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2015年7月30日 (木)

日本文化の包摂性と皇室

 日本民族が異文化との交流を持つ以前の時代の精神、即ち純日本精神ともいうべき精神は、異文化との交流が活発になり日本民族が異文化の影響を強く受けるようになっても決して消滅することはなかった。消滅するどころかますます強靱になっていった。

 

 日本は多くの外来思想を摂取したが、決して無批判取り入れたのではない。むしろ日本の主体性・独自性を高めるために外来思想を借用したといってもいいくらいである。

 

 日本の農耕文化を基底にした信仰共同体の祭り主・日本天皇が、日本の文化的・宗教的中心に存在したという尊い事実が、日本が実に積極的に次々と大陸から外来文化を受け入れても、日本の独自性を喪失しなかった最も大きな原因である。天皇及び皇室が日本文化の独自性の核として不動に存在していたがゆえに、外来文化を積極的に受入れ融合しても日本の独自性を喪失することはなかったのである。

 

 山口悌治氏は「主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造。…その構造の『核』となってゐるものが、日本民族の神話なのである。…特殊性と普遍性といってもいいし、…ナショナルなものとインターナショナルなものとの関係ともいへる。…これらは次元を異にして互ひに矛盾してゐるものではない。本来一つのものが二つに分れて機能し、二つの機能が一つに作用し合って生々発展の無限の契機を生み出すのである」「(日本人が・注)仏教を生きるとは、インドをおのれの祖先と感ずることではなくて、仏法をこの国に実現して仏国土となすことだったのである。儒学を骨肉とするとはシナをおのれの祖先と感ずることではなくて、王道国家をこの国に現成するといふことだったのである。」(萬葉の世界と精神)と論じておられる。

 

 この主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造の『核』となってゐる日本民族の<神話>とは、『古事記』『日本書紀』という文献にのこされている神話のみではなく、今日に生きている神話である<祭祀>とりわけ<天皇の祭祀>でもある。信仰共同体日本の祭り主・日本天皇の御存在が、特殊性と普遍性、ナショナルなものとインターナショナルなものを統一し包み込む中心であり、日本文化の包摂性の原点である。

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