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2015年8月 7日 (金)

日光東照宮について

゛神社は、日本伝統信仰の聖地である。日本国をお護り下さってゐる天神地祇が祀られてゐる神社に参拝し、感謝の誠を捧げ、一層の御加護をお願い申し上げることは、「敬神崇祖」といふ日本国民の伝統的倫理観念の実践である。

 

しかし、どうしても素直な心で参拝できない神社がある。それは、東照宮である。東照宮は日光ばかりでなく、全国各地にある。東京にも、私の知る限り、上野と芝にある。私が実際に行ったことがあるのは、和歌山と京都の東照宮である。

 

日光東照宮には、昭和四十年代後半に、「まひる野会」といふ窪田章一郎先生主宰の短歌結社の全国大会が日光で開催された時に、参加者の方々と共に参拝した。神殿は極彩色のさまざまの彫刻があり、文字通り豪華絢爛な建物であった。

 

日光東照宮は、元和三年(一六一七)、徳川家康の霊廟即ち霊を祀る所として創建された。現在の建物は、寛永十三年(一六三六)に江戸幕府三代将軍徳川家光が改築したものである。東照宮の建設記録『日光山東照宮造営帳』によると、工事費は五十六万八千両と銀百官、米千石。現代の金額に換算すれば五百億円に達するという。工事に参加した総人数は四五四万人。うち大工が九十五万人、彫物大工だけで三十九万人に上ったいふ。 (宮元健次氏著『日光東照宮に隠された真実』による)

 

宮元健次氏は「空前絶後の資金と人手を湯水のごとくつぎ込んで完成されたのである」と書いてゐる。まさに覇者の驕りである。家康の霊を慰めるためだけならこんなに豪華にする必要はない。勿論その資金も、人手も、当時の民衆から吸い上げたものである。

 

宮元健次氏はさらに「日光東照宮を構成する五十二棟の建築群のほとんどが高密度の彫刻と色鮮やかな装飾を身にまとい、周囲にひときわ威厳に満ちた輝きを放っている。普通の古社寺が自然の中にあって、長い年月の果てに古色を帯び、同化してその一部と化すのに対し、東照宮は創建されて四百年後の今もなお鮮烈な大自然に屈することなく圧倒的な存在感を以て対峙しているのだ」と論じてゐる。

 

わが国の伝統精神・道統は、自然と調和し、自然と対立することなく共に生きる精神である。わが国の皇祖神をお祀りする伊勢皇大神宮はまさにさういふ精神の結晶であり、参拝すると、自ずから清浄さに打たれ、心身共に浄められる思ひがする。

 

ところが日光東照宮は、宮本氏が言はれる通り、自然に同化せず、自然に屈することなく対峙する建物なのである。簡素さや清浄さは感じられない。明らかに日本の傳統信仰、傳統的感覚とは異質のものだ。

 

さらに、建物に施されてゐる無数の彫刻は、支那において古代より守護神とされてきた神獣である。その数五一七三体に上るといふ。言ってみれば横浜中華街の「関帝廟」を馬鹿でかくしたやうにものだ。要するに日本風ではなく支那風なのである。建設地も、支那伝来の陰陽五行説である陰陽道に基づいて決められたといふ。

 

日光東照宮は、まさに力によってその地位を獲得した覇王の神殿である。

 

ただそれだけならまだ良い。日光東照宮はもっと根本的に邪悪に思想によって建てられたのである。

 

宮元健次氏は次の如くに言ふ。「従来、日本の社会は天照大神という神を先祖に持つ皇族中心のものであった…家康は徳川幕府による武家中心の政権をめざした。首都を朝廷の御なれた京都から江戸に移したのもそのためである。また一六一五年(元和一)に発布された禁中並公家諸法度によって天皇と公家を政治から分離し学芸に専念するよう定めたのも、その一環である。それら皇族対策が一通り完了すると、最後に残るのが、天皇の権威への対抗であろう。すなわち徳川家は天皇に匹敵する権威、いわゆる王権を身につける必要があった。そこで…家康自身が神道を研究した結果、自ら神となって、子孫がその末裔となることを望んだ。家康の神号である『東照大権現』と言うのも、東の天照大神の意味であるといわれ、まさに天皇の王権に対する挑戦といえるだろう。ちなみに、天照大神を祀る伊勢神宮が二十年ごとの式年遷宮を行うのに対し、日光東照宮が鎮座二〇年目に大改築を行ったことも、こうしっを意識したものにほかならない」(『同書』)と論じてゐる。

 

徳川幕府は、天皇・朝廷に比肩する権威を身につけたいと画策し、徳川家康を神格化するために、天皇及び朝廷の神聖権威を利用したのである。「東照大権現」といふ神名も、前述したとおり、東から日本国を照らす神といふ意味であらう。皇祖・天照大御神を模した神であり、日光東照宮は、伊勢の皇大神宮を模した神宮である。

 

『禁中並びに公家諸法度』によって、法制的・政治的に朝廷を規制した。その上、信仰面でも、朝廷を規制する方策を打ち立てた。それが徳川家康を神格化した「東照大権現信仰」である。

 

権力の背景には必ず権威が必要である。徳川氏は、武力によって天下を征服・統一した。その体制を長く維持し、且つ、家康の子孫に「征夷大将軍」として天下を支配させるためには、徳川家康そして徳川幕府に宗教的権威を帯びさせることが必要だった。それが「東照大権現信仰」である。

 

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