日本人は、天照大神を中心とした日本の神々が日本國を守り給うという信仰が強まれば強まるほど、神國思想が強固になっていったからである。

 

 こういう傾向が、鎌倉時代には両部神道(伊勢神道に真言宗を習合したもの・天照大神の本地は大日如来とする説)の次のような説を生む。両部神道の代表的な著作『中臣祓訓解』には「神は即ち諸佛の魂、佛は則ち諸神の性なり…是れより東の方、八十億恒河沙の世界を過ぎて、一佛國土有り。名づけて大日本國と云ふ。神聖(かみ)其の中に座(いま)せり。名づけて大日霊貴(おほひるめむち)と曰(もう)す。当に知るべし、生を此の國に受けたる衆生は、佛威神力を承けて、諸佛と共に其の園に遊ぶ。」と書かれている。大日霊貴とは天照大神の御事である。佛教の立場に立ちながらも、日本國を天照大神のいます佛國土と讃えている。これは神國思想そのものである。

 

 さらに室町時代末期に吉田神道を生む。吉田神道は、吉田兼倶という人が大成した神道の一派で、神道・儒教・佛教・道教・陰陽道の関係を説き、神道を万法の根本とし、神主佛従の立場に立ち神本佛迹を説いた。

 

 吉田兼倶の著書『唯一神道名法要集』の典拠になったのは、慈遍(南北朝時代の天台宗の僧侶・徒然草の吉田兼好の兄で後醍醐天皇の信任が厚かった)『旧事本紀玄義』の巻五で、それには「抑も和國は三界の根にして、余州を尋ぬれば此國の末なり。…その効用を論ずれば本は神國にあり。唐は枝葉を掌り、梵(インド)は果実を得、花は落ちて根に帰す。果は流れを受くるのみ」(日本國は世界の根であって、他の國は日本の末である。根本は神國日本であり、支那やインドは枝葉や果実である、というほどの意)という日本中心思想が説かれている。

 

 また、天武天皇の御代以降、國家的祈願を行う時は、神事(祭祀によって神に祈願する)・佛事(法要によって佛に祈願する)の両様が用いられたが、やはり数において神事が優位に立っているという。また神事によるものは地域的範囲が広く、佛事によるものは京都や近畿地方内に限られていたという。そして神事と佛事が同時に行われる場合は、神事を先にしたという。つまり國家的祈願は、神事によるものが優位に立ち、佛事によるものは副次的であったということである。 

 

 日本神道は元来教義・教条を持たなかったが、佛教との融合によって日本神道の中に教義を持つものが生まれた。両部神道(真言宗の立場からの神道解釈に基づく神佛習合思想)伊勢神道(伊勢の外宮の神官度会氏が唱えた神道説で、儒教や佛教の説を取り入れている)山王神道(天台宗の教義と習合した佛教的神道)などの発生がそれである。これらは佛教の強い影響を受けた教義を持っているが、こうした佛教や儒教の教義と融合した神道教義の出現が、その反動として後に、神道の純粋性・優越性を主張する立場を生んだ。これが近世國学思想である。

 

 日本人は、佛教に帰依することによって日本伝統信仰を捨てさることはしなかった。神佛を同時に崇めることに矛盾を感じなかった。外来の佛教は日本伝統信仰と融合することなくして日本に定着することはできなかったのである。日本民族は何百年という歴史の流れの間に佛教を日本化し自家薬籠中のものとして信じたのである。

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