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2015年7月19日 (日)

一神教の宗教戦争とわが国伝統信仰

一神教の対立と闘争の歴史は人類の歴史に計り知れない惨禍と殺戮をもたらした

 

 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という三大一神教の対立と闘争の歴史は、人類の歴史に計り知れない惨禍と殺戮をもたらした。

 

 欧米社会で行われ来たユダヤ人差別と迫害は、キリスト教のドグマによる。キリスト教国で反ユダヤ感情の無い国は無いと言っていい。それはキリストを神の一人子として受け入れないユダヤ人に対するイエス・キリストの「あなたがたは……悪魔から出てきた者であってその父の欲望どおりを行おうと思っている。彼らははじめから人殺しであって、真理に立つ者ではない。」(『聖書・ヨハネ伝』八章四四節)という宣告に基づくのである。『聖書』こそが反ユダヤ思想の基礎文献なのだ。

 

 イスラム教のユダヤ教及びキリスト教に対する排撃思想は、イスラム教の聖典『コーラン』(マホメットが唯一神アラーから受けた啓示を集録したもの)に次のように記されている。「信ずる人々よ、ユダヤ教徒やキリスト教徒を友としてはならない。彼らはお互い同士だけが友である。お前たちの中で彼らを友とする者がいれば、その者は彼らの同類である。神が無法の民を導きたもうことはない」。さらにコーランには、「命には命、目には目、鼻には鼻、耳には耳、歯には歯、受けた傷は同じ仕返しを」と書かれている。

 

 まさに今日の宗教戦争は、「目には目、歯には歯」の報復戦争なのである

 

 ユダヤ教は、紀元前四世紀頃から発達し、ユダヤ(イスラエル)の砂漠で遊牧民の間に信じられたエホバ神(ヤーヴェ)が、多くの苦難を経て、モーゼという預言者によって「唯一最高絶対の神」とされた宗教であり、ユダヤ人を神に選ばれた選民と自覚する。

 

 キリスト教は、ユダヤ教の「唯一最高絶対の神」を信じ、さらにイエス・キリストを「神の一人子」=救世主と仰ぎ、エホバ神をユダヤの民族神から世界的な普遍神とし、さらにギリシャを経てローマに入り、ゲルマンの狩猟民に信じられ、今日の天地の創造主・世界人類の唯一絶対神たるゴッドの地位を確立したと言われる。

 

 イスラム教もまた、「唯一最高絶対の神たるアラー」を信じる一神教である。西暦六一〇年にマホメットによって創唱された。マホメットこそが唯一絶対神のもっとも偉大に使徒であり預言者と仰ぎ、ユダヤ教の教師を否定し、イエス・キリストを「神の一人子」とは認めない。

 

 つまり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、砂漠の遊牧民に信じられた「唯一絶対神」を信じるということでは全く共通している。しかし、お互いに異端・異教徒として排撃し反目して来たのがこれまでの長い歴史であった。

一神教とは排他独善的にして残虐な側面をもつ宗教である

 

 砂漠の宗教たる一神教は、「血」による贖い(罪滅ぼし)を求める。「血を流すこと無しには罪の許しはあり得ない」とする。ユダヤ教もイスラム教も神の祭壇に羊を供える。ユダヤ教の祭司たちは動物を裂き、その血を流して罪をあがなってきた。

 

 イエス・キリストも自分の血を流すことによって人類の罪の許しを神に乞うた。だからイエスキリストは「神の子羊」といわれるのだ。キリスト教徒が神に捧げるパンと葡萄酒はイエスキリストの肉と血の象徴である。

 

 キリスト教国であるアメリカでは十七世紀に、マサチューセッツ州で清教徒による専制政治が行われ、「異端者」(非キリスト教徒)を絞首刑にしたり、「魔女」(民間信仰のシャーマン)を火炙り(焚刑・ふんけい)にした。

 

 一神教の神は、その意志に反する者を、全能の力を以て処罰し抑圧し征服する。そして、その神を信じ、救いを求める者のみを救済する。この排他性によってお互いに攻撃し合っている。

 

 この三つの宗教の中で、キリスト教を信じた欧米社会が、高度な文明を築き上げ、地球上の他民族を征服して、植民地として隷属させた。その歴史の過程において様々な侵略や戦争が繰り広げられた。

 

生命の永遠の循環と共同体の相互扶助を身を以て体験する日本民族

 

 一神教同士の対立と抗争がどれだけ多くの人々を殺し、人類に生き地獄の苦しみに落とし込んだか。宗教とは人々に安心立命・真の幸福とやすらぎを与えるものであるはずなのだが、一神教の歴史は逆に人類に不幸と殺戮を与えている。

 繰り返されるテロ攻撃とそれへの報復戦争は、まさにそういう一神教の歴史が根底にある。つまり、三つ大きな一神教の大戦争が今行われていると言える。

 

わが国の伝統信仰たる神道は、太陽の神であられる天照大神を最尊・最貴の神と仰ぎ、皇室の御祖先神として崇めている。日本神話を拝すれば明らかなように、天照大神は、唯一絶対・全知全能を誇る神ではない。八百万の神といわれる日本の神々の使命・性格を生かし高める神である。一神教の神のような裁きの神、妬みの神、復讐の神ではない。

 

 日本神話では天地自然や人間は唯一絶対神によって造られた存在ではない。人も国土も君主も伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在である。

 

 さらに神の御命令によって地上に天降られた邇邇藝命の最大の御使命は、地上を瑞穂の国すなわちみずみずしい稲の穂が稔る国にするというきわめて平和的な信仰である。邇邇藝命という御名には、稲穂のにぎにぎしさを讃え稲穂に籠る霊への信仰が内包されている。

 

 生命の永遠の循環と共同体の相互扶助を身を以て体験する稲作生活から生まれた規範を大切にする日本民族の祭祀に、言葉の真の意味における平和の姿を見出すことができる。

 

 それは日本神話の言葉を以て言えば、「高天原を地上に実現する」ということである。この精神を発展させて、全世界を農作の栄える国とするという使命を日本が果たすべき時が来たといえる。お互いの神を排斥合うのではなく、同じ天地の神として尊重し合う精神を持たなければ宗教戦争は終焉を迎えない。日本伝統信仰の自然崇拝の精神が、一神教同士の闘争に終止符を打つために大きな役割を果たすと思う。 

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